むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

三方ヶ原古戦場(静岡県)

2020年12月31日 | 古戦場
三方ヶ原古戦場みかたがはらこせんじょう
別名味方ヶ原の戦い
構造古戦場
合戦者武田信玄VS徳川家康
合戦年代1572年(元亀3年)
指定史跡
場所静岡県浜松市北区根洗町 地図

三方原の戦いは1572年に武田信玄が3万の軍勢を動員し、青崩峠・兵越峠から遠江に侵攻し、
二俣城を降伏させたあとに発生した武田信玄と徳川家康との合戦です。
この戦いで徳川家康は大敗し、その後の家康の人生観に大きく影響した戦いとして知られています。
三方ヶ原戦いの後、家康が戒めとして「しかみ像」という
自画像を描かせた有名なエピソードが伝わります。



三方原墓園

国道257号線沿いにある三方原墓園に古戦場の碑があります。
ここには駐車場やトイレもあるので立ち寄りやすい場所です。



井伊谷城へ向って車を走らせていたらこの看板が目に飛び込んで来ました。
テレビで見た覚えのある光景だったので慌ててUターンをして見に来ました。


案内看板

織田の援軍とここで武田軍を迎え撃つはずでしたが、
この戦いで徳川軍は約2000人もの死者を出しています。


古戦場拡大図

武田軍は3つに分かれて進軍しているのですが、甲府を出発した武田信玄と
武節城長篠城を攻略した山県昌景と、高遠城を出発し岩村城を攻略した秋山虎繁の軍で
徳川家康の軍を追い詰めて、徳川軍は多くの戦死者を出して浜松城へ敗走しています。


三方原古戦場碑

ここが主戦場になったという特定はされていないのですが、ここ三ヶ方原での戦いがあったことを
後世にも伝えるために碑が建っています。
また、この辺りの地名には家康のいろいろな逸話がありそれを探るのも楽しいです。
ぜひ、地名に注目してみてみてください。


この日はものすごい蝉が発生していて、辺りは蝉の抜け殻だらけ。
車のエンジン音より大きい鳴き声でそれがとても印象に残る場所でした。
古戦場が墓地となっているのも、手を合わせるのにふさわしい場所になっているのが
多くの死者へのせめてもの弔いになるのかなと思う古戦場跡でした。

平成29年7月22日訪問





山口小城(長野県)

2020年12月31日 | 百名城以外の城
山口小城やまぐちこじょう
別名山口古城・家老城
構造山城
築城者岩井氏
築城年代不明
指定史跡
場所長野県飯山市旭 地図

山口小城は、山口城の前進の山城と思われ、山口城とは近距離にありながら独立しています。
家老らの居城とも伝わることから家老城とも呼ばれ、
三段の平場と深い堀切から構成されています。
また、これより南の山口城との間には、御屋敷と馬場が残っています。




山口城の北東に山口城の前進ともなる、山口小城(古城)があります。
まずは北の三の郭側から攻めてみようと思います。



分岐を城側に侵入してみると、道路はこの先5m程で終了しています。
ここで車を置いて徒歩とします。



倒木を潜って、早速の堀切内にやって来ました。
この斜面のどこかに本来の道があるはずですが…。
みつからないので心の目でなんとかよじ登ってみました。


堀切

斜面をなんとか登ってみると、そこには先ほどとは違って幅の狭い堀切登場!



いい感じの堀切に喜び


大堀切

先程の堀切を更に登ってみると、目の前には恐ろしいほどの深い大堀切が行く手を阻みます!
降りられる場所はないかと、しばらく散策してみたものの、傾斜はキツいうえに
道も落ち葉や、台風の影響か、ここもあるはずの道は見つかりません。


三の郭

大堀切の向こうには、三の郭が見えています。
あっちに行きたいのになあ。
実際に行ってみるとわかるのですが、この堀切は「急勾配+深い」の堅固な堀切なのです。
これには参りました



搦手側から攻め入ることは断念して、南の大手側へ行ってみたいと思います。
最初から大手側から登れば良かったのに…とも思われますが、三の郭の大堀切の迫力は最高だったので
悔いはありません!



