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「死にたい」という気持ちを責めないで!

2017年11月29日 | うつ・ひきこもり

 仁藤夢乃“ここがおかしい  ”第21回  2017/11/29

 

 神奈川県座間市で起きた殺人事件

  2017年10月、神奈川県座間市のアパートで9人の遺体が見つかった。死体遺棄容疑で逮捕された27歳の容疑者の男は、SNSに「死にたい」と書き込んだ女性たちに近づき、自宅に誘い入れて殺害したという。ツイッターのアカウントで「首吊り士」などと名乗って自殺志願者を探し、「楽にしてあげる」と言い、別のアカウントでは自身にも自殺願望があるかのようなふりをして、心中を持ちかけて女性たちに近づいた(17年11月6日、毎日新聞「神奈川・座間の9遺体:発覚から1週間 殺人容疑で追及『死にたい人いなかった』」)。

  私は年間100人以上の生きづらさを抱えた少女たちと関わっているが、今回のように、理解者のふりをして孤独感や不安を抱える人の弱みにつけ込む手口を数多く見てきた。私とつながった中高生たちも、「家にいられない時、頼れるのは買春者や売春斡旋業者など、そういう人しかいなかった。頼れるのはその人だけだった」と話す。

  この事件が起きた時、「あの子が被害者になっていないか」と思い浮かぶ顔がいくつもあった。誰もが被害者になり得る、そういう意味では特別ではない事件だと思った。

 「死にたい」とつぶやくのはなぜか

  この事件について、「被害者はなぜ身近な人に助けを求めなかったのか?」「どうして正体の分からない男について行ったのか?」という声がある。でも、死にたい気持ちを抱えている人は、すでに孤立していて、まわりには「助けて」と言えない状況にあることがほとんどで、だからこそ死にたいと感じるほどの状況に追い込まれているのではないかと思う。

  以前、本連載で対談した精神科医の松本俊彦先生もおっしゃっていたように「死にたい」という言葉は、死にたいほどつらい気持ちを分かってほしいというSOSだ(17年6月22日「対談! 10代のあなたへ 第6回」)。容疑者も、「本当に死にたいと言う人はいなかった」と供述しているように、死にたいという気持ちを書き込む人は、本当はこの状況をなんとかしたい、誰かに聞いてほしいと思っている。しかし今の日本社会では、死にたいという気持ちを口にすれば「そんなこと言っちゃダメ」「命を粗末にしないで」「自分をもっと大事に」などと言われ、責められてしまうことも少なくない。そんな中で被害者は容疑者のことを、唯一話を聞いてくれる存在だと思ったのかもしれないと、私は想像する。

  容疑者と接点のある、次の被害者になっていたかもしれない女性も、容疑者のことを「優しくしてくれた」と話していた。ネットで知り合ったばかりの正体不明の男でも、話を聞いて、理解者であるかのような発言をしたというその事実だけで「優しい」と感じてしまうほど、他に聞いてくれる人がいなかったのではないか。被害者には女子高生も数人含まれていた。

 寄り添える人がいないという現実

  あるインターネットテレビ番組では「死にたいと書き込むのはかまってちゃん」という女子大生のコメントが取り上げられた。さらに、容疑者や被害者が複数のアカウント(ID)を使っていたことから「今は誰でもSNSで複数のアカウントを作れるから、一億総多重人格社会だ」などというお笑いタレントの発言も放送された。

  かつて「多重人格(障害)」と呼ばれた精神疾患は、今は解離性同一性障害と言い、複数のアカウントを使うこととその疾患による障害とは必ずしも一致しないのに、誤解を生む発言を簡単にしてしまうことにも憤りを感じた。

  友だちや親に対して、また職場で見せる顔が違うのと同じように、SNSのつながりにも付き合いや社会がある。友だちが見ているかもしれないアカウントでは、書けないこともある。「死にたい」と書き込めば、「かまってちゃんなんじゃないの?」とか、「本気じゃないくせに」とか言われ、白い目で見られることもある。だから、そこにも気を遣う。

  学校の友だちやアルバイト仲間に見せる「リア垢」(リアルな関係性のある人向けに発信するアカウント)、「趣味垢」(趣味について書き込むアカウント。同じ趣味の人とつながったり、リア垢で趣味のことをたくさん書いて周囲に引かれるリスクをなくすために作る)、「病み垢」(つらい気持ちなど、なかなか顔の見える関係性では言いにくいことを吐き出すアカウント)というように、様々なアカウントを使い分けている人は少なくない。

  容疑者は「さみしくて話し相手がほしそうな女性を誘った」(17年11月21日、読売新聞「座間9遺体『話し相手求める人』標的」)という。そして「身の上話を少ししてから、隙を突いて殺害した」と供述している(17年11月20日、東京新聞「座間9遺体 23歳殺害容疑で再逮捕」)。寄り添える人が圧倒的に不足している中で、死にたい気持ちを抱えた人が狙われたのが今回の事件だと思う。

 SNSを規制すれば解決するのか?

  この事件をきっかけに「死にたい」などの書き込みを不適切なものとして削除させるなど、SNSを規制する動きも始まっているが、これも私には違和感がある。「SNSは危ない!」というようなメディアによる発信や、「ツイッターを使うルールを子どもと決めましょう」といった呼びかけは、大人が理解し、納得しやすい取り上げ方だというだけで、問題の本質を捉えているとは思えない。

  確かにSNSには、危険な大人がたくさん存在し、人目につかないところで接近してくることがある。危ないこともあるけれど、大切なのは、危ないと気づいたり、困ったと感じた時に、誰に、どのようにして頼ればいいかを教えることだ。それをしないまま、「危ないからルールを決めましょう!」と言うのは、大人が安心したいだけであまり意味がない。

  それでも「ルールを決めましょう!」的な講演は、保護者の方にウケるらしい。対策ができると思えるし、どうすればいいか分かった気になれるから、受け入れられやすい話なのだろう。そして、ルールを守れなかったら子どもを責める。そんなことばかりしていたら、子どもは困った時、「怒られるかな、迷惑がられるかな、自分が悪かったし」と思って助けを求められなくなる。

  大切なのは、ルールを破ってしまった時でも、信頼して話せる、頼れる大人がいることだ。子どもを守るのは、ルールではなくて関係性だ。保護者や教員、地域の大人、子どもに関わるすべての皆さんに、それを忘れないようにしてほしい。

 SNSの規制よりケアの充実を

  SNSで同じ悩みを抱える人とつながって、励まし合いながらなんとか生き延びてきた人や、SNSでのつながりから女子高校生サポートセンターColabo(コラボ)につながってくれた人もいる。そのため「死にたい」と書き込むこと自体が悪いことであるかのような扱いを受けると、ますます当事者を追い詰めることにもなる。

