むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

ベトナム紀行 フエのフォン川クルーズとホイアンのトゥボン川をゆく灯篭

2017年03月25日 | 旅行

昨日庭師さんが来てくれて、去年の11月以来はじめてテラスに出た。

杏子の桃色のポップコーンのような花の下で、桜餅や草餅、麩饅頭を並べてお茶をした

初対面の庭師さんは年配の男性で、九州出身の方言もあり最初すっと会話の通じない感があったけれど、だんだん気さくで男気のある人だとわかってきた。来月も頼むことにしたら、帰り際、門の金具の少し歪みが出ていたところを「今度ハンマー持ってきてこれもやってやるよ。壊しちゃったりして、へへへ」と笑ってトラックに乗り込んでいった

 

 

ベトナム最終回はフエとホイアン、水のある風景を。 

朝8時にホテルを出発し、ホイアンから世界遺産の古都フエへ、そのあとダナンに戻ってミーケービーチ沿いで夕食。この長いバス移動を終日担当してくれる予定だった運転手のロイさんが、この日フエまでの片道だけで運転交代することになった。というのも、その日のうちに奥さんにあかちゃんが生まれそうだから側にいてあげるためと知らされ、バスの中で拍手がわき起こった。ハッピーライド わたしたちを送り届けてくれたロイさんは、バスを降りる一人一人に渾身の笑みで、ギュウギュウうれしくてしょうがないという握手をした

 

こちらは、路地をくねくね曲がった先に到着した昼食のレストラン。

 

 

アジアにいると、いつもスイカジュースを頼む。それを一口飲む度に、子供の頃のみずみずしい夏の味に打たれる

フエ郷土料理の牛肉入りフォーから始まるコース。でもこのランチで一番記憶に残ったのは、右隣に座った添乗員さんが最初歯科衛生士さんだったのになぜこの仕事をすることになったのか、そしてその中で出会う人びとの話だった。彼女は日中髪をまとめていたが、初日の朝食レストランで顔を合わせた時、それはふわっと解かれて華やかな色っぽさを醸していた。佇まいのチャーミングな添乗員さんと楽しい話をしながら過ごせたこの旅は、とてもラッキーだった

 

 

 

食後にフォン川をクルーズ。ホイアンで探しかけて見つからなかった繊細なポップアップカードが船内に売られていることを添乗員さんがおしえてくれる。二人で無造作に重ねられたたくさんのカードの中から、これもかわいい。あ、これは豪華!と選び抜き、彼女は値段交渉もしてくれて、思わぬところで愉快に欲しかったものが手に入る。

 

 

 

 

ところ変わって、ホイアンのトゥボン川。(・・・ドボンじゃない

毎月、満月の夜にランタン祭りが催される。街中の電気が消され、ランタンのぼんやりした灯りだけに照らされる、賑やかだけど神秘的な夜。川に幾つもの灯篭が流れていく。ふと、やはり満月の夜に見たインドガンジス川の厳かな灯篭流しの光景が重なる。

 

 

 

 

中央の小さな灯りの連続は、20,000ドン(50円くらい)紙幣の裏に描かれている1593年に架けられた来遠橋(通称日本橋として有名)。当時この辺りには、日本や中国から渡ってきた商人につくられたそれぞれの街が栄えていたと言われる。

 

 

 

 

 

 

                                                        おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ベトナム紀行 ホイアン街歩き

2017年03月21日 | 旅行

庭のさくらんぼや杏子の花が咲き始め、ムスカリもとんがり帽子をにょきにょき伸ばし出した。

まだ寒くて冷たい雨が降っても、春は日に日に

 

 

ホイアン街歩き。

こちらは築200年以上にもなる貿易商フーンフンの家。

一階で裁縫をする女性。

 

 

 

二階の窓から見える家並み。

 

 

 

