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生物季節観測、廃止・縮小から一転存続へ 気象庁と環境省、国立環境研究所がタッグを組む生物季節観測、廃止・縮小から一転存続へ 気象庁と環境省、国立環境研究所がタッグを組む

2021年03月31日 | 自然・農業・環境問題
 

観測項目だったツバメ 撮影 高橋和也氏

 今日(3月30日)は、東京で10年ぶりに黄砂が観測されるなど北日本から西日本の各地で黄砂が話題になっていますが、その裏で気象庁と環境省からたいへん重要な報道発表がありました。内容は「生物季節観測の発展的な活用に向けた試行調査の開始について」というもの。

 私自身はこのニュースを聞いて、たいへん嬉しく感じました。というのも、70年近くに及ぶ貴重な観測データが、廃止されることなく今後も存続することが、ほぼ確実になったからです。

生物季節観測とは何か

 昨年11月10日、気象庁はこれまでの生物季節観測を見直すとして、2021年(今年)から動物の観測を完全に廃止し、また植物の観測も大幅に縮小するとの発表をしました。このニュースは新聞やテレビなどでも大きく取り上げられ、気象関係者のみならず、多くの方の関心を呼びました。(参照記事)

 簡単に生物季節観測について補足すると、気象庁は1953年から季節の進み具合を、植物や動物の変化によって記録しています。これによって、気温や天気では推し量れない季節変化をとらえることができ、例えばサクラの開花や満開を観測することで季節感が昔と違ってきていることなども分かるのです。

 ところが近年、都市化などの影響もあって観測対象とする動・植物が少なくなってきました。そこで気象庁が出したひとつの答えが「生物季節観測の縮小」でした。そして今年からその方針に沿って、ツバメやウグイスの初鳴きなど、動植物に関して多くの観測がなされないこととなったのです。

 しかしその一方、観測は継続することによって価値を持ち、観測が途中で途絶えることを「観測の切断」と言って、観測に携わる者は絶対に避けなければならないとも言われています。もちろん意味の無い観測を続けることはありませんし、項目の見直しは必要ですが、動物季節観測がこのまま今年で終わってしまったら、それは観測の切断になるのではないかと、多くの気象関係者は危惧したのです。

無くなったはずの観測種目が観測されていた?

ヤブツバキ 内々に観測が続いていた
ヤブツバキ 内々に観測が続いていた(写真:アフロ

 ところが、今年2月1日のことです。気象事業者が閲覧できる気象庁発表資料に、「東京でツバキ(ヤブツバキ)開花」との記載がありました。記事はすぐに訂正され、発表そのものが無かったこととされましたが、気象関係者にとっては、これはかなり違和感のある訂正でした。というのも昨年11月に発表された「生物季節観測の見直し」には、植物のツバキも観測対象から外すとされていたからです。

 今年からツバキの開花は観測されないはずなのに、実際には「観測」されていた。となると、これはただ単に間違えただけなのか、ひょっとしたら観測の切断を忍びないとした観測員が自己判断で観測したものなのか、2月の段階では分かりませんでした。

 その後、3月になって気象庁と環境省の方とお話しする機会があり、今後の生物季節観測についてお訊ねすると、「実は現在、生物季節観測の方法についてさらなる見直しを行なっている最中で、動物観測も含めて、その試行調査をしている」とのことでした。

 くだんのツバキ開花の報告も、その試行調査の一環だったと考えれば、つじつまが合います。つまり、昨年11月に心配された「観測の切断」は起こっておらず、正式発表こそありませんが、今年もウグイスの初鳴きやこれからの季節ですとモンシロチョウの初見が「試行調査」として記録されているはずです。

いまだかつてない、新しい仕組みに

3月30日気象庁・環境省報道発表資料と聞き取り結果をもとに、スタッフ作成
3月30日気象庁・環境省報道発表資料と聞き取り結果をもとに、スタッフ作成

 この図は発表資料の内容を簡単に模式図にしたものです。気象庁と環境省と国立環境研究所の三つの公的機関が、生物季節観測という目標のために協力しあうということを示しています。

 「縦割り行政」という言葉があるくらいで、ともすれば行政は相互横断的な協力が苦手とされています。生物季節観測についても、それぞれの機関によって観測の目的が違うので、これまでは独自の手法で個別に行われてきました。

【各機関の目的】

◆気象庁 動・植物の変化によって季節や気候のずれを知ること

◆環境省 地球環境や我々の環境や生態系がどうなっているのかを動・植物の分布や生育範囲で推定すること

◆国立環境研究所 個別の動・植物の研究から生態系の変化を把握すること

 ところが今回の発表資料をみると、その観測目的の違いを越えて、三者が共通のシステムの中で協力し合うという中身になっています。これは、省庁の垣根を取り払って、地球温暖化対策などを視野に入れた、大規模な生物季節観測調査に発展していくことを示唆し、いままでにない非常に画期的なことと言えます。

 そして今回の発表で、もっとも注目する点は市民参加型調査を取り入れることでしょう。これまでは気象庁が主体でしたが、そこに環境省が加わることによって、より広範囲な観測網が作られることになります。ただ、「市民参加型」といっても、観測の質が重要ですから当面の観測者は専門的な知識を持った人ということになります。資料では「調査員調査」となっていますが、この部分は気象庁職員の他に、国立環境研究所も担うようです。

 今回の発表資料タイトルは「生物季節観測の発展的活用に向けた試行調査の開始について」となっています。この資料どおりに進めば、まさに”発展的に”生物季節観測が広がっていくと期待できるでしょう。

我々の発信が行政の決断を変えた

 昨年(11月10日)、動物季節観測が廃止との発表を受けて記事を掲載しましたが、その後、多くのメディアから取材や問い合わせをいただきました。その中に小泉進次郎環境大臣がいらっしゃいます。大臣は、私が書いた記事やニュースをご覧になり、話を聞かせて欲しいとご連絡をくださいました。きっと同じように環境の変化を見守ってこられたお立場として、看過できない事案だったのでしょう。会談のなかで、私はとにかく「観測を切断させてはならない」ということをお話させていただきました。(参照記事)

 その数日後、気象庁から「市民参加による四季の生物観察の支援について」という発表がありましたが、後日伺った話によると、気象庁関係者は、生物季節観測廃止・縮小の発表でこんなに多くの反響があるとは思わなかったそうです。これらの反響を受けて、当初は完全に廃止にする予定だったものをどうにかして継続しようと環境省と調整を重ね、その間も各気象台で観測を続けていたのです。

 今回の事例は言わば「我々の発信が行政の決断を変えた」と言えるでしょう。今後も私たちが関心を持ち声を上げることが、更なる生物季節観測の発展に繋がっていくと思います。

 

参考

ウェザーマップYouTubeチャンネル「生物季節観測」の発展的な活用について解説」(お天気キャスター・森田正光)

3月30日 気象庁・環境省 報道発表資料 「生物季節観測の発展的な活用に向けた試行調査の開始について」

11月10日 気象庁発表「生物季節観測の種目・現象の変更について」

12月25日 気象庁報道発表資料「市民参加による四季の生物観察の支援について」

11月10日掲載記事 「気象庁に問いたい。動物季節観測の完全廃止は、気象業務法の精神に反するのではないだろうか」

12月22日掲載記事 「小泉進次郎環境大臣を訪問 形を変えた動物季節観測の継続を」

1950年名古屋市生まれ。日本気象協会に入り、東海本部、東京本部勤務を経て41歳で独立、フリーのお天気キャスターとなる。1992年、民間気象会社ウェザーマップを設立。テレビやラジオでの気象解説のほか講演活動、執筆などを行っている。天気と社会現象の関わりについて、見聞きしたこと、思うことを述べていきたい。2017年8月『天気のしくみ ―雲のでき方からオーロラの正体まで― 』(共立出版)という本を出版しました。


ミニトマト・ルネッサンス(大玉トマト)の挿し芽。
種代の節約のため、だけでしているのではありません。根と生長点を除去してあります。これによって細胞が小さく、緻密な構造になるというのです。

いい天気でしたが、近くの山も黄砂のせいでしょう、かすんでいます。

江部乙圃場のようす。

 


ミャンマー 増える子どもの犠牲 国際社会の非難高まる

2021年03月30日 | 事件

ミャンマー、国軍の弾圧で死者510人に「少なくとも35人の子どもが殺され、無数の子が重傷」とユニセフ

「東京新聞」2021年3月30日 10時35分
29日、ミャンマーのヤンゴンで、国軍などとの衝突で死亡した女性の亡きがらを前に悲しみにくれる人たち=AP

29日、ミャンマーのヤンゴンで、国軍などとの衝突で死亡した女性の亡きがらを前に悲しみにくれる人たち=AP

 【バンコク=岩崎健太朗】ミャンマーの人権団体「政治犯支援協会」は、29日夜、国軍の弾圧による死者が、計510人に達したと明らかにした。最大都市ヤンゴンなど市街地では市民に手りゅう弾が使用されるなど、攻撃はさらに激化している。
 地元メディアによると29日、ヤンゴン郊外の住宅地で激しい衝突があり、兵士が市民側のバリケードを破るために手りゅう弾を使用。10人以上を射殺し、負傷者の救助に向かう医療チームを阻んで攻撃を続けた。
 市民と連携する動きがみられる少数民族勢力の地域では27日以降、戦闘機による空爆を開始。南東部カイン州では1万人前後が避難し、数千人が川を渡ってタイに逃れたが、タイ軍に押し戻されたもようだ。29日には北部カチン州でも空爆があった。
 子どもの犠牲者も相次ぎ、国連児童基金(ユニセフ)は29日「少なくとも35人の子どもが殺され、無数の子が重傷を負った。数百万人の子どもや若者が心に傷を受け、長期的な影響は壊滅的なものになる」と非難した。
 クーデターから4月1日で2カ月を迎える。国軍は抗議の長期化に、徹底的な弾圧で統治に従わない勢力を一掃する構えをみせている。

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ミャンマー 増える子どもの犠牲 国際社会の非難高まる


文科省「#教師のバトン」プロジェクトに非難殺到

2021年03月29日 | 教育・学校
 

「#教師のバトン」プロジェクトへの参加方法 ※文部科学省ウェブサイトより

今月26日、文部科学省が「#教師のバトン」という官製ハッシュタグを掲げて、学校の働き方改革の聖地であるTwitterに姿をあらわした。教員の声を、働き方改革の一助にしようという取り組みであり、週末の間に教員を中心に数多くのリアクションがわき起こった。

■働き方改革の聖地=Twitterへの参入

「#教師のバトン」プロジェクトは、2月発表の「『令和の日本型学校教育』を担う教師の人材確保・質向上プラン」をふまえて文科省が開始した、新たな「学校の働き方改革」関連施策である。

このプロジェクトの最大の特徴は、Twitterを主軸に展開されている点だ。学校の働き方改革は、教員の部活動負担の軽減を出発点にして、2016年頃から一気に議論が高まった。その情報発信の舞台となったのが、Twitterであった。

教員の苦悩の声が吹き荒れてきたTwitter空間、いわば学校の働き方改革の「聖地」に、文科省が官製ハッシュタグ「#教師のバトン」を掲げて、参入してきた。これは一大事件であり、文科省には相当な覚悟があっただろうと推察する。

 

公式Twitterアカウント「#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】」
公式Twitterアカウント「#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】」

プロジェクトは今月26日の公式Twitterアカウント「#教師のバトンプロジェクト【文部科学省】」(@teachers_baton)の立ち上げとともに始まった。

卒業式も終わって春休みに入り、忙殺されてきた教員がほんの少しだけ総体的に時間に余裕がある。見事に、教員が声をあげやすいタイミングでの始動である。実際に27日から28日の週末にTwitterでは、膨大な数のつぶやきが投稿されており、まとめサイトには約5600件のツイートが掲載されている(29日午前6時時点)。

■改革事例の共有

文部科学省のウェブサイトによると、「#教師のバトン」プロジェクトの目的は、次のとおりである。

本プロジェクトは、学校での働き方改革による職場環境の改善やICTの効果的な活用、新しい教育実践など、学校現場で進行中の様々な改革事例やエピソードについて、現職の教師や保護者等がTwitter等のSNSで投稿いただくことにより、全国の学校現場の取組や、日々の教育活動における教師の思いを社会に広く知っていただくとともに、教職を目指す学生・社会人の方々の準備に役立てていただく取組です。

文部科学省/「#教師のバトン」プロジェクトについて

各学校の改革事例やエピソードをTwitterなどで発信し、全国でその具体例を共有して、改革をいっそう推し進めることに狙いがある。学校の業務は「子供のため」に積み重なってきたものであり、容易には減らせない。だからこそ、実際に成功した事例の共有が、各校の決断を後押しする。

投稿は、教師や教職志願者のみにとどまらず、児童生徒や保護者、地域住民からも受け付けているという。Twitterだけではなく、noteでの投稿も推奨しており、Twitterやnoteの公開アカウントを有していない場合にも、特設フォームで意見を出すことができる。

そしてプロジェクトでは、千代田区立麹町中学校の前校長で、現在は横浜創英中学・高等学校の校長である工藤勇一氏や熊本市教育委員会教育長の遠藤洋路氏、教育研究家の妹尾昌俊氏(「文科省・教師のバトンプロジェクトは教員募集にはマイナスか?」)など、学校の働き方改革最前線の有識者56名が、「プロジェクト応援団」として活動をサポートしている。ウェブページに掲載されている56名の各有識者の氏名には、各氏のTwitterやFacebookへのリンクが貼り付けてあり、まさにSNS時代の働き方改革である。

■「所属長からの許諾等は不要」

私がとくに驚いたのは、ウェブサイトに太文字で表記されている「投稿の留意点」である。

《投稿の留意点》

※児童生徒等の個人情報漏洩、個人の特定につながる投稿は禁止です。

※投稿にあたり、所属長からの許諾等は不要です。

※寄せられた投稿のうち、文部科学省の判断でより広く教師や学生に知っていただきたい内容を選び、紹介します。

※本フォームは、文部科学省への意見や質問を投稿し文部科学省が回答するためのものではありません。

文部科学省/#教師のバトン プロジェクト ※太字は筆者)

特筆すべき事項はないように思えるかもしれないが、じつは現場の教員は、SNSでの情報発信にきわめて慎重であることをふまえて、この留意点を理解しなければならない。

教員は、インターネット上での発言には用心深い。立派な専門職でありながらも、Twitterユーザーのほぼ全員が匿名である。自分の発言が特定されると学校の関係者(管理職、同僚、子供、保護者など)から非難をあびるのではないかと、とても恐れているからだ。

だからこそ、特定の子供個人の情報を書き込まない限りは、「所属長からの許諾等は不要」で自由に語ってよいという国のお墨付きの意味は大きい。投稿者である教員には、大きな安心感が生まれる。

しかもその投稿のなかから、文科省が「広く教師や学生に知っていただきたい内容を選び、紹介」してくれるという。声をあげることの動機づけまでを用意して、文科省は教員の声の発信をサポートしてくれている。じつに手厚いサポートだ。

