むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

信州 つづり路 3

2012年10月08日 | 旅行
10月になっても、まだお昼は暖かな毎日が続きますね。
それでも、栗ご飯を炊いたり、さつまいもを煮たり、熟れた柿の甘みに新鮮味を感じていると、日に日に秋も熟してるんだな。と、思います。

季節の変わり目は特に、体調にお気をつけくださいね 


白馬三日目の朝は、ふたたびポツポツと小雨が落ちていた。
それでも、前日の天気予報のおかげで、水の向こうに明るい兆しが見えるような気がした。

灰緑色の林を眺めながら、レストランの窓辺で朝食をとっているうち、葉がつやつやと輝き始めたのを合図に、席を立つ。

山の天気は、変わりやすい。
あっという間に晴れ渡った山道を、車で下がって上って15分、ゴンドラ駅に到着。
ここから20分ゴンドラリフトに乗り、ロープウェイに乗り継いで5分、さらに5分歩くと、湿原の入り口だ。

ゴンドラから、あと2ヶ月もすれば真っ白に表情を変えるゲレンデや、どんどん小さくなって手に取れそうな山麓を見下ろしているうちに、あやしい霧が出てきた。
この際は、多少の雨なら、行けるところまで行こう。

気軽に歩くつもりで持ってこなかったレインパンツを、前日に買い足しておいてよかった。
木道を歩き始めると、さっそく、フードを被った。

アルプス雪解けの清流を渡り、木の根っこをよけながら、水にてらてら光る石の段段を上ると、森を抜けた。
そこには、また別の湿原が広がっていて、ここを区切りに展望台までの次のステージが始まっていた。

と、入り口の出発から1時間、降ったり止んだりだった霧雨が、急に雨足を強めた。

進めば、出発地点に戻るまで、ほぼ3時間歩くことになる。
せっかく行ったなら、眺めも楽しみたい。
けれど、目指す方向は、雲に覆われている。

しばらく佇んでいても、レインウェアをバタバタと打つ雨は、おさまりそうになかった。

「よし、また来よう。」
腹を決め、もう一度湿原と山脈を見渡して引き返そうとしたとたん、雨がサァーっと上がっていった。
駆引きみたいに。

「あれま。。 それじゃあ、こっちのプチコースを回って様子を見る?」
どうやら、ちょうどそこから迂回して、少し先で本道へ合流することも、湿原を一巡りしてここへ戻ってくることもできる、気軽な周遊路があるらしい。

そんなわけでまた、軌道修正した一歩を踏み出す。

さっきよりも少し山の迫った湿原に小池が点在し、その中に丸い浮島がほんわり頭を出している。
分岐点に着いても、雨は時折パラパラと降る程度だったので、まっすぐ本道に入る。

濡れた草木が、読んだばかりの、フィリパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」に出てくる、庭の豊かな緑と重なり、そのストーリーをかみ締めているうちに、急な山道を上り詰めていた。
2020mの展望台に到着。



ベンチに腰掛け、ザックからみかんを出していると、モワーンと雲が流れて、「白馬大雪渓」が顔を覗かせた。(中央右)
20年前、その雪の脇を登り、母とスケッチした場所。

その時、後ろで休まれていた4人グループの、ひとりの女性が、
「あぁ、30年前に登った雪渓をこんな風に見られるなんて、いいものねぇ。」
と、感慨のため息をつかれた。
自然は、わたしたちの時間をはるかに越え、生き続けてるんだ。

この地域に多いオオシラビソという木が、斜面の下から伸びていて、枝には約10cmの青紫色のマツボックリが、幾つも、空に真っすぐマイクを向けるように立ち並んでいた。


そこから、もうひと踏んばりすると、ぽっかり開けた湿原の向こうに、北アルプスを望む目的地だった。



あの中間地点の、大粒の雨がウソのような晴れ間。 ふぅ~。
「ツイてたねぇ。 来てよかったなぁ。」
と言い合って、しばし深呼吸。



帰路は、ちょっと早足に、トントントンと坂を下り、湧水に触れ、池の眺めと紅葉の始まりに、足を止める。




少し行った谷側は、ちょうど森が開けていて、今まで歩いた高原全景が見渡せた。
歩き始めに通ってきた山小屋が、はるか遠く豆粒のように見える。

これだけの距離を、もし「何が何でも行かなくちゃ。」と思っていたら、雨の気配に一喜一憂し、その度気も重くなり、景色を味わうどころか、途中で息切れしないようきゅうきゅうとしていたかもしれない。

けれど、一応の目的地は定め、「行けるところまで行って、もしムリがあるようなら、また出直そう。」と、ふわっと手離していたら、ただ一歩いっぽを挑戦のように、眺望を行く先々のプレゼントのように、楽しむことができた。

