むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

磯部城(群馬県)

2016年09月28日 | 百名城以外の城
磯部城いそべじょう
別名
構造山城
築城者佐々木盛綱
築城年代1201年(建仁1年)
指定史跡市指定史跡
場所安中市鷺宮 地図


城山公園入口

城の周りを3周してやっとみつけた入口。
国道18号、磯部駅方面から来ないとみつけずらい入口です。


駐車場

駐車場入口は鉤の手になっていて大型車は入るのは難しそうです。


城山公園の碑

城の麓にある地元大手企業寄贈の碑


城山公園案内看板



磯部城跡の案内看板



トイレ

一応駐車場とともにトイレもありますがちょっと使用する気にはなれない…


追手口

道は歩きやすなっています。
軽自動車のタイヤ痕があり、どうやら草刈をされたようです。


壕(空堀)

はっきり確認できる空堀


双馬出し

草むらの奥に見える票柱
馬出し」とは…調べてもよくわからない。
はじめて見る馬出しの票柱です。


壕(空堀)

こちらもしっかり残る空堀です。


二の丸虎口



田村家供養塔

なぜか二の丸に田村家の供養塔とお墓があります。
本丸には田村神社とうのも祀られているのですが関係がよくわからない。
草刈をされているのも城山全体ではないので、このお墓にお参りに来るために田村家の方がされているのかな?
とも想像しました。


物見平

この奥に物見台があるのですがとにかく草が凄くてそこまで入って行けませんでした。
周囲も木が生い茂っているので、木が無ければ眺めの良い場所だったと思われます。



二の丸から中城方面へ行ける道


二の丸跡

ここは歩きやすい広場になっていますが、肝心な本丸は笹藪になっていて獣道のような道だけで
歩きまわるようなことは出来ません。


高土居

壕を掘った土を盛って二の丸より高くなっている。


本丸

笹が一面生い茂り、本丸の票柱を何とか発見。
とても票柱のところまで行くことは出来ません。
この先も獣道のような細い道が搦め手口まで続いているのですが、
手入れがされていないので途中で引き返して来ました。


田村神社

本丸にある小さな神社


本日はここまで。
引き返して南廻りの道から腰曲輪を見上げて石垣らしき箇所を見て帰りました。

ちなみに石垣らしき場所の写真は蚊の集中攻撃(油断してました)に遭い
」手振れがひどかったので今回は掲載しません。




補足  登城口は他にもいくつかあります。

野草園入口

こちらは現在工事中で、重機が入っていました。
徒歩であれば登って行くことは可能です。


城山公園北入口

こちらは現在草が生い茂っていてとても登って行こうという気にはなれませんでした。
もう少し寒い時期に行く方が良いと思われます。



今回城山公園ということで整備されていることを想定して出掛けたのですが、
公園はすでに使われておらず荒れてあまり手入れをされていなかったので女性の独り歩きには
向かず、じっくり見て歩く状況ではなかったことが残念でした。
時期を見て遺構が良く観察出来る時にまた訪れてみたいと思いました。



平成28年9月25日 登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房

宮崎城(群馬県)

2016年09月25日 | 百名城以外の城
宮崎城みやざきじょう
別名
構造平山城
築城者宮崎和泉守
築城年代1550年(天文19年)
指定史跡
場所富岡市宮崎 地図


武田氏や北条氏の所領として変転したこの城は、
天正18年の豊臣秀吉小田原城攻めの際北条方について敗れ、国峰城とともに落城しました。

その後、徳川家康家臣「奥平信昌」が2万石で入城するも、
慶長6年に奥平氏が美濃の国に移ると宮崎城は廃城となりました。

現在は富岡市西中学校として整備され、周囲にはわずかに遺構が残されている状態です。

この山の尾根沿いには詰城の神成城もあります。
神成山ハイキングコースになっています。

案内看板

中学校のテニスコート脇にある案内看板


櫓台跡

この蒟蒻畑の左奥角に櫓台があったと思われます。
ちなみに下仁田こんにゃくで有名な蒟蒻畑がお隣の富岡市でも沢山見ることができます。
消毒で白くなった状態の蒟蒻の木。蒟蒻はこの木の根っ子から作られます。
マンナンライフの本社工場もここ富岡市にあります。

