気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

廃村の大平宿(おおだいらじゅく)いろりの里 宿泊体験

2023-11-30 10:22:07 | 旅行
こんにちは!
今回の掲載記事は11月6日~8日にかけて訪れた中山道、木曾路、
飛騨路の旅の風景を数話に分けてお届けしたいと思います
今回の記事は長野県飯田市に1970年(昭和45年)迄 存在した宿場町
いろりの里 大平宿宿泊体験を掲載してみたいと思います

いろりの里 大平宿入口
大平宿は飯田から木曽方面へ向かう街道ぞいに、
江戸末期に開かれた宿場です

いろりの里 大平宿
大平宿(おおだいらじゅく)は、長野県飯田市に存在した宿場町である
中山道と三州街道(伊那街道)を結ぶ大平街道のほぼ中間地点、
標高1150mの大平高原と呼ばれる山中のわずかな平地に
建物が点在している
現在は「いろりの里 大平宿」として保存され、
不定期で各種イベントが行われている
また一般開放されているので、協力費を添えて申し込めば、
古民家一軒を借り切って宿泊(すべて自給による)することも
可能となっている 2017年4月以降、大平宿の宿泊の
問い合わせは、飯田市からの指定管理者となった
南信州観光公社が行っている

いろりの里 大平宿 古民家





いろりの里 古民家 深見荘
2連泊でお世話になりました
南信州観光公社より受け取った鍵で古民家入室

いろりの里 古民家 深見荘室内

いろりの里 古民家 深見荘入室すると
土間にかまどがあり、1970年(昭和45年)当時のまま残されています
かまども現役 薪で煮炊きする事ができます

土間を上がると大きな囲炉裏があります

古民家 深見荘 囲炉裏を囲む板張りの間
1970年(昭和45年)まで実際に村人が暮らしていました

いろりの里 古民家 深見荘に入室すると
先ずは板の間、畳部屋2室の掃除から始めないと
ゆったり出来ません(薪の灰、煤等) 宿泊者の了解事項!

室内の掃除が済、持参したテーブル、椅子を設置

和室 2部屋の様子です
ウエットシートで丁寧に掃除しました

室内と室外を隔てているガラス戸と廊下

ようやく寛げる古民家空間になりました

和室2部屋に就寝スペース設営
同行した弟はコット(アウトドア簡易ベット)、奥のスペースに(私は)
キャンプ用スクリーンテント(虫よけ対策)を設営
これで安心して就寝できます



和室2部屋の就寝スペースはこんな感じです!

辺りは薄暗くなってきました
本日の宿泊者は私たち2人だけです
標高1150mの大平高原には私たち以外誰もいないようです

古民家室内は急激に温度が下がり、薪ストーブに火入れ
薪ストーブの炎に癒されながら夜はふけていきました
画像にはありませんが夕食は温かいおでんをを頂きました

ちなみに標高1150mの大平高原は電波が届かず
ネット環境は遮断されています
唯一の連絡手段は衛星電話で大平宿入口に設置されています
下界との連絡手段はこの公衆電話のみとなります


最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう

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妻籠宿 江戸時代末期の町並みが残る風情後編

2023-11-26 12:48:57 | 旅行
こんにちは!
今回の掲載記事は11月6日~8日にかけて訪れた中山道、木曾路、
飛騨路の旅の風景を数話に分けてお届けしたいと思います
初回の記事は江戸時代末期の町並みがそのまま残る
中山道42番目の宿場妻籠宿後編を掲載してみたいと思います

妻籠宿(つまごじゅく)
寺下の町並みに入る石段横に佇む、
石置き屋根が目印の「下嵯峨屋」(しもさがや)
妻籠宿にある民家の中では比較的古い形式を留めていて、
内部の柱には檜を使い、当時の民家を代表する
片土間に並列2間取りというスタイル

妻籠宿 寺下の町並み

妻籠宿 寺下の町並み
1960年代に深刻となった長野県の過疎問題の対策として、
開発事業としての保存事業が基本方針となった
1968年から1970年にかけて明治百年記念事業の一環として
寺下地区の26戸が解体修復された
その後、観光客が増え始めたことから
観光関連施設の整備が行われるようになり、
保存事業を制度面から後押しするために、
1973年に当時としては例の少ない、
町独自の町並み保存条例である『妻籠宿保存条例』が制定された
(1976年に『妻籠宿保存地区保存条例』へ改正)
経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、
いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、
1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれた
他の保存地区と異なり、周辺の農地など宿場を支えた環境全体を保存するため、
国有林を含めた広範囲が選定されている



江戸時代末期の町並み 妻籠宿 寺下地区



江戸時代末期の町並みがそのまま残る妻籠宿を散策

早朝の妻籠宿(つまごじゅく)を散策



妻籠宿郵便資料館
島崎藤村(夜明け前)にも開局当時の様子が描かれている

妻籠宿本陣(南木曾町博物館)

早朝の妻籠宿(つまごじゅく)を散策

妻籠宿高札場
今日でいう官報掲示板
幕府が庶民に対して、禁制や法度等を示したもの

地上に落ちてきた魚 鯉岩
地すべりによってここまで流れてきたであろう
この大きな岩は、鯉岩として知られており、
何世紀にもわたって中山道の旅に疲れた旅人の間では
よく知られた陸標でしたが、残念なことに、
1891年の濃尾大地震でその飛び跳ねた魚を思わせる形が
大きく損なわれてしまいました
このマグニチュード8.0の日本史上最大の内陸直下型地震により
この岩が壊れ、その前方部分がほぼ直角に折れて落ちてしまいました
この看板には、1806年発行の木曽路名所図絵の
鯉岩の当初の状態が描かれた版画の複製が掲げられています
(岩の側面のヒレは、版画家が付け加えたものです) が、
よく見ると、この岩の根元に魚の口のようなものを
未だに認めることができます

