長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

めぐるメイヨー

2020年08月27日 09時45分33秒 | 稽古の横道
 20世紀につくられた、シルクロード紀行番組を偶々見た。
 砂漠の遺構群が、遥か異国への憧憬と旅情を思い起こさせてくれたのだが、たぶん、もう今では心無い人災や戦禍に見舞われ、時の流沙にさらされる以前に、失われてしまっているのだろうなぁ…

 日中共同制作…というキャプションが懐かしく、ぁぁ、そんな時代もあったね…と、しばしほのぼのしたのだが、記憶がまぶしく目に痛かった。
 1980年代中頃、横浜中華街への食い倒れツアーや、返還されて間もない米軍住宅跡地(マイカル本牧として新開発される以前でしたがその名称さえ今は昔)散策、新作が封切りされるたび連れ立って出掛けたジャッキーチェン映画の観劇仲間でもあった大衆読み物研究会の学生時代の友人が、日本語学校の先生になって、中国(どの地方か失念してしまったが)へ赴任した。
 土産話に、買い物に出かけると凡てがメイヨーであると、話し上手な彼は面白おかしく伝えてくれた。
 開放政策が軌道に乗る前までの中国は、商店にはほとんど全く何もなく(あっても見本だそうで)、店員さんは「メイヨー(無い)」と宣うのみ。
(売るものがなくても国家公務員なので、お店は開けなくてはならないそうなのです)

 赴任先で、文革の時代にはとても辛い目に遭われた画家の娘さんとご結婚なさって、一時帰国の折に、浦安に出来立ての東京ディズニーランドへ行きたい、ということでご案内した。
 感極まった彼女が目をキラキラさせて、中国には21世紀になってもこのようなものは出来ない!と叫んだ。
 
 それから私も環境が変わり、お目にかかることもなくなってしまったが、1990年代中頃、洋装のおしゃれはし尽して飽きてしまったような気がしていた30歳代半ばに、デパートに洋服を買いに行く度、延々と広がる膨大なアパレル売り場の…ぁぁ、これが、ここからここまでしかなくて、この中から仕方なく選ぶしかない…という状況だったらどんなに楽だろう…と、今思えば贅沢極まりない悩みに悩んでいたとき、かつて友人から聞いたメイヨー奇譚をしばしば想い出すようになっていた。

 1995年ぐらいからだったでしょうか、それまで興味がなかった中華電影に突如ハマった話は別稿に譲るとして、怒涛のような20世紀末をやり過ごそうとしていた2000年の夏、祖母の葬式の席で、私は意外な話を叔父から聞いた。

 理系の父方の叔父は重厚長大の典型的な電機系の大企業に就職し、1970年当時1ドル360円時代に社費でアメリカに留学したが、B型人間の定めか、上司と折り合わず退職した。しかし、手に職がある優秀な人材だったので、その企業の下請けのような、研究開発をするラボを起業し独立していたのである。
 その強気な叔父が、2000年夏、このところは委託され中国へ技術を教えに行っていると話し、技術供与で日本の電気機器技術の重要なところまですべて分け与えている、このままでは日本国内の産業はなくなってしまうと思う、と、怒気を含ませながら悲しげに語った。

 近江の鉄砲鍛冶の、筒一つの重要な研磨の秘術を絶対に漏らさなかった国友衆のことが頭によぎり、火葬場で祖母の焼昇を待ちながら私は、叔父の話に聞き入っていた。

 さて、時は流れて、2020年夏、昨日私は近所の量販店に、古びてしまった卵焼き器の代わりに、新しいテフロン加工の角型フライパンを購入するべく出掛けたのである。
 フライパンを展示するスペースが3列ほどもあった。
 しかし、そのすべてがmade in CHINAまたはKOREAなのだった。
 衰退し没落しつつある日本の産業を奮い立たせるべく、国産のものを買おうと思っていた私は混乱した。
 (そして一方で、国産と銘打たれている商品の多くは、技能実習生という名の下で安い賃金で酷使されている外国人労働者の手になるものであるとも聞いている)

 日本製のものを買おうと思ったのに、made in JAPANは、もはやメイヨーなのである。
 いったい日本の国はどうなるのでしょうねぇ。
 貿易が国際情勢に左右されるのは昔っから、分かりきっていることでありました。
 いざという時の備えなくして、何の国力でありましょうか。

 しおしおと空手で売り場を後にした私は、数分後、食料品売り場で、店員さんに「この間まであった商品がなくなっている、種類が減っている」と訴えている男性に出くわした。たしかに、輸入品は言わずもがな、このところの猛暑で、野菜類は品薄になっておりますね。

 20世紀に面白おかしく聞いた隣国のメイヨー噺を、21世紀のいま、自分の国で実体験することになろうとは、誰が思ったことでありましょう。
 時代を重ねれば進歩する…と思っていたのは20世紀の夢だったのでしょうか。
 科学が進歩しても、人間性が進歩するとは限らないわけですからね…
 そういえば、古典SFにして名作のウェルズ『タイムマシン』でも、遠い未来、人類は退化していますものね……
 
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sunみつ

2020年08月21日 09時55分01秒 | 近況
 …拝啓 外出を思い切るにはちょうどよい暑さの夏も過ぎようとしております…

 思案投げ首、新たなる職探しをも視野に入れて日を送る、若き芸能者の消息も伝え聞かれる令和二年、春、そして夏。
 自分のことで何かと物要りでありましょうに、盆暮れ正月、欠かさずお心尽しのご挨拶を下さる、律義なお弟子さんへの御礼状をしたためておりました。

