長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

右脳のヒト

2022年08月27日 05時55分34秒 | マイノリティーな、レポート
 気がつけば月暦の七月が往き、夏休みのなんと短いことよ…と、蝉の声がタイムスリップの鍵となって、少年時代に気持ちが還っている私は、サマータイムを謳歌している世上の皆さまに同情するのですが…

 今日はなんとまぁ!
 江戸シンパには忘れ得ぬアニバーサリー、正しく八朔、旧暦令和四年八月一日です。

 …と、このところの塞ぎの虫(ふさぎのむし)をつらつら綴ってみるか…と重いパソコンの蓋を開けたのに、何やら書いているうちに愉しい気持ちが蘇ってしまいました。
 何でしょう、私の根っからの朗らかな性根は、昭和という時代が育んでくれた、明日に対する希望、という漠然とした安心から由来するものに違いありません。 
 
 昨今、日本人で自らの命を殺めてしまう方が年単位で4万人、国際的基準の統計の試算法によれば10万人ぐらいに換算されてしまうらしいのですが…いらっしゃるというのは、本当に残念で悲しいことです。

 たしかに、明日は今日より素晴らしい…という成長期の日本にいた私たちより、現在の日本には絶望の種しかないように思える分、今の若い人々…学生さんも社会人の方々も…にはツライことが多すぎるんじゃないか、と、このような社会をつくってしまった大人はこうべを垂れます…

 しかし、このコロナ禍に見舞われた3年余り、ベランダ栽培の檸檬の樹についた青虫たちの生態からつらつら鑑みるに、人間が真実の成虫(いえ、成人)へと生長するのは、たぶん、60年ぐらいかかるのではなかろうか、ということでした。

 斯く申します私、還暦を迎えまして、ようようやっと、人並みな人間になれたのではないか、と、お約束の時間に余裕をもって参集することが出来るようになったり、カチンとする目に遭っても心の中で反芻して対処できるようになったり…という体験から実感する今、

 人間は本能だけで生きている生き物ではなく、精神的修養があって、完成された一個人、人間…ヒトとして初めて認められる存在になるわけで、生き急ぎたもうな若人(わこうど)よ、長生きしてやっと判ることが人生には多すぎます。
 ワカモノとは馬鹿者の転語であろう、と、一歩街へ出れば、日々実感する事柄に出逢いますが、大人たる我々は、まだ至らぬ彼らを導く役割があってこその年長者であります。

 少年法を、私は、長唄絵合せの活動でお馴染み、大学時代の恩師・横山實先生から学びましたが、彼らを希望のある生活へといざなうのは、罰ではなく愛です。
 江戸時代の少年法も、八百屋お七の事例から鑑みましてもお分かりのように、年端のいかぬ若者は、とかく考えの至らぬ未熟者であるから、吟味や取り調べは成人とは区別しなくてはならぬ…という施政者も仁徳の行き届いたものであったのです。
 大岡政談を現代の価値観で測ったら、悉く(ことごとく)を左脳で事務的に計る方々には、ハナで笑ってしまう判例かも知れません。
 しかし人間は機械ではなく、生き物なのですぞ。

 もう20年以前、アメリカ合衆国での少年院に収監された未成年者を新たな方向性で指導するのに、行き場がなく処分するために施設に集められた野良犬たちが力を貸している、という話をニュースで見ました。
 少年院の少年たちは、野犬の保護施設に赴き、自分が世話する犬を選びます。そして犬たちの世話をすることによって、命の大切さと自分ではない他者への思いやりと、生きることと何かを育てることとは手間のかかること、という実際を体験し学びます…というような施策でした。

 体験者の少年が目を輝かせて「こいつは僕と同じなんだなぁ、と最初この犬に逢ったとき思いました。誰にも必要とされていなくて、独りぼっちで、行く当てもなくて拗ねていたんです」という言葉に、私は涙腺が決壊。
 (今思い返して、ふたたび滂沱の涙に見舞われ、鼻水が…しばしティッシュペーパーにて顔を直すお時間を下さいませ…)

 愛とは共感です。
 好き嫌いとか恋愛とか、そんな瞬間的なものではなく、日本における愛とは慈愛です。

 インターネットで瞬時に、社会の出来事と、人々の心情が分かるツールが登場しましたが、まだ未完成型のヒトという生命体が犯した罪に対する対処の方法は、罰ではなく愛です。

 左脳で理論的に事務的に能率的に処断する方策は、日本人に合いません。
 なぜなら我々は右脳のヒト、理屈で割り切れない自然という神々に、常に理不尽に蹂躙され続ける宿命を持った、日本列島という苛酷な自然環境の土地に生まれ育って、営々と存在してきた種族だからです。

 ですから、われわれ日本人が編み出してきた音楽も、左脳で割り切れる理論的なもので構築されているのではなく、右脳=感情、そしてまた言語で現せない精神的な事象を司る部分を刺激、働かせる手法によって編み出されたものであり、それによって人々を安寧せしめ、悼む性質を持っています。

 グローバル化が進み、文化の特性が失われつつある…いえ、喪われてしまった今、ヒトが自分の存在を肯定できる特効薬は、根生いの文化にしかない、しかしそれは土着的な民族音楽でなく、都市生活という洗練された時代を経て醸造された昭和文化にはあったことを、21世紀に生きる皆さまはお忘れではなかろうか…

 ひとまずここに記して、朝のひと時を失礼したいと思います。
 今日もお健やかに。
 
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両輪(古典、コテン…新作。)

2019年03月31日 01時13分31秒 | マイノリティーな、レポート
 今日は六世中村歌右衛門丈のご命日なのだ。
 それはピンクの衝撃:林家ぺー師匠ではなく(それはお誕生日)……森銑三先生に教えていただいたわけではなく、大成駒自身が思い起こせよ…と伝えてくださったことに違いなかった。

 壇ノ浦の合戦があったのが、元暦二年三月二十四日…
(西暦でいえば1185年:近年、旧暦を新暦に変換して実際は…云々と解釈して別の暦日で記念日とする方がいらっしゃるが、月の暦において何月、ということはとても重要で…たとえば雛の日といえば三月三日に決まってるし、討入りは極月十四日でなくてはならぬので、逆からの翻訳で正しいというのは実は正しくないのだと感じます。
 であるから、毎年微妙にズレた旧暦の暦日でアニバーサリーをそこはかとなく愉しむ、ということを実行し、真に季節感が知りたかった場合に、ユリウス暦やらグレゴリオ暦やらに換算して調べ、年どしの天候気象事情を反映させ個人的に想いを馳せればよいのではないかと、常々思っていたのでした)
 …なので、三月の潮のよいときに、平家の芝居の話をしたいと思っていた。

 旧暦と新暦の季節感がずれつつも微妙にマッチしている年に書きたいと思いつつ、この9年ほど、常に機を逸していたので、卅が微妙に並ぶ、今日この時を逃したら、もう書けないかもしれない、と、昨朝、とある歌舞伎の稿を起こしてみたのであるが……

 東日本の震災の前だから、もう10年ほど以前になるだろうか…この時季になると不思議な日本の風物、花見…という行事のスケジューリングに心悩ませていた時のことであるのだが……実をいえば私は、細雪の三女・雪子と同じく、最終的には意に染まないことはできない性分だったので、狭い世間をますます狭くして暮らしてきたのだけれども、アラフィフを過ぎたころ、それでも年賀状のやり取りだけは続けてきて、何かというと声をかけてくれた(けれどもこちらから沙汰することは皆無であった自分の薄情さ加減を今となっては赤面するしかないのだけれども)高校時代からの友人Nさんが提唱する、三十年ぶりの再会を促す、上野の花見に誘われた。
 それがきっかけとなって、震災の翌年はお休みとなったのだが、初手は三人だった年に一度の同窓会ともいえる美術鑑賞プラス花見の宴は、回を重ねるごとに1970年代末に女子高生だった漫画研究会の同級生メンバーが何人かずつ増えてゆき、皆がお互いの存在を確認することにより、自分自身が生きてこの世にあることを実感する、そしてまた、今は失われてしまったが、かつて存在したものが確かに存在していたのだと確信するあかし、安堵の機会となっていた。

 しかしその花見も、4回を数えたのが、彼女と桜を観た最後になってしまった。
 乃木坂の新美術館(何の展覧会だったか、もう失念してしまった)から、青山墓地へ桜狩した年だった。
 畏れ多くて参ずることもなかった河村家の墓前へ差し掛かって、ここは大成駒のお墓よ、と耳打ちすると、カメラを常備している彼女が、いつの間にか素晴らしく整然として美しい、ひともとの桜を背景にした中村歌右衛門丈の墓影を、後日私に送ってくれたのだった。
 その年の暮れに、検査入院をしている、という彼女からのメールが私への最後の便りとなった。

 彼女の置き土産の花見の会は毎年続いていて、彼女の眼に映っていたあの時の青山墓地の写真を久しぶりに見たくなって…その写真は歌右衛門丈の追悼本に挟んであるので…それと同時に、本稿に取り上げたかった芝居のエピソードを確認するために、昨晩久しぶりに取り出してみて、大成駒のご命日が平成13年の3月31日だったことを想い出したのだった。

 かつて存在した彼女の網膜がとらえた風景写真は、整然としていて端正で、完璧であった大成駒を偲ぶのにこれ以上のものはないように思われた。
 空が青くて、桜が満開で、快晴で…文句のつけようのない一葉だった。

 ご命日にこの本を手に取ったのが運命であるならば、再拝して読み返すのが勤めというものでありましょう。
 …読経ならぬ再読をして、20年前に読んだ時とは違う印象がこの胸に宿った。

 六世中村歌右衛門丈は、古典の本行を、とにかくとにかく、大切にして精進して勤めてほしい、と継ぐ者たちに訴えていたのだった。

 伝統をほぼ完璧に完成させていた大先輩たちの作品を、新世代のものがいきなり、ご見物衆の気に入るように演じることなどできない。
 生まれた時から何十年も丹精してきた仕手が、ようやっと描き演じだせる世界を、二十数年しか生きていない者に同じようにできるわけがない。
 新しく継いだものが先輩たちと同じようにできるには、先輩たちが費やしたのと同じ時間と努力、労力が要る。
 そして主役の意志と肉体だけでなく、舞台の世界全体を構築する脇役、衣装・結髪、小道具・大道具、音曲、照明、裏方諸々……etc.

