【尾引城】おびきじょう
【別名】尾引古城・横尾城・三日城
【構造】山城
【築城者】横尾采女正
【築城年代】不明
【指定史跡】市指定史跡
【場所】長野県上田市真田町長横尾 地図
尾引城は、横尾城または三日城とも呼ばれ横尾来女正の城と伝わります。
横尾氏は1400年(応永7年)の大塔合戦に真田氏、曲尾氏と共に参戦していたことが
記録されています。
しかし、1548年(天文17年)に横尾氏が上田合戦で討ち死にすると、
尾引城は、後この辺りを支配した真田氏の支城となりました。
登城口となる入り口に案内看板があります。
ちなみに駐車場はありません。
案内看板
案内看板には縄張図もしるされているので
ここで縄張りを確認して、いざ出発です!
主郭にある秋葉社への参道ともなっている大手道。
入口も分かりやすく、ひたすら登るのみ!
まず目についた、畑にも使われている石垣。
このような石積が、この先段郭にも見られることもあり、
どこまでが当時のものか判別が出来ません。
ベンチ
ひたすら登っていると、そろそろ疲れた~と思っているところへ
眺めの良い位置にベンチが設置されています。
段郭と石積
こちらの斜面は多数の段郭が築かれています。
先程小休止したベンチのある場所も段郭が利用されています。
鳥居
ようやく、鳥居が見えました。
この上が主郭です。
主郭虎口
主郭虎口から見る秋葉社と、手前に見える盛土が見られます。
案内看板
この図にも記されているように、正面には真田氏本城や天白城が見えます。
そして根小屋城、砥石城・米山城まで見えて、目の前は山城だらけ。
ちなみに、途中の腰郭から富士山も拝めます。
秋葉社
建物奥に秋葉社が鎮座しています。
いつものように、まずはお参りして散策します。
土俵
この土盛は何だろう?と思っていたのですが宮坂氏の「信濃の山城と館」によると
土俵とされています。
ここで相撲を奉納したとの説もあるようです。
主郭から一段下がった腰郭から秋葉社の背後に回ることが出来ます。
そこから搦手方面へと進みます。
秋葉社への道は歩きやすくなっていましたが、ここからは少し足元が悪くなります。
夏場は藪になっていそうです。
虎口
かつては遊歩道になっていたのかなという感じですが
崩れかけ、道も狭く、落ち葉で埋もれ歩きずらくなっています。
虎口と書かれた標柱があるものの、どこのことを指しているのか…よくわからない。
二重堀切
秋葉社の背後には、この城跡での見所のひとつ三重の堀切があります。
しかし、ここの標柱には二重堀と記されています。
白ペンで横棒を一本書き足したくなりました^_^;(そういう悪戯はしてはいけません)
堀切
少し歩くとまた堀切の標柱があります。
ここは単独で一筋あったようですが、かなり浅くなってしまいます。
尾根上をしばらく歩きます。
良い感じの道が続きます。
副郭が見えて来ました。
遊歩道らしく手入れがされています。
土塁
ちょっとした高まりに低い土塁が残る、かなり小振りな郭があります。
城域はここまでで、搦手の最初の守りはこの郭と堀切となります。
堀切
副郭の北側の防御として切られた堀切です。
その後も北へと尾根道は続きます。
分岐点へやって来ました。
更北へ進んで行くと、尾引城の水の手方面と、長尾城へと続く道の分岐点に到着します。
本日は長尾城へは向かわず、このまま尾引城の東下の水の手方面へ。
大手側から登るより、こちらの搦手側から登る方が体力は消耗しません。
じめっとしたこの辺りのどこかに水の手があったのでしょうか。
水の出ている場所は今回特定出来ませんでしたが、湿り気のある場所です。
車でここまで来ることも出来るので長尾城への登城の際は、またここへ
来ることになりそうです。
水の手の特定はそれまでの宿題とします。
南側は傾斜に腰郭群、北側は堀切での防御が施された古い時代の分かりやすい格好の縄張です。
主郭からの眺め、尾根道の風景がさんぽするのにとても気持ちが良く、
引き返すことを忘れるほど先へ先へと歩きたくなりました。
登城口にある案内版のように1週すると良い運動になります。
令和2年12月6日登城
今回の参考本
【別名】尾引古城・横尾城・三日城
【構造】山城
【築城者】横尾采女正
【築城年代】不明
【指定史跡】市指定史跡
【場所】長野県上田市真田町長横尾 地図
尾引城は、横尾城または三日城とも呼ばれ横尾来女正の城と伝わります。
横尾氏は1400年(応永7年)の大塔合戦に真田氏、曲尾氏と共に参戦していたことが
記録されています。
しかし、1548年(天文17年)に横尾氏が上田合戦で討ち死にすると、
尾引城は、後この辺りを支配した真田氏の支城となりました。
登城口となる入り口に案内看板があります。
ちなみに駐車場はありません。
案内看板
案内看板には縄張図もしるされているので
ここで縄張りを確認して、いざ出発です!