  規制以上に必要なのはむしろ、死にたいほどつらい気持ちを分かってほしいというSOSを発信している子たちへのケアの充実だ。SNSでも、顔の見える関係でも、SOSをキャッチして支えることができる大人が増えること。危険につながる以外の選択肢を増やし、死にたい気持ちを話せる人、否定しないで寄り添う人が、顔が見える関係性の中に増えることだと私は思う。


今年のブラック企業大賞は? 今日はハレの日

2017年11月27日 | 社会・経済

ブラック企業大賞2017、ノミネート発表 「NHK」「ヤマト運輸」「パナソニック」など9社

   ハフポスト 渡辺一樹 2017年11月27日

 2016年は「電通」が大賞だった。

    パワハラや残業代未払いなど、法令違反の企業について伝え、安心して働ける環境づくりをめざす「ブラック企業大賞」。11月27日、2017年度のノミネート企業が発表された。

  名前があがったのは「日本放送協会(NHK)」、「ヤマト運輸」、「パナソニック」など9社。大賞は、ネットでの一般投票(11月27日17時〜12月22日17時)を経て、12月23日の授賞式で発表される。

 なお、実行委では、「労働法やその他の法令に抵触し、またはその可能性があるグレーゾーンな条件での労働を意図的・恣意的に従業員に強いている企業」と、「パワハラなどの暴力的強制を常套手段として従業員に強いる体質を持つ企業や法人」を、「ブラック企業」と定義している。

ノミネートされたのは、裁判や行政処分などで問題があると明らかになった企業だという。

 今年の問題の特徴は?

  実行委員で都留文科大・非常勤講師の河添誠さんは、記者会見で「名指しで批判されないまま、企業が人を殺し続けているのが、この日本の現状だということです」と、ブラック企業大賞として企業名を挙げる意義について語った。

 また、実行委員の佐々木亮弁護士は「政府が『働き方改革』を打ち出したこともあり、過労死・過労自殺の記者会見や報道が多かった」と話した。

なお例年、ノミネートされた企業には授賞式への招待状を送っているが、いまのところ出席した企業はないという。なお、大賞を受賞すると、副賞として「労働六法」が贈呈されるという

 2017年度にノミネートされた企業は以下の9社。

 ・ゼリア新薬工業株式会社

 2013年5月、新人研修中に男性社員(22)が自殺し、2015年に労災認定を受けた。研修中に「強い心理的負荷」を受け、精神疾患を発症した。

 ・株式会社いなげや

 2014年6月、スーパーの店舗チーフだった社員が倒れ、亡くなった。2016年6月に労災認定された。代理人によると、時間外労働は96時間におよび、サービス残業も行われていたという。

 ・パナソニック株式会社

 2016年6月にパナソニックデバイスソリューション事業部の富山工場に勤務する40代男性社員が自殺。2017年2月に過労自殺と認定された。2016年5月の残業時間は100時間越えだったという。

 ・新潟市民病院

 2016年1月、女性研修医(当時37)が自殺。月251時間も残業。2017年5月に過労自殺として労災認定。

 ・日本放送協会(NHK)

 2013年7月、当時31歳だった女性記者がうっ血性心不全で死亡。2014年に過労が原因として労災認定された。時間外労働は月159時間に及んだという。

 ・株式会社引越社・株式会社引越社関東・株式会社引越社関西(アリさんマークの引越社)

 営業職だった男性社員をシュレッダー係に配転したり、懲戒解雇を言い渡し、「罪状」として顔写真を張り出すなどした。都労委は、これらは労組に入ったことをきっかけにしたもので、会社の行為は「不当労働行為」と認定された。

 ・大成建設株式会社・三信建設工業株式会社

 「新国立競技場」の工事で、三信建設工業の新人男性社員(当時23)が2017年3月に自殺し、10月に労災認定された。自殺前の時間外労働は190時間。元請けの大成建設も、行政指導された。

 ・大和ハウス工業株式会社

 埼玉西支社の営業職だった20代男性に違法な時間外労働があったとして、2017年6月に労基署から是正勧告を受けた。2015年5月には109時間の時間外労働をしており、2016年5月に退職を余儀なくされた。

 ・ヤマト運輸株式会社

 2016年12月、神奈川平河町支店のセールスドライバーへの残業代未払いで是正勧告を受けた。2017年5月にはパート従業員の勤務時間改ざんと賃金未払いがあったとして、西宮支店が是正勧告を受けた。また、17年9月には博多北支店のセールスドライバーに月102時間の違法残業をさせていたとして、法人と幹部社員が労働基準法違反の疑いで書類送検されている。

 発表は今年で6回目。2016年度は11社がノミネートされ、広告代理店の「電通」が大賞に選ばれた。

 

•【ブラック企業大賞2016】電通が大賞「何人もの労働者がこの企業に殺された」


今日は「ハレ」の日

久しぶりの腫れの天気。気温も上がり、積もった雪はザクザクに。

 先日、一番下の息子から「彼女に会ってくれないか」と連絡が来た。
それで、今日お昼を食べながらのご対面となった。
何と高校時代の同級生だという。
最近になって再開し、恋が芽生えたようだ。
色々と事情があって式は挙げないが来年6月に籍を入れるという。
可愛いい、よさそうな子だった。
これで3人の子どもたちすべてがかたづいた。

今日はハレの日


ダラダラと飲み食いするのが、虫歯に・・

2017年11月25日 | 健康・病気

子供の歯磨きを禁止 埼玉の歯科医師による“実験”の結論は

日刊ゲンダイ ヘルスケア2017年11月25日

   埼玉県熊谷市にある「くろさわ歯科医院」の黒沢誠人院長は“日本最高水準”の歯科医療を実践している。そんな黒沢院長は、歯科医でありながら4人の子供たちに歯磨きをさせなかった。壮大な“実験”に挑んだ理由と結末を直撃――。

  実験に踏み切ったきっかけは、管理栄養士・幕内秀夫氏の講座で「伝統食と近代食では虫歯の発生率が違う」という米国歯科医の調査内容を聞いたことだったという。

  当時、長女6歳、長男5歳、次男2歳、次女は妻のお腹の中。同じく歯科医の妻との相談の上、「歯磨きは今日からしなくていい」と子供たちに宣言。虫歯ができたらすぐにやめるつもりだったが、一向に虫歯はできず、それぞれの子供が12歳になるまで継続した。

  歯磨きの代わりに徹底したのが、日本の伝統食の実践だ。ご飯、味噌汁、漬物が基本。ご飯多め、おかず少なめ。パンは日曜日のお昼のみ。牛乳はやめ、砂糖、油脂は控えめ。おやつは“ハレの日”は何を食べてもよく、“ケの日”(まま、前がハレだから,クモリだと思う)は蒸しサツマイモや季節の野菜、干し芋やせんべいにした。

「困ったことといえば、公的な健診。次男の3歳児健診では『こんなに汚れているのに虫歯が1本もないのは不思議』と言われ、付き添いの妻は『ブラッシングの指導を受けてください』としつこく言われたそうです」