 江戸…いえ、物語の構築という点でいえば日本に文化が発祥したその時からの人智の積み重ねが、当初は中国文化をまねて更に自国のものとしてくふうし、平安、鎌倉、室町各時代の美意識を加味・踏襲し、集大成されて花開いたのが江戸時代。それから明治、大正、昭和と、鍛錬・丹精され、くふうされ続けてきたのが、歌舞伎です。
 もとい、歌舞伎だけでなく、平成の世に伝わる日本文化なのです。

 大成駒のその願いが叶ってほしい、あの時代、わたくしたちを魅了した舞台世界が、またいつの日か目前に展開してほしい…けれども、現在の日本国の経済観念からの発想しかない短絡的・短期間換算での文化測定・価値観の側面から慮るに、どうなることでしょうか……

 歌舞伎界に例えず、わかりやすいように、落語のことについて申しましょうか。

 いま、昭和に大成された古典落語を若い人たちが口演するのは、かわいそうだなと思う。
 第一、日常に話している言葉が、もう昭和のころのそれと違うのだ。
 語彙ばかりではない。イントネーション、言い回し、時代の雰囲気。日本語に対する感性。言葉に宿る魂。コトダマ自体がすでに20世紀のそれではない。
 それを、かつての美意識、審美眼、判断基準にかけること自体が、酷、こちらの見当違い、狭量というものなのだ、と感じるようになってきた。いや、そう思わないと寛容できずにストレスが溜まって、娯楽と思えなくなってきた。

 昭和の50年代後半、60年に入った頃だったでしょうか…映画・テレビドラマの時代劇に出てくる役者が、なんとなく、昭和のころよくあった特別番組・新春スターかくし芸大会、のために扮装している感じがして、私は新作の映像作品である時代劇に対する興味を失った。
 時代の趨勢として、俳優の日常に、着物での生活がない、素養としての日本舞踊が失われた、ということがあったのだろう、とってつけたような仕草、所作・振る舞いは、いかに俳優たちが器用に演じても、不自然な作り物であるという、圧倒的な違和感を与えてしまうものだ。
 十六年は一昔…それが二巡り、三囲ぐらいいたしますと、万事心得ていた裏方さんも代替わりしていって、教育係がいない現場というものは、いまや、知恵とくふう・美意識と価値観が集積された時代劇ではなく、フタッフ自身が未知なる世界である過去の時代に取材したSFになっているのである。

 初めて寄席の空気に触れてしばらく入れ込むという状況にある受け手は、何年かごとに入れ替わるであろうし、そういった意味で客の感性も変わっていくから、寄席を構成しているすべての事柄…世界がすでに違うのだ。
 新しい感性で、新しい若いお客さんにウケる、ということが今の伝統芸能界では使命のようになっているけれども、初めて伝統芸能に触れる方々は、自分の中にその芸能に関する他の演者の記憶がない。
 つまり比較する対象、比べてみてどう、という判断基準を持たないから、彼らに支持されるに及び、人気者の仕手が裏付け・根拠のない自信を手にしてしまい、努力して鍛錬する…というあらゆる技術系のスペック涵養に不可欠な要素をないがしろにしてしまう結果となる。
(それは、半年ぶりにふらっと寄席に立ち寄り、こんな下手な:上っ面、口跡は整っているのに笑いどころで全然笑えない、面白さのかけらもない壺算、聞いたことがない…!しかも真打なのに…!!と、怒りまくった自分自身へ、かつまた昨夏、母を連れてふらっと入った新宿の老舗寄席で重鎮の落語家に、九月に目黒のサンマ聴かされた…ぁぁもう腹立たしい、そんな当たり前の噺を聞くために寄席まで来たわけじゃない…!!と怒り狂った自分自身への窘めの記述になるのかもしれないのだけれども)

 志ん朝師匠のカッコよかったことと言ったら…!!(愛宕山の爽快感ときたら譬えようもなく、私は大好きだったのですが)もう早世した生き方自体が、噺家として完璧です。
 リアルタイムで私は談志の追っかけをしていたが(もちろん定席の普通の寄席にも通っていて、お気に入りは先代小南師匠でしたが)、私の中の落語世界が喪失した21世紀以降に、主に繰り返し聞いていた落語のCDは、三世金馬と志ん朝であった。

 年に二回ほど1か月弱の期間を持って興行される、人形浄瑠璃文楽の鑑賞教室@東京三宅坂国立劇場公演。
 数年前まで欠かさず伺っていたのだけれども、観劇の前に、あらすじと人間関係のレクチャーが1時間ほど行われる。
 この時点で、もはや、ムリ、な感じになっていないかなぁ、気の毒に…と学校単位で鑑賞教室に参加する若人たちの興味の行く先を案じていた。

 日常、テレビをつけたら時代劇をやっている、昭和の子供たちには義経やら弁慶やら、富士山の麓の巻狩り、仇討がどうしたこうした、細かいことは分からなくとも、大筋が血肉として集積された下地があるから、前置きはいらないのだ。
 翻ってワンピースやナルトを読んだことがない昭和の子供たちには、同じ漫画といえどもちんぷんかんぷんで、観たくないなぁ…と思っちゃうのと同じことである。

 世間を知らぬ若者は、自分が初めて接する偉大なる文化の、その時点で完璧で手の届かないものを応援するのに気がひける。
 だから自分たちのヒーローが欲しい。

 いま寄席に行って、自分の記憶の中の昭和の名人たちの高座以上の噺を、現代の古典落語に求めるのは無理というものなのだ。
 日常に、あの時代の空気、言葉遣いがあってこその、その下地があってこその鍛錬で、あの落語世界が創れるのである。
 それはないものねだりであって、レストア版古典を無理に演じてもらうよりも…話し手自身が自分の言葉でもって語り構築した新作に…換骨奪胎・パロディ化した元ネタが共通認識として分かっているので尚更、カタストロフィーやらエクスタシーを感じるのは当然のことなのであった。

 それと同時に、やはりもう30年以前のことになるが、とあるホール落語会で新作落語を聴いた時のこと。
 その噺の筋・展開の面白さに心を奪われた私は気がつかなかったのだが、一緒にいた友人が、
 「こんなガサツな落語、聞いたことがない」
 と、言ったのである。

 洋楽理論に則った現代邦楽はきちんと演奏できるのに、古典作品をやると形無し…という演奏をよく耳にするのだが、楽譜が基準でそれを見て弾ける程度でよしとする理解力では、本人たちは気がつかないのかもしれないが、厚みを持つ古典作品は弾ききれないのである。

 新作落語はまず、アイデア勝負なので、その時の友人の、昭和の洗練された古典落語を聞いていた耳には荒く映ったのであろう。
 古典は、現代に残っているということ自体が既に錬成されているわけで、そこそこの技術しかない仕手であってもそれなりに、ある程度鑑賞に堪えるようなつくりになっている、有難い作品なのである。
 それは作品自体の魅力なのであって、古典を面白く聞かせられないのは、錬成しきれていない落語家の怠慢なのである。

 このところの落語ブームとか言われている現象で、持ち上げられている本人が気づいていないのが一番困ったもので、うっかり入ってしまった寄席で、鼻持ちならない、ガサツで聞くに堪えない古典落語を、本人の勢いだけで、力業のごとく聞かされる目には遇いたくないものである。
 そしてまた、雰囲気だけの、ルーティンワークのような上っ面だけの噺を聴くのもつらい。
 熱量換算で、おあしに足る、いやそれ以上にスゴイ!と感じることのできる落語が、古典と新作の別なく、私は好きなんである。
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キヘンのひと

2018年08月11日 22時33分44秒 | マイノリティーな、レポート
 街は再び再開発。無駄のないすっきりしたビルの群れが誕生しつつあるその景色を眺めながら、しかし、新しく美しい街並みを見るにつけ、どうも何か足りない。なんてのか、殺風景なのである。
 …新しくて美々しいのに、なぜ? なにゆえ?? なじょして???
 それはね……ぅぅむ、そうです、樹が、緑が足りないのです。

 植栽なんて、無闇と広くなった舗道にお飾り程度に置いてあるけど、圧倒的に足りないのです。
 だって、ビルって、鉄と砂利と石灰と粘土とか(要するにコンクリとか)、珪砂とか炭酸ソーダとか(要するにガラスとか)、石の塊、鉱物でできてますもん、緑の大地を荒廃させ砂漠にしているわけです。21世紀も東京砂漠。
 皆が知恵と資本を出し合って、寄ってたかって、わざわざ都市を砂漠化させているんですね。

 だからもう、やたらと暑いんだわさ、幕末に日本に来た外国の方が、まるで植物園のなかで暮らしているようだ、と評したことがあったそうだけれど。…ぁぁ、ねぇ……

 そういや、日本語の漢字で一番多い部首はキヘンだと以前、聞いたことがありましたな。
 きへん。
 もう40年前、占いに凝ってた友人が、あなたは将来、手に木を持つ仕事をするようになる、と予言した。
 どうやって占ったのかしら…そもそも私は本名のファーストネームに既に二本の木があるので、気が多い人間なんですょ。そもそもがファミリーネームにすら二本、木が入っていたのだ。キヘンが付く苗字のひとと結婚したら、それはもう、木の生い茂るウッディな世界なのだ。何の話だ。
 材木屋って、シャレてそう呼んでましたょ、気が多い人のことを。…遠い昭和の市井の物語ですょ。



 さて、わたくしが今生の仮の宿は、府下西域にございます。はじめて都内の甲州街道を23区から通り過ぎて西へ西へと車に乗って移動した40年前、両端の欅がのびのびと枝を伸ばし、梢の無数の葉が風にそよぎ、緑の屋根、トンネルをつくって、それはそれは美しい街道沿いでした。

 江戸、ならびに東京という都市を造成するために資材の運搬路としても活躍してきた、青梅街道、五日市街道…etc. 郊外にも大動脈たる幹線道路が何本か拡がっていて、キヘン王国ニッポンの名にたごうことなく、沿道は樹木で縁取られています。
 それが、ですね…あれはもう2年前の晩春から初夏のこと…俗にいう黄金週間のあたりの出来事。

 省線から動物園へ至る吉祥寺通りの、そろそろ新緑が芽吹いて薫風に吹かれようというケヤキの枝が、無残にもバッサリと切り落とされて、私はとても驚きました。
 ただの棒…電信柱が4本ぐらい合わさった木製のオブジェ様になってしまった、欅の木の痛々しいことといったら。
 枝葉末節、というものではなく、幹が拡がって伸びた主要な枝を刈られてしまったのです。剪定はこれで正しいのだろうか…素人が口を出すべきことではないのかもしれないけれど、天才バカボンのパパも含め、私の知ってる記憶の中の植木屋さんは、あんな伐り方しないよなぁ…樹影事典というものまであるほどに、樹の枝の張りようというのは、重要なものなのに。

 それから可哀想なケヤキたちの様子を、蔭無き陰から観察しておりましたが、そこはなんと健気なものたちでしょう、六月ごろになって湿気を帯びた空気に涵養されたのか、太い幹から直に産毛のような葉を生やしはじめ、ヤドリギをたくさんつけたような不思議な樹影になりました。 
 これは何か見たような…そうだ、何年か前に緑の地球博で売り出されたイメージキャラのモリゾーとやらに似ている……。

 こうして、美しい樹影を形づくり、市民の心のやすらぎ、景観のいしづえであったはずの吉祥寺通りのケヤキたちは、幹から直接柳のような細い枝を枝垂れさせて、樹の影から幽霊でも出てくるんじゃないかという姿にさせられておりましたが、さらに驚くまいことか、その年の秋口。
 落ち葉の舞う移りゆく四季の風情が楽しめようという、その、もののあわれも味わわぬまま、黄葉する前に再び剪定作業車がやって来て、ことごとく葉と枝を刈り取っていったのです。

 濡れた落ち葉がすべって危ない…というクレームに忖度したのでしょうか、台風で折れる枝が危ないという提言があったのでしょうか?
 いくらなんでも、自然の摂理である落葉の権利までをも樹々から奪うとは…!! かくも酷薄たる人間たちの所業を、いかにとやせん…
 動物虐待を騒ぐ方は多けれど、かくもむごき植物たちへの仕打ち。こんなことが許されてよいものかいなぁ…(文語体で嘆く私)。

 そんなわけで、昨冬は、吉祥寺通りのケヤキ並木は、電飾用のただの木の台のようになってしまいました。
 季節感のない街で私は、身も心も凍りつき乍ら、その木霊の骸(むくろ)の下、駅までの道を毎日辿ったのです。

 ですから、落ち葉かきの労を惜しんだ報いでもあるまいに、本末転倒というか、負のスパイラルというか…この炎天下、直射日光に曝される舗道を散策するという物好きがいるわけもなく、歩道沿いの商店も閑古鳥が鳴いて、観光客の増える日祝しか営業しないというケーキ屋さんまで出てきました。

