長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

江戸の心、大阪のこころ

2015年05月28日 12時48分00秒 | マイノリティーな、レポート
 昨晩、文楽三味線の野澤錦糸師匠が企画なさった、素浄瑠璃の会「浄瑠璃解体新書~サワリ、クドキ、名文句」に伺った。小名木川の北岸、東西の深川橋にはさまれた江東区森下文化センターでのことである。
 東京公演のお疲れも癒えぬままでありましょうに、義太夫節のいいとこどりの大御馳走を、深川出身の竹本千歳大夫と、東京公演時の定宿を深川に置き、近隣の銭湯をこよなく愛する錦糸師匠が、口演して下さったのである。ほのぼのしみじみとした、素敵な会であった。
 錦糸師匠の左手が棹を舞う。と、何ともいえぬ深く心地よい音色が空気の奥から出現する。ティンカーベルが杖を振るたびキラキラキラ~と輝く光のしずくか、星のかけらのように。
“庶民の娯楽であった浄瑠璃が難解な芸能と思われている昨今”ぇー、じょうるりぃ?!なんて難しく考えず、もっと気楽に接してほしい、という錦糸師匠の願いが、チラシにも記載されていた。

 そうなのだ。いつのころからか、演奏会に来て下さるお客さまは、勉強させていただきます、と仰るようになった。確かに、弟子ならそういう表現にはなるのかもしれない、多少小賢しい感じもするが。しかし、一般の方々には楽しんで聴いていただきたいのだ、娯楽なのだから。
 昭和の頃は伝統芸能である邦楽が巷に溢れていて、勉強する対象ではなかったから、みな歌詞の意味合いなども考えず長唄を習っていたので、これではいけない、というわけで研究会が持たれたりした。しかし、もはやそういう現象の時代から逆転して、今は身近な遊びではなくなり、気がつけば好事家が研究する対象になってしまっていた。
 これはブーメラン効果なのである。
 そいうわけで、歌舞伎や日本舞踊から生まれた長唄も、愉しみで聴くものだから、そう構えずに気楽に接してほしいものだ、と常々私も思っていた。

 かえる道すがら、無意識に、先ほど皆で一節唱和した酒屋のお園のクドキではなく、先代萩の政岡のクドキを唸っていた。やっぱり私はこれが好き。わが青春を傾けた1980年代から通い続けた先代の歌舞伎座で、慣れ親しんだ女形の名演の数々。
 ほかの名場面、名調子が数多あるなかで、なぜ私はこれが好きなのか。やっぱり時代物狂言が好きだからか、役者の台詞としての刷り込まれようが素の義太夫の語りより激しいためか?
 配布して下さったしおりの、伽羅先代萩 六段目の切「政岡忠義の段」を読み返し、作者名と初演年代が記載されているのを見てはっとした。
  天明五(1785)年 江戸結城座
 そうか…! 人形浄瑠璃がもとになっている芝居(戸板康二先生はこれを丸本歌舞伎と名付けてらして、昭和の歌舞伎から教えを受けた者はそう通称していた)の初演は多くは大坂のものなのだが、昨日美味しくいただいた演奏の数々のうち、これだけが江戸生まれだったのだ。

 三つ子の魂百まで。子どものころから慣れ親しんだ文化、風土による色合いの違いというものは、やはり人間個々の嗜好に多大に影響しているのだ。
 たとえば先般、ふたたび話題になった鼻濁音。長唄ではとても重要な要素だし、標準語を完璧に話せなければならない昭和の頃のテレビやラジオ放送のアナウンサーには最低必要条件であったが、基準というものは移ろいやすいもの。
 私が若い頃(!)電車の中には、標準語や東京弁で話す人しか乗っていなかった。郷に入っては郷に従え、で、いろいろな地方からやって来て東京(或いは江戸幕府)という都会で仕事をするのが江戸時代からの日本の習わしだったりするけれども、そういういわゆる公用語を使うことで公私を切り替えていたのか、みな一国の首都である、都会で働くからには、洗練された大人になりたいということで、気が張っていたのかもしれない。未だ成らぬ若者たちの、けなげな心根から。
 平成になって地方の時代ということが叫ばれ、ふるさと創生基金なんて言葉が始まったあたりから、それが様変わりして、今や車中では、ものすごくいろいろなお国言葉を耳にするようになった。これは吉本興業が東京に進出してきたばかりでもなかろう。
 文化の中央集権が崩壊したのだ。

 つい先日、大阪弁の方が「中学校」と、おっしゃるのを聴いて、私はハタと膝を打ったことがあった。ちゅー↓がっ↑こう、このイントネーションでは、「が」鼻濁音になる必然性がないのだ。
 「○×しはった」。この「…はった」を語尾に付ければ何でも敬語になるという、関西弁の歴史がなせる融通性と、ひとなつっこいぬくもり。
 21世紀になってから大好きだった東京の歌舞伎よりも大坂生まれの文楽を愛好していたのだが、知らず知らず、関東で生まれたイントネーションから詞章に備わる言い回しのリズム感を持つ、江戸生まれの浄瑠璃がしょうに合っていたのだ。

 だもんだから、やっぱり東京、ひいては関東圏に根をおろして暮らしている方には、長唄を口ずさんでもらいたいのである。
 もはや土着文化でなくなった、グローバリズム化した一部の民謡や津軽三味線ではなく。

 そして、習いごと、趣味のことなのだから、スポーツを気軽に嗜むように、構えて勉強する対象にはしないでほしい。
 しかし身近にそういう文化風土がなければ、どうしたって遠い存在になってしまうのだ。…ぅぅむ、サテどうしましょう。

 話の合う大正生まれの方々がどんどん西方に旅立たれて、もう寂しい…としょんぼりしてる場合ではなく。私たち、日本の伝統芸能を嗜むのに一番いい時代だったわねぇ、と昭和元禄と呼ばれた豊潤な時代を懐かしむばかりでなく。

 師匠が生涯かけて培ってきた技芸、教えを、劣化コピーさせて何も知らない方々に伝えるわけにはいかないのである。
 わが持つべきものは…パソコンマウスではなく、撥と三味線。



追記:むかし“大夫”という名称は敬称でもあり、尊称である、ということを聞いたことがあったので、浄瑠璃の太夫は○×大夫師匠とは呼ばない、「先生さま」同様の重複表現になって却って失礼だから、という通念の下、竹本千歳大夫を千歳大夫(さん)という心で記しております。思い違いもあるかもしれませんので、何かお気づきのことがありましたら、ご教示いただけましたら幸甚です。
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