さて、居館跡と思われる畑にやって来ました。
二の郭の真下、馬入れに車を置いて入口を探します。


居館跡

居館跡と推定される畑です。



城側を見ても、大手道らしきものがみつかりません。
それでもよ~く見ると、誰か?獣?が登ったのか?と思われる急斜面に取り着いた跡が見えて来ました。
この写真のどこか、皆さんおわかりでしょうか?(行った人は解りますよね)


登城口

ここしかないよなあ。
入口がこれだから、登った先は残念な状態が予想される…。
どうしようかなあと迷いつつも、やっぱり登ってしまいました。



写真ではわかりずらいですが、落ち葉で滑るし、道は狭いし、ちょっと泣きそう



左は足を滑らせたら、先ほどの道路まで止まることなく落ちてしまいます。
道沿いに、捕まるものが無いのがめちゃくちゃ怖い。
行きはまだ良いのですが、帰りが心配です。
ここからは、足軽兵を導入!
私は転がり落ちかねないのでここで座って待つことに。



うっすらとしか残っていない小道。
とにかく落ち葉が滑ります。
※ここからは足軽兵の代弁

主郭虎口

主郭の虎口に到着しました。
平地が見えたら一安心。


主郭

鳥居替わりに御神木と、その奥に石祠が祀られています。


石祠

いつ頃の石祠かわかりませんが、ちゃんと祀られているところをみると
地元の方が訪れていることがわかります。


三の郭

眼下には三の郭が見えます。
先程大堀切の対岸で見た場所です。


土塁

南側と北西側の二か所に残る低い土塁。
北側からの攻撃の備えは三条の堀切と、土塁でかなり用心している様子が見て取れます。


二の郭

南向きの眼下にある二の郭。
北側の三の郭と規模は違うものの、同じような造りになっています。



道沿いに掴まる木が無いので、いよいよ自前のロープで下ることに。
落ち葉がとにかく滑るので、何かあってからでは遅いので、ここは安全第一で下ることにしました。


物見

南に下った先端に突き出た物見状のスペースがあり、ここに見張りを置いていたのではないかと想像します。
また、この虎口部分には崩れているのですが石積が見られます。
階段状になっていたのか、入口の両脇を石垣で固めていたのかは不明ですが
何かしらの手が加えられていたように思われます。


御屋敷

山口城、山口小城の間にある御屋敷と馬場にやって来ました。
道路から一段小高い楕円形の畑が御屋敷です。



平地で日当たりも良く、眺めも良いという立地です。
南側の先、一段下に馬場があります。


馬場入口

御屋敷の西側に御屋敷の虎口と馬場への入り口があります。


虎口

馬場の入り口側からは、かつて御屋敷の入り口に桝形虎口があったようですが…
しばし上下から探してみたのですが、それらしき跡はみつけることは出来ませんでした。
写真のこの場所に、本来は桝形虎口あったよですが、ご覧の通りです。


馬場

馬場も畑になっています。
こちらの畑は現役のようなので奥まで侵入するのは遠慮しておきます。



左が山口城、中央が御屋敷・馬場、右手が山口小城と、3ポイントが
ここから眺められます。(ん?入りきってないか


野沢菜

国道117号線沿いの歩道には、花壇?に花ではなく野沢菜が植えられていました。
さすが産地ですね。


山口城、山口小城、御屋敷・馬場を三角に巡ってひとつの歴史が見えて来る。
当初は山口城の視察のつもりでしたが現地での位置関係を見て、
やはりこの3ポイントはセットで巡らなければと思いました。
山口城は気軽に行く事ができますが、山口小城はちょっと難儀しますので
覚悟して挑むべし!(滑り落ちないでね)
でも山口小城の三の郭の大堀切は、戦国時代の本来の堀切の姿を見たような気がします。
深さ、急斜面ともにとても見事なので、これは必見の堀切です。