■悲痛な叫び、文科省への非難が殺到

さて先述のとおり、Twitterでは「#教師のバトン」プロジェクトは、現職の教員や教員志望の大学生の間に、炎上と呼んでもよいほどの反応を呼び起こしている。「#教師のバトン」で検索すると、その勢いがひと目でわかる。

検索結果を見ると、そのほとんどすべてが、ネガティブな情報である。「やりがいはあるけど、それ以上に過酷」「オススメできない仕事」「残業代もらえない」といった、教員の悲痛な叫びが並んでいる。また、「こんな取り組みで魅力は高まらない」「現場の声を聴く気があるのか」「お役所の発想」「#教師の闇バトンプロジェクト」と、文科省の取り組みそのものを非難する声も目立つ。もはや、バトンをつないではならないようにも思えてくる。

こうしたネガティブな声が集まった理由は、たんに教員が長時間労働の環境に置かれているからだけではないと、私は考える。なぜなら文科省内の戦略はともかくも、あくまで表面的な字面を追う限りは、このプロジェクトの危機意識が低いように見えてしまうからである。

■魅惑モデル/持続可能モデル

冒頭で紹介した「『令和の日本型学校教育』を担う教師の人材確保・質向上プラン」において、このプロジェクトは、「教職の魅力の向上に向けた広報の充実」の一環に位置づけられており、「発信力の高い者による広報や教職の魅力向上の機運を高めるためのサイトの設置等により、広報の充実を図る」とされている。

投稿の方法と独自のハッシュタグの例 ※文部科学省ウェブサイトより
投稿の方法と独自のハッシュタグの例 ※文部科学省ウェブサイトより

「魅力の向上」というフレーズをはじめとして、ウェブサイトなどには「日々奮闘する現職の教師」「教師が前向きに取り組んでいる姿を知ってもらうことが重要」とあるように、ポジティブな表現が並ぶ。各自でオリジナルなハッシュタグをつくることが提案されており、その具体例は「#校内の先生自慢」「#教師をやっていてよかったと思う瞬間」「#先生にありがとう」「#子供の担任のここが素敵!」と、ポジティブなハッシュタグが目立ち、危機感が高まるようなハッシュタグは一つも例示されていない。文科省への非難はこうした、危機意識が低い(ように見えてしまう)ことに向けられている。

「魅力の向上」を強調するような対応を、私はリスクへのリアクションの類型として「魅惑モデル」と整理している(拙稿「夏休み ネットに集まる教員の声」)。「魅惑モデル」とは、マイナスが見える化したときに、たくさんのプラスを追加するリアクションである。合計値でプラスが多くなり、あたかも事態は改善したかのように認知される。だが、マイナスは残りつづけている。

もう一つの類型が「持続可能モデル」である。これは、リスクを直視してマイナスだけを削っていく作業である。マイナスを削れば、結果的に合計値としてプラスが多くなる。ここで掲げられる目標は「魅力の向上」ではなく、「長時間労働の撲滅」である。リスクそのものが減らされるために、当該活動や組織の持続可能性は高まっていく。国がとるべき方針は、こちらのほうだ。

魅惑モデルと持続可能モデル ※筆者が作図
魅惑モデルと持続可能モデル ※筆者が作図

■文科省は学校に直接課している負荷を減らせるか

じつはいま文科省は、この持続可能モデルに該当する取り組みをみずからの裁量のなかで進めている。すなわち、文科省自身が学校に直接課している負荷を削減しようという取り組みである。

今月12日、萩生田光一文部科学大臣は中央教育審議会の総会(第128回)において、教員に10年に1度の講習を義務づけている教員免許更新制度について、抜本的な見直しを検討するよう諮問した(毎日新聞)。背景には、教員の受講上の負担や、免許失効にともなう免許保有者減の抑制がある。現場の多くの教員に長らく不評であったこの制度が抜本的に見直されることについて、現場の期待感は大きい。

教員免許更新制度の見直しは、2020年1月開催の中央教育審議会の総会(第124回)で、学校や教育委員会から「特に要望が多い事項」として文科省がその削減検討の候補にあげたものである。それが1年2か月を経て、現実に動き出した。

学校や教育委員会から「特に要望が多い事項」 ※中央教育審議会(第124回、2020年1月24日開催)配付資料より転載
学校や教育委員会から「特に要望が多い事項」 ※中央教育審議会(第124回、2020年1月24日開催)配付資料より転載

その他にも、「部活動」(地域への移行など)、「教育課程」(標準授業時数の削減など)、「学校向け調査」(調査設計の削減や統合など)、「学力学習状況調査」(学校にかかる負担の軽減など)も、「思い切った削減や廃止を実施」すると記されている。

これらの施策への期待も、私たちは「#教師のバトン」で文科省に伝えていけばよい。それを受け取ってもらえれば、バトンはその後もおのずとつながっていく。

学校リスク(スポーツ事故、組み体操事故、転落事故、「体罰」、自殺、2分の1成人式、教員の部活動負担・長時間労働など)の事例やデータを収集し、隠れた実態を明らかにすべく、研究をおこなっています。また啓発活動として、教員研修等の場において直接に情報を提供しています。専門は教育社会学。博士(教育学)。ヤフーオーサーアワード2015受賞。消費者庁消費者安全調査委員会専門委員。著書に『ブラック部活動』(東洋館出版社)、『教育という病』(光文社新書)、『柔道事故』(河出書房新社)など。■依頼等のご連絡はこちら:dada(at)dadala.net


 今日は最低気温もプラスとなり、まさに「夏日」の感あり。最高気温も13℃近くまで上がった。明日も似たような天気らしいが「黄砂」に注意と言うことだ。

(提供:ウェザーマップ)
雪解けもかなり進んだ。

車の高さほどあった道路脇もご覧のありさま。

一方こちらは居住地。



屋根雪が積もってまだ窓をふさいでいます。

満月ですね。何事もなければいいのですが、最近多い(地震)ので心配です。

 


内田樹の研究室 2021年の予言

2021年03月28日 | 生活

内田樹の研究室 2021-03-25

 

『GQ』の先月号に2021年について予測を書いた。その前編。

 

 こういう時は「いいニュースと悪いニュースがあるけれど、どちらから聞きたい?」というのがハリウッド映画の定番ですよね。とりあえす悪い方の予言から。

 その1。東京五輪は開催されません。これはもうみんな思っているから「予言」にはなりませんけどね。日本国内でもコロナの感染者は増え続けていますけれど、アメリカは感染者数が2500万人、死者数も40万人を超えました。選手選考もできない状況です。考えてみてください、アメリカの選手団がこない東京五輪を。そんなものをNBCが放映するわけがない。アメリカがモスクワ五輪をボイコットした時もNBCは放映しませんでした。支払い済みの放映権料は保険でカバーできたから、今度もそうなると思います。

 五輪中止はもう組織委内部では既決事項だと思います。でも、誰も自分からは言い出せない。言った人間が袋叩きにされることが分かっているから。だから、IOCかあるいはWHOから開催中止要請があったら、それを受けて「外圧に屈してやむを得ず」と唇を噛んで中止を発表する。外圧の「被害者」という設定だから、五輪関係者は誰も責任を取らないで済む。メディアも一緒になって悔し涙にかきくれてみせる。一億総切歯扼腕というわけです。「捲土重来。もう一度東京で五輪を!」キャンペーンの企画書は電通がもう書き上げていると思います。これが予言の第一。

 悪い予測その二は天変地異。感染症専門医の岩田健太郎さんと対談したとき、コロナ禍でいちばん怖いのはなんですか? と聞いたら自然災害と重なることだということでした。台風とか地震とか火山の噴火とか天変地異があると被災者は避難所に集められます。狭い空間に大人数が詰め込まれる。衛生状態も悪いし、栄養も足りないし、ストレスもたまる。クラスター発生の条件が揃ってしまう。だから、いちばん怖いのは自然災害だということでした。

 自然災害はいつ起きるか予測不能です。僕が怖いのは富士山の噴火です。富士山、年末に冠雪してなかったでしょう? 山頂の地肌が出ていた。地熱が高くて雪が溶けているんだそうです。マグマが溜まっているらしい。

 コロナが終息しない段階で大きな自然災害が起こるというのが「最悪のシナリオ」ですけれども、いまの日本政府はそれに備えてリスクヘッジをしているでしょうか? 僕は何もしていないと思いますね。

 小松左京のSF小説『日本沈没』がいま読まれているそうですけれど、あの小説の読みどころは日本が沈没するというところじゃなくて、日本が沈没した場合にどうやって日本国民を救い、政体としての継続性を保つかの工夫に官民一体となって知恵を絞るところだったと思います。日本人にはそれができるだけの知力があるということが物語の前提になっていた。いま『日本沈没2021年』を出しても誰も読みませんよ。だって、政治家も役人も学者もみんながどうしていいかわからずにおろおろしているうちになすところなく日本は沈みましたという終わり方しかあり得ないんですから。金持ちと権力者だけは飛行機に乗って逃げ出しましたが、残りの金のない日本人はみな溺死しました、おしまい。そんなつまらない話、誰も読まないですよ。

 もう先進国ではコロナワクチンの接種が始まっていますけれど、日本はいつになるかわからない。年内にはなんとかなりそう・・・というようなニュースを見ても、もう誰も驚かないし、誰も怒らない。「先進国最下位」が日本の定位置だということにもうみんな慣れてきてしまったからです。政治家も官僚も先進国最低レベルだということにもう慣れてしまった。

 最近の若い人たちは自己肯定感が低いとよく言われますけれど、実は日本人全部がそうなんです。自己評価が信じられないくらいに下がっている。だから怒らない。怒れない。

 不出来な内閣がたった8年続いただけでこれだけ国民の自己評価は下がった。ものを創り出すのはたいへんですけれど、壊すのは簡単なんです。日本の国力がV字回復することは当分ないでしょう。というのが悪い予言のその三です。

 

 良い予測をします。その1は、学校教育でオンラインと対面がハイブリッドで併用されるようになるという予測です。朝起きて、「あ、寝坊して学校に間に合わないや」という時とか、なんか熱っぽくて学校に行く気力はないけれど、授業を聴くくらいはできるという場合には、ベッドに寝たままで携帯やiPadで聴講する。先生も朝起きて寝不足でつらいとか風邪気味とかいうときは「今日は体調が悪いのでうちからやらせてもらいます」とパジャマの上から掻い巻き羽織って授業をやる。そういうことができるようになったら授業がずいぶんカジュアルになって、教える方も教わる方もすごく楽になると思いますよ。

 凱風館の「寺子屋ゼミ」でも今季は対面とオンラインのハイブリッドです。聴講生はZOOM参加のほうが圧倒的に多い。凱風館まで来て受講するのはもう10人以下になりました。30人ぐらいは自宅からの聴講です。遠隔地の人もいるし、家で晩ご飯つくりながらとか、アイロンかけながらとか、「ながら」聴講の人もいる。体の弱い人、感染が怖い人、うちから出られない人でも、オンラインなら聴講できるし、発言できるし、ゼミ発表もできる。ゼミに参加するハードルがオンラインで一気に下がった。これは端的によいことだったと思います。海外の人も聴講できます。

 いままでは「海外に向けて学術情報を発信する」というとほぼ自動的に英語で発信というふうに考えられていましたが、京都精華大学の学長のウスビ・サコ先生に「そんなの日本語でやればいいじゃないの」と言われて、はっとしました。そうなんです。日本語でやればいいんです。日本語で大学レベルの授業が聞きたいという日本語話者・日本語学習者が世界中にいるんですから。

 マンガとかアニメとか音楽とか、日本の文化に興味を持ち、それがきっかけで日本語を習い出したという人は世界中にいます。でも、彼らには日本まで留学するだけの資金も時間的余裕もない。あるいは海外に長期留学や駐在していて、日本語で発信される質の高い学術的コンテンツに飢えている日本人もいる。そういう人たちのために、海外からでも簡単に受講できるシステムを設計すればずいぶんたくさん聴講生が集まると思うんです。そうやって日本の学術情報を世界に向けて発信することができたら、それこそ本当の意味での「グローバル化」ということだと思います。

 そうなると日本の言論の質も変わるかも知れません。いま韓国や中国のことをあしざまに罵る論客は日本にたくさんいますけれど、彼らは自分の書いていることは日本人だけしか読まないという前提で書いている。だから、あれだけ適当なことを断言できる。でも、「あなたの発言はすぐに自動翻訳されて、英語や中国語やハングルの字幕付きで同時配信されますけれどそれでもいいですね。話した内容について先方から名誉毀損で訴えられても知りませんよ」と念押しされたらどうするでしょうか。たぶん彼らの多くは「国内限定」の道を選ぶでしょう。自分の言説に国際共通性がないことを本人が知っているからです。

 言説の国際性というのは単に外国語で発信するということではありません。日本語で構わないんです。ただし、その代わりに世界中のどの言語圏の人が聴いても、理解できて得心してくれるように、きちんと論拠を示し、適切に推論し、情理を尽くして語らなければならない。それが国際共通性のある言説の条件です。そういう条件を課した場合、いま日本のメディアで発言している人の相当数は「国際共通性なし」と判定されることになるんじゃないかと思います。

 世界に向けて発信できる環境が整ったおかげでこれからは国際共通性のある知見を語る人とそうでない人の違いがはっきりと可視化される。それは日本国内の言論の質を向上させる上ではよいことだと思います。

 よく外国の事例をさも知ったような顔で紹介する「出羽守」というタイプの知識人がいますね。あの人たちもグローバル化によって淘汰されることになるでしょう。彼らもまた自分の言葉が論じられている当人には届かないことを前提で語っているからです。「中国人というのは、あれはね・・・」と断定的に言うけれど、それは中国人が読む可能性を勘定に入れていないからできることです。だから、私見をさも一般論のようにことごとしく語れる。そういうことができなくなる。

 この1年間で、日本人のコンピューター・リテラシーはずいぶん向上したと思います。1年前には考えられなかったくらいに自在にネットを利用して仕事をしている。

 僕だって、オンラインで授業して、会議して、対談して、インタビュー受けて、飲み会して・・・ということをしている。オンラインがデフォルトになったので、「みんなが集れる時間と場所」を調整する手間が省けました。時間だけ決めておけば、メンバーがどこにいても短時間だけミーティングして、情報共有して、決めることを決めて、即解散というやり方が可能になった。

 コロナのせいで、友だちと顔を合わせて、わいわい飲んで騒ぐという楽しみ方はできなくなりましたけれど、ものごとにはダークサイドもあればサニーサイドもあります。せっかくだからサニーサイドを探し出すようにしましょう。

 もうひとつ、よいニュースを予言しておきたいのですが、それについては次号で。

(2021-03-25 06:18)


 江部乙では、今季初の10℃超えでした。予報によれば、3日ほど10℃超えが続くようです。さらに、今夜から明日朝にかけて☂と言うことで、融雪が進むだろうと雪割作業。疲れました。

白樺樹液、この暖かさでたくさん出るかと思いましたが、まだそれほどではありません。

敷地内を歩いてみました。

沼の氷もだいぶ融け、流れ出しています。
ドライフラワー


《池上彰×斎藤幸平》コロナ禍が暴き出した“ブルシット・ジョブ” なぜ「いまこそマルクス」なのか?