近くまで行ってみると、現在は大きな木と祠があり草などで覆われていて
櫓台の跡ははっきり確認することは難しい状態でした。


本丸曲輪

現在中学校の体育館があり、この写真は体育館裏(西側)の建物のない部分です。


ささ曲輪

この土塁の上にささ曲輪があると思われます。
しかし藪で確認できず。


堀切

本曲輪西側のささ曲輪の間にあったとされる
カメラを構えた手の甲に蚊がとまり、手振れしてしまいました。めっちゃ蚊に襲われます(-_-;)


土塁跡

本曲輪の西側奥にある堀切


腰曲輪

わりと広く曲輪があったと感じられる場所です。


虎口

南西側からの山道にある虎口と思われる場所。




平成28年9月24日登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房

唐沢山城(栃木県)

2016年09月23日 | 続百名城
唐沢山城からさわやまじょう
別名根小屋城・栃本城・牛ヶ城 
構造山城
築城者藤原秀郷 佐野成俊
築城年代927年 1200年頃
指定史跡国指定史跡
場所佐野市富士町 地図
スタンプ設置場所唐澤山神社社務所

「上杉謙信が10回攻めても落ちなかった城」として伝わる唐沢山城。
11年間毎年のように謙信に侵攻に遭っていた城で、この逸話にはかなり偽りがあることも同時に伝わる。
謙信は幾度となく城を攻め落としているが、佐野氏に降伏、開城、裏切り、離反を繰り返されるも、
本人も人質も処刑されることなく免れている。



蔵屋敷

駐車場にあるレストハウスの位置が蔵屋敷跡になります。
麓の駐車場から歩いて登城してくる人も沢山いますが、
根性無しなので城の入口に一番近い無料駐車場を利用して
いざ、出発!


枡形虎口

敵の侵入を防ぐ食い違い虎口でかつては石垣の上に建物があったと思われます。


天狗岩







かつては物見櫓があったとか大筒があったとか言われています。



突き出た岩が天狗の鼻に似ていることから「天狗岩」と名付けられました。





大炊井戸

避来矢山と西城の間にある口径9m、深さ8m以上の大きな井戸。
築城の際、厳島大明神に祈願をし、その霊夢により掘るとこんこんと水が湧き出たとの事です。



現在も枯れることなく豊富な水を蓄えています。
鯉も沢山泳いでいます。


水琴窟

西城(天徳寺丸)入口付近にあり、涼やかな音色を楽しめます。


四つ目堀

西城域と帯曲輪以東とを大きく分断する堀切。
現在は神橋(石橋)がかかっていますが、かつては木造の曳橋で
いざというときには橋を引き払い通行を遮断することができました。


帯曲輪

細長い曲輪で、古地図や古記録によると三の丸までが帯曲輪とされていたようです。


神社の参道



桜の馬場

桜が多く、乗馬の訓練をした場所なので桜馬場と言われる。


大手道

神社の参道からのわき道のように見えるこの道は、
二の丸から本丸へ進むかつての大手道が残されている場所です。


本丸の高石垣

本丸目指して進むと高石垣が見えて来ます。
関東より北には少ない石垣造りですが、豊臣秀吉の影響で造られたのではないかと
考えられます。



見ごたえのある壮大な石垣です。


唐澤山神社入口

神社にお参りに来る人が多くいます。





本丸(唐澤山神社)

佐野氏の祖といわれる藤原秀郷を祀る唐澤山神社。
勝ち運、運気上昇の御利益があるそうです。


二の丸

南局跡であり、奥女中の詰所であったとされる。


神楽



二の丸虎口



三の丸

かつては賓客の応接間があったとされる。


南城

社務所と南城館があります。
かつては蔵屋敷や武者詰があったとされる。
とても眺めが良く、すっきり良く晴れていると東京スカイツリーも見えるそうです。
ちなみに私が訪れたこの日は靄がかかり遠くまで見渡すことができませんでした。残念…。


車井戸

別名「がんがん井戸」とも呼ばれ、深さ25m余あるとも言われ竜宮に続いていると伝わる。
城内では重要な水源のひとつとも考えられている。


長門丸

かつては薬草等を作っていたようで「お花畑」と呼ばれています。





レストハウス裏を下ると県道沿いに鏡岩があるので行ってみました。

鏡岩

かつてはこの付近に木戸を設け、鉤の手になる重要な出入口でした。



上杉謙信が唐沢山城を攻めた際、西日が岩に反射し攻めることが困難であったとと言われている岩です。



猫城のようなお城です。
駐車場から入口付近と南城には沢山の猫が住んでいます。
売店にも鳩や鯉の餌ではなく「猫の餌」が売られており、近寄ってくる猫たちにあげられるようになっています。