 ■戦前の“純和食”でダラダラ食いを回避

   黒沢氏が実験から得た結論は、子供の虫歯予防で重要なのは「何をどう食べるか」であり「歯磨きの徹底」ではなかった。

  黒沢家の子供たちは決まった食事とおやつの時間しか食べ物を口にせず、飲み物も水やお茶を喉が渇いた時だけにするよう心掛けた。

 「食べ物を口にすると酸が作られ歯の表面のミネラルが溶ける『脱灰』が起こります。それを唾液が中性に戻し、ミネラルが歯に入り込んで虫歯を防ぐ。これを『再石灰化』と呼び、『脱灰→再石灰化』が歯の健康を守るメカニズムになります。このメカニズムを、我が家の子供たちは自然に会得していたのです」

脱灰は食べ始めて3~5分で起こるが、再石灰化は食後20~30分経ってから。間食が多いと脱灰の機会が頻繁に起こる。つまり「脱灰の時間が長い=虫歯ができやすい状態が長い」で、虫歯のリスクが高まる。

  では、ここに伝統食がどう関わるのか?

 「ダラダラと飲み食いするのが、虫歯に一番なりやすい。砂糖や油が入ったおやつは、ダラダラ食べ続けることができてしまうのが問題です。一方、伝統食は、砂糖や油をほぼ使用しません。血糖値が上昇して満腹感を覚えればそれ以上の食欲を抑えやすく、規則正しい食生活習慣が確立しやすいのです」

  伝統食だからこそ、虫歯になりにくい食べ方ができる。長女の佳子さんは現在、歯科医師だ。もっとも、これは子供に限った話で、大人は歯周病の問題があるため歯磨きが不可欠だという。念のため。


インフルエンザ 薬なしでも異常行動

2017年11月24日 | 健康・病気

インフルエンザ 
薬なしでも異常行動 厚労省、窓施錠など対策通知

    毎日新聞2017年11月24日

  インフルエンザにかかって急に走りだしたり、飛び降りたりするなどの異常行動が後を絶たないとして、厚生労働省は、ドアや窓を施錠するなどの対策を促す新たな通知を都道府県に出すことを決めた。昨シーズンは子どもを中心に少なくとも54件報告された。治療薬タミフルとの関連が以前から指摘されているが、薬の種類や服用の有無にかかわらず起きており、流行入りを前に同省は「対策を徹底して事故を防いでほしい」と呼び掛けている

  通知は新たに(1)窓や玄関の施錠(2)窓に補助錠を設置(3)一戸建ての場合は1階に寝かせる--など、より効果が期待できる対策を盛り込むことを検討している。

  また、タミフルだけでなく、ほかのインフルエンザ治療薬でも同様のリスクがあることを明記する。

  厚労省の副作用報告によると、昨シーズンにインフル治療薬を服用した患者のうち、飛び降りや転落につながる異常行動がタミフルで38件、リレンザで11件、イナビルで5件の計54件あったことが報告された。同省研究班の別の調査では、服用せずに異常行動を起こしたケースも複数あった。

  薬の使用や種類に関係なく、高熱が引き起こしている可能性が指摘されている

  うちリレンザとイナビルを使った10代の2人は、自宅マンションから転落するなどして死亡した。薬との因果関係は分かっていない。

  対策として原則発熱後2日間は子どもを1人にしないよう求めていたが、現実的に困難だとの指摘があった。


砂糖の有害性

2017年11月23日 | 健康・病気

 

砂糖の有害性、業界団体が50年隠していた?

 でんぷんの炭水化物に比べ、砂糖は心臓に有害だとする研究発表が1960年代に出始めたが…

    朝日新聞デジタル 2017年11月22日

 砂糖の有害性、業界団体が50年隠す? 米研究者が調査

  砂糖の取りすぎの有害性について指摘しようとした研究を、米国の砂糖業界が50年前に打ち切り、結果を公表しなかった――。こんな経緯を明かした論文が21日付の米科学誌「プロス・バイオロジー」(電子版)に掲載された。業界が利益を守るために否定的な研究を隠すことで、長期間にわたり消費者をだましてきたとしている。

米カリフォルニア大サンフランシスコ校の研究者が、米イリノイ大などに保管されていた業界団体「糖類研究財団」(現・砂糖協会)の内部文書を調べ、明らかにした。

  論文によると、でんぷんの炭水化物に比べ、砂糖は心臓に有害だとする研究発表が1960年代に出始めた。懸念した財団幹部が68年、英バーミンガム大の研究者に資金提供して、ラットで影響を調べたところ、砂糖の主成分のショ糖を与えると、動脈硬化と膀胱(ぼうこう)がんにかかわる酵素が多く作られることが分かった。腸内細菌の代謝により、コレステロールや中性脂肪ができることも確認できそうだった。

  研究者は確証を得るため、研究の延長を求めたが、財団は資金を打ち切り、成果は公表されなかったという。70年の内部報告で、当時の幹部は「研究は業界にとって有益で意義のある情報を引き出すべきだ」と述べ、有害性を示唆した研究の価値は「無」だとしている。

  今回の論文について砂糖協会は「50年前の出来事について、推測と仮定をまとめたものだ」と批判。研究の存在は認めつつ、予算や期限が超過したため打ち切られたとしている。(ワシントン=香取啓介)

 

2014年11月22日の記事より

白砂糖に代わる甘味料

   ビーチ&ビキニより

白砂糖に代わる甘味料を比較してみた
白砂糖断ちを試みたことがないと、私たちの日常の食生活にどれほどの白砂糖が使われているかわからないもの。だから上記のような発言に至るわけですが、家の調理で白砂糖を使っていなくても、白砂糖は市販の加工食品なら、入っていないものを探す方が大変です。お菓子、ケーキ、調味料、ソース、飲料など、ありとあらゆるものに使われているので、いくら家で使っていなくても、そのあたりを気にしていなければ全く意味がないと言っても過言ではないでしょう。

とはいえ、甘味のない生活も味気なさすぎるというわけで、ではいったいどのような甘味料が一番体に負担がないのかを調べてみました。甘味料と言っても、天然のものから発がん性が疑われる合成甘味料まで、その種類は多種多様。今回は日本のスーパーで見つけられる代表的な甘味料を選んでみました。

