里の家ファーム

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強固な野党共闘を!

2020年01月31日 | 社会・経済

 京都市長選 野党共闘に水を差す「共産党NO」広告の狙い

  日刊ゲンダイDIGITAL 2020/01/31


 国政にも影響しかねない。来月2日投開票の京都市長選をめぐり、京都新聞に掲載された共産党批判の広告が物議を醸している。一市長選の広告が、国政レベルで進む野党共闘に水を差す恐れがある。

 市長選は“自公立国社”与野党5党が相乗りで支援する現職の門川大作候補(69)と、共産党と、れいわ新選組が推薦する弁護士の福山和人候補(58)との事実上の一騎打ち。メディアの情勢調査によると、約2~3割が投票先を決めていないものの、門川氏が先行。福山氏が追う展開となっている。

 何としても市長のイスを守りたい門川陣営は、後援団体「未来の京都をつくる会」が26日付の京都新聞朝刊にデカデカと「大切な京都に共産党の市長は『NO』」という広告を掲載。〈わたしたちの京都を共産党による独善的な市政に陥らせてはいけません〉とも訴えた。

■反撃ビラ作成に1000万円募金
 これに共産党の志位委員長は、自身のツイッターで〈この種のレッテル貼りを許してはなりません!〉と批判。共産党は反撃の新聞広告やビラを作成するため、1000万円を目標に募金を呼び掛けている。

 自民や公明が「NO」ならまだしも、広告の右下に立憲民主、国民民主、社民それぞれの府連が連名で載っていたのには驚く。京都市長選を取材するジャーナリストの横田一氏がこう言う。

「まるで“赤狩り”のようなネガティブキャンペーンですが、国政レベルで共闘を呼び掛けている野党の名前が並んでしまった。次の国政選挙に向け、野党候補者のすみ分けが進んでいる地域もあるといいます。ある野党議員は『野党結集をぶち壊す気か』と怒っていましたね」

 野党共闘が瓦解して得をするのは与党だ。野党分断を狙って自公が主導して問題広告を載せたのではないか――。広告を出した理由を門川陣営に問い合わせると、「府や国と連携できない市長は市政にとって良くないという意味を込めて制作しましたが、特定の誰かを名指ししたわけではありません」とノラリクラリだった。

「北陸新幹線の延伸など、門川陣営が訴えている政策は旧態依然のバラマキ政治。それを支持する野党の府連の姿勢は、国政野党の方針と矛盾しています」(横田一氏)

 与党を利するような野党なんて必要ない。


 こんなことがちょっと昔までは主流だった。しかし、今では国民が許さなくなっている。国民が求めるのは「自公」の悪政から生活を守ること。こんなことばかりやっているから「野党」は馬鹿にされるのだ。

今日のお散歩

ピンネの山々を眺めて。

こちらは反対側。


仁藤夢乃の“ここがおかしい” ”第35回

2020年01月30日 | 社会・経済

「メークをしたらお奇麗ですね」発言から差別や性暴力の構造を考える
  Imidas連載コラム 2020/01/29


性暴力をテーマにした番組でのできごと
 先日、性暴力被害を語る某テレビ番組に出演した際、打ち合わせ前にメークアップをしてもらっていたら、その分野の専門家として一緒に出演した男性に「メークをしたらさらにお奇麗ですね……ってセクハラになっちゃうか。最近は職場でもすぐ『セクハラ』と言われちゃうからエラい時代や」と言われた。
 性暴力をテーマにした特集番組に呼ばれた専門家がこんな発言をすること自体にドン引きし、愛想笑いもせず真顔で無視していたら、後から部屋に入ってきた番組制作の男性に対して彼は「さっき仁藤さんにこんなこと言ったんだけど、これってセクハラかな? 最近はなんでもセクハラって言われちゃうからな」と、しきりに「セクハラではない」と否定してもらおうとしていた。
 何か気まずい状況に陥った時、「俺は悪くない」という同意と連帯を、周囲にいる男たちに求める男――私はこれには大いに既視感があった。そして聞かれた男性は、困った表情を浮かべながら「ギリギリ、セーフですかね……」と言ってしまった。これでその共演者は味方を得て、私を黙らせることに成功し、彼の都合のいい方へ状況が転じてしまったのだ。そこは「セクハラですよ」と言ってほしかった。
 その後、共演者は‬‪「職場でやったらアウトだな。今の時代は、すぐセクハラと言われてしまうからいろいろ大変なんですよ。ごめんなさいね」と、私に向かって謝罪の言葉を述べた。しかしこれは、問題を自覚して反省したうえでの真の謝罪ではなく、自分の立場を保つための形式上の謝罪だろう。‬‬‬

場所や相手を選んだ発言は誰のため?
 暴力や差別の加害者は、「無意識だった」とよく言うけれど、実際には場所や相手を選んでいることが多い。先述の件にしても、「職場でやったらアウト」と分かっているのだから場所と相手を選んでやっているのだろう。‬私は、そんな被害に遭うことがしょっちゅうある。それも決まって専門家や支援者、活動家を名乗る男性たちから楽屋や舞台裏で。しかし不思議なことに、講演中や番組収録中に彼らがそのような不快発言をすることはない。
 そうして彼らは大概、私が年下の女性で優位に立てそうだと知ると、自分の権威を誇示するかのような自慢話を繰り返す。そんな時、私はあまりにもばかばかしいので、反応しないことにしている。すると空気を察してか、「仁藤さんからも学ばせてください」などと口先だけでへりくだるように言うのだ。それは例えばDV男が、“自分は相手を思いやり、相手の言い分を聞こうとしている”という体で、支配を強めるのに使う手口にも似ている気がする。
 さらに許せないことに、前述の共演者は打ち合わせの中で「SNSを通じて性被害に遭うのは特別な可哀想な子」「死にたいという書き込みは“かまちょ(かまってちょうだい)”でしている」とも言った。私たちは日々の活動の中で、「普通の子どもたち」が性暴力や性搾取の被害に遭っていることを実感し、知っている。加害者は、周囲に頼れる大人がいない子どもを狙うことが少なくなく、貧困や社会的孤立状態にある少女が狙われ、そうした子どもたちは被害に遭っても誰にも相談できず事態が深刻化することもある。
 被害者を「特別な可哀想な子」とレッテル貼りしたり、「かまってちゃん」などと表現して彼女たちの抱える困難を矮小化し、誤解させたりするような発言が当事者を追い詰めることは、これまで多くの支援団体や専門家たちから繰り返し指摘されてきたのだ。
若い女性の前では虚勢を張りたくなる
 性被害に遭った当事者にとって、偏見や思い込みで発言する人に語られることほどつらいことはない。テレビでこんな発言をされたら誤解が広まり、当事者たちへの影響も出ると考え、私はやむなく彼に「現実とずれている」と指摘した。すると、その専門家は「それは誤解で、言いたいことは仁藤さんと同じです」と返してきた。
 このように発言の矛盾点を指摘された時、論旨のすり替えをしたり、「誤解だ」と言ったり、責任を“受け取る側”に押し付けようとしたり、意見を180度変えたりすることにも既視感(一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる現象)があった。それもこれも、相手を見てやっているのだろう。あくまでも「自分は分かっている」という立場でいようとするのも、私が「年下の女性」だからではないか。もし「あなたの言っていることはおかしいぞ」という顔をしたのが、当人よりも偉い「男性」だったら、そんな返し方はしなかったのではないか。
   いろいろ不信感はあったが収録は打ち合わせ通りに進められ、当の共演者が番組内で問題発言をすることはなかった。

理解者ぶるならまず実情を勉強すべき
 普段は偉ぶっていても、相手が優位に立つと途端に顔色をうかがい、意見を変えるような男性は世の中にざらだ。そんな人に出会うと、元々自分の意見などなく、発言にも責任を持たないのではないかと思えてしまう。
的外れなことを言っているのに、自覚していない男性を見ると、「これまで誰にも指摘してもらえなかったんだな」と私は感じる。周りが見えていないので、相手の女性が「面倒だし逆らう価値もない」と思っていたり、「もう会うことはないから今だけ我慢しよう」と自分に言い聞かせたりしている、利害関係のある相手だから理解したふりをして話にうなずいたり、聞き流そうとしたり、早くその場を終わらせようと愛想笑いしたりしている、というところまで考えが至らないのだろう。
 周囲の誰もが愛想笑いをして、話を逸らそうとしている状況でも「僕が言うことは理解されている」「僕は正しい」「僕の意見を皆が支持している」「僕が教えてあげた」と、思い違いをしたままでいる。相手を尊重できないので、周囲に気を遣わせ、そういう状況にしてしまったことも自覚できない。それどころか「僕は女性の理解者だ」と思い込み、嫌がられていることに全く無自覚。男性相手だと態度を変えるので、男社会の中では「女性に立てられている」と勘違いされ、「あいつはモテる」と思われている節すらある。
 理解者ぶる男性の中には、自分で実情に気付こうとせず、ろくに下調べや勉強もせずに軽々しく「何も分からないから教えて」と言ってくる人もいる。が、いつまでも女性や被害者に教えてもらえると思わないでほしい。まずは自身と自身が属するコミュニティーに潜む、性や女性に対する差別の問題に向き合うべきで、「なぜそうなってしまったのか?」は加害者に直接聞けばいいだろう。‪‬‬‬‬‬‬‬
大学生に少女たちを監視させる!?
 実は先日の番組では、被害者支援団体から問題視されている取り組みを「効果的な対策」として取り上げていて私は危惧の念を抱いていた。大学と警察が連携し、SNS上で性的なやり取りを行う少女たちを「通報対象」とし、それを大学生に探し出させて警告文を送るというものだ。
 もし性搾取や性暴力被害に遭っている子どもたちがこんな紹介映像を見たら、なおさら大人たちに被害を相談できなくなるだろう。まさに権力を笠に着た男たちが考えそうな、男社会らしい発想だ。
 前回のコラム「少女誘拐『なぜついていった?』と責める前に 」でも取り上げたが、今の日本では、少女がネット上に「家出したい」と書き込めば10分足らずで数十人から「サポートします」「泊めてあげる」とあたかも援助を申し出るようなコメントが返ってくる。そうした“援助”に頼らざるを得ない状況で、強姦や性的搾取の被害に遭った少女たちと日々出会っている。
    SNS上をパトロールするなら、少女を狙う加害男性たちに警告して取り締まったらいいではないか。なぜ、そうしないのか。被害者に対しあれこれ言う前に、必要なのは加害者に加害させないことではないだろうか。
簡単に当事者に答えを求めるのはダメ
 私は被害者を責めることはもとより、「どうしてそうなったの?」と被害者に疑問を投げ付けること、それ自体が暴力であり二次加害になると考える。先日の番組でも進行確認の際には、「被害者の背景は?」「どうして被害に遭ってしまったのか?」「被害に巻き込まれないためには?」などと被害者にばかり目を向けられていたため、「問題は加害者だ。被害者を責めるのでなく、加害者に目を向け加害者を抑制するにはどうしたらいいかを考える必要がある」と話した。すると「では、加害を生まないためにはどうしたらいいの?」と聞かれたが、日本ではその議論に至ることすら難しい。
 その段階にすら至っていないのが現状であることを見つめるべきだ。簡単に答えを出そうとしたり、被害者に答えを求めようとすることにも暴力性を感じた。これまでも被害者はずっと声を上げ続けていて、社会がそれを軽んじて扱ってきたのに、今まさに声を上げ始めたかのように語ることは問題だ。‬社会のほうが、ようやくその声の大事さに気付きましたという話ではないか。
 私は講演先でよく、「自分にできることはありますか? 現状を変えるためにどうしたらいいですか?」と聞かれる。簡単に、当事者に答えを求めないでほしい。それを考えることから始めてほしい。自分ごととして真剣に考えている人は、「こんな支援はどう?」と聞いてくれる。そうすれば、次につながる。
「メークをしたらお奇麗ですね」の何が問題か
 冒頭の「メークをしたら更にお奇麗ですね」という発言を私のツイッターで拡散したところ、〈「可愛いね」とほめられて気持ち悪い…っていう感覚、自分だけかと思ってました。相手に「ほめてるのに~」と言われても嫌なんだから仕方ないけど、そう感じてしまう自分を責めてみたり。〉とリプライしてきた人がいた。
 これも女性たちが、言われ続けてきたことだろう。こうした発言をする男性は、自分が相手の容姿を評価できる立場にあると自然に思っていることがまず問題だ。自分よりも若く、自分に言い返したり、意見をしたりしないコントロールできる相手だと思っているからセクハラし、「ほめてるのに」という一言は、そんな自分は悪くないとの言い訳である。
「可愛いね」などと言われて「気持ち悪い」と思うのは、言われた人がその相手から尊重されておらず、尊厳が傷つけられていると直感的に分かるからではないだろうか。その気持ちを大切にしてほしい。自分を責める必要はない。
「被害に遭わないためにどうしたらいいか?」ではなく、加害者について私たちが何を勘違いしているのか、加害者はどういう相手や状況につけ込んで手を出すのか、そのプロセスを明らかにして正しく認識することが必要だ。その認識が隅々まで広まれば加害が起きそうになった時、起きた時、すぐに「それダメですよ」と「当然でしょう」という顔をして言える人が増える。そういう社会にならなければ、加害は減らない。
 そんな社会になったら生きづらい‪(自分が相手を支配する自由がなくなる)だろうと考える加害者は、「なんでもセクハラと言われちゃう」と予防線を張り、「セクハラしちゃったかも」と自覚しているふりをして更なる圧力を掛けた挙句、「うっかり本音が」「綺麗だと思ったから」などと言い訳をする。‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬
‪ それは決して「うっかり」やってしまったことではなく、加害者たちは状況をしっかり判断して、相手を見てやっていることを私たちが認識しなくてはならない。‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬‬
加害者には「NO」を突き付ける力を
 更に加害者は、軽んじていた相手が実は影響力ある人だと気付いた時、自分の立場が危うくなった時などに「謝っている」「反省している」と手の平を返した態度をとることもある。しかし、それは自分を守るためにしているだけで、やってしまったことを理解して、誠意を込めて謝ったり反省したりしているのとは全く違う。なので周囲の人も、うっかりだまされて「謝れるいい人」「謝っているんだから許してあげたら」などと、加害者を庇うようなことを‪言ってはいけない。それは二次加害だし、加害者にとって都合のいい状況を作ることにつながる。‬‬‬
とくに性差別が背景に潜んでいるような状況では、加害的な発言をした人物が自己防衛のためにとった態度に周囲の人が同情し、庇ってしまうようなことは残念ながらよくある。だから私たちは勉強する必要がある。‬‬たとえ周囲の人にそのようなことを言われても、「おかしいな」「嫌だな」「気持ち悪いな」と感じた時は、その気持ちを大切にしていい。
 一人ひとりの無理解から、女性たちは何重にも被害に遭い、傷つけられてきた。繰り返し問題を指摘し続けないといけないのはつらいが、問題を整理して言葉にしていきたい。「あの時、もっとこうできたらよかった」と自分を責めてしまうこともあるけれど、差別や暴力の構造を理解することは、そんな自分を許し、傷つきから回復するためにも大切で、加害者に「NO」を突き付ける力にもなる。