猫好きの地元の常連さんが餌をあげている姿が見受けられました。
私も南城で一休みしておにぎりを食べていると数匹の猫に囲まれました。
そこで最初に立ち寄ってパンフをもらった時になぜ売店に猫の餌一袋100円で売られているのかなあと
疑問に感じたことを思い出し「そういうことか!」と気がつきました。
猫好きにはたまらないお城かも。



平成28年9月17日登城


山城サミットin佐野



御当地グルメ・おみやげ

佐野ラーメンです。
スープはあっさり、チャーシューは味が濃い。


続日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ特別編集)
公益財団法人 日本城郭協会
学研プラス


伊香保関所跡(群馬県)

2016年09月21日 | 関所・宿場
伊香保関所いかほせきしょ
街道名三国街道
設置1631年(寛永8年)
廃止明治2年
指定史跡市指定史跡
場所渋川市伊香保町伊香保 地図
伊香保温泉の石段街の入口に復元された御番所
三国街道の裏往環と呼ばれる街道で、寛永8年に幕府の命により関所がこの地に設置されました。



伊香保村口留番所






取り調べ石

右側の石は「取り調べ石」と言われ、関所役人が座って取り調べをした石で
もう一方は「お辞儀石」と言われ、旅人が役人の前で平伏して手をついた石と伝わる。



当時は萱葺屋根の建物で周囲に木柵があり、東西に門扉が設けられていました。
関所番役人は伊香保の大屋二名(年番)下番二名の計四名で勤めていました。






中は資料館になっていて通行手形や古文書、武具などが展示されています。


平成28年9月18日再訪問


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房

会津若松城(福島県)

2016年09月18日 |  百名城
会津若松城あいづわかまつじょう
別名鶴ヶ城
構造平山城
築城者葦名直盛、蒲生氏郷、加藤嘉明
築城年代1384年、1592年(文禄元年)、1639年(寛永16年)
指定史跡国指定史跡
場所会津若松市追手町1-1 地図 
スタンプ設置場所天守閣内売店
御城印鶴ヶ城観光案内所
城郭検定出題あり

鶴ヶ城は、東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりです。
その後、黒川城に入った蒲生氏郷が、1592年(文禄元年)に城郭を改修し、
城下町を整備して地名を黒川から若松に改めました。
そのころ望楼型七重の天守を築城し、その名も「鶴ヶ城」と改められた。
また、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として知られています。


追手門跡

枡形で守り堅固な北出丸の入口。


北出丸 大腰掛

別名「みなごろし丸」とも言われ、四方から攻撃できて敵を迎え撃つための大腰掛が今も残されています。


太鼓門跡

美しい遊女を乗せて勢いをつけて運んだ石といわれる遊女石(右側石垣にある一番大きな石材)があります。


武者走り

太鼓門の上に兵を昇降させるための石垣が残されています。


本丸


鉄門

柱や扉はすべて鉄で覆われこの名前が付いたそうです。



上杉謙信公仮廟所跡

上杉景勝が会津に入封した際、上杉謙信の遺骨も運ばれこの仮廟所に安置した。


鐘撞堂

戊辰戦争の際、時を告げた鐘で、城外にいた味方が城の健在を知る鐘となっていました。
この鐘は開城になるまで時守が撃たれても別の者が鳴らし続けていたという。


梅坂

西出丸と帯郭をつなぐ枡形


鉄門わきの石垣

天守の石垣は野面積だが鉄門の石垣はきれいに四辺形に成形された切込接で積まれています。


南走長屋と干飯櫓

南走長屋は天守閣から表門をつなぎ、帯郭から本丸への敵の侵入を防ぐ役割をしていたとされています。
干飯櫓はその名から連想する通り米などの食料を貯蔵していた櫓です。
平成13年には天守に続く建物として「干飯櫓・南走長屋」が江戸時代の工法や技術を用いて
復元されました。


馬洗石

この石は馬の口を洗うための石と伝わります。


建物は明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に再建されました。
平成23年には幕末当時の姿でもある赤瓦へのふき替えが完了しました。