令和2年11月22日登城


今回の参考本




山口城(長野県)

2020年12月26日 | 百名城以外の城
山口城やまぐちじょう
別名
構造山城
築城者岩井直信
築城年代1504年ー1520年(永正年間)
指定史跡市指定史跡
場所長野県飯山市旭 地図

飯山地方では最大規模の山城で、飯山城の背後を固め、
越後口の押えに適した立地上に築かれた岩井氏の城です。
飯山地方は武田氏、織田氏が相次いで滅びると上杉景勝の支配下となり
それ以降、岩井信能が山口城、小城の両城の警衛を任され整備にあたりました。
また、本城の東北麓には小城(古城)と、さらにその南方には御屋敷や馬場が残されています。



登り口

旭地区山口組にある山口城址登り口です。
ここから先、城址まで案内の石柱を頼りに行き着くようになっています。


石柱

このような石柱が道しるべとなって、分かれ道に置かれています。


入山禁止看板

山口城址が飯山市指定文化財に指定されたことにより文化財保護のため
山口城址の見学、参拝、学習等の目的以外での入山を禁止した看板が立てられています。



このコーナー抜けたストレート途中までは舗装路になっています。
車1台分の幅の道なのですれ違いの場合は場所を探しながら通過します。
この日は、地元の方々が冬支度のため?道路の整備などをされていたので
すれ違うために、少し広い場所をみつけて待機していました。


案内看板

すれ違い待機中に山登り用に靴を履き替えたり、服装を整えて地元の方へ挨拶に向かいました。
この先にある山口城のことを聞こうと思い話しかけると、偶然にも山口城の整備に行っていた方でした。
この日は、雪に備えて案内看板の回収に来られていたそうです。
ということで、軽トラで運ばれていく途中の看板を見せて頂くことになりました。
慌てて、カメラを持って駆け寄り看板の写真を撮らせて頂きました。
対応して頂けて感謝!感激❣です。本当にありがとうございました。
ちなみに、看板は来年春に現地に再び設置されるそうです。(間に合って?良かったあ


駐車場

3台ほど停められそうな駐車スペースがあるので、ここで車を置いて徒歩で登城です。
先ほどの地元の方がもう1台下って来るかもしれないから注意してねとおっしゃっていたのは
この車だろうか…先客1台ありました。



これは安心して見学できる道ですよ。


鳥居

鳥居が見えて来ました。
宮坂氏は4WD車であれば最初の堀切まで行けるとありましたが…どちらの道を言っているのでしょうか?
ともかく城域内なので車で侵入するのはやめておくことにします。



下を見て歩ていると、このようなものが目につきました。
これはもしや、先ほど軽トラで運ばれていた看板が立てられていた場所では?
後にTwitterのツイ友さんに確認すると、やはりこの場所に看板があったのですね。



鳥居を抜けるとまず右手に道とは異なる細長い腰郭のような削平地が見えます。



お城なのに?良い道です。



目の前に土塁と堀切が見えて来ました!
掘った土を更に盛土して土塁を増々しています。


堀切

三の郭の手前を抑える防御です。



堀の中を土橋で渡ります。
浅くなっていますが、がっつり掘り込んであります。


三の郭

広い郭と、西側には土塁が残ります。
左手の藪が土塁になります。



三の郭と二の郭の境目にやって来ました。
わかりずらいですが、真ん中が堀切になっています。


堀切

少し浅い印象ですが、こちらもしっかり掘り込んでいます。



ここを登ると二の郭です。


二の郭

二の郭には石積が見られます。


石塁

東側には低い石垣が落ち葉に埋もれながら壁のように築かれています。



石は割ったものではなく、丸いものがほとんどなので千曲川の河原から運んで来たものでしょうか。



二の郭と主郭の境目が見えて来ました。
こちらも当然のように、間には堀切があります。


主郭虎口

土塁の切れ目に出入口。
ここは、主郭の虎口です。
土塁に囲まれ、この地点では中の様子は見えません。


主郭

主郭に到着です。
入口には説明が書かれた標柱と、中央には石祠があります。
周囲は低い土塁が巡らされています。


石祠

主郭中央にあるこの石祠は、城主であった岩井備中守信能を祀る石祠です。



西を除く三面に低い土塁があります。


きのこ

北の土塁上にある木の根元にはこんなに沢山のきのこが生えています。
この日、他に二名見かけたのですが城の見学かと思い声をかけてみると、🍄きのこ狩りに来られた方でした。(^^;