木曾路 名所絵図に描かれた鯉岩
気になったのでネットで絵図を調べてみました
鯉によく似た岩だったようです

鯉岩の由来が書かれています

散策ルートに掲げられた妻籠宿寺下地区への案内
妻籠宿を後に本日の宿泊予定地 廃村の南信州大平宿へ向かいました



最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう


 



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妻籠宿 江戸時代末期の町並みが残る風情前編

2023-11-23 14:57:20 | 旅行
こんにちは!
今回の掲載記事は11月6日~8日にかけて訪れた中山道、木曾路、
飛騨路の旅の風景を数話に分けてお届けしたいと思います
初回の記事は江戸時代末期の町並みがそのまま残る中山道42番目の宿場
妻籠宿を掲載してみたいと思います

外国人観光客の間で「サムライの道」と呼ばれる
妻籠宿町並み
妻籠宿(つまごじゅく)は、
中山道42番目の宿場(→中山道六十九次)で、
現在は長野県木曽郡南木曽町
蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する

現代においては、隣接する馬籠宿((旧長野県木曽郡山口村) 、
現在は岐阜県中津川市)と、
馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて
木曽路を代表する観光名所として、
外国人を含めて訪れる旅行者が多い

妻籠宿は中山道と飯田街道の追分に位置する交通の要衝であった
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、
妻籠宿の宿内家数は31軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、
旅籠31軒で宿内人口は418人であった

伝統的な町並みが残る妻籠宿

妻籠宿案内図

民家の軒先に飾られた木彫り人形etc





江戸時代末期の町並みがそのまま残る妻籠宿は、
世界的に有名なガイドブックやイギリスの
BBC放送で紹介されたことから、
外国人観光客の間で「サムライの道」と呼ばれるようになり、
大人気です



民家の軒先に飾られた吊るし柿

澤田屋さんで食した栗と柿があまりにも美味しかったので
お土産に購入しました
栗と柿は干柿に栗きんとんが入っている素朴な味わい

妻籠宿(つまごじゅく)風情
まるで江戸時代にタイムスリップしたような風景が広がっていました



最後まで御覧頂きありがとうございます
江戸時代末期の町並みが残る風情後編へと続く
次の投稿までご機嫌よう

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馬籠峠(まごめとうげ)中山道有数の宿に囲まれた峠

2023-11-19 11:39:12 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は妻籠宿と馬籠宿の両宿の間にある
馬籠峠(まごめとうげ)を取り上げてみたいと思います

妻籠宿と馬籠宿の両宿の間にある馬籠峠(まごめとうげ)
馬籠峠(まごめとうげ)は、
長野県木曽郡南木曽町と岐阜県中津川市の境にある旧中山道の峠
標高790メートル

妻籠宿と馬籠宿の両宿の間にあり、
中山道の宿場町の中でも史蹟として保存状態の良い
両宿を含めて観光地として訪れる人も多い 峠には
「白雲や青葉若葉の三十里」という正岡子規の句碑が建っている
峠の名前は馬籠宿に由来するものであるが、
反対側の妻籠宿に由来する妻籠峠(つまごとうげ)という呼び名も
江戸時代には行われていた
かつては長野県内の峠だったが、
山口村が中津川市と越県合併したことで
県境の峠となった峠道は中山道の旧道と岐阜県道・
長野県道7号中津川南木曽線が並走し、
分岐と交差を繰り返している

馬籠峠(まごめとうげ)に立つ道標

右方向旧道 中山道

馬籠峠(まごめとうげ) 標高790m

馬籠峠 峠の茶屋と馬籠宿方面を眺める



馬籠峠(まごめとうげ)バス停

馬籠峠 峠の茶屋

馬籠峠から妻籠宿へ



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歴史ある宿場町「馬籠宿」後編

2023-11-16 10:09:22 | 旅行
こんにちは!
今回の掲載記事は11月6日~8日にかけて訪れた中山道、木曾路、
飛騨路の旅の風景を数話に分けてお届けしたいと思います
今回の記事は歴史ある宿場町「馬籠宿」後編と題しまして
江戸時代から続く情景を掲載してみたいと思います

歴史ある宿場町「馬籠宿」
岐阜県中津川市馬籠(まごめ)地域は、
日本のほぼ中心部、中央南アルプス南端に位置し、
傾斜地形の中に水田や山林が広がる里山風景が楽しめるエリアです
地域の中心部を江戸初期に開通した街道「中山道」が通っており、
京都から続くこの旧街道は当地の宿場「馬籠宿」の先では「
木曽路」と呼ばれる江戸時代の情景を保つ険しい80㎞ほどの区間に入り、
その先もさらに延びて東京に続いています



馬籠宿上部にある高札場



妻籠宿へ7.7㎞



馬籠宿上部にある高札場

上陣場(かみじんば)から眺める恵那山
ここは、天正12年(1584)、小牧・長久手の戦いで、
徳川軍配下の菅沼、保科の軍が陣をとった場所として知られます

馬籠宿展望台の島崎藤村碑
「心を起さうと思はゞ先づ身を起こせ」と記されている

上陣場(かみじんば)にある道祖神

馬籠宿展望台から眺める馬籠宿風景





木曽馬籠 清水屋資料館

馬籠宿 風情ある石畳 この先は妻籠宿へ

馬籠宿 古道 中山道碑





馬籠宿 水車塚碑

木札の掲示板の先は馬籠峠へ


最後まで御覧頂きありがとうございます
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