むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

田沼街道

2022年08月01日 | 関所・宿場
起点:相良湊橋

牧之原市資料館北側にある起点

🏯相良城

起点となる湊橋があるのは相良城があった場所です。
               
🍡島田宿
               
🍡金谷宿



終点:藤枝勝草橋

近世念珠ヶ関址(山形県)

2022年07月27日 | 関所・宿場
近世念珠ヶ関址きんせねずがせきし
街道名羽州浜街道
設置年代1596年〜1615年(慶長年間)
廃止年代1872年(明治5年)
指定史跡市指定史跡
場所山形県鶴岡市鼠ヶ関  地図

鼠ヶ関には二つの関所址があり、ここ近世念珠ヶ関址と南へ約1キロの県境に古代鼠ヶ関址と呼ばれる関所址があります。
古代鼠ヶ関は、勿来関、白河関と並ぶ奥州三大関所のひとつとされていました。
そして古代鼠ヶ関と区別するようにこの地には近世念珠ヶ関址が江戸時代に存在していました。
この番所は沖を通る船の監視や港に入る船の取り締まりも行っていました。




国道7号線を新潟方面から山形方面へと向かっていると、石碑と看板が目に留まりました。
ストップ!戻れ~!
と足軽ドライバーに命令、確認しに車を降りる。
どうやらここは関所跡のようなので、止められたようだ。
(誰も止めてません、私が勝手に止めました)


関所跡

羽州浜街道は鼠ヶ関から鶴岡を経て日本海の浜に沿って久保田へ至る街道です。
越後と出羽を結ぶ玄関口で、越後の米や日本海の漁場で獲れたタラやハタハタ、ズワイガニなどの
流通が盛んで、庄内藩主酒井忠勝が入封するとこの先のあつみ温泉には湯役所を設けるなど
旅人たちの往来も監視する重要な関でもありました。


案内看板

冠木門の脇にある案内看板。
道路から見ると裏向きなのに、近頃は看板や標柱、石碑といったものが
ほんとよく視界に入ってしまいます(^^;


絵図

案内看板にある延宝二年と弘化三年の絵図を拡大してみました。
街道には門、両脇には高さ6mの柵が立てられていたようです。


源義経上陸の地

兄の源頼朝に追われた源義経一行は、奥州平泉を目指して京の都から琵琶湖を経て日本海を北上し、
船で念珠関に入ったと伝わる港です。
歌舞伎の「勧進帳」の舞台になった関所はここではないかとも云われています。


朝食を求めてこの先の道の駅をめざしていたら、通りすがりにここに寄ることが出来ました。
知っていたらもう少し周辺の散策をしているところでしたが、またこの道を利用することがあったら
きっと寄り道することになるでしょう。。。


令和4年7月16日訪問





羽州浜街道

2022年06月01日 | 関所・宿場
起点:鼠ヶ関宿

  近世念珠ヶ関址
🍡鼠ヶ関宿(山形県鶴岡市鼠ヶ関)


🍡温海宿(山形県鶴岡市温海)


🍡大山宿(山形県鶴岡市大山)


🍡浜中宿(山形県酒田市浜中)


🍡酒田宿(山形県酒田市)


🍡吹浦宿(山形県飽海郡遊佐町吹浦)


🍡金浦宿(秋田県にかほ市金浦)


🍡本荘宿(秋田県由利本荘市)


🍡亀田宿(秋田県由利本荘市)


🍡久保田宿(秋田県秋田市)


終点:

宇津ノ谷峠(静岡県)

2022年04月06日 | 関所・宿場
宇津ノ谷峠うつのやとうげ
街道名東海道
設置年代1590年(天正18年)
廃止年代
指定史跡
場所静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷82-2「道の駅宇津ノ谷峠」  地図

宇津ノ谷は、静岡市の西部にある峠の入り口です。
峠越えの道は、古くは「蔦の細道」と呼ばれ「伊勢物語」にも記されていました。
そして宇津ノ谷峠は、豊臣秀吉が小田原攻め際に「蔦の細道」よりも西側に
大軍を通すために伐り開き、江戸時代に東海道として整備したのが旧東海道です。
宇津ノ谷峠を挟んで静岡市側には丸子宿、藤枝市側には岡部宿があります。



道の駅宇津ノ谷峠

道の駅宇津ノ谷峠へやって来ました。
宇津ノ谷トンネルの静岡側にある道の駅です。
朝ごはん食べられるかなあ?と寄り道してみました。



約700年~1590年頃まで使われていた東海道は「つたの細道」と呼ばれ、
平安時代の「伊勢物語」にも登場、戦国期秀吉が造った道は江戸時代に整備され
東海道となり参勤交代をはじめ海外の使者や旅人が行き交う街道となりました。
明治になると、日本で初の通行料を払って通るトンネル(銭取りトンネル)が出来ました。
このように、この峠は昔から難儀していたことを時代を追って見ることが出来ます。