まずは、改めて、白砂糖がなぜ良くないのかを簡単にご紹介。

<fieldset>白砂糖を避けるべき様々な理由
白砂糖とはにはグラニュー糖、上白糖、粉砂糖、ざらめ糖、氷砂糖、和三盆など。サトウキビ汁を各種薬品で化学的に高精製。カロリーだけで栄養価はない。三温糖やブラウンシュガーなどの茶色い砂糖類は、白砂糖にモラセスと呼ばれる、さとうきび汁から砂糖を結晶として取り出したあとの残り汁を吹き付けただけのものも多く、精製過程は白砂糖と同じ。
■成長ホルモンの分泌を妨げる
■癌細胞のエサとなる。
■コレステロール値を上げる
■血糖値を急激にあげる
■プロテイン、ミネラル、ビタミンなどの吸収を妨げる
■アレルギーを引き起こす
■糖尿病の要因
■湿疹、アトピーなど皮膚炎の要因
■DNAを傷つける
■子供の多動、不安を起こしたり、集中力の欠損の要因となる。
■感染症に対する防御力低下
■カルシウムの吸収を妨げ、骨粗しょう症の要因となる。
■血液ドロドロ</fieldset>


では、白い砂糖に代わる甘味料をご紹介します。

天然甘味料
メープルシロップ
カエデ樹液を濃縮したもの。はちみつよりカロリーは低く、ミネラル分は多い。ポリフェノールも少量含まれる。砂糖やコーンシロップにメープルシロップを3パーセント以下加えただけの製品や、ホルムアルデヒドや放射線で殺菌された製品もあるが、表示義務がないので消費者にはわからないのでご注意を。原材料が「メープルシロップ」だけのもの、オーガニックのものを選ぶように。

 

はちみつ
日本人にもおなじみのハチミツは、砂糖を混ぜた製品も多いので原材料チェックを忘れずに。市販のハチミツの多くは、液状にして保存期間を長くするために低温殺菌されており、はちみつ本来の栄養や酵素が壊されています。また、カロリー、甘さともに砂糖より割増。一方熱を加えていないRaw Honey、ローハニーは、抗酸化物質、アミノ酸、ビタミン、ミネラルなどの栄養素を豊富に含むスーパーフードだという説も。健康を保つには体を弱アルカリ性に保つことが重要だといわれますが、ローハニーは体内でアルカリ性に変わる性質を持つアルカリ性食品だとも言えます。ローハニーは固まりやすいのも特徴。ただボツリヌス菌が微量含まれていることもあるので、抵抗力の弱い2歳以下の幼児には、生の状態で与えないように。

黒砂糖
サトウキビが本来持つ栄養がそのまま残っているのが黒糖。蜜をそのまま煮詰めることと、製造過程で石灰を加えてアルカリ性にすることで、豊富なビタミンとミネラルはもちろん、抗酸化ポリフェノールなどを含む。(カルシウム、カリウム、ナトリウ、マグネシウ、マンガン、リン、亜鉛、鉄、銅、ビタミンB1やB2、ナイアシン、パントテン酸など) 黒い部分に含まれる「フェニルグルコシド」という成分には、糖の吸収を抑制する働きがあるも言われ、血糖値の上昇もゆるやか。漢方では月経痛や冷え症にも使われる。

アガベ
低GI食品として注目され、日本でも店頭に並び始めているのでご存じの方も多いのでは。アガベシロップはメキシコやアリゾナ州などの砂漠地帯で育つブルーアガベ(竜舌蘭)から絞ったものを加工した製品。血中のブドウ糖濃度を上げにくい健康食品として人気のアガベですが、実は最近では逆に健康に悪いという説もあるのでご注意を。というのも、アガベシロップは果糖であるフルクトースの割合が非常に多く、高いものではこのフルクトースが95%をしめる製品も。血中のブドウ糖濃度を上げないのは、なぜならほとんどが果糖だから。フルクトースは血中ではほとんど分解されず、血糖値を変化させることは少ないものの、直接肝臓に運ばれるため、肝臓へ大きな負担がかかります。

甜菜糖
北海道で栽培されている砂糖大根を原料とした甘味料。あっさりした甘味が特徴で、白砂糖の代わりに使っている方も多いのでは。白砂糖のように人工的な精製過程を経ていないので消化に時間がかかることから、こちらも低GI食品。体を温めオリゴ糖がおなかの調子を整える。ネガティブな情報はほとんどないので、日常的に使うならくせのない甜菜糖は料理などにはおすすめかと。ただ、アメリカでは、この砂糖大根=Sugar Beetは遺伝子組み換えされたものが非常に多いらしく問題となっているが、日本では甜菜は遺伝子組み換えの表示義務があるので、表示されていない国産品を選ぶように。

きび砂糖
黒糖より精製が進んだ、砂糖よりは精製されていないものの総称。カリウム・マグネシウム・カルシウムなどのミネラルは甜菜糖より含有量が多い。

 以上、日本のスーパーでみかける天然甘味料の比較でした。

一方カロリーゼロ!がうたい文句のダイエット人工甘味料ですが、どれも「人工」、口にする気もしない毒のため、特に比較はしませんが、以下、代表的な人工甘味料の原料名と製品名です。
スクラロース(SPLENDA)
サッカリン(Sweet’N Low)
アスパルテーム (NutraSweet/Equal)
アセルスルファムK (Sunette or Sweet One)

有名なのはサッカリンのスイートンローでしょうか。以前は「発がん性あり!」の表示がありましたが、最近はないみたいですね。先日、スターバックスコーヒーへ行ったら、グランデサイズの巨大なコーヒーに、迷わずピンクの袋に入った人工甘味料をドサドサ入れているお姉さんを見かけました。無意識に生活していると、悪気なく自分の体に毒を入れてしまうことになります。自然界に存在しない物質というわけで、消化酵素で分解されず腸からそのまま吸収され、「異物」となって全身をめぐり続ける。エネルギーにもならないから、カロリーゼロなわけですが、こういった人工的な異物はすべて肝臓に大きな負担をかけます。それだけでも食べない理由になる。

というわけで、個人的には、調理にはやはり国産の甜菜糖、もしくはハチミツが使いやすいかと。ただ、先にも述べたように、はちみつもローハニーがよさそうですね。白砂糖はまさにEmpty Calories、栄養ゼロなカロリーの塊。やめられるなら是非。


現実逃避でしか悲劇は乗り越えられない

2017年11月22日 | 事件

 

一番被害を被っている人が周りから「泣け」とか「悲しめ」とか要求される社会におさらばを

 現実逃避でしか悲劇は乗り越えられない

    ハフポスト 2017年11月22日

 黒岩揺光

1981年、新潟生まれ。米マイアミ大学国際学部卒業、オランダのユトレヒト大学院修了後、2006年に毎日新聞社に入社。2010年からケニアのダダーブ難民キャンプの国連機関やNGOで支援活動。2014年からジュネーブで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に勤務。2016年、妊娠した国連職員の妻に寄り添い、ヨルダンで主夫。長男誕生の翌日、妻が出血多量で亡くなり、日本へ帰国。現在、新潟の実家で子育て奮闘中。著書に「国境に宿る魂」(世織書房)、「僕は七輪でみんなをハッピーにしたい」(UCAN)。ブログID。http://adventurebyyoko.blog3.fc2.com/

 