2021年03月27日 | 生活

文春オンライン2021.3.25「文藝春秋」編集部

source : 文藝春秋 2021年4月号

 

「新書大賞2021」第1位を受賞し、20万部を超える大ベストセラーとなっている斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』(集英社新書)。「マルクス」「資本論」といった“硬派すぎるテーマ”を扱いながら、これだけ今日の読者を惹きつけているのはなぜなのか? ジャーナリストの池上彰氏が著者・斎藤氏(大阪市立大学准教授)に迫った。

「いまだからこそマルクス」の理由

池上 久々に知的興奮を味わいました。こんなに線を引き、付箋を貼りながら本を読んだのは、実にしばらくぶりのことでした。

斎藤 お忙しい池上さんに、そんなふうに読んでいただいて、本当に嬉しいです。

池上 400頁に迫るこんなに分厚い本が読まれていること自体が、おそらく、いまの世相や社会状況を映し出しているのでしょう。今回、編集部から出された対談のお題は「いまマルクスを考える」でしたが、この本を読んで、むしろ「いまだからこそマルクス」という感を強くしました。

斎藤 「マルクスならいまの時代をどう見るか」を描こうとしたので、読者にそのように届いているとすれば本望です。

『人新世の「資本論」』の主たるテーマは、「気候変動問題」だ。しかし、本書の持つ“射程”はそれに留まらない。私たち自身の「生き方」や「働き方」を考え直すためのヒントが満載で、コロナが露わにした、今日の社会の“ゆがみ”も見事に照らし出してくれる。

エリート層で深刻な“労働の疎外”

池上 最近、デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』を読んだのですが、やはり本書でも言及されていますね。

 この本で一番印象的だったのは、高学歴のエリートが、端から見ると素敵でオシャレで皆が羨むような仕事をしているように見えても、実は本人たちは、「自分の仕事など何の役にも立っていないのではないか」「これはブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)だ」と意欲を失っている。しかし、とりあえずは高い給料をもらえるから続けている、という話でした。

 つまり、本来、労働者は、自分の労働の主人公でなければいけないのに、「労働力の商品化」によって生じる「労働の疎外」が、被支配層だけでなく支配層の一部でも起きている。それどころか、むしろエリート層での方が、「労働の疎外」は深刻なのかもしれません。

斎藤 今回のコロナ禍で明らかになったのも、実は私たちは洋服もそれほど必要としていないし、多くの仕事はテレワークで十分で満員電車に乗る必要もない、ということでした。医療や福祉の従事者、スーパーや小売業界の店員、物流や交通機関、ライフラインに関わる従事者など、生活維持に欠かせない「エッセンシャルワーカー」の重要性が浮き彫りになる一方で、渋谷のスクランブル交差点の広告が止まっても誰も困りませんでした(笑)

コロナ禍で可視化された“効率の悪さ”

 こうした議論から見えてくるのは、マルクスの「交換価値」「使用価値」といった言葉が、いまだに “アクチュアリティ(今日性)”を失っていない、ということだ。

斎藤 要するに、私たちの生活にとって、「何がエッセンシャル・ワーク(必要不可欠な仕事)」で、「何がブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)か」を露わにしたのが、今回のコロナ禍だった、ということです。グレーバーの本の一番いいところは、「エッセンシャル・ワーク」を軽視して、「ブルシット・ジョブ」ばかりを重視する“資本主義の効率の悪さ”を明らかにしている点です。

池上 その「エッセンシャルなもの」とは、まさにマルクスの言う「使用価値」であるわけですね。コロナ禍においては、「交換価値」で言うと極めて“安い”マスクが“高い”「使用価値」をもつようになり、皆がマスクを求めました。「交換価値」の低いマスクを国内で生産してもペイしないので中国で生産していたけれども、皆がマスクの「使用価値」に改めて目覚めたというわけです。

斎藤 「ブルシット・ジョブ」がそうであるのは、「使用価値」(効用)をまったく生まない仕事だからです。「使用価値」を生む仕事こそ「エッセンシャル・ワーク」。ところが、そういう生活維持に不可欠な「エッセンシャル・ワーク」を「低賃金」「長時間労働」で“周辺化”するのが資本主義。同じように、資本主義は、水、土壌といった生活維持に不可欠な“自然”も“周辺化”しています。

 つまり、生活維持に必要不可欠なのに、「商品=資本主義」の世界では“周辺化”されて、きちんと評価もされないものがある。とくにソ連崩壊後の30年、グローバル資本主義は、すべてを飲み込んで、「市場メカニズムですべてうまくいく」と突き進んできたわけですが、その帰結を今回のパンデミックがはっきり教えてくれました。つまり、「交換価値」に振り回される愚かさです。だから、この危機は、「使用価値」を大切にする社会に戻るチャンスでもあります。

“ユートピア”を思い描く重要性

 斎藤氏が訴えるのは、冷戦後に封じられてしまった“ユートピア”(=資本主義とは別の社会)を思い描いてみることの大切さだ。

池上 水野和夫さんなどが「利子率の長期的低下」を根拠に「資本主義の行き詰まり」を議論していますが、いま本当に「ポスト資本主義」ということが問題になってきたなかで、一つの方向性を示してくれたのが、斎藤さんの本だと思います。

斎藤 私たちの議論に欠けていたのは“ユートピア”、つまり“別の社会”を思い描くことでした。そうした構想力をあざ笑っていた結果、“現状追認”以外の選択肢がなく、結局、資本の論理の言いなりになっています。

◆ ◆ ◆

出典:「文藝春秋」4月号

 池上彰氏と斎藤幸平氏の対談「マルクス『資本論』が人類を救う」の全文は、「文藝春秋」4月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。


 今朝はガッチリとシバレテ氷点下7℃。午前中雪壊しをやろうと思ったら、硬くてスコップが刺さらない。あきらめて剪定作業。昼過ぎには7度まで上がった。

ハウス内の雪も30㎝を切ったところ。

雪の中から多肉。

散歩道。

 


「どんな選択でも、尊厳をもって生きられる社会が必要」法政大を退任する田中優子総長の告辞が胸を打つ【全文】

2021年03月26日 | 教育・学校

2021年03月25日ハフポスト日本版編集部

「どのような選択をしても、人間としての尊厳をもって生きていかれる社会が必要です。自由を生き抜くとは、自分自身の自由を大切にするだけでなく、どんな人も自由を生き抜ける社会を作ることなのです」ーー。

2020年度末で法政大学の総長を退任する田中優子氏が、学位授与式で述べた告辞で、日本の女性活躍の状況などについて言及した。

 暴行死の女性「自分だったかもしれない」

田中氏は告辞の中で、日本の女性活躍の状況について言及。「男女の大きなギャップが以前からあり、このコロナ禍でそれがはっきり見えるようになったのです。社会の格差は男女の区別なく大きくなっています。しかしとりわけ女性の中に、その格差のもたらす貧困が広がっているのです」と述べた。

その上で、卒業生に向けて、田中氏は「男性も女性もそれぞれの役割を果たすことで、自分自身のみならず、家族、友人、そして社会全体に影響を与えます」と呼びかけた。「自分の生活の安定だけを追求するのか、それとも、ともに生きる人たちや、仕事の背後にいる、多くの人々に対する想像力と共感をもって働くのか、それによって社会は違っていきます」

2020年11月、東京都・渋谷区のバス停で、眠っていた路上生活者とみられる60代女性が、石を入れた袋で殴られ死亡した事件についても触れた。

田中氏は「大学生のころ『どんな生活をすることになってもかまわない』と考えていた私にとって、人ごとではありませんでした。自分だったかも知れない、と思った」と語り、こう続けた。

「なぜひとつの人生の選択が、このような終わりを迎えねばならないのでしょうか? どのような選択をしても、人間としての尊厳をもって生きていかれる社会が必要です。自由を生き抜くとは、自分自身の自由を大切にするだけでなく、どんな人も自由を生き抜ける社会を作ることなのです」

どの道を歩むべきか、迷ったときはどうしたら良いのか。

田中氏は「人の薦めで選択するのではなく、自分で決めることが、自由を生き抜く上ではとても大切です。その決断が、どんな人も自由を生き抜ける社会を作ることにつながる道であることを、私は心から望んでいます」と呼びかけた。

 

 【告辞全文】

皆様、ご卒業おめでとうございます。保護者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。

最終学年であったこの一年、皆さんは今まで体験したことのない、さまざまな困難に遭遇したことと思います。法政大学の学生だけでなく、日本中、世界中の大学生、大学院生が、オンラインで講義を受け、限られた時間のなかで実験・実習をおこない、フィールドワークや調査や留学も十分に体験できませんでした。さらに、教員や友人たちと直接の交流や意見交換する機会もほとんどないまま、卒業あるいは修了して行かねばなりません。たいへん残念なことです。

しかし、人生における特別な体験は、後の大きな糧になることがあります。皆さんは、この限られた環境の中で、何を感じ何を考えたでしょうか? 特別な年の特別な経験を無駄にしないよう、仕事につくかたも進学なさるかたも、この一年が自分に何を与えてくれたか、ぜひ振り返ってみてください。法政大学はもうすぐ始まる新学期で、対面授業とオンライン・オンデマンドなどを組み合わせたハイブリッド、そして対面授業をオンラインでも中継するハイフレックスなどを使っていきます。これから皆さんが入っていく学びの場や働く場も、コロナ以前には戻りません。日々、新しい方法を模索しながら新しいかたちを創り上げていく場所なのです。ぜひこの一年で得たものを、新たな場の創造に生かしてください。

ところで、私も皆さんと同じこの3月末日をもって、総長の任期が終わり、退任します。教員としても法政大学を去ります。この壇上に立つのも、今日が最後です。

本日ここに立って、7年前のことを思い出しました。2014年の4月3日、私は初めてこの日本武道館の演台の前に立ち、皆さんにこう語りかけました。「1970年、私は皆さんと同じように法政大学に入学しました。この正面の二階のあたりに座っていたことを、今でも覚えています。後に総長としてここからメッセージを皆さんにお届けすることになるとは、想像もしませんでした」と。なぜ想像できなかったかというと、1970年当時、女性が大規模総合大学の総長や学長になることなど、あり得なかったからです。

しかし今は東洋大学や同志社大学など、次々と女性の学長が誕生しています。アメリカのカマラ・ハリス副大統領は就任前、「私は女性として初めての副大統領になるだろうが、最後にはならない」と言いました。様々な場所で、さらに多くの女性のリーダーが生まれることでしょう。

しかし現時点ではどうでしょう。世界経済フォーラムが発表した2019年末時点の日本のジェンダーギャップ指数つまり女性活躍の度合いは、153国中121位です。2018年の総務省の労働力調査によると、非正規雇用の割合は、男性雇用者全体の22.2%ですが、女性雇用者全体では56.1%にのぼります。コロナ禍によって2020年の1月から7月には、約107万人の非正規労働者が職を失い、その約80%が女性でした。男女の大きなギャップが以前からあり、このコロナ禍でそれがはっきり見えるようになったのです。社会の格差は男女の区別なく大きくなっています。しかしとりわけ女性の中に、その格差のもたらす貧困が広がっているのです。

私は今、一方で女性が大学総長にも副大統領にもなる時代になった、という話をしました。そして一方で、職を失った多くの女性のことを話しました。この二つの事柄にはどのようなつながりがあるでしょうか? あるいは、つながりがないのでしょうか?

組織の中で少数者の割合が30%を超えると、組織そのものが大きく変わると言われます。それは女性についてもいえることです。ぜひそれは成し遂げねばなりません。では達成されれば、非正規雇用の男女差は縮まるでしょうか? 恐らくすぐには変わりません。

しかしこれだけは言えます。男性も女性もそれぞれの役割を果たすことで、自分自身のみならず、家族、友人、そして社会全体に影響を与えます。皆さんがいかなる意識をもって一人の人間として生きていくか、何を目標に自らの役目を果たすか、その姿勢が社会に影響を及ぼします。

自分の生活の安定だけを追求するのか、それとも、ともに生きる人たちや、仕事の背後にいる、多くの人々に対する想像力と共感をもって働くのか、それによって社会は違っていきます。

ところでこの「共感」という言葉は、法政大学憲章も大切にしている言葉です。法政大学を卒業するにあたって、皆さんには、心にある「問い」をもって、卒業していただきたい、と私は思っています。それは法政大学憲章のタイトル「自由を生き抜く実践知」についてです。

この大学憲章の精神は、辞書的な意味を知ることで身につくわけではありません。私にとって自由を生き抜くとは、どうすることなのか、私にとっての実践知とは何だろうかと、自分のこととして問い続けることで初めて、この憲章の価値観が理解できるのです。つまりこの憲章の言葉は単なる言葉ではなく、自分のありかたを考える場所であり、思考の方法なのです。

まず、私の場合をお話ししましょう。私は皆さんと同じように、大学に入って何を学ぶか、大学院に入って何を研究するか、決断しながら生きてきました。進学、就職、転職など大事な決断の時は、好き嫌いだけではなかなか決められませんね。ありとあらゆることを考えます。この道を進んだら自分の将来はどうなるだろうかという不安は、誰もが感じます。

しかし私の場合、大学で出会った江戸文化研究への渇望が、そのような不安をはるかに上回ってしまいました。「どんな生活をすることになっても、この道を手放したくない」と考えるようになったのです。私にとっては研究と執筆を続けることこそが「自由を生き抜くこと」でした。

正規の仕事にはつけないかも知れない。しかし将来のことは考えずに全力を尽くす毎日でした。松尾芭蕉に「無能無芸にしてただこの一筋につながる」という言葉があります。私はまさに自分のことのように感じました。私には「この一筋」しかありませんでした。

昨年の11月に起こった事件で、この決断のことを思い出しました。渋谷区のバス停で座ったまま眠っていた60代の路上生活の女性が、石を入れた袋で殴られ、亡くなったのです。女性は非正規で働いていたかたで、新型コロナ感染拡大のために職を失っていました。女性たちは路上で横になって眠ることに危険を感じ、電灯のついている場所で座ったまま眠るのだ、と聞きました。

この事件は、大学生のころ「どんな生活をすることになってもかまわない」と考えていた私にとって、人ごとではありませんでした。自分だったかも知れない、と思ったのです。私ばかりでなく、多くの人々にとって人ごととは思えず、とりわけ女性たちの関心を集めました。

なぜひとつの人生の選択が、このような終わりを迎えねばならないのでしょうか? どのような選択をしても、人間としての尊厳をもって生きていかれる社会が必要です。自由を生き抜くとは、自分自身の自由を大切にするだけでなく、どんな人も自由を生き抜ける社会を作ることなのです。

では「実践知」とは何でしょう。「実践知」はギリシャ哲学に由来する言葉ですが、今自分が置かれている現実に足をしっかりつけ、理想とする方向に向かって歩み続ける知性のことです。まさに「どんな人も自由を生き抜ける社会」をめざし、その方法を柔軟に探索する知性なのです。

迷う余裕のなかった私自身の体験をお話ししましたが、では迷った時にはどうするか。

複数の選択肢を前にしたとき、多くの情報や、身近な人たちの期待や、時には圧力さえ感じます。さらに、個々人の心の中には、その時代の社会の価値観が内在化されています。つまり自分で自分を縛っています。多くのことが頭をよぎります。

その渦のなかで自由を生き抜くには、そこから逃げないことです。まずひとつひとつに耳を傾け、理解し、言葉に置き換えて明確にする必要があります。それこそが、自分の行く道を柔軟に探索する実践知のプロセスです。その上で、自分にとってもっとも大切だと思い、後悔しないと思える選択は何か、自分自身で決断するのです。人の薦めで選択するのではなく、自分で決めることが、自由を生き抜く上ではとても大切です。その決断が、どんな人も自由を生き抜ける社会を作ることにつながる道であることを、私は心から望んでいます。

さて、本日皆さんは卒業していきますが、今日から、校友会の一員として、卒業生のネットワークにつながります。未来を切り開くために、ぜひ校友の絆も使って下さい。皆さんがその絆を断ち切らなければ、校友会も大学も、皆さんを応援することができます。これからも法政大学のコミュニティの一員として、一緒に、この変化の激しい厳しい社会を、希望をもって乗り越えていきたい、と願っています。

あらためて、卒業、おめでとうございました。


あっ!わたしは法政大出身ではありません。

融雪剤(木灰)をまいたハウス内はあと40㎝てところでしょう。

散歩道。


松ぼっくり。おそらく、エゾリスがかじったのでしょう。

 


日本の温暖化対策「2050年実質排出ゼロ」目標は本物か?