 なんだか妙にやせ我慢というか、向こう意気というか、存外自分らしい時候のご挨拶が書けてしまったので、勢いづいて新暦八月になってからこの方、開けてもみなかったパソコンを開いてみました。
 人間は暑さに弱いものでござんすね。
 こう立て続けに自分の体温とそうそう変わらぬサウナに入りっぱなしの状態で日々を過ごしておりますと、脳内が混濁してまいります。
 太陽が濃密、略してsunみつ。
 南の島に行ってぼーーっと太陽が磯の汀の彼方に沈んでいく様を見暮らしても、それで万事OKな気も致します。それでも絵をものしたゴーギャンは偉大だなぁ…
 人生は、死ぬまでの暇つぶし…とおっしゃっていたのはどなたでしたっけね。
 弱気な肚とは裏腹に、自分でも思いも掛けぬ大胆不敵なことが口から出てしまう、負けず嫌いな談志師匠だったかしらん。

 亡き談志の前名を襲がれた柳家小ゑん師匠(私が寄席通いをしていた昭和末期、新作派としてプラネタリウムで寄席をなさったりした新進気鋭の落語家さんでした。現在もジャズ通と電気機器・鉄オタ…etc.に磨きがかかり、数年前、池袋演芸場でアキバぞめきを拝聴、堪能いたしました)が、SNSで彦六の正蔵師匠のご本『噺家の手帖』の噂をなさってらして、やれ、懐かしやと、検索してみたら、なんという便利な世の中でしょう、翌日には手元に実物が届いたという、通販流通業界の皆さまの日々のご苦労に頭が下がります。
 古本屋通いを日課としていた20世紀中の自分には想像もつかぬ今日の有様…。
 街に出でて何かしらを探す作業が愉しかった時代を経て、一か所に引きこもり自分の来し方行く末人生のありていを掘り下げる作業に没頭する、人間、逆境もすべからく天国となり得ます。

 さて、1982年3月、彦六師匠が亡くなられて間もなくに一声社という版元からこの世に送り出された御本を手に取り、“芸人の意地”という一話目から滂沱の涙を禁じ得ませんでした。引用させていただきます。

  ……根性と云ってもよいし、心意気と云ってもいいのだが、芸人に意地ッぱりな背骨がとおっていても世渡りに不都合はあるまい。
  自分の田に水を引くようで恐縮だが、私のように才覚のない金に恵まれない噺家が、一生涯じぶんで建てた家に住めず借家で命おわったとしても、たかが寄席芸人だという意地ッぱりな背骨がモノを云って他人が憐れむほど当の私は悲しんではいないのだ。
  寧ろ名誉だとさえ思っている。
  今を時めくTVラジオの定連である若手落語家〈主として咄しでない番組の人気者〉の真似をせずに己れの境地を認識して本当の咄しに精進して行こう〈古典落語というと兎角せけんでは、ただ故人の糟粕を無条件でナメているという解釈だが間違っている〉と貧乏に堪えて生きている若人も私の周囲には多数いる。この人達こそ真に芸人の意地ッぱり立派な背骨を持っている者だといえると思う。
 (1967年初出)

 感涙にむせぶとともに、このように素晴らしい文章は、誰かにもっと読まれるべきである、広めなくてはならない…という生来のそそっかしさと義侠心で皆様にご紹介したかったのであるが、春先中止になった演奏会の代替に、急遽9月に舞踊連盟さまと合同公演をしなくてはならぬ事態となり、時間もさることながら灼熱に痛めつけられた体力もままならぬ。
 昨日までで、やっと120ページほど読み進めたのであるが、鼻濁音の衰退や、マスメディア・政治の堕落に対する意見などなど、つねひごろから自分も痛感する事柄で、果たして55年前の随想であろうか、と驚くほど、世の中は変わっていないのである。

 至極もっともだと、ただただ共感してしまう、ともすれば多分に昔気質である考え方。
 彦六の正蔵師匠の異名・トンガリから改めて拝察するに、マイノリティなリポートを書かずにはいられないお人柄は、やはり世間では少数派なのであろうか。

 しかししかし、彦六師匠のご子息・花柳衛彦先生という、日本舞踊界のすばらしき才能を生み出したことこそ、ハコモノではなく優秀なるソフト、無上の文化的所産ではないかと、私は思うのだ。


        *     *     *


 そんなわけで、文体各種入り乱れておりますが、9月6日日曜日、吉祥寺駅前の武蔵野公会堂にて正午より、武蔵野市民芸術文化協会自主イベント、和を紡ぐ邦楽と舞踊 が、ございます。
 三密にも充分留意の上、令和元年まで行われていた公演とは趣きも異なりまして、観客の皆さまのご協力を頂きながら、舞台を勤めさせていただきたく存じます。
 
 また改めましてご案内いたしますが、番組中に、童謡「紙にんぎょう」から着想を得ました杵屋徳衛作曲作品「Paper Doll」に、新たに衛彦先生が振付して下さり、お弟子様が立方を勤めてくださることとなりました。
 地方は徳衛社中(協力・武蔵野邦楽合奏団/わたくしも参じます)にて、お贈りいたします。

 どうぞよろしくお願い申し上げます。
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