むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

後の温もり

2016年06月01日 | 日記

六月になりましたね

あちこちで、あじさいがぽってり咲いているのを見ると、なぜだかホッとします。

 

日も長くなり、今夜19時をちょっと回った公園で友人との電話を終えた時は、ようやく蒼いうす闇が広がりだしたところでした。

帰りに公園入口にある石垣の脇を通りかかり ―― そこは小学生の頃、登校時の集合場所だったので ―― 「一年生の時は、ここによじ登って待ってたなぁ」と懐かしく思い、今ではみぞおちほどの高さになった石に触れてみると、まだ日中の太陽の温もりが残っていました。

途端、いつか西表島で夕陽を見送った後、座ろうとした堤防の熱さにおどろいた時と同じように手を離すのが名残惜しくなってしまいました。

 

思えばご飯を冷凍したり、おかずを冷蔵庫にしまおうとする時、まだほんのりとでも温かければ、「ああ、もうちょと冷めてから。。」と思うだけだし、コーヒーがぬるくなるのにも、電源を落とした後のパソコンが熱を持っているのにも、すっかり慣れていてこんな感じはしないのに・・・

 

たぶんそれは、夜に向かって冷めていく太陽の熱が自分で手の加えられない自然だからで、以前家で飼っていたコリーが横になって寝ている時、そっと触れた薄くてやわらかな桃色のお腹の皮ふの温もりまで思い出して、できるならそのまま、大事にとっておきたい衝動に駆られるのでした。

 

 

東京の森に、これから咲き始めるあじさいたち。

 

 

庭にも

 

 

しっとり、やさしい日々を

 

 

                           かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント