むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

松露饅頭(佐賀県)

2023年01月24日 | グルメ
🍡唐津の松露饅頭


1850年(嘉永3年)に佐賀県の唐津で創業。
豊臣秀吉が、朝鮮出兵で高麗から陶器と一緒に渡ってきた文化のひとつに「焼饅頭」がありました。
江戸時代に大原家の阿わび屋惣兵衛が焼饅頭に創意工夫をこらし、唐津藩主小笠原侯に献上したところ、
日本三大松原のひとつでもある「虹の松原」の松の根元の砂から年春、秋に自生する、
球状の高級キノコ「松露」に似ていることから「松露饅頭」と名付けられました。

ふるさと納税の返礼品にもなっている唐津の老舗 大原松露饅頭ということで
唐津の老舗和菓子を買ってみました。
中はこしあんで程よい甘さ。
疲れた時に、お茶と一緒にいただくととても癒されます。
昨年訪れた唐津城を思い浮かべながら、美味しく頂きました。


令和5年1月23日






厚木とん漬け(神奈川県)

2022年05月19日 | グルメ

厚木とん漬けの歴史
江戸時代の末期、荻野山中藩(現在の厚木市近辺)で人寄せがありました。
しかし、思いのほか集まった客人が多く料理が不足してしまったのです。
何とかならないかと思案した結果、猪の肉に味噌を塗ったものを出すことにしました。
ところが、当時の武士は四ッ足の肉(牛や豚、馬や猪、鹿や兎など四本足の動物)を食べる事を嫌っていました。
そこで、何の肉か分からぬよう味噌を塗ったまま焼き、それを膳に添えたところ意外にも美味いと評判になりました。
これが「とん漬」の始まりと言われています。



主人のお友達(ラリーとお城好き)のKさんから頂いたのですが、肉が柔らかく味がしっかりしていて
ご飯が何杯でもいけちゃう危険な御馳走を知ってしまいました✨
焼いた写真撮るのも忘れて食べてしまいました(^^;
これはリピートしてしまいます。ありがとう!


令和4年4月24日





丁子屋(静岡県)

2022年04月04日 | グルメ
丁子屋ちょうじや
街道名東海道・丸子宿
創業年代1596年(慶長元年)
廃業年代現在も続く
指定史跡国登録有形文化財
場所静岡県静岡市駿河区丸子7丁目-10-10 地図

1596年(慶長元年)丸子宿に丁子屋平吉が宿場の茶屋として創業したのがはじまりです。
自然薯が採れる時期に旅人にとろろ汁をふるまい、
この先の難所である宇津ノ谷峠を越えるために精を付けようとする
旅人で賑わったといわれます。


広重さんの部屋

部屋は9部屋あり、それぞれ丸子宿や静岡にちなんだ名前が付けられているとのことで、
この日は広重さんの部屋へ通され、江戸四大浮世絵絵師の一人である歌川広重の「東海道五十三次」を見上げながらの
食事となりました。
「東海道五十三次」の中で丸子宿は、ここ「丁子屋」が描かれています。


とろろ汁

丁子屋のとろろ汁の特徴は、江戸時代から変わらない味という秘伝の「自家製みそ」です。
味噌味のとろろ汁は初めて食べました。
ちょっと衝撃的な味で、脳内変換するのにちょっと時間がかかりました(^^;


芭蕉さんの部屋

松尾芭蕉も「梅わかな 丸子の宿の とろろ汁」と俳句を詠んでいます。
丁子屋の建物は、江戸・明治・大正・昭和の古民家が使われているそうで、
各部屋で雰囲気や造り違うそうです。


資料館

お店を入って、正面奥に資料館があります。
食事の後に寄ってみました。
近くに高札場もあるので、大政奉還を伝えた時の高札などが展示されています。


ずっと来たいと思っていたお店だったので、念願叶い大変満足致しました(^-^)


令和4年3月27日訪問


今回、作ってみたら2時間かかりました。(むぎ)



柿の葉すし

2021年08月10日 | グルメ
🍣柿の葉すし



柿の葉すしは奈良県の中南部・吉野地方の郷土料理で、
塩で〆た鯖を薄くスライスし酢飯の上に載せ、柿の葉で包んだものです。
福井と京都を結ぶ鯖街道とほとんど同じ理由で誕生しています。
海が無い奈良へ海から魚を運ぶという保存が利く御馳走です。
使われる魚は主に鯖ですが、鮭・鯛・鯵・海老など種類は豊富です。