 それから二度目の夏を迎え、今年もバッサリ剪定された街路樹は、それでも、太い幹からこんもりと緑の葉を繁らせましたが、ケヤキ特有の、太い幹からすっきりとのびやかに広がる枝葉、それらが生み出す爽やかな木陰が、今さら育つはずもなく……
 さらなる猛暑に為すすべもなく、本来なら樹影のトンネルのもと、木々の緑に目と脚を休ませ一息つく愉しき街角になっている場所なのに…木蔭の恩恵を受けられない街路樹の並木道ってどうょ…と灼熱の日差しを避けて、ありがたや、全国のコミュニティバスの先鞭者たるムーバスに乗車し、私は駅まで通うのです。

 さてまた、今年の秋、彼らはどのような処遇を受けるのでしょう…
 街路樹の美質、長所をいかせぬまま、浅はかな方策でもって街並みを衰退させてゆく、愚なる処方が再来するのか。
 いずれにしろ、年月と人の手によって立派に育てられてきた樹は、伐ってしまったら、いかんせん、すぐには生えてきませんからねぇ……


 付:写真は吉祥寺大通りとは全く無縁の、とある神明社の境内の樹々であります。昨秋11月撮影。


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足技師(世間はそれを夏休みと呼ぶのですね…DV篇)

2018年08月05日 23時55分59秒 | マイノリティーな、レポート
 どう表現してよいものやら…私が夏休みの宿題の絵日記帳をつけてた時分の、今日の気温はせいぜいがとこ25度C、よっぽど熱い30度越えの日は、40日間のうちのニ、三日あるかないかの時代でしたからねぇ、そりゃー暑くてかないませんけど、人混みで、歩きながらいきなり立ち止まって水分補給なさるのは、やめてほしいもんですなぁ。あぶないあぶない。
 立ち飲みとか口飲みとか、ことさらそういう言葉があって、昔はビンやなんかの飲み口にじかに口をつけて飲むのは下品だからおやめなさい、と窘(たしな)められたものでした。殊に女の子には、ぁ、口のみしてる! と小学生たちは指をさしたものでした。ポカリ何たらが発売されたCMだったかなぁ、ペットボトルから直に、渇いたのどにゴクゴクッと飲むのが気持ちよさげで、あの頃から一挙に流行ったけれど、それ以前は眉を顰(ひそ)められる行いのひとつでした。

 いぇ、それ以前に、歩き“ながら”食べたり飲んだりするのは下の下…乞食がするもんだと言って、一般人でそんなことをする人はいなかったですなぁ、昭和の頃は。
 たぶん戦争で極限状態まで行っちゃったから、文明の先鋭化よりも文化的生活の実践、動物ではない人間のあるべき姿というものに、ことさら敏感、憧憬の思いが強かったのかもしれません。だもんだから、祭りの夜店というのは格別な存在感があったりしたわけです。
 …こう書くと改めて、いまの世の中のすさみように愕然としますけれども。

 夏休みになってから、バスや電車のシートの片隅にお菓子の包み紙が矢鱈と落ちてたりしてて、子どもたちの行儀の悪さというよりも、それを容認して頓着することのない親の顔を想像するだに、悲しくなります。
 あたりをはばかることなく、子どもを連れて大声で歩き回る親御さん方、各ご家庭で展開される日常の様子が、電車の中で平然と繰り広げられる、コントのような目の前の景色。ドメスティック・ビュウ、略してDV。
 会社のことを家庭に持ち込まないのが20世紀の一家の大黒柱たる男の矜持?いやニューファミリーのモットー?であるなら、ご家庭のことを社会に持ち込まないでいただきたいのが、21世紀の赤の他人の所感です。

 「なにさ、一人で大きくなったような顔しちゃってさ…」
 小津安だったか成瀬巳喜男だったか…1950年代の白黒の映画で、お姉さんだったか小母さんだったかが、よくこぼしていましたけれど。傍若無人って死語になっちゃったのかなぁ、と、このところ出掛けるたびに、そんな科白を想い出します。

 太陽がまぶしいせいか、ものすごく動物的、本能的な人が増えましたね。
 昔、奥さまは魔女のエピソードのひとつに、魔女狩りの中世にタイムスリップしちゃう噺ってのがあって、もう40年以前見たのにいまだに覚えてるんですけど…サマンサに、タイムスリップした先の、村の行き掛かりのおばちゃんが、あらっ、あんたどうしたのそんな下着で歩いてたら捕まるわょッって、ものすごい勢いで注意して心配してくれるシーンがあるんですけどね。
 その時の奥様のいでたちは、白い夏のノースリーブの当節流行のミニのワンピースで、背中が幅広のバイヤス布のクロスになってるバックスタイル(…よくこんなこと覚えてるなぁ…世の中の何の役にも立たない悲しき記憶力…)。ここは視聴者の笑いどころで、そんな前時代的なこと言っちゃって、と、当時の頭の固いオバサマ方を揶揄してるのもあったかもしれませんが。彼我の価値観のギャップに、みな一様にドッと笑います。
 そんなシーンを今更のように想い出すけれども、さらに現在は、その比じゃなく、気温に負けまいとするかの如く凄い露出度です。あからさまになって奥ゆかしさがない。立ち居振る舞いがもう、人間じゃなくて動物です。景色を除いて人々の姿だけ見ると、街中の交差点じゃなくて、ビーチだったりプールサイドだったりします。

 何だったかなぁ…これまた「アタシ、脱いでもすごいんです」って品性のかけらもない言葉がCMに出てくるようになってからでしたか。体で勝負する=身体を売るのは最終手段で、人間の尊厳、お金のために自分の誇りを捨てるというそんな前時代的な目に遭いたくないから、女性たちは何とか手に職をつけて自分たちの存在意義を勝ち取りたかった。
 最終兵器的な肉体にものを言わせる労働から解放されて、「脱がなくてもすごい人間」というものを目指していたのに、バブル期で、すべての努力は水の泡になってしまいましたねぇ。

 人間としてどうあるべきか、という哲学は廃れて、快楽主義、享楽に走ったのですね。文化的なことをして自分の内側を高めたいということはなくなって、ていのいい見掛けやスタイル、上っ面を整えることに終始し、おいしいパンやスイーツを求めて三千里、何を買ってどこに行って何を食べて今日は満足、という刹那的な。結局、一億総成金状態。

 子ども向けのミュージカルで、メアリーポピンズだったでしょうか…映画の中で、絵にかいたような銀行家が出てきて、利益という言葉がすべてに優先する、という科白は笑いどころだったのだけれど、今じゃジョークでもなんでもなく、本気でしょう、皆さん。

 なにはともあれ、いくらなんだって周りに気を配るのが、人間が密集した都市部で生活するものの最低限のたしなみってもんです。「公衆道徳」をヨコ文字にすると、なんていうのかしら。横文字にすれば皆が気にするようになるのかしら。

 そんなわけで、自分の行儀の悪さを、お天道様のせいにしちゃぁいけませんぜ。

 そーいやクマさんや、行儀という言葉も死語になったねぇ。
 ちょきいて、今日、目の前で起きた能楽堂での出来事を、そっくりそのまま言うぜ。
 正面席上手側通路から左の列の席に座ろうと、列の一番端の人に、スミマセン、失礼します~と声を掛けたと思いねぇ。
 60~70代とおぼしきかなり自由な服装をなさったその老紳士は、なぜだかとてもたくさんの荷物を抱えて立ち上がった。その手からゴロンとヘルメットが転がり落ちた。あらまぁ、拾って差し上げようと私が手を伸ばしたその瞬間、紳士の足がヘルメットを私の反対側へ蹴飛ばした。ヘルメットはヒュン…と飛び老紳士の左隣の席に座っていた二人ばかし先の客の足をヒットした。傍杖じゃなくて傍ヘルメットってやつ。
 いやーーーー、びっくりしたよねぇ。あまりのことに面喰い、呆れ仰天しつつも、失礼します、といって、自分の席に進んだら、その老紳士が一言、跨げばいいじゃない、とのたまった。

 な、な、な、なんですと!!マタゲバイイジャナイ??? 跨げばいいじゃないですと!?
 はぁぁぁぁ!!?? 日本人はね、物をまたいではいけないと、教育されて育つもんなんですょ。
 あんまり呆れたけど、負けん気の強い私だものだから、とても黙ってはいられず、
  それはちょっと、なかなか跨げないですよね、
 と言ってはみたけれど、私のこの呆れ果ててものも言えないというような気持ちは、先の老紳士には通じなかったでしょうねぇ、物が言えたんだから。(まぜっかえしたくはないけれども)

 そいえば驚天老紳士の類例ですが、想い出しました、恐怖の映画館での体験。
 もう25年以前、白山の今は亡き三百人劇場で中華電影(中国映画)大特集があって、何回か通ったある日のこと、映画が始まってから遅れて入ってきたやはり老紳士が、暗闇の通路の中で席を探すのに、ジッポとおぼしきライターで、カチッカチッと、何度も火をつけながら歩いてきたので、もう本当にびっくりしました。
 その当時はフィルム上映でしたから、映画館で直火をつけるなど言語道断です。もう本当に、炎の陰に浮かぶやや猫背の老紳士は、かのスクルージにそっくりで、生きた心地がしませんでした。ここで火事に遭って焼け死んだらどうなるんだろう、非常通路はどこだったかしら、まず連絡が家族に行くのだろうけれど分かってもらえるのかなぁ…へんな服着てなかったょね…救急車で運ばれた場合の最寄りの病院って順天堂かなぁ、いや東大病院があったっけ……とか、例によって勝手な連想に脳内は占拠され、観てた映画とは全然別の想像をしてしまい、気が散ること甚だしく、ほんとうに迷惑しました。

 無茶苦茶な人って、ときどきいてはりますね。

 能楽堂の見所で、そういう呆然とする目に遇っての帰りの電車は空いていて、はす向かいに座った壮年の紳士が、物凄い顔をしてスマフォと睨めっこしていました。細かい字を読むのに目の焦点が合わなくて目を細くしてたらそんな顔になっちゃったのでしょうけれど、陰腹でも切ったんですかぃ? と声を掛けてあげたいほど苦痛に歪んだ苦り切った顔だったのだ。隣りに奥さんらしき方が座ってらして、注意してあげればいいのに、その方もスマフォを見るのに余念がないのでした。
 どうなっちゃったんでしょうねぇ、まったく、日本国の住人たちは。

 正しい足技というのは、一角仙人やら、鳴神上人を籠絡しようとしたかの雲絶間姫のチラリズム、そういう足技であってほしいものでございますな。
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ペスタロッチ先生

2018年07月30日 11時11分06秒 | マイノリティーな、レポート
 蝉の声が音取となって、過ぎにし時の事どもが、前頭葉の斜め30度上方、空気の襞の間に閃く。
 「こんばんは、古谷綱正です」と、穏やかながらも頼もしいおじいさんがブラウン管の向こうから夜6時のニュースを伝えるのを茶の間で見るのが、我が家の常だった。子どもの目にはおじいさんだったけれども、きっと今の私より年齢は若かったかもしれない。
 テレビで伝えることは子供たちが真似をするので、きちんとしていなくてはいけない、というのが昭和の良識でありました。2018年の今、日本のテレビではニュース番組すら、スラングが飛び交っておりますね。記事の文法、てにをはさえもが、怪しい状況なのだ。

 常識の判断で、という言葉があったが、インターネットがここまで普及するとわけのわからない少数意見(私もかも…)が独り歩きするような事態になってしまい、良識ある見解というものがもはや死に体になっている、という状況が、昨今見られる混沌たる世相ではなかろうか。
 アメリカ自由主義の下、核家族化が進み、若者たちはたいそう羽を広げたが、これは歴史あるおばあちゃんの知恵袋の集積だった日本社会にとってはとても勿体ない、惜しむべきことだったかもしれない。
 無知ゆえの不幸、とでも申しましょうか、えっと思うほどビックリする、突拍子もないニュースも増えた。