眺望

木で遮られ、良く見えない。
しかし、当時は木も切られ眺めは良かったと思われます。
また、小城との連絡も取れるようなことになっていたと思われます。


腰郭

主郭の周囲を巡る腰郭が下に見えますが、あまり足を踏み入れないと思われ藪化しています。



この腰郭の先、西北尾根に4つの堀が切られているので見に行きたいところですが
藪が酷く断念。



見逃しチェックをしながら、戻ることに。
見上げながら登る景色と、下りからの景色の違いを楽しみながら帰ります。



二の郭は中央だけは開けていますが、周囲がどうなっているのかは
やはり上からの目線でも見えません。



二の郭と三の郭の間の堀切が一番大きく、上からだと土橋がよく見えます。
ここで、土橋が石垣で補強されていることに気が付きました!



落ち葉に埋もれていますが、確かに石積が確認出来ます。



日当たりが良かったので、冬だし、飯山だし、寒いかとおもいきや、
結構体はぽかぽかでした。



あまり体力を消耗することなく、帰って参りました。


攻城団ではまだ登録となっていない城址で、登録候補地とそして視察に訪れました。
整備もされていて、無理なく誰でも安心して登城出来る城址であることを確認しました。
新潟方面では案内看板が冬季はブルーシートで覆われているのは最近知りました。
朽ちて行く木製の看板や標柱がある一方、雪の多い地方はこのような保護の仕方をされていたのですね。
こちらでは看板を撤収しての保護となっているとは知らずに行ったので、
あと一日遅れたら案内看板の確認が春まで出来ないことになっていたところでした。
また、運んでいる途中に看板を車の荷台から降ろして撮影に応じてくださり、地元の方に感謝申し上げます。
ありがとうございました。


令和2年11月22日登城


今回の参考本




浜川館(群馬県)

2020年12月14日 | 陣屋・館
浜川館はまかわやかた
別名浜川の砦
構造
築城者長野隆業
築城年代1429年ー1442年(永享年間)
指定史跡
場所群馬県高崎市浜川町 地図

浜川城は、箕輪城落成時までその前線防衛施設として
長野地区にある多くの砦や、武家屋敷に小武士団を統括する役割を果していました。
西上州武士団の旗頭であった長野氏が、箕輪城へ移る前にこの辺りを本拠地としていたといわれ
この地には「館(たて)」と呼ばれる地名も残されています。


南側

まずは案内看板を探しながら城館の南側にやって来ました。
近くを新幹線が通過する方面を見ながら、田んぼの中の道を探していると案内看板が見えて来ました。


案内看板

平地の田園を堀跡に沿って道が通り、道沿いに案内看板があります。
そして、この案内看板がある場所から北を向くとはっきりと土塁があるのが見えます。


土塁

かなりしっかりと土塁が残っています。
手前には広い堀跡も確認できます。


堀跡

この幅を見ると、随分広いことが分かります。
かつてはここも北側の井野川と同じように小流があり、城館の三方を川堀が囲んでいたものと思われます。


堀跡

案内板から後ろを振り向くと、田んぼで消滅した堀も確認出来ます。


虎口

現在は宅地と化していますが、案内看板から東側の道路が、
南北の虎口を貫くように伸びています。
そしてこの堀と土塁を横に見た場所が南の虎口となり、これより北側が主郭であり、武士の屋敷があった場所です。
ここにはかつて堀を渡る土橋が設けられ、虎口は食い違いになっていたようです。
更に、虎口は現在の南北だけでなく、東西にも存在したとも考えられています。