2021年03月25日 | 社会・経済

志葉玲(ジャーナリスト)

Imidasオピニオン2021/03/24

 昨年(2020年)12月、日本政府は、経産省を中心に「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」をまとめた。日本は、これまで大量のCO2を排出する石炭火力発電への依存など、温暖化対策への後ろ向きの姿勢が国際社会や国内の環境団体等から批判されてきた。本稿では、菅政権の「2050年カーボンニュートラル」に向けた政策を検証し、国内外の環境NGOが指摘する問題点や対案などを紹介する。

遅すぎた日本の温暖化対策

 昨年10月の所信表明演説で、菅義偉首相は「我が国は、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、すなわち2050年カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指す」と宣言した。また今年1月の施政方針演説でも菅首相は「世界に先駆けて、脱炭素社会を実現してまいります」との決意を語った。

 そもそも、2050年までに温室効果ガス排出を実質ゼロにするという「2050年カーボンニュートラル」という目標は、2015年12月に日本がパリ協定に合意した時点で、世界に対して約束したものだった。パリ協定とは、2015年12月にフランス・パリで開催されたCOP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)で約200カ国の国々が合意して成立した、温暖化防止のための国際的な枠組みだ。世界の平均気温上昇を産業革命前と比較して、1.5℃に抑える努力を追求することを各国に求めていることが、その最大の特徴である。この目標を実現するためには、とりわけ先進国は2050年頃に温室効果ガス排出を実質ゼロにする必要があるとされている。

 これまで日本政府は、“温室効果ガスの排出を2050年に80%削減し、今世紀後半の早い時期に脱炭素社会を実現する”と表明していたため、パリ協定との整合性が問題視されていた。今回、日本政府は目標を再設定したことにより、ようやくパリ協定での目標実現に向けて一歩踏み出したと評価できなくもないだろう。ただし、石炭火力発電の温存や原発の活用、再生可能エネルギーの目標設定の低さなど、本気度が疑われる点も少なくない。

菅首相施政方針演説での温暖化防止策について

 まず、今年1月の菅首相による施政方針演説を見ていこう。温暖化対策関連の主な内容は以下のとおり。

・2兆円の基金を創設し、過去最高水準の最大10%の税額控除を行う。
・次世代太陽光発電、低コストの蓄電池、カーボンリサイクルなど、野心的イノベーションに挑戦する企業を支援、最先端技術の開発・実用化を加速させる。
・水素や、洋上風力など再生可能エネルギーを思い切って拡充し、送電線を増強。
・安全最優先で原子力政策を進め、安定的なエネルギー供給を確立。
・2035年までに、新車販売で電動車100%を実現。
・成長につながるカーボンプライシングにも取り組む。
・CO2吸収サイクルの早い森づくりを進める。
・世界的な流れを力に、民間企業に眠る240兆円の現預金、更には3000兆円とも言われる海外の環境投資を呼び込む、そのための金融市場の枠組みもつくる。
・世界に先駆けて、脱炭素社会を実現する。

 これらはこれまでの日本の政策から考えれば悪い内容ではないものの、ややインパクトに欠けている。例えば、「2兆円の基金」というが、米国のバイデン政権は温暖化対策に200兆円以上を投じるというから、文字通りケタが違う。「水素や、洋上風力など再生可能エネルギーを思い切って拡充」については、目標となる普及率やスケジュールが施政方針演説では言及されていない。一方で、「安全最優先で原子力政策を進め」るとあり、福島第一原発事故後、原発依存から脱却するという目標を掲げてきた以前より、原発回帰へと後退しているように感じられる。いずれにせよ、菅政権の政策集を見ると、中核となっているのは、経産省を中心に関連省庁がまとめた「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」(以下、「グリーン成長戦略」)である。

再生可能エネルギーの目標が不十分

「グリーン成長戦略」の内容は、多岐にわたる。大雑把にまとめると、電力部門の脱炭素化、運輸や熱利用等の電化・脱炭素化、税制や規制等の改革及び基金などの予算配分などに分けられ、さらに関連する各政策があげられている。とりわけ筆者が注目したのは、電力部門の脱炭素化だ。日本のCO2排出を部門別で見ると、電力由来が約4割と最大。石炭や天然ガス、石油といった化石燃料を発電のために用いることは、早急に見直されなくてはいけない。

 現状では日本における発電量のうち、火力が80.6%と最大で、燃料の内訳は石炭32.7%、液化天然ガス41.0%、石油1.6%となっている。火力の他は、水力が9.8%、太陽光や風力などの新エネルギー等が4.9%、原子力は7.1%である(2019年度「電力調査統計」より)。

 これに対し、「グリーン成長戦略」では、2050年の電力構成として、太陽光や風力などの再生可能エネルギーが50~60%、原子力やCCS(CO2回収・貯留)付きの火力発電などが30~40%、さらに水素やアンモニアによる発電が10%となることを目指している。

だが、この目標については、専門家や環境NGOなどから、疑問の声が上がっている。まず、「グリーン成長戦略」では、「全ての電力需要を100%再エネで賄うことは困難」だと決めつけているが、公益財団法人自然エネルギー財団(会長:孫正義氏)は、フィンランドのラッペンランタ工科大学、ドイツのシンクタンク「アゴラ・エナギーベンデ」との共同研究から、日本において“2050年時点で再エネ100%は可能”だと主張している。

 また「グリーン成長戦略」では、再生可能エネルギーの課題として、高コストや電力の需給バランスの調整力不足などを指摘している。ところが、国際再生可能エネルギー機関(IRENA)は昨年6月に公表した報告書で「2019年に新規に導入された大規模な再生可能エネルギーによる発電の設備容量の56%は、最も安価な化石燃料による発電コストを下回っています」と強調している。

 IRENAによれば、太陽光発電のコストは2010年から2019年までに82%低下し、陸上風力発電は39%、洋上風力発電は29%低下。今後もさらなるコスト低下が見込まれるとしている。また環境省は経済性を考慮した再生可能エネルギー導入のポテンシャルを、最大で現在の電力供給量の約2倍と試算しており、日本における再生可能エネルギーの可能性は極めて大きい。

 また、天候により左右されやすい再生可能エネルギーの供給の不安定さを補う対策として、自然エネルギー財団は、地域間電力移出入(地域間での電気のやり取り)や、そのための送配電網の運用強化と新設、電力貯蔵設備の増設などの対策をあげている。

 今後、再生可能エネルギーの普及が飛躍的に進めば、再生可能エネルギーを使用して製造される「グリーン水素」を飛行機や船舶の動力源などとして活用できるようになるだろう。水素は燃やしても、CO2が発生しないため、燃料や熱源としての利用が期待されている。

石炭火力を延命

「グリーン成長戦略」のさらなる問題点は、石炭火力発電を2050年まで使っていこうとしている点だ。石炭火力は、天然ガスや石油等を燃料とする火力発電よりも多くのCO2を排出するため、最優先で廃止していく必要がある。だが、「グリーン成長戦略」では、CCS(CO2回収・貯留)を付けたり、アンモニアと混焼させたりすることで、石炭火力発電を活用していくとしているのである。

 CCSとは、火力発電所などから排出されるCO2を大気中に逃がさず回収して、地中深くなどに封じ込める技術のことだ。だが、CCSは現段階で未完成の技術であり、またアンモニア混焼にしてもCO2排出を減少させるだけでゼロとするわけではない。結局これらの技術を口実に石炭火力発電を延命させるだけではないか、と環境NGOなどは警戒している。

 例えば、環境NGOの気候ネットワークは「CCSを含む多くの技術は不確かな上、経済合理性もなく、2030年までの排出削減にはおよそ期待できない。パリ協定に整合させるには2030年には石炭火力をゼロにする必要があるため、本来、石炭火力へのアンモニア混焼やCCSという技術は必要ないはずである。にもかかわらず、これらを前提として、2050年に向けても『火力の利用を最大限追求していく』としたことは、火力利用を延命させようとするものに他ならない。これでは、気候危機への緊急性に対応しないだけでなく、産業・経済の発展にも不安定要素となる」と指摘している。

 石炭火力発電について、梶山弘志・経産大臣は昨年7月の会見で「非効率な石炭火力のフェードアウト」を目指すと発言しているものの、日本国内で、現在15基が建設中あるいは計画中である。昨年10月の菅首相の所信表明演説を受けての会見でも、梶山経産大臣は、いつ石炭火力をやめるかについては明言せず、CO2を回収し、プラスチックや化学製品の材料とする技術(CCUS)を活用することに言及するにとどまった。

原発は温暖化対策とはならない

 さらに「グリーン成長戦略」には、再び日本のエネルギー政策が原発依存へと向かうのではないか、という懸念がある。昨年10月の菅首相の所信表明演説を受けて、梶山経産大臣は「2030年の20(基)から22(基を動かす)という数値を目指して、再稼働をしていく」と会見で発言している。ところが、日本で運用している33基のうち15基は、2030年には原則40年とされる運転期間を超える。稼働から40年を超えても、原子力規制委員会の審査に合格すると最長60年まで延長は可能だが、老朽原発を稼働させ続けるということは、それだけ事故のリスクが高まるということでもある。

 上述の会見で梶山経産大臣は「現時点では、新増設・リプレースというのは想定しておりません」と語っているが、今後、温暖化防止に乗じた原発の新増設等の計画が持ち上がってくる恐れもある。ただ、仮にそうした原発の新増設を行うとしても、原発は温暖化対策とはならない。原発は建設、稼働にまで10年以上かかることが普通であり、一刻の猶予もない温暖化防止において時間がかかりすぎるのだ。

一方、再生可能エネルギーはその普及スピードは早く、電源構成に占める割合は2019年の18.6%から2020年前半で23.1%にまで増加している。これは、2030年の再生可能エネルギーの政府目標(22~24%)に並ぶものであり、政府の予想を遥かに上回っている。原発を再稼働させたり、新増設したりするよりも、再生可能エネルギーの普及に全力を注いだ方が効率的であるし、現実的ということだろう。

電気自動車へのシフトを急げ

 日本におけるCO2の排出を部門別に見ると「運輸」は全体の2割弱を占め、2050年のカーボンニュートラルを実現する上で、自動車の脱炭素化は不可欠だ。菅首相は前述の施政方針演説で「2035年までに、新車販売で電動車100%を実現いたします」と宣言。日本でもついにガソリン車から電気自動車(EV)へのシフトが始まるのかと思いきや、この「電動車」の定義が曲者なのだ。

 国内自動車メーカーの働きかけにより、経産省は「電動車」の定義に、ガソリンエンジンと電動モーターで動くハイブリッド車(HV)も含めることとなった。だが、ハイブリッド車は一般のガソリン車に比べれば、CO2排出は少ないものの、主な動力源としてガソリンエンジンを使用する以上、大幅な排出減は難しい。電動車にHVを含むという方針は、日産を除けば、電気自動車の開発にそれ程熱心ではなかった国内自動車メーカーに猶予を与えるためなのだろうが、日本での電気自動車の普及や急速充電施設などのインフラの整備に遅れが生じる恐れもある。

 海外ではHVすらも今後の規制対象となっている。例えば、早くから自動車の低公害化を進めてきた米国のカリフォルニア州では、2035年までに同州で販売される車を全てZEV(無公害車)とするとしており、このZEVにはHVは含まれないのである。さらにバイデン大統領もその政策集で「50万カ所にEV用充電ステーションを設置する」としているので、カリフォルニア州のみならず全米規模でEVの普及が進む可能性がある。

 また、イギリスでは2030年にHVも含めガソリンを使用する車は新車の販売ができなくなる。ノルウェーにいたっては、2020年の新車販売で、54%がEVだった。同国では2025年までに全ての乗用車の新車をZEVにする目標を掲げており、順調にその目標に近づいていると言えるだろう。海外メーカーでは、米自動車大手フォード・モーターが欧州で販売する車を2030年までにEVのみとする方針を打ち出している。英自動車メーカーのジャガー・ランドローバーも、2025年までにジャガーブランドの車を100%EV化するとのことだ。このように、世界のEV化の流れはここ1、2年で一気に進んでいる。日本としても、2050年カーボンニュートラルを本気で目指すのであれば、官民ともに戦略の練り直しが必須だろう。

2030年中期目標の設定見直しが必要

 そもそも何のためにCO2排出を削減し、脱炭素社会を実現しなくてはいけないのか。 世界平均気温の上昇を1.5度以下に抑えるというパリ協定の目標を達成するには、2050年に向けてCO2排出を削減するといったのんびりした対策ではなく、2030年までの短期間に、いかにCO2排出を半減させていくか、ということが重要なのだ。そうした中で、現在の「2013年度比26%削減」という低い目標は、引き上げなければならない。あと数年で世界平均気温上昇の危険水域である1.5度上昇に達する可能性が約20%存在するとの説もあり、そうしたリスクから考えても「あと30年ある」というような姿勢ではなく、あと数年で脱炭素社会のための基礎づくりを進めていかなければならないのである。そのためには、個人や企業などの自主的な努力に期待するのではなく、CO2排出を規制するための法整備や制度設計が必要であり、温暖化防止策に200兆円を支出するバイデン政権のような大規模な財政出動が日本でも必要だろう。

 世界屈指の自然保護団体「WWF(世界自然保護基金)」の日本支部WWFジャパンは「欧州連合やドイツ、フランス、イギリス、カナダなど世界の先進国のように、企業の救済に気候変動に関する情報の開示を求めるなど、グリーン・リカバリー(アフターコロナにおける環境を重視した経済復興)を具体的な施策として打ち出すことは、まさに経済回復と脱炭素化を両輪で進め、日本企業が世界に伍して脱炭素化ビジネスをリードしていくことにつながるものである」(WWFジャパンウェブサイト)と指摘している。