 未開の新天地は気持ちのいいものだが、裏を返せば荒野なんである。
 何もないから一から始めないといけない。
 もったいないなぁ。先祖が試行錯誤して積み上げてきた叡知、智恵を、21世紀にもなって活かすことができないなんて。
 そしてまた年寄りの意見によって世間のコンセンサスを身につけていたのが、昭和の子供たちでありました。
 大人=社会だから、ぢいさんばぁさんの顔色を見ていれば、ぁぁこういったことをやれば非難の対象になるわけか…などと日常的な知識や見識、常識が身についたのだった。

 地域によっても違うかもしれないが、昭和40年代に関東地方で小学生だった者には、道徳の授業は確かにあって、ただ前時代の修身というほど押しつけがましいものではなく、様々な事例のお話を、どう思うか、どうしたらよかったか、自分だったらどうするのか、子供心に考えさせるような、結論のないお噺集が道徳の教科書だったように記憶している。

 さて、実は道徳の教科書に載っていたのか、世界偉人伝だったのか(そいえば「ちえをはたらかせたお話」という子ども向けの寓話集のようなアンソロジーもありました)何の本から伝え聞いた物語だったのか忘れてしまったのだけれども、教師とはどうあるべきかという命題の一つを顕したお話、というので、忘れられないのがペスタロッチ先生のエピソードなのである。
 記憶に拠っているので、誤った認識、錯誤などがありましたら、ごめんなさい。ご容赦くださいませ。

 18世紀半ばから19世紀にかけての、ヨーロッパのとある国でのお話です(たぶん)。
 とある学校の放課後、子供たちが元気に校庭で遊んでいる。その傍らでキラリキラリと光るものを拾っている先生がいた。それを見ていた学外の者が、あの先生は落ちている硬貨を拾って私しているのではないかと邪推します。
 糺されたペスタロッチ先生のポケットは、たしかに何かでいっぱいになって膨らんでいました。
 でもそれは、校庭に落ちていた石やガラスの欠片、折れ釘などでした。その学校は貧しい子供たちがたくさん通ってきます。みな靴を買うことができないので裸足なのです。子どもたちが怪我をしないように、ペスタロッチ先生は見守りながら、校庭の危険なものを取り除いていたのです。……

 日本国内でも学校の校庭からいろいろなものが出てきて工事が遅れ、開校できなくなった…と、つい最近何かで耳にしたような気もするが、人間の歴史とは、ついこの間まで、そんなに豊かじゃなかったのです。選挙権だってつい70年前まで女性には認められてなかったのです。人間個々人がこんなに自分の権利を主張できる世の中になったのは、ほんのつい最近のことなのに、なぜみんな選挙に行かないの…(余談でした)
 過去の物語の方向性をあげつらったり、校閲・考証をするわけではないので、さて今一読すると突っ込みどころ満載のお話ではあるが、たとえ話というのは、その現象から真理をつかみ出すことを目的としているので、漫才のネタにして笑いどころを探す必要はないのである。

 医療機器や化学工業の先進技術の発達たるや、驚かんばかり。文明の利器によってますます快適な生活ができるようになったのに、先祖がえりどころか、人間の質が低下しているような気がしてならない。肝心の人間が啓かれなくては、進歩どころではないではないか。
 人間が生きていくうえで大切な、思想、情操というものを養わなくては、社会はしあわせにはならない。無念のうちにこの世を後にした先人たちが、浮かばれないというものである。

 夏山シーズンになると、新田次郎原作、森谷司郎監督の「聖職の碑(いしぶみ)」という映画を想い出す。
 その映画のCMを録りたくて、テレビの前でテレコを用意して待っていた女子高生。そのCMのナレーションを日本アニメーション「母をたずねて三千里」のマルコのお兄さん役だった曽我部和行氏が担当していたのだった。
 同番組の挿入歌♪母さんがいなくても陽気に育つ子があるものさ…の歌声がとても好きだった私は、例によってオタク魂を発揮して、贔屓の声優さんの声を蒐集していたのだ。思えば生涯声フェチなのかもしれない。能の御シテ方の先生も、まず、声が佳くなくては好きになれない。
 そして、今でも昭和50年代に活躍していた声優さんの声は一聞にして、どれが誰だか識別できる(なんの自慢話でしょう………)。
 いえいえ、このカンは現在の職業に役立っていると申せましょうか、知恵ではなく耳を働かせたお話ですね。

 行楽の日々、皆さま、本当にご無事で……
 弟子ほどかわいいものはない。師匠ほどありがたいものはない。
 …というのが、修業道に身を置くものすべての、偽らざる心境でありましょう。
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国技を我等に

2017年11月24日 10時55分07秒 | マイノリティーな、レポート
 告白します。私は懸賞幕を一本も出したことがない、テレビ中継も気が向いた時にしか見ませんし、この頃の口癖は「もー全然面白くないし、大相撲なんて二度と見ない」だったりします。
 いや待てょ……でも内緒ですが、気にかかった時だけ、ちょっと見たりもします。

 ごくごく一般的な人間にとっては、大相撲はもはや国技ではなくなっているのでしょう。
 広く世間を見まわして気がつきましたが、このたびの事件で、初めて横綱の名前を知ったという日本人もおりました。

 土俵には莫大なお金が埋まっているらしい。それで、日本国内ではなく各国の方々がお金儲けの手段として出稼ぎにいらっしゃるのかもしれません。
 日本人はある時代の前非を悔い、それからいっときとても努力して、地球上で一番の経済大国になったことがありました。
 しかしそれもいっとき、川柳に「売り家と書く三代目」とありましたように、油断して遊びほうけているうちに没落しました。
 であるからして、ハングリー精神でもって裸一貫、のし上がっていくという図式は、体力的にも精神的にも心もとなく脆弱化していった日本人には、なんとなく敬遠されがちになっていたことは否めません。
 そんなわけで、日本人の美意識、価値観を知らぬ風習の方々で、角界が占拠される(そして、いいようにされている)結果になっているのかもしれません。
 
 横綱は賞金稼ぎの優勝者じゃありません。
 横綱は横綱です。
 そして、横綱は神ではありません。
 神様は別にいます。

 そしてどんなに偉い人でも、たとえ一国の首相でも、悪いことをしたらきちんと自分の身を処さなくてはいけません。
 勧善懲悪、それが日本という国における民草の気持ちです。
 正義はあまねく平等に行われなくてはなりません。

 大相撲に横綱は必ず存在しなきゃならないんでしょうか?
 直木賞や芥川賞のように、該当者がいなければ、空位で構わないんじゃないでしょうか?
 
 多くの日本国民…我らが納得する横綱でなければ、国技と思えないのは当たり前です。


p.s. 軒を貸して母屋を取られる…という諺を、ご存じありませんか、、、




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変容・相撲篇

2017年05月05日 08時00分15秒 | マイノリティーな、レポート
 これも一種の、振られて帰る果報者というべきか…幸いにしてlive放送は生業に精を出している時間帯なので、ミラクルの応酬に心が千々に乱れ疲労困憊するという憂き目に合わずに済んだのですが、その大相撲が昭和のころと違うなぁ、と、気づいたのは我が心のエストレリータ(むしろ大きい?)稀勢の里が負傷した時の話。
 SNSで恐ろしいほどの様々な意見を目にした私のアンテナについと引っかかったことば、

 「相撲は格闘技だから、ケガしても仕方ない」…これです。
 
 ずいぶん以前に本稿「無意識下のアイドル」で私の角界に対する何気ない情愛について述べましたが、これまた全くもっての私見で申し述べますれば…

 まず、相撲は、格闘技じゃありません。

 相撲が興行として盛んになった江戸時代、横綱の張り手がすごくて目玉が飛び出しちゃった力士もいたという凄惨な場面もあったようですが、歌舞伎や文楽をご覧の皆さんはご存知のように、当時の相撲は女子供は見に入れませんでした。
 しかし、テレビ放送が導入された戦後の相撲は、そうじゃなかった。
 茶の間で女子供が安心して見られた。ぬるいとかそういうことじゃなくて、穏やかであるけれども、手に汗握る取組みの世界でした。四十八手、技を競う闘いです。少なくとも昭和に生まれ昭和に育った者はそう思ってました。

 そして極め付け、ケガをさせちゃうように取ったんでは、相撲じゃないんです。
 相手に怪我をさせちゃいけないんです。それが相撲の精神です。

 むかーし、文化人類学の授業か何かで、先生から伺ったお話。
 日本人というのは、大陸で繰り広げられる、殺伐とした争いばかりの世界が、ああ、もういやだ~~と、舟で漕ぎだして逃げ出して来た人たちが寄り集まったのだ、と、そんな話を聞いたことがあります。 
 そして、この、決して肥沃とはいえない、自然の脅威の厳しい島国で、細々と生活を始めたそうな。

 究極の選択。自分たちのくふうや才覚だけでは除けきれない同じ災害のうち、日本人は人災よりも天災を選んだ。もはや人間ではない獣が本能を剝きだして闘う修羅場よりも、自然界の予測できない営みを甘んじて受ける道に活路を見出した。
 むかし、大映のシリーズ時代劇だった「大魔神」。人民を虐げる暴君イコール人災を、火山や揺れる大地を象徴する荒ぶる神の具象化イコール天災によって解決してもらうという、日本列島に暮らす無力な民草の祈りのようなものの存在。

 ガチで、という言葉は平成になってから出てきたスラングの成長形で、本気でという意味が、手段を選ばず相手をコテンパンにやっつけるという、別な意味に取り違えられているように思います。
 「どうしても勝ちたくて、ついやってしまった」というのは、闘いの本職さんの発想ではない。ルール違反です。
 卑怯、未練…という自分の中の弱い気持ちに打ち勝つ精神性こそが尊い、というのが、日本における勝負の基本なのです。
 
 自分自身の矜持との戦いです。その世界で一番偉い人は…大相撲で言えば横綱は、そんなみっともないことをしてはいけないのだ…という心意気が大切だったのが、昭和の価値観でした。道に外れたものを罵る、没義道(もぎどう)という言葉だってありました。…死語かな。
 そいえば、武士は相身互い、という言葉も死語だったと、つい先日知りました。

 一般社会において自分さえ勝てれば相手がどうなっても構わないという、乱暴な考え方を許容するようになったのは、たぶんストリートファイターとか何とかいう、格闘ゲームが子供たちに流行ったころから…平成に替わったあたりからだったでしょうか。
 なんだか、ローマ帝国が版図を誇った時代、いろんな国から奴隷を連れてきて、生死を賭けて戦わせた、そんなデスゲームとかぶってしまって、格差社会を当たり前のものとして、同じ人間なのに殺し合いをさせて見世物として興じている、そんな、野蛮な人間に自分が成り下がったような気がして、見ているのが嫌な感じになってくるのでした。

 そんなわけで、相撲は格闘技と違う。痩せさせてダメージを少なくするボクシングとは全く異なる発想で、相撲は自分を肥大化させることによって、損傷緩和となる道を編み出した。治療法なのであろうけれども、玉の肌で土俵に上がる力士がテーピングだらけというのは美しくない。
 利潤第一で世の中が押し切られて、形のない精神性を美しいと感じる価値観はもう今の世では廃れたのかもしれないけれども。
 日本の文化はもろいものでできているのですね。
 もっと丁寧に育てないと、変容していくのでしょう。
 それが歴史というものなのでしょうけれども、惜しいことだと思いました。
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一億総グレ