   就職相談を持ち掛けた元TBS記者からのレイプ被害を告発した伊藤詩織さんの著書「Black Box」(文藝春秋)を一気に2回も読んでしまった。私が特に共感できたのは、「魂を奪われた」体験をした人に対して、社会が「もっと悲しんでくれないと」と被害者面を要求することに、伊藤さんが心を痛めていること。そして、その社会が勝手に作り上げた「被害者」のイメージにより、伊藤さんのレイプ被害に遭ったという主張を疑う人まで出ていることに、私は憤りを感じた。

 例えば、伊藤さんが被害を受けた数時間後に、相手からかかってきた電話に普通に応対していることや、3日後には伊藤さんから相手に相談内容について進捗状況を伺う短いメールを送っていることに対して、「レイプされてそんなことができるだろうか?」などと疑問の声が上がっている。

 アマゾンのレビューには、「殺されるかと思うほど怖い思いをし、レイプと確信した女性が、その後自分から、あのようなメールを送る。どう言い訳をしてもどう見ても多少の(性行為の)同意というものが垣間見えてしまう」などの書き込みがあった。

 全く違う体験ではあるが、私は昨年9月、長男出産後に妻が亡くなり、「魂を奪われた」ような気持ちになった。そんな自分の体験と照らし合わせてみても、伊藤さんの行為に不自然さは全く感じなかった。

 妻を亡くした直後、私は現実逃避でしかこの悲劇を乗り越えられないと思った。新生児の息子と二人っきりになったら、妻を失った喪失感に押しつぶれそうになるため、できる限り家族や友人と一緒にいるようにした。さすがに就寝時までは一緒にいることはできず、消灯した瞬間、妻を失った現実が一気に表面化し、暗闇にそのまま自分が飲み込まれてしまうような孤独感に襲われた。

 亡くなった3日後には自宅近くのテニスコートで大声をあげながらテニスをしていたし、毎晩の様に、友人数人に家に来てもらい、一緒に夕食を共にし、時には、歓声を上げながらボードゲームに熱中した。そんな私を見て、妻を亡くしたばかりと想像できる人はいなかったかもしれない。

 人間は想像を絶する悲劇を体験した時、できる限りそれ以前の日常とつながりを保ち、悲劇が起こったこと自体を否定することで、その困難を乗り越えようとすることもあるのではないか。多くの友人が憐みの目で私に接してきたが、逆に、そういう友人とは付き合いづらかった。それより、まるで何もなかったかのように、以前と変わらない態度で接してくれる友人の存在の方が数倍ありがたかった。

 伊藤さんも同じように、元TBS記者と何もなかったかのように接することでしか、生き延びることができなかったのではないか。全く違うケースだから比較しようがないが、私も、妻が亡くなって4時間後に、妻の執刀医(過失致死罪で起訴)に会いに行った。

 映画の様に泣き崩れることも、取り乱すこともなかった。妻の死因について知りたかったというのが一番の理由だが、悲劇が起きる前の強い自分がいるということを自分や執刀医に示したかったというのもあったのかもしれない。

 伊藤さんが毎日10キロ走ったり、キックボクシングに没頭するのにも共感した。運動は頭を真っ白にしてくれるから、悲劇が起きた世界から一瞬解放された気分になる。私の場合、以前から毎日運動していたというのが大きいが、0歳児を抱えるシングルファザーが毎日運動するというのは結構ハードルが高い。

 それでも、家族や友人に1時間だけみてもらって、ランニングやウェートトレーニング、テニスやバスケットボールをしたり、子どもを背負ってハイキングに行ったりしている。

 目の前で妻を失って自己肯定感が著しく低下し、周りからの何気ないコメントに心を痛めることが多く、それについて誰かに相談しても「ヨーコーがあまり悲しそうにしていないからじゃないかな」と逆に責められてしまう。「なんでそんなに冷静でいられるんですか?今ここで泣いてもらってもいいんですよ」とか言ってくる友人もいた。

 妻を突然失って悲しくないはずがない。悲しみ方は人それぞれであり、誰もが映画の様に人前で泣き崩れるとは限らない。なぜ一番の被害者である私が、「悲しめ」とか「泣け」とか周りから要求されなければならないのか?妻が亡くなる以前と同じように人前で振舞うことで悲劇を乗り越えようとしているという発想があってもいいのではないだろうか。

 私は勝手に伊藤さんの人生と私の人生にいくつかの類似点を見出してしまった。高校時代に米国に渡ったこと。海外生活が長いこと。若い頃にジャーナリストを志し、メディア業界で働いたこと。そして、魂を奪われた体験をし、同じような被害者が出ないよう刑事告訴に踏み切って社会に訴えていること。

 だから、正直、あまり客観的に本を読めている自信がないが、読者の勝手な「被害者像」を伊藤さんに押し付けて、彼女の主張自体に疑問を呈することだけはやめてほしい。伊藤さんには、自分が社会に対して抱いていたモヤモヤを、明確に言語化してくれただけでなく、他にも様々な大事なメッセージを込めた本を出してくれたことに心から感謝したい。

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ようやく本腰 野党超党派で“詩織さんレイプ事案”徹底追及

     日刊ゲンダイ11.22

21日、参院議員会館で、野党議員が超党派で「『準強姦事件逮捕状執行停止問題』を検証する会」を立ち上げた。

  安倍首相と昵懇の元TBSワシントン支局長の山口敬之氏(51)が、ジャーナリストの伊藤詩織さん(28)を2015年4月にレイプしたとする疑惑が主眼だ。

  呼びかけ人は、自由党の森ゆうこ参院議員や立憲民主党の阿部知子衆院議員、希望の党の柚木道義衆院議員ら8人。維新も含めて全野党が、きのうの検証会に参加し、警察庁と法務省からヒアリングを行い、山口氏への逮捕状が逮捕直前に執行停止になった経緯についてただした。

  この問題の最大の焦点は、警察上層部がレイプ事件の捜査に介入し、山口氏の逮捕にストップをかけたのかどうかだ。レイプを告発された山口氏が、安倍首相と極めて親しいために、疑いを招いている。

ところが、省庁側は、この日も「個別事案についてはお答えできない」の一点張り。逮捕状の執行停止を「決裁」した中村格警察庁総括審議官(当時、警視庁刑事部長)の「決裁文書」については、「把握していない。文書を残すかどうかは場合による」(警察庁)と答え、議員らが「オカシイよ、それ!」と語気を強める場面があった。

   詩織さんが、レイプ事件を訴えてからすでに半年。やっと全野党が超党派で結集して“詩織さん事案”の追及に本腰を入れ始めた形だ。それにしても、なぜ、野党の動きはここまで遅れたのか。

