むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

すまなかったね。

2017年09月28日 | 日記

それは42年前のこと。

70才の叔母さんがこんな話を聞かせてくれた。

当時同居していたお姑さんと馬が合わなくて、ある朝ここを出ていきなさいと言われてびっくりし、

「そうはいってもお義母さん、わたしがいなかったら老後誰が面倒看るんです?」

と答えたら、嫁いだ娘と長男のお嫁さんの名前をあげて、彼女たちがいるからそんなこといいわ。と、あしらわれた。

同じ部屋にいてそれを聞いたお舅さんが、お姑さんになにを言ってるんだ!と怒ったところ、寝間着から長いパンツに穿き替えようとしていたお姑さんがとたんに倒れ、脳卒中でそれから24年間、介護をしてもらう生活が始まった。

この叔母さんのえらいのは、デイサービスのない時代に子育てと自営のお店を手伝いながら、お姑さんが亡くなるまでその介護を一手に引き受けてこられたところ。

 

叔母さんと彼女の次男のお嫁さん、わたしの三人は買い物を済ませてお花屋さんの隣に並んだカフェテラスでいろんな味のマフィンを分け合っていた

叔母さんは残っていた珈琲を飲み干して、店内から届くBGMにかき消されてしまいそうな声で、でもね、と続ける

「倒れた次の日に、入院した病室に息子が一人でお見舞いに行ったのよ。そしたら、あんたのお母さんにわたしがいじわる言ったからおばあちゃん罰が当たってこうなったんだよ。って言ったって言うの。

それでね、オムツ換えたりお風呂場までおんぶしてって身体洗ったりしても、ずーっと澄ましてるだけだったのに、ある時お父さん(ご主人)と車で病院に連れてってたら、後ろの座席から急にしんなりして言うのよ。

今まであんたにはいじわるばっか言ってきたのに、よう長いこと文句も言わずに世話してくれたね。ありがとうね。すまなかったね。って。わぁー、思い出したら寒気がしてきた~」

と、叔母さんは半袖の上から両腕をゴシゴシさすった。

わたしもお父さんもびーっくりして、もう死ぬんじゃないのなんて冗談言ってたら半年後に亡くなったの。あの時代に女学校出て、お茶点てたり日本舞踊教えてたりしてプライド高かったからねー。それまでエゴが抜けんかったんだわ」

「あーー」

子育てでもそんなに続かないのに、24年は長いですよねー」 

24歳の次男のお嫁さんが言う。

「あー長かったよー、でももう何にも後悔ないね。やれるだけやったねってお父さんと言ってるの。わたしになんかあったらお父さん、後はオレが面倒看るって言ってくれてるし、一緒に死ねるのが一番いいけど、どっちか先逝ったらもう早よ迎えに来てねって言い合ってるの。ははは」

と、叔母さんはさっきより力強い声で笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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夏を越えて

2017年09月19日 | 日記

台風一過の昼下がり

開け放した窓から吹き抜けるそよ風

ヒグラシの鳴き止んだ静寂に

裏の家から響くかすかな食器の音

 

5月に一月、シンガポールとマレーシアに滞在し

出会い別れに心揺れ、

戻ると庭の隅に蝉の抜け穴がいくつも開いた

冷やし中華熱が高まって

11年前のアメリカ映画「イルマーレ」を繰り返し観た

 

台風の夜が明けて

温かいお風呂や食事がほしくなり

来年には引っ越すだろうこの家と

生まれ育った時間に想いを馳せて

いつもの軒下に揺れる洗濯物が愛しくなった

 

次に行くのは安らぎとおだやかさのある場所

ここから持って行くものは

これまであったいいこともイヤなことも

まとめてゆるした物語

 

夕方の蟻が昼間の残像のように歩いている

もうすぐ虫たちの謳歌がはじまる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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