東側の城館域にやってきましたが、完全に宅地化されて堀も土塁も消滅しています。


副郭

それでも墓のある辺りには副郭の名残があるように見受けられます。


浜川ふれあいの広場

副郭の東側、一段下がったところに公園があります。
ここに駐車場があるので、ここから歩いて散策することが出来ます。


水堀

浜川ふれあいの広場の北側を流れる堀川。
北側の要害として深い川を利用した現在はコンクリート造りになってしまっていますが、堀があります。



段差が確認出来るこの場所から、
手前を堀川が流れ、正面の段に副郭、その先が主郭となっています。


榛名神社

城館の北側にやって来ました。
北の虎口の堀川手前にある榛名神社です。
こちらに駐車スペースがあるのでお参りをして北からの散策。



幅は狭いが深く掘り込んだ堀川が蛇行して、その奥の城館を守備しています。


以前から、なんとな~くこの辺りにも城があったのではなかろうかと思っていたので
ちょっと気になり、今年手に入れた山崎一氏の本を調べると…「渋川の砦」とありました。
「浜川の砦」ではなかったのでずっと気付きませんでした。
また、せっかくなのでここから北のほど近い場所に「長野業盛の墓」があるので一緒に訪れるのもお勧めです。


令和2年10月24日登城


合戦カレンダー付き!


鼠宿(長野県)

2020年12月11日 | 関所・宿場
鼠宿ねずみじゅく
街道名北国街道
設置1623年(元和9年)
廃止1871年(明治4年)
指定史跡
場所長野県坂城町南条 地図

鼠宿は、北国街道の上田宿と坂木宿の間宿でした。
真田氏が南条村と称していた金井村以南の地を鼠宿村と改め、宿場として造成した松代藩が設けた私宿です。
藩主の参勤交代・領内見分、藩士の日常出張等の宿泊・休憩の接待や
藩の荷物の継ぎ立てに当たらせ、口留番所を設けて人や物の出入りを取り締っていました。
本陣(御茶屋)・脇本陣・問屋・馬宿・一般旅人の休憩する茶屋などが並び、賑わったという。



旧北国街道

国道18号線沿いに残る旧北国街道。
ここに1622年(元和8年)に真田信之が松代入城したことを契機に南条村を鼠宿村と改称したのを始まりとする
松代藩私宿の扱いで間宿とした鼠宿があります。
水路には鞍掛橋や一里塚橋などの名前の付いた橋が架かっています。


案内看板

北国街道一里塚公園として整備された旧北国街道に設置された案内看板です。


芭蕉付句塚と万葉歌碑

案内看板からほど近い場所に會地早雄神社があります。
この入口に芭蕉付句塚と万葉歌碑があります。


會地早雄神社

別名「ねずみ神社」と呼ばれる神社です。


太鼓橋

この橋は、はたして渡って良いのか悪いのか…遊び心をくすぐられる橋です。
当然ながら遊び心で造られたものではないはずなので、ここは見るだけにしておきます^^;


岩鼻

それにしても、いつ見ても凄い崖地です。
岩鼻と呼ばれるこの地は、上田藩と松代藩の境界でもあり、
坂城の横吹坂と並ぶ街道一の難所と言われています。
参勤交代の際には、飛脚を立てて無事を国許へ伝えるほどであったようです。


和合城

そして、岩鼻の上には村上氏が坂城や本拠地を守るために利用した和合城跡があります。
この和合城跡は狼煙台の役目も果たした場所です。
鼠の地名は「不寝見(ねずみ)」で、狼煙台があったところという説もあります。


眺望

ここからの眺めは、御覧の通りすばらしい見晴らしです。
真下には鼠村の様子が見えるので、街道を行き交う様子も見えますよね。


和合城を鼠宿側から登り、下塩尻側へ下り国道18号から旧北国街道を見ながら一周して来ました。
寒さに弱いデジカメはこの冬初のご機嫌斜めのバッテリー残量無しの警告を発し、
寒さにも強い一眼レフカメラは旧北国街道へ入ったところでメモリーカードの残量が無くなるという
二台のカメラ体制にもかかわらず、残念ながら鼠宿での撮影は存分には出来ませんでした。
…という訳で、ちょっと物足りないレポートとなりました。