  「恐らく理由は2つです。1つは、今年9月に検察審査会で『不起訴相当』の判断が下され、刑事事件としては一応の決着がついたこと。もう1つは、民進党が事実上解党したことで追及しやすくなったことでしょう。事件を握りつぶした張本人と言われている中村格総括審議官は、民主党政権時代に官房長官秘書官を務め、自民が政権を奪取した後も留任している。民進党は、民主政権時代の弱みを握られているからか、あるいは恩義があるのか、これまで中村氏の捜査介入疑惑について国会で大きく取り上げられなかったようです」(永田町関係者)

   要するに、民進党が分裂した今、中村氏に“忖度”する必要はなくなったというワケ。今後、国会の場で焦点となるのは、まさに「不当介入があったか否か」である。どこまで証拠を出させることができるか、野党の本気度にかかっている。


安倍独裁制 (日本全体が株式会社化している)

2017年11月21日 | 社会・経済

 内田樹が喝破!
安倍独裁を受容する“株式会社マインド”の蔓延…「実行」「結果」と叫ぶ安倍首相、「独裁で何が悪い?」と冷笑する有権者

    リテラ 2017.11.19

 「安定的な政治基盤の下で、政策をひたすらに実行せよ、これが総選挙で示された国民の意思であります」

「お約束した政策をひとつひとつ実行に移し、結果を出していく」

「政策の実行、実行、そして、実行あるのみであります」

 安倍首相は11月17日の所信表明演説に、8回も「実行」という言葉を入れ、国政トップとしての“実行力”をアピールした。強いリーダー像を示しながら現実的課題の克服を牽引する、そう誇示したのだろうが、一方で、解散前にはしきりに口にしていた「謙虚」「丁寧な説明」という言葉は、ついに一度も使わなかった。森友・加計学園問題の疑惑追及から逃れるために、身勝手な“大義なき解散”に出た安倍首相は、結果として大勝した選挙結果を盾に、国民から白紙委任状を取り付けた気でいるのだろう。

 ところで、今回の所信表明で使用回数が際立っていた「実行」という言葉以外にも、安倍首相が好んで演説に組み込む“キーワード”がある。それは「結果を出す」だ。たとえば今年1月の通常国会冒頭所信表明でも、安倍首相は都合6回も「結果を出す」という趣旨を繰り返した。

「必要なことは、実行です。結果を出すことであります」

「責任を持って財源を確保し、結果を出すことであります。安倍内閣は、言葉ではなく結果で、国民の負託に応えてまいります」

「ただ批判に明け暮れたり、言論の府である国会の中でプラカードを掲げても何も生まれません。意見の違いはあっても、真摯かつ建設的な議論をたたかわせ、結果を出していこうではありませんか」

 こうした言葉遣いから確かにわかることがある。安倍首相のいう「実行」とは、民主主義が要請する熟議、すなわち「過程」はさておき、ひたすらに「結果」を導くべしという意味に他ならない。そして、この首相の姿勢にこそ、“安倍独裁”と言われる現在の政治状況が端的にあらわれているのである。

 そう言うと、安倍首相の応援団やネット右翼たちは「安倍さんは総理だぞ! 何が悪い!」などと妄信的な反論をしかけてくるだろう。いや、ネトウヨだけではない。この国では、なによりもリーダーが「実行力」を発揮し、「結果を出す」かどうかが価値基準のすべてのように語られがちである。しかし、それは民主主義にとって致命的な陥穽だ。いや、むしろそうした「実行」と「結果」を求めるマインドが、主権者から民主主義の意識を剥ぎ取っている。そう言うべきだろう。

内田樹が指摘する、安倍政権の「民主主義は機能していない」「国会は無用」という印象操作

  思想家の内田樹が、発売中の「サンデー毎日」(毎日新聞出版)11月26日に寄稿した論考が話題となっている。「総選挙の総括」として“民主主義を失望させる政治”の本質を語ったものだ。内田はまず、得票率と議席専有率の大きなギャップについて問い、小選挙区制では投票率が下がれば下がるほど巨大組織票を持つ政権与党の議席が増えることを指摘した上で、こう述べている。

〈それゆえ政権与党は久しくどうやって投票率を下げるかにさまざまな工夫を凝らしてきた。そして、彼らが発見したもっとも有効な方法は「議会制民主主義はもう機能していない」と有権者に信じさせることだった。〉

〈事実、「立法府は機能していない」という印象操作に安倍内閣ほど熱心に取り組み、かつ成功した政権は過去にない。〉

 続けて、国会での安倍首相や大臣の答弁からの逃亡や詭弁、強行採決などの暴挙の数々をあげ〈これらの一連の行動は与党の奢りや気の緩みによってなされたわけではない〉と断じる。

〈そうではなくて、「国会は実質的にはほとんど機能していないので、あってもなくてもどうでもよい無用の機関だ(現に国会閉会中も行政機関は平常どおり機能していたし、国民生活にも支障は出なかったではないか)」という印象を国民の間に浸透させるために計画的に行われているのである。〉

 さらに内田は、政党が選考する候補者が執行部に従順な政治家ばかりであることを指摘し、それらを〈「議員は個人の政治的意見を持つ必要はない。いかなる政策が正しいかを決定するのは上の仕事である」という採用条件を知った上で就職した政党「従業員」〉と表現する。そして、ここにも乱暴な国会運営によって「立法府は機能していない」と国民に印象付けるのと同様の〈配慮〉が示されていると語る。

 つまり、安倍政権が満天下に知らしめる立法府の軽視が、国民に国会議論は無意味であるとの感覚を喚起させている。ゆえに投票率が低下する。そこに小選挙区選挙制度の弊害と、無能(無脳)なチルドレン議員の大量生産が重なることで、政権が引き起こしている言論の府の機能不全が逆説的にその状況を維持する国会内勢力の選挙大勝を招いている。そう内田は分析しているのである。

 その上で、安倍首相が「私は行政府の長」でなく「私は立法府の長」と自称したことや、自民党改憲草案で創設されている緊急事態条項の問題点を挙げながら、内田は日本の「独裁制への移行」を指摘する。行政府と立法府がひとりの為政者のもとで一体化し、憲法さえ超越する強大な権限の付与を可とする体制は「独裁」と呼ぶほかないから、頷かざるをえない。

 ところが、ネットでは、この内田の論考を「迷文」「めちゃくちゃな論理展開」「ただの陰謀論」などと揶揄する向きがある。誤読未満の解釈怠慢だろう。テキストは一見、現政治体制及び選挙制度が有権者にもたらす問題が、特定の意図(=政権の狙い)のもとになされていると主張しているようでいて、実際のところは現況を現象として俯瞰的に論じているにすぎない。

 むしろ重要なのは、その図式がなぜ、国民の政治体制に対する憤懣ではなく国会(議会制民主主義)に対する失望や諦観につながるのか、という論点ではないか。

「独裁制で何が悪いのか?」と不思議がる人たちを生み出す、“株式会社のような社会”