 

少女から大人たちへのメッセージ 第43回

大人に伝えたいこと~少女からのメッセージ 
大きな一歩を超えて(18歳・Nさん) 
 
   2020/01/29
     女子高校生サポートセンターColabo (一般社団法人) 
    
    うちが、援助交際をはじめたのは中学2年生の時だった。きっかけは何やろかも思い出せんぐらい些細なことだったと思う。そしてこの時から家出をし始めた。
    初めて自分の体をお金に変えた日のことは、今でも鮮明に覚えてる。一番に思ったのは、こんな簡単にお金ってもらえるんだってこと。ただ気持ちいい振りをすればいい。ただ我慢すればいい。楽して稼げることを知った瞬間だった。
    でも、本音はお金目的なんかじゃなかった。寂しさを埋めてほしい。うちが生きてることを証明したい。本当はそんなことを思ってた。
    何度も何度も、援助交際をやめようと思ったけどやめれなかった。一度しか会わないし、その場だけの関係。そういうふうに割り切ってたからこそ、何でも話せた。自分より長く人生を生きてる人から言われる言葉はすごく胸に響いた。体が目的でも、嬉しかった。でも、罪悪感は増えた。
    いつも何かにおびえてた。周りの目が気になった。見られてるんじゃないのかって。周りをキョロキョロしてしまうのが止まらなかった。今でもその癖は残っているけど。
    援助交際を通してうちは、たくさんのものを失ったけど、それと引き換えに得たこともあった。少年院まで行ってしまったけど、少年院で過ごした日々はうちにとって青春でもあり、足元にある幸せに気付かさせてもらえました。
会いたい人にすぐ会えること。
みんなで協力することの楽しさ。
社会ではどーしようもないうちじゃったけど、人の絆の強さを肌で感じることができた。
    非行に走ってたくさんの人を傷付けてしまったり、たくさんの人を泣かしてしまいました。それでも見捨てずに傍におってくれた友達、その他私を待っててくれた人がいたからこそ更生という道を今、遠回りしながらも進んでます。
    同性との関係が上手くいかなくなって、異性に逃げてしまったことから始まった援助交際。そういうイメージがあるけど、そうじゃない人もいる。一人一人の気持ちに耳を傾けてもらえたら、うちは、嬉しいです。
    最近も過去のフラッシュバックに襲われ、自分を見失ってもーいやだ、もー疲れた、そんなことばっかを言い続けてた。援助交際をしてきた過去、家出を繰り返してきた過去、流産をしてきた過去、まだまだ沢山の思い出したくない過去。過去に縛られて、「どーせ」って言葉ですましてきて何もかも諦めていた。親に愛想つかれ、名前を名のるなとまで言われ、誰も信じれなくて親から逃げる日々が苦しかった。
いつまで追われるのだろうか。
いつまで監視されるのだろうか。
    親の育て方が異常なのは分かってた。けど、これがうちの親だと思い誤魔化してた。ご飯中は私語禁止、そして英語の歌が流れてた。喋ることはほぼ禁止じゃから、紙に書いて名前と日付と印鑑的なの押してた。
    言ったとか言わないとかで揉めるのが嫌だったから、と親は言ってた。
何かあれば過去のことを言われ、「言える立場じゃない」って怒られ、「誰のおかげで」って「うちのために」って言われ続けたことで、そんな心配してくれてるんだって感覚になったけど、結局は洗脳だったんやろなって。
    親が泣いてるのを見たことないし、影で泣いてるなんて知った時、我慢さしてるって思って、うちも親を苦しめてるという罪悪感が増えた。
    学校に行かなければ自由はないと言われて、そしてご飯も出てこない、そんな生活だった。何かあれば警察に電話された。日常的に、お決まりのように殴られ蹴られてきた。これが当たり前だと思ってた。
親に愛されてるって何だろと、今も分からない。
    異常な監視が今も続いている。そんな家庭で育った私は、彼氏ができても上手く愛せなかった。好きだけど好きって感情が分からなかった。だから振り回し、違う男の人の所に行って、そんな繰り返しじゃった。
    クズなんはわかってます。最低で、人の気持ち弄んでたんやと。それでも離れんでおってくれた友達、大切な人に感謝をしてます。本気で叱ってくれて、本気で泣いてくれて、本気でうちと向き合ってきてくれました。けど、私には体しかないって考えは抜けなかった。
    それでも私の中身を好きになってくれた人、私の笑顔を好きになってくれた人――。私は今、大事な友達に囲まれて生活でき幸せです。そして私をサポートしてくれてる方々、私のこれからを信じてくれてありがとうございます。
    何人もの大事な友達の死も経験し、死ぬことの儚(はかな)さを知りました。あの子達が最後、笑顔で「この人生でよかった」って言ってたよう、私もそう言って終えられる人生でありたい。
    今、私は環境も変え、新たな場所でのSTARTを切りました。今も親の監視は続き、支配からもまだ抜けられてません。まだまだ安定した生活ではないけれど、私の人生はやっとここからです。何かもリセットしてきて、ここにいます。
たくさん後悔して泣いてきたけど、もう後悔はしたくない。援助交際、家出、流産、仲間の死、高校中退など、18年で私は私なりにたくさん勉強さしてもらいました。
    無理に家に帰されるのが嫌でした。補導されれば家や親元に返され、保護してくれる団体も親元に返すと思っていました。だから怖かったし、見たら逃げてました。家や親元が嫌で外の世界にいてました。その繰り返しだったと、当時を振り返ると思います。
    家以外に帰れる場所を作ってほしい。でも警察官の中には親が悪いってちゃんとわかってくれてた人がいて、親に保護官をつけたほうがいいと言ってくれた人に本当に救われました。
    最後に、Colabo(コラボ)みたいな場所が増えてほしい。私はコラボに来て、こんな笑い合えたり共感できたりできる仲間と出会え、生きててよかったと思いました。コラボに来てなかったら私は元の生活に戻ってただろうし、笑ったりももうなかったと思うぐらいです。
    当たり前のように帰れる地元から逃げてるのは、情けないけど、うちがこれから生きるために自分らしくいるためにした選択。大きな一歩じゃったけど、踏み出しことには後悔はありません。

きょうの潮流(しんぶん赤旗)
2020年1月30日
 千葉県野田市で小学生の女児が虐待によって死亡し、父親らが逮捕された事件から1年がたちました。このほど専門家による検証報告書がまとまりました。市や学校、教育委員会、児童相談所など関係機関に多くの問題があったことを指摘しています▼女児は学校のアンケートに「お父さんにぼう力を受けています」と書いていました。しかし、「周りのおとながその声に応えなかったせいで、その後、二度と訴えることをしなくなってしまった」と報告書は述べています▼救えたはずの命でした。報告書は「子どもを守り通す組織がつくられていくことを切に望む」と結ばれています。虐待に対応する専門の職員の大幅増員などを政治の責任で進める必要があります▼先日、児童虐待をテーマにしたあるシンポジウムで、息子を虐待してしまった男性の話を聞きました。中学受験に合格させようと、塾に行ってもなかなか成績が上がらない小学生の息子に毎晩遅くまで勉強させました。間違えると怒鳴り、殴る。包丁を突きつけたこともありました▼男性自身、会社で1時間も2時間も怒鳴られ続け「結果を出さなければだめだ」と努力を否定される日々。「息子にも厳しい社会に負けない力をつけさせなければと思った。殴ってでも勉強させるのが正しいと思っていた」▼激しい競争と人権無視の中でおとなが追い詰められ、そのおとなが子どもを追い詰める。虐待自体を生まない世の中をどう実現するか、社会全体の見直しが求められています。


韓国「脱日本化」

2020年01月29日 | 社会・経済

韓国「脱日本化」の巨大ブーメランを食らった安倍政権の自業自得
MAGNEWS  2020.01.28

      by 高野孟『高野孟のTHE JOURNAL』


モノづくり日本の強みを投げ捨てる?
    21世紀、日本は一体どちらを向いて生きていくのかについて、本誌は繰り返し、太平洋の向こう岸ばかり見ていた20世紀はもう終わり、これからはユーラシアに向かわなければと主張してきた。日韓中の連携を軸として中国とインドが牽引する21世紀ユーラシアの大繁栄に噛み込んで行くことこそ、本当の成長戦略であって、「アベノミクス」のように一国資本主義的に国内だけを覗き込んで鍋底の残り物を漁るようなことをしても、何も起きない。
    しかも、日本がユーラシアの旺盛な需要に関わってそこから元気を環流させる実体的な回路は、すでにでき上がっていて、それが日本にまだ多く残っている高度な「モノづくり」の力を頂点とする垂直分業的なサプライチェーンである。日本の輸出の圧倒的大部分はそのような資本財およびそれに準じる工業用素材であることは、日本関税協会の貿易概況の「商品特殊分類別輸出」を見れば明らかである。
    2017年の輸出総額78兆2,865億円のうち資本財39兆7,732億円、さらに工業用原料18兆1,523億円を足すと57兆9,254億円で総額の74%に達する。そのすべてがそうであるとは言えないが、多くは日本でしか作れない、もしくは日本のものが一番品質が優れていると高評価を得ているハイテク製品や超精密加工部品や高性能素材などで占められていて、つまり日本は「高度資本財供給国」として世界貿易の中で独自の立場をすでに作り上げている。それは実体的には、日本で作られた高性能素材や部品などを韓国や中国などが輸入し、それを用いて製品の核となる重要中間部品などを生産し、それを中国やベトナムやミャンマーやバングラデシュなどに輸出して大量生産により消費財としてアジア域内や米欧市場に供給する立体的なサプライチェーンとして発展しつつある。ここに生きる道があるということを全く理解していないどころか、それをブチ壊すような愚行に出ているのが安倍政権である。

