長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

『向不見の強み』

2018年01月20日 14時14分55秒 | 近況
 昨年、携帯…当世風ならモバイルと言うべきか、を替えてしまったので、20年以上使ってきた携帯電話会社のメールアドレスが使えなくなってしまった。
 それがため、音信不通になってしまった旧知の友がいる。ツイッターの如く気軽に呟いて連絡したいことがあったが、登録していた相手のアドレスにメールしても戻ってきてしまった。20世紀のころ鉄道の各駅の改札口にあった伝言板の趣で記述する。

 毎木曜日に西池袋(要町)の稽古場に寄せていただくようになって幾年かが過ぎた。実は昭和のころ、母方の大叔母が清瀬に住まいしていたので、池袋は私には懐かしい土地なのである。三味線だけでは口に糊することも叶わぬ三十を少し過ぎた修業時代(今も修業時代に変わりはなけれども)主たるたつきの道を浪々していた折、友人が勤めていた会社にバイトとして呼んでくれたこともあった。

 池袋西口から山手通り交差点の要町へ向かう途中までの、いわゆる乱歩通りに、八勝堂書店という古書店がある。学生時代古本屋廻りをしていた私には神聖な場所である。昨年、ご店主が亡くなられたので、この2月末でお店を閉めるという。
 前世紀中は毎日何かというと本屋へ向かってしまう私であったが、修業の妨げになるので、21世紀になってからは必要でない限り、本に近づかないようにしていた。であるから、古書店先を冷やかすのも稀になっていたのだが、自分を育ててくれた本達、そしてそれを商う方々への恩返しの意もあり、昨年暮れ、稽古帰りに芝居関連書籍を幾冊か購入した。

 年が明けて次の予定まで時間があった木曜日、ふたたび八勝堂書店を訪れた。
 書店の棚の前というものは、いつ来ても居心地のよいものである。
 その日は店の上手側のレコードCD売り場をざっと見まわし、懐かしや、ビクター邦楽名曲選の竹本越路大夫×野澤喜左衛門「寺子屋の段」があったので思わず手に取る。
 下手の書籍側も、も一度見たい…と、未練ながら左見右見、先日は目が疲れてよく見なかった文庫本のあたりを眺めていたら、これまた懐かしや、三十代のころ面白かった水上滝太郎の、小説ではなく随筆集『貝殻追放 抄』岩波文庫が目についた。

 その日の収獲は以上二点であった。自分自身の稽古のほかに覚え物の譜面を書き直したり、何かと忙しく本を読む暇とてないのだが、さすがに気を休めたい気がして、掌編を一つずつ読むことにした。 
 先ほど、読んで共感するあまり唸ったのが、そんなわけで水上滝太郎の貝殻追放中の「向不見(むこうみず)の強み」である。 
 大正7年に発表されたこの随筆が、100年余を隔てた平成30年の世相に身を置くものを共感させるという、不変なる人間の業というもの…。あなたはどう感じるだろうか。
 
 
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Waライブ両国亭2

2018年01月08日 23時55分55秒 | お知らせ
 おかげさまで、昨秋の旗揚げ公演が大好評を賜りまして、この度第2回開催の運びとなりました。
 大相撲初場所でにぎわう、ちょと前の両国へ、皆さま、おいでませ。
 ご近所に鼠小僧治郎吉のお墓でも有名な回向院、忠臣蔵の本所吉良邸跡もございます。

 詳細は、下記、我が家元・杵屋徳衛のブログまでお越しくださいませ。

    https://ameblo.jp/kinetokukai/entry-12341195164.html

 お正月の邦楽寄席で、溌溂とした日本の音曲をお愉しみ下さいませ。
 お待ちしております。
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卅日(みそか)に月の出るさと