  内田の見解はこうだ。

〈だが、このように「独裁制への移行」が着々と準備されていることに対して、国民の反応はきわめて鈍い。それどころか先に述べたように「独裁制で何が悪いのか?」と不思議がる人がもう少なくない。今回の選挙でも、若い有権者たちが自民党に好感を持つ傾向があることが指摘された。それは自民党が作ろうとしている独裁制社会が彼らにとって特に違和感のないものだからである。〉

 なぜか。内田は〈若い人たちは「株式会社のような制度」しか経験したことがない〉からだとして比喩的に続ける。

〈トップが方針を決めて、下はそれに従う。経営方針の当否はマーケットが判定するので、従業員は経営方針について意見を求められることもなく、意見を持つ必要もない。それが、彼らが子どもの時から経験してきたすべての組織の実相である。家庭も、学校も、部活も、バイトも、就職先も、全部「そういう組織」だったのだから、彼らがそれを「自然」で「合理的」なシステムだと信じたとしても誰も責めることはできない。

 構成員が民主的な討議と対話を通じて合意形成し、リーダーは仲間の中から互選され、その言動についてつねにきびしい批判にさらされている「民主的組織」などというものを今時の若い人は生まれてから一度も見たことがないのである。見たことがないのだから、彼らが「そんな空想を信じるなんて、あんたの頭はどこまで『お花畑』なんだ」と冷笑するのは当然なのである。〉

 なるほど、と言いたいところだが、この見立てはいささか限定がすぎるかもしれない。実のところ、“株式会社”的組織に身を置くなかでトップダウンの感性が染み込んでいるのは、なにも「今時の若い人たち」だけではあるまい。だが、大枠としては非常に当を得ているはずである。

 換言すれば、「株式会社」に代表されるような利益追及型の組織はトップダウンの指揮系統であり、そこではしばしば経営者が独裁者的に振る舞っていて、かつ、もっぱら経済的理由により個々人(構成員)の意見の有無に関わらず経営が判断される。これが「民主的組織」と言えないことは自明だが、内田が指摘するようにそのモデルが個々人に内在化されているとすると、組織(国会)のなかでの討議は煩雑とみなされ、経営者(独裁者)による「決定」の阻害要因として排除すべきとなる。

会社のワンマン経営者のように“独裁”する安倍首相に、抵抗するために

----------------------〈中略〉------------------

 話を戻して、安倍首相の所信表明演説である。先に述べたように、安倍首相の言う「実行」はもっぱら「結果を出す」ためにあり、その過程として位置づけられるべき論議は客観的事実として完全に無視されている。とりわけ「実行、実行、実行」と叫んで「総選挙で示された国民の意思」と身勝手に断じているのは勘違い甚だしい。だが、新聞各社の社説は「国会での議論に建設的に臨むべき」「もっと踏み込んだ政策の説明が必要」などと上品ぶるだけだ。

 もはやそんな段階ではないだろう。内田が指摘するように、安倍首相はまさに国家を会社のワンマン経営者のように“独裁”している。所信表明はそれを直裁的にあわらしている。有権者は民主主義を冷笑し、諦めつつある。あえて言うが、「国会の議論など無駄だ」と思わせようとする政治に「国会で建設的に議論せよ」と呼びかけるのは愚かなだけだ。メディアが呼びかけるべきは市民である。「議論を始める」ための政権打倒しかない。(宮島みつや)


今季1番の寒気。日中も小川から水蒸気が上り、雪原を霧が立ち込めました。
それでも明日は昼から雨になる予報です。

(ちなみに、カラー写真です)


何故こんなにも自殺する児童生徒が多いのか?

2017年11月20日 | 教育・学校

 

「学校が死ぬほどつらい子は、いらっしゃい」のニュースに心温まるだけでよいのか?

 

本来、報道機関の役割は、「何故こんなにも自殺する児童生徒が多いのか?」その原因を分析し、責任の所在を明確にし、追求することにあるはずです。

 

2017年11月17日 AS Loves Insects - 小包中納言物語より抜粋

 

報道機関の責任は?

   今年の8月末の各種報道機関の論調を振り返ってみるとき、「学校が死ぬほどつらい子は、いらっしゃい」とする呼びかけをエンディングテーマ曲にのせて心温まるニュースとして報じたり、「動物園のツイートに賞賛の声」などと伝えたりするだけで終わらせていいのか?という違和感が、半ば怒りの感情をともなう疑問として、湧き上がってきました。

本来、報道機関の役割は、「(9月1日に限らず)何故こんなにも自殺する児童生徒が多いのか?」「なぜ十万人以上の不登校が発生しているのか?」その原因を分析し、責任の所在を明確にし、追求することにあるはずです。にも関わらず、なぜ報道機関は、子どもたちの側に呼びかけるだけで終わらせてしまうのでしょうか。

 もしかすると、例えば皆さまの受信料で支えられている放送局や、都心の一等地に固定資産を構えるマスコミ各社などにお勤めの方々にとって、たとえ子どもが学校から逃げて長期不登校になったとしても、図書館や動物園や鉄道博物館などに足繁く付き添うことのできる専業主婦が妻としていらっしゃったり、放課後デイサービスやフリースクールに通わせられるだけの経済力があったり(料金結構高い)、そもそもリベラルな校風の私学にお受験して、先生方もてんてこ舞いの公立学校とは無縁の世界に暮らしておられるのかもしれません。ですから、学校から逃げた先に待ち構える本当の困難など、彼らの想像の域を超えているのだろう、とヤサグレてしまいたくもなります。

 ところが、この社会的な当事者意識の希薄さは、議論の出発点として広く参照されているデータそのものに根本的な欠陥があるのではないか?──そう考えざるを得ない現状を垣間見る機会がありました。

 はたして文科省や学校の先生方は、現状を正確に把握しているのか?

   文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(平成26年度)です。なるほど、不登校になったきっかけと考えられる状況は「いじめ」が1.1%、「教職員との関係」は1.9%となっており、全体としては微々たる割合であることが伺えます。しかし、実際に不登校の子を持つ親御さんに聞くと「まったく実感と異なる」との意見が返ってきます。

 この調査は、本当に全国の不登校で悩む児童・生徒、そして親御さんの現状を、正確に捕捉できているのでしょうか。疑問に思ったので、報告書をダウンロードして調査方法などを調べようとしたところ、なんと統計学的な詳細に関しては何の記載もなく、調査対象も不登校の子ども本人でも保護者でもなく、学校の先生方を対象に各教育委員会が取りまとめて文科省が集計したものだというのです。(学校調査)

 これには驚きました。会社でいえば取締役会ともいうべき文科省から調査されて、従業員である先生が、生徒の不登校の原因として、わざわざ自分の人事査定に響きかねない「いじめ」や「教員との関係」を回答するでしょうか。第三者とは程遠い、教育委員会・文科省と学校の先生という、ダイレクトな利害当事者同士による調査は、間違っても客観的な統計とはいえません。ただ、確実に言えることは、「学校の先生方が、文科省・教育委員会に対して、そのように回答している(せざるを得ない)」という現実のみです。