主郭にある秋葉社への参道ともなっている大手道。
入口も分かりやすく、ひたすら登るのみ!
まず目についた、畑にも使われている石垣。
このような石積が、この先段郭にも見られることもあり、
どこまでが当時のものか判別が出来ません。
ベンチ
ひたすら登っていると、そろそろ疲れた~と思っているところへ
眺めの良い位置にベンチが設置されています。
段郭と石積
こちらの斜面は多数の段郭が築かれています。
先程小休止したベンチのある場所も段郭が利用されています。
鳥居
ようやく、鳥居が見えました。
この上が主郭です。
主郭虎口
主郭虎口から見る秋葉社と、手前に見える盛土が見られます。
案内看板
この図にも記されているように、正面には真田氏本城や天白城が見えます。
そして根小屋城、砥石城・米山城まで見えて、目の前は山城だらけ。
ちなみに、途中の腰郭から富士山も拝めます。
秋葉社
建物奥に秋葉社が鎮座しています。
いつものように、まずはお参りして散策します。
土俵
この土盛は何だろう?と思っていたのですが宮坂氏の「信濃の山城と館」によると
土俵とされています。
ここで相撲を奉納したとの説もあるようです。
主郭から一段下がった腰郭から秋葉社の背後に回ることが出来ます。
そこから搦手方面へと進みます。
秋葉社への道は歩きやすくなっていましたが、ここからは少し足元が悪くなります。
夏場は藪になっていそうです。
虎口
かつては遊歩道になっていたのかなという感じですが
崩れかけ、道も狭く、落ち葉で埋もれ歩きずらくなっています。
虎口と書かれた標柱があるものの、どこのことを指しているのか…よくわからない。
二重堀切
秋葉社の背後には、この城跡での見所のひとつ三重の堀切があります。
しかし、ここの標柱には二重堀と記されています。
白ペンで横棒を一本書き足したくなりました^_^;(そういう悪戯はしてはいけません)
堀切
少し歩くとまた堀切の標柱があります。
ここは単独で一筋あったようですが、かなり浅くなってしまいます。
尾根上をしばらく歩きます。
良い感じの道が続きます。
副郭が見えて来ました。
遊歩道らしく手入れがされています。
土塁
ちょっとした高まりに低い土塁が残る、かなり小振りな郭があります。
城域はここまでで、搦手の最初の守りはこの郭と堀切となります。
堀切
副郭の北側の防御として切られた堀切です。
その後も北へと尾根道は続きます。
分岐点へやって来ました。
更北へ進んで行くと、尾引城の水の手方面と、長尾城へと続く道の分岐点に到着します。
本日は長尾城へは向かわず、このまま尾引城の東下の水の手方面へ。
大手側から登るより、こちらの搦手側から登る方が体力は消耗しません。
じめっとしたこの辺りのどこかに水の手があったのでしょうか。
水の出ている場所は今回特定出来ませんでしたが、湿り気のある場所です。
車でここまで来ることも出来るので長尾城への登城の際は、またここへ
来ることになりそうです。
水の手の特定はそれまでの宿題とします。
南側は傾斜に腰郭群、北側は堀切での防御が施された古い時代の分かりやすい格好の縄張です。
主郭からの眺め、尾根道の風景がさんぽするのにとても気持ちが良く、
引き返すことを忘れるほど先へ先へと歩きたくなりました。
登城口にある案内版のように1週すると良い運動になります。
令和2年12月6日登城
今回の参考本