2018年01月06日 15時53分00秒 | 折々の情景
 せかせかと忙しなく過ごしてしまう時間帯、夕暮れ時にさっぱりとした心持ちで東の空を眺めるひと時の、なんと少ないことか。日出る国の民としては、どうしたって沈みゆく夕陽を眺めてしまいがちですから、雲と見分けがつかぬほどの、光を放つ前の白っぽい半透明な月影が、何の気なしに投げた視界に入ってくると、無防備な心がドキン…!!としてしまいます。
 ふと見上げたビルの谷間の先に、ぽっかり浮かんだ月を見つけた時の、何とも言えぬ胸のさやけさ。アンデルセンの「絵のない絵本」を…私の年代ですと、いわさきちひろの絵で…ほのぼのと想い起こします。
 そしてまた小学6年生頃でしたか、谷川俊太郎訳、堀内誠一絵「マザーグースのうた」という絵本を、本棚の特に大事な本のスペースに置いていた私は「…僕が月を見ると、月も僕を見る。神さま、月をお守りください。神さま、僕をお守りください…」とかいうような詩編を想い出すのでした。
 田中絹代が監督した「月は上りぬ」という映画を、今は亡き築地の華僑ビルで見せていただいたことがありましたっけ。バンツマの「月の出の決闘」なんてのもありましたね。ほかにも何だかいろいろと…生まれたての月を東の空に見つけたとき、人はどうしてこうもロマンチックな心持ちになってしまうのか。…危険ですね。
 日本人が無条件でぐっと来てしまうキーワード、私は常々“しみじみ”と“ほのぼの”が双璧ではないかと思っております。(ほのぼのの研究に関しては、乞う、次稿をお持ち下され度)

 そんなわけで、ほんものはもっとグッときちゃう素敵な色合いだったのだけれど、2018年1月1日の夕間暮れに浮かんだ月をご覧くださいませ。満月かと思ったのですが、旧暦霜月、十一月十五日の月で翌2日がフルムーンでした。
 盆と正月が一緒に来た、と俗に言いますが、正月と七五三が一緒に来たのが平成30年の元日だったのです。祝祭日を固定された日にちでなく、連休になっていいじゃないかねぇ…という方向性で月曜日にしたのは日本民族にとっては悲劇でした。自分の都合によって横紙を破る…筋の通らぬことを潔しとしない国民性が希薄になったのです。ほんでもって、ああた、下手にスカイツリー、上手に東京タワーも写っとるでよぉ。

 …そいえば、一昨年の秋のこと、東京駅の乗り降りのゴタゴタから東海道線に乗り込んだ私は、席から立ち上がり網棚に載っている荷物を触っていたご婦人がいらしたので、「降りますか?」と訊ねた。きっぱり「降ります」とおっしゃったので、おお、座ろう、座らせていただこう、と傍らに立って待っていたところ、ご婦人は降りずに座っている、あれれ???と思って「降りないんですか?」とふたたび訊ねたところが、「おります」と、再度おっしゃった。
 ??? 狐につままれたていでしばし呆然としていた私…「居ります」という意味だったのね。…失礼いたしました。ぁぁ、もう、ややこしい………
 
 正月一日に十五夜の月が浮かんじゃうなんて信じらんねぃ、インクレディブル…!!と、明治6年以前の方々はお思いになったことと思います。晦日に月の出る廓(さと)、吉原の夜間照明が明かる過ぎて…という意味だけじゃありません、そんな常識じゃ信じられない、考えられないようなことが起きる街…まぁるい卵が四角だったりするような、とんでもない場所のことでありますね。
 歴史がはぐくんできた価値観や定見が吹っ飛んだ、トンデモナイところになったような気がするのが、このところの日本なのでした。
 
 平成卅年ともなりますと、そういう一般社会とは区切られた特殊な地域の出来事が、当たり前にいろいろ起こります。
 劇的なお話は本物のニュースに譲るとして(しかしなんだってまぁ、昔は「ペンは剣よりも強し」という格言があったほど、報道に携わる方々には矜持があったものでございますょ…)まぁ、些細なお話を一つ。

