むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

湯日城(静岡県)

2022年03月29日 | 百名城以外の城
湯日城ゆひじょう
別名養勝寺城
構造山城
築城者不明
築城年代1469~1487年(文明年間)
指定史跡
場所静岡県島田市湯日 地図

湯日城は、付近を支配した土豪の居城であったと推定されますが
これより西方の勝間田郷の領主である勝間田氏が築いた城とも考えられ、
推定の域は脱しないため築城主は不明です。
後に武田氏の手が入り馬出や三日月堀が造られていたとされています。



案内看板

城址でない場所にある案内看板。
知らなければ見落としてしまいそうです。



近年、みかん園に造成された際に多くの遺構は消滅したとされ
名残が見られるかなと近づいてみたものの、
ソーラーのあるかつて入り口まで行って、入ることが出来ず断念。


遺構もあまり期待できないので、ここは深追いせず終了。
写真を撮りそびれたましたが、戻ることなく後にしました。


令和4年3月27日登城


今回の参考本



岡田館(福島県)

2022年03月21日 | 陣屋・館
岡田館おかだだて
別名
構造平山城
築城者岡田胤盛
築城時期1334年(建武元年)
指定史跡
場所福島県南相馬市小高区岡田 地図

岡田館は、南北朝時代に岡田胤盛によって築かれたと伝わります。
岡田胤盛は、相馬重胤と共に下総から原町あたりに移り、以後相馬中村へ移るまで
岡田氏代々の館とされていました。



丘の上にこんもりとした林がある場所に岡田館がありました。
岡田館とされる場所は、初発神社の境内の平地に在りました。
北ノ内と地図にあるので、ここから攻めてみることにしました。


土塁

北ノ内から見上げた土塁。


北ノ内

北の内と呼ばれる主郭の北の外郭から境内へと続く小道を進みます。


境内

何やらロープが張られています。
参道は通れないということか?



ありゃ、参道側へ行けないぞ!


立入禁止看板

立ち入り禁止の看板がありました。
どうやら地震で灯篭がズレたりして危険なようです。



階段の手すりは単管パイプで出来てます。
工事中なのでしょうか。
正面から来ていたら詰んでたかも…。


拝殿

こちらも地震で崩れた所を修築したみたいですね。


石扁額

旧陸奥中村藩主の相馬子爵家第30代当主相馬順胤の謹書なのでしょうか。
「順胤」と読めるので調べたのですが大正時代のものであればこの方か書かれたものではないかと。


土塁と石垣

神社西側を防御する土塁。
底辺には石を積んで補強しています。



東側、一段下がっている郭。
参道の階段を使わずにここから参道方面に行けそうなので
もう少し散策しようと思います。



神社入口の階段が見えます。
簡易的な手摺も付いて行けそうな気がしますがロープもあったことなので
ここから見るだけにしておきます。



しかし、振り返って参道入口の方を見ると…。
ゾッとする光景が



やかり、正面参道入口から攻めて来ると通行止めになってました。



こうして見るとそれっぽい🤨


石の鳥居が崩れているとは想像もせず、たまたま北東から登城したので
鳥居が崩れている現場を見た時は結構ショックを受けました。
まだまだ震災の爪痕がしっかり残っているものなのですね。


令和3年10月31日訪問





村上城(福島県)

2022年03月19日 | 百名城以外の城
村上城むらかみじょう
別名
構造平山城
築城者相馬義胤
築城時期1596年(慶長元年)
指定史跡市指定史跡
場所福島県南相馬市小高区村上舘腰 地図

村上城は、慶長元年に相馬藩主十六代相馬義胤が城を築こうと定めた城です。
堀や土塁を築いて御殿を築こうとした際に火災が起こり、材木が焼けてしまいました。
不吉に思った義胤は、別の場所に新たな城を築く決意をして
慶長二年、小高城から新たに改修した牛越城へと移りました。
村上城は完成を見ないままに今に至っています。




島のような小高い丘が見えて来ました。
どうやらあそこが目指している村上城のようです。



海岸に突き当たりました。
まだ車で登れそうなので、更に先へ。


井戸

海側からの道を登り始め間もなく右手に見えたのは井戸。
「こんなところに井戸がある!」
が、しかし縄張図に載っているものではないので古くからあるものなのかわからない…。
石を見ると、新しい時代のもののようだし。



登り切って広場に出ました。
津波に対しての一次避難所になっているようです。
高台になっているので安全が確保されているようにもみえるのですが
海が近すぎて逆に怖いような気もします。



とても広い台地です。
火災が起きなければ、完成したであろう御殿はどんなだったのだろう。


鳥居と灯篭

東日本大震災で破壊された鳥居と灯篭は10年の歳月を経て新しく造り直されています。


石碑と案内看板

昭和41年3月31日に相馬市の指定文化財となっています。


古支王社

武の神と伝わります。


貴布根神社

4月には春祭りで県指定重要無形民俗文化財とされる「田植踊」が奉納されます。
この「田植踊」は南北朝時代から豊作を願い、女性が田植えの様子を踊り、神様に奉納するという。
※平成27年3月31日の県指定重要無形民俗文化財登録を基に書いています。


君碑

故中川藤太郎君碑
故牛渡巻之進君碑
このお二方は何をされた方なのでしょう。



倒れたままの石像や石碑?祠などが並んでいる小屋があります。


土塁

低めの土塁が見えるのですが、確かに何か生成したような雰囲気があります。



ここから北側へ下る参道が続きます。
この先が桝形とみられる虎口があります。



北の参道は台風の影響なのか倒木で道が塞がれた状態です。
なんとか倒木を跨いで進むことは出来ますがこのまま降りて引き返して来るのもイヤなので
この先で途中の郭を見て引き返しました。