令和2年12月6日訪問






禰津城下の城(長野県)

2020年12月07日 | 百名城以外の城
禰津城(下の城)ねつじょう
別名祢津城・下の城
構造山城
築城者禰津氏
築城年代南北朝時代
指定史跡市指定史跡
場所長野県東御市祢津 地図

禰津城は、この山の東側に館を構え、一帯に勢力を持っていた豪族祢津氏の山城です。
「上の城」「下の城」「戌亥の馬場跡」から出来ており、
地元では本城と考えられるここ「下の城」を城山と呼んでいます。


登城口

南側からの登城口です。
登城口には案内看板が設置され、整備されています。


駐車場

南の登城口には駐車スペースがあり、ここに車を置いて登ることになります。
林道はそのまま、まだ先まで続き北側の搦め手からのアクセスも可能です。
しかし、車はこの先台風の影響で悪路のために封鎖されています。



では、ここから登って行こうと思います。



所々に旗が立っています。
これは、次の日に控えた「スカイランニング」の区間コースのために掲げられたものと思われます。
しかし、この山を走って登るの?
運動不足の私には理解できない…


虎口

足元には虎口を示すような大きな石があります。
これより、狭くて細長い郭が見られるようになります。


眺望

5の郭からの眺めです。
中間地点でこの眺めです。主郭からの眺めに期待してしまいます



見上げると…良い青空です。
あともう一息です。


腰郭

主郭下の腰郭に出ました。
主郭を巡るような造りになっているようですが、整備されているのは主郭への登城路付近だけなので
藪漕ぎは遠慮して、素直に主郭まで行きます。


虎口

主郭虎口です。
いよいよ主郭へ到着です。
ここまで、距離にすると大したことないのですが、やはり運動不足と
午前中の砥石城で、体力を消耗しているので既にクタクタです。



しかし、迎えた旗が賑やか!
達成感で気分は上々


土塁

主郭東側の土塁です。
この土塁は主郭は北に向うにつれて高くなっています。



南側の土塁です。
こちらはだいぶ低い土塁になっています。


ベンチ

ここで昼食タイム!
景色をおかずにお茶と今朝握ってきたおにぎりをほおばります。
ぼっちなので獣が来ないかドキドキでした。


眺望

狼煙がいっぱい!!
…ではないですが、この眺望は良いでしょ



立山、白馬方面は雪をかぶっています。


主郭

北側の土塁の上から主郭を見渡しています。
全体を土塁で囲んで、楕円のお皿のようです。


堀切

主郭から北側を見下ろすと、大きな堀切が見えます。



主郭から一段降りると腰郭があり、その先に大きな堀切があります。
その先には2の郭、3の郭、更に4の郭へと遺構が続いています。
この堀切を降りて登ってその先へ…折り返し…と想像したところで力尽きました。(根性無し)



心残りではありますが、さて、帰りましょう。



登城口と駐車場が見えて来ました。
左手には林道が続いていますが、車は進入出来ないようにグリーンのカラーコーンが置いてあります。


石積

さて、帰ろうと思ったところで登城口付近の石積みに気が付きました。
屋敷跡??と思わせるような造りの石積みがされていますが、これについては縄張図には無く
気になるも、遺構かどうかはわかりません。


遠景

帰りに寄った東部湯の丸サービスエリアからの祢津城山です。
高速道路上から見えるこの山がずっと気になっていたので、やっと行くことが出来てやっぱり城跡だったのねとスッキリしました。


後で気付いたのですが、主郭からそのまま4の郭まで行き
林道を下って戻れば楽だったのではないかということに気が付きました。
疲れていてその場では思いつきませんでした。残念。