米国の対中国強硬派も自損行為
    今井補佐官がこんなことを思いついたのは、米トランプ政権が盛んに「経済制裁」を振り回し、それをもっぱら外交の武器にしているのを見習おうと思ったのだろう。そのため、昨年9月の人事改造時に国家安全保障局(NSC)の局長が交代したのに乗じて同局内に自分の手先となる「経済班」を新設させた。しかし、上述のように3品目を制裁の道具にして韓国を相手にお試しをやってみたところが、何と320品目の対韓国輸出品目を失う羽目となったのである。
    そもそも、この強度に相互依存するグローバル経済にあって、相手国にだけ打撃を与え、自国にも同盟国など他国にも迷惑にならないような、都合のいいピンポイント効果のある経済制裁などあり得ない。トランプ政権内で最も強硬な嫌中派の巣窟である商務省は、米企業が製品をファーウェイに輸出する場合、その製品に組み込まれている米国製の部材やソフトが「25%以下」であれば同省の許可なしに出荷できるとしている現行ルールが抜け穴になっているとして、これを一層厳しくし「10%以下」に改定しようとしている。ところが、米WSジャーナル24日付によると、この改定に反対しているのは、何と、国防総省。その理由は、中国への禁輸を厳しくすればするほど、米企業の売り上げが減り、研究開発への投資余力が失われ、巡り巡って国防上のマイナスが生じるということである。また対中取引のある米企業の多くも、商務省の突出した行動に反対を表明している。
    内田樹がAERA2月3日号のコラムで書いているように、近頃米国のメディアには「中国恐怖(China Scare)」という表現が出てくるようになった。これはもう理も非もない嫌中病で、米政府内ではホワイトハウスの一部と商務省がこれに冒されている。ところが、それに対し国防総省のほうがまだ軍事的リアリズムを失っていないのでだいぶ冷静だということなのだろうか。日本政府にはそれほどの「中国恐怖」はないが、「韓国侮蔑(Korea Contempt)」の病は政治中枢にまで感染していて、それゆえこのような国益毀損を招くのである。


古賀茂明 ,連載「政官財の罪と罰」

2020年01月28日 | 社会・経済

「『桜を見る会』で内閣府幹部“処分”はフェイク」

    古賀茂明

          AERAdot  2020.1.28


    「桜を見る会」の招待者名簿の違法な管理をめぐって、内閣府の歴代人事課長が「厳重注意処分」を受けたというニュースは、実は「フェイク」だ。

    というのは、人事院の「義務違反防止ハンドブック」によれば、「厳重注意」は「処分」ではなく、職員に対する指導、監督上の「措置」に過ぎないからだ。

 実は、公務員の「処分」と言われるものには2種類ある。一つは、国家公務員法(国公法)に規定された「懲戒処分」である。免職、停職、減給、戒告だ。
 一方、今回の「厳重注意」は「処分」と言われるが、これは、各省が国公法とは関係なく、省庁ごとの内規で定めている「措置」に過ぎない。訓告、厳重注意、注意などがこれにあたる。

 これらの「措置」は、人事記録にも残らず、その次のボーナスで最高評価は得られないという程度の影響しかない。

 一方、国公法の懲戒処分は、人事記録に残り一生ついて回る。そして、何より大きいのは、出世に響くことだ。一番軽い戒告でも、それから1年間は昇任(出世)ができない。課長級相当以上は、減給なら1年半、停職なら2年だ。

 官僚から見ると、厳重注意はかすり傷。人事課長は、課長級の中では最上級で、次は、審議官や部長などの局長一歩手前まで出世するポストだ。現職の吉岡秀弥人事課長が戒告処分を受けていれば、この夏の定例人事で出世できなくなるところだったが、今回は厳重注意なので、問題なく出世できる。他の人事課長OBも同様だ。彼らから見れば、「ご配慮ありがとうございます」ということになる。
メディアでは、「官僚が気の毒だ」という巷の声や「トカゲのしっぽ切りだ」という官僚の反発などが報じられるが、今述べたことを知っていれば、「なんだ出来レースか」ということになるだろう。

 歴代5人の前・元人事課長は、招待者名簿を「行政文書ファイル管理簿に記載」せず、正式な手続きなしで廃棄した。これは公文書管理法違反であることを菅義偉官房長官は認めている。公文書管理法は、完全なザル法で、違反しても罰則がないが、国公法98条の法令順守義務違反に当たる。したがって、国公法上の懲戒処分に値し、最低でも「戒告」処分を受けるべきだろう。その場合、夏の人事での出世はなくなる。
また、推薦者名簿にあった、推薦部局「総理大臣官邸事務所」という記載を削除して国会に提出した吉岡人事課長は、国公法違反と言うより、刑法の公文書変造ないし虚偽公文書作成、偽造公文書行使の罪に当たる可能性がある。人事院の処分「標準例」によれば、免職ないし停職相当で、刑事告発されてもおかしくないくらいだ。

 こうしたことを勘案すると、今回の措置は、「超大甘」と言える。安倍晋三総理も菅官房長官も、自分たちを守った官僚を切り捨てることはできない。「厳重注意」で官僚に配慮を示し、夏の人事でしっかり処遇して造反を防ぐつもりだろう。
もちろん、政治家の責任は大きいが、一方でこれだけの悪事を働きながら、「官邸が怖くて面従腹背しただけだ」と言い逃れしようとする官僚もまた許すことはできない。

 官僚は採用時に、「国民全体の奉仕者として……、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います」と宣誓署名している。

 宣誓に背いたら、その報いを受けるのは当然、と思うのだが……。

※週刊朝日  2020年2月7日号


今季最低気温更新-22.8℃

今日のお散歩。
冷え込んだだけ、いい天気になりました。



林業の実態と新たな希望。

2020年01月27日 | 野菜・花・植物

「スマート林業」が掲げられるも厳しい林業の実態 新たな希望を模索する動きも – 田中淳夫

農林水産業のミライhttps://blogos.com/article/430733/
   野菜や魚の生産・供給、森林の活用・保全など国民の生活を支える「第一次産業」。しかし、現場では深刻な人手不足や従事者の高齢化によって、これまで通りの生産維持が危ぶまれる地域も生まれています。そんな窮地を救うべく、発展目覚ましいテクノロジーの導入や、ブレイクスルーを目指す人々の取り組みを紹介します。 2020年01月21日 
 
 「林業の成長産業化」は机上の空論
    近年、森林と林業には多くの期待が寄せられている。
まず森林は、温暖化ガスの吸収源や生物多様性の核として。さらに心癒す場としても。また木材は、環境負荷の低いマテリアルであり、化石燃料代替のエネルギー源にもなる。そして林業は、山村地域の活性化や田舎暮らしなどオルタナティブな生活の場と職業として注目を集め始めた。
    だから「林業の成長産業化」が叫ばれている。事実、ここ数年、木材生産量は右肩上がりであり、木材自給率も20年前の2倍まで伸びた。林業への若者就業率も高まっている。そのため機械化を進め、ICTを導入した「スマート林業」の推進が掲げられている。
    だが現場を見れば、それらが机上の空論であり、肝心の森林とその地で生きる人々を置き去りにしていることに気づくだろう。

    たとえば木材生産量が伸びたといっても、そこには莫大な補助金が注ぎ込まれていることを忘れてはならない。植えても伐っても補助金が出る。その総額は林業からの産出額を上回るのだ。つまり赤字である。これで成長産業と言えるわけがない。
    それでも林業に携わる人々(森林所有者、林業従事者など)が潤っているのならまだ救われる。しかし、現状はほど遠いのだ。具体的な数字で見ると、1985年は丸太価格のうち59%が山主の取り分だったが、2015年では22%になった。製材品価格では28%から4%に落ちた。
    しかも丸太価格がこの30年で半減しているのだから、単純計算では山主の利益は約5分の1になったことになる。森林・林業白書によると、森林所有者の林業所得は平均で年間11万円(20ヘクタール以上所有。2017年)にすぎない。これでは林業経営を続ける意欲も失われるだろう。
    そこで作業(伐採搬出)の低コスト化と生産量を増やすため大型林業機械の導入が推進されている。しかし、それらの価格は軽く数千万円する。伐採から搬出まで必要な台数を揃えると億単位の資金が必要だ。加えてランニングコストも、燃料費だけで月に数百万円。メンテナンス代も馬鹿にならない。
    そして機械を効率よく動かすには十分な作業面積が必要だが、日本の山は地形や所有規模の関係で大面積の確保が難しい。小面積の山林で大型機械を稼動させても効率よく作業できず、コストは増すばかり。
    しかも伐採量の増加は、森林資源の枯渇を招く。林業の持続性を失わせ環境を劣化させてしまうだろう。実際、全国各地にはげ山が広がり始めた。

筆者提供
    本来は伐採したら再造林しなければならないが、最近は放置が増えている。造林したらわずかな利益も吹っ飛んでしまうからだ。せっかく植えても苗をシカなどに食われて生育しないケースも多い。それを言い訳に再造林をしないケースもある。
最悪なのが、働く人々の待遇だ。給与は、いまだに日当方式が大半。働いた日数分しか払われないのだ。有給休暇はないしボーナスも期待薄。何より労働災害が多すぎる。全国に4万5000人しかいない林業従事者なのに、毎年二桁の死者を出す。4日以上休業する怪我(労災の認定基準)は全産業平均の十数倍という数字も出ている。
    加えて労災保険の適用をしぶる経営者も少なくない。労災保険を申請する、つまり事故を起こした事業体は、公共事業などの入札で不利になるからだ。


木材供給と需要のミスマッチが多発している
    では、増産された木材はどうなっているのだろうか。
残念ながら、売れ行きは芳しくない。木材の大きな需要である住宅建築が奮わないのだ。人口減少が続く日本では住宅着工件数は減る一方だし、家族数が減れば家も小さくなる。そして非木材系の住宅も増えた。木材を使わずとも家は建つのである。
    代わりに増えているのが合板原料やバイオマス発電燃料の用途だ。おかげで見た目の木材消費量は増えている。だが、これらは価格が安いことが必須条件だ。建築材に使われる真っ直ぐな木材(A材)に比べて何割も安い木材を求められる。売れなかったA材も、合板や燃料用に回されるのである。おかげで木材価格はどんどん安くなっている。

    また、これは従来からの問題点だが、木材供給と需要のミスマッチがあまりに多い。求められるところに合致した木材を供給されにくいのである。林業家はどこの誰がどんな木材を必要としているか情報を持たず、消費者や加工業者も自らが欲している木材がどこにあるのかわからない有り様だ。
    結果的に使うのを諦めるか、商社が仕切る外材に頼る。そうした問題を解決するためにICTの活用が叫ばれているが、いまだに実験レベル。そもそも林業家自身が、自分の山のどこにどんな木があるのか知らないのである。そうしたデータを収集するところから始めなければならない。
    このように現在の日本林業の問題点を並べると、もはやどこから改革すればよいのかわからなくなり、絶望してしまう。林業に希望は見出せないのか。


森林の新たな利用を模索し小さな「希望」も
    近年、国が進める林業の大規模化、画一化の動きから外れた道を選ぶ林業家や自治体が登場し始めた。めざすは木を一本一本丁寧に扱い、付加価値を高くして出荷すること。また木材生産だけでなく森を利用して収益を上げる仕組みづくりに挑んでいる。
    たとえば北海道の中川町は、町有林の皆伐禁止、私有林の皆伐制限を決めた。そして残されている天然林から広葉樹を持続的に伐り出し、旭川の家具メーカーに出荷している。通常、家具材は建築材の5、6倍の価格だから利益率は高い。
    同じく群馬県のみなかみ町は、天然林や雑木林の活用を進めている。これまで雑木として使われることのなかった木々を家具木工用や木の器用に出荷することで収益を上げる計画だ。最初から用途を決めて丁寧に無駄なく利用することで付加価値を高めるのである。
    一方、森林の新たな利用という点からの模索も各地で行われている。林内で養蜂を行ったり樹下で薬草栽培をしたり、あるいは森のようちえん(森を活かした幼児教育)の開設……とさまざまな方法が試されているが、その一つに「冒険の森」事業がある。

筆者提供
    長らく放置された人工林を利用して作られたレジャー施設だ。樹上をロープ頼りに歩いたり飛び移ったり、さらに森の中に張ったワイヤーを滑車で滑り下りるジップラインなどを設えている。
    通常のアスレチック場よりも大人向きで、インストラクターと安全装置をしっかり付けて臨む。これが人気で多くの都市住民を招き入れている。おかげで木材生産よりも多くの収益を上げているだけでなく、新たな雇用も生み出している。
主体の企業はいくつかあるが、すでにフランチャイズ方式で全国に広がっている。いずれも森の有効利用を掲げ、収益を森林整備につなげている。
顧客も、単なるレジャーに留まらず環境教育や企業の新人研修にも利用されるようになってきた。都市の住民がここで楽しみつつ、森林や林業への理解を深める役割を果たしているわけだ。
    こうした試みは、まだ小さな「希望」にすぎない。林業の建て直しは、そう簡単ではないだろう。だが次世代の林業を築くためには、当事者が森林の持続を考え新たな方策をいろいろ試みることが大切だ。それが絶望から希望への道のりである。


