長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

移りゆく…

2013年03月23日 12時13分03秒 | 旧地名フェチ
 昨秋の楊洲周延(ちかのぶ)展以来になる、平木浮世絵美術館を尋ねたのは彼岸の中日過ぎだった。
 平木浮世絵美術館。昭和の終わりごろリッカー美術館が無くなり、さびしく思っていたところ、平成何年ごろだったろうか、木曽路を旅した友人が、平木浮世絵美術館が在った、と入場券の半券をくれた。
 …そうか、あのコレクションを見るには旅に出なくてはならなくなったか…とバブルも弾け混濁した時代を、身過ぎ世過ぎのまま、ぼんやりとやり過ごしているうちに、今度は、横浜そごう美術館わきに移設復活したと聞いた。うれしかった。お隣のそごう美術館とは趣の違う、照明を落とした入口の様子は、今でも目の前に浮かぶ。
 そうこうしているうちに、そごうデパートも無くなり、再び休館していたのがいつの間にかまた蘇って、ららぽーと豊洲内に移設されたという。
 幾たびか出会いと別れを繰り返し…あきらめていた旧知のものと、ふたたびめぐり会える悦び。雀躍りして、それがやっと叶ったのが、昨年10月の周延展。私は地下鉄有楽町線豊洲駅に生まれて初めて降り立った。

 今期の展覧会は、「江戸名所百景」でおなじみ歌川広重、最後の浮世絵師・小林清親、そして「昭和大東京百図絵」の小泉癸巳男(きしお)。
 此度は、向島、上野、橋、大通り、大店、夜の花街…というテーマごとにそれぞれの絵が配置され、比べ眺めることができる。
 三者三様の視点から描かれた、江戸、明治、戦前の昭和の風景が、私の眼の前に拡がる。
 
 小林清親。昭和50年代の終わりごろだったろうか、彼の生涯を描いた杉本章子『東京新大橋雨中図』という時代小説にぞっこん惚れ込んだ私は、蝸牛社刊『最後の浮世絵師・小林清親』という評伝集までも手に入れ、「最後の浮世絵師」なるカッコイイ呼称に酔った。

 そんな、なつかしい小林清親。「大傳馬町大丸」の背景に広がる雲の、そのふちの描き方。薄いグレイで、ふちだけ明るい。逆光で日の光を透かして見せる、雨上がりの空にある雲は、たしかにこんな光線で縁取られた色合いをしている。改めて、彼の絵が光線画と呼ばれていた意味合いを反芻した。

 そして、小泉癸巳男。彼は、関東大震災から復興した、昭和ひとケタ時代から戦前の東京の風景を、自画自刻自摺で描いた人である。
 その鮮やかな色彩感覚。まさしく、ハイカラ、モダンという形容がぴったりの色合いと発色。
 そして、自分が若いときに好きで映画館でむさぼるように観ていた、セピアカラーのフィルムから網膜に焼き付けた、戦前の東京の景色。
 …戸越銀座駅(荏原区)の青い空、戦災で焼失してしまった芝公園の塔と梅林、春場所の国技館、聖橋、築地・本願寺、同じく築地・かちどき渡し…etc.
 春の地下鉄、という銀座線1000系車輌の車中車窓の絵。押上の友を想い出す。
 いつの間にか私は泣きそうになっていて、もうこの絵の中にしか残っていない、この素晴らしい風景を、どうにか記憶にとどめようと、売店で図録をさがした。

 受付の学芸員さんに、同じ敷地内で前回訪れた場所と違っていたことと合わせて訊ねると、今回の図録はなく、平木浮世絵美術館も、今展覧会終了時で休館してしまうという。
 急な別れにビックリして、でも諦めがたいのでチラシだけでもないかと訊ねると、展示作品名一覧があります…といって、ひとひらの紙を渡してくれた。

 外からでは壁の一部と見紛うほどにフラットで静かな美術館のドアを開ける。
 …明日もまた来よう…来られるはずだ…なにしろこの週末でまた何度目かの別れで、いつまた会えるとも知れぬのだ。土日は稽古で来られぬまでも、明日の金曜日も絶対来るのだ……
 と、静かに燃える青い炎の如き情念を胸にともした私は、ドア真正面にある晴海通りのバス停へ走った。東京駅八重洲口ゆきのバスが、目の前に来ていた。

 急いで飛び乗り、一番後ろのシートに座ると、バスは石川島播磨重工業の角を右折して、越中島へ道をとる。
 路肩を広げている工事中の豊洲橋。信号でバスが停まったので、頂いたまま慌ただしく鞄の中にしまった作品名一覧を拡げて見た。

   移りゆく風景 広重・清親・癸巳男

 というタイトルと会期が、やはり私の大好きな懐かしい書体、宋朝体で印字されていた。
 …こんなところが好きだったんだな、それに、こんなところの好みも同じなんだ…。
 なんだか急に胸が苦しくなって、花粉やら黄砂やら午前中なのに…いや午後だからPM2.5やら除けのマスクの下で、私はちょっと泣いた。

 バスは大横川を渡る。隅田川と合流する辺りの、何本かの橋が重なって見えるこの風景は、ついさっき見た、会場の版画の中にもあった景色だ。
 バスの窓から絵の面影を探しながら、私は小泉癸巳男作、江戸ばしと其の附近、を想い出していた。
コメント (3)
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