むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

やじろべえ

2022年05月27日 | こころ
それは突然やってきて
いつの間にか受け取ってた 宝物を 
根こそぎさらっていった

世界が消えて
わたしはなんにもなしだった
こわいって言えるすき間もなかった

それから なんとか かんとか 歩いてきたら 
今度は 降ってきた宝物に当たった

それは肌から沁みこんで 
からだの内側を跳ね回り
秘密のバケツをひっくり返した 

知ってる限り すべてのお天気が巡ってきて
洗いざらしになって 
光と闇の間を やじろべえになって 
あなたと オールを 漕いでいる

いつか眠くなるから
今のうちに 血汐を跳ね上げて





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どこにも行かない

2022年05月24日 | こころ
見つけたと思うと 肩透かしで
転がった先 足元深く
潜らなくてはならなかった

心の潤う場所 その感触を知ってる
温かい泥の中で手が触れた
掬いあげてみると
それは空気に触れるのをこわがった

お試しをどれだけくぐっても
儚く ちぐはぐに
手のひらを すり抜けた
どこまでも たしかめるまで

もう どこにも行かない
昨日の憧れは
ただ この一歩の先に 
どこに辿りついても










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せつなくても 愛はある それじゃダメ?

2022年05月10日 | こころ

ひとつ前の投稿から4年が経ちました。

これまで覗いて下さっていた方へ、ありがとうございました。

 

子供の頃、カラフルなキャンディーの入ったドロップ缶があって、

一粒大の穴からどの色が出てくるか、ちょっとたのしみに

カラカラと振っていました。

 

その缶みたいに、この時間の中にも

思いもよらなかったことや、

喜怒哀楽がたっぷり入りました。

 

今またこれを振ってみたくなったのは、

ずっと、せつなさを感じていたな。

と思ったのがきっかけでした。

 

手の届かないところにある叶わぬ思いを、

暗闇に閉じ込めておかないで、

抱きしめる必要がやっぱりあると思ったんです。

 

たとえば、 

それでいいんだよと言ってほしい。

判断しないで、ありのままに寄り添ってほしい。

肯定をベースにして。

始まりは、そこからだから。と、あの子が言っていたこと。

 

もっと見ててほしかった。

求めてるカタチで受け取れなかったから、

愛はないと思ってた。

いや、感じてる部分もあったけど、本物か確信が持てなかった。

でも後になって、全てが終わってみたら、そこには与える人の

エゴや無知や都合が入り組んで、紛らわしくはあったけど、

存在への愛はちゃんとあった。

それが表現もされてたんだ。と、気づいたこと。

 

わたしたちはそれぞれの立場で、今自分の中にあるものを発していて、

相手の望んでるものに、思いが寄らない時もある。

というか、それがほとんど。

そこがズレるから、距離ができる。

そして、満たされない想いが積み重なって切なさになり、

胸の内にひっそりと、しまわれる。

 

はなから望んだものが(足り)なかったり、

相手のそれがわかっていても、応えられないこともある。

しかたのないその状況にだって、捉え方次第で幸福は見つかる。

今のじぶんには、「決定的にない」としか思えなくても、

その落胆を感じて、流して、また覗いてみれば。

 

そんなことを時々、夕焼け空の下にピクニックシートを広げて、

うっすら浮かんでくる星を見つけるように

話せたらいいなぁと思うのです。

 

あの時は絶望したけど、それをとことん受け止めたら、

後にお土産が見つかったり、いい展開もあったなぁ。

ってこと、ありませんか。

 

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