筆者プロフィール
田中淳夫(たなか あつお)
1959年大阪生まれ。静岡大学農学部林学科を卒業後、出版社、新聞社等を経て、フリーの森林ジャーナリストに。主に森林や林業をテーマに執筆活動を続けている。著作に『絶望の林業』『森は怪しいワンダーランド』(ともに新泉社)、『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)、『森林異変』『森と日本人の1500年』(ともに平凡社新書)など多数。


化学物質の脅威

2020年01月26日 | 健康・病気

化学物質7万の危険にさらされる人々と「癌になっても労災が認められない」現状

Yahoo!ニュース
  立岩陽一郎  | 「インファクト」編集長  1/2(木) 

    日本の様々な産業の現場で使われている化学物質。その数が7万種類に及び、毎年新たに1000種類が加わっているものの、その多くで危険性や有害性の確認や周知が行われていない現状がある。政府が有識者の検討会に示した文書で明かしていた。
    文書は、「現在、国内で輸入、製造、使用されている化学物質は数万種類に上るが、その中には危険性や有害性が不明な物質も少なくない。こうした中で労働災害は年間450件程度で推移し、法令による規制の対象となっていない物質による労働災害も頻発している状況にある」とし、「数万種」は約7万種と推定している。 


  産業現場で化学物質が氾濫している事実に警鐘を鳴らしている政府の資料
    その文書の示す現実を具体的に見るため、話を2019年11月7日の東京医科歯科大学附属病院に戻す。 
「これは癌が再発しているということですか?」 
男性が医師に問うた。男性と医師の間には、画像が置かれている。 
「ええ。前回も確認できたものですが、それがはっきり大きくなっているので、これは再発したと判断できます」 
画像を見る男性の顔が青ざめていくのが横にいる私でもわかる。医師は、努めてだろうと思うが、ビジネスライクに話を進める。 
「手術の日程を決めましょう。早いところで、来月中だと・・・」 
日程を決め、手術のための検査をこの後に受けることを決めていく。男性が自分の動揺と戦いながら医師の求めに応じて手続きを進めていることが伝わってくる。 
医師の部屋を出た男性は廊下の長いすに腰を落とした。私には崩れたように見えた。 
「再発ということです・・・」 
そして、両手で顔を覆った。その向こうに、「泌尿器科」と書かれた札が見える。再発したのは膀胱癌だった。 
男性は46歳。実名にしていないのは、本人の希望による。仮名を、新田徳としておく。 
    新田は4年前、つまり42歳で膀胱癌を発病して手術。その後、3か月に1度の検査を続けてきた。その検査とは尿管にカメラを入れるというものだ。説明を聞いて卒倒しそうになった。 
    この日はその検査を行うというので同行させてもらったが、こんな結果になるとは思わなかった。検査室から出てきてふらついていたので、それは苦痛を伴う検査が終わったからだと思っていた。しかし、検査中に画像を見ることはできる。そこで男性は、再発を確信したという。前回の検査で確認された腫瘍が大きくなっていたからだ。 
    医師は、再発する度に腫瘍を取り除くと言うが、それが取り除けるところにできている内は、はそれで良い。しかし膀胱の奥に腫瘍ができるとそれはできなくなる。 
「その時は死ぬしかないんです」 
新田は力なく言った。 
    なぜ自分が膀胱癌になったのか、一つの確信を持っている。新田は、名の有る衣料品メーカーの社員だ。そのメーカーの駐在で中国に赴任し、現地で製造している製品のチェックを行う立場だった。 
    様々な機能を持ち鮮やかな色彩をアピールする最先端の衣料品には、様々な化学物質が使われている。化学物質は揮発性が有るが、それが衣服に付着したまま梱包されることは避けなければならない。男性は、製品の見た目とともに、化学物質特有の刺激臭が残っていないか確認していた。 
    新田が作業現場を描いた絵がある。完成した衣服を手に取って確認する。鼻を近づけて匂いをかぐため、手も鼻にも染料が付着したという。 
  
    そして2007年から2012年までその勤務を続けて帰国。その後、暫くして体調に異変を感じる。尿に血が混じっていたのだ。 
    思い出したのは、工場に大量に置かれていた容器に描かれた「CX」の文字。CX酸性という塗料や染料の総称だ。 
    このCX酸性には多種多様の化学物質が含まれている。新田は専門家を訪ねて調べ始めた。すると、CX酸性の中には、ベンジジンという化学物質が含まれていることがわかった。 
    当時、新田が尋ねた専門家の一人、堀谷昌彦は言う。 
「ベンジジンは体内に取り込まれて代謝されると発癌性物質になります。既にそのメカニズムも明らかになっています」 
    堀谷は、大学院で化学を学び化学薬品メーカーで長く勤務。自らがそうした化学物質を製造してきた経験を持つ。 
「勿論、化学物質は今の産業を支えることに不可欠です。しかし、それは注意して使わなければいけない。そして、実際には、作業員がその化学物質で健康を害するケースは少なくないんです」 
    長くそうした現場を見てきた堀谷は、会社を辞めて、今は化学物質の被害を無くすための取り組みを行っている。その堀谷からすれば、新田がCX酸性に含まれるベンジジンに曝露して膀胱癌になったことは、ほぼ間違いない。つまり、状況は労災、つまり労働災害だ。 
    ここで冒頭紹介した政府が有識者会議に示した文書に話を戻す。文書は厚生労働省化学物質対策課が作成したものだ。それによると、私たちの社会を豊かにするために作り出される様々な製品の製造過程に導入されてきた化学物質は、約70000種。このうち、その強い毒性が確認されて使用が禁止されたのは石綿(アスベスト)など8種。危険性が確認されて使用に規制がかかっているものが約700種。つまり危険性が確認されて使用に規制が有るものは、1%ほどでしかない。また、化学物質は次々に開発されており、毎年新たに導入される化学物質は1000にのぼるという。 


 大量の化学物質が事実上、放置されている状況をまとめた政府の資料
    文書がにおわせている通り、会社の安全管理が徹底されているとは言えないケースは散見されている。事実上、放置されていると言って良い状況だ。 
    こうした中で、被害が表に出るケースも有る。 
2018年2月、三星化学工業の従業員4人が会社を提訴している。安全配慮義務違反だ。この4人は作業場の化学物質に曝露して膀胱癌になった。堀谷らの調査もあって労災が認められた。4人は新田と状況が似ている。4人はポスターのインクを扱っていたという。更に多くの作業員が膀胱癌を発病しており、被害は広がっている。 
ただ、多くは表に出ない。労災が認定されるケースは極めて稀だからだ。従業員がどのような化学物質にいつ、どこで暴露したかを明らかにするには会社の協力が不可欠だからだが、そういう会社は珍しい。 
    再び、新田の話に戻ろう。新田は労災申請したが、認められていない。会社側が徹底して、その事実を否定したからだ。 
    新田の膀胱癌を見つけた医師は、「労働環境による」と話している。実際、40代という若さでの膀胱癌の発症は喫煙歴などが無ければ、極めて異例だ。新田は喫煙者ではない。酒もたしなむ程度だ。 
 大学教授として長く化学物質の健康被害を研究してきた医師の久永直見も新田が尋ねた一人だ。久永は言う。 
「膀胱癌が新田さんの様な若い人がなるのは極めて珍しい。新田さんのケースは労働環境が原因と見るのが妥当でしょう」 
新田は言う。 
「癌になっても労災が認められないんです。癌になったのもショックですが、仕事の結果で癌になっても、それが認められないことが更にショックです」 
 会社は労働基準監督署に対して、そもそも新田が主張するような新製品の検査といった作業に新田は従事していなかったと主張。労働基準監督署はその会社の説明を鵜呑みにした判断を下している。 
 膀胱癌に発症して手術と診察、検査を繰り返す新田は既に治療費だけで100万円近く使っている。労災が認められない以上、この全ては新田個人の負担となる。新田は労災を認めなかった国の決定の取り消しを求める考えだ。新田は言う。 
「個人に立証責任を負わせる今の労災のやり方では状況が厳しいのはわかっているが、納得できない。私以外の被害者を出さないためにもやれることをやりたい」 
この状況は新田だけではない。今後、化学物質の脅威について更に伝えていく。


 洗剤の香料も「香害」として問題になっています。その他、いたるところ、食料、衣料品、薬などで使われています。これらのものが体内で化学反応を起こす可能性もあるのです。

今日のお散歩

 


長距離フェリー

2020年01月25日 | 旅行

長距離フェリー好調 ビジネス客にも人気のわけは

朝日新聞デジタル 2020年1月25日
  渕沢貴子

 展望風呂に快適な個室、ゲームコーナーにキッズルーム――。長距離フェリーが「動くホテル」として生まれ変わり、利用客を増やしている。なかでも新幹線より安く移動時間を有効に使えるとして、ビジネス客の関心を集めている。
 昨年12月。午後6時半、阪九(はんきゅう)フェリー(本社・北九州市)の「やまと」が新門司港(同市)に向け神戸港を出航した。
 夕食時でレストランをのぞくと、宮崎県産「黒瀬ぶり」の刺し身やおでん、カレー、八宝菜など和洋中のおかずが並び、客が列をなしていた。
 ロビーでの生演奏を聴きながら、浴衣姿で食事していた神戸(かんべ)豊志さん(45)は大阪市の検査装置メーカー社員。普段は新幹線を使うが、年末のあいさつ回りで荷物が多いため、車とフェリーを利用したという。「ホテルやレンタカー代も考えると、フェリーは割安だし、何より楽」。初めて乗船した同僚の作野太紀さん(25)も「眺めの良い風呂でさっぱりしました」。
 車を使う人ばかりではない。神戸市の介護ヘルパー、米原徹訓さん(50)は北九州市の福祉施設の知人から仕事を頼まれ、半年ほど前から毎週フェリーで通っている。「新幹線は高いと言われたので深夜バスを使ったが、眠れない。フェリーは個室でゆっくりできる」と話す。
 阪九フェリーによると、こうしたビジネス客の利用が増えているという。担当者は「夜出発して翌朝現地に着くフェリーは、飛行機や新幹線より時間はかかるが、体を休めたり仕事をしたりと、移動時間を有効に使える」とみる。
 航路300キロ以上で車も運ぶ長距離フェリーは全国で8社11航路ある。うち5社8航路が九州を発着する。九州運輸局によると、2010年度から140万人台が続いていた九州航路の旅客数は、15年度に160万人台に急増。その後も毎年増え、19年度上半期は前年同期に比べ7%増えた。
ここから続き
 阪九フェリーは、日本で最初に長距離フェリーを運航した。高度成長を背景に業績を伸ばしたが、08年のリーマン・ショックで物流が落ち込み、09年から一時期導入された「千円高速」や無料化実験などの高速道路の割引策のあおりも受け、客足が遠のいた。
 しかし、その後、運転手不足や環境問題の影響などから、トラックから鉄道や船舶に切り替える「モーダルシフト」が進むようになった。そこに、船の交代時期が重なった。
 15年に阪九フェリーの新門司―泉大津(大阪府)の2隻を新造船に切り替えたのを皮切りに、昨年までに10隻が新たに就航。それを機に内装やサービスが見直された。
 客層の拡大につながった最大の要因は個室化だ。雑魚寝が当たり前だったが、洗面台やテレビ付きの個室を増やした。予約は、通常料金で6千円台の大部屋より、9千円以上の個室から先に埋まるという。
 今後も新造船ラッシュは続く見通し。阪九フェリーが今夏までに神戸航路の2隻を新造船に切り替えるほか、フェリーさんふらわあ(本社・神戸市)は22年以降、日本初のLNG(液化天然ガス)燃料フェリー2隻を別府(大分県)―大阪航路で新たに導入する。名門大洋フェリー(本社・大阪市)も21年度に、新門司―大阪航路4隻のうち2隻を、個室の機能を充実させた新造船に切り替える。
 さらに、若年層と訪日外国人客の呼び込みもうかがう。日本長距離フェリー協会は18年3月、訪日客向けに21日間で6回フェリーに乗れるパスを本格的に導入。国土交通省も、中長距離フェリーの訪日客受け入れ環境の整備目標を設け、予約の多言語対応などを促すなど利用客拡大に向けた取り組みを進めている。(渕沢貴子)


 こういう時代なんだよねぇ!
リニアの時代じゃないということだ。
1泊2泊、旅館に泊まったと思えば安いもの。
しかも、その間に目的地近くまで運んでくれる。
写真は転載できなかったので興味のある方はサイトからご覧ください。
https://www.asahi.com/articles/ASN1S4CXTMDLTIPE024.html?iref=comtop_8_07