2016年10月04日 00時31分31秒 | マイノリティーな、レポート
 比較的若い世代の、伝統芸能ファンらしき方の口から、歌舞伎や文楽のアウトローの気持ちが全然わからない、まるっきり共感できたためしがない…というご意見を伺って、ちょっとびっくりした。
 いや、物凄くびっくりした。だってもともとお芝居なんて、堅気じゃない人間のお話しだもの。
 そもそもが寄る辺なき浮草稼業の、漂泊の民が紡ぐ幻の世界なんですょ。
 
 いまCSで再放送しているので、ついつい見てしまうのが、笹沢左保原作、市川崑劇場の「木枯し紋次郎」である。リアルタイムで見ていた小学生の私は「誰かが風の中で」待っている、待っていてくれている、というあてどないテーマ曲が、途轍もなく好きだった。
 いま見返してみても、エンディングの芥川隆行の「…天涯孤独の紋次郎、なぜ無宿渡世の世界に入るようになったのかは、定かでない」というようなナレーションを聞くたび、言い知れぬ気持ち…切なさと悲しみとなつかしさとが綯い交ぜになったような感情が、鳩尾の底の方からじんわりとわき上がってきて、泣きたくなる。

 自分は木枯し紋次郎に憧れてなぞいないが、その境涯に反して、純粋無垢、純情、愚直とも思える心根の美しさ、潔さに同居する臆病さが好きであった。
 そして彼の不幸かもしれない末路に居合わせることなく、あてどなく旅を続けていく=現在進行形で生きてゆくところを、ブラウン管の外から眺めているのが好きであった。
 自分は木枯し紋次郎のようになりたくはないが、ひょっとすると、自分は木枯らし紋次郎なのかもしれなかった。

 夕暮れ時に、自分の帰る道を見失ってしまった幼子のように、あの街この町日が暮れて、だんだんおうちが遠くなって…結局、人間はこの世に在ってはたったひとり、身内が居ようとも居まいとも、天涯孤独であるに違いはない。
 アウトローならもう一人、日曜夜7時半からテレビ放送の、カルピス子ども劇場ムーミンのスナフキンが子供心にたまらなく好きだったのだけれど、あのお人も漂泊の旅人どすなぁ。

 山あいに大きな太陽が沈む。残映に顔の半分を照らされながら峠の道で、ぽつん、と、独りで居たい。
 すっかり闇に包まれた遠い街の明かりを眺めながら、どうしようもない孤独感に心を浸す。
 そんな風情でもって胸に迫ってくる物語と受けとめることができるのは、前世紀の人間だけかもしれない。
 そうなると、子母澤寛や長谷川伸の、あのとほんとしたうら悲しい世界観の面白さも、当世風ではないのだろうなぁ…

 幼少期から思春期を〈戦争〉という恐ろしい時代に生きた、昭和一ケタ世代の両親に育てられた私は、自分が存在する揺るぎのない世界・価値観というものが、あるとき突然、足許から崩れ去る恐怖というものを、血脈の底に備えられて育ったのかもしれない。

 戦後、日活や大蔵映画のギャングもの、東映がチャンバラからヤクザ映画へと路線変更していった時代を、映画史的側面でしか考えたことがなかったけれども、私が子供だった昭和時代、どうしてあんなにヤクザ映画が流行ったのだろう…と、改めて考えてみる気になったのは、そんな若き演劇ファンのご意見を耳にしたこの春のことだった。

 昭和のアウトロー映画、あれは、戦争という惨たらしい目に遭って、戦後グレてしまった人たちを安んずるための、慰撫の世界なのである。
 昨日まで学校の先生が教えてくれたことは、全部嘘っぱちのダメダメで、今日から忌み疎むべきものであった事どもを第一と奉って生きていかなくてはならない。

 信ずるに足るものは何一つなくて、茫然自失の態を慰めてくれる心の拠り処となる家族さえも失って、不貞腐れた挙句、皆がグレちゃったのだ。
 昭和の頃やはり物凄く流行ったものの一つにハードボイルドというものがあり、それもすっかり廃れてしまったけれども、アウトローの、やはりやせ我慢をする男の物語なのだ。
 そして損得勘定に長けて変わり身が早い21世紀風渡世人でないことは明らかなのだ。

 一億総火の玉となって、燃え尽きたかと思われた日本の国民は、1945年の8月をもって、その催眠状態から解放され、一億が総じてグレたのである。

 一億総グレ入り、でもあったかもしれない。何から何まで真っ暗闇で筋の通らぬことばかり…と鶴田浩二も唄っていたから。

 戦後新たな目標を見つけて、一億総白痴化したりもしていたのだが、
 一億総アウトロー化したりしなかったりで、心の傷を癒していたりしているうちに、時代は変わって…

 いまや一億は総活躍…少年ジャンプのヒーロー祭でしょうか…オラたちは…泣く子と地頭には勝てぬ、と古へにも申しますが、公と称する大義名分の下に無闇矢鱈と税金を取り立てて、ご自分たちの私利私欲に正直な方々のいいように…小手先で使われるために、生きてるわけじゃないのだ。

 一億総…に続く言葉は、グレ、だったのが、20世紀のお芝居世界だったのです。

 20世紀と21世紀には、貫く棒のようなものも存在するのかもしれないけれど、時代は推移し、どうしてこんなに変わっちゃったのかなぁ…という話を、改めて続けたいと思います。

 
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教養と娯楽のはざまで…3

2016年09月04日 13時23分00秒 | マイノリティーな、レポート
 転石苔を生ぜずと申せども、石自体の価値が不変と認められるのは無機物なるが故であって、有機物たる人間であるからには、苔むすことによる価値を問いたいもの。
 記憶の虫干し…本棚に在ってここ十数年ほど手にしていない懐かしい友どちをぺらぺらとめくってみますると、

  我邦(わがくに)現代における西洋文明模倣の状況を窺ひ見るに、都市の改築を始めとして家屋什器庭園衣服に到るまで時代の趣味一般の趨勢に徴して、転(うた)た余をして日本文華の末路を悲しましむるものあり。―― 永井荷風『江戸芸術論』岩波文庫 2000年1月刊中、大正2年正月稿

 すっかり忘れておりましたが、1913年当時と現今、相対的にどうかは措いておいて、同じ想いに鳴く虫としては…  
 身近に日本の文化に触れることがなく育ってきた21世紀の日本人の多くの方々は、改めて日本の伝統文化に触れて驚愕してその魅力に開眼する…という、つまり内実異邦人なわけではあるけれども、それがきっかけで自国の文化に親しむようになる方がいらっしゃる一方で、感覚が異邦=外国人であると、微妙なニュアンスを理解することができずに背を向けるか、自らの尺度による注文を付ける。
 文化を供給する側はそうか、そういうことも国際社会においては忖度しなければならぬのか…と思い何らかの変化を施す手段を講ずる、そして文化は変容していくのでありましょう。

 私が物心ついた戦後の昭和期は、大人たちが躍起になって豊饒な平和国家の世界を築き上げようとしていた時代でした。
 それは物質に偏ったことではなく、むしろ精神性が重要とされていたのです。子供のころ読んだ本、五感を養うに接した芸術作品の数々、思えば有り難い時代でした。
 鑑みるに、このじゅうは商業主義…お金儲けになりさえすればよいという発想のもとから生み出される文化的とみなされる物事の数々。
 経済優先となって、人間の鍛錬された技術の上に成り立つ、心の糧となる優れたものは徐々に姿を消しつつあります。コストを下げ大量消費・生産のシステムの下に作られたものは粗製濫造品ばかりで、日常手許において文化的な心を養う道具類とは成り得ません。
 ものづくり日本を海外に向けて標榜するなら、広く職人を育てるに助成となるシステムを構築しなければ、日本の優れた技術は消滅していく一方です。日本の伝統を日々の暮らしで愛でる、生産する人々が廃業するにつれ、庶民にその日常性が失われてしまったのです。
 例えば雪駄一つ取ってみましょう。20世紀中でしたら、立派な本革の畳表の雪駄は3万~4万ほども出したら手に入りました。もちろん消耗しますが修理して長く履けます。
 しかし今は10万円以上、十数万円もします。雪駄の各部分を作る職人が絶滅したからです。日常に気軽に履いたりできません。これでは庶民は、日本文化を身近に感じて愉しむことさえ不可能です。

 さて、芸能にも格の区分けがあります。
 教養としてたしなみ、また娯楽として愛好する…人それぞれですから、自分の信条・心情・身上にマッチしたものを自分で選べばよいのです。
 熱海に海外からの観光客が増えた一方で、有名なお宮の松付近の銅像が非難の対象になっていると漏れ聞きました。
 ♪熱海の海岸散歩する~貫一お宮の二人連れ…という書生節のヴィオロンのメロディに乗って、繰り広げられる通俗なお芝居。明治期に大人気であった新聞小説も、戦後昭和、特に昭和50年代、高度経済成長を果たして、世界に冠たる経済大国の名をほしいままにしていた日本のカテゴリーでは、もはやパロディとしての喜劇、お笑いのネタでした。物質文明に負けて去っていった女を、徹底徹尾憎悪するしかない狭隘な男っぷりを笑う観点も余裕も生まれて久しい時代でした。
 「金色夜叉」において重要なことは情愛、義理人情よりお金を選んだ女の唾棄すべき価値観、そしてまた頑迷な男の、自らのトラウマに固執して一切合切を不幸のどん底に貶めていく暗愚さであって、貫一がお宮を足蹴(あしげ、と読みましょう)にするその一点ではありません。
 そしてまた彼は彼女を蹴飛ばしたわけではなく、縋りついてくる彼女を「ええぃ!」と言って振りほどいたのです。それを漫画的強調、カリカチュアされたのがあのシーンでありまして、お芝居を娯楽としてとらえている者にとっての金色夜叉という物語の象徴なのですね。

 なんという牽強付会な発想でありましょうか。
 フェミニズムの正当性を前面に押し出して、特に深く物事を考えずにぼんやりと平穏無事に暮らしている人々の向こう面を張って脅かして、自分たちの理屈でもってロードしていく、嫌な感じですね。確かに日本人はお人好しで油断が過ぎるのですが、人災よりも天災に気を付けなくてはならない環境に根を下ろして生きてきた風土ですから、ただもう、欧米的発想にはびっくりしてしまうばかりなのです。
 自分たちの先見的で賢明な価値観には在り得ない野蛮な風習を描いた人々の話は聞きたくもない、という一見正当に見える理屈によって、日常であるがゆえに、身過ぎ世過ぎ曖昧なままに日本的なものとともに生きてきた者たちは右往左往してしまうのでした。

 前時代の忌むべき価値観の所産であるものは撤去廃絶せよ、という方々は、自分は色眼鏡をかけない、という色眼鏡をかけているのです。
 自分の物差しで異文化を測るのでは、それらを理解することは到底できません。
 そしてまた前時代の価値観で成り立つものを理解するには、その時代の価値観、考え方というものを知らなくてはなりません。そして一歩踏み込んで、彼我の考え方の違いを知って、なおかつ、過去が存在していた状況から変遷して、それらの事象を客観視できる今、現時代に至ることができたのはなぜか、と考えるべきではないでしょうか。 
 それこそが歴史から何をどう学ぶのか、ということではないでしょうか。
 そうすれば二度と再び同じ轍を踏むという過ち(それを過ちととらえるならば、ですが)を犯すことなく、平和で豊かな未来を招来できるというものではないでしょうか。
 そして初めて、禍々しき過去の時代を再現するという、現実の悪夢から逃れることができるのです。

 教養として歴史を知ることはできても、歴史から生まれたお芝居を娯楽として楽しむには、頭で理解するのではなく心で愉しむことが必要です。
 10分でわかる名作のあらすじを読んで、何が分かるというのでしょう。知っているという蘊蓄をひけらかして自慢することはできるかもしれませんが、含蓄のある美しく優れた日本語の文章と世界観を、心で味わうという愉しみ方は体得できません。

