長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

凍蝶

2022年11月14日 17時41分19秒 | 直球でいこう
【いてちょう】
シジミチョウには成体で越冬する種類もあるという。
10月末に急に寒くなったある日の夕方、ベランダの手摺に安らいでいる蝶を発見、驚かさないよう、そっと写真を撮った。

翌日、そんなことは忘れて、植木に水を遣りにベランダに出たら、同じ場所で昨日の蜆蝶が端正な姿で居残っていた。
ぁぁぁ…チョウの墓場?と我がベランダの運命に気が差したが、いのどんシジミは、翅を広げて寛いでいたのでホッとした。

私の心の動揺が移ったのか、程なくしてハタハタと飛び立って行ったのが、晩秋のよく晴れた青空であった。

インターネットで見掛けたシジミチョウの図鑑に、命名の原因となる蜆貝の写真を載せていたものがあり、烏の濡れ羽色の漆黒の貝殻の外見と比較して、似てる???とのコメント。

…あのね、シジミをお付けの実にしてご覧なさいな、口を開けた貝殻が、ふた身に別れたところは、殻の内側が薄紫色で、シジミチョウにそっくりだから。

何だか食文化も生活習慣もことごとくが変わってしまった21世紀に於いて、日本語の語源を、躍起になって説明するのも…いえ、知らないとは此方も気が付かないので、分からないことがあったら気軽に訊いて下さいね、と、ここに記すものなり。
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長唄は津軽じゃない

2021年10月28日 10時45分00秒 | 直球でいこう
photo:振り向けば残んの月 令和三年長月廿二日

 「俺たちは天使じゃない」という1980年代に旧作をリメイクしたアメリカ映画がありまして、この四半世紀来、お話のオチが腑に落ちなかった、英語に堪能ではない者の未解決の悩み。
 脱獄した囚人がつくり神父様に身をやつしての逃避行(未見の方にはゴメンナサイ)、ラストで、自分の身を明かす肝心のシーンで、明かされた相手が勘違いをするというキーワード、日本語字幕では“脱獄囚”を"異教徒"と聞き違える、というものでした。

 …えっ、それはどんな英語だったのだろう…日本語ネイティブの私にはスクリーンの字幕だけで、一瞬のうちに通り過ぎて行った言葉。
 ???掛けることの無限のループが、頭の中に残ったのでした。
 映画鑑賞後、自分の中で暗中模索したシロウト探偵の答えは、プリズナー(囚人)とピュリズナー(清教徒)を聞き間違えたのではなかろうか…という英語ネイティヴではない者の苦肉の解答。
 さて、本当のところは何だったのだろう…もう一度その映画を観て、音声を確かめればいいのですが…どうしたものかなぁ…

 21世紀になって20年も過ぎますと、もはや、日本文化は廃れており、伝聞と空想でしか伝わっていないという現実に直面します。
 直球で言うしかない…と本稿を始めてみたところが、最初から寄り道してしまいました。スミマセン。

 三味線の体験授業に中学校へ伺うようになってから、もう30年近くになります。
 そんな短いような長いような(どっち⁉)スパンでも、学校教育というものは時代の趨勢に翻弄されるものだなと…ひしひしと人の心と社会の変化を感じます。
 そしてまた、世代交替に伴い、物事に対する基礎知識、概念も変わっており、説明が必要になる事柄も変わるので、敢えてここで申し上げます。

 近年…ここ20年ちょっとぐらい、三味線というと津軽を連想する方が多いようですが、
 (戦後民謡が流行し、その影響での高橋竹山ブームから時を経て、洋楽と合奏できるようモダンにテイストを変えた、若手スター諸氏の出現で、津軽三味線界は新しい時代を迎え、大人気を博し、20世紀末に一時代を築いたわけですが)

 昭和の頃は、三味線というと、一般的には長唄でした。

 長唄で用いますのは細棹の三味線で、子どもでも扱い易い大きさと重さです。
 (近年流行の和楽器バンドなどで、ベースのように活躍する三味線は津軽か太棹です)

 長唄は劇場音楽ですので、幅広い曲種と趣向、洗練された汎用的な音色onnsyokuが持ち味です。
 劇場で演奏する形態、姿勢と同じように正座して構えます。
 ですので、三味線の胴が、手のひら分ぐらい、腿から右わきにはみ出します。
 天神部分は肩の高さぐらいです。