北海道からも多くの航路がある。

 


検証ー安倍首相、施政方針演説のデタラメ

2020年01月24日 | 社会・経済

「しんぶん赤旗」2020年1月22日
 安倍晋三首相が20日の衆参本会議で行った施政方針演説では、経済、財政などを取り上げた部分で、デタラメな数字を用い、自らの政策を自画自賛する姿勢が目立ちました。検証します。
■経済
成長他国と比較すると
 「『日本はもう成長できない』。7年前、この『諦めの壁』に対して、私たちはまず、3本の矢を力強く放った」
 安倍首相は、自らの経済政策「アベノミクス」をこう持ち上げ、「『諦めの壁』は完全に打ち破ることができた」と胸を張りました。
 しかし、他の国と成長率を比べてみると日本は世界の最低クラスです。第2次安倍政権発足前の国内総生産(GDP)の成長率の順位は136位(2012年)でしたが、13年には139位に低下。その後浮き沈みはあるものの、19年には172位まで落ち込みました。
 消費税導入と度重なる増税が国民のくらしと経済を痛めつけ、日本経済は世界でも異常な「経済成長できない国」となっているのが実態です。
■税収増
主な要因は消費税
 「来年度予算の税収は過去最高となりました」
 安倍首相はこう訴えました。
 ところが、20年度の税収を見ると、所得税、法人税は19年度と比べ、1兆1980億円減少(当初予算比)。景気悪化による税収減です。一方、消費税収は税率10%への増税で、2兆3270億円増(同)となりました。
 安倍首相が誇る「税収増」の主な要因は、消費税増税によるものであって、景気回復や経済成長によるものではありません。
■雇用増
増えたのは非正規
 「この6年間で雇用は380万人増加した」
 安倍首相は雇用増をこう誇りました。
 しかし、増加した雇用の55%は非正規の労働者です。
 しかも年齢階層別に見れば、最も増えたのは65歳以上の就業者。働く中高年が増える大きな理由は、政府の調査でも「生活のため」となっています。
 低年金で生活のために働かざるを得ない中高年が増えているのです。
 さらに学生アルバイトの増加も就業者数を押し上げています。高い大学授業料や生活費のために、働かなければ勉学をつづけられない若者が安倍政権下で増えています。
 働かざるをえない中高年や学生バイトの増加。これが安倍首相の語る「雇用が380万人増加した」の真実です。これも自慢できるものではありません。
■最低賃金
格差と貧困広がる
 「最低賃金も現行方式で過去最高の上げ幅となった」
 安倍首相はこう語りました。
 賃金が上がったというものの、実質賃金は第2次安倍政権発足後、18万円も減少しました。
 安倍首相は、「(最低賃金が)史上はじめて全国平均900円を超えた」と訴えたものの、700円台が17県もあります。安倍政権のもとで、貧困と格差が広がり続けているのが実態です。
 国民には「経済が良くなった」などという実感はありません。

国民の要求に応えず
2020年1月23日
■高等教育無償化
対象は1割程度
 安倍首相は、4月から始まる「高等教育の無償化」を誇りました。
 しかし、その前段で「真に必要な子どもたち」と述べたように、対象となる学生は全学生の1割程度に限定されます。新制度開始と引き換えに中間所得世帯を対象にした各国立大学の現行の授業料減免制度の廃止も狙われているため、多くの学生にとって「無償化」どころか負担増となりかねない事態です。
 その財源は低所得者層ほど重い負担となる消費税であり「子どもたちの誰もが、家庭の経済事情にかかわらず、夢に向かってがんばることができる社会」(施政方針)とは程遠いものです。
■気候変動
90年比ではわずか
 世界全体でとりくむべき気候変動の課題について安倍首相は「わが国は5年連続で温室効果ガスの削減を実現した」と述べ、2013年度比で11・8%の削減量を誇りました。
 削減に転じたのは確かですが、国際的な基準である90年比ではその削減量はわずかです。
 昨年末に開催されたCOP25(国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議)で、野心的な目標の引き上げや、石炭火力発電の新設中止などの方針を示せず、国際社会の期待に反する姿勢に批判を受けたことへの反省はありませんでした。
■女性活躍
世界で121位
 「引き続き、女性活躍の旗を高く掲げ」ると表明した安倍首相。施政方針では「わが国には、意欲と能力あふれる女性たちがたくさんいる」などと述べ、「この6年で、女性の就業者数は、新たに290万人増加した」と強調。野党席からはすかさず「非正規ばかりだ」との声が上がりました。
 女性の約6割がパートや派遣などの非正規労働者として働く実態や、男性正社員に比べ女性の正社員の賃金が約7割しかない賃金格差やその改善には一切触れていません。
 あたかも「女性活躍」を進めてきたかのような印象をふりまきたい安倍首相ですが、昨年12月、世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャップ指数で、日本が153カ国中121位と過去最低を更新したことは記憶に新しい。「女性の皆さんが働きやすい環境づくり、女性リーダーの拡大に向けた取り組みを一層すすめる」と述べた安倍首相に対し野党席からは「自民党はやってないじゃない」との声が飛びました。
 「政治分野における男女共同参画推進法」の施行後初めての国政選挙となった昨年の参院選では、候補者の男女同数が目指されましたが、自民党の候補者に占める女性の割合は14・6%(12人)にとどまるなど言行不一致は明らかです。
 事実をゆがめ、ごまかしに終始した施政方針は、安倍政権のモラル破壊を表すことはあっても、国民の切実な要求や国際的な課題に展望を示すことはできません。


 これから札幌まで行ってきます。-15℃まで下がったので、天気は良くなるかと思ったのですがシンシント降っています。積もりそうな雪です。
今回もバスで行きます。街中を歩くのもまた楽しいですね。


小泉環境大臣の「育休」。

2020年01月23日 | 社会・経済

ここがおかしい 小林節が斬る! 
大臣の育休は単なる勘違いだ 制度の趣旨にかなっていない

日刊ゲンダイ 2020/01/23 

 小泉環境大臣が「育休」を取ることが話題になっているが、私は、それは行政機関の長として甚だしい「勘違い」だと思う。

 まず、「育休」という制度は、「従業員」の子の養育を容易にし、その「労働者」の雇用の継続・再就職を促進するための制度である(育児・介護休業法1条、3条)。しかし、大臣という地位は、法律で言うところの「事業主、国……」そのものであり、「使用者」であり、「従業員」ではない。

 また、省の大臣の職務は、特定の行政事務をひとりで全権限と全責任を担う「独任」の身分(内閣法3条1項、国家行政組織法5条1項)で、代わりの利かない立場である。つまり、日常的に仕事を分担し合う同格の同僚はいないのである。

 だから、事柄の性質上、小泉大臣が一定期間の育休を取りたいのなら、それは大臣を辞めるしかない。でないと、その間、環境大臣が空席になってしまう。
しかも、あの小泉家の一員として、小泉氏は育休を取らなければ子育てができず職業の継続ができない立場でもない。夫妻ともに高額所得者で資産があることも明らかである以上、普通に人を雇って育児を手伝わせ、大臣自身は、世の中の多忙な父親のひとりとして、原則として夜は帰宅するのだから、その限りで育児に協力すれば済むだけのことである。

 小泉大臣自身の場合のように、親が超多忙な家庭でも、人はそのように一人前に育ってきたし、これからも育っていくものである。

 今回は政治的「パフォーマンス」のように小泉「大臣の育休」が話題になっているが、ご本人もそれを話題にする人々も、前述のように何か勘違いをしているのではないか。小泉氏のように特殊な立場の人が育休を取ったからといって、現実に育休と失業のはざまで真剣に悩んでいる「労働者」が今後、育休を取りやすくなるはずのものでもない。
   今、小泉氏に求められることは、人類の命運がかかっている環境問題について、国務大臣として閣議に提案できるような斬新な政策を真剣に考える時間を持つことであろう。


天気予報あたらず。
我が家の前。積雪は例年の半分もないように思う。

江部乙で散歩。
日が当たり、アスファルトも見えてきた。



ホオノキのようだ。

 

 


環境問題。

2020年01月22日 | 自然・農業・環境問題

ポートランドに移住して直面した“プラスチック問題”。
 
私のなかで起きた大きな変化
移住直後、大家さんに叱られた。ーー「あなたたち親が、ちゃんと未来を考えなさい」あれから半年、我が家のプラスチックをめぐる環境は大きく変わった。

ハフポスト BLOG 2020年01月22日 

ポートランドに移住してから半年、我が家、とりわけ私に起こった変化を書き留めていこうと思う。最初のテーマとして、これを書かないわけにはいかない。
テーマは「プラスチック」だ。
多くの海外への移住者が、移住してから暮らしの「プラスチック」問題と対面しているに違いない。散々論じられている事でもあるかもしれない。私も例外ではなく、日本と、いま私が住む街の「プラスチック」を取り巻く環境は異なり、暮らしが大きく変わった。まず移住前、移住直後に実際にあった、私の恥ずかしいエピソードから書こうと思う。
移住直前、鎌倉の家を引き払い、知人宅などを転々としていた我が家。飲み水として消費したペットボトルの空き容器を捨てる場所に困り大家(インド出身の方)に相談したところ、「あなたたち親が、ちゃんと未来を考えなさい」と叱られた。
移住してすぐに、2歳の息子がアメリカサイズのカップから上手にジュースを飲めなくて、店内で迷う事なくストローを探した(日本ではかなりの確率で小さい子にはストロー付きで提供されていませんか?)。
当時の私には、今思うほどこの出来事が恥ずかしい、という気持ちはなかった。その私の姿勢が本当に問題なわけで、これを恥ずかしいと思えるようになった今だから、過去の自分への戒めとして晒してみた。
駅にも道端にもたくさんの自販機が設置されていていつでもペットボトルの飲み物を買うことができる環境、コンビニでは必ずビニール袋が出てくる環境、そしてレストランで子どもの飲み物にはストローが添えられている環境。日本にいた時には、それを当然のように享受していた。
プラスチックと私を取り巻く環境は移住で変わった
いま住むこの街では、ペットボトルの自販機を見かけることはほぼない。移住して半年で私が購入したペットボトルの数は正確にはカウントしていないが数えられるぐらいの本数だろう。家族全員が当然のようにマイボトルを持ち歩くようになっている。
ビニール袋(スーパーのレジ袋)は家の中にいっさいなくなった。どこに行く時にも買い物したものを入れる袋を持ち歩くようになった。もちろん、そのためにわざわざ用意した(購入した)エコバックではない。移住する時に持っていったお気に入りのバッグの中から買い物に都合が良い大きさのものが自然と我が家の買い物バッグになった。しばしば、急遽スーパーに寄ったりすると持っていなかったりするのだが、紙袋(そもそもビニールではなく紙袋だ)をもらうのもなぁと思い、コートのポケットにパンパンに詰めたりすることもある(笑)。

筆者提供
だいぶくたびれたLepettoのレッスンバッグが買い物袋だ。

 日本の保育園では汚れ物入れにレジ袋を用意するルールだったが、それも変わった。いま通わせている保育園は汚れ物袋として園が用意したオリジナルの耐水性のある布袋がある。使い捨てではなく洗濯して在園中はずっと使う。
また先日のこと。ストローがあるジュースを提供された2歳の次男は、なんとストローで飲み物が飲めなくなっていた!それほどに半年間ストローに出会わなかったということだ(しばらくトライして、飲めた)。ちなみにスーパーマーケットにはたくさんの使い捨てストローやマイストローが売られている。
ラップの消費量も減った。ミツロウラップ(洗って何度も使える)を活用し始めた。野菜の保存にたくさんのラップを使うことに気づいて、ポートランドの友人に相談したところ、デリや野菜の空き容器を活用するアイデアをもらった。

筆者提供
洗って何度も使えるミツロウラップ

 そして今月、日本に一時帰国した。当然のようにコンビニの店員さんはビニール袋に入れようとしてくれた。成田空港でセキュリティを通る際に水筒の中身を空にして、ゲートに向かう途中で再び水を入れようとしたところ、ポートランドの空港にあったようなウォーターサーバーはなくて水分補給したかったのに困った。

筆者提供
ポートランド国際空港にあるウォーターサーバー

 付随して起こった変化としては、子どもたちと一緒に自分たちが暮らしの中で使ったもの、消費したものが地球に及ぼす影響を話す機会が格段に増えた。紙、食べ物、いろいろ。そして使い捨てることに対しての抵抗が増した。ここ1年ほどとても気になっていた化粧品コットンもこんな素敵なアイテムを見つけて使い捨てから脱却ができた。 