 日本では、温暖化対策含め環境問題への取り組みに対し、「経済に悪影響」と見なす傾向があるが、むしろ新たな産業や雇用を生み、投資を呼び込む好循環をもたらしうるのである。今回、不十分ながらではあるが、菅政権が温暖化防止に向け踏み込んだこと自体は、歓迎すべきことだろう。だからこそ、その前進をより確かにするために、既得権益にとらわれず、社会変革を実現する具体的な動きを進めていくべきなのだ。


 昨日、江部乙からの帰り道、天気はいいのにやけにくすんでいる。ひょっとして「黄砂」か?PC調べてみると、このような図があった。


東京五輪は“恥さらし”? 上野千鶴子「『古い男たちの五輪』はもういらない」

2021年03月24日 | 社会・経済

AERAdot 2021.3.24

永井貴子,上田耕司

 本当に開催できるのか……不安が拭えない中、東京五輪が近づいてきた。3月25日には澤穂希さん(体調不良で辞退することが24日明らかになった。)ら「なでしこジャパン」メンバーを第1走者に聖火リレーが始まる。が、ここに来てまたも五輪精神に反する不祥事が発覚。このままでは日本の“恥部”を世界にさらす大会になりかねない。

*  *  *

 3月21日で首都圏1都3県の緊急事態宣言を解除した菅義偉首相。「第4波」の気配が迫る中での決断は、25日から始まる聖火リレーを意識したためとも指摘される。ある政府関係者がこう語る。

「4月の訪米に備えワクチンを打った菅首相は、バイデン大統領と直談判して五輪開催のお墨付きをもらうことで頭がいっぱいです。五輪を開催して大会期間中に感染者が一定程度、拡大することは想定内ということでしょう。多少、クラスターが発生しようと、大会を開きさえすれば、その高揚感で国民の支持を得られると計算している。人類はコロナ禍でも大会を成し遂げたと宣伝できますから」

 支持率回復のための五輪だとすれば、「平和の祭典」「復興五輪」などの言葉がむなしく響く。実際、そうした疑念を抱かれかねないほど、関係者のモラルが問われる不祥事が相次いでいる。

 3月17日には、東京五輪・パラリンピックの開閉会式の演出責任者を務めるクリエーティブディレクターの佐々木宏氏が、演出チーム内のLINEでタレントの渡辺直美さんに豚の扮装をさせるなど、侮辱するような提案をしていたことが文春オンラインの報道で発覚。佐々木氏は辞任した。佐々木氏は広告大手の電通出身。東大名誉教授で社会学者の上野千鶴子氏は呆れた様子でこう語る。

「小学生のいじめ並みの幼稚で粗野な容姿いじりですね。2017年には壇蜜さんを起用した宮城県の観光PR動画が性的な表現で炎上するなど、広告業界は男社会による旧態依然とした女性蔑視の価値観を許してきた。こうしたことが起きる素地は元からあったと言えます」

 佐々木氏は数々の有名CMを手がけたヒットメーカー。博報堂出身の作家・本間龍氏が語る。

「業界では“天皇”と呼ばれるくらい有名。クリエーターというより、部下や外部から上がってきたアイデアの中から良いものをピックアップし進めていくのが得意だった。しかし、今回の一件で、考え方が古く、世界的なジェンダー平等の潮流に取り残されていたことが露呈してしまいました」

 佐々木氏の出身母体である電通は、五輪組織委にも多くの人材を送り込み、五輪に大きな影響力を及ぼしてきた。

「組織委は東京都、政府、地方自治体やスポンサーなどからの出向者の寄せ集め。大半の人は五輪のような巨大イベントのノウハウなどないので、電通に頼らざるを得ない。こうしたことから、電通出身の佐々木氏が起用されたのでしょう」(本間氏)

 森喜朗・五輪組織委前会長の女性蔑視発言で注目されたジェンダー意識の低さも再び問われている。佐々木氏が主導権を奪って以降の演出チームはスタッフが男性ばかりだと指摘されたのだ。佐々木氏も報道後に公表した謝罪文で<スタッフに男性が多いというご指摘はその通り>と認めた。

 森氏の辞任後、五輪組織委の新会長には女性の橋本聖子氏が就任。女性理事を12人増員させるなど組織委も「汚名返上」を試みているが、染みついた体質は相当根深い。前出の上野氏が語る。

「橋本氏の会長起用は『困った時の女頼み』で五輪の強行開催か中止かの困難な舵取りを押し付けられただけ。女性理事を増やしたといっても、ほとんどの事柄が決定済みの最終段階からの参加に意味があるのか。上層部にいる古い体質の男性たちの頭はまったく切り替わっていません」

 不祥事のたび国民の気持ちは五輪から離れていく。それでも日本が五輪開催に固執する背景には、巨大商業イベントと化した五輪の利権がある。五輪は1984年のロサンゼルス大会から1業種1社のスポンサー制度を取り入れていたが、東京五輪ではその原則を取り払った。これにより、スポンサー数は2012年のロンドン五輪、16年のリオ五輪と比べても膨れ上がり、68社もの国内スポンサーをつけた。

「1業種1社だとスポンサー企業が増えないから、集められるカネに限界がある。だから、スポンサー数は制限なしとした。主導したのは電通です。電通はスポンサー企業と組織委の間でマージンを抜いていますから。その結果、組織委は公表しているだけでも3千億円以上のスポンサー料をかき集めました」(本間氏)

 巨額の資金を集めてしまった以上、後戻りはできない。また、大会経費はすでに約1兆6千億円にまで膨張。五輪による景気浮揚を見越してこれだけのお金を突っ込んでしまった東京都と政府も、もはや「中止」とは言えないというわけだ。

 だが、目先の利益を追いかけて、より多くを失うことにならないのか。前出の上野氏はこう語る。

「私は当初から開催に反対です。『高度経済成長時代の輝きをもう一度』と、五輪熱で景気浮揚を狙うなんて、発想が古すぎます。開催が至上命題とされているようですが、コロナ対策が不十分なまま東京五輪で変異株への感染が拡大したら、日本は国際政治レベルで窮地に立たされますよ」

 本間氏もこう指摘する。

「外国人観光客を入れないことになり、五輪関連のインバウンド需要も見込めない。海外から選手や関係者が1万人以上やってきて、テロ対策や感染対策など、準備の費用もかさむ。五輪を開催したほうが日本は損をするのではないか」

“古い体質の男たち”がのさばる現状を変えないと、世界に恥をさらす結果になりかねない。(本誌・永井貴子、上田耕司)

※週刊朝日  2021年4月2日号


 腐りきっているよね!自民党も五輪関係者も。もう、やめたほうが良いよ。頭が腐ってるだけじゃなく、腐ったはらわたまで見えてきた。もう、オリンピック、見たくない。

 今日、樹液採取セッティング。

雪解け水。

高速道路と並ぶ道が除雪され、わたしの散歩道。

そして、駐車スペース確保。


「沖縄が受けてきた仕打ちを知ること」望月衣塑子記者が感じる“偏向”への怒り

2021年03月23日 | 社会・経済

AERAdot 2021.3.23

「元々、普天間基地は田んぼの中にあった。周りにはなにもない。そこに商売になるということで人が住みだした」。百田尚樹氏がネット上に広がる虚偽の言説を事実のごとく発信し、「沖縄の新聞はつぶさなあかん」と述べたのは、2015年6月25日、自民党の学習会でのことだ。

『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』の著者であり、ジャーナリストの安田浩一氏は「誇張、デマ、ときには、妄想をも動員する『ネトウヨの作法』そのものだ」と痛烈に批判する。

「琉球新報」「沖縄タイムス」の2紙が公権力の横暴を検証してきたのはなぜか。意見を封殺され、虐げられ、尊厳を傷つけられた「民の声」を聞き、報じる責務があると自任しているからだ。記者一人ひとりの思いと、2紙のこれまでの報道を知れば、彼らに憎悪と差別意識を込めて「偏向」というレッテルを貼ることこそ、ひどい偏向だとわかるだろう。著名人の口から侮蔑の言葉が平然と発せられるようになった背景を探るため、安田氏は地元記者たちの姿を丹念に追う。一方で、差別発言をする相手にも切り込み、緻密な取材を重ねた。

 安倍晋三政権の7年8カ月の間、官房長官として政権を支えた菅義偉首相は、2014年9月から沖縄基地負担軽減担当相を兼務し、基地問題や振興政策を一手に担ってきた。その間、県民が重ねて示してきた民意を徹底して無視し、権力を使った陰湿な「いじめ」を繰り返してきた。こうした政府の無理解と差別は、本土と沖縄との対立だけでなく、県内の分断も生んできた。

 もっとも罪作りなのは、「あいつらには何をいってもいい」「沖縄はわがままだ」という不穏で非民主的な空気を醸成したことだろう。そして「辺野古が唯一の解決策」と何度も強弁してきた“首謀者”が総理大臣の座にいる。政策能力と政権基盤の弱さから、菅氏は今後もこうした強硬策しかとれない。

 例えば、2020年10月、政府が日本学術会議から推薦された新会員候補のうち、6人を任命拒否したことが「しんぶん赤旗」の報道で明らかになったが、政府は拒否の理由を「総合的・俯瞰的」としか説明せず、日本学術会議の抗議も無視し、任命拒否の方針を取り下げようとしない。各団体からの反対意見や異論を黙殺している。

そして、気持ちの悪い動きが出てくる。「お上」の意向を上目遣いで窺っていた一部の「知識人」やマスコミが、学者6人や日本学術会議への中傷やデマを発信し、SNSを通じて広がっていった。「学術会議のほうにも問題があるのではないか?」「どっちもどっちでは?」「6人の思想は偏っていたから当然だ」――。そんな世論誘導を狙っているのだろう。

「どっちもどっち」と説教してくる人が厄介なのは、グロテスクな異論をわざわざ持ち出して、足して二で割ってバランスを取ろうとする点だ。学術会議の問題の根本は、過去に国会答弁で示した政府の方針(=首相は推薦された人を形式的に任命する)を一方的に変えたうえ、具体的な理由を示さずに6人を任命拒否したことであり、手続き的にも法的にも疑義がでている。ところが、自民党も政府も「学術会議のあり方」という別の問題にすり替え、その動きに、ネット上で発言力のある著名人が後押しする。

 この構図は、これまで沖縄に対して政府がしてきたこととそっくりだ。「学術会議」「6人」を、「沖縄の新聞」に置き換えてみるとよくわかる。菅政権は沖縄や学術団体だけでなく、同様のことをさらに他の分野でも広げていくだろう。こうして、思想・良心や表現、集会・結社、職業選択など、憲法が保障する様々な自由権がゆっくりと侵害されていく。次は自分たちかもしれない。それに備えるには、沖縄が受けてきた仕打ちを知っておくことが早道だ。

 安倍政権下において、沖縄がどのような扱いを受けてきたか振り返ってみたい。13年3月に辺野古沿岸部の埋め立てを県に申請。反対派の仲井眞弘多知事に対し、21年度まで毎年3千億円台の沖縄関係予算や、普天間飛行場の5年以内の運用停止を示し、埋め立ての承認を取り付けた。また、14年11月の知事選で菅氏は、那覇空港の第2滑走路建設の前倒しや米軍北部訓練場の返還なども持ち出した。こうしたわかりやすい「アメ」を県民はどう感じたか。取材で知り合った県民の声を聞く限り、屈辱と感じた人は多い

「ごねて利益をもらう」ために声を上げているのではないからだ。県民は仲井眞氏ではなく、辺野古移設反対派の翁長雄志氏を選んだ。

 当選後、官邸は翁長知事からの会談の求めを一切、無視した。「こんな子どもっぽい嫌がらせを知事にもするのか」と驚いたので、今でもよく覚えている。ようやく、那覇市内のホテルで会談が実現したのは15年4月のことだ。結局、この会談でも菅氏は、普天間飛行場の危険性の除去を重要課題に挙げ、「辺野古移設を断念することは普天間の固定化にもつながる」「辺野古移設というのは唯一の解決策」と従来の政府見解を繰り返した。

 15年9月の集中協議で、沖縄の歴史を説明した翁長氏は菅氏に「私の話は通じませんか」と問うた。菅氏の口から出たのは「私は、戦後生まれなので、沖縄の歴史を持ち出されたら困りますよ」という言葉だった。担当になって1年もたつのに、沖縄の歴史を知ろうとすらしない。「お互い別の70年を生きてきたような気がする」と返した翁長氏の絶望感はいかばかりだったろう。

 その翁長氏の逝去に伴う18年9月の知事選では、東京からも自民・公明両党(維新、希望も推薦)が組織的に沖縄に支援者を送り込んだ。結果は、辺野古基地反対を掲げる玉城デニー氏が、佐喜真淳氏を8万票の大差で破り圧勝だった。だが、「選挙は民意だ」と発言していた菅氏は会見で「選挙は様々なことが争点になる」と前言を翻し、民意が示された後も辺野古ありきの方針を全く変えなかった。

 政府による民意の黙殺。県民の怒りは9万3千筆の署名につながった。県民投票の実施が決まったが、直後から宮古島市など5市の市長が投票への不参加を表明する。県民の3割が民意を示せないという状況に対し、「『辺野古』県民投票の会」を立ち上げた大学院生の元山仁士郎氏が思い立ったのがハンガーストライキだった。

 一人の若者が一票の権利を獲得するために抗議のハンストをする。果たして日本は民主国家といえるのか。19年1月、私は官房長官会見で菅氏に直接尋ねた。「若者がハンストで抗議の意を示さざるを得なくなっている。この状況について、政府の認識をお聞かせください」

菅氏の答えは「その方に(元山氏)聞いてください」と小馬鹿にしたものだった。元山氏の背後にいる幾万の県民の存在が全く視界に入っていない。会見の質疑はネットで拡散され、元山氏は「体を張って抗議をしている私を嘲笑わらい、政府の認識を本人に聞いてとはどういうことですか。いまの日本政府、政権というのはどれだけ冷酷なのか。選んだ方々もどう思うんだろう」と怒りを込めてツイートした。結果的に全市町村での実施が決まった同年2月の県民投票では、投票率が5割を上回り、「反対」が7割を超えた。しかし、やはり菅氏は「結果を真摯に受け止める」と言いながら、工事を中断する気配も見せなかった。

 前述したように、安倍・菅政権で一貫しているのは「政府に刃向かう者を徹底的に封殺し、孤立させる」という非民主的な価値観だ。そして、沖縄については「世界一危険な普天間基地の除去」「辺野古移設が唯一の解決策」と繰り返すことで世論を誘導し、国民全体を思考停止に追い込んでいる。私も官房長官会見で、埋め立て現場の赤土使用など何度か問いただしたが、「そんなことありません」「今答えた通りです」と木で鼻をくくった対応ばかりだった。これらの質疑からわかったのは、菅氏は徹底して沖縄を見下しているということだ。総裁選でも繰り返した「地方分権を進める」とは虚偽ではないか。

 政府の横暴には怒りしか湧かない。ましてや沖縄の記者たちはどう思うだろうか。沖縄の日常や事件を取材する記者たちはみな、基地問題にぶち当たる。現在まで続く「不条理」に否応なく直面しなければならなくなる。私が知る沖縄の記者たちは穏やかな記者ばかりだ。でも、その根底には沖縄県民が受け続ける不条理への怒りと、ペンの力で少しでも現状を伝えたいという気持ちがあふれている。

 安田氏は「それぞれの持ち場で、現場で、私は彼ら彼女らの情熱と言葉に触れた……私が目にしたのは、普通の新聞記者たちだ。伝えるべきことを伝え、向き合うべきものに向き合い、報ずることの意味を常に考えている……その姿が、ただひたすら眩しかった……そんな私に、沖縄の記者たちは、むせかえるような熱さをともなって、『当たり前の記者』である生身の姿をさらしてくれた」と記している。全く同感だ。そう。私だけではないだろう。原発事故があった福島の記者、広島・長崎の被爆者を取材する記者――。それぞれが、現場で出会った市井の民の思いを背負って取材をしている。

 安田氏が沖縄の記者を描こうと思った理由とは?