 これは、椅子に座っても変わらない構え方です。
 三味線の構えを、津軽と混同して、図解している音楽の授業用の小冊子を見掛けましたが、長唄はその構えでは弾けません。
 ご用意して下さったものにかえって申し訳ないのですが、最初から誤解されますとお伝えしにくくなりますので、どうぞ正しい情報を、よろしくお願い致します。
 (そして津軽は本来、袴で演奏する芸能ではありませんでした。袴着用にて膝頭を横にガバッと広げる着い方・所作は日本の伝統には無いものです)

 また、バチも、小唄・端唄・民謡、義太夫の太棹、筝曲の地唄、それぞれ撥の材質や形が違いますので、持ち方も異なります。

 さらに、バチというからには三味線の皮に当てて音を出すことが重要ですから、
 初めての体験授業、しかも一年にたった一時間という限られた中で、本来の音色では無い、五線譜に著されたメロディーを、一音ずつ奏でるという西洋音楽に準ずる教材では、三味線音楽の魅力を半減させるものですので、私はお勧めしません。

 記号と音を結び付けるだけの演奏を指導することは、三味線楽器にとって無意味だし、音を奏でる楽しさを体験できない生徒さんにとっても不幸だとも感じます。
 貴重な学校の授業で、苦役を課すようなトラウマの種を蒔くつもりはありません。

 とはいえ、人から物を教わるときは、礼儀を失することがあってはなりません。
 子供達には最低限、人間としての礼儀作法・行儀を、教師たるものが率先してお手本になるよう、日頃から自分の行状を顧みるのは当然のことであります(…と、父が教員であった昭和の家庭に育った私は考えます)。

 日本の伝統音楽を体験することは、情操教育の一環で、IQではなくEQを育むことだと思います。
 このところの日本の教育は、日本伝統文化の美質、長所を捨て去る方向に舵を切っているようで心配です。

 漢文が必修から外れたと何年か前に聞きましたが、漢語…つまり中国の言葉を日本語にかみ砕いてしかも美しいスタイル・読み方で自分たちの文化として創り出した先人の、教養の高さから何も学ばないのでしょうか…

 また、小説が国語の読解力の試験から取り除かれるとのうわさも聞きましたが、御冗談を。
 実用文を読むだけに長けた人間とは…ロボット教育ではないでしょうか。自国の言葉で組み立てられた美しい文章を読み味わうという訓練なくして、情緒が育まれるものでしょうか…

 現場からは以上です。
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名前

2020年10月10日 10時24分13秒 | 直球でいこう
 芸術の秋がやって参りましたが、例年と些か(いささか)趣きを異にしております。
 学校巡回が徐々に再開されましたのは、わたくし共にとりましても嬉しいことです。
 授業時間の合間を縫って調弦するほかに、三味線および付随する小物類の消毒・除菌作業が加わったのが、令和二年度ならではの特記事項でありましょうか。
 そのような手間を凌いで余りある感動…瑞々しい可能性に満ちた若人(わこうど)たちが、新しい知識や体験を吸収して、成長し羽ばたいてゆく(それが今すぐ、目に見える形でないとしても)…自分たちの蓄積を次世代に移し繋いでいくことは、人間として冥利に尽きることでもあります。

 そこで近年増えました質問、伝統芸能における名前、芸名ということについて、ごくごく簡単に、お話ししたいと思います。

 杵屋は、長唄(三味線含む)に携わる者の芸名です。
 苗字帯刀…つまり、身分制度によって人民が区分けされておりました時代、苗字を持っていたのは特権階級の者のみでした。
 ファーストネームだけでは、その者の人と成りが分かりません。
 そこで、屋号などで、どこに属するものか、ごく簡単に申せば、何の職業をしている者か即座に分かるようにしたのが、屋号や芸名、号名です。
 それぞれの業界で、特徴のある名称や漢字を使い、またどの師匠筋(教わった先生の系統)か、判るようになっております。
 昭和のころは、三河屋(みかわや)さんといえば(木挽町界隈を除いて)酒屋さん、越後屋さんと言えば呉服商でした。

 21世紀になってから、国が国民を管理する観点で、税務関連に於いて本名を必ず書類に記載する…という様式が採られるようになってから、この、わたくし共の芸名に対する認識が少しずつ失われ、ずれてきたように思います。

 名取、つまり芸名を持っている者のことですが、
 名前は栄誉称号ではありません。
 やっと、自分が精進してきたその道で仕事をしていいよ、という、許認可を与えられたということです。

