むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

東西対決!関ヶ原のうどん

2021年06月17日 | 歴史のつぶやき
国道21号線沿い関ヶ原にある麺処「やまびこ路」



左のうどんは、薄口昆布だしの関西風
右のうどんは、濃口鰹だしの関東風


東西のダシの分け目もここにあり!


どちらも甲乙つけがたかったのですが、個人的な感想としては憧れは関西風、食べてみれば馴染の関東風ということで関ヶ原の戦いのごとく惜しくも関東風に軍配ですかね。

でも家康より三成の方が好きなのでなんとも複雑な気分です^^;


場所:岐阜県関ケ原町大字野上1380−1 地図




祝!上野三碑

2017年10月31日 | 歴史のつぶやき
上野三碑(こうずけさんぴ)
山上碑(やまのうえひ)
指定史跡 国特別史跡
場所 高崎市山名町山神谷2104
【 地図 】

ユネスコの「世界の記憶」(旧・記憶遺産)に!
国内候補の古代石碑群群馬県の「上野三碑(こうずけさんぴ)」が登録されました!


上野三碑は、飛鳥時代~奈良時代前期、今の高崎市内に建てられた山上碑(やまのうえひ)・多胡碑(たごひ)・金井沢碑(かないざわひ)の総称。
日本に18例しか現存しない古代(7~11世紀)の石碑のなかで最古の石碑群です。


そのうちのひとつ、山上碑(やまのうえひ)がここにあります。


山名城祉根小屋城址に行く際に、この山上碑前を通過します。



石碑はこの長い石段を登りきった場所の古墳の隣の建物の中に大切に保管されています。



山上碑は三碑の中で最も古く、681年に刻まれたもので、
日本語の語順で漢字を並べた最古級の歴史資料です。


案内看板

上野国に住み着いた朝鮮半島からの渡来人がもたらしたもので、
飛鳥や奈良から遠く離れた地元の人々によって文字で刻まれたものです。


多胡碑は、18世紀以来、中国の「書」の手本となってきました。

金井沢碑は、この地での仏教の広がりを刻んでいます。

これらの三碑は、東アジアにおける文化交流の実像を示す極めて重要な歴史資料とされています。

高崎のこのあたりの城址を巡っていると上野三碑をちらほらと目にしたり、耳にしたりします。
時間に余裕がある方はぜひこの歴史にも触れてみて下さい。


ちなみに建物の中の石碑を撮影してみたのですが中が暗く、ガラスで反射してしまい
うまく撮影できなかったので写真は貼ってありません。^^;

あと、こちらにはボランティアガイドさんが居らしたので
詳しいお話はボランティアガイドさんに案内してもらうと良いですよ。


平成29年10月3日訪問


お前はまだグンマを知らない 1巻 (バンチコミックス)
クリエーター情報なし
新潮社

碓氷峠に城跡

2017年05月13日 | 歴史のつぶやき


今日の地元新聞のトップは安中市の碓氷峠でみつかった「陣城」の記事です。
県内で陣城は初めての発見とあって注目を集めています。
さっそく私も行ってみたいです!
但しこれからの時期は藪と虫が嫌~な季節です(^^;

続日本百名城

2017年04月07日 | 歴史のつぶやき
高田城



城の日に「続日本百名城」の発表がありました。

私はまだ百名城も巡りきってないのですが、もう次の百名城が選ばれたのですね。

予想道理というか、以外な所もあったりもするのですがまあまあ納得。


とりあえず、スタンプ帳付きのガイドブックが発売になるまで待ちましょう。


沼田城


石垣山城


高島城


浜松城


忍城

よみがえる郭馬出西虎口門

2016年12月10日 | 歴史のつぶやき
ここは、箕輪城跡

箕輪城の郭馬出西虎口門が先月(11月)完成したので見に行ってきました。




搦手口から二の丸へ。
ここではすでに来年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」を意識したような雰囲気が出ています。
しかし、現時点では箕輪城でのロケ等は予定されていません。
もしかするとドラマ最後のゆかりの地紹介で取り上げてもらえるのではないかとういう
期待と交渉を水面下でされているとかいないとか・・・。ちょっと期待です。

このあたりにボランティアガイドさんが居るのでパンフレットをもらって
話を聞くと楽しい話が聞けますよ。



郭馬出西虎口門





硬く踏み固められていた地面から読み解く大扉と脇戸の位置。


石落し

門扉の前で見上げると石落しがあることを確認できます。
敵が攻めてきた際に二階から石を落します。



丸い梁は松を使用、手斧で仕上げてあります。




小ぶりな建物のわりには柱や梁が太くてしっかりした材料が使われているのは、兵が詰めたり石落しのための
石を乗せるためにしっかりした構造が必要であったそうです。



礎石の形状に合わせて柱を加工しています。
何度も合わせて柱を削り、一番苦労した場所だそうですので、行った方はぜひ
ここに注目してやってください。


ちなみに、本物の礎石は発掘調査後保存のため地中に埋め戻してあるそうなので
見ることはできません。

屋根

発掘調査の際、瓦が出土されなかったことから板葺きであったと考えられる。
屋根は杉板を3層載せ、4層で強度アップ。



壁は竹を格子状に組んだ木舞に荒壁を塗り込んであります。


狭間のついた塀



郭馬出の周囲は土塁でかこまれていたようですが、この土塁の上にも狭間付きの塀があったようですが
予算の関係で虎口門のみの復元整備となったそうです。

ということなので、妄想して楽しみましょう(^^;


今後も復元工事がされていきます。

今私が最も楽しみにしているのは本丸西虎口の門(一階建ての高麗門)と蔵屋敷に架けられた橋の復元です。
これが実現するとさぞかし立派で城跡らしくなるのではないかとワクワクしてます。

最初に訪れた時の箕輪城は本丸が畑で、桑や大根が植わってました。
木も生い茂り草ぼうぼうで薄暗く、散策しようという気になれませんでした。
個人所有の土地だったため、少しずつ土地を買い、買い足しては整備する
ということを行なってきたそうです。

百名城や大河ドラマなど話題になるようになり、初めて来た時のイメージとは
随分変わったなあと思います。

訪れる人も最初は誰にも行き会わず、足を運ぶたびに整備され
整備に比例するように訪問者に会うようになりました。

郭馬出西虎口門完成後は多くの人が見に来て、こんなに賑やかだったっけ?
と驚きました。

今後も復元整備を見守りつつ、進行状況をまたブログで報告したいと思います。


平成28年12月4日訪問


宇和島城一口城主募集

2016年09月03日 | 歴史のつぶやき
宇和島城一口城主に寄付しました。




宇和島城では「宇和島城一口城主」を募集しています。

現存12天守のひとつ「宇和島城」の保存・修繕のため、1口5000円より寄付を募集しています。

ふるさと納税制度の適用にもなるので希望すると寄付控除の書類も送ってもらうこができます。

寄付をすると城主証宇和島城天守の無料入場券2枚伊達博物館の無料入場券2枚が送られて来ます。

城主証の日付は希望日にすることもできて、今回私は特別な記念日にちなんでお願いしました。

一口寄付をすると宇和島市ホームページの協力者名簿に氏名が掲載されます。※掲載希望者のみ

二口以上寄付をすると市のホームページ掲載と宇和島城天守内に氏名が掲載されます。※掲載希望者のみ


申し込み方法等詳しくは宇和島市ホームページをご覧になって下さい。


貴重な現存12天守を守って行くために心ばかりですが役に立てたなら幸いです。。。。


家族分の入場券もいただいたのでまた宇和島城に行って天守内の氏名掲載を確認しなくっちゃね。