長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

菅公

2015年07月25日 23時20分02秒 | お稽古
 常々、身辺整理をしたいと思っていた。
 コンセントを抜くと消えてしまう媒体をどうしても信用できず、記憶すべきものは紙に記されているものに限る、という観念から抜けきれない。だからどうしても書類に埋もれてしまう。
 世間に流通している出版物の類いは、自分で持たなくても図書館にあるから安心である…と思えたのはもう昔のことで、私が憶えておきたいことどもが載っている書籍は、たぶんもうこの地上から姿を消しつつある。
 けれども…。自分のこの脳が消滅してしまえば、そのようなこだわりなどもとより存在しない。それに気がついて、近頃はようよう、本という名の我が神様から解放された。

 さて、今日処分しようと手に取ったファイルから、昨年4月の文楽公演のチラシが出てきた。「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅ てならいかがみ)」の通し上演。国立文楽劇場30周年記念と銘打たれている。しかしこれは文楽fanには特別な意味を持つ興行でもあった。切場語りの竹本住大夫の大阪における最後の舞台となったからだ。
 ちょうど日程が重なった通り抜けで、私は造幣局の桜を観たのち、日本橋の文楽劇場で桜丸切腹の段を聴いた。

 文楽のチラシには裏に作品解説と粗筋が印刷されているものと、配役が載っているものの2パターンあって、それぞれ写真が違う。これは捨てるに忍びない。梅鉢の縫い箔を散らした濃き紫の袍を着いた菅丞相(かん・しょうじょう)、そしてもうひとつは、力紙と病鉢巻き、黒地に雪持ち松の衣装の松王丸。
 菅原と言ったらなんてったって寺子屋なのだ。日本の伝統芸能の外題の付け方は直球勝負じゃないところがその特質を表している。たとえば、義経千本桜もそう。
 表題の人物が主役ではないのだ。その人物の周りの人々が主役で、エピソード集なのである。日本の演劇の歴史は、二次創作の積み重ねなのだ。

 そうして、偶然にも程があろうというもので、今日は大阪の天神祭の日なのだった。…これを天啓といわずしてどうする。
 道真公のことを、書かずばなるまい。

 思えば菅原道真公は、何とわれらの身近に存在していることであろう。
 幼少時、♪とおりゃんせ、とおりゃんせ…と遊んだものは既に「天神様の細道」という言葉を諳んじている。
 「東風吹かば匂い起こせよ梅の花…」私が日本の歴史に詳しい小学生だったのは、マンガ版日本の歴史シリーズをページが擦り切れるほど読み込んでいたためであるが、昭和四十年代の同書の編著者が、菅原道真公のフキダシにこの有名な歌を入れてくれたことには大変感謝している。「我が世をば望月と思う…」藤原道長の有名な歌も、あかねさす…額田王も、私は歴史上の人物キャラ(似ているかどうかは最早問題ではない)のフキダシに入っていたがゆえ、憶えることが出来たのだ。

 映画「非情城市」を想わせる20世紀終わりの台湾に行ったのはもう20年前だったが、ツアーの現地ガイドさんが孔子廟の説明をして下さって「日本にもこの建物と同じものがあります。えーと、ユハラの聖堂ね」…すぐに湯島の聖堂のことである、と察することが出来たのも、昌平黌(しょうへいこう)脇の道をずっと上って…常にわが心の中には新派の婦系図…雷ちゃんも早瀬主税を演じた湯島の白梅、そして天神様がいたからである。
 カンコー学生服、という有名なブランドがあるが、言わずと知れた菅公学生服なのだ。

 歌舞伎や文楽の菅原伝授手習鑑は、義太夫節の狂言である。
 それでよく訊かれるのが、「長唄には道真公がテーマの曲ってないんですかねぇ?」

 待ってました。あります、あります、あるんですょ。
 一般的でないのは、当、杵徳の家の曲だからなのです。
 皆さま、ぜひ一度お聴きになって、流行させて下さいまし。

 その名も『菅公(かんこう)』。
 作詞は、鴬亭金升(おうてい・きんしょう)。明治元年に旗本の家に生まれ(先祖は何と、あの斎藤実盛)、新聞記者から後に雑俳の大先生になり、また全国の流行歌(その当時ですからご当地ソングや、長唄・清元・常磐津・小唄などの俗曲)の作詞を幾つとなく手掛けられ、明治・大正昭和の文壇・劇壇・演芸界に名を馳せた方である。
 作曲が、三世・杵屋勝吉(きねや・かつきち)。杵屋徳衛の御祖父ちゃん。
 