 お医者さまで言えば、国家試験に受かって医師免許を得た、という免許状であります。
 スタート地点にすぎません。
 名取になってこそ、得られる体験、研鑽するべき局面に至れる状態になった、入山の許可を得、登山道の入り口に立てたということです。

 ですから、名取になってから…いえ、名取になったからこそ勉強することは沢山あります。
 山に登ると、上るごとに景色が変わる、そこで対応すべき事柄も変わり、対処する方法も変わります。
 自分の仕事に対する責任感、提供できる品質向上、という点では他の職業と何ら変わりません。

 芸名は、素人とプロフェッショナルの境界線です。

 その名前で仕事、商売をしている者を、本名で呼ぶのは失礼にあたります。
 また名前のない素人(つまり、師匠のお墨付きを得られていない、芸道半ばのもの)が、勝手にその道で商売、つまり報酬を得るのは反則、ルール違反です。

 特に、伝統芸能に於いては、欧米式の、均され(ならされ)多人数での学校教育では修業することができない、経験則が必要です。
 音楽は、また、紙に印刷された譜面から学べるものは一割…いや、1パーセントにも充ちません。

 …ということを、常々感じておりましたので、昭和で言えば体育の日に、つらつらと綴ってみました。
 言葉足らずで失礼いたします。
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逆転

2011年02月22日 01時10分00秒 | 直球でいこう
 数年ほど前。上野の国立博物館の、徳川家の秘宝展だったかで、すばらしい名筆の書簡を見た。悲しいことに、誰の手だか忘れてしまったのだが、それはそれはうつくしい水茎の、けれど美しいだけではない、驚くべきくふうを凝らした手紙だった。
 それは、文中に頻出する、とある仮名文字が、すべて違う変体がなで綴られている、というものだった。つまり、たとえば「あ」だったら、漢字の「阿」から崩したのと、「安」から崩したのでは、くずし方で文字のスタイルが違う。
 全部のかな文字がさまざまに変体仮名だったら、また逆にやり過ぎで興ざめなのだが、その手紙の文中の、たしか「な」の字だったように記憶しているのだが、ひとつとして同じようなくずし方で書いてはいなかったのだ。
 美しい。形もそうだが、その着想、思想性のありようも美しい。
 …これだ。これこそが、日本文化が内包する深い豊かさ、多様性、そして、ほどのよさなのだ。

 邦楽と洋楽のニュアンスの違いを感じてほしい…ということから、中学校の体験授業で、同一メロディを、ピアノの音階に合う弾き方と、長唄本来の音色での弾き方の2パータンで弾き分け、聴いてもらう、というのをやっている。
 なにしろ三味線にはフレットがない。どんな音でも出せる。
 つまり、同じ曲中の同じ音でも全部をまったく同じにしないで、勘所(ツボ)を微妙にずらし、音の表情を変えるのだ。
 ただそれは当然のことながら、明らかに音が外れている、ということではない。それじゃのべつ幕なしに日本国内全家庭の台所の糠味噌が腐っちゃう。
 微妙なピッチの差で音の深みを出し、音色の豊かさを表現するものである。
 それは、現代邦楽の調子の取り方(三本の糸の音程の取り方)と、古典の調子の取り方が違うことからも、お分かりいただけると思う。
 そしてまた、均等に刻むのではなく、間という無音の間隔の微妙な移り変わりによっても、音曲の味わいがグッと増してくる。この、間の取り方も、西洋式に何分のいくつ、と均一に計れるものではないので、マニュアル化できないもののひとつである。

 同じ音でもこの曲中のこの部分は、もう少しくぐもった音を出すと、ぐっと表現力が増すし、雰囲気が出る、もしくはもう少し明るく溌剌とした感じを出すのにこの部分はこの間合いで…というように、平板さを嫌う日本人の美意識からくるものだ。
 これは、音を理論的に区切って合理的に整理した音律のみで音楽を表現する西洋音楽とは発想が根本的に異なるものである。であるから、西洋音楽は、違う音色の多数の楽器で、音を多重に重ねていく表現へ進化した。

 さて、この聴き分けをして、生徒さん達に、どちらの表現が好きか、各クラスごとに訊いてきた。どっちがいいか、悪いか、とかいうことではない。これは感性の問題であって、音楽に対する好悪は、善悪で測るものではないからだ。
 この試みを始めたのは何年前だったろう…学校巡回を始めたのは、もう十数年以前からだが、そのころは三味線の授業自体を、そんなもんおいらはうけねーよ、というような頼もしいツッパリくんもいたから、そんな覇気のあるアンケートを取る気持ちも起こらなかったような気もする。
 たぶん、「さくらさくら」よりも、三味線を弾いた!という実感がしみじみと湧くので、むしろ古典曲を教材にしてほしい、というような積極的な要望が学校から寄せられるようになってからのことだから、ここ十年ぐらいだろうか。