 一方向からの解釈でしか物語の価値を測れないとしたら、日本文化の重要性、魅力を知ることはできないでしょう。
 それにつけて連想されるのが、子供が死ぬ、という一点で非難されつつある歌舞伎・文楽の作品群です。江戸期に発生し明治・大正・昭和をかけて錬成された伝統の演劇は、身分制度という障壁があるゆえに、ただLoveやらPeaceやらいう欧米の芝居より、葛藤が複雑で奥深く、人間が生きるということを描いていると思います。
 昭和時代にたいへん人気のあり、いまでも三大名作として上演され続ける「菅原伝授手習鑑」、これは子供が身代わりになって死んだという、ただそれだけの話ではありません。
 1945年以降の日本には、戦争が終わって何もかも失っても…それは物質だけでなく自らの魂の拠りどころもですが…生き続けなければならぬ人々がおりました。逆縁を呪いながら暮らさなくてはならぬ親たちが、国のために戦争に召集されて死んでしまった自分の子供を悼み、泣きに来る芝居だったんじゃないかなと、私は思うのです。
 それは、八月が来るたび、何の気なしに友達の家に遊びに行ったらお盆の祭壇に軍服の若い人々の写真が供えてあって、「この人だぁれ?」「これはね、戦争で死んじゃった伯父さんなの」という会話が小学生の友人同士にかわされる世代には、身に染みて感じ取れることでした。

 同時代性というものは、教養が娯楽に転じるにおいてまことに重要な要素なのです。
 ですから、21世紀の今、日本の伝統文化たる歌舞伎・文楽・落語(演芸含む)に親しもうと思う若い人々が、20世紀に結実した感覚を血肉として感じられないのは、当然のことなのです。
 そして欧米的尺度でもって批判対象にするしかない、という感情が生まれるのは残念なことです。(つづく)
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教養と娯楽のはざまで…2

2016年08月24日 23時22分21秒 | マイノリティーな、レポート
 「あれ、長唄って東京大空襲の時に絶滅したんじゃないんですか?」
 と、初対面の方に言われたことがある。
 20世紀と21世紀のはざまの、ちょうど西暦2000年頃のこと。私とそう幾つも違わない年齢の、大手銀行で経営の研究だかコンサルタントをしてらした方だった。
 その時自分がどう答えたか全然覚えていないのだけれども、かなり痛烈な左ストレートを喰らいながら、利潤の追求というテーマを生業としている方なのに、長唄という言葉を知っていらしたことに驚いた。
 しかも、江戸で生まれて東京で育ったという、長唄の履歴までご存じとは。
 
 時代小説や歴史叢書を専門に出している出版社の方でも、長唄と常磐津、清元の違いが分からない(つまり、聴いたことがないということでありましょう)という、そんな世の中になっていたころだったからである。
 財界人は芸術に投資するのが甲斐性だったりする土壌、また、企業メセナ、という今では死語になっている言葉が当時はまだ存在していて、そういう自国の文化を最低限知っていることが経済人のたしなみであったのかもしれない。

 日本人には「本音と建前」という感覚があって、建前が過ぎる…という反省のもとに本音を押していったら、建前が無くなって本音だけになって、美しい文化風土は崩壊した。
 衣食が足りても礼節を知る人がいなくなった。
 経済優先の御旗の下に、無駄をなくしてお金儲けをすることが一等偉いような価値観で世の中は覆われて、あからさまになった分、人間としてのたしなみ、成熟した大人が持つべき仁、見識を失った。

 教養が娯楽として成り立つには、日常の素養がいる。
 日本人は戦争によってあまりにも多くのものを失った。欧米文化の恩恵に浴し享受している者は、それだけで事足りるから感じないし、知らないから分からないだろうけれども、どれだけ多くの素晴らしい文物が灰燼に帰したことであろうか…考えただけで身震いがする。

 戦争に対する反省で、日本のものは総てダメだった、という極端な考えから、歴史が積み重ねてきた貴重な文化まで破棄するに至り、戦後の教育は西洋の文化一辺倒になったのだけれども、戦前の美しい日本を知っていた戦前生まれの人々は、DNAに培われた文化をたしなむことを忘れなかった。
 さて、戦後71年が過ぎ、その素養が重要であったことを知る世代が失われつつある。

 余剰の利益を文化に還元する教養・たしなみがなくなった政界関係者が行う施策によって、日本はかつて日常的な文化の担い手であった中産階級という市民層を失い、格差社会は、つつましく生きる者たちのひそかなたのしみまで奪いつつある。さらに、衣食が足りても足らずとも礼節をわきまえない、という新たな民衆を生むに至った。
 本音で生きているので、見栄を張るということがない。だから見場が悪くて恥ずかしいということがない。ゴム草履でペタペタ歩いて電車に乗る。TPOが喪失してしまったのだ。
 本人は楽かもしれないが、景色が悪い。
 建前がなくなって本音だけ…つまり自分の好き勝手、都合だけで行動するので公衆道徳が崩壊して、袖すり合うも他生の縁という、柔らかな感性がなくなり、見知らぬ人間との関係がとげとげしくなり、巷の美しい風景が失われてゆく。

 日本の伝統文化の敷居が高い、と大衆が感じるようになったのは、つまり日本の伝統文化を形づくる観念を構築している日本語を、知らないからなのではないだろうか。
 日本家屋がなくなって、軒下がない、三和土もない。日本間で暮らすには畳が消耗しない動き方がある。湯を沸かすやかんも知らない。浴衣は着るが下駄は履かない。
 日常にそういう風物がなければ、日本文化を語る言葉すらがすでに多くの日本人には理解できない、自分たちのものではない文化になってしまっているのである。

 台風が何年振りかで関東地方を直撃した日、30年ぶりにフレッド・アステアがカッコよくてしびれる「バンドワゴン」を観て、日常が日本文化だった昭和に生まれ育った私も、それだからなお一層異国のシュッとした文化に憧れる気持ちを思い起こしたのだけれども、21世紀の若い人々の身の回りには欧米の文化しかない。
 選択肢がない状態で、自国の文化を担う方向性を見いだせないのは無理からぬことである。ひよこは最初に見たものを親だと思うそうだから。
 
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教養と娯楽のはざまで…1

2016年08月16日 16時16分16秒 | マイノリティーな、レポート
 友人がお見合いで結婚を決めたとき、妹さんに「へぇ…誰にでも気の迷いってあるんだねぇ」と言われたそうである。ご安心ください。それから幾星霜、彼女は幸せな家庭を築いておられる。
 そんなわけで、私にも気の迷いが生じた5年ほど前、和製ミュージカルの舞台をいくつか観に出かけたことがあったのだが、自分の嗜好の方向性を再確認する思いがけない機会となった。

 そこで不思議に感じたのは、客席で聴かれる称賛の感想の多くが「正しい音の高さまで声が出てた」というものだった。
 …学校の授業の延長線なのでしょうか、正しい音程で歌っていることに何の意味がある、と言っては極論になるので言い換えるけれども、決して安くはない対価を払って聴きに行くプロフェッショナルの芸能に対する評価が、正しいか正しくないか、それどまりであっていいのだろうか、ということを感じたのだった。

 そして、偶々演じている側の意見を聴く場があり、さらに不思議の感を強くしたのだが、日本人らしい真面目さと謙虚さでもって自らの技能を評価する彼らの最終的な結論付けは、まだまだ本場には至らないということだった。
 若く美しい肢体を持ったまだ20代の演技者は、あれは本場のミュージカルだからね、と肩を落として言うのだった。
 自分が生涯かけようというものの目標があらかじめ諦観で括れる指標であっていいのかなぁ…なんで自分の身体能力・特徴に見合う、そして芸術的高みにまで…そこまでの努力ができるのであるならば、到達することが可能な、DNA最活用の自国の伝統文化に目を向けないのか、そしたら貴方がそれほどの憧憬を持って語る「本場の人」に、それだけでなれるんだょ、そして心的充足感が満ち満ちて幸せになれるんじゃないのかなぁ…と、申し訳ないけれど思ってしまったのである。

 絶対音感、という能力がひところもてはやされた。
 しかし、その能力は、音楽を左脳で聴いて言語的感覚でラベリングされた音の高低を識別する能力であるので、芸術的感覚を察知する右脳の大脳皮質が著しく後退する、ということが、このところの研究になって分かったそうである。

 教養ではなく娯楽として、日本の伝統文化をたのしむ、ということについて述べたい。
 …そう思って数年が過ぎたのだが、自分が三味線マシーンである、と断言できるに到る道はわが肉体が滅んでも達成、そして満足できないロング&ワインディングロードなので、なかなか文筆作業にとれる時間がない。
 まとまった文章を、と思うから書ききれないのであって、少しづつ新聞小説みたいに書けば、いつの間にか大部の大河ドラマ的小説に到るのだ、と考え直して今日はここでupすることにする。(つづく)
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Tutti,dormono! (「誰も寝てはならぬ」の、ハンタイ)

2015年07月18日 11時55分55秒 | マイノリティーな、レポート
 “Nessuno dorma”という名曲が一時流行りました。(いえ、スタンダードな名曲ですからこういう言い方はいけないかもしれません)
 それはいつだったかの亥年の前年でのこと、その流行りものから年賀状の絵柄を考えに考え抜いて…ぃぇ、ほんの想いつきだったりもしますが…“山崎街道でイナバウアー”というタイトルの下、新干支のイノシシが山崎街道で仰け反って花道を踊り去る…という御摂つきの安宅勧進帳をも狙った意匠が私の頭に降りてきました。
 しかし、よくあることですが、それは年越しの諸事に紛れ、偉大なる構想のみが生まれるにとどまったのです。

 …そんな話をするつもりじゃなかったのですけれども。
 歌舞伎や文楽、能…伝統芸能の舞台をせっかく観に行ったのに、寝てしまったんです…なんたること…と、悲しそうに告白して下さる方がいらっしゃいます。
 トム・ジョーンズになって「よくあることさ」と慰めるというよりも、私はむしろ、
 「それはよかった、もっとよく寝てください、そしてリフレッシュしてくださいな、それが日本の伝統音楽の本来なのですから…」
 という前向きなスタンスでの観劇をおすすめしたいのです。
 
 いえ別に自棄になってるわけじゃありませんょ。
 世界各国の楽器や声楽の音の成分を比較研究し、チャートに表した研究家の先生の講義を先般、放送大学で拝見しました。
 純粋な音のみを追求して行った欧米の楽器とは違い、日本の音楽には雑多な混ざりものを有する特性があります。そして、それであるからこそ、その音色には、揺らぎ成分がまことに多く、精神の癒しになるそうなのです。
 心地よく癒される。それが日本音楽の特質なのです。
 だから、睡眠時間の多寡にかかわらず、観客の皆さまを眠りへ誘う…そういう側面を持っているのが、日本の伝統芸能なのです。

 勉強するのではなく、ひとときの癒しを求めて、伝統芸能に触れてください。
 そして、寝てしまったら、再チャレンジして、また寝るもよし、寝てしまって分からなかったところをもいっぺん聞いてみよう、でもいいのです。
 そうして伝統芸能に触れることが日常茶飯事となって、あなたの血肉に潜んでいた日本人のDNAが活性化し、あまりにもかまびすしく推移する時代の奔流に覆われていく日常に、心安らぐひとときが訪れますことを、願ってやみません。

 「欧米の音感で演奏する邦楽が、なぜ情感を生まないのか?」は、次回『しみじみの研究(仮)』でお話ししたいと思います。
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江戸の心、大阪のこころ

