むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

眠れる イス

2011年11月29日 | こころ
この部屋には、一人がけの、揺れないけれどロッキングチェアのような、掛け心地のいいイスが一脚あります。家族もそうですが、はじめて遊びに来てくれた友人も、「まぁ、そこに座って寛いでて。」と案内し、お茶を淹れていると、その間に、すうすうすう。と寝息が聞こえてくるなんてこと、珍しくありません。

そんな時、わたしも、そおっと好きなことをしていると、やがて「あ、眠っちゃってた!」と、皆なぜか同じ、おどろきの覚醒をするので、それを合図にお茶を温め直します。

眠りをいざなうイスがあるように、環境は、それにふさわしいものを引き出すんでしょう。
なら、こころが変わっても、相応に見える景色も変わるんでしょう。

そんな流動的な様子を見ていると、今どんなにガーンとなったり、あくせくしても、いつも、まだその状況を肯定していく余地はあるから、極端に思いつめる必要はないよなぁ。と、思うこの頃です。





かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/







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信じて みようね。

2011年11月27日 | こころ
見えないものを信じるには、時間と、意思のちからと、感動がいるな。と思う。

先日の授業後、相談にきた女の子の話をきいていると、何年も前に人から言われたことが、今も気になり困ってるというの。

きっとみんな、どのくらい意識してるかの差はあっても、過去の傷やコンプレックスを持っているもの。
無意識に押しやって必要以上にそれを恐れたり、人のことばに地雷を踏まれてカッとなるくらいなら、今そういう傷みを抱えてる自分を、こみこみで受け入れてしまったほうが心は安らかよね。

とはいっても、かんたんに思い込みは捨てられない。それがつらい経験であればあるほど、「だいじょうぶよ~、そんなことないから~、気にしない気にしな~い」と言われたところで、響いてこないわ。

わたしたちは、安心させようといきおい、前向きな言葉をかけがちだけど、本人にとっての「気になる」という事実も、今の「気にするようなことじゃないよ。だいじょうぶ」という事実も。両方に寄り添ってほしいところよね。

ぎゅっとなった脳に抵抗し、何かに依存して紛らわすんじゃなく、温かい環境で、存在を認めてもらえる感動を注いでいく そんな毎日のリハビリで、ちくちく痛いこころの魚の目がはがれていくといいなぁ。

わたしは、教室で彼女にかけることばが尽きたので、そういう環境が周りに整うよう、帰って祈ることにしました。





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こがねいろ の こみち

2011年11月23日 | 日記
美しい景色の中を歩きました。





最近友人が引っ越した東京都立川の、昭和記念公園。
新居に遊びに行く途中に、ふわりと黄金色の祝福を浴びて、ザクザクとブーツを鳴らして。
こんな風に、手元にはたくさん宝物があることにおどろきます。

わたしたちは、それぞれに宿題を抱えて生かされながら、こうして四季の移り変わり、年中行事、人からの温かいことばや好きなひとと過ごす時間から、養分をもらってるんだなぁと、しっとり感じました。

時々、日常の思いをクリーンにして、会う人にさりげない幸福感を覚えてもらえる存在でいたいもの。
と、まだ青みの残る木の葉を一枚持ち帰りました。







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どれに しよう?

2011年11月20日 | こころ
わり切れない心で迷った時、人に相談すると、それぞれの考えが返ってくる。
きっと、どれも正しい。

自分の感じ方が、ぜったいでもないから外の声を聞いてみるけど、まるで
くじの入った抽選箱の中を手探りしているようで、どれが一等賞かわからない。

はずれを引くかもしれない。本当は、「こんなに考えてはずれか」と、がっかり
するのがこわい。引いたら引いたで、そこからヒントを得て、モードを切り替え
また次を引けばいい。相手のことを考えすぎるとわからなくなる。その時、
自分にとって最善と思えるものはあっても、みんなにとっての完璧はない。

間違っててもいい。

声は、聞いただけでからだが覚えているから、あとは、「これか」と感じた
ものをつかんでみる。

「わからない」は、こわいかもしれないけど、「こうでなくちゃ」にしがみつき、
追い込まない。道は、気づかないうちにできているから、あまり、期待を
しない、余裕のこころで。

そうして、にっこりしてみて、長い目で見て平安な気持ちになれるほうを選ん
でいく。





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どんぶらこ どんぶらこ

2011年11月17日 | 日記
大波小波に揺れているうちに時が過ぎ、気づいたら、街はもうすっかりクリスマスムードでした。

この12日間のうちに、思い出を満載した実家の車が新車と交代し、初めて自分で洗ったカーテンの洗剤の水に「どこからこんな黒さが!」とおどろき、半年前に目と目が合った、ベージュの、大きくてふわふわな犬に再会して、なでたりなめられたり、していました。

人生80年とすると、たった3万日ですから、これからますます足早に感じる年末にかけての日々を、大切に味わって生きたいと思います。


今夜は、近所の定食屋さんで、友人と「結婚してから、さらによく知る相手のこと」の話題になりました。わたしは、摂食障害専門のカウンセリングをしていますが、彼の奥さまも学生時代から今に続く症状があります。

このひととき、彼女の状況にかつての自分の思いを重ねながら、それを受け留めようとしている家族の立場で、改めて構図を見ることになりました。


人は、不安でいっぱいいっぱいになると、身近な人に救いを求め、いらいらをぶつけてしまうこともある。

でも、そんな時の外への過度な期待は、理不尽な不満バクダンになり、えてしてふくらみ、大切なはずの人になんだか責められているような負担を与え、しょんぼりさせることにつながる。それは、ざんねんなこと。

さみしさを愛情に配合しすぎたら、見えない暴力となって、相手は離れるか症状が出ることになるから。

誰がわるいわけでもない。ただ、その連鎖を断ち切ることを考えて、作戦を立ててみる。
作戦A:当事者でない誰かがそっと中に入ったら、はらはらと関係性が変わり、風通しがよくなることもある。
作戦B:しこりを自力でなんとかしようとしたら、次は思い切って放れると、そこからまた生まれるものがある。
とかとか。指針は、楽しくなるほうへ向けて。

きっと、人はみんな持ってるはずの不安や空虚感を、愛や、宗教、ペット、打ち込むもの、娯楽や快楽に、それぞれ預けているおかげで、日ごろ笑っていられるのかもしれない。そして、一番比重をかけていたものが失われた時、信じていた世界があっさり崩れ、見たことのなかった空っぽの中に放り込まれてこわくなる。でも、その悲しみの中でまた本当のものを見る。

カサカサ空気にやさしい雨を。ヒリヒリ炎症に湿った布を。
静けさの中で、ぼんやりした無をそのまま認めたら、この空白にも若葉が芽生えるでしょう。






かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/






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