荒城の月碑

荒城の月碑は作詞・作曲のゆかり地であるここ鶴ヶ城、仙台の青葉城と大分の岡城の3箇所にあります。



御三階跡

現在建物は市内の阿弥陀寺に移築されています。
櫓の復元が検討され、調査のために石垣が撤去されています。



高石垣(扇の勾配)と廊下橋



茶壷櫓跡

ここには主に茶器等が納められていたといわれています。



月見櫓跡

ここでは櫓にかかる月がとても美しく月見の最適な場所であったと思われます。




武徳殿

剣道などの武道奨励のための道場です。
昭和9年に武道を愛する篤志家たちの寄付により建てられたそうです。


甲賀町口門跡

かつて城下にはこのような門が16ヶ所あり、この門は特に大手門として他の郭門より厳重な構えだったと伝わります。
戊辰戦争時、新政府軍が会津若松城攻めで最初に突破したのが惣構の入口です。



再建50周年整備の様子
同じ角度から整備前と後を見比べてみました。

2010年8月


2016年6月


2010年8月


2016年6月


お城ボくん

鶴ヶ城をモチーフとしてデザインされた観光PR用お城ロボットだそうです。


銀の鯱

屋根の改修工事の際に下ろされた鯱を見ることができました。
銀の鯱の目には2カラットのダイヤモンドが埋め込まれています。
現在は天守の屋根に乗っているので近くで見ることはできません。



赤瓦を一枚購入して裏に記名をして寄付をしました。
何十年後かまた屋根瓦を葺き替える時が来ることがあるでしょう。
その時自分の瓦が発見されたらおもしろいですね。
昭和40年の再建の際のグレーの屋根瓦を一枚記念に購入してきました。




早朝さんぽに訪れたのですが、多くの市民が集まり声を掛け合って楽しそうに散歩や体操をしていました。
城内に学校があることもあり、部活動のため学生も多く、年配の方が学生に地元の話を聞かせている様子も見受けられ
会津魂はこうやって普段の生活の中で伝えられて行くんだなあという場面を目の当たりにしました。




平成22年8月15日登城
平成28年6月4日再登城




日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス

小田原城(神奈川県)

2016年09月16日 |  百名城
小田原城おだわらじょう
別名
構造平山城
築城者大森氏、後北条氏、大久保忠世、稲葉正勝
築城年代15世紀、1591年(天正19年)、1633年(寛永10年)
指定史跡国指定史跡
場所小田原市城内6-1 地図
スタンプ設置場所天守閣1階
御城印小田原城天守閣入場券販売所
城郭検定出題あり



小田原城東堀

東堀には、6月に満開となるあじさいを背景に花菖蒲が咲き乱れる花菖蒲園があります。


九輪橋



常盤木門

常盤木とは常緑樹という意味で松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することから
小田原城の繁栄を願って常盤木門と名付けられている。
ちなみに、門の傍らには松の木が植えられています。


小田原城天守閣

最初に建てられた天守は望楼型で大久保時代とされ、寛永年間には層塔型で再建されたと考えられる。
その後元禄16年に大地震で崩壊し、宝永3年に天守を再建するも、明治3年に廃城となり取り壊された。
現在の天守は3度目に再建された宝永天守を明治に撮影された古写真を参考に
鉄筋コンクリートで復元されたもので、小田原城天守は4度建てられたことになる。


入口



1階展示室
1階の展示室では江戸時代の小田原の様子が紹介されています。


小田原城天守模型

天守復元にあたり参考にされたという模型
天守修繕の為作成されたと考えられ、4例あると言われている。


5階展示室

江戸時代に祀られていた摩利支天像の安置空間を再現。
摩利支天といえば日本では多くの戦国武将が信仰しています。


石垣山

天守最上階の展望デッキから石垣山を望む。


銅門土塀模型

銅門を再建する際に造られた土塀の模型です。


銅門礎石

土塀模型隣に銅門礎石が展示されています。


銅門

現在内部の特別公開を期間限定で行っています。
平成28年5月1日~平成29年3月31日の土日祝日のみの公開になっています。


梁に注目!