「それはつまり、いま、日本の新聞記者が『当たり前』を放棄し、輝きを失っているからではないか、と思わずにはいられない。常に何かを忖度し、公平性の呪縛を疑問視することもなく両論併記で仕事をしたつもりになり、志も主張もどこかに置き忘れた新聞記者に、あるいはそこに染まってしまいかねない自分自身にも、どこかで飽き飽きしていた」

 記者に限らない。多くの人が公平性の呪縛にとらわれていやしないだろうか。だれかの主張を反対側の極論と足して中和してバランスを取ろう、などと思っていないだろうか。自分が誰かへの「偏見」に加担していないだろうか。そう省みることができれば……強くそう思う。(東京新聞記者・望月衣塑子)

※この記事は、安田浩一著『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』の文庫版解説を改編したものである。


 今日の天気予報では一日すっきりした☀と思いきや、あまり陽は射さず風は強く寒い一日だった。
 氣になっている白樺樹液の採取、今朝まだ雪が硬い時間にと裏山へ。でもプラス氣温だったのでかなりぬかってしまう。

こちらは江部乙。もう1台車を止められるように除雪作業。



ルッキズムの残酷さ知ってほしい 五輪式典統括の辞任騒動で容姿侮辱の経験者から声

2021年03月22日 | 社会・経済

「東京新聞」2021年3月22日

 東京五輪・パラリンピック開閉会式の企画・演出責任者の佐々木宏氏が、渡辺直美さんの容姿をブタに見立てる提案をしていたことが発覚し辞任した。会員制交流サイト(SNS)では「過剰反応」と佐々木氏を擁護する声もあるが、容姿を嘲笑されたことのある女性たちは「ルッキズム」(外見至上主義)が取り沙汰される中、嘲笑の裏にある残酷さを訴える。(原田遼、神谷円香)

 東京都の40代女性は問題となった渡辺さんへの演出案をニュースで知り、いじめと体形に苦しんだ過去を思い出した。「タレント本人がオッケーでも、見ている人が愉快とは限らない。広告業界の最前線で活躍している人がいまだにこんな考えなんて」と絶望した。

◆中高で受けた中傷で20代後半まで摂食障害

 女性は中高の6年間、同級生に「ブス四天王」などと中傷され、「何度も死にたくなった」。お笑い番組で容姿をネタにする芸がはやっており、女性は「同級生は人気者になりたくて、マネしていたんだと思う」と振り返る。

 大学生になりいじめはなくなったが、周囲の視線が気になり「美しくないと、また傷つけられる」「芸能人はみんな細い」「痩せないと」と切迫感に包まれた。当時は身長171センチ、体重58キロの普通体形だったが、極端なダイエットで体重は46キロに減り、生理も止まった。

 その後過食と拒食を繰り返し、「食べては吐く」という日々が20代後半まで続いた。今は克服したが「いじめを助長するような芸を見たくない」と話す。

◆生まれつきアルビノ 面接で「髪染めて」

 横浜市の精神保健福祉士、神原由佳さん(27)は、生まれつきメラニン色素がほとんどなく、髪が白く目も青色などになる病気「アルビノ」だ。10代の頃は周りと違う見た目が好きになれなかった。学生時代に受けたアルバイトの面接では、病気の説明をしても「髪は染められないの」と言われた。最近はそうした経験をインターネットで発信している。

 自身もアルビノで、外見に関わる問題に詳しい立教大社会学部の矢吹康夫助教(41)は「本人に変えられない容姿の侮辱は差別」と指摘する。公の場でない仲間内での発言であっても「内輪だからといって許される話ではない」と断じる。

◆「容姿で笑いを取ってはいけない」空気、敏感に

 太った人をブタに例える表現は「これまで多くの人が不快な思いをしてきた。何の新しさもない」と矢吹助教。発信側の意図にかかわらず、嫌な思いをする人がいると分かりきっている表現を、ベテランのクリエーティブディレクターがしたのを問題視する。

 外見の特徴からさまざまな困難に直面する「見た目問題」の解決に取り組むNPO法人「マイフェイス・マイスタイル」(東京都墨田区)の外川浩子代表(53)は「容姿で笑いを取ってはいけない、と今は芸人も、世の中の空気もなってきているはず。鈍感な人は追い付いていない」と指摘する。


目覚めると陽射しが注いでいる。おや?今日は☁⛄の予報だったはず。予報は外れても日差しは氣持ちが良い。君主蘭も咲きだした。しかし空模様はすぐに予報通りになった。

苗立ても少し徒長氣味。窓を開けて換気したり、扇風機を回して風を当てたりしている。

今年、卵ケースでナスの芽出しをしている。今日ようやく芽が出てきた。
あまり出が悪かったので

こちら発芽確認をしているところ。おにぎりのケースにキッチンペーパーを敷き水を湿らせ、発芽確認をしているところ。



週のはじめに考える 自然の略奪から脱して

2021年03月21日 | 社会・経済
 卵を多く産むメンドリを繁殖に回したら、産卵率は上がるでしょうか?−。何とはなしに上昇しそうな気がします。
 一九九〇年代に米国パデュー大学のウィリアム・ミューア教授が行った研究です。
 でも予想に反し、後続世代は卵を少ししか産まなくなりました。五世代目になると、檻(おり)の中に九羽いたメンドリのうち六羽は殺されました。残りの三羽もお互いの羽根をむしり合う凶暴ぶりでした。
 最多の卵を産むメンドリは、他のメンドリを攻撃して地位を保っていました。その攻撃性が世代間でバトンタッチされた結果なのだそうです。

◆「いびつ」が落とし穴

 人為的にいびつなことをすれば、思わぬ落とし穴がある−進化生物学者デイヴィッド・ウィルソン教授の「社会はどう進化するのか」(亜紀書房)の記述から、そう感じました。いびつなことは地球規模で蔓延(まんえん)しています。
 例えば電気自動車に使われるリチウムイオン電池にはリチウムが必要です。南米チリが最大産出国ですが、リチウムを含んだ地下水を大量にくみ上げ、蒸発させることで採取しています。
 でも結果的にフラミンゴの個体数が減少するなど生態系ばかりか、人々の飲み水にも影響を与えているそうです。
 この電池にはコバルトもやはり不可欠ですが、アフリカのコンゴ民主共和国で採掘されます。大規模な採掘で水質汚染など環境破壊を引き起こしているばかりでなく、奴隷労働や児童労働がのさばる結果も招いているそうです。
 つまり環境対策のための電気自動車なのに、電池の原料を得るために環境を破壊するという「いびつ」さです。
 これらの事実は、大阪市立大の斎藤幸平准教授が著した「人新世(ひとしんせい)の『資本論』」(集英社新書)に教えられました。

◆注目を浴びる「資本論」

 同じような「いびつ」な出来事は、探せば地球全体にありそうです。ウィルソン氏の著書は、進化論から社会変化の適応を考察していますが、メンドリのエピソードからは経済を動かす効率性の信奉にふと疑問を抱かせます。
 斎藤氏の著書は、ずばり資本主義システムそのものに疑問を抱かせます。地球は有限なのに、際限なく富を求め続ける資本主義は持続可能なのかと…。
 月刊「文芸春秋」の四月号には「マルクス『資本論』が人類を救う」の見出しがあります。一月にNHKの番組「100分de名著」でも「資本論」が取り上げられました。ともに斎藤氏が語っています。まるで社会現象です。
 実は十九世紀の思想家カール・マルクスが残したノートなどから、晩年には地質学や植物学、化学、鉱物学など自然科学を猛勉強していたことが近年、分かってきました。埋もれていたエコロジカルな資本主義批判が今、スポットライトを浴びているのです。
 「資本主義の暴走のせいで、私たちの生活も地球環境も、めちゃくちゃになっている」
 斎藤氏がNHKのテキストに記した言葉です。確かに温室効果ガスによる地球温暖化は、産業活動が引き金です。それに伴う熱波や集中豪雨、巨大台風が先進国をも苦しめています。
 森林破壊は土壌や河川の汚染、山火事まで引き起こします。生物多様性も失われます。不具合が連鎖的に地球上で起きているのです。
 「私的所有と利潤追求のシステムでは、地球環境を持続可能な形で管理することが著しく困難になっているからです」(斎藤氏)
 晩年のマルクスは自然の持続可能性と、人間社会の平等の連関に気づいたのだそうです。富が偏在すれば権力関係が生まれ、それを利用した人間が自然の略奪を行うからだと−。十九世紀からの驚くべき予言に聞こえます。
 環境問題でなくとも、人を豊かにするはずの経済理論が1%の富裕層と99%の庶民に切り分けることを知っています。もはや貧困は多くの人に切実な問題です。
 人間も生物であるなら、進化の過程にあるでしょう。でも、本当に英知を持つ生物ならば、社会進化のあり方も考えられるはずです。どんなシステムなら将来もわれわれに生存を許すのかと…。

◆凶暴なメンドリには

 少なくとも自然を略奪し、地球を食い尽くすような不道徳にはもはや手を染めたくないはずです。自分で自分の首を絞めるようなものですから。同時に途上国にツケを回すようなやり方も人道的でありません。
 環境破壊が進み、地球レベルで食料危機、水不足が進んだとき…。あたかも凶暴なメンドリのように、殺し合う人類へと進化してはたまりませんから。

「私的所有」とは、「生産手段」や「財産」を持つことではありません。「他人の労働」を所有する権利、システムのことです。つまり「搾取」の権利が保障されたシステムなのです。これが「資本主義」です。

 朝起きたらうっすらと雪が積もっていました。その後、雨になりましたが氣温はそれほど上がらず、寒い一日でした。


クマゲラかアカゲラの仕業でしょうか?


5663日間、患者の身体拘束を指示 日本の精神医療の異常さ、あらわに

2021年03月20日 | 健康・病気

47ニュース

YAHOO!ニュース(個人)3/15(月) 

実際の拘束具を使った身体拘束のイメージ=「精神科医療の隔離・身体拘束」(長谷川利夫・杏林大教授著、日本評論社)より

 精神科病院で医師が5663日(約15年半)にわたり患者の身体拘束を指示していた―。厚生労働省が2月に発表した初の調査結果で、日本の精神医療のこんな実態が明らかになった。精神科病院では、全国で約1万人の患者が手足をベッドにくくりつけられるといった身体拘束を受けており、「安易に実施されている」と人権侵害を指摘する声が多い。エコノミークラス症候群などで死亡する例も出ているが、調査結果を受けた厚労省のコメントは当事者や家族を失望させた。(共同通信=市川亨)  ▽平均1カ月以上、認知症も  調査は2019年11月~20年3月に国立精神・神経医療研究センターの山之内芳雄・精神医療政策研究部長(当時)の研究班が、精神科ベッドのある全国の1625病院を対象に実施。回答したうち188病院について、19年6月時点の状況を分析した。  医師が拘束を指示したケースで期間が「1日のみ」はわずか6・6%にとどまり、「2日以上1週間未満」が61・2%と最も多かった。「1カ月以上」も11・5%あり、「1週間以上」が計32・2%に上った。平均は36日で、最大日数は5663日だった。患者の年齢別では65歳以上が63・0%を占め、認知症患者も多く含まれるとみられる。

(写真:47NEWS)

 

 別の調査では、19年6月時点で拘束を受けている患者は全国に1万875人。調査結果を当てはめると、約3500人が1週間以上の拘束を指示されていたことになる。  精神保健福祉法は①自殺企図や自傷行為が著しく切迫している②多動又は不穏が顕著③放置すれば患者の生命に危険が及ぶ恐れがある―などの場合には、精神保健指定医の指示で患者の身体拘束を認めている。だが一方で「やむを得ない処置であり、できる限り早期に他の方法に切り替えるよう努めなければならない」とも定めている。  期間に上限は設けられていないが、15年半も拘束が必要とは、どんなケースなのか。厚労省の担当者は「詳細は把握していないが、医師が毎日診察することになっているので、その都度、拘束が必要と判断したと思われる」と話す。「このケースを特定して、病院を指導するといったことは考えていない」という。  ▽少なくとも12人が死亡  精神科病院の身体拘束を巡っては、エコノミークラス症候群などで死亡した患者が13年以降、分かっているだけで12人いる。17年にはニュージーランド人の男性、ケリー・サベジさん=当時(27)=が双極性障害(そううつ病)で神奈川県内の病院に入院してすぐに体をベッドに固定される拘束を10日間受け、心不全で亡くなった。遺族は、体を動かせなかったことで生じた血栓が死因となった疑いを指摘。長期間の拘束が常態化している日本の精神医療の状況は、ニュージーランドで驚きを持って伝えられた。

 石川県内の精神科病院では、統合失調症と診断を受け入院していた大畠一也さん=当時(40)=が約1週間、身体拘束され、エコノミークラス症候群で死亡。両親が病院側に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁金沢支部は20年12月、精神保健福祉法などが定めた基準に当てはまらず違法だったとして、慰謝料など約3500万円の支払いを病院側に命じた(病院側が上告中)。

 ▽「必要最低限の範囲」

 今回の厚労省研究班の調査結果では、途中で拘束を解いているケースが一定数見られた。厚労省の担当者は「指示したからといって、実際にその間ずっと拘束しているとは限らない」として、「必要最低限の範囲で行われているものと考えている」とコメント。「5663日が『必要最低限』と言えるか」との質問にも、同様の見解を繰り返した。調査報告書では「2分の1以上のケースは1週間未満」と、数日間の拘束を容認するかのような記述も見られる。

 こうした姿勢に、精神障害者の団体からは「狂ってる」との声が上がる。精神障害がある人の家族らでつくる「全国精神保健福祉会連合会」(みんなねっと)の小幡恭弘事務局長は「1週間はかなり長期と捉えるべきだ。5663日なんて、人格剥奪以外の何物でもない。何も有効な治療をしていないという証左だ」と憤る。「外部の目が入らないと、精神科病院の中では異常なことが正常になってしまう」と話した。

 「法の要件に当てはまらないのに、『院内のルールに違反した』という理由で拘束されている実態がある」と指摘するのは、NPO法人「地域精神保健福祉機構」(コンボ)の宇田川健代表理事。宇田川さん自身も精神疾患のある当事者で、入院中に身体拘束を何度も経験した。「私は拘束されて一晩、誰も見回りに来なかった。医師の電話1本で行われているケースもあり、かなりルーズに行われているのではないか。長期間の拘束が原因で亡くなった患者は、表面化している以外にも相当数いると思う。拘束後に死亡した件数を明らかにしてほしい」と訴える。

▽病院団体への配慮のぞく

 厚労省が「必要最低限」との見解を示す背景には、全国団体「日本精神科病院協会」(日精協)への配慮がのぞく。そもそも今回の調査は日精協の協力が得られず、いったん頓挫した経緯がある。厚労省幹部は「調査結果にはわれわれも問題意識を持っているが、調査の実施までには紆余(うよ)曲折があった。関係者の理解を得ながら進める必要がある」と釈明する。日精協は山崎学会長が安倍晋三前首相とゴルフをするなど、強い政治力で知られることが影響しているとみられる。

 日精協は調査結果について「報告書を精査しているところなので、回答は差し控える」として14日現在、見解を明らかにしていない。

 精神科病院の身体拘束の実態に詳しい杏林大の長谷川利夫教授は「今回の調査は回収率が低く、ほとんどの病院が回答していない。実際には長期間の拘束指示がもっと行われている可能性がある」と分析。「海外では数時間程度にとどめるのが主流で、日本の状況は異常といえる。中断を挟んでいるケースもあるが、要件を満たさなくなったら解除するのが本来の姿だ」と話す。精神科の人員配置が一般病床に比べて少ないため、「患者の安全」を理由に「とりあえず拘束」するという構造的な問題が背景にあると指摘。そのうえで、拘束過程の録画など事後に検証できる仕組みを設けるよう求めている。


 息子が何かの用事でこちらの方へ。江部乙にも寄ってくれたので昼飯を近くのイタリア料理店で食べる。写真も撮らず、氣が付けばデザートも終わっていた。


ワクチンとはそもそもどんなもの

2021年03月19日 | 健康・病気

~基礎知識と、新型コロナワクチンが体を守る仕組みを徹底解説!

