【中館】なかだて
【別名】江垂館・中館古城
【構造】平山城
【築城者】桑折元家
【築城年代】南北朝時代
【指定史跡】ー
【場所】福島県南相馬市鹿島区江垂中舘 地図
中館は、南北朝時代に桑折元家が移り住み真野氏を称していました。
1542年(天分11年)相馬領内の反乱により中館に本陣を構え、反乱を抑えました。
この時城の修築とともに岡田堀切や大井堀切などを構築しています。
その後、真野氏は約2kmほど北に田中城を築き、田中城へ移ると中館は廃城となりました。
日吉神社参道
日吉神社を目指してやって来ました。
神社の参道があろいますが、横着者なので境内の方まで
車で移動してしまます。
日吉神社の境内近くまで来ると駐車場に車を停めて、
周囲を散策することに。
日吉神社
先ずは神社へご挨拶。
日吉神社は、陸奥国司北畠顕家が籠った霊山城落城の際、桑折五郎元家が
霊山城の守護神「山王大権現」と「熊野権現」を奉じて逃れ、この地に安置しました。
それが今の日吉神社になります。
この地に落ち延びる際に、主従7人と他に6人で七福神に扮して
「宝財獅子踊」を踊りながらこの地へやって来たと伝わります。
この踊りは、町指定無形民俗文化財として今でも大切に伝えられています。
日吉神社の大杉
境内には樹齢800年と推定される山王大杉があります。
実際は見てのとおり、樹齢800年よりはだいぶ若い感じがします。
とは言え、御神木なだけに貫録のある大きな杉の木です。
土塁
中館と北館の間にある空堀と土塁です。
北館
北館は広く、平で周囲には土塁が残っています。
土塁
二の郭と三の郭との間にある境目です。
案内看板
さて帰ろうと思っていたところに、看板発見!
あやうく見落とすところでした。
本来の縄張は土塁はもっと高く、堀はもっと深く段差のある造りであったのでしょう。
農地や宅地として使いやすく造り替えられていると思われるので、
自然な地形に見えて、ちょっと縄張が想像しずらかったです。
令和3年10月31日訪問
【別名】江垂館・中館古城
【構造】平山城
【築城者】桑折元家
【築城年代】南北朝時代
【指定史跡】ー
【場所】福島県南相馬市鹿島区江垂中舘 地図
中館は、南北朝時代に桑折元家が移り住み真野氏を称していました。
1542年(天分11年)相馬領内の反乱により中館に本陣を構え、反乱を抑えました。
この時城の修築とともに岡田堀切や大井堀切などを構築しています。
その後、真野氏は約2kmほど北に田中城を築き、田中城へ移ると中館は廃城となりました。
日吉神社参道
日吉神社を目指してやって来ました。
神社の参道があろいますが、横着者なので境内の方まで
車で移動してしまます。
日吉神社の境内近くまで来ると駐車場に車を停めて、
周囲を散策することに。
日吉神社
先ずは神社へご挨拶。
日吉神社は、陸奥国司北畠顕家が籠った霊山城落城の際、桑折五郎元家が
霊山城の守護神「山王大権現」と「熊野権現」を奉じて逃れ、この地に安置しました。
それが今の日吉神社になります。
この地に落ち延びる際に、主従7人と他に6人で七福神に扮して
「宝財獅子踊」を踊りながらこの地へやって来たと伝わります。
この踊りは、町指定無形民俗文化財として今でも大切に伝えられています。
日吉神社の大杉
境内には樹齢800年と推定される山王大杉があります。
実際は見てのとおり、樹齢800年よりはだいぶ若い感じがします。
とは言え、御神木なだけに貫録のある大きな杉の木です。
土塁
中館と北館の間にある空堀と土塁です。
北館
北館は広く、平で周囲には土塁が残っています。
土塁
二の郭と三の郭との間にある境目です。
案内看板
さて帰ろうと思っていたところに、看板発見!
あやうく見落とすところでした。
本来の縄張は土塁はもっと高く、堀はもっと深く段差のある造りであったのでしょう。
農地や宅地として使いやすく造り替えられていると思われるので、
自然な地形に見えて、ちょっと縄張が想像しずらかったです。
令和3年10月31日訪問