長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

おこつく

2010年09月29日 12時35分00秒 | キラめく言葉
 歌舞伎で、妙齢のお嬢さんや、力なさげな色男が、花道の七三あたりで、よろよろっと、何かにつまづいて転びそうになるのを「おこつく」という。

 これは、登場人物が、分かり易くステロタイプ化されている歌舞伎において、そのキャラクターが弱々しく可憐なさま…あぁ~、守ってあげたい!と観客の母性本能や父性本能やらをくすぐる…を如実に表現している、しぐさのひとつであるらしい。

 馬鹿のことを「痴、烏滸(おこ)」というので、ちょっと愚かしく情けなく見えるさまのことからいうのだろう、と、何となくずっと思っていたが、こうして文章化するために改めて調べてみたら、所作の「おこつく」は「勢いづく」という意味のほうからきているらしい。
 旧かな遣いで書くと、バカの「おこ」は「をこ」になるので、別な言葉なのだ。思い込みで文章を書く、ということが如何に危険か、改めて感じた。

 人間、何かにつまづく、ということはよくある。実際に転ぶのも、比喩的に転ぶのも。
 私など、空の青いのを見ては嬉しくなり、空気の清々しいところへ四季折々の走りの匂いを嗅ぎつけては喜んで、足もとも見ずに駈け出していくような、かといってそれに相応する運動神経がなかったので、不注意の極みのような傷だらけの人生だったから、小学校に上がる前から、両膝に一寸ほどの、一文字の切り傷がついていた。
 もう、総身に無数の傷持つ、切られお富のような渡世なのだった。

 十年ほど前になる。
 あることから当時、ちょっとへこんでいた私に、知人が、一冊の本をプレゼントしてくれた。それは、人間の動作や出来事をキーワードにして引く、詩や俳句・短歌を寄せ集めた詩の事典とでもいうような、面白い本だった。
 そのなかに、山川登美子の、「矢のごとく地獄に落つる躓きの石とも知らず拾ひ見しかな」という和歌が入っていた。
 ちょっと…というか、かなり、私はドキンとした。
 そのときへこんでいた原因が、まさにそんな感じだったからだ。

 山川登美子のこの歌は、詳しくは知らないのだけれど、直観で独断で解釈すると、たぶんこの「躓きの石」は与謝野晶子のことだ。たしか、山川登美子が恋心を寄せていた与謝野鉄幹に、晶子を紹介したのだ。山川登美子は後年、自分の恋敵となるとは夢にも思わず、面白いキャラクターの子だナァ…ぐらいに思って、鉄幹に晶子を紹介したのだろう。

 恋じゃない。私の場合はまさしく仕事で、そんな思いをした。

 ……三十一文字では簡潔に説明できない。
 ある知人に、仕事にあぶれてかわいそうな子がいるから面倒見てやってョ、と頼まれたのだ。なにも出来なかった彼女に、私はイロハのイから、とある仕事のやり方を教えた。
 映画「イヴの総て」とはちょっと状況が違う。要するに、私があまりにも人がよかった、ということだ。

 つい三月ほど前、バッタリ、本当に十年ぶりで、しかも奇遇としかいいようのない街角で、かつての私の「躓きの石」に会った。彼女はそんな曰くはまるでなかったように、無邪気だった。
 そして意外なことに、本当に自分でも思いがけないほど、私は直面したかつての躓きの石に対して、怨嗟を露ほども感じないのだった。あの十年前の詩の事典で感じていた、ドキリとする心の臓を貫く、鈍い痛みも。
 彼女はいまでも、その仕事を続けているという。その幸せそうな快活な姿に、逆に嬉しくなった。

 「躓きの石」が立派になっていなくちゃ、私がいっとき、つまずいた意味がなくなろうというものだ。

 …こんな気弱なことを想い出したのは、私が「熱」という躓きの石に、久しぶりに見舞われたせいかもしれない。おとついからにわかに発熱。喉が腫れて声が出ない。稽古をすべて断った。
 みなさんもどうかお体を大切に。人間体力が消耗すると、気力も萎える。
 弱気になるとロクな考えが浮かばない。養生あるのみ。