筆者提供

 生活からすべてのプラスチックを排除するのは不可能なのも事実だ。いまもストレージなどには一部プラスチック製品を使っている。が、移住前に断捨離をした時の経験が私のストッパーになっている。その時に処分することになった時のプラスチック製品の多さに愕然としたのだ。そして、捨てることに伴うストレスと疲労をものすごく強く感じた。その経験があり、今は極力買わずに、増やさずに、そのストレスとさようならをしたいと強く思っている(経験がなくて学べる人は素晴らしいと思う)。
ひとを暮らしのストレスと疲労感から解放するものは何か?
「プラスチック」をテーマに書いたが、これはきっとプラスチックに限った話ではないのだと思う。
暮らしのストレスや疲労から解放してくれるのは、物質がもたらす便利さと効率ではなく、社会や街との共生感であること。うっすらとした予感として持っていたこの考えを、私は移住による暮らしの変化があって、体感した。都市部での暮らしから、ちょっと田舎だったり、人との距離感や自然が近い場所での暮らしを求める思想の背景には、この渇望があるのではないだろうか。
ライフステージによって、便利さと効率が大事な時期もあるかもしれないから、一概にそれを一蹴する暮らしをみんなにおすすめしたりはできない。でも、少なくとも私は、以前よりもずっと心が晴れている。
(2020年1月16日の松原佳代さんnote掲載記事「移住とプラスチックと私」より転載)

⁂  ⁂  ⁂

「私たちの家は、まだ燃えている」

スイスで開催されている世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で1月21日、環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが演説をした。
前年の同会議で「私たちの家が燃えている」と訴え注目を浴びたトゥーンベリさん。今回の会議でも「アクションを取らないことが、今も火に油を注いでいる」と主張し、「アクション」の必要性を訴えた。
また、会議に参加している多くの政治家や経済界のリーダーたちに、化石燃料への投資を直ちに廃止するよう求めた。

「2050年や2030年、もしくは2021年に実現して欲しいのではないのです。今すぐに行って欲しいのです」 
アメリカのトランプ大統領も登壇し、トゥーンベリさんが客席に座る中、スピーチを行った。彼女を名指しはしなかったものの、環境活動家たちを「過去の愚かな占い師の後継者」だと呼び、気候変動に関して「恐れや疑念は良い考え方ではない」「今は悲観的になる時ではない。楽観的になる時だ」と話した。

ハフポストWORLD
2020年01月22日より




薪ストーブ、湯沸かし、マッチ
ポータブル石油ストーブ、ガスレンジの電池の代わりにマッチを・・・


政治資金で飲食。

2020年01月20日 | 社会・経済

政治資金で飲食 麻生氏突出 閣僚3人 1000万円超

東京新聞 2020年1月20日 朝刊
 

 安倍晋三内閣の閣僚三人の政治資金管理団体が二〇一八年、飲食を伴う会合費として一千万円を超える政治資金を支出していたことが分かった。同年分の政治資金収支報告書で判明した。トップは麻生太郎副総理兼財務相の資金管理団体「素淮(そわい)会」の二千四百万円余りで、高級ホテルや料亭、会員制サロンなどに支出。閣僚の資金管理団体の中で突出していた。 (西田義洋)


 昨年九月発足の第四次安倍再改造内閣の首相・閣僚計二十人のうち、資金管理団体の収支報告書に飲食を伴う会合費を記載していたのは十一人。麻生氏の約二千四百六十二万円が突出し、次いで武田良太国家公安委員長兼防災担当相の約千五百十万円、茂木敏充外相の約千四百三十九万円。安倍首相は約五百三十四万円だった。
 収支報告書によると、素淮会は一八年、パーティーや寄付で約二千二百万円を集め、前年からの繰越額を含めた収入は約二億三百万円。「会合費」は百九十七件記載され、総支出約八千二百万円の29%を占めた。休日を含めて一日当たり六万七千円余りを飲食に使っている計算だ。
 素淮会の収支報告書の会合費支出先で最も多かったのが東京都港区虎ノ門の高級ホテルの約六百七十五万円(三十六件)。次いで港区六本木の会員制サロンの約六百五十万円(十二件)。ほかにも十二年連続でミシュランガイド最高評価の「三つ星」だった銀座の高級すし店、「一つ星」の和食店、フランス料理店、うなぎ店などグルメぶりが際立つ。
 麻生氏は一八年三月から五月にかけ、森友学園への国有地売却を巡る財務省の決裁文書改ざん問題や福田淳一財務次官(当時)のセクハラ問題などに追われた。この期間にも計五十三件約八百三十万円を支払っていた。このうち四件二百九十二万円が六本木の会員制サロンへの支払いだった。
 麻生氏の事務所は一日の支払いが多額になっている理由や高級店で開く理由、実際の利用回数や人数、利用日を尋ねる本紙の取材に「政治資金については法令にのっとり報告している」とだけ文書で回答した。
 麻生氏は自らが代表を務める自民党福岡県第八選挙区支部で、党本部から税金が財源となる政党交付金千二百万円を受け取っている。党支部からは福岡県内での飲食費が約三十万円支出されているが、東京都内での飲食費はほぼ素淮会が支払っている。
◆実質的には税金
<政治資金に詳しい神戸学院大の上脇博之教授(憲法学)の話> 政党支部にお金があるからこそ資金管理団体は余裕ができる。それを考えれば、資金管理団体からの支出であっても実質的には税金で飲み食いしているのと変わらない。


 およそ1年前のブログ記事である。「幼児衰弱死―ミルク買えない28歳母親逮捕」
2019年01月23日https://blog.goo.ne.jp/mooru1949/e/9a51450b56d6ef492fd7d3dd4814c2c9
 
この記事へのアクセスが昨日は多くあった。


「こんなもの要らない」

2020年01月19日 | 自然・農業・環境問題

ここにもアベ友の影。無茶な「リニア新幹線」がゴリ押しされる訳
  MAG2NEWS 2020.01.15  by高野孟(たかの・はじめ)


2027年の開業を目指し整備が進められているリニア中央新幹線ですが、その先行きは明るいものではないようです。ジャーナリストの高野孟さんは今回、自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で、各新聞や雑誌でも指摘されている自然破壊問題や技術及び安全面のリスクを挙げ、リニア新幹線を「乗客・乗員の命を守れるのかどうかも疑わしい未成熟なレベルの代物」と結論づけています。

開業延期どころか工事断念に追い込まれかねないリニア新幹線──安倍晋三首相のお友達ゆえの葛西敬之氏の傲慢の結末

R東海のリニア中央新幹線は、昨年12月で着工5年を経過した。27年開業という公表予定を達成するには、昨年中にすべてのトラブルを解決して工事を軌道に乗せる必要があったが、静岡工区の南アルプス山地を貫くトンネル掘削による大井川水系の水量減少を懸念する川勝平太同県知事との2年以上にわたる対立が膠着したままであるのに加えて、各地で住民による差し止め訴訟など反対運動が高まって、打開の目処が立たないまま越年せざるを得なかった。
そのため、一般紙では12月10日付読売新聞の「リニア開業延期現実味」、同22日付朝日新聞の同趣旨の記事、さらには11月24日付赤旗の「リニア工事・大井川流量減少」などが、
1.静岡工区の環境破壊問題や各地で起きた住民訴訟などですでにこのプロジェクトが政治的にズタズタなっていることを報じているが、
2.それらがきちんと触れていないのは、そもそものリニア技術が実のところ未成熟で、こんなものに乗れる訳がないだろうと思うようなリスクをいくつも抱えていて、それを指摘しているのは会員制情報誌『選択』だけである。そこを突き詰めると、さらに、
3.その背景にある21世紀の社会のあり方、その鍵となる自然と人間の関係についての文明論的な議論に行き着くことになるだろう。


それら各次元の問題に誠実に向き合うことなく、安倍晋三首相のブレーンという立場を利用して、政府から総事業費の3分の1に当たる3兆円もの財投資金を引き出し、力任せにこれを強行しようとしてきたのが、葛西敬之=JR東海名誉会長である。その無理と無茶が通らなくなるのが今年ではないか。
以上の3点を、下から順に吟味しよう。

「速い」ことがいいことだという時代錯誤

一体誰が、東京から名古屋まで30~40分で行きたいと思うのだろうか。
私は2001年以来、少なくとも月に一度は名古屋に行って、中日新聞主宰の栄中日文化センターで2時間の講義をするということを20年続けてきた(それも今年3月で終わって以後は年に4回の特別講演会というペースとなる予定であるけれども)。
その場合、私は朝10時半頃に東京か新横浜で新幹線に乗って行く。東京発の場合は大丸の地下で弁松総本店の江戸風の「折詰め弁当」、新横浜発の場合だと崎陽軒の「シュウマイ弁当」を買って、30分ほどして車内でおもむろに弁当を開きゆっくりと味わう。食後に車内販売のコーヒーを楽しんで、本を読んだりウトウトしたりしながら12時前後に名古屋に着き、13時からの講義に臨む。
これがリニアで行くことになると、たぶん私は品川駅でコーヒーとサンドイッチでも買って11時半に乗り込んで、急いでそれをパクついて、ウツラウツラする暇などあるはずもなく、12時過ぎに名古屋に着くのだろう。私はそんなに慌ただしく名古屋に行きたいとは思わないので、仮にリニアが走っていたとしても、必ず新幹線に乗ることになる。
リニア新幹線の基本にあるのは、「速いことはいいことだ」という20世紀の文明論の残骸である。20年以上前には、「大きいことはいいことだ」ったし「速いことはいいことだ」った。しかし近頃そんなことを声高に叫ぶ人はおらず、世の中はむしろ正反対に進んで、「スロー・ライフ」などと言われるように、バタバタしないで、ゆっくり考えたり動いたり食べたりするほうが格好がいいと思われる時代になっている。そこで「どうだ速いだろう、これに乗ってもっと忙しく働いて、もっと稼いだらどうだ」と訴えかけているのがリニアで、文明論的に時代錯誤なのである。
20世紀には「速い」ことが1つの価値であったが、21世紀にはそれはむしろダサい

糸魚川静岡構造線をトンネルで横断するという暴挙

もう1つの文明論次元の問題は、果たして人間はコンクリートの力で自然を捻じ伏せることができるのかということである。
東京~名古屋間286キロのうち9割近い246キロはトンネルで、その中でも特に難工事が予想されるのは静岡市の最北端で大井川を横切って南アルプスの百名山の1つ赤石岳(標高3,120メートル)の北の辺りをブチ抜くトンネルである。
言うまでもなく、長野県の諏訪湖から南アルプス及びその東を流れる大井川に沿っては、「糸魚川静岡構造線」という日本列島を東西に二分するほどの大きな断層線が通っている。それはユーラシア・プレートと北米プレートとがせめぎ合いを繰り返して極めて複雑な地層の入り組みを形づくり、今なお年間4ミリの隆起が続いているところである。こんなところにトンネルを掘ろうと考えること自体が、神を畏れぬ仕業としか思えない。
ところがJR東海には、南アルプスの構造線を横切る工事がどれほどのリスクを孕んでいるかの認識は皆無で、地質学者の塩坂邦雄によると「南アルプスの地質を均等だと思ったようで、山梨側の1カ所しかボーリング調査をしていない」という(19年11月24日付赤旗)。頑丈な鉄筋コンクリートで固めれば、どんなところでも大丈夫とJR東海は考えているのだろう。
百歩譲って、トンネルそのものは大丈夫なのだとして、現に差し迫っている問題は、この工事によって大井川の水量に大きな変化が生じるのではないかということで、これをめぐる静岡県知事の非妥協的な姿勢が、27年開業が難しくなった直接の理由の1つである。それは当然で、富士川、大井川、天竜川の3本の豊かな川が静岡の生態系を支える根本で、とりわけその中心である大井川の水源破壊の恐れを同県知事が容認できるはずがない。
ところがJR東海の対応は傲慢極まりないもので、「南アルプスのトンネル工事で減少する水量は最大で毎秒2.67トン」という根拠不明の試算を持ち出して、「この程度ならポンプで吸い上げて川に戻せる」と言い、後には「毎秒3トン」と言い直した。ところが、これは工事現場で流出する水量の話で、工事によって地下水の水脈を切断してしまうと、その上流の川の水源が枯渇し、イワナなども絶滅する可能性が高いのに、JR東海はそのような山と水と川の絶妙な生理など何も理解しておらず、現場で出た水をポンプで戻せばいいなどと子供じみたことを言ってきたのである。
コンクリートで固めれば自然を思うように抑えつけることができると思うのは、明治以来の東京大学工学部を中心とする発展途上国型の行け行けどんどんの土建国家イデオロギーで、それは9・11によって最終的に破綻したのであるけれども、安倍首相と葛西のコンビはまだその時代錯誤の19~20世紀の思想にしがみついている。