とろろ汁

手前の丸子宿ではとろろ汁が名物で、道の駅でもとろろ汁が食べられます。
何と言っても朝7時から食べられるのがありがたいです。
一般的なだし汁で、見た目は白いが、しっかり味付けされていました。
ごはんは無料でおかわり出来、とろろ汁の量もたっぷり2杯分はあるのでお腹いっぱい食べられます(^-^)
私としては、味噌味よりこちらの方が食べ慣れた感じで好みかなあ。


しぞ~かおでん

とろろ汁定食がリーズナブルだったので、しぞ~かおでんを1品足してみました。
特徴的なのは青のりとだし粉を振り掛けるところでしょうか。
ここは、静岡おでんでは名の知れている天神屋さんのお店だったんですね。


自然薯

道の駅では、地元名産の自然薯も売られています。
スリムで長い山芋です。


「宇津ノ谷峠」のタイトルですが、内容はほぼ食事処といった感じになってしまいました。
ちゃんと自分の足で東海道を歩いていればもっと違った記事になっていたことでしょう。
車にてご勘弁を。。。


令和4年3月27日訪問

予想より時間がかかってしまった…300ピース、なめてました💦(むぎ)



奥州街道

2022年03月14日 | 関所・宿場
起点:日本橋(にほんばし)

🍡千住宿(せんじゅ)

🍡草加宿(そうか)

🍡越谷宿(こしがや)

🍡粕壁宿(かすかべ)

🍡杉戸宿(すぎと)

🍡幸手宿(さって)

🍡栗橋宿(くりはし)

🍡中田宿(なかだ)

🍡古河宿(こが)

🍡野木宿(のぎ)

🍡間々田宿(ままだ)

🍡小山宿(おやま)

🍡新田宿(しんでん)

🍡小金井宿(こがねい)

🍡石橋宿(いしばし)

🍡雀宮宿(すずめのみや)

🍡宇都宮宿(うつのみや)

🍡白沢宿(しらさわ)

🍡氏家宿(うじいえ)

🍡喜連川宿(きつれがわ)

🍡佐久山塾(さくやま)

🍡大田原宿(おおたわら)

🍡鍋掛塾(なべかけ)

🍡越堀宿(こしぼり)

🍡芦野宿(あしの)

🍡白坂宿(しらさか)

🍡白河宿(しらかわ)

終点:白河(しらかわ)

甲州街道

2022年03月14日 | 関所・宿場
起点:日本橋(にほんばし)

🍡内藤新宿(ないとうしんじゅく)

🍡高井戸宿(たかいど)

🍡布田五ヶ宿(ふたごか)

🍡府中宿(ふちゅう)

🍡日野宿(ひの)

🍡八王子宿(はちおうじ)
 🏯滝山城

🍡駒木野宿(こまきの)

🍡小仏宿(こぼとけ)

🍡小原宿(こはら)

🍡与瀬宿(よせ)

🍡吉野宿(よしの)

🍡関野宿(せきの)

🍡上野原宿(うえのはら)

🍡鶴川宿(つるかわ)

🍡野田尻宿(のだじり)

🍡犬目宿(いぬめ)

🍡鳥沢宿(とりさわ)

🍡猿橋宿(さるはし)

🍡駒橋宿(こまはし)

🍡大月宿(おおつき)

🍡花咲宿(はなさき)

🍡初狩宿(はつかり)

🍡白野宿(しらの)

🍡阿弥陀街道宿(あみだかいどう)

🍡黒野田宿(くろのだ)

🍡駒飼宿(こまかい)

🍡鶴瀬宿(つるせ)

🍡勝沼宿(かつぬま)

🍡栗原宿(くりはら)

🍡石和宿(いさわ)

🍡甲府柳町宿(こうふやなぎまち)
 🏯甲府城

🍡韮崎宿(にらさき)

🍡台ヶ原宿(だいがはら)

🍡教来石宿(きょうらいし)

🍡蔦木宿(つたき)

🍡金沢宿(かなざわ)

🍡上諏訪宿(かみすわ)
 🏯高島城

終点:下諏訪(しもすわ)

高山宿(岐阜県)

2021年02月11日 | 関所・宿場
高山宿たかやまじゅく
街道名下街道
設置江戸時代
廃止明治時代
指定史跡
場所岐阜県土岐市土岐津町高山 地図

下街道は、中山道恵那槙ヶ根追分から名古屋城下を結ぶ脇街道で、
高山宿は下町街道の中間地点にあたる場所になるため、馬継場・宿場町として栄えました。
中山道よりも峠が少ないため利便性が良く、善光寺参りや御岳参りのほか
伊勢神宮へのお参りの人々も往来していました。
信州・美濃・尾張などから出荷される荷物が牛馬によって輸送され、通りは賑わっていました。
また、戦国期には高山城が武田信玄・勝頼親子と織田信長の天下取りの合戦場となりました。





