むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

よい 年を。

2011年12月31日 | 日記
大晦日。実家には、惜しみなく陽射しが降り注いでいます。
今、久々に腰を落ち着けてこれを書いている窓の外では、どんぐりの木の、冬のこわばった葉たちが一身に光を浴び、時々くすぐったそうにフルル。と、揺れています。

今年は、東北の震災時、東京にいて、お店から品物がなくなったり、電気や原子炉の問題を目の当たりに生活するなかで、多くを学び、考えることのできた一年でした。

津波で家族を失ったひと、建てて間もない家を流されたひと、出会った人々の話は、同時にわたしたちの身に起こった話でもあり、あらためて、今まで築いてきた大切なものを失くした時、どうしたらいいかと考えてきました。


そうして、答えはわからないままですが、わたしの場合は、やはりパンチには呆然として、しばし途方に暮れ、それでも思いつめる前によく寝ることを心がけ、また日が昇ったら話せるひとに話す。そのうち、心が静まってきたら全体の流れに耳を澄ませ、小雨が土に浸透していくように、ちょっとずつ出来事と自分の感情を受け留めていく。というパターンのある気がしました。

それから、うんとストレッチした心で聞き取ったものを行動に移していけば、大きくて動かなそうに見える壁も、なんだか少しずつ崩れていくもの。と。

ふと、そんな時支えになってくれる人のありがたさと共に思い出したのは、子供の頃、居間のカーペットを海に、その上に並べた座布団を小島に見立て、「波が荒れ狂ったとしても、このちっちゃなスペースだけは何があっても安全な場所よ」と、空想して遊んだひとときのことでした。

たいてい、夕飯の時刻がきて座布団は引き上げられましたが、その、心から「ほ~っ」とした感覚は残り、毎日の現実を元気に生きる力になっていました。

来年、わたしたちが、よき味方と、心にそんな安全地帯を持って、ちいさくてもぽこぽこと新しいものを生み出し続けられる、平和な年になればいいな。と思います。

今年、出会った人たちにありがとう。
どうぞ、あなたもよいお年を。





かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/







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それは、思わぬところに。

2011年12月16日 | 日記
12月、時がしゅわしゅわ弾けて、ソーダ水の中にいるような気分で二週間が過ぎていきました。

今日は、家中の戸棚や引き出しの‘大’整理をしていましたが、奥の方から思いがけない物がちらりちらりと出てきて、「こんなにも、よく収まっていたなぁ」と、感心。

ハンバーグの鉄板や、オムライスの型、釜飯の釜、たこ焼き器、たいやき器。。。ひっそり眠っていた彼らを取り出すと、なんだか身体の内側がこしょばゆく感じ、こんな風に、隅っこに置き忘れていたものたちと同じで、ふだん、胸の奥にしまわれてるはずのちょっとした感情も、やっぱり、時々広げて目を留めたほうがスッキリするんだろうな。と思いました。

ロールプレイの授業で、受講生のひとりがクライアントになり、身近な人になかなか言えないことをカウンセラー練習生に語っていくうち、つっかえていたものが、「ふわぁ~っ」と蒸発していく瞬間があります。

話し終わり、クライアントの役割を降りた素の彼女から笑みがこぼれると、周りでカウンセリングの様子を見守っていたわたしたちは、もう、言葉にならない何かを共有しているのを感じます。

そうやって、そばにいる人が心を入れ、相手になりきってみることで、暗がりに沈んでいた思いのかけらは、外界で分かち合われ、希望に生まれ変わる。誰もが、日々のささやかなひっかかりを当たり前のように語れて、どんなことがあっても、「まだまだ、すてたもんじゃない」と気軽に思える環境が、もっと広まったらいいなぁ。





かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/







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シンボル

2011年12月01日 | こころ
「病室の窓からね、なんとスカイツリーが見えたんだよ!」
一週間入院していた知人が退院し、とっても懐かしいものについて語るように、声を弾ませました。

かつて、母が入院していた時も、窓越しの名古屋のテレビ塔を眺めながら、いつもの元気な姿を思い、語っていたものです。


シンボル。ちからをもらえたり、その存在があるから「誇らしくあろう」と思えたり、今の自分の居場所を確かめられたりする。

はたまた、「やめたいけど、やめれない」も、やめたら自分を確認するシンボルがなくなってしまうから、本当は手放したくないのかも、しれない。

エゴ(自我)を支え、凛々とそびえるミニタワーたち。ちょっと変わりたくなったら、過去、周りから勝手に植えつけられたものは、思い切って捨ててしまうと、楽になれる。

そんなことで、自分はなくなったりしないもの。その時、怒れちゃったり、悲しくなったり、「今までなんだったんだろう。」と、こみ上げる感情は、ひとまず、「計り知れない事情があったんだ。」と、許して、手を合わせて、放ってみましょ。

それはまた、焼き払うタワーの空き地に、新しい価値を支えて、立っていてくれる人がいるからできる冒険。そんなめぐり逢いをして、コンプレックスを、「どうでもいいこと」と思えますように。





かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/







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