河岡義裕(東京大学医科学研究所教授)

(構成・文/浅野恵子)

imidasオピニオン 2021/03/19

 新型コロナウイルスワクチンの接種が世界で、そして日本でも始まった。しかし、主なワクチンだけでも、接種回数、持続期間、取り扱い方法がずいぶん異なる。
「mRNAワクチン」「ウイルスベクターワクチン」という言葉ばかりはよく聞くが、どんなものなのか説明しようとすると詰まってしまう人も多いのではないだろうか。
 体内に接種するものなのに、その仕組みや作用、正体を知らないままでいるわけにはいかない。そこで、「ワクチンとはそもそも何なのか」「どんな種類があるのか」「新型コロナワクチンの種類と違い」などについて、ウイルス研究の世界的権威である河岡義裕・東京大学医科学研究所教授に解説していただいた。

 

 WHO(世界保健機関)が2020年3月11日に新型コロナウイルスのパンデミックを宣言してから、1年が経ちました。この間、各国の研究機関や製薬会社がワクチンの開発に挑み、かつてないスピードで数種類のワクチンが完成に至りました。
 日本政府は国外の製薬会社3社と契約を結び、すべての日本人が接種できる数のワクチンを確保して、すでに医療従事者への先行接種を始めています。日本に供給されるワクチンはどういうものか、国内ワクチンの開発はどこまで進んでいるのか。今回はそれについてお話ししますが、その前に、そもそもワクチンとはどういうものなのか、そこから始めたいと思います。

そもそもワクチンとはどんなものか

 ワクチンとは、感染症の発症や悪化を防ぐ医薬品です。我々の体には、病原体となるウイルスや細菌などの異物(抗原)の侵入を防ぐ「自然免疫」という先天的な防御システムが組み込まれています。自然免疫をすり抜けて病原体が体内に入ってきた場合、それを異物として記憶することで、次に同じ異物が入ろうとするとき、「獲得免疫」という後天的な防御システムが作動し、異物を排除する物質(抗体)をつくるなどして侵入を阻止します。この働きを利用し、毒性を弱めたり失わせたりした病原体をワクチン(免疫原。免疫をつくるもと)として体内に入れ、防御システムをつくらせるのが、ワクチンによる感染症予防の基本です。
 ワクチンの第1号は致死率の高い天然痘を予防する「種痘」で、1796年に英国の医師、エドワード・ジェンナーが開発しました。ジェンナーによるワクチンは、ヒトの天然痘によく似た病気をウシにもたらす牛痘ウイルスを弱毒化したものです。
 その後、ジェンナーの手法が発展し、コレラ、ペスト、狂犬病など、細菌やウイルスによる感染症に対抗するワクチンがつぎつぎと開発されました。現在は、病原体となる細菌やウイルスを使用する従来型のワクチンだけではなく、さらに進歩した新しいワクチンも開発されています。

ワクチンの種類

 2020年まで、世界中で利用されているワクチンは大きく3つに分類されていました。新しいワクチンについても以前から研究されていましたが、新型コロナウイルスの出現で開発が一気に進み、ワクチンの種類がさらに追加されたのです。新しいものを含めて、現在実際に活用されているワクチンをごく簡単に説明します。

【生ワクチン】
 生ワクチンとは細菌やウイルスを「生かしたまま」、病原性 を弱めてワクチンとして利用するものです。ワクチンとして投与された病原体はまだ生きているので体内で増殖し、これに反応して抗体などがつくられます。言わばワクチンの原型で、結核を予防するBCGワクチンや風疹ワクチン、ロタワクチンなどがあります。

【不活化ワクチン】
「不活化」とは本来の働きを失わせる作用です。細菌やウイルスから毒性や感染性を除いてワクチンにします。生ワクチンと違い、投与された病原体は生きていないので増殖しません。インフルエンザや肝炎、日本脳炎などの予防に、不活化ワクチンが活用されています。

【サブユニットワクチン】
 生ワクチン、不活化ワクチンの技術をさらに発展させたのが、サブユニットワクチンです。細菌やウイルスの一部を酵母などで人工的に合成して投与するもので、帯状疱疹などの予防に使われています。

【mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチン】
 新型コロナウイルスのワクチンとして新たに開発されたのが、mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンです。mRNAとは、細胞内のDNAが持つ遺伝情報をコピーしてタンパク質をつくる物質で、いわばタンパク質の「設計図」です。ウイルスのタンパク質の一部だけをつくる設計図として加工したmRNAを投与すると、体内で目的のタンパク質がつくられ、それに反応した免疫システムが抗体をつくるという仕組みです。

【ウイルスベクターワクチン】
 ウイルスベクターワクチンとは、ウイルス感染症を別のウイルスで防ごうというものです。ベクター(運び屋)として使われるウイルス(ウイルスベクター)は、予防対象とは別のウイルスです。このウイルスを無毒化したうえで、予防対象となるウイルスのタンパク質の一部をつくる遺伝情報を組み入れて運ばせます。ベクターとなったウイルスに感染した細胞は、目的のタンパク質を合成し、体内ではそれに対する抗体がつくられます。新型コロナ用のワクチンが登場する少し前、エボラのウイルスベクターワクチンが開発され、承認されました。

日本で接種できる3種類の新型コロナワクチン

 21年3月現在、日本政府が契約したワクチンは、ファイザー社(米国)、モデルナ社(米国)、アストラゼネカ社(英国)製の3製品で、前者2つはmRNAワクチン、後者はウイルスベクターワクチンです。いずれも、従来のように免疫原を体の外でつくって投与するのではなく、体内でつくらせようというコンセプトで開発されています。mRNAワクチンは人類が初めて接種するワクチンで、ウイルスベクターワクチンも新しいタイプのワクチンですので、その仕組みについて少し詳しくお話ししましょう。
 体内に入ったウイルスは細胞内に侵入して増殖し、病気を発症させます。これが「感染」ですから、細胞内へのウイルス侵入を防御できれば、感染が避けられるわけです。
 新型コロナウイルスの場合、スパイクと呼ばれる外側の突起を利用して細胞内に入ります。スパイクを構成する「S(spike)タンパク質」が、細胞の表面にある「受容体」に結合することで、ウイルス本体が細胞内に侵入するのです。Sタンパク質が「鍵」、受容体が「鍵穴」と考えると分かりやすいと思います。なお、Sタンパク質単体には、毒性や感染性はありません。

 先ほどお伝えしたようにmRNAはタンパク質をつくる物質です。その性質を利用して、Sタンパク質だけを合成するように加工したmRNAを使っているのがmRNAワクチンです。これを接種すると細胞内でmRNAがSタンパク質を合成しはじめ、それに呼応して体がSタンパク質を排除する抗体をつくります。抗体はSタンパク質に作用して、受容体との結合を妨害します。いつか本物の新型コロナウイルスが体内に入ってきたとしても、抗体はウイルス表面のSタンパク質に同じように作用するので、ウイルス本体は細胞に侵入できなくなり、感染を阻止できるのです。

mRNA自体は1950年代に発見され、1980年代に人工合成ができるようになりました。ワクチンや病気の治療に使う研究は2010年代から行われ、それを完成させたのがモデルナ社とファイザー社です。mRNAはひじょうに壊れやすく、それだけを体内に入れるとすぐ壊れてしまうため、脂質の膜内に閉じ込めて体内投与します。モデルナ、ファイザー両社のワクチンはどちらも超低温管理が必要ですが、その管理温度が異なるのは、脂質の膜の違いによるものです。副反応も、脂質によって変わります。逆に言えば、人体への負担が少なく、管理しやすい適切な脂質の膜を探しだし、それをうまく加工することがmRNAワクチン開発のキーポイントと言えます。

 一方、アストラゼネカ社のウイルスベクターワクチンは、アデノウイルスをベクターとして開発されました。アデノウイルスは一般的な風邪を引き起こすウイルスですが、それを細胞内で複製できないように加工し、新型コロナウイルスのSタンパク質をつくる遺伝情報を組み込んで体内に運ばせます。するとアデノウイルスに感染した細胞内でSタンパク質がつくられ、それに対する抗体もできるので、本物の新型コロナウイルスが侵入しようとしても防御できるのです。
 ウイルスベクターワクチンにおいては、ベクターに使うウイルスに「感染」する必要があるので、そのウイルスに対する抗体を持っている人には効果を発揮できません。ベクターとなるウイルスに何を選ぶかがキーポイントとなるでしょう。
 ヒトに感染するアデノウイルスはすでに多くの人が感染を体験し、抗体をもっています。そこでアストラゼネカ社はチンパンジーに風邪症状を起こすアデノウイルスをベクターに選び、ワクチンを完成させました。



 ちなみにロシアの国立研究機関が開発し、多くの国で使われはじめているワクチン(スプートニクV)もウイルスベクターワクチンですが、こちらはヒトのアデノウイルスを2種類組み合わせており、そのうちの1種類は、今まであまり流行を起こしていないものを用いています。

ワクチン接種の効果と注意点 

 新型コロナワクチンを接種すべきかどうか、迷っている方も大勢おられることでしょう。私は、すでに接種しました。モデルナ、ファイザー、アストラゼネカのワクチンは、現状ではいずれも新型コロナ感染症の発生予防や重篤化予防に高い効果が得られています。人類にとって未知のワクチンなので、接種から数年後の影響は未知数としか言えないのですが、自分の年齢を考慮すると、「ワクチンを打たない選択肢はない」、というのが私の結論です。
 しかし、注意すべき点はいくつかあります。ワクチン接種には副反応が必ずついてくるからです。治療薬にも効果とともに何らかの副作用があるのと同じで、副反応がまったくないワクチンはないというのが大前提です。ただし、日本社会はワクチン接種に対してひじょうに警戒心が強く、副反応が現れるとメディアが一斉にクローズアップする傾向があります。近年で言えば子宮頸がんワクチンが典型例で、日本はこのワクチン接種勧奨をやめてしまいましたが、先進国で子宮頸がんワクチンの接種を勧奨していないのは日本だけです。

 新型コロナウイルスのワクチン接種では、アナフィラキシーショックの例が国外から数件報告されています。アナフィラキシーショックとは極度のアレルギー反応ですが、発生頻度は数万人に1人ほどの割合です。

 アナフィラキシーショックの発生はワクチン接種後30分以内であることが多いため、接種者は30分程度その場所に留まること。また接種を行う側は、エピネフリン(交感神経を刺激し、アナフィラキシーの症状を緩和する薬)など、数種の対応薬を揃えておくことで対処できます。
 過去に強度のアレルギーを経験している方は医師に相談するなど注意が必要ですが、軽度のアレルギーがある方や花粉症の方はほとんど心配いりません。

 若い方のなかには、感染しても重症化しないので接種しない、と考える方が一定数いるようです。しかし、ウイルス感染による症状がすぐにでなくても、のちにさまざまな後遺症がでるケースがありますので、それを踏まえてワクチン接種を考えてほしいと思います。

 米国在住の研究仲間や友人たちの話では、mRNAワクチンを接種したあと、注射の箇所が腫れる、倦怠感に襲われるなどの副反応もあるようです。実際に接種日が決まったら、念のため翌日はゆっくり休める態勢を整えておくことをお勧めします。

国内ワクチンの開発状況~東大医科研 河岡ラボのワクチン開発~

 東大医科学研究所(東大医科研)内にある私たちのラボでも新型コロナウイルスに対する数種類のワクチン開発を行っていますので、現時点(2021年2月現在)の進展状況をお伝えします。
 私たちが開発しているワクチンの種類は、不活化ワクチン、サブユニットワクチン、mRNAワクチン、生ワクチンです。
 感染性を失わせたウイルスを利用する不活化ワクチンは、KMバイオロジクス社と一緒に開発を進めています。私たちのラボではすでにインフルエンザとエボラの不活化ワクチンを開発していますので、不活化ワクチンには副反応が少なく、安全性が高いことは確認済みです。製造工場も既存の施設が使えます。
 不活化ワクチンの開発では、生きたウイルスを大量に増やし、薬で不活化させたものを動物に打ち、抗体ができたことを確認しました。新型コロナウイルスに感染しても、ワクチンを接種した動物ではウイルスがほとんど増えません。現在、メーカーと共同研究をしており、近々臨床試験を開始する予定です。

 mRNAワクチンは東大医科研の石井健教授、第一三共社とともに進めています。このワクチンはmRNAワクチンを包む脂質の膜がポイントと先ほど述べましたが、第一三共が条件のよい膜を見つけました。
 サブユニットワクチンは、哺乳動物の細胞を利用して新型コロナウイルスのSタンパク質をつくる研究を、日本の企業と共同で行っているところです。

 生ワクチンは、培養細胞で増殖を続けることによって、ウイルスの病原性をなくすという従来から行われている方法を用いて開発しています。生ワクチンの場合、完全に弱毒化できているか、二度と強い毒性が戻らないか、厳密な検証が必要です。しかし完成すれば、毒性を弱めたとはいえ生きたウイルスを体内に入れるため、自然感染に近い免疫応答がおき、高い免疫力が期待できます。