リニア技術のリスクが幾つも解消されていない

上掲の読売12月10日付記事は「日本のリニア技術は、ほぼ完成済みで、米国でも導入が検討されるなど、海外への輸出も視野に入っている」としているが、とんでもない。これはJR東海の広報にベッタリ癒着した提灯記事にすぎず、本当のところは何ら完成していない危ない技術であることは、『選択』19年12月号「実用技術“完成”は嘘八百/JR東海がひた隠す“リニア・リスク”」が詳しく描いている。要点を紹介する。
第1に、リニアは、灯油を燃料とするガスタービン発電装置で車内の照明などの電力を賄うことになっていたが、時速500キロで走る車体に大量の燃料を搭載して走らせるのは余りにも危険。そのためJRはリニアのレール部分から非接触で電気を取り込む画期的な技術を開発したが、これはまだ実験段階に留まっている。
第2に、「すれ違いの恐怖」問題である。リニアのガイドウェイと呼ばれるレール部分には、強力な電磁コイルが仕込まれていて、それで車両を浮上させ、走行させる。片道単線で走った場合に時速500キロの走行を実現できることは実証されていて、その限りでこれは「完成済み」の技術である。だが問題は、営業運転に入った場合には頻繁に時速500キロの車両がすれ違い、そこに時速1,000キロという音速に近い相対速度が生じる。この速度で車両がスレスレの近距離ですれ違った時に何が起きるかは「人類にとって未知の領域」で、空力的な衝撃がどれほどのものかがまずは問題であるけれども、それ以上に、その時に双方の「電磁場の相互作用がどのようなどのような挙動を見せるか」が実は大問題である。しかしJR東海は「リニア車両の『すれちがい実験』をするそぶりさえみせていない。
第3に「クエンチ」問題がある。これは前々から言われていることで、車両を浮上させる超電導磁石は、マイナス253度で電気抵抗のない状態を実現するが、それが微小な部分で超電導が破れると急激に磁石全体が常電導となり、これを放置すれば巨大な爆音を伴って急激に極低温冷却液が沸騰して突然に磁力を失う。この超電導磁場の突然の消失がクエンチで、1999年に山梨実験線で起きたと山梨日日新聞が報じたこともある。専門家はそれを克服できたのかどうかを問うてきたけれども、JR東海は答えたことはない。
第4に、非常時に車外に脱出した乗客の電磁波被害という問題がある。リニアに乗っただけで電磁波の影響があるのではないかということがよく言われるが、それは誤解で、リニアの車両の車内は完全に遮蔽されている。しかし、事故が起きて乗客が急ぎ脱出しなければならないという時に、車外の強い電磁波がどういう影響を及ぼすかについてJR東海は口を閉ざしている。
補足すると、このことは上述の南アルプス貫通トンネルと重ね合わせるとイメージしやすい。事故があってそのトンネルの真ん中でリニアが止まったとして、そこから1,000メートル以上も上の南アルプス山系の尾根に向かって非常口が設けられているはずもない。そこで仮にトンネルそのものが崩落していなかったとすれば、乗客はトンネルを東か西のどちらかにむかって徒歩で脱出を図るだろうが、その前に彼らは車外に出た途端に電磁波でやられてしまうということである。
結局、第2東海道新幹線という無駄に終わる?
以上、そもそも「もっと速く」という20世紀的思想の時代遅れに加えて、リニアの「超電導」という技術の原理的な無理無茶と実際的な未成熟があり、それでも「安倍首相のお友達」ということだけで推進されてきたのがリニア新幹線である。突き放して見れば、すでにほとんど実現不可能のようにもみえるけれども、実はJR東海は最初から、「そういうこともあろうか」と覚悟していたのではないかと上記『選択』は指摘する。
▼もしJR東海が超電導リニア開業を断念しても、中央新幹線は現在走っている鉄輪方式で開業させることが可能な構造になっている。
▼トンネルの大きさは、東海道新幹線の車両が通行できるようなサイズで作られており、経路勾配も最大40バーミルに制限され、鉄輪式車両が通行可能。つまり、超電導リニアの頓挫を織り込んだ「保険」が準備されているのだ。
▼国の財政投融資資金も投入されている。これで単なる鉄輪式新幹線の建設ということになれば、やっていることは「融資詐欺」と変わらない……。
な~に、これ。唖然とするしかない。
という訳で、リニア新幹線は、文明論的には全く以て二重に時代錯誤であり、技術論的には「穴だらけ」で乗客・乗員の命を守れるのかどうかも疑わしい未成熟なレベルであって、こんなものを安倍首相と葛西がお友だちだからと言って、公費まで費やして強行するなどあり得ない。今年の「こんなもの要らない」リストの筆頭がこれである。


今朝の気温-18℃、今期の最低気温だった。日中は穏やかな青空が広がった。明日からは、また雪模様らしい。

沼の上からの眺め


「子供に行き過ぎた除菌は必要ない」

2020年01月18日 | 健康・病気

 藤田紘一郎氏(東京医科歯科大名誉教授)指摘
   日刊ゲンダイヘルスケア 2020年01月18日


日本が世界有数の“腸内細菌大国”になるかもしれない。

 健康な男女1200人の腸内細菌を集めて生活習慣との関連を調べている「医薬基盤・健康・栄養研究所」が、データ収集の対象を世界最大規模の5000人に拡大。生活習慣や環境によって腸内細菌の種類や数がどれくらい変わるのか、その違いが健康状態とどう関連するのかを調査し、データベースを5年以内に公開して、薬の開発や病気の予防に活用してもらいたいとしている。
それくらい腸内細菌はさまざまな病気やアレルギーに関わっている。東京医科歯科大名誉教授の藤田紘一郎氏は言う。

「腸内細菌は人間の腸内に100兆個も存在していて、病原菌の排除や免疫力を高めて病気を防ぐ役割も担っています。糖尿病、動脈硬化、がん、アトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患をはじめ、うつ病にも大きく関係しているのです。生息している腸内細菌の種類と数が多ければ多いほど、サポート効果がアップして免疫機構が鍛えられ、病気やアレルギーが発症しづらくなります。病気の予防や健康維持のためには、腸内細菌の種類と数を増やすことが重要なのです」
腸内細菌は、ビフィズス菌や乳酸菌などの「善玉菌」、大腸菌などの「悪玉菌」、それ以外の「日和見菌」の3つのグループがある。中でも重要なのが日和見菌だ。日和見菌は腸内細菌の4分の3以上を占めていて、腸内の善玉菌が優位になると善玉に協力し、逆に悪玉菌が増えると悪玉の味方につく。病気の予防や免疫力をアップさせるには、強い抗酸化作用によって健康に役立つ善玉菌の優位を保ちながら、サポートする日和見菌の種類と数を増やす必要があるのだ。

■種類と数の多さが免疫力を高める

日和見菌の種類をいかに増やせるかは、3歳までの生活ぶりが大きなカギを握っている。

「ヒトの腸内細菌の種類は生後3年間でほぼ決まるといわれ、それまでに体内に取り込んだ細菌がIgA抗体とくっついて定着することがわかっています。無菌状態だった母親の胎内から生まれてきた赤ちゃんは、そこらじゅうをなめて回ります。これは、多種多様な細菌を早く体内に取り込んで腸内細菌の種類と数を増やし、免疫機構を鍛えるためだと考えられているのです」(藤田氏)
われわれの生活環境には、あらゆる所に無数の細菌が存在している。ただ、そのほとんどが無害なもので、人間に害を与えるような病原菌はごくわずかしかいない。3歳までの間にそうした無害な細菌といかに共存できるかが、免疫機構の強化に密接に関係しているのだ。

 実際、スウェーデンの研究グループは「手洗いよりも細菌を減らす効果が高い食洗機を使っている家庭の子供は、アレルギー発症リスクが2倍になる」と報告している。また、「子供が乳児期からペットを飼っていた家庭は、まったくペットに触れていなかった家庭に比べ、アレルギー疾患の発症が約16%低い」というデータもある。ペットを介してさまざまな細菌と接触する機会が多い分、免疫機構が鍛えられるという。

 日本の国立成育医療研究センターによる研究でも、2歳までに一回でも抗菌薬を使用したことがある子供は、5歳の時点で気管支ぜんそくになっているオッズ比が1・72、アトピー性皮膚炎が1・40、アレルギー性鼻炎が1・65といずれも高かった。2歳までに抗菌薬を使って腸内細菌が乱れたことが、アレルギー疾患の発症に影響した可能性が指摘されている。
「近頃は『除菌』や『殺菌』を売りにした商品が数多く出回っています。しかし、無害な細菌まで根こそぎ死滅させるような行き過ぎた清潔志向は、かえってアレルギー疾患などの病気にかかりやすくしてしまうのです」(藤田氏)

 世界最大規模の腸内細菌データベースが完成すれば、過剰な除菌ブームが見直される可能性もある。


 わたしの農法もいわば「微生物農法」。ひごろ微生物にはお世話になっている。作物を育ててくれているのは微生物たちだ。だから「農薬」は使わない。わたしの体調不良も「腸内細菌」に起因しているのかもしれない。医者によって、「抗生物質」を飲まされケースが度々あった。効果が認められた温熱野菜の摂取に努めている。


阪神・淡路大震災から25年

2020年01月17日 | 社会・経済

阪神・淡路大震災から25年 「首都直下地震」や「南海トラフ地震」で起こりうる“直接死”以外の危機
災害関連死は「震災で亡くなった人の最期の声」


  文春オンライン山川 徹 2020/01/17


25年前の今日――1月17日、兵庫県神戸市は大きな揺れにおそわれた。史上初めて震度7を記録した阪神・淡路大震災である。
 街のあちこちから立ち上る炎や煙、橋脚が折れて横倒しになった高速道路……。いまも、早朝のテレビに映し出された映像がよみがえる。そのたびに日本列島で暮らす人々と自然災害との戦いのはじまりを告げているかのように感じるのだ。
 
