むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

弾丸池の いのち たち

2011年10月29日 | 日記
夕方、アルバムを整理していたら、おととしの沖縄旅行の
写真につい手が留まりました。

その森には、「弾丸池」という丸くて黒い池がありました。
立て札によると、戦時中に落とされた弾丸のくぼ地に水が
溜まり、池になったということでした。

おどろいたことに、時刻は南国の日差しまぶしい真昼にも
かかわらず、森の中はひんやりとし、樹木に覆われた池は
黒く鎮まり、なんともただならぬ気配を放っていました。

つられて近寄り、恐るおそる足元の水面を覗いてみると、
その下には、黒々としたおたまじゃくしの大群やお腹の赤
いイモリくんたちが、ゆうゆうと泳いでいるではありませ
んか。

もう少し目線の先、池の真ん中から奥の岩縁にかけては、
大きなアメンボが、バカンスを楽しむ碇泊中のヨットみた
いに点々と佇んでいて、時々目の端で瞬間移動をしました。

「こんな、黒い池にも生命が」
弾丸がえぐった大地は、まだあとかたを残していましたが、
その後に水をたたえ、生命をたくましく育んでいる。それを
囲う森の木々、濃い陰影を包み込む沖縄の風土。

そこから続く山道を登り、青くきらめく海と白く横たわる
島を眺めて「ほーっ」と深呼吸をしてきましたが、今どの
光景も同じくらい鮮やかに心に息づいています。

争いは、消えることない大きな傷跡を残します。でも、い
つか悲しみや怒りを受け入れ、手放し、その構図を確か
めることができたら、誰がわるいという発想に留まること
なく、みんなで傷みごとひっくるめて生き続ける挑戦と工
夫をすることに、道は開ける気がしました。

ああ、もう外は弾丸池のような。。



かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/ 




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目が覚めて

2011年10月26日 | 日記
明け方の夢。

白いシチューボウルに、つやつや赤褐色のビーフシチューが盛られていた。橙色のにんじんと、ほくほくのじゃがいもと、小さなあめ色玉ねぎが顔を出してた。

湯気越しに「わぁー」と思ったところへ、左の端からクリームシチューの波がゆうっくり押し寄せてきて、「あれよ、あれよ」と、みーんなクリーム色に塗りつぶしていった。そこで目が覚めて、ポカンと無常。

でも、ちょっとずつ頭が冴えてきて、「まあ、いいか」と思う。何かが終わる時、変わる時、さみしさを感じるけれど、クリームシチューだっておいしいかもしれない。それに、下地にはビーフのコクだもの。


最近、友人の大切にしていた柴犬が長寿をまっとうしたり、身近に引越しが続いているから、そういう夢を見たのかもしれない。

そこから何が作れるかな。

不安は、じぃーっと見つめないで、箱にしまって。
悲しみは、お日さまに干してパンパンパン、はたいて。
ハチが飛び込んできたら、虫かごに入れて、蜜をふるまって送り出してあげたい。


もうすぐ、夜の街にはイルミネーションが灯る。
そうだ、淡紅の鮭でも見繕ってクリームシチューを作ろうか。



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まわり道

2011年10月14日 | 日記
秋空高く浮かぶ色とりどりの気球、黄金色の田んぼのあぜ道に群集する彼岸花の紅、陽射しを透かせほんのり色づき始めているもみじ。週末出かけた鈍行列車の車窓には、山里の秋がゆっくり移ろっていきました。

湿原の板道をどれだけ歩いた頃か、到着した山頂の休憩所で、温かい湧き水コーヒーをいただきました。出番も近そうな薪ストーブを囲む木机で、パキンと割り箸を割っている男性の前には、受け取ったばかりのぜんざいのお椀から湯気が立っています。

ふと正面の格子窓に目を移すと、その向こうには、風になびくススキとうっすら波立つ湖面が、まるで絵画のように広がっています。と、ガラスの手前に小さな黒い蝶が留まっていて、次の瞬間パタパタとジャンプしました。羽の端には、ビーズの飾りのような白い点々が添えられています。思わず、開けられるものなら開けて出してあげたくなりましたが、あいにくその窓は、はめ込み式。

日が暮れて部屋に灯りがともったら、目の前の景色から離れて電灯の方へ行くかしら。そしたら朝が来た時、今度は後ろで開け放たれている入り口の方へ飛んでいったらいいんだけど。明日じゃなかったら、明後日でも、しあさってでも。同じ入り口からまた外へ踏み出す時、そう願って、いくつもの帽子に見え隠れする窓を振り返りました。

まだ日は高いけれど、風はさっきよりひんやりしたようで、途中でリュックにしまったストールをもう一度取り出して巻きました。

下りの山道には、登山者たちの身につけた熊よけの鈴が、チリンポロンと響き合っていました。



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てくてく旅

2011年10月08日 | 日記
今日は、「鉄道と道」を愛する男友達と電話をしていて、ちょっと発見がありました。

おととい、東京の中央線で電車が止まり、わたしは40分くらい遅れて帰宅しました。こんな時、各駅停車に乗り換えたり経由を変えても、結局遅れた電車と到着時刻はあまり変わらなかった過去の経験から、今や東京都内ならじっと本でも読んで待つことにしています。

ところが、休日ごとにバイクや電車で日本を駆け巡ることが趣味の彼は、「自分なら、待つことが苦手だから、かえって遅くなったとしても、迂回するか夜ならその駅の側で泊まる」というのです。

「へぇ~」
効率優先になっていた思考回路が揺らぎました。

さらに、「高速道路と下道なら、時間がかかっても急ぎじゃなければ下道で行く」と言い切られ、そういえば、わたしも街や人の生活、風景を眺められるほうが好きだけど、早いほうがスマート(?)な気がしていたかも。と、忘れかけていた、かつての面白きバックパッカーの日々を思い出しました。

最初、タイやインドに行った時、喧騒とおんぼろさと適当さに「何これ。とてもじゃないけど合わないわ」とおどろきましたが、その街中を楽しそうに歩く友人についていくうち、「飾らない素朴さが意外といいかも」と馴染んでいる新たな自分を見つけました。

長く同じことを続けていると、それがよくもわるくも当然と固まりがち。さっそく明日の日曜日、一度行ってみたいと思っていた尾瀬に、特急を使わない小旅行に出てみることにしました。栗ごはんのお弁当を作って、始発列車で早起きです。



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まっすぐ自分を生きるだけ

2011年10月07日 | 日記
強い立場、自分にリスクのない立場では、相手の気持ちを考えない発言がこの世になんと多く溢れていることか。

強い弱い、上下、そんなことに関係なく、自分の佇まいに、対等でブレない一本の軸があると美しい。

権利や力に安寧し、たとえ当事者のいないところでも、感情をそのままぶつける発言をするのは品性がない。言っている本人が、本当は知らないところで一番痛手を負っている。

この世は清濁併せ持つところだからしょうがないけれど、できるだけ、そういうものに混じりたくない。

できることは、雑音に耳を貸さず、ただ自分の信じる道を生きること。



かうんせりんぐ かふぇ さやん     HP 




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