17世紀に中国の福建省から来た華僑によって建てられた福建會館は、今でも同郷人の集まる集会所兼寺院として利用されている。

建物入り口には、大きなリボンがチャーミングな狛犬さん。「ね?」、「あー」と、ことばを交わしているような。。

 

 

 

 

天井から下がる渦巻きの赤い線香は中国建築の特徴

 

 

 

奥の祭壇には、船で貿易していた当時の航海安全の神様が祀られている。

煌びやかで、あーる! こういう時、じぶんが奈良や京都の仏像に馴染んだ日本人なんだなぁと実感する。

 

 

 

わたしにとって海外旅行は日常の澱を落として生き直す儀式のようなもので、その効用は、気候も文化も感じ方も違う世界を肌身に感じて、それが漢方薬のようにからだにじんわり作用していって、たとえば内臓をかきむしりたいくらいの悲しみが襲う時なんかに中庸に戻る手助けをしてくれることだと思う。

 

父がウォーキングの道筋に入れていた裏山の神社には、一番外側の大通りに面した入り口にお地蔵さんが祀られていた。

途中、山のてっぺんにある本殿と内拝殿、石段を下りてきたところにある外拝殿、そしてこのお地蔵さんに手を合わせるのがほぼ日課で、わたしも時々一緒に歩くことがあった。亡くなるちょうど一週間前、ひさしぶりに二人してその道を通り喫茶店に行った時、父はお地蔵さんを拝んだあと「ありがとうございました!」とつぶやいた。

それまで「ありがとうございます!」しか聞いたことがなかったから、わたしはびっくりして「なんで『ました』なの!?」と聞き返した。

父は意外にもさらっと、

「毎日『ありがとうございました』だわ。明日も新しく、『ありがとうございました』だ」

と笑って答えた。

それを聞いてもなんだかこそばゆい感じのままだったけど、父にとってそのくらい一日一日を生きていることが尊くなってきてたのだろう。

今もそのお地蔵さんの前を通りかかる度に父の手を合わせる後姿が目に浮かび、その姿ごと「ありがとうございます」と胸の内でつぶやいてしまう。

 

 

 

                                                        つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ベトナム紀行 ホイアンの灯

2017年03月19日 | 旅行

ホイアンの街はノスタルジックで、よく温泉に出かける岐阜県高山の古い街並みを想わせた。

・・・父が息を引きとる10日くらい前にも一緒に歩いたっけ。

やっぱり外国人観光客の多い古民家風カフェで父はおいしそうにぜんざいを食べて、そのあと近くに寄っても逃げずにこちらを気にした様子でじっと立ち尽くしてるシラサギを見ながら長い河原を散歩した。あれはひょっとして、父が母ともよくその辺りを歩いた思い出話をしてたから、14年前に逝った母だったのかもしれないなぁ。

 

こちらは午後五時、入り口の席で西洋人のお客さんがおしゃべりに花を咲かせているカフェ二階のテラス席。天井からシャンデリアのようにランタンが下げられていた。そよ風に吹かれ甘いベトナム珈琲を飲みながら、夕食までのひと時を一緒に参加されている方のこれまでの旅の話をききながら過ごす。弱ったり苦笑してしまう体験が次々披露されて、旅の感動にほろ苦さはつきものだなぁと、しみじみおもしろい。

だけど不思議と、その時は隣にいて進んで話すその人に耳を傾けていたけれど、今心に残っているのは、ちょっと離れた席でそれも景色の一部みたいにほほ笑み、なんとなく楽しそうにただ「今」の空気に溶け込んでいた人の方。彼女とは行く先々で何気ない感想をほろっと交わし合った。ちょうちょみたいに。

このティータイムは、昼間の太陽とにぎわう通り、行き交うバイクの熱気から解放されて、旅行の中でもいちばんほっとした緩やかな時間だった。

 

 

 

日中そのランタンを作っている工場を訪ねた。ここでは彫刻や美しい刺繍絵画、絹を織り裁断し、服を仕立てる人たちの制作の様子を間近で見学。

 