 阪神・淡路大震災から日本列島が地震が頻発する「地震活動期」に入ったと考える専門家は多い。確かに1995年以降、鳥取県西部地震、十勝沖地震、新潟県中越地震、岩手・宮城内陸地震、東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震とM(マグニチュード)6を超える地震が続いている。
 また、阪神・淡路大震災は、自然災害による死のあり方を考え直すきっかけにもなった。犠牲になった6434人のうち、約14%の919人にのぼった災害関連死である。阪神・淡路大震災は災害関連死がはじめて認定された災害でもあるのだ。
 では、災害関連死とは何か。
避難生活の疲労などによる病気、持病の悪化
『 大災害と法 』などの著者である弁護士の津久井進さんは、災害関連死について、このように解説する。
「長い間、災害関連死に明確な定義はありませんでしたが、2019年4月に内閣府が定めました。津波や家屋倒壊などの直接的な被害ではなく、自然災害後の避難生活の疲労などにより病気にかかったり、持病が悪化したりして亡くなることが、災害関連死です」
 阪神・淡路大震災では、犠牲者の多くが建物の倒壊などによる圧死や窒息死や、火災に巻き込まれた直接死だった。一方、長期にわたった避難生活による慢性疾患の悪化や、インフルエンザの流行で命を落とした被災者が災害関連死に数えられた。生活再建がうまくいかず、あるいは、大切な人を喪ったショックにより、自ら命を絶ったケースもあった。
新潟県中越地震では7割が災害関連死
 次に災害関連死が注目されたのは、2004年の新潟県中越地震である。68人の死者のうち、7割を越す52人が災害関連死に認められた。
 新潟県中越地震の特徴は、余震の多さだ。しかも震度5弱以上の余震に18回もおそわれた。家屋の倒壊を恐れてクルマのなかで夜を過ごし、エコノミークラス症候群で命を落とした避難者もいた。エコノミークラス症候群とは、長時間同じ体勢でいた結果、血液の流れが悪くなり、血の塊がつくられ、肺の静脈を詰まらせる症状である。
 さらに東日本大震災では、行方不明者をのぞいた15897人の死者のうち3739人が、熊本地震では270人中、215人が、災害関連死だった。
「関連死は、震災で亡くなった人の最期の声です」
 高校時代、阪神・淡路大震災で被災した在間文康さんは、現在、弁護士として災害関連死遺族の支援を続けている。彼は災害関連死の意味を次のように説明する。
「関連死は、震災で亡くなった人の最期の声です。関連死の事例は、震災後に何が起きるのか、そしてどんな支援が必要になるのか、私たちに教えてくれます。震災後、被災した人たちがどのような環境におかれるのか。その記録が、将来、おこるであろう災害に備える教訓といえるのです」
 震災が被災者の身体と心に何をもたらしたのか。ひとつひとつの災害関連死のケースを明らかにすることが、自然災害の巣と呼ばれる日本列島で生きる我々にとって、かけがえのない教訓になるというのである。
 だが、埋もれる災害関連死も少なくない。
 原因の1つが、申請の仕組みである。
 災害関連死の認定を受けるには、まず遺族が市町村の窓口に出向き「災害弔慰金支給申請」の手続きをしなければならない。「災害弔慰金」とは、災害遺族の心痛や悲しみに対する市町村からの見舞金である。生計を担っていた人の場合は500万円、それ以外は250万円が支給される。
 その後、その死が災害と関連性があるかどうかを検証する審査委員会が開かれる。メンバーは、行政の担当者、医師、弁護士ら5、6人で構成される。
東日本大震災で問題になった「認定率の差」
 審査の結果、災害との関連性があるとされれば、弔慰金が支払われ、災害関連死と認定される。
 ただしもしも遺族が申請しなければ、たとえ震災の影響を色濃く受けた死でも、災害関連死と認められない。加えて、身寄りのない被災者が亡くなった場合も災害関連死にカウントされない。
 東日本大震災では、市町村による認定率の大きな差が問題となった。認定の基準がないために、自治体Aでは認められた死が、隣の自治体Bでは「関連性なし」と判断される場合もあった。そもそも、自治体の職員が災害関連死について詳しく知らなかったせいか、窓口で申請を断るケースもあったと聞く。いくつもの「将来への教訓」が失われた可能性がある。
 2016年の熊本地震では、災害関連死が直接死の4倍近くだった事実を忘れてはならない。過去の災害関連死の「教訓」をもとに適切な支援が行われていれば、たくさんの命を救うことができたはずだ。極論すれば、災害支援の目的は、災害関連死をなくすことなのではないかと思うのだ。
「南海トラフ地震」から74年、「首都直下地震」から97年
「首都直下地震」や「南海トラフ地震」……。近い将来、巨大地震の発生が危惧されている。
 直近の「首都直下地震」が、史上最大規模の被害をもたらした1923年の関東大震災である。約190万人が被災し、10万人以上が死亡、または行方不明となった。
 また「南海トラフ地震」は、90年から150年の間隔でくり返されてきた。最近の、南海トラフから発生した地震である1946年の昭和南海地震では1330人が犠牲になった。もちろん関東大震災や昭和南海地震の犠牲者に、災害関連死は含まれていない。
 2020年は、最後の「南海トラフ地震」から数えて74年目、「首都直下地震」から97年目になる。
 歴史を紐解けば、同じエリアで、同じような地震が、くり返し起きている。自然災害の発生は止められない。しかし過去に学ぶことにより、被害を最小限に抑え込むことは可能なのだ。
(山川 徹)


暖冬?

沼に倒れた大木ドロヤナギ。枯れずに新しい目をどんどん伸ばしている。沼の中で大きく育ちすぎても困るので、氷が張って安定しているうちに切りとりに・・・
今年は雪が少ないせいか氷はしっかり固くなっている。それでも一応通路は雪をよけて直接寒い大気にあたるようにした。


みんなの学校

2020年01月16日 | 教育・学校

校則なし、先生の残業なし。発達障害児や不登校だった子もみんな一緒に学ぶ小学校
「学校のあたりまえを変えるとき」子どもたちは、学校の “ふつう”に縛られて苦しんでいる

樺山美夏 フリーライター
ハフポスト 2020年01月16日 

「椅子に座れなくても、床に寝転がっていても、みんなと一緒に学べるのが学びの目的です。学校のあたりまえを変えるときです」 
 
大阪の大空小学校初代校長、木村泰子さんはそう語る。
多様性が叫ばれるようになって久しいが、これから活躍する未来の若者たちを育てるはずの日本の教育現場には、昔と変わらない集団行動や校則で子どもたちを横並びに“管理”している。
みんなと同じ「ふつう」でいることに生きづらさを感じている子どもたちは多い。発達障害児や不登校児は増え、若者の自殺が社会問題となっている。
一方で、映画『みんなの学校』の舞台となった大阪の大空小学校は、発達障害と診断された子や不登校だった子など、さまざまな問題を抱えた子どもたちがともに学び合い、元気に卒業していく。
日本の教育システムが変わらない原因は何なのだろう?
これからの子どもたちの学びに、親や先生はどう向き合えばいいのだろう?
『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』を著した木村さんに話を聞いた。
木村泰子(きむら・やすこ)
大阪市立大空小学校初代校長。大阪府生まれ。「みんながつくるみんなの学校」を合言葉に、すべての子どもを多方面から見つめ、「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」ことに情熱を注ぐ。

2014年に大空小学校の1年間を追ったドキュメンタリー映画「みんなの学校」が公開され、大きな反響を呼ぶ。現在も全国各地の教育現場などで自主上映されている。15年春、45年の教職歴をもって退職。現在は、各地の講演会に呼ばれ、全国を飛び回っている。
「見えない学力」が高まれば成績は後からついてくる

『みんなの学校』劇場予告篇

――大空小の子どもたちは、全国学力調査1位の秋田県を上回ったこともあるほど学力が高いそうですが、どんな授業をされているのでしょうか。

安心して、「わからへん」、「教えて」って言えるからですよ。 
自分で考えておかしいと思ったら、「先生、それおかしいんとちゃう?」って言えるから。そういう環境だと、子どもは自分からどんどんチャレンジして、どんどん失敗して、わかるようになるまでやり直します。
そうして主体的に身につけた「見えない学力」が高まれば、点数で測る「見える学力」は結果としてついてきます。
そういうことを私たち教師は、子どもたちから学びました。
それまでは、大空小の先生たちも、授業の最後に必ず「わかりましたか?」って聞いて、子どもたちは「はい」って返事して終わってたんです。
子どもたちに、「ほんとうにわかったの?」と聞くと「はいと言わないと休み時間がなくなるから」と言う子どもがいたのです(笑)。
そのことを職員室で先生たちと「どう思う?」と対話しました。そこから「わかりましたか?」は使わないようにしたんです。

「それでも授業の終わりに何か確かめたいよね」とベテランの先生たちが話していたら、若い先生が「わからないところはどこですか?」と授業の最後に聞きましょうということになり、実行してみました。
そしたら、子どもたちが口をそろえて「わからなーい!」って言いだした(笑)。
要するに、先生が45分間しゃべって自己満足していただけで、子どもたちは受け身だったということをまざまざと突きつけられたのです。
そこで、先生は10分しか話さないようにしようとチャレンジを始めました。
残りの35分は子どもたちが主体的に学ぶ時間です。「この課題、みんなで解決しよう。よろしくね」って。そこから子ども同士が学び合う授業づくりが始まりました。
――素晴らしい取り組みですね。
子どもたちだけでやって困ったときは、「先生、ここちょっと助けてよ」とか、「ぼく、○○ちゃんに教えてるんやけど、わからへんみたいやから、先生教えてや」って言ってきますから、必要なときに出ていけばいいのです。
そうやって子ども同士が学び合う授業に不可欠なのが「見えない学力」。
つまり、人を大切にする力、自分の考えを持つ力、自分を表現する力、チャレンジする力です。この「見えない力」は子ども同士の関係性の中でしか育ちません。
子ども同士が学び合って課題を解決する力こそ、社会に出て通用する力。学校は社会の縮図なんですよ。


「ふつう」と「ふつうじゃない」子が分断されるワケ

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――不登校で大空小学校に転校してきた子どもたちが、通学できなくなった学校のことを「牢屋!」、「刑務所!」、「監獄!」と口々に叫んだエピソードが本に出てきました。そこまで学校は子どもを追い詰めているのかと、胸が痛くなりました。
1、2年生で学校に行けなくなる子がすごく増えているんですよ。
不登校は中学校が一番多いといわれてきましたが、今は小学校でも深刻な問題になっています。子どもたちは学校が恐いんです。
何が恐いって、そこにいる先生が恐い。イスの座り方から、手の挙げ方、忘れ物、挨拶、持ち物ひとつひとつの置き場所や使い方にいたるまで、軍隊みたいに厳しくチェックされて、周りと少しでも違うと注意される。
社会のニーズは、「上司の言うことを聞くより自分で考える人間がほしい」という時代に変化しているのに、学校はいまだに先生の言うことを聞く人間を育てているんです。
その結果、個性や感受性が豊かな子どもほど学校に行けなくなって、社会から排除されている現状があります。
――木村さんは、4年前に大空小の校長を退任された後も、講演会で全国各地を飛び回り、学校改革のために奮闘されています。最近の教育現場に変化は見られるでしょうか?
最近は小学校だけでなく、幼稚園から中学、高校、大学まで講演していますが、むしろこの1、2年は、「ふつう」じゃない子どもに対する分断がますます進んでいますね。
社会では、「これからはダイバーシティ(多様性)だ、インクルージョン(社会的包摂)の時代だ」と言っているのに、子どもたちは小学校に入る前に「ふつう」かどうかを検査させられています。
「ふつう」と違うと、この子は先生の言うことを聞けないから困るという扱いをされて、「あなたは発達障害だから、あっちの支援学級です」と振り分けられてしまう。
社会は、人と違う考えや行動ができる「ふつうじゃない人」を求めるようになっているのに、大人が勝手に決めた「ふつう」の基準に当てはめて判断しようとする。社会が求めるニーズと教育現場が、どんどん乖離してしまっているんです。
でもね、子どもってみんな未成熟なんですよ。成長の仕方は人それぞれで、これから発達していくのに、(入学前から)障害があるってどういうことでしょう?
幼いうちから、そんなレッテルを貼られた子どもは大変です。
本来、子どもの成長度合いを検査する目的は、その子の特性を知ったうえで、周りの子どもたちと安心してつながって、一緒に集団生活を送るためであるべきなんです。
椅子に座れなくても、床に寝転がっていても、みんなと一緒に学べるのが学びの目的です。学校のあたりまえを変えるときです。
――大空小学校に転校してきた子が、前の学校で体操服に着替えるのを嫌がり、「例外は認められない」という理由で、体育の授業を受けさせてもらえなかった話は衝撃的でした。
あれは明らかな人権侵害ですよね。
体操服に着替えるのが嫌なら、そのままの服で体育の授業を受けさせればいいんです。
子どもには学習権があります。憲法二六条は、「すべて国民は、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めていますからね。
子どもが学校にくる目的は、体操服を着ることじゃない。体育の授業を受けることですから。私がその子の親なら、「この子は自宅以外では着替えられないので、この服装のままで体育の授業を受けさせてください」と学校に言います。
それでも「困ります」と言われたら、「憲法にある子どもの学習権についてはどうお考えですか?」と勝負をかける(笑)。体育の授業の目的は、運動をすることにあるのです。
本当の公平は、体操服に着替えられない子がいても、「体育ができれば、その服のままでもええよ」と、その子の個性を認めて安心させること。そして、周りの子も安心して授業を受けられるようにすることです。
「ふつう」ができない子どもがいても、お互いを認め合って尊重することを、子どもたち自身で学ぶ。その手助けをするのが先生の役割ですし、それこそが本当の公平な関係性なんですよ。
例外を認めず、みんなと同じようにさせるのが公平という考え方は100パーセント間違ってます。


児童260人中発達障害が50人、先生は残業なし

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(写真はイメージ)
――大空小学校では、さまざまな子どもたちが一緒に学ぶ環境でありながら、先生は定時退勤できていたそうですね。なぜそのような教育環境を作ることが可能だったのでしょうか。
私が9年間校長を務めた大空小は、全校児童260人中、「発達障害」と診断され(障害者)手帳を持っている子どもが50人を超えていました。
そう聞くと「先生の負担が多くて大変そう!」と思われるかもしれませんけど、日常は勤務時間が終われば帰っていました。 
じゃあ、なんで他の学校の先生たちは、いつ死んでもおかしくないほど長時間労働しないといけないのか?
それは、学び方改革をしていないからです。
大空小では、一人一人の子どもが自分から学校へ来て、1日学んで、納得して家に帰ります。それは、私たち教師が子ども同士をつなげて、子ども同士で教え合ったり助け合ったりしているからです。
子どもが学校生活を楽しんで納得できると、いじめも不登校もないし、親からクレームがくることもありません。
教師は生徒や親の問題解決や相談事に時間をとられる必要がないから、本業だけやっていればいいんですよ。教師の働き方改革より、学び方改革をしないといけないわけです。

※後編は近日中に公開予定です。
(取材・文:樺山美夏 編集:笹川かおり)