 国内では私たちのラボのほか、多くの研究機関やワクチンメーカーが開発を進めています。いくつかのワクチンは臨床試験が始まる段階まで進んでいますが、承認を得て実際に供給されるまでには1年半ぐらいの期間が必要です。臨床試験は「フェイズ1」から「フェイズ3」まで、被験者の人数を増やしながら3段階に分けて慎重に行わなければなりません。そのため時間はかかりますが、私たち日本の研究者も必死で取り組んでいます。

「国防」としてのワクチン開発の重要性

「日本のワクチン開発はなぜ遅れているのか?」
 最後は、メディアでよく取りあげられるこの問いにお答えします。日本では安全性を重視し、ワクチン開発も慎重に進めています。
 ただ、それよりももっと大きな原因は、ワクチン開発に欠かせないウイルスや遺伝子などの基礎研究に、これまで十分な投資がなされていなかったことです。従って最新の設備や優秀な人材の確保も充分ではなく、基礎研究に力を入れてきた国から遅れてしまいました。
 たとえば中国は2005年に高病原性鳥インフルエンザが大勢の人に感染したことが契機となって、基礎科学研究に多大な予算を投じるようになりました。その額は同じ分野でトップを走る米国に劣らないと言われます。結果、新型コロナの流行が起きて1年足らずで、国産の不活化ワクチンを2種類完成させる成果をあげたのです。
 新型コロナウイルスのパンデミックで、日本でもにわかにワクチン開発の予算が組まれました。しかし、たとえ莫大な資金が提供されても、基礎研究の遅れは簡単にとり戻せません。世界中で新型コロナウイルスのためのワクチン開発が一斉にスタートした時点で、日本は米国や中国から周回遅れになっていたのです。
 ウイルスによるパンデミックは、新型コロナウイルスが決して最後ではありません。地球上には、我々人類にとって脅威となり得るウイルスが数多く存在しています。今回のパンデミックで明らかになったように、自国製ワクチンの開発は国防にも外交にもつながるのです。
 次のパンデミックに備えるためには、長期的なワクチン戦略を立て、国内でタイプの違う数種のワクチンをいち早く開発、生産できる体制づくりが急務だと考えています。

河岡義裕教授編、『ネオウイルス学』(集英社新書、定価:本体940円+税)
新型コロナパンデミックで注目されるウイルス学の新領域を研究者20名が解説。ウイルスと生命、共生と進化の未来を探る!


 今日、役場にワクチン接種を希望しないとハガキを出してしまった。
こんな田舎にいたら必要ないのではないかと考えてのことだ。仕事は風の吹き抜ける畑だ。ハウス内にはやたら人は入れないし、換気もよい。不特定多数の人と会う機会もない。ほとんど可能性はないと思うのだが…


雨宮処凛がゆく! 第552回:「女性による女性のための相談会」、125人が来場! 〜寄せられた多様な声

2021年03月18日 | 生活
 
「夢みたい……」

 生活保護申請を終えたあと、その女性は何度も小さく呟いた。

 3月13日、都内のある炊き出しで声をかけた女性。話をするともう3年ほど住まいのない生活で、大雨だというのに今夜の寝場所も決まっていないという。

 「今日と明日、大久保公園で女性だけの相談会やってるんで、ぜひ来てください」

 何度も念押しすると、女性は雨の中、傘もささずに大久保公園に来てくれた。その日の強風で傘は潰れてしまったという。さっそく聞き取りをし、生活保護の話をすると利用したいとのことだったので、その日申請ができると聞いていた某区に、弁護士の白神優理子()しらがゆりこ)さんと私と彼女の3人で向かった。区役所ではマガジン9の元メンバーであり、現在は豊島区議会議員の塚田ひさこさんが待っていてくれて、4人で相談ブースに入る。

 「なんとしても生活保護申請受理、今日から1ヶ月のホテル滞在、本人が嫌がっているので扶養照会をしない方向で交渉しないと!」

 担当者を待ちながら、私は鼻息荒く身構えていた。

 せっかく生活保護を申請できても、女性の場合、婦人保護施設や他の施設に入れられてしまうと、携帯を管理されて自由には使えなかったり、また環境が劣悪だったりで耐えられず逃げ出してしまうこともある。そうなると「失踪」となって生活保護は廃止され、また路上生活という「振り出しに戻る」ことが多い。それだけでなく、「公的福祉に対する不信感」が刷り込まれてしまうのでもっとも避けたいところだ。

 だからこそ、まずは1ヶ月ホテルを確保すること。また、せっかく生活保護を利用する気になっても、最後の最後で扶養照会の話をすると「家族に知られるくらいならやめる」となってしまうことも多々ある。なので、「本人が嫌がっている場合、無理強いしない」よう、なんとしてでも交渉しなければ……!!

 そうして一人臨戦態勢に入っていたのだが、その日対応してくれた係長の対応は、私を一気に武装解除させるものだった。拍子抜けするほど当事者に寄り添った対応をしてくれたのだ。

 聞き取りが始まってすぐ、「今日から泊まれるホテル」の地図が出てきた上、係長は扶養照会について触れ、言った。

 「今、いろいろ話題になってますが、家族にどうしても知られたくないという場合は、無理に扶養照会をすることはありませんから」

 これまで、多くの人を生活保護制度から遠ざけてきた扶養照会。それがまさか、役所側からこんな声がかけられるようになるなんて。私は、私は今、夢を見ているのか? そう疑ってしまうほどに、現実とは思えない言葉だった。時代は確実に変わっているのだ……。一人、なんだか遠い目になった。

 結局、簡単な聞き取りと制度の説明などをして20分ほどで生活保護の申請は終了。この日は土曜日だったので、月曜日にまた改めて詳しい聞き取りなどをすることになり、再び白神弁護士や塚田さんが同席してくれる方向となった。

 みんなで「良かったねー」と話しつつホテルに向かう道中、彼女が何度も口にしたのが「夢みたい」という言葉だったのだ。もうひとつ、「助けてくれる人がいるなんて、考えたこともなかった」

 それを聞いて、彼女のこの3年ほどに思いを馳せた。

 女性が住まいを失うということは、どれほどの恐怖と隣り合わせの日々だったろう。そんな中、おそらく彼女は誰からの助けも得られてこなかったのだ。女性の場合、男性よりもより慎重に自身の困窮を隠さなければたちまち危険な目に遭う可能性がある。だからこそ、彼女たちは「隠す」こと、「隠れる」ことに長けている。しかし、それは同時に支援者からも見えなくなってしまうことを意味する。

 今、ふと思う。あの土砂降りの中、ずぶ濡れになった彼女がそのまま野宿していたとしたら。そう思うだけで、このタイミングで相談会をやって良かったと、心から思う。

 さて、そんな3月13日と翌14日、開催されていたのは「女性による女性のための相談会」。

 年末年始、大久保公園でコロナ被害相談村が開催されたことはこの連載でも触れてきた通りだ。その相談村を経て、「女性だけの相談会」の必要性を痛感し、年明けから女性たちで話しあいを続けてきた。そうしてこの両日、とうとう開催されることになったのだ。

相談会場の大久保公園(写真提供:「女性による女性のための相談会」実行委員会)

 初日の3月13日は、まるで罰ゲームのような暴風雨だった。

 大久保公園にはテントが設営されたのだが、何度もテントごと吹き飛ばされそうになり、横殴りの雨にさらされながらの相談会だった。

 それぞれのテントでは、生活、労働、医療、法律、妊娠や出産、子育て相談などができるようになっている。中央にはカフェスペース、相談ブースの一角には、新鮮な野菜を持っていけるマルシェや衣類コーナー、生理用品、マスクなどがもらえるコーナー、缶詰やレトルト食品のコーナーもある。

 1日目はいろいろ見て回る余裕もなかったが、晴天に恵まれた2日目は、多くの女性が衣類を選んだり、持ち帰りたい野菜を袋につめたりとバザーやお祭りのような雰囲気だった。また、キッズコーナーでは秘密基地のようなテントで子どもたちが楽しそうに遊んでいて、子連れの女性も安心して相談できる環境が作られていた。そんな相談会で2日間に渡って相談員をしたのだが、1日目に出会ったのが、冒頭の女性だったのだ。

テントの中に作られたマルシェ。大量の野菜やお花が。ここから好きなものを持っていけます

 そうして2日目。初日には23人だった来場者は、晴天のこの日には、なんと102人に増えていた。

 私が2日目に相談を受けたのは、約10人。それぞれの相談は、あまりにも多岐にわたっていた。

 家族についての相談。昨年から仕事がなく、所持金が尽きそうという相談。海外で働いていたが、コロナによって失業したという相談もあった。それだけでなく、一方的に給与を減らされているという相談もあれば、DV被害に関する相談、かなり専門的な法律相談などにも耳を傾けた。中には、持続化給付金や社会福祉協議会の貸付金、住居確保給付金などあらゆるものを利用し尽くし、制度を熟知している人もいた。自身が生きるために必死に情報収集したそうだが、今すぐ相談員としてスカウトしたいくらいの知識量だった。

 それぞれ聞き取りをして、その場にいる専門家につなぎ、また公的な制度や他の支援団体、相談できる窓口、ホットラインなどにつなげていく。2日間相談員をしただけで、世の中にはこれほど多様な問題、悩みがあるのかと痛感した。

 嬉しい再会もあった。年末年始の相談村に来てくれて、それがきっかけで支援につながった若い女性。仕事が無事に決まり、「来週から働き始める」と嬉しそうに報告してくれたのだ。女性たちの盛大な拍手に包まれて笑う姿が眩しかった。

 一方、女性だけの相談と絞ることで、多様なニーズが浮き彫りになった。困窮者支援色が濃い相談会では決して出会えなかったような女性たちとも多く出会えた。毒親に関する問題や、各種法律相談など、これまで私が経験しなかった相談にも直面した。女性相談と銘打つことで、ぐっと間口が広くなった気がする。

 また、改めて痛感したのは、女性は親や兄弟などの家族、そして夫や彼氏など身近な人からの暴力被害に遭いやすく、またそこから逃げようとすると一気に困窮に陥ってしまうということだ。DVの問題はこれまでも認識していたつもりだったが、改めて、女性だけの場で語られる暴力の壮絶さに言葉を失った。もちろん、DVは身体的暴力だけではないのだが、そんな話も女性同士だと「わかるわかる」と共感できることばかりなので話が早い。

 相談会に参加しての感想を、参加者たちはポストイット(付箋)に書いて会場の一角に貼ってくれた。一部を紹介しよう。

 「来てみて良かったです。心が軽くなりました」
 「女性だけの集まりはとても助かります。男性には相談できないことも言いやすいです。ありがとうございます」
 「食料などもらえて助かりました。ありがとうございます」
 「心が温まりました」

 女性だけの場所を作ることで、初めて聞こえてくる声がある。男性がいる場所ではそもそもその声は上がらないから、「何も問題はないだろ」となってしまう。しかし、このような場を作って初めて、聞こえてくる声があるのだということを改めて確認した2日間だった。男性の前では、生理用品がほしいと言えない。衣類や食品を配っていても、好きなだけゆっくり選べない。それだけでなく、ひとつひとつが言語化できないくらい小さなことで、男性がいるとどうしても生まれる遠慮というものは確実にある。

 「女性による女性のための相談会」、2日間で来てくれたのは125人。そのうち住まいのない人は、両日でそれぞれ5人ずつだった。生活保護申請をしたのは初日は3人。2日目はまだ集計中だ。

 相談会は終わったが、ある意味でここからが始まりだ。さっそく今週から、相談を受けた人たちの生活保護申請や役所への同行などが始まる。私も何件か同行することになっている。また、冒頭の女性のアパート転宅までも見守りたい。それだけではない。今はまだ大丈夫だが数カ月以内には生活保護申請が必要となるだろうケースもあったので、こちらは連絡待ちだ。

 今、こうして女性たちは、女性たちで助け合う実践をしている。それがどんどん「女性たちのノウハウ」となり、広がっていったら。それは困窮だけでなく、例えば災害時なんかにも、ものすごく役に立つと思うのだ。

 ということで、この相談会には多くの方々からのカンパも頂きました。応援してくださった皆さん、実行委員メンバー、ボランティアの皆さん、そして来てくださった皆さん、ありがとうございました! ここからいろいろ、広げましょう!!

キッズコーナー。実行委員メンバーの菱山南帆子さんと


 朝起きると、うっすらと雪が積もっている。今日も一日陽も差さない、時折雪がちらつく寒い日であった。

今日のお仕事。


デジタル法案 個人情報保護が先決だ

2021年03月17日 | 生活

「東京新聞」社説 2021年3月16日 

 デジタル関連法案の審議が始まった。デジタル化には利便性向上の利点とプライバシー侵害の危険が併存する。今回の法案には後者への配慮が欠けていないか。個人情報保護の確立が先決だ。

 コロナ禍で消費や交流のオンライン化が進み、感染予防には移動監視が試された。このデジタル化の流れに乗じ、政府は「デジタル庁」を司令塔に、官民で個人情報の統合を図ろうとしている。

 しかし、国民には個人情報を国に握られることへの警戒感が根強い。五年前に配布が始まったマイナンバーカードの交付率は約26%。この数字が国民感情を示している。

 国民の不安をぬぐうことが大切だが、政府にはその姿勢が欠ける。関連法案の一つ、デジタル社会形成基本法案の目的には「国際競争力」「利便性」の言葉が躍るが、個人情報保護の文言はない。

 文言にとどまらない。関連法案は、住民基本台帳ネットワークやマイナンバーカードの発行管理に携わる地方公共団体情報システム機構を、国と地方自治体の共同管理法人に変えるとしている。

 従来、同機構は地方自治体の共同法人だった。理由がある。住基ネットの創設時も国が個人情報を一元管理するのでは、と懸念が強かった。このため、小渕恵三首相(当時)は「地方公共団体共同の分散分権システム」を強調し、国民総背番号制とは異なると国会で答弁。現在の形態になった。法案はこの経緯を無視している。

 かねて産業界は分散システムがビッグデータの形成や活用を妨げていると不満だった。法案には、預貯金口座とマイナンバーカードのひも付けやデジタル庁への民間からの大量登用が記された。産業界におもねっていないか。国に先駆けて、個人情報を守ってきた地方の議会から慎重審議を求める意見書が相次いでいるのは当然だ。

 世界は個人情報保護の強化に動いている。欧州連合(EU)は二〇一八年に一般データ保護規則を施行。個人が自己情報を管理する権利と独立機関による監督を規定した。米国でも一六年の大統領選以来、巨大IT企業が持つデータの流通が投票行動をゆがめていないか、論議になっている。

 重大なテーマであるのに政府が「束ね法案」で提出し、審議を急ごうとしている点も看過できない。関係資料には四十五カ所のミスも見つかった。拙速に過ぎる。十分な審議と個人情報が脅かされないような法案の修正が必要だ。


今の「政権」は信用できない。ただその一点のみ。

昼過ぎから雨になった。先ほどは吹雪の状態だった。今夜から明日にかけてまた雪が積もるのかもしれない。

今日の散歩道。