2015年05月28日 12時48分00秒 | マイノリティーな、レポート
 昨晩、文楽三味線の野澤錦糸師匠が企画なさった、素浄瑠璃の会「浄瑠璃解体新書~サワリ、クドキ、名文句」に伺った。小名木川の北岸、東西の深川橋にはさまれた江東区森下文化センターでのことである。
 東京公演のお疲れも癒えぬままでありましょうに、義太夫節のいいとこどりの大御馳走を、深川出身の竹本千歳大夫と、東京公演時の定宿を深川に置き、近隣の銭湯をこよなく愛する錦糸師匠が、口演して下さったのである。ほのぼのしみじみとした、素敵な会であった。
 錦糸師匠の左手が棹を舞う。と、何ともいえぬ深く心地よい音色が空気の奥から出現する。ティンカーベルが杖を振るたびキラキラキラ~と輝く光のしずくか、星のかけらのように。
“庶民の娯楽であった浄瑠璃が難解な芸能と思われている昨今”ぇー、じょうるりぃ?!なんて難しく考えず、もっと気楽に接してほしい、という錦糸師匠の願いが、チラシにも記載されていた。

 そうなのだ。いつのころからか、演奏会に来て下さるお客さまは、勉強させていただきます、と仰るようになった。確かに、弟子ならそういう表現にはなるのかもしれない、多少小賢しい感じもするが。しかし、一般の方々には楽しんで聴いていただきたいのだ、娯楽なのだから。
 昭和の頃は伝統芸能である邦楽が巷に溢れていて、勉強する対象ではなかったから、みな歌詞の意味合いなども考えず長唄を習っていたので、これではいけない、というわけで研究会が持たれたりした。しかし、もはやそういう現象の時代から逆転して、今は身近な遊びではなくなり、気がつけば好事家が研究する対象になってしまっていた。
 これはブーメラン効果なのである。
 そいうわけで、歌舞伎や日本舞踊から生まれた長唄も、愉しみで聴くものだから、そう構えずに気楽に接してほしいものだ、と常々私も思っていた。

 かえる道すがら、無意識に、先ほど皆で一節唱和した酒屋のお園のクドキではなく、先代萩の政岡のクドキを唸っていた。やっぱり私はこれが好き。わが青春を傾けた1980年代から通い続けた先代の歌舞伎座で、慣れ親しんだ女形の名演の数々。
 ほかの名場面、名調子が数多あるなかで、なぜ私はこれが好きなのか。やっぱり時代物狂言が好きだからか、役者の台詞としての刷り込まれようが素の義太夫の語りより激しいためか?
 配布して下さったしおりの、伽羅先代萩 六段目の切「政岡忠義の段」を読み返し、作者名と初演年代が記載されているのを見てはっとした。
  天明五(1785)年 江戸結城座
 そうか…! 人形浄瑠璃がもとになっている芝居(戸板康二先生はこれを丸本歌舞伎と名付けてらして、昭和の歌舞伎から教えを受けた者はそう通称していた)の初演は多くは大坂のものなのだが、昨日美味しくいただいた演奏の数々のうち、これだけが江戸生まれだったのだ。

 三つ子の魂百まで。子どものころから慣れ親しんだ文化、風土による色合いの違いというものは、やはり人間個々の嗜好に多大に影響しているのだ。
 たとえば先般、ふたたび話題になった鼻濁音。長唄ではとても重要な要素だし、標準語を完璧に話せなければならない昭和の頃のテレビやラジオ放送のアナウンサーには最低必要条件であったが、基準というものは移ろいやすいもの。
 私が若い頃(!)電車の中には、標準語や東京弁で話す人しか乗っていなかった。郷に入っては郷に従え、で、いろいろな地方からやって来て東京(或いは江戸幕府)という都会で仕事をするのが江戸時代からの日本の習わしだったりするけれども、そういういわゆる公用語を使うことで公私を切り替えていたのか、みな一国の首都である、都会で働くからには、洗練された大人になりたいということで、気が張っていたのかもしれない。未だ成らぬ若者たちの、けなげな心根から。
 平成になって地方の時代ということが叫ばれ、ふるさと創生基金なんて言葉が始まったあたりから、それが様変わりして、今や車中では、ものすごくいろいろなお国言葉を耳にするようになった。これは吉本興業が東京に進出してきたばかりでもなかろう。
 文化の中央集権が崩壊したのだ。

 つい先日、大阪弁の方が「中学校」と、おっしゃるのを聴いて、私はハタと膝を打ったことがあった。ちゅー↓がっ↑こう、このイントネーションでは、「が」鼻濁音になる必然性がないのだ。
 「○×しはった」。この「…はった」を語尾に付ければ何でも敬語になるという、関西弁の歴史がなせる融通性と、ひとなつっこいぬくもり。
 21世紀になってから大好きだった東京の歌舞伎よりも大坂生まれの文楽を愛好していたのだが、知らず知らず、関東で生まれたイントネーションから詞章に備わる言い回しのリズム感を持つ、江戸生まれの浄瑠璃がしょうに合っていたのだ。

 だもんだから、やっぱり東京、ひいては関東圏に根をおろして暮らしている方には、長唄を口ずさんでもらいたいのである。
 もはや土着文化でなくなった、グローバリズム化した一部の民謡や津軽三味線ではなく。

 そして、習いごと、趣味のことなのだから、スポーツを気軽に嗜むように、構えて勉強する対象にはしないでほしい。
 しかし身近にそういう文化風土がなければ、どうしたって遠い存在になってしまうのだ。…ぅぅむ、サテどうしましょう。

 話の合う大正生まれの方々がどんどん西方に旅立たれて、もう寂しい…としょんぼりしてる場合ではなく。私たち、日本の伝統芸能を嗜むのに一番いい時代だったわねぇ、と昭和元禄と呼ばれた豊潤な時代を懐かしむばかりでなく。

 師匠が生涯かけて培ってきた技芸、教えを、劣化コピーさせて何も知らない方々に伝えるわけにはいかないのである。
 わが持つべきものは…パソコンマウスではなく、撥と三味線。



追記:むかし“大夫”という名称は敬称でもあり、尊称である、ということを聞いたことがあったので、浄瑠璃の太夫は○×大夫師匠とは呼ばない、「先生さま」同様の重複表現になって却って失礼だから、という通念の下、竹本千歳大夫を千歳大夫(さん)という心で記しております。思い違いもあるかもしれませんので、何かお気づきのことがありましたら、ご教示いただけましたら幸甚です。
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うろたえ者には誰がした

2012年04月04日 22時22分00秒 | マイノリティーな、レポート
 人は、美しいものを愛で慈しみ、そしてひいては自らも…創造するために生まれてきた。
 誰だっけ、むかし偉い人がそう言ってた…「人はパンのみに生くるにあらず」。
 あとを受けて「おかずもいるんです」と茶化したのは昭和の漫才師だったかなぁ。
 身体にエネルギーがいるように、心のエネルギーがいるのは当然です。

 うつくしいとは、見た目の様子が整っているというだけの、概念ではない。
 コンピュータ・グラフィックの為せる技なのか、目の前に実際に見えるものの姿かたちだけとか、耳に聞こえる額面通りの言葉とかしか理解できない…という人が増えちゃったのは、悲しいことである。
 一から十まで説明されないと理解できない…想像力の欠如。要するに「察する」というスペックが無いんだ、平成人には。日本人はね、ニンジャだからね、相手の身になって考えるってことができたんですよ、むかしはね…って、笑い話じゃなくて現実なんだ。
 なんかね、最近、街を歩いていて電車に乗ったり、お店で買い物したり、電話で社会生活上必要な事務手続きをしたりするとき、やたらと感じます。
 まぁ…とにかく、心が渇くと、もう本当に人間は生きていけなくなるから、生ける屍になっちゃうから――そんな心の糧を求めて私は終日うろうろし、うろたえ者になっていた。
 人間、心が満たされるとあまりおなかが空かない。胸がいっぱいだと、おなかも一杯になるのだ。霞を食って生きていける、と思えるのは、そんなときだろう。
 ありがとう、私をうろたえ者にしてくれた、うつくしき者どもよ。
 うろたえて、うろたえ果てて生きる、罪深く恥多き人生の、なんと豊饒なことだろう。

 さて、うろたえ者とは、自分が本来なすべき事を忘れ果て、何事かに心奪われて、道を見失ってしまったもののことである。
 ♪…うろたえ者には誰がした、みんな私が心から…
 これはまぁ、むかしは実にポピュラーだった「忠臣蔵」に出てくる詞章ですね。
 勘平という、この上もなくうろたえ果ててしまった男を、ガールフレンドのお軽が励ます言葉なんである。
 町内で芝居大会なんかやろうものなら誰しもが勘平を演りたがる、そんな色男。小咄に、みんなが勘平役をやりたいので舞台に47人ほど勘平が出た、まさしくカンペイ式→観兵式…まさに大衆芸能の華・落語も形無し、もはや21世紀市民には分かるまい。英語のジョーク覚える前に、国語を勉強しろってなもんでさ。
 世の中の常識、誰もが知ってるポピュラーな事柄…というものは、存外寿命が短い。…いや、平成になってからこの20年というもの、明らかに昭和時代の世の移り変わりとは違い加速度を増して変化している、ように思う。
 なぜだろう。英語という便利道具を、国の言葉たる国語よりも学習するようになっちゃったからかしら…。

 なにはともあれ、最近、AKR四十七というアイドル・グループも誕生して、21世紀の人々に「赤穂浪士」という言葉が存在する、ということだけでも徐々に伝播されてきてよかったわけですけれども。
 仮名手本忠臣蔵・四段目、判官切腹…そして城明渡し。緊張と喪失感にふさがれている観客の眼の前に広がるのは、清元舞踊「道行旅路花聟(みちゆき/たびじのはなむこ)」通称・落人(おちうど)の、国破れて山河あり…的心境に導いてくれる、のどかな街道筋の書割。
(常に余談になるが、この詩は絶対的な絶望感の詩であるのに、私には希望の詩に思える。人々の思惑とは別に、人間が滅んでも自然は確固としてそこにあるという、希望)

 社内恋愛中のカノジョとの逢瀬のため、仕えている主君の一大事に側近としての務めを全うできず…あまりにも自分の身が立たぬゆえ申し訳に腹切って死のう…と思い詰めているところ、泣いてかき口説くガールフレンドにほだされて、とりあえず、いっしょに逐電して、彼女の実家に身を寄せることになった、武辺の概念ではあり得ないヘナヘナくん・勘平。
 むざむざ将来のある若者を失職させ、奉公先の一族および会社組織を滅亡させた、いわば傾国傾城の端に名を連ねる、おかる自身の口から出た言葉である。
 恋に生きてるものはさ、とにかく力強いね。
 おかるだって、はたから見たらうろたえ者には違いないんだけど、もう確信犯だから、うろたえてはいないのだ。手中に勘平という玉を得て、嬉々として彼女には邁進するべき道があるから。自分の夫のために邁進すべき貞女の道が。
 むかしの人は健気だった。自分の身から出た事件の顛末を理解して、原因を自覚していて、それでもって、今のように開き直らない。身から出た錆をよく心得ていて…つまり腹が据わってたんだね。いまの人は腹が据わる代わりに目が据わってる。寄らば斬るゾ!という感じで、混んでる電車に乗りにくいことこの上ない。

 それにつけても、なんで義務教育で、必修科目として、ブレイクダンスを教えることになったかなぁ。
 あれは、別名ストリートダンスとも言って、道端で披露されている大道芸に発した、いわば門付芸なわけですょね?
 日本の芸能で言えば、カッポレですらない。いわば勧進坊主の、チョボクレなわけです。
 なんで、どうして“日本”の“学校”で“欧米”の、“末端”文化とも言える文化を、“強制的”に、教えるンですかねぇ??
 個々人がやる趣味ならいいですよ、別に、自由だからさ、好きなものを習えばいいわけですョ。
 学校で、ですよ。生きてく上で必要不可欠なものを学ばせる、義務教育の学校で、ですよ。

 おおざっぱに申しますれば、世の中の産業というものは、芸能に携わる人と、生産に携わる人と…人間の生業は、「身体の糧」をつくるものと「心の糧」をつくるものに二分される。全員が心の糧をつくる人になるわけではない。
 鑑賞するのと、自分たちがやるのとでは、天と地ほどの開きがある。…それともこの日本国は、今や、ショウビジネス、観光業で身を立てようとしているのかしら?
インタビュアーが街頭で一般市民の声を拾っていた。中学生本人は「自分が踊れるかどうか心配です」「うまく踊れなかったら恥ずかしいし」。
 コメンテーターはしたり顔で「恥ずかしがらないでやってみればきっとうまくいくと思うよ」。
 …その「恥ずかしい」の意味が違う。
 わたし、昭和の中学生でよかった…だってゼッタイに嫌だ。あんな品のない踊り踊るの。
 観て愉しむのと、自分がやるのと、天と地ほどの開きがある。それはまあ、素晴らしい身体能力ですょ。パフォーマンスのすごさには舌を巻きます。
 でもさ、学校で学ばせる基礎的な素養が、他国の決してスタンダードとはいえない、底辺に位置する民が自分たちの生活の慰みに踊るようなものから派生したサブカルであって、いいの?
 