 この松の内に、最寄り駅前からバスに乗り込んだと思いねぇ。出発までまだ間がある停車中の、空いたバスの最後部座席に進んだ私の耳に入ってきた小学生のお言葉「お金があればなんだってできるんだょ」。吃驚してその言葉の飛んできた方向を見てみましたところ、塾帰りとおぼしき女の子二人、男の子三人の子どもばかりの高学年の五人グループ。声の主の男の子はボリボリムシャムシャと、バスの二人掛けのシートに座り、五百円玉と同じくらいの小さいお煎餅をこれまた細長い袋から取り出して食べながら、口からお煎餅の欠片が零れ落ちるのも厭わず、しゃべっておりました。口を動かす場合は、しゃべるか食べるかどちらかにしなさいと言われたことはないのか、口も経済活動重視で合理性を目指しているのでしょうか…ぁぁ無残。
 いくら頭がよくて将来の日本をしょって立とうという人材でも、いかんせんお行儀が悪すぎます。お家では最低限のきちんとした人間のあるべき人となりを、何も教えてもらえないんでしょうか…
 
 公共機関だからもっと静かにしゃべりなよ、お前は地声が大きいんだよ、通学バスは公共機関なのかなぁ…と、聞くでもなくいろいろな話し声が聞こえます。たぶん皆さん成績はよく、頭の良い小学校4、5年の一団なのでしょう。
 しばらく黙って通路を隔てた斜め後ろの席に座っていたのですが、彼らのけたたましさにたまりかねて私「あのね、もうちょっと静かになさい、公共機関なのだから」と(彼らの会話を逆手に取っってしまったのは些か子供じみていたかもしれないと反省しつつ)大人としてたまりかねて、静かに丁寧に(彼らのトラウマにならないように…)たしなめました。
 
 彼らはぴたりと(注意を受けたことに吃驚してか)静まりましたが、バスが出発して幾停留所も過ぎぬうち、ひそひそと、生活指導のBBAみたいないけ好かない…と聞こえよがしに話し始めました。…仕方ないなぁもう。
 女子二人は静かに座っていましたが、男子三人はバーリバリのボォリボリと食べることに重点を置いたようでした。
 しばらくして、街道途中の停留所から農家のおじいちゃんとおぼしき旦那さんが乗って来て、彼らの隣に座りました。
 そして、傍若無人な彼らの散らかしっぷりに思うところがあったのでしょうか、一人ずつ別々の停留所で降り始めた彼らに「ほら、忘れ物だよ、ほら!」と、座席に放置されたお煎餅の大きい食べくずのかけらを渡したのです。…やるじゃん、おじいちゃん!
 降車ドアへ逃げるように進んだ男の子の一人は、でも険しい眼つきでおじいちゃんを睨んでいました。

 いつ頃からそうなったのでしょう、この子どもたちだけではなく、人の注意を素直に聞けず、自分の至らぬことを顧みず、みっともないよと、教えてくれた相手を逆恨みするようになったのは。客観的な意見を反芻し、受け止めて反省しなきゃ、現状からの成長は望めませんで。生まれた時から出来上がってる人間なんて、お釈迦さま以外そうそういませんょね。

 そいえば昭和の終わりごろの新聞の投書欄、あのころすでに、他人の子どもに注意すべきか否か、という論争が起きたことがありました。何を言うのだ、社会が子供を育てるのだから、悪いこと、いけないことをしているのを見かけたら、他人の子どもでも叱ったり注意するのは当たり前だのクラッカー…というのが、私が育った昭和のころの通念でした。



 しかし昨今、電車の中での傍若無人な有様を注意したところ、その女の子にホームから突き落とされた、という出来事を耳にしたりして、この21世紀の平成の世の中は、もう怖くて他人に注意することなんてできません。
 だいたい暴力は絶対いけない、根絶すべきである…と言いながら、渇かぬ舌で、素手で殴りあう戦闘ゲームの宣伝をしているではありませんか、マスコミ様は。

 多様性とは異なる間違った思い込みの人間がたくさん育って、勘違いを通り越し、野放図な理不尽がまかり通る、恐るべき時代に突入しております。子どものころから刷り込まれた無道を、大人になってから直すのは無理じゃないでしょうかねぇ…。
 こわやこわや…
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