 演劇出版社から昭和36年に刊行された『鴬亭金升日記』の、昭和四年己巳(つちのとみ)の歳、一月七日の項に、

  長唄に楠公あれど菅公なければこんなものを作ってみた。
 
 とあり、以下に 「菅公」の歌詞が全文、掲載されているのだ。

 さて、どんな曲かと申しますと、上の巻が二上がりの通しで、菅公存命の時制にて、

  ♪さても菅原道真公 まことの道の色変えぬ 松につれなき藤蔓…

と、配流先での憤懣やるかたなき苦悩を、道真公の詩や、飛び梅など菅公の伝説に関連あるキーワードをちりばめ、

  ♪都府楼はわずかに瓦の色を見 観音寺はただ鐘の声を聴く…

春の名残を筑紫の風景とともに抒情豊かに描いている。

 下の巻は本調子から、没後の雷鳴とどろく様子を大薩摩を交えスピーディな迫力のある節付けで始まり、のち二上がりから三下がりに調子替りし、天神祭の祭囃子の合方で、賑々しく終曲となる。
 この祭囃子の合方は、アラカン主演の映画「三味線武士」劇中、天神祭の船渡御シーンにも使われている。

 ♪都府楼は~のくだりは、往時の大宰府を偲ぶにふさわしい、うっとりする節付けだが、都府楼というと、松本清張の『時間の習俗』を想い出す方も多いかもしれない。そうなると『点と線』から香椎海岸へと連想し、さらに夢野久作へと想いが飛ぶのは、昭和29年10月31日に黄泉へ旅立たれた鴬亭金升より、さらに私たちが昭和の文化を重ねた時代に生きた者であるあかしでもあろう。

 鴬亭金升の著作で今も手に入るものに『明治のおもかげ』という随筆集があり、その中に

  「…明治時代には天保の生き残りの老人から種々教えを受けたが、昭和の今日は僕等が明治の生き残りになった。昔は若い人に教えたのに引きかえて、今は若い人からいろいろ教えを受けるのは可笑しい」

 という一文がある。この明治を昭和に、昭和を平成に入れ替えると、今の自分の心境に合致して何だか面白い。
 そういえば楠公の取材で四条畷へ行ったとき、駅前に『ナンコウ』という店名の散髪屋さんがあって、ぉぉぉ~、さすがご当地、と、感心したものだった。
 それさえもう、二十数年前のことである。
 
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Tutti,dormono! (「誰も寝てはならぬ」の、ハンタイ)

2015年07月18日 11時55分55秒 | マイノリティーな、レポート
 “Nessuno dorma”という名曲が一時流行りました。(いえ、スタンダードな名曲ですからこういう言い方はいけないかもしれません)
 それはいつだったかの亥年の前年でのこと、その流行りものから年賀状の絵柄を考えに考え抜いて…ぃぇ、ほんの想いつきだったりもしますが…“山崎街道でイナバウアー”というタイトルの下、新干支のイノシシが山崎街道で仰け反って花道を踊り去る…という御摂つきの安宅勧進帳をも狙った意匠が私の頭に降りてきました。
 しかし、よくあることですが、それは年越しの諸事に紛れ、偉大なる構想のみが生まれるにとどまったのです。

 …そんな話をするつもりじゃなかったのですけれども。
 歌舞伎や文楽、能…伝統芸能の舞台をせっかく観に行ったのに、寝てしまったんです…なんたること…と、悲しそうに告白して下さる方がいらっしゃいます。
 トム・ジョーンズになって「よくあることさ」と慰めるというよりも、私はむしろ、
 「それはよかった、もっとよく寝てください、そしてリフレッシュしてくださいな、それが日本の伝統音楽の本来なのですから…」
 という前向きなスタンスでの観劇をおすすめしたいのです。
 
 いえ別に自棄になってるわけじゃありませんょ。
 世界各国の楽器や声楽の音の成分を比較研究し、チャートに表した研究家の先生の講義を先般、放送大学で拝見しました。
 純粋な音のみを追求して行った欧米の楽器とは違い、日本の音楽には雑多な混ざりものを有する特性があります。そして、それであるからこそ、その音色には、揺らぎ成分がまことに多く、精神の癒しになるそうなのです。
 心地よく癒される。それが日本音楽の特質なのです。
 だから、睡眠時間の多寡にかかわらず、観客の皆さまを眠りへ誘う…そういう側面を持っているのが、日本の伝統芸能なのです。

 勉強するのではなく、ひとときの癒しを求めて、伝統芸能に触れてください。
 そして、寝てしまったら、再チャレンジして、また寝るもよし、寝てしまって分からなかったところをもいっぺん聞いてみよう、でもいいのです。
 そうして伝統芸能に触れることが日常茶飯事となって、あなたの血肉に潜んでいた日本人のDNAが活性化し、あまりにもかまびすしく推移する時代の奔流に覆われていく日常に、心安らぐひとときが訪れますことを、願ってやみません。

 「欧米の音感で演奏する邦楽が、なぜ情感を生まないのか?」は、次回『しみじみの研究(仮)』でお話ししたいと思います。
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