 何が嬉しかったかって、あーた、最初にそのアンケートをしたときにビックリしたのが、予想に反してまったくほとんどの生徒さんが、昔ながらの音色が好き、というほうに挙手したことである。
 むしろ私たちは、昔の音色がいいという生徒さんは、もっと少ないと思っていたので、単純に喜びを覚えた。音の持つ深みと饒舌さ、間が生む余韻、単純でないものの面白さ…そんなものを若い人たちは感じ取って、心地よさを感じてくれているのだ。

 …そうか、そうなのだ。みんな生まれたときから横文字の音楽ばっかり聴いて育ってきたけれど、この、三味線が表現する音の深みがいいナァ、と思う感覚…日本人のDNAの為せるワザとでもいうのでしょうか、そういう感性を持っているのだなぁ…と感じて、むやみやたらと嬉しかったのだ。
 それ以来、学年やクラスによって違うけれども、好き嫌い調査の結果、古典的音色がしっくり来て好き、という生徒さんの割合は意外と多く、つねに八~九割ぐらいを占めながら推移していた。
 去年ぐらいからだったか、明朗で平板で日常耳なれた音階で表現されたほうが好きだ、という感性の生徒さんが五分五分というクラスもあったけれども、世相とは不思議にマッチしていなくて、むしろマイノリティであった。
 そんなわけで、私は、わが日本人DNAは永遠に不滅です…的感慨に浸っていたのである。

 ところが、である。平成23年になったとある中学校の中学一年生のクラスで、その「不滅です」神話は、私の大いなる幻想だったと思い知った。
 いつものように聴き分けをしてもらったところ、好き嫌いの割合が、完全に逆転していた。なんと、昔ながらの音色がいいと思った人は、31人中、たまたま参観していた校長先生と、一番後ろの席に座っていた背の高い女子生徒の二人だけだった。
 私は愕然とした。
 …つまり彼らは、もはや新人類とかいうのでもなく、生まれながらの欧米人なのだ。
 虫の声を、日本人は芸術をつかさどる右脳で聴くけれど、西洋人は左脳で聴くので雑音にしか聞こえないという話を、以前、このブログに書いた(2010年3月19日付「秋の色種」をご参照いただけますれば幸甚)。
 つまり、平成10年前後に生まれた若き人々は、生まれたときから、そのような自然界の雑多な音を、左脳で聴くタイプの人々になっている、ということなのだ。
 味わいや情緒のようなものを、いいナァ…と思う感情、愛で慈しむという気持ちが、存在しないということなのだろうか。

 受け手が変われば、教える内容も変容する。
 でもさ、ドレミを三味線で弾いたって、何の意味もありゃしない。

 奏でる音がそんなものでよいのだったら、三味線である必要がない。
 それじゃほんとに、三味線という楽器に触れてみましたという、体験でしかない。
 まあ、でもそんな体験でも、ないよりはましか…もはや三味線音楽は、そんなめずらかしいものに触れてみちゃいました的、見世物…博物館に収蔵されてへーえ、と、いっとき関心を持たれるだけのもの、好奇心を満たすものでしかなくなってしまうのか。
 …いや、こうなると、もう、ソウナッチャッテイルンデスワヨネ。
 わたしはイササカ…いや、かなり脱力した。

【追記:2021.11.27】
…という記事を記してから、この10年の間、逆転の逆転現象に遭遇する度、この記事の続篇を書かなくては…と思っておりました。
昨日伺った中学二年の授業でも、久しぶりに好みの音アンケートを行いましたところ、逆転の逆転現象、すなわち、サワリのある雑音で雑多な音質が好きだなぁ…という生徒さんが98%となりました。

不安神経症になりやすいのが日本人の気質だと、コロナ禍で騒がれる風聞を得ました。
そりゃーしょっちゅう地震が来たりして、大自然の脅威に影響を受けがちなのだから、当然の帰結としての生き物の特質なのではないかと感じます。

…であるから、ことさらに、感情を司る右脳に優しい癒される音を求めて、日本人は伝統的な日本の音楽文化を温め、連綿と続けてきたのではないかと思うのです。

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