朝、名古屋を出発すると夕刻には高山宿に到着するため、多くの人がここでの宿を利用しました。
馬や駕籠の交代する場所としても位置されていました。
やがて、中山道よりも下街道の方が通行量が増えるのを懸念して
中山道の各宿場が尾張藩へ、下街道の通行止めの訴えを起こしていました。
しかし、当時の高山村は天領だったため、幕府に訴えることで宿場としての権利を守ることが出来ました。



明治になると高山村に郡役所が置かれ、峠の少ない下街道が鉄道や国道、高速道路のルートの基となって行き
今の交通事情となっています。


令和2年6月27日訪問









鼠宿(長野県)

2020年12月11日 | 関所・宿場
鼠宿ねずみじゅく
街道名北国街道
設置1623年(元和9年)
廃止1871年(明治4年)
指定史跡
場所長野県坂城町南条 地図

鼠宿は、北国街道の上田宿と坂木宿の間宿でした。
真田氏が南条村と称していた金井村以南の地を鼠宿村と改め、宿場として造成した松代藩が設けた私宿です。
藩主の参勤交代・領内見分、藩士の日常出張等の宿泊・休憩の接待や
藩の荷物の継ぎ立てに当たらせ、口留番所を設けて人や物の出入りを取り締っていました。
本陣(御茶屋)・脇本陣・問屋・馬宿・一般旅人の休憩する茶屋などが並び、賑わったという。



旧北国街道

国道18号線沿いに残る旧北国街道。
ここに1622年(元和8年)に真田信之が松代入城したことを契機に南条村を鼠宿村と改称したのを始まりとする
松代藩私宿の扱いで間宿とした鼠宿があります。
水路には鞍掛橋や一里塚橋などの名前の付いた橋が架かっています。


案内看板

北国街道一里塚公園として整備された旧北国街道に設置された案内看板です。


芭蕉付句塚と万葉歌碑

案内看板からほど近い場所に會地早雄神社があります。
この入口に芭蕉付句塚と万葉歌碑があります。


會地早雄神社

別名「ねずみ神社」と呼ばれる神社です。


太鼓橋

この橋は、はたして渡って良いのか悪いのか…遊び心をくすぐられる橋です。
当然ながら遊び心で造られたものではないはずなので、ここは見るだけにしておきます^^;


岩鼻

それにしても、いつ見ても凄い崖地です。
岩鼻と呼ばれるこの地は、上田藩と松代藩の境界でもあり、
坂城の横吹坂と並ぶ街道一の難所と言われています。
参勤交代の際には、飛脚を立てて無事を国許へ伝えるほどであったようです。


和合城

そして、岩鼻の上には村上氏が坂城や本拠地を守るために利用した和合城跡があります。
この和合城跡は狼煙台の役目も果たした場所です。
鼠の地名は「不寝見(ねずみ)」で、狼煙台があったところという説もあります。


眺望

ここからの眺めは、御覧の通りすばらしい見晴らしです。
真下には鼠村の様子が見えるので、街道を行き交う様子も見えますよね。


和合城を鼠宿側から登り、下塩尻側へ下り国道18号から旧北国街道を見ながら一周して来ました。
寒さに弱いデジカメはこの冬初のご機嫌斜めのバッテリー残量無しの警告を発し、
寒さにも強い一眼レフカメラは旧北国街道へ入ったところでメモリーカードの残量が無くなるという
二台のカメラ体制にもかかわらず、残念ながら鼠宿での撮影は存分には出来ませんでした。
…という訳で、ちょっと物足りないレポートとなりました。


令和2年12月6日訪問






児玉往還

2020年12月02日 | 関所・宿場
起点:川越

🍡川越宿(埼玉県川越市)

🍡塚越宿(埼玉県坂戸市)

🍡石井宿(埼玉県坂戸市)

🍡高坂宿(埼玉県東松山市)
 松山陣屋

🍡菅谷宿(埼玉県比企郡嵐山町)

🍡奈良梨宿(埼玉県比企郡小川町)
 奈良梨陣屋

🍡今市宿(埼玉県大里郡寄居町)

🍡赤浜宿(埼玉県大里郡寄居町)

🍡小前田宿(埼玉県深谷市)

🍡広木宿(埼玉県児玉郡美里町)

🍡児玉宿(埼玉県本庄市)

🍡藤岡宿(群馬県藤岡市)

終点:藤岡


谷街道

2020年12月02日 | 関所・宿場
起点:千曲

🍡稲荷山宿(長野県千曲市)

🍡矢代宿(長野県千曲市)

🍡松代城下(長野県長野市)

🍡川田宿(長野県長野市)

🍡須坂宿(長野県須坂市)

🍡小布施宿(長野県上高井郡小布施町)
 小布施陣屋
 六川陣屋

🍡中野宿(長野県中野市)

🍡飯山城下(長野県飯山市)

終点:飯山


美濃路(東海道・中山道脇往還)

2020年12月01日 | 関所・宿場
起点:名古屋

🍡宮宿

🍡名古屋宿

🍡清須宿

🍡稲葉宿

🍡萩原宿

🍡起宿

🍡墨俣宿

🍡大垣宿

🍡垂井宿

終点:垂井