さて、北陸の方では包むものに笹が使われています。
奈良では柿の葉が使われているのが特徴です。

柿の葉は、抗酸化作用や殺菌作用のあるタンニン・ビタミンなどを豊富に含んでいます。
へたの部分が漢方薬として用いられるほど、効能があるようです。

食べてみると、柿の葉ってこんなに香りがあったんだっけ?
と柿の実の部分とはまた違った味と香りが楽しめます。
明らかに北陸方面のもと風味が違う。(食べたことが無いとわからないかも)

秋になると紅葉した柿の葉が使われることもあるようなので
紅葉の時期には目も楽しませてくれそうですね。







鯖街道の珍味へしこ

2021年07月16日 | グルメ
🍶 へしこ


「へしこ」と呼ばれる福井県若狭地方の伝統料理があります。
青魚を塩漬けにしたあと、ぬか漬けにして一年~二年の長期にわたり本漬け熟成したものです。
福井県から京都府まで続く「若狭街道」は、若狭湾で水揚げされた鯖を京都まで運んでいたこともあり、
「鯖街道」と呼ばれるようになったことでも知られています。

鯖は足が早い食材ですが、日持ちをさせるために編み出された調理法で、
冬場のたんぱく源の保存食として鯖街道沿線の宿場や、京都などで重宝されていました。


日本海側へ行くと、つい「カニ」食べよう!と思ってしまい
このような伝統的な食べ物が頭に浮かばなかったのですが、攻城団の団員総会後に
団員さんたちと食事をした時に、初めて食べてみました。
福井の地酒と頂いて、めちゃめちゃ美味しかった。
ほんとに酒の肴には最高です。
良いものを教えていただきました。
次は「なれ寿司」も食べてみたいものです。



津山ホルモンうどん

2021年07月13日 | グルメ
津山ホルモンうどん

居酒屋「金両」 【場所】津山市大手町2−2 津山セントラルホテルタウンハウス1F 地図

津山の食文化としては、古くから牛馬の市が開かれたように、牛馬の流通の拠点だったようです。
明治時代以前に肉食が禁止された近江などでもあった「養生喰い」は、
「健康の為に食べる」・「薬として食べる」という意味で、
津山藩の領内では牛肉を食べることを江戸幕府に許可されていました。
そのため津山の牛肉は全国的にも有名になり、名物となりました。


近年、酒のつまみの一品として食べられていたホルモン焼きに
締めの一品としてうどんを一緒に焼いて食べていたのが、
ホルモンうどんの起源だとされています。
津山城へ行った際、夕食に食べたのですが、
帰りにはホルモンうどんのタレを買って帰りました。万能なタレです!




延岡発祥 破れ饅頭

2021年07月06日 | グルメ
🍡破れ饅頭


破れ饅頭の由来は、天岩戸に隠れたアマテラスオオミカミをアメノウズメノミコトが木の小枝を持って舞い踊り、
この時の小枝が皇賀玉(おがたま・招霊)の木でした。
破れ饅頭はこのオガタマの実を形どっています。
そのため別名「オガタマまんじゅう」とも言われてます。
1605年(慶長10年)、延岡城の下町の製菓店が売り出したのが始まりで、
中町にあった佐々木磯吉菓子店が受け継ぎ広まりました。

近所のスーパーで期間限定で売り出していたので
早速買って食べてみました。
ほぼほぼあんこです。
皮はものすご~く薄く、中のあんこは昔ながらの甘さです。
(甘さ控えめではありません)
お茶🍵といただくのがベストです。



水軍の賄い飯宇和島鯛めし

2021年07月02日 | グルメ
宇和島鯛めし

海鮮居酒屋がいや

鯛の刺身をご飯にのせ、生卵、ごま、ねぎ、のりなどの薬味をのせて特製タレでいただくという郷土料理です。

船上では火を使えないので、切身を醤油につけてご飯の上にのせて丼物にして豪快に食べたのがはじまりで、
「宇和島鯛めし」は宇和海の日振島を拠点に活動していた伊予水軍が
船上で食べられる賄い飯として誕生したといわれています。
海賊達が酒盛りをしながら刺身を食べている時に、締めの料理として酒盛りをした茶碗に
ご飯をよそって残った刺身をのせて食べたのではないかと言われています。
鯛めしが誕生した当時は鯛に限らず、白身でも赤身でも魚の刺身ならどれでもOKで、
鯵などの刺身も使用していたいいます。
ちなみに、鯛だけを使うようになったのは昭和に入ってからと言われています。