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月青くして

2010年09月20日 02時00分00秒 | やたらと映画
 もうじき仲秋の名月である。新暦の9月15日がそうだと勘違いしている方も多いが、あれは旧暦の八月十五日の月を愛でることを言う。新暦の15日は十五夜になるとは限りませんからネ。
 それが、また面白いのだけれど、今年の仲秋の名月は満月ではない。月齢13,7日。
 十三番目の月、プラスすることの一日弱。
 翌十六日が月齢14,7日で、いちばん満月に近く、望月となる。この日は今年、2010年9月23日、秋分の日である。
 だから、今年の仲秋の名月は、十四番目の月を愛でることになる。

 …と、文中に数字が出るとつい読み飛ばしてしまうという性癖がある私は、ソロバン勘定ができないのだが、最近……突如、昨年から将棋の棋譜を読む、というわが人生始まって以来のあり得なかった状況を志向するようになって、少しはこんな数字にも関わってみようかという、勇気が湧いてきた。

 高校のとき、英語の先生が映画『月蒼くして』の話をしてくれた。先生はそのタイトルからロマンチックなストーリーを期待して観たのだが、とんでもなくドタバタで変なコメディ映画だった、と言っていた。英語で「ブルームーン」は、あり得ない…という意味合いらしい。
 ところで、その映画とは別の、タイトルは忘れてしまったけれど、一世を風靡した作曲家リチャード・ロジャースと組んで名曲を輩出した、作詞家のロレンツ・ハートの伝記のようなバック・ステージものの映画があった。
 ハートが作詞した「ブルー・ムーン」という切ない、ジャズ・ナンバーが流れる。
 お酒にのめり込んだハートが、「愛する人もいないのに…」とかいう、絶望的な歌詞だったように記憶しているのだけれど、改めて調べてみたら、そうではなかった。

 昭和の終わりごろ、今はボウリング場になっている、たしか、荻窪オデヲン座で、版権か何かが切れるという関係で、MGM黄金期のミュージカル映画特集をやっていた。観客が私以外に一人か二人しかいなかった。「オズの魔法使い」の子役の印象が強かったジュディ・ガーランドが、成人してボーイッシュで格好よくなっていた。
 「イースター・パレード」「バンド・ワゴン」「ショー・ボート」…etc. アステアは当然すばらしくカッコいいのだが、シド・チャリシーが美しかった。淡いブルーの半袖セーターに白いスラックスというスタイルを真似した。その時分、私は、クラリネットを吹きながらタップを踏める寄席芸人、というのを本気で目指していた。

 …で、その後、三味線弾きに成りたいがため妄執の鬼となって婚家を出奔し、荻原井泉水の「空を歩む 朗々と月ひとり」という句を、二十代前半、心の拠り所として生きてきた私は、月を愛でることひとかたならず、白居易の「三五夜中の新月の色、二千里外の故人の心」…さんご十五夜の、地平線から顔を覗かせて、生まれたばかりの月を見ていると、遠く離れた僻地へ左遷されてしまった友人はどうしているのだろう、何を想って今頃、あの月を見ているのか……。
 ……そういえば、バブルの頃、シンデレラ・エクスプレスとか言って、遠距離恋愛が流行って(景気がよかった、つまり経済活動が世の中全般で活発で、全国的に商売の手を広げた会社が多く、支社が方々に出来て、それで転勤が多かったわけですけれども)、遠く離れた別々の場所で、同じ時間に同じ月を見よう、とかいうロマンチックな話をよく聞いたけれども。
 …そんなふうに、漢詩を読んでしみじみとしたいところなのであるが…。

 ちょっとまだ暑くて、先週あたり、新しくミンミン蝉が生まれて鳴いている状況下で、玲瓏たる青い月を称える、というすがやかな気持ちにもなれない。
 そこで、今時分の季節感を表した長唄ってなんだろう…と、思ったところ、そうそう、ありましたョ、♪頃しも秋のならいにて、続く霖雨のやや晴れて~~という歌詞の曲が。