令和2年10月31日登城


今回の参考本



日光例幣使道

2020年12月03日 | 陣屋・館
起点:倉賀野

🍡倉賀野宿(群馬県高崎市)

🍡五料宿(群馬県佐波郡玉村町)

五料関所(群馬県佐波郡玉村町)

🍡柴宿(群馬県伊勢崎市)

 伊勢崎陣屋

🍡境宿(群馬県伊勢崎市)

🍡木崎宿(群馬県太田市)

🍡太田宿(群馬県太田市)

🍡八木宿(栃木県足利市)

🍡梁田宿(栃木県足利市)

🍡天明宿(栃木県佐野市)

🍡犬伏宿(栃木県佐野市)

🍡富田宿(栃木県栃木市)

🍡栃木宿(栃木県栃木市)

🍡合戦場宿(栃木県栃木市)

🍡金崎宿(栃木県栃木市)

🍡楡木宿(栃木県鹿沼市)

終点:楡木



児玉往還

2020年12月02日 | 関所・宿場
起点:川越

🍡川越宿(埼玉県川越市)

🍡塚越宿(埼玉県坂戸市)

🍡石井宿(埼玉県坂戸市)

🍡高坂宿(埼玉県東松山市)
 松山陣屋

🍡菅谷宿(埼玉県比企郡嵐山町)

🍡奈良梨宿(埼玉県比企郡小川町)
 奈良梨陣屋

🍡今市宿(埼玉県大里郡寄居町)

🍡赤浜宿(埼玉県大里郡寄居町)

🍡小前田宿(埼玉県深谷市)

🍡広木宿(埼玉県児玉郡美里町)

🍡児玉宿(埼玉県本庄市)

🍡藤岡宿(群馬県藤岡市)

終点:藤岡


谷街道

2020年12月02日 | 関所・宿場
起点:千曲

🍡稲荷山宿(長野県千曲市)

🍡矢代宿(長野県千曲市)

🍡松代城下(長野県長野市)

🍡川田宿(長野県長野市)

🍡須坂宿(長野県須坂市)

🍡小布施宿(長野県上高井郡小布施町)
 小布施陣屋
 六川陣屋

🍡中野宿(長野県中野市)

🍡飯山城下(長野県飯山市)

終点:飯山


美濃路(東海道・中山道脇往還)

2020年12月01日 | 関所・宿場
起点:名古屋

🍡宮宿

🍡名古屋宿

🍡清須宿

🍡稲葉宿

🍡萩原宿

🍡起宿

🍡墨俣宿

🍡大垣宿

🍡垂井宿

終点:垂井


日光街道

2020年12月01日 | 関所・宿場
起点:日本橋

🍡千住宿(せんじゅ)

🍡草加宿(そうか)

🍡越ケ谷宿(こしがや)

🍡粕壁宿(かすかべ)

🍡杉戸宿(すぎと)

🍡幸手宿(さって)

🍡栗橋宿(くりはし)

🍡中田宿(なかだ)

🍡古河宿(こが)

🍡野木宿(のぎ)

🍡間々田宿(ままだ)

🍡小山宿(おやま)

🍡新田宿(しんでん)

🍡小金井宿(こがねい)

🍡石橋宿(いしばし)

🍡雀宮宿(すずめのみや)

🍡宇都宮宿(うつのみや)

🍡徳次郎宿(とくじら)

🍡大沢宿(おおさわ)

🍡今市宿(いまいち)

🍡鉢石宿(はついし)

終点:日光(にっこう)