また、「宇和島鯛めし」は元々は「ひゅうが飯」と呼ばれていて、日振島が訛ったから、
もしくは九州の大分、日向の国から伝わったので「ひゅうが飯」と呼ばれる様になったとの説もあります。

このように海上で作られた漁師めしだったのが由来なので
炊き込みご飯のような鯛めしとは全く違うのが「宇和島鯛めし」の特徴です。





胃に優しい思いやりの白石うーめん

2021年07月01日 | グルメ
白石うーめん

白石うーめんは、白石の城下町にいた浅右衛門という青年により白石温麺は誕生しました。

今から約400年前、浅右衛門は胃腸が弱く病弱な父親のために
「消化が良く元気になる食べ物はないか」と、毎日方々を探し回っていました。
ある日、旅の僧から、油を使わず消化に良い麺があると聞き、その製法を伝授してもらいました。
浅右衛門はさっそく小麦粉と塩水から作る製法で、麺を完成させました。
その麺は消化が良く、滋養となり、父親の胃病はたちまち回復していったそうです。

その後、浅右衛門の造った麺は評判を呼び、
白石城の片倉小十郎の耳にも入り献上されました。
すると病の父を思いやる心から、この麺が誕生したことに感銘を受け
小十郎はこの麺を「温麺」と名付け、浅右衛門は「味右衛門」と名乗ることを許されたと言われています。

うーめんの由来は諸説ありますが、代表的な話としては上記の逸話がよく知られています。
胃に優しい思いやりのある「うーめん」。
コロナ疲れも癒してくれるかも。。。





久松松平家の家伝の松山タルト

2021年06月30日 | グルメ

長崎探題職を兼務していた定行が1647年(正保4年)にポルトガル船が運んできた南蛮菓子を食し、その味にいたく感動したため、製法を松山に持ち帰ったといわれています。
その南蛮菓子はカステラの中にジャムが入ったロールケーキのようなもので、現在のあんこが入ったタルトは定行が独自に考案したものだそうです。

その後、このタルトは久松松平家の家伝とされ、明治以降、松山の菓子司に技術が伝わり、愛媛の銘菓となりました。
中のあんこも柚子餡だけでなく、栗入りや伊予柑風味の商品もあり、メーカーとしては一六本舗、六時屋、ハタダなどが有名です。
(とくに一六本舗の「一六タルト」は県外でも知られるほど有名ですね)



徳川慶喜の愛した将軍珈琲

2021年02月04日 | グルメ
将軍珈琲


徳川将軍珈琲の歴史
フランスと連携し、幕府再生に取り組んだ徳川慶喜は、実弟の昭武を将軍名代の代理として1867年パリ万国博に派遣しました。
次期将軍として処遇され、皇帝達と華麗なる幕末最大の外交行事である宮廷外交を行うことになりました。
そこには、フランスからの近代化資金の調達、という狙いもあったのですが、
その直後、明治維新により昭武は帰国を余儀なくされました。
そんな中渡欧した際、昭武は珈琲に出会いました。
パリ万博への船中やシェルブールの海岸で珈琲を味わい、
昭武や随行した渋沢栄一、杉浦譲たちは珈琲を愛飲していたました。

将軍珈琲は、徳川慶喜家4代目当主(慶喜のひ孫)に当たる写真家・徳川慶朝さんが
2002年、松戸市戸定歴史館とサザコーヒーと協力して過去の記録などを参考に当時の珈琲を再現しました。


松戸城へ訪れた際に将軍珈琲に出会いました。
史実に基づきモカをフレンチローストで仕上げたという珈琲を戸定が丘公園の茶室「松雲亭」でいただきました。
今はコロナ禍でおうち時間が増えた中、お取り寄せにてサザコーヒーの「将軍珈琲」を家で味わって
歴史ロマンに触れてみてはいかがでしょうか。

戸定が丘公園の茶室「松雲亭」:地図










さんぽめし

2021年01月01日 | グルメ
🌸立寄りグルメとお土産をご紹介🌸

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広島県 
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🍴鯛めし
🍴焼豚玉子飯

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🍴松露饅頭 

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