 明治12年に作曲された長唄「筑摩川」。
 加賀藩に起こったお家騒動をテーマにしたお芝居の、秋の大雨で川水が増して凄い状況になっている筑摩川を渡る、その機に乗じて、殿様を暗殺しようという場面に使われた大薩摩の曲。
 雄渾勇壮たるロック魂にあふれた名曲で、芝居に使われる下座音楽のいいところを盛り込んでいるので、これを一曲やると、時代物の歌舞伎のBGMの心得がつく、短いながらも何ともいえずカッコいい曲なのだ。
 だんまりなどで使われる「木の葉落としの合方」、「凄みの合方」、合戦の雰囲気の「初月の合方」や、海や波の景色で使われる「千鳥の合方」。…たぶん、この「チドリ」は、そんなに邦楽のことを知らないお方でも、けっこういろいろな折に、耳にしているメロディだと思う。無声映画や女剣劇が流行った頃、「にわかに起こる剣戟の声~!」という弁士の言をキッカケにして、♪チャンチャンバラバラ…とBGMが入る、あの旋律だ。

 その、川水が渦を巻いてものすごい状況になっている場面は、今のようにSFXというようなものもなく、なかなか芝居の大道具で具現化するのが難しいから、視覚に訴えるのではなく、聴覚でその世界に迫っていこうということで、音楽表現がどんどん凝っていった。
 歌舞伎のBGMが簡素にして素晴らしい表現力を持っているのは、そんなところもあると思う。音を聴いて、その意図する世界を自分の身の内に感じ取り、生み出すことができる、観客側も感受性と想像力が豊かなのだ。

 そういえば、絵にも描けない美しさ…だったものが、もう世の中にはなくなり、想像したものがそのまま映像化され、目の前に広がっていくという、凄まじい状況になっている。
 すばらしいことでもあるのだが、これはある意味、人類にとって、不幸なことなんじゃぁないだろうか。

 だって、目に見えているのに、実際に自分たちの肉体でもって、現実に創出したものではないからだ(もちろん、制作者側は夜を日に継ぐスケジュールの下、肉体を酷使して、その映像を世に生み出すのだが)。
 存在していないもの。本当にあるものではないのに、まったく本当としか思えないように存在している二次元世界…、いや、三次元になりつつある、可視という状況。
 …本当はないのに。現実にはないものなのに、目の前にあるというのは、ある意味、地獄だ。絵に描いた餅。すべてまぼろし。
 目の前にひろがる風景は、錯覚でしかないのに。

 音楽は、人間の想像力の「最後の砦」と、なり得るか。

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切ないのが、好き。

2010年09月15日 10時10分00秒 | 稽古の横道
 稽古の合い間の黄昏時に、ふとチューナーをFMラジオに変えてみたら、なんとまあ、しみじみと懐かしい旋律が流れてきた。
 ♪フェイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス…。
 でもアレンジも演奏も、どうも昔聴いたのじゃない。オリジナルのメロウなねっとり感が薄れて、だいぶキレイに軽く仕上がっている。聴きはじめは「レイラ」かと思った。

 反骨をモットーとするロック魂では、メジャーなものに追随したり同調したりしてはいけないのだ。ビートルズはすでに、1960年代生まれの青少年には、不可侵的領域にあった。そんな有名な、教科書にも載りつつあるようなバンドを、信奉してはいけないのである。
 …で、私の年代は、なんといってもレッド・ツェッペリンなのであった。

 それで、学生時代、「へぇ~、ビートルズ好きなんだ」…有名な曲揃いで、改めて取り立てて聴くような曲ないじゃん…という私の意を酌んだのか、友人がわざわざ、ビートルズの曲でも、あまり有名じゃなくて、でも、イイ曲集、というのをテープに編集してプレゼントしてくれたのである。
 その中に入っていた一曲が、この「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」なのだった。ジョージ・ハリスンの曲で、このギター・テクはエリック・クラプトンが参加しているからだよ、と友人が教えてくれた。

 三味線は撥で弾くので、撥が糸に当たった瞬間しか音が存在しない。音が伸びていって、美しく響くためには、ちょっとしたコツと修練がいる。
 音が間断なく伸びているように弾けるようになると、演奏の腕もグンと上がって聞こえる。
 そういうわけで、同じ糸を奏でる楽器でも、弓で弾くものは、音が繋がっていって余韻が残るので、ヴァイオリンやチェロの音色に対して、格別の憧れを抱いていた。
 ギターもエレキの、むせび泣くような音色は実にシビレる。

