長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

御騒ぎあるな……!

2011年12月15日 13時03分03秒 | キラめく言葉
 昨日、高輪の泉岳寺は、忠臣蔵の討入りの日…!ということで、えらくごった返したそうである。
 下北沢に移る十数年前まで、泉岳寺のすぐお隣に稽古場があった。静かな寺内であるのに、あの門前は不思議と三百六十五日、エブリデー・義士祭、という華やぎを持っている。
 しかし、私は心の中で叫ぶ。大久保彦左衛門のように渋面つくって。
 「おさわぎあるな!! 血気にはやるは匹夫の勇!!!」
 アニバーサリーを愉しむなら、季節感も伴わないと詰まらないではないか。
 まあ、私の心象風景の忠臣蔵の世界は、史実に尾鰭がついた、芝居や映画の脚色・潤色の手垢のついたビジュアルな記憶から形成されたものなので、真実、そうかどうかは知らない。
 しかし、江戸時代の十二月十四日と言うたら、月は14番目の形をしているのだ。つい先日の満月の夜に、皆既月蝕を眺めた身としては、どうにも、腑に落ちない。

 「血気に逸るは匹夫の勇…」は、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』大星由良之介が四段目の、セリフである。
 御家取潰しという現実を前にして、これからどうすべきかを家中で評定する場で、今すぐ討入りだぁ!!と、感情に任せ性急に結論を急ぐ若侍たちを制する言葉。たぶん、由良之助の台詞の中では、これが一番好き。
 …短慮功を成さずのたとえ、と続いて、とどめの一言。
 「さりとては、まだ、ご料簡が、若い、わかい」意地の悪い隠居としては、若いものにあてこすって、一編、言ってみた~い!言葉であります。

 ところで「おさわぎあるな!」のほうは、『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』の「熊谷陣屋」での、熊谷直実のセリフですね。自分の子供の安否を知りたいがため、騒ぎ立てる妻と、大恩あるかつての上司の奥方と、二人の女性を諫める場面の。
 「騒ぐな…御騒ぎあるな、さわぐな…おさわぎあるな」と、別々な言い回しで叱りつけるところがおもしろく、ぐぐっと、物語の急転部に、惹き込まれるところです。
 一谷嫩軍記…もちろん、元ネタは「平家物語」ですね。

 想うところあって、久しぶりに「平家物語」の本文を引っ張り出して読む。
 「耳なし芳一」となって、平家の無念と人の世の無常を弔うからには…改めて初心に還って、一心に祈る必要性を感じたのだ。
 〈敦盛最期の事〉…熊谷あまりにいとほしくて いづくに刀を立つべしとも覚えず 目もくれ心も消え果てて 前後不覚に覚えけれども さてしもあるべき事ならねば 泣く泣く首をぞ かいてげる…

 熊谷直実が、自分の子供と同年代の美将・平敦盛を討ち取らねばならぬ状況を描写した部分。

 …あはれ 弓矢取る身ほど口惜しかりける事はなし 武藝の家に生まずれば 何しに ただ今かかる憂き目を見るべき 情けなうも討ち奉ったるものかな と 袖を顔に押し当てて さめざめとぞ 泣き居たる…

 文楽や歌舞伎では、一人息子を敦盛の身代わりにして、熊谷直実が自分の一子を討った、という筋立てにしていて、さらなる修羅場が展開していく。
 先に挙げた詞章だけでも私は涙ナミダで、もう眼が見えぬぅう…事態なのであるが、この、時代ものに世話場が出現するという、一見あざといとも思える技術。
 これは狂言作者のプロフェッショナル魂ですね。
 とことん想像力の無い、そこまで…!とあきれ返るほど察しの悪い野暮天でも、たちどころに涙を流さずにはいられないという、傍観者を当事者の身内に置き換える、手法である。
 どんな人でも、具体的に自分の身に置き換えられるから、卑近な例になって、そりゃもう、親身にならずにはいられない。
 大衆の芸能である芝居に、全身全霊をかけて挑んだ並木宗輔に、私は再び最敬礼する。

 さて、敦盛と熊谷直実の、この一編の物語から、どれほどの分野のアレンジメントが創られたことでありましょう。「青葉の笛」の歌は、昭和のころは誰でも知っていたのだけれど。
 時は流れ、万人の常識とされていた事どもも、すべてが時の彼方に流れ去っていくものだと、ここ数年、日々実感する。
 「十六年はひと昔…あぁ、夢だ、夢だ…!」
 熊谷直実の引っ込みのセリフは、何度観ても泣いてしまう。萬屋錦之介…中村錦之助、錦ちゃんが深作欣二監督『柳生一族の陰謀』ラストで叫ぶあの一言も、直実の、このセリフが言いたかったんだろうな…と。

 ところで、今年の太陰太陽暦の十二月十四日は、新暦2012年1月7日にあたる。
 去年はもっと下旬に近い辺りだったので、自分もブログに書いたような気がするが、今年は松の内ですから…たぶん…忘れちゃうな。
 二つの暦で両方楽しめるのは人生が二倍になったような気がして、エブリデー・ハイプライスなお得感がある…ような気もする。
 やっぱり、四季を愛でる日本人には、「雪月花」という情感、これが大切。理屈、理論で正しいかどうかが、重要なことではない。
 雪月花の時、もっとも君を想う…それが日本の文化である。
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波間にまごう墓なれば…

2011年12月06日 11時30分31秒 | お知らせ
 ♪…折りた(焚)く柴のくすぼりに 心気を燃やす かせ世帯

 文楽『奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)』より「善知鳥文治住家(うとうぶんじすみか)の場」。
 「かせ」はこの場合、貧しいという意味ですが、日本語って、いいですね。同音異義語が多いので、二重三重の意味が文章に持たせられて。
 そしてまた七五調の詞章が、リズムを生んで、口にしやすく、覚えやすく。
 いまさらながら、立作者・近松半二は天才なんじゃないかしら…。

 ところで「善知鳥」はお能がもとですね。
 謡のお稽古に通っていたとき、先生に「なんかね、変な節がついてますよ」とたびたびご注意を賜りました。
 …どーも、スミマセン(^_^)ゞ
 どうも、無意識に、言葉に無駄な節をつけてしまうのは、唄の癖。

 来たる12月18日、ご縁ありまして奥州伊達藩府、杜の都・仙台にて勉強会をさせていただくことになりました。
 筝曲と三絃がメインの会ですが、私も長唄を1曲、現代邦楽を1曲、そして、わが師・杵屋徳衛が作曲いたしました、朗読三絃「耳なし芳一」を出曲させていただくことになりました。

 長唄三味線の可能性と新表現を模索して、徳衛が昭和55年(1980)に造り上げた朗読三絃の曲。弾き語りです。私はもちろん初めての挑戦。

 唄わないで、朗々と語る。
 …難しいですね。いまさらながら、お芝居の演技指導を受けたい今日この頃なのでした。
 
コメント (2)
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