途中にある郭と思われる空間です。
北側の参道を下り始めたところで、「ゴゴォー」と音がしています。
飛行機?とも思ったのですが、海が近いので波の音が響いていたようです。
薄暗い林の中で普段聞き慣れない波の音はちょっぴり怖かったです。


村上慰霊碑

村上の出来事を後世に残そうと建設された、東日本大震災の犠牲者の名前が刻まれた
慰霊碑の前で手を合わせて来ました。


令和4年3月16日深夜、またもや震度7の大きな地震が起きました。
状況確認出来ていませんが、村上城本丸にある鳥居は完成して2年でまた壊れてしまっていないか心配です。


令和3年10月31日登城


今回の参考本



奥州街道

2022年03月14日 | 関所・宿場
起点:日本橋(にほんばし)

🍡千住宿(せんじゅ)

🍡草加宿(そうか)

🍡越谷宿(こしがや)

🍡粕壁宿(かすかべ)

🍡杉戸宿(すぎと)

🍡幸手宿(さって)

🍡栗橋宿(くりはし)

🍡中田宿(なかだ)

🍡古河宿(こが)

🍡野木宿(のぎ)

🍡間々田宿(ままだ)

🍡小山宿(おやま)

🍡新田宿(しんでん)

🍡小金井宿(こがねい)

🍡石橋宿(いしばし)

🍡雀宮宿(すずめのみや)

🍡宇都宮宿(うつのみや)

🍡白沢宿(しらさわ)

🍡氏家宿(うじいえ)

🍡喜連川宿(きつれがわ)

🍡佐久山塾(さくやま)

🍡大田原宿(おおたわら)

🍡鍋掛塾(なべかけ)

🍡越堀宿(こしぼり)

🍡芦野宿(あしの)

🍡白坂宿(しらさか)

🍡白河宿(しらかわ)

終点:白河(しらかわ)

甲州街道

2022年03月14日 | 関所・宿場
起点:日本橋(にほんばし)

🍡内藤新宿(ないとうしんじゅく)

🍡高井戸宿(たかいど)

🍡布田五ヶ宿(ふたごか)

🍡府中宿(ふちゅう)

🍡日野宿(ひの)

🍡八王子宿(はちおうじ)
 🏯滝山城

🍡駒木野宿(こまきの)

🍡小仏宿(こぼとけ)

🍡小原宿(こはら)

🍡与瀬宿(よせ)

🍡吉野宿(よしの)

🍡関野宿(せきの)

🍡上野原宿(うえのはら)

🍡鶴川宿(つるかわ)

🍡野田尻宿(のだじり)

🍡犬目宿(いぬめ)

🍡鳥沢宿(とりさわ)

🍡猿橋宿(さるはし)

🍡駒橋宿(こまはし)

🍡大月宿(おおつき)

🍡花咲宿(はなさき)

🍡初狩宿(はつかり)

🍡白野宿(しらの)

🍡阿弥陀街道宿(あみだかいどう)

🍡黒野田宿(くろのだ)

🍡駒飼宿(こまかい)

🍡鶴瀬宿(つるせ)

🍡勝沼宿(かつぬま)

🍡栗原宿(くりはら)

🍡石和宿(いさわ)

🍡甲府柳町宿(こうふやなぎまち)
 🏯甲府城

🍡韮崎宿(にらさき)

🍡台ヶ原宿(だいがはら)

🍡教来石宿(きょうらいし)

🍡蔦木宿(つたき)

🍡金沢宿(かなざわ)

🍡上諏訪宿(かみすわ)
 🏯高島城

終点:下諏訪(しもすわ)

福岡城(埼玉県)

2022年03月12日 | 百名城以外の城
福岡城ふくおかじょう
別名城山
構造平城
築城者不明
築城年代室町時代
指定史跡
場所埼玉県ふじみ野市福岡173 地図

河川改修により河岸川の中間に位置する福岡城は、
後北条氏の家臣富永善左衛門が旧福岡村一帯を所領しており、
居館があったと推定されています。



駐車場

下福岡城山公園に駐車場が設置されているのでこちらに駐車して
いざ、散策!


案内看板

入口には二枚の案内看板が設置されています。
こちらは城山遺跡の看板です。
周囲には城館に纏わる地名も残っており、伝承ではありますが
館があったことが想像できます。



周辺の歴史さんぽ案内の看板です。


下福岡城山公園

シンプルで整備された公園です。
しばらく見ていると、子供たちは遊んでいませんでしたが、
さんぽやジョギング途中に寄る人はいるようです。



手前に見える杭(標柱)と奥の白いフェンス手前の杭(標柱)を直線で結ぶと
堀の跡があった位置が特定できます。



平成17年に公園を造るにあたり、発掘調査が行われた際に
北から東へL字に屈曲した幅12mの堀がみつかっています。
埋め戻した際に杭(標柱)で示して位置がわかるような仕組みになっています。


堀跡の図

公園の中に、このような形で堀が見つかったということがわかります。



周囲を見回しても平坦で館跡を思わせる風景は見られません。
しかし、堀跡が見つかったということは田んぼの下には居館跡が眠っているのかもしれません。


令和4年2月27日登城


今回の参考本