 胡弓もいい。邦楽の胡弓は中国の二胡とは違って、三味線を小型にしたようなものを弓で弾く。
 歌舞伎でBGMとして胡弓が流れるシーンは縁切りと決まっているから、当然、切ない。しかも、遊女が、本当は好きなのだけれど、義理づくで立場上仕方がなくの愛想づかし…だったりして、相手のことを想って、無理やり引導を渡す場面はことさら哀切である。

 やる瀬ない、というのは、何歳になっても味わう感情だけれども、切ない…という、あの胸が締めつけられるような、ほろ苦く甘酸っぱい気持ち、というのは、青春から遠のくと、ついぞ、思い起こすことのない心持ちだ。

 ……いいなァ、切ないのって。
 切ないってことは、自分がどうにかしたいってことをどうにもすることができなくて、でもやっぱりどうにかしたい、でも……できないんだナァ。自分が無力だから。

 亀の甲より年の功。どうにかしたい、と思って若い時分はがむしゃらにやっていくから、切ないこともたくさんあるけれど、その切ないことを、何とか出来るようにして乗り越えて何年か経つと、人間、どうにもすることができない、ってことが減る。

 そうして、どうにもできない、ってことがあるってことを忘れて、しばらく経つと、でも、ヒトの一生はジェット気流のように、ある尾根を越えると再び下っていったりする。ジェット気流が越えた峰の名称は、人それぞれ違うけれど。
 で、いつしか自分では気がつかないうちにゼット・フラッグを立てた頂点は越えてて、気がつけば、再び、この世の中には、どうしようもないんだってことがあったんだってことを、思い知らされる。
 こりゃー、切ないですなぁ…。

 切ない。胸がキュンとして、どうにかしたいのだけれど、どうにもならない。
 秋の入り口で空を眺めていると、キュン……という胸の音の抜け殻が風に乗ってどこへやら飛んでいく。
 だから初秋の空の色って、澄みかかっているのに白くて、手が届きそうで果てしなくて、宛てどもなく広い。

 何もできなかった昔に帰りたい。
 そうすればこの無力感が、納得できるというものだ。

 ……心柄なる身の憂さは、いっそ、つらいじゃないかいな 逢わぬ昔が懐かしや…
 長唄「俄獅子(にわかじし)」の一節である。

 切ないのが、好き。
 そして、透明な秋は、そんな感情に知らん顔して通り過ぎてくれるから、好き。
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白無垢鉄火

2010年09月09日 02時03分00秒 | 落語だった
 いや、驚きましたねぇ。
 何がって、昨日は旧暦の八月一日、つまり八朔だったんですが、江戸時代、この日を、別の呼び方で「あらし」と言った。

 平成の世のアラシちゃんのことじゃないですョ。
 『坊っちゃん』の山嵐先生のことでも、『姿三四郎』の必殺技でも、ましてや『ゲームセンターあらし』でもないんです。

 嵐、野分、つまり台風。
 台風が来やすい日月なので、そう呼ばれることになったらしいのですが、まさにドンピシャ。都内は朝方から大雨、暴風雨でした。

 異常気象、気候分布の変動期…などといわれている昨今ですが、なんとまぁ、月の暦は、日本の気候風土にマッチしていることでしょう。

 ちなみに天正十八年の八月一日、西暦でいえば1590年ですから、今から420年ほど前のこの日は、豊臣秀吉に疎まれていた徳川家康が、大加増の大栄転だとか言いくるめられて(…というか、言いくるめられるふりをして)、中央の京都から遠く離れた、ただの蘆の原っぱでしかなかった江戸に入府した日です。

 八月の朔日、つまり一日ごろは、稲の花が咲き、米となって、労働が結実するころ。田が実る…田実(たのみ)の節句とも言われて、農耕民族には重要な日にちだったのが、そういうこともあって、江戸ではさらにお祭り化し、大奥でも吉原でも、白い小袖を着たそうなのです。

 北国三千人の遊女たちが、白衣をまとったさまは、さぞかし壮麗だったことでしょうね…これこそ八月に降る雪、秋の雪。
 そんなわけで、秋の雪…という川柳をどこかで見かけたら、あぁ、八朔の吉原のことだと、思ってくださいね。