 

 

ツアーは写真を撮る暇がわずかだったので、気になればさっと走って一、二枚勢いで写し、また列に戻った。そんな瞬間の“Cold Drink”と書かれたクーラーボックスの上で店番するわんこ。

そう言えば高山の商店街にもこんなわんこがいて、以前ブログに載せたことがあった。どちらの街も生き物や路地や河が長い年月を渡る風にとっくり撫でられていて、そこに来る人びとにもまろやかな安息を許してくれるみたいだ。

 

 

 

夕食をとる河沿いにあるレストランの表通り。暮れかけた空に満月(画面中央やや右下)、色とりどりに灯るランタンは命を讃歌して、温かいものにゆったり背中を抱かれるようなアジアの夕暮れ。

 

 

 

 

                                                        つづく

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ベトナム紀行 ミーソン遺跡群

2017年03月18日 | 旅行

このあと午前中の遺跡巡りが汗びっしょりになるとはまだ知らず、Tシャツ一枚で暖か~いリゾートをたのしむ、もりもり朝食、朝7時。

 

 

 

バスの車窓から軒先に広げられた春巻きの皮干しや生肉販売屋台、美しい河と草をはむ水牛たちを眺め、会話のように飛び交うクラクションをBGMのように聞きながらミーソンへ。

 

一歩外へ降り立つと、周りを山に囲まれた盆地なのも手伝って、ものすごーい暑さ。

その先に、大半はベトナム戦争で崩壊したというけれど、それさえかいくぐった古の痕跡。

この旅のメンバーは女性10人男性2人、みんな一人で参加している初対面の人たちばかりだった。

男の人ってたいしたものだなと思ったのは、真っ暗な礼拝堂の中を見学した時、他の女性たちが少しでも見やすいように奥を持参したペンライトで照らしていてくれたり、初日の夕食時にはワインを一本開けてみんなに回してくれたり、帰りの乗継空港で「よかったらみなさんで」と、添乗員さんに小さなお菓子を渡したりと進んで気を配られていたこと

現地と日本からのガイドさんも心を込めて案内とサポートに努めて下さったので、そういう人たちの清々しさがパフェにのったまっ赤なさくらんぼみたいに旅をたのしいうえになにか「善きもの」として印象付けてくれた。

 

 

 

 

画面左に斜めに写っている石が次の石碑。ベトナムの古代文字が刻まれている。

草書体を想わせるやわらかな流れ。

 

 

 

 

 

                                                   つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ベトナム紀行 ホイアンの通り

2017年03月17日 | 旅行

ベトナムへ行ってきた。

アジアでは十何か国目だろう。

これまで共通しているのは、その素朴さから日本にいる間しまわれていた原始的なじぶんに出会い直せること。

 

一昨年父と、体調がよくなったら次の海外はベトナム中部のビーチにしようと話していたから、今回その近辺を足早に巡るツアーに参加してみた。

それは外国の風景に加えて、日本のいろんな年代、いろんな立場の人の話をきく、今までの個人旅行とは一風違う旅情となった。

 

主な行先はベトナム中部のダナン、世界遺産の古都ホイアンとフエ、同じく世界遺産のミーソン遺跡群。

 

 

ハノイ乗り換え、ダナン着、夕食後バスでホイアンのAlmanity Hoianというホテルへ。

東南アジアの空港を出ると、たいてい香辛料の混じったような食べ物の匂いと熱気に迎えられる。

わたしが夏生まれで夏好きなのと関係あるのか、それはとても懐かしくのびのびした気持ちにさせてくれる。

 

こちらは古い港町ホイアンをシクロという人力車(下の写真で右前を走っている)に乗って移動しながら撮った通りの風景。

 

 

 

 

食事で出されたベトナムのバナナは台湾のそれに似てもっちりまろやか。

果物大好きなわたしは、毎日食べたくなった。

 

 

 

                                                        つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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