 自分たちのアイデンティティの要である、国の文化も知らないで、他国の余興的ダンスを学校で習わせようというのである。
 何を血迷うておるのだろうか。
 日本人て何。日本の国って何。日本人の品格とか、ちょっと前まで言ってたけど、学校で、何のかかわりもないよその国のブレイクダンス習わせちゃう国になっちゃったんだね、日本は。
 もはや、世界中でいちばん奥ゆかしくて上品で、他に類を見ない美しい文化を築き、黄金の実る国で生まれ暮らしていく…とかいわれてた日本人は、この地球上のどこにもいないのだ。
 ニッポンジン…日本人の品格、それは幻影だったのですね。

 日本人自身が、日本文化のスタンダードなものを継承せずして、いったい地球上のどこの民族が、この不可思議きわまりない文化を継承していくというのだろう。
 そうして、誰も気がつかないまま、日本国もインカ帝国のように、忘れ去られた廃墟のようにして、何世紀もののち、誰かに発見されるようなものになって行くのだろうか。
 いやいや、未来予想ではない。すでにそうなっていたのでした。ボストン美術館展を里帰り上等!!とか言って、みんな喜んでみてるんだもんね。

 私も美しいものを見るのは大好きだ、美しいものを見ていればただそれだけで生きていけそうな気がする……でも胸が痛くなる。なんで私たちは、こんなにも美しいものを、あのとき、手放してしまったんだろうか…って。

 学校はいったい、何を教えているのだ。宮崎駿はスタンダードじゃないよ。
 スタンダードがなくちゃサブカルも生まれないのだ。
 若者に人気がある、流行している、そんな俗っぽいものばっかり学校で教えていたら、本流となるものは、いつどこで体得するのだろうか。文化の底が浅くなるのは当然なのだ。

 日本の伝統文化に対する、昨今の大衆的な見解はこうだ。――むずかしくて分からない、敷居が高い…って、なんでやねん。こころざしが低いよ。
 DNAが同じ、自分たちの先祖が丹精してこしらえてきた文化なのに、そんな一言で片づけて恥ずかしくないのか。
 コンピュータだって、人間がつくるんだよ。
 ピラミッドを見上げて、あれってどうやって拵えたんだっけ?って言ってる人達になっちゃうょ。
 日本という土壌が培って育ててきた、日本人が生みだし伝えてきた文化は、日本人にしか受け継ぐことはできないんです。そしてまた他国のものがその魅力にうろたえて、いかにその美しさを真似ようと思っても、どこかしらやっぱり、違う。
 文化の本筋とは、そんなものです。
 昨日や今日、理屈でわかった気になってるようなものがやってみたって、その程度のものにしかならない。
 それは日本の文化だけに限らない。他国のものがいかように努力しても、自国の文化を受け継ぐ人々の凄さは、そのDNAを持たない者には真髄までは成し得ない。
 自国の文化とはそれほどの厚みのあるものなんですよ。

 こんなに素晴らしい、他国がうらやむほどの豊饒な芸術文化が日本にはあるというのに、それを慈しみ理解しようともせず…それでも、隣国の新奇なもののほうがいいのだろうか。
 二千年近く前に中国でつくられた四字熟語に「家鶏野鶩」ってのがあるけど、人間は永遠に、歴史から学ぶことすらできないんだね。

 うろたえ果てた揚句すべてを失って、気がついたときにはもう遅いのだ。
 失われた技術・文化は、決して二度とふたたび、生みだすことはできないというのに。

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無意識下のアイドル

2011年02月14日 13時13分00秒 | マイノリティーな、レポート
 ♪おすもさんにィは どこがよくてぇ惚れえた~稽古帰りの乱れ髪
 街を歩いていてお相撲さんに出会うと、なぜか無闇と嬉しいものだ。
 商店街の向こうから自転車に乗って、すーっとやって来るだけで感激する。なんとまあ、絶妙なバランス能力、心技体。そしてまた、同じ電車に乗り合わせると、ものすごくいい匂いがする。鬢付け油の匂いだ。新幹線のホームで見かけると、同じ車輌じゃなくてよかった、と安堵する半面、同じじゃなくてちょっと残念。どこに行くのか、ちょと気にかかる。
 これは京都を歩いていて、舞妓はんに出会ったのに似て、かつまた、都内で思いもよらぬところで富士山と東京タワーが見えた!というのと一緒で、気がついたらそこにいて、存在がなぜかものすごく嬉しい、というようなものだ。
 かくもお相撲さんは、日本人にとって日常なのだ。夕暮れ時、家に帰ると、明治生まれのバアちゃんが飽きもせず、茶の間に座ってずーっっっつと相撲中継を見ている。呼び出しと柝の音にかぶさるように、お豆腐屋さんのラッパの音が聞こえる。昭和の市井の風景。

 私は別に相撲命!なわけじゃない。毎場所楽しみにしているわけでもなく、ただ、そういうわけで、空気のように水道の水のように、ごく身近に感じて生きてきたので、そういう、みんながそれと気づかずに心の奥底で養っていた、無意識下のアイドルを、そのようなぶしつけで無遠慮で分からんちんの輩の手に、むやみと貶められると、もう黙っちゃいられないのだ。
 以下は、そそっかしい人の蚊柱と思ってお読みください。

 いい加減に相撲取りいじめはやめたら、と思う。
 八百長は、博打の世界では禁じられていますよね。そうしなきゃ賭場が成り立たないもん。東映のヤクザ映画、日活の無国籍アクションなど、フィクションの世界では八百長をすれば、たいがい落とし前をつけるために指の一本や二本、詰めることになっている。
 でも、相撲で八百長をしたからってどうなの。そんなに追及して、あんたは懸賞幕の一本でも出したことがあるのか。

 国技なのに恥ずかしいってどういうこと。オリンピックに「スモウ」って競技種目に入ってましたっけ?
 相撲はスポーツじゃなくて文化だ。競技じゃなくて興行だ。文化まで欧米化してどうするのだ。西洋的でないものイコール野蛮で破棄すべきもの…って図式って、明治の人の考え方かと思ってました。
 そも、相撲は、神様を喜ばすために誕生した力較べであって、西洋の競技とは発想が異なるものだ。だいたい、あんな巨漢が、本気で殴り合いするボクシングのように、力だけで押して行ったら、みんな体を壊して即座に廃業だ。

 柔、よく剛を制す。小さいけれど力持ち。見た感じ、どうしたって勝てそうにもない小さきものが、怪力のおっさんに立ち向かっていく。であるからして技が必要だし、くふうも生まれる。そういう技術と技巧を愛でるのが日本における勝負だし、相撲だ。
 ただただ力が強いものだけが王者になるという、西洋式の分かりやすい単純な勝負のつけ方とは違う、そういうところが日本の文化なのだと思う。

 さて、「八百長」って言葉に過剰反応して、かなり感情的になって、論点が横滑りしました。
 要するに私が言いたいことは、杓子定規に、清廉潔白さの枠でもって世の中の総てのことを測って、「子どものお手本」というような切り札で、それにちょっとでも反するような事どもを、いっしょくたに薙で切りにして排斥するのは、筋が違うンじゃないでしょうか、ということだ。
 そりゃ、子どもの前ではみんないいかっこしたいよ。
 でも、大人の世界はそうじゃないでしょ。弱肉強食だし。正しいってことだけですべてが快刀乱麻に解決されることは、フィクションの中でしかない。また、正しいってことだけで一刀両断しても、決して正しいことにはならない。
 大人の事情って切ないんだね…と子ども心が切なさを斟酌できるようなことに触れさせないといけないんだ。
 そういう切ないところで、大人は生きている、ということもあるのだ、という情操教育をしないと、ただただ黒白をつければそれでいいと思っている、コンピュータのような人間が出来上がってしまうぞ。
 そして本音と建前の折り合いをつけられず、その存在を容認できずに、ただ頭でっかちになって、現実社会にうまく溶け込めない、不器用な人間も増えていくのじゃないだろうか。

 どこまでが正しい八百長で、どこまでが正しくない八百長なのか…なんてことあたしゃ知りません。
 悪いことをすれば当然、因果はめぐる…いや廻らない人もいるかもしれない。それが人間社会だけれど、それだからこそ、正義を貫くのだ、という熱血漢も生まれてこようという素地があるのが、世の中です。
 生活がかかっている人の職業を、まったく無関係の人が、独自の一見正当な倫理と正義論で押しつぶしていって…それは相撲世界のことに限らないけれど、どっちが人権無視なんだ。

 生きるために、みんなそんな業を背負ったり、日々、自分自身の矜持を試されながら生きていくのだ。
 白と黒だけではなく、グレーとか、いろんな色があるンです。大人の世界って、線引きできないものが存在するんです。
 でも、それだからこそ、子供は大人になっても、生きて行こうと思えるのじゃあないだろうか。

 …人生の機微。
 もうそんな言葉の存在が許されないほど、世の中は機械的風紀委員的感覚の人々に支配されつつあるということか。

 このたびの騒動は、そういう日本的風土から誕生した文化で、前時代的だから、総体的に見直したらいい、という動きの始まりなのだろうか。私は好きではないのだが、柔道の胴着がブルーと白になったのは、国際化だし近代化だし仕方ないか。
 歌舞伎座の座席の番号が、コンピュータが導入されて以来、いろは…から情緒も何もない1、2、3…と機械的に合理化されたのも仕方ないか。
 日本の伝統文化も、そんなふうに発想の転換をして、欧米化していくことになるのか…そして日本人は滅亡していくのだけれど、それは時代の流れで仕方ないのかもしれない。
 それだったら、組織も前時代的だし、もう糖尿病になるし、不健康だから、あんなふうにアンコ型とか一切やめて、みんな筋骨隆々の体型にして、予期せぬ事故に備えてスクール水着の上から回し締めて、やればいいじゃない。
 そうなったら、レスリングとどこが違うというのだ。そんなもん、アタシは二度と観ませんけどね。

 …とか啖呵を切ってやろうと思ったら、先週の学校巡回(中学生の体験学習の時間)で、予期せぬ出来事が起きた。そして私は脱力した。
 この記事も書きあぐねて時期を逸した感あり…で、載せるのはやめようと思ったが、兆候の前段ともなるので、敢えて…嗚呼。
 この続きはまた明晩。

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