 そういえば、白無垢鉄火という言葉があります。
 外見は、総身に純白の衣装を着ているので、品がよくおっとりしているように見えるけれども、あにはからんや、内面如夜叉、神経が太い、ずうずうしいヤツのことを、そういうそうです。
 ちょっと、川島雄三監督の『幕末太陽伝』の、花魁の取っ組み合いの大喧嘩を想い出してしまいました。……あれは「居残り佐平次」のエピソードですから、品川宿の話だったけれど。

 ところで、嵐ちゃんといえば、昭和の歌舞伎マニアには、紀尾井町、当代松緑です。
 初代辰之助が亡くなった時、嵐君はまだ学生服を着ていたつぶらな瞳の少年で、皆泣きました。

 おっと、忘れるところでした。
 九月九日は重陽の節句ですが、新暦で考えるのは義経にしておきましょう。
 菊の花がなきゃ、お節句の出来ようがありませんからね。
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蝶の遊び

2010年09月06日 23時23分00秒 | 美しきもの
 八月も終わりかけた、熱いながらもさわやかな風の吹く朝方、私はふと、吉祥寺稽古場の、奥の窓の外に目をやった。
 蝶がひらひらと舞っていた。黄みがかった枯葉色をしたところへ黒い斑点のある、なかなかに美々しい蝶である。タテハチョウの仲間でもあろうか。

 「こんなところまで…」と、私はちょっとびっくりした。吉祥寺稽古場は井の頭公園のすぐそばの、マンションが林立している一角にある。
 ここは9階で、鳩はよく飛んでくるのだが、蝶々がここまで上がってきたのは初めて見た。奥の窓はちょうど、Lの字形のマンションと別棟のIの字形に囲まれてコの字形になっている角のところで、吉祥寺公園通りを挟んで、ヒッチコックの『裏窓』のような景色になっている。
 たまたま、稽古場の窓の外は、上昇気流が生まれる地点というか、吹く風が、うまい具合に交差して、通り過ぎずにぶつかって渦を巻いて、上か下かへ逃れていく空間なのだろう。

 安西冬衛の「てふてふが一匹、韃靼海峡を渡っていった」という詩を、すごく久しぶりに思い出しながら、何となく、ふわふわ、ひらひらと舞う姿にしばらく見とれていたら、かのものが、不思議な動きをしていることに気がついた。

 たいがいの蝶は脈絡なく、ただふわふわと漂っていくだけのようにみえるのだが、そのキタテハは、何やら、規則正しく舞っているのである。
 最初は、らせん状に円を描いて廻り灯篭のように降りていくのかと思ったが、よく見ていると、そうではなくて、Cの字の形に円弧を描きながら往ったり来たりして、徐々に下の階のほうへ降りていく。スカイダイバーのように。ふわふわ、ひらひらと。

 風を翅に受けて、気持ちよさそうに、楽しそうに、ふわふわ、ひらひら。

 なんと、川風を受けて水路を往ったり来たりする燕のように、車輪で遊ぶハムスターのように、きゃつも遊んでいるのである。

 本能に任せてか、風の吹くままにだか、いつも心許なく、ただ漂流しているように飛んでいるという以外に、意思の在り処など考えもしなかった蝶々が、遊んでいるのだ。
 あそぶ、という知恵を持っているのだ。

 これこそまさに梁塵秘抄の、遊びをせんとや生まれけむ、というやつだ。

 すっかり感心して、急いで窓を離れて用事を済ませて、また窓際に戻ってきたら、先生、お隣のベランダに咲いている、紫色の花穂にとまって、ひと休みをしている。

 どうするのかなぁ…と、そっと覗いていると、また、例の遊びの続きをはじめた。

 ……蝶も遊ぶのだなァ。

 私は、昔観た、手妻師のあやつる紙の胡蝶の舞を想い出したり、『連獅子』や『鏡獅子』『英執着獅子』などの石橋ものの、戯れる蝶の合方のメロディを思い描いたりしながら、まったくもって、本当に、生き物の面白さに感服して、しばらくのあいだ息を詰めて、窓辺に佇んでいた。


 
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