そしてふと気づいたら、「こ~んなに歩いたんだぁ。」と、振り返って感心している。
きっと、受験だって願望だって、このやり方でいい。
心を行きたい場所に移して、あとは工夫しながら、ひたむきに楽しんでいれば。


また、あの行こか戻ろかの岐路にさしかかるにつれ、雨がぱらつき始めた。
どうも、覚悟を試される地点のようだ。
今度は、「あと1時間、歩ききろう。」と、ウェアと心の、襟を正す。

水をくぐりながら見るリンドウの濃い青紫が、ひと際鮮やかに映った。
往路は最短コースだけど、もう一方の新しい道を辿り、イワナの遊ぶ川を横切った。

こうして、ぐるりと廻り、とうとう豆粒だった山小屋のある、出発地点に帰り着いた。
自分も、取り囲むすべても湿っているのに、清々しい。
同じところに立っていても、もう、さっきとは何かが異なっていた。

         
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信州 つづり路 2 

2012年10月03日 | 旅行
白馬二日目の朝、窓を開けると、ベランダの前の林に水の音が響いていた。
フロント脇の掲示板には、「降水確率60%、雨時々くもり」と、書いてある。
翌日は、30%。

それなら、トレッキングは明日にしよう。

11才の年末年始、スキーに来た時も、4日間雨が降りっぱなしだった。
ホテルのお客さんは、ロビーの暖炉を囲んで新聞や本を広げ、時々窓辺に立っては、北アルプスを見上げていた。

わたしは滑るのも好きだったけれど、冷たい雨に降り込められて、みんなでワインレッドの絨毯に並ぶソファーに身を沈め、薪の弾ける音を聞きながら年を越していけることに、静かな喜びも感じていた。


両親が若い頃に利用していたこのホテルは、今から18年前に立て直され、あの暖炉もロビーからバーに移り、全体が、モダンで賢そうな面持ちになった。
けれど、その後もつい、わたしは当時の赤い三角屋根があるような気で山を上がって行き、正面玄関に面した角を曲がったとたんに、はっとしてしまう。
「そうか、新しくなったんだ」と。

この日の午前中、来たらいつもそうするように、10分ほど坂を上って、森の奥の教会へ歩いた。

扉の内側には、前日の結婚式の気配が、ひっそりと残っている。
入り口の中央に赤いカーペットが丸められ、飾り付けの白いゆりが、まだ生き生きとして、短くなったキャンドルは、ついさっきまで燃えていたように芯を焦がしている。




ほの暗い教会の中、葉を打つかすかな雨音に耳を傾けていたら、Tシャツとパーカーに、ひんやりとした空気が染み入ってきた。




外に出ると、すぐ前の木からリスが走り下り、ふさふさのしっぽを立てて、トトトトッと森の深くへかけていった。
わたしたちは、街へ下りて、おなじみの喫茶店で温まろう。

そこには、母が10年前の夏、なくなる3ヶ月前の、最後の旅行でも来ていた。
その時通された窓辺の、思いがけない山並みに心動かし、注文したお昼ごはんがくるまでの間、テーブルのペーパーナプキンにそれを写しとった。

今日は、わたしたちが一番のりのお客だったらしく、入っていくと、お店の女性が、端から順々に窓のブラインドを上げているところだった。
いつもの母娘の店員さんに加わり、三代目の小さな女の子が奥からはにかみながら出てきて、「こちらへどうぞ。」と、からだの半分もありそうなメニューを抱え、案内してくれた。

変わらない内装の、その席からは、今、額に入れ、家の居間に飾っているあの鉛筆の山と同じ風景が、晴れ間の陽射しを受けているのが見えた。


雪の日に、ソリに乗り、ホテルからゲレンデまで父に引いてもらった森の散策路。
牡蠣フライの芯が、まだちょっとあやしい温度だったレストラン。
母と好物の「若あゆ」(和菓子)を買い、車の中で分け合った、その向かいのスーパー。

夏の日に、残雪が銀色に輝く山並みを眺め、テラスでとった朝食の、目玉焼きに並んだカリカリベーコンの香ばしさ。
夜のレストランで初めて食べた、オニオングラタンスープの、とびきりの熱さ。
デザートに出されたブラマンジェのなめらかさに心つかまれ、いつか自分で作る日のためその名を突きとめようと、帰ってから何ヶ月も、スーパーでよく似たお菓子を探しては、味を確かめた謎解きの日々。

雨もようの日は、思い出の地層からも、土の匂いが立ち上ってくる。


夜、つめたい空気はまだ水気をはらんでいたけれど、露天風呂から見上げると、月が、大きなびわの木をつやつやと照らしていた。

明日は、山を登れるだろうか。


つづく

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