梁は紀州の黒松で樹齢300年のもので加工も昔のままに忠実に再現しているそうです。



広い内部には石落しが設けられています。


石落し

ここから敵をめがけて石を落します。


上棟札

平成8年11月12日と記されている。
もう10年も経つのに新築同様の内部はこれまで一般公開してこなかったからだそうです。


内冠木門

内冠木門と馬出門で枡形になっている


馬出門

江戸時代初期からこの場所に存在していたのですが明治の廃城後関東大震災で被害を受け
その後平成になってから復元されました。


二の丸平櫓




二の丸南東隅に設けられ、L字形が特徴的である。



平成23年6月12日登城
平成28年9月10日再登城
平成30年9月8日再登城



御当地グルメ・おみやげ




日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス

Amazonアソシエイトプログラム参加

2016年09月12日 | よろず
「むぎの城さんぽ]は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」

佐和山城(滋賀県)

2016年09月06日 | 百名城以外の城
佐和山城さわやまじょう
別名
構造山城
築城者佐保時綱
築城年代1190年〜1199(年建久年間) 
指定史跡
場所彦根市佐和山町 地図
御城印彦根市観光案内所
城郭検定出題あり


石田三成が入城後、五層天守に改築して居城としていました。
「治部少輔に過ぎたるものが二つあり島の左近と佐和山の城」と言われたことは有名である。


龍潭寺駐車場

佐和山城の麓にある龍潭寺の駐車場に車を停めて登城します。
ちなみに「龍潭寺」は大河ドラマ「おんな城主直虎」でおなじみ遠江国の井伊谷の「龍潭寺」と同じ宗派で
井伊直政が佐和山城主になったのを機に昊天(こうてん)が佐和山の麓に移築した禅寺だそうです。


潭龍寺参道

三成公像を横目に登山道入り口を目指します。


登山道

避け合うのが困難な道のりの登山道。
かなり疲れます。
服装や靴は動きやすいものを選びましょう。


塩硝櫓跡入口

西の丸には塩硝蔵があったとされている。
子の付近には火災で焼けた瓦が散乱しているそうですが、残念ながら気がつきませんでした。


本丸城跡碑

標高約233mという山頂ですがここの眺めはそれ以上のものを感じました。


本丸跡案内看板




彦根城築城の為、井伊氏によって佐和山城の本丸は7間(約13mほど)もの土地が切り崩されました。
そのため現在では本丸にはほとんど遺構が残されておらず当時の面影は想像することができない。



現在遺構の確認は難しいが、本丸跡からの眺めはとても良い。



ここからは眼下の街中ある小高い場所に彦根城が見える。


本丸石垣

関ヶ原の戦いで敗北した後、城は井伊家の彦根城を築くため佐和山城から建築資材や石垣を運び出し、
徹底的に破壊された。

本丸北東隅に残るわずかな石垣。



大手口跡

大手口から佐和山を望む。

中山道に面していて、今も土塁や堀、井戸があります。
侍屋敷や牢屋などもあったことが「佐和山古城図」で確認することができる。

佐和山城は中山道と北国街道が交差する要衝に位置する城で、
城主はめまぐるしく変わり井伊氏によって廃城となる。



平成26年1月3日登城



近江佐和山城・彦根城
城郭談話会
地方・小出版流通センター

宇和島城一口城主募集

2016年09月03日 | 歴史のつぶやき
宇和島城一口城主に寄付しました。




宇和島城では「宇和島城一口城主」を募集しています。

現存12天守のひとつ「宇和島城」の保存・修繕のため、1口5000円より寄付を募集しています。

ふるさと納税制度の適用にもなるので希望すると寄付控除の書類も送ってもらうこができます。

寄付をすると城主証宇和島城天守の無料入場券2枚伊達博物館の無料入場券2枚が送られて来ます。

城主証の日付は希望日にすることもできて、今回私は特別な記念日にちなんでお願いしました。

一口寄付をすると宇和島市ホームページの協力者名簿に氏名が掲載されます。※掲載希望者のみ

二口以上寄付をすると市のホームページ掲載と宇和島城天守内に氏名が掲載されます。※掲載希望者のみ


申し込み方法等詳しくは宇和島市ホームページをご覧になって下さい。


貴重な現存12天守を守って行くために心ばかりですが役に立てたなら幸いです。。。。


家族分の入場券もいただいたのでまた宇和島城に行って天守内の氏名掲載を確認しなくっちゃね。