東海道

2020年12月01日 | 関所・宿場
起点:日本橋

🍡品川宿

🍡川崎宿

🍡神奈川宿

🍡保土谷宿

🍡戸塚宿

🍡藤沢宿

🍡平塚宿

🍡大磯宿

🍡小田原宿
  🏯小田原城

🍡箱根宿
  🏯山中城

🍡三島宿

🍡沼津宿

🍡原宿

🍡吉原宿

🍡蒲原宿

🍡由井宿

🍡興津宿

🍡江尻宿

🍡府中宿
  🏯駿府城

🍡丸子宿

  🍵丁子屋
 
  宇津ノ谷峠

🍡岡部宿

🍡藤枝宿
  🏯田中城

🍡嶋田宿

🍡金谷宿

🍡日坂宿

🍡掛川宿
  🏯掛川城

🍡袋井宿

🍡見附宿

🍡浜松宿
  🏯浜松城

🍡舞坂宿

🍡荒井宿

🍡白須賀宿

🍡二川宿

🍡吉田宿
  🏯吉田城

🍡御油宿

🍡赤阪宿

🍡藤川宿

🍡岡崎宿
  🏯岡崎城

🍡池鯉鮒宿

🍡鳴海宿

🍡宮宿

 🚢七里の渡し

🍡桑名宿
  🏯桑名城

🍡四日市宿

🍡石薬師宿

🍡庄野塾

🍡亀山宿
  🏯亀山城

🍡関宿

🍡坂之下宿

🍡土山宿

🍡水口宿

🍡石部宿

🍡草津宿
  🏯膳所城

🍡大津宿

🍡京師宿

終点:三条大橋





中山道

2020年12月01日 | 関所・宿場
起点:日本橋(にほんばし)


🍡板橋宿(いたばし)


🍡蕨宿(わらび)


🍡浦和宿(うらわ)


🍡大宮宿(おおみや)


🍡上尾宿(あげお)


🍡桶川宿(おけがわ)


🍡鴻巣宿(こうのす)


🍡深谷宿(ふかや)


🍡本庄宿(ほんじょう)


🍡倉賀野宿(くらがの)

  🏯倉賀野城

🍡高崎宿(たかさき)
  🏯高崎城

🍡板鼻宿(いたはな)

 板鼻陣屋

🍡安中宿(あんなか)

🍡松井田宿(まついだ)

 五料茶屋本陣お東
 五料茶屋本陣お西

碓氷関所

🍡坂本宿(さかもと)


🍡軽井沢宿(かるいざわ)


🍡沓掛宿(くつかけ)


🍡追分宿(おいわけ)


🍡小田井宿(おたい)

🍡岩村田宿(いわむらだ)


🍡塩名田宿(しおなた)

🍡八幡宿(やわた)


🍡望月宿(もちづき)

 🍵笠取峠の松並木

🍡芦田宿(あしだ)

🍡長久保宿(ながくぼ)

🍡和田宿(わだ)


🍡下諏訪宿(しもすわ)


🍡塩尻宿(しおじり)

🍡洗馬宿(せば)

🍡本山宿(もとやま)

🍡贄川宿(にえかわ)

🍡奈良井宿(ならい)


🍡藪原宿(やぶはら)


🍡宮ノ越宿(みやのこし)

🍡福島宿(ふくしま)

🍡上松宿(あげまつ)

🍡須原宿(すはら)

🍡野尻宿(のじり)


🍡三留野宿(みどの)

🍡妻籠宿(つまご)


🍡馬籠宿(まごめ)

🍡落合宿(おちあい)

🍡中津川宿(なかつがわ)

🍡大井宿(おおい)

🍡大湫宿(おおくて)

🍡細久手宿(ほそくて)


🍡御嶽宿(みたけ)

🍡伏見宿(ふしみ)


🍡太田宿(おおた)


🍡鵜沼宿(うぬま)


🍡加納宿(かのう)

🍡河渡宿(ごうど)

🍡美江寺宿(みえじ)

🍡赤坂宿(あかさか)

🍡垂井宿(たるい)

🍡関ヶ原宿(せきがはら)

🍡今須宿(います)

🍡柏原宿(かしわばら)

🍡醒井宿(さめがい)

🍡番場宿(ばんば)

🍡鳥居本宿(とりいもと)

🍡高宮宿(たかみや)

🍡愛知川宿(えちがわ)

🍡武佐宿(さむ)

🍡守山宿(もりやま)

🍡草津宿(くさつ)

🍡大津宿(おおつ)

終点:三条大橋(さんじょうおおはし)