 一方、教育社会学者の内田良氏の指摘によれば、文科省にはもう一つ、不登校について、別の調査結果が存在するそうです。こちらは平成26年に「不登校に関する実態調査」として公表されたもので、平成18年当時に不登校であった本人に対し、5年後の状況などを追跡調査したものです。その数、アンケート回答者1,604人、インタビュー回答者379人という大規模な調査です。こちらは同じ文科省でも、「不登校生徒に関する追跡調査研究会」によって調査されました。(本人調査)

 注目すべきは、この本人調査の結果が、先に掲げた学校調査の傾向と、大きく異なっている点です。とりわけ「教師との関係」に至っては、学校調査の1.9%に対し、本人調査では実に26.6%にも上ります。また友人関係・いじめについても、調査項目が異なるため単純比較はできませんが、やはり両調査結果は総合すると大きく矛盾します。

 

   問題は、「不登校の原因」として多くの文献や報道、巷で流布されている情報のほとんどが、文科省の学校調査を根拠にしているという現状です。試みに「不登校 原因 統計」をキーワードにGoogleで検索をかけてみると、その現状がよくお分かりいただけることでしょう。これでは、各報道機関が、不登校の本人にむけて呼びかけるだけで終わるのも残念ながら納得できます。少なくとも一般的には「不登校の原因は本人と親にある」という認識になっているのですから。

であるならば、文科省の学校向け調査の現状の公表方法は、不登校の原因についての社会と教員の認識を歪めている点で、端的に申し上げて有害です。学校調査が客観性を欠くものであること、本人を対象とする別途調査が存在することを強調して、学校と社会に対し早急に周知する責任が、文部科学省にあります。

 そして何より、(放課後登校など温情としてカウントされる出席日数を除外しても)毎年十万人以上の不登校者と、多くの自殺者を出している学校制度そのものを、客観的な根拠(エビデンス)に基づいて根本的に見直すべき責任が、政府にあります。そして報道機関には、こうした責任を、客観的なエビデンスに基づいて追求してほしいものです。


  座間市の事件の被害者は、全員が10~20代の若者だった。
なぜ彼らは「死」を選択したのか?
「精神的弱さ」だけで済まされるものではないだろう。
今の「学校制度」に問題はないのか?いや、それこそが問題だろうと思う。
「見過ごされてきた"学びの貧困」これは権力者には都合のいい結果になっていることを認識しなければならない。
「世のなか、変だね!」
その根底に「教育の貧困」があると私は思うのだが。


荒れた天気に

2017年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 毎朝ラッセル車が来ている。
今朝の様子。

先ほど、4時前。

昼からは、視界も悪くなる風雪。

ようやく支柱類も運び終え、こちらでの外の仕事はこれにて終了(させる)。
むこうに運んだパイプ類はほとんど奥の方へ移動させて整頓。
残るは今日運んだもの+α
久しぶりに重いものを担いだ。
まだまだやれるじゃない・・・
少し自信を取り戻した。

週間天気予報を見ると5日は真冬日(最高気温も氷点下)。
どんどん寒くなっていく。
ここの雪はやはり他と比べても多い。


「死にたい」と言っていいし、弱いまま生きていい。弱音を吐いてもいいし、何もできなくてもダメでもいい。

2017年11月18日 | うつ・ひきこもり

 マガジン9  雨宮処凛がゆく!

私が「死にたい」と言ってた頃〜座間の9人殺害事件を受けて〜の巻(雨宮処凛)

    By雨宮処凛   2 017年11月15日

 

 11月9日、共同通信の取材で神奈川県座間市のアパートを訪れた(記事は配信されているので読める方はぜひ)。

 

 線路沿いのアパートは若者が好みそうな小綺麗な建物で、通りを隔てた場所には花やお菓子や蓋を開けたペットボトルのジュースなどが供えられていた。線路のわきには一面のススキが風になびいていて、近所の猫がそれにじゃれついていた。秋晴れの、のどかな午後。しかし、アパートに張り巡らされた警察の黄色い規制線と、2階の外廊下を覆うブルーシートが、ここが事件現場であることを伝えていた。

  20代の頃、私は自殺系・自傷系サイトのオフ会にたびたび参加していた。2000年頃、ネットが普及し始めたばかりの時期の話だ。参加者の多くが10代、20代の女性。居酒屋で数十人がわいわい語る光景は、端から見たらただの若者の飲み会に見えたと思う。だけど、ほとんどの参加者の手首にはリストカットの生々しい傷跡があり、中には二の腕や太もも、果ては全身にまで傷が及んでいる人もいた。だけど、みんなの顔は一様に明るかった。

  ネットの登場により、生まれて初めて自分以外の「死にたい人」と出会えた興奮を、誰もが口にした。学校や職場の友人には絶対引かれるから、口が避けても「死にたい」なんて言えない。だから普段は必死で元気な自分を演じている。だけどそうすればするほど、死にたい気持ちは募っていく――。多くの人が、そう口にした。そして合言葉のように「うちら、生きづらさ系だよね」と言い合っては笑った。

  そんな繋がりの中、惨めでカッコ悪くて弱い自分を晒し合えるかけがえのない友を得た人もいれば、その後、自ら命を絶った人もいた。オーバードーズ(薬の過剰摂取)を繰り返していたことで心臓が弱り、自殺か事故かわからない形で亡くなった人もいれば、オーバードーズの果てに、吐瀉物を喉に詰まらせて窒息死した人もいた。オフ会に参加する頃には大分おさまっていたものの、私も10代からリストカットを繰り返していたし、オーバードーズで胃洗浄を受けたこともあった。

  その頃の気持ちを説明しろと言われると、今でもとても困る。一番辛かったのは、フリーターと無職を繰り返していた20代前半の頃だ。いつも先が見えなくて、経済的にも追いつめられていた。死にたい思いはあったけれど、死にたいほど辛いということをわかってほしいという気持ちも、もちろんあった。だけど常にいろんなことに追いつめられていて、自分でも何がどうしてどんなふうに苦しいのか、冷静に分析したり説明できるほどの冷静さなんてとっくに失っていて、いろんな生きづらさをこじらせまくっていて、口に出るのは「死にたい」の一言だった。自分には生きる資格がないと思っていたし、生きていることが迷惑なのだと思っていた。器用に生きることができない自分を常に責めていた一方で、周りも、自分を取り囲む社会も漠然と恨んでいた。

  「地獄」と言われる胃洗浄をしたことで、それ以来、オーバードーズはしていなかったけれど、オフ会に参加する人たちの多くはオーバードーズを繰り返していた。彼女たちの中には、死ぬためではなく、「寝逃げ」するためにするのだと言う人がいて驚いたのを覚えている。辛い現実から強制的に意識をシャットダウンし、人生を「早送り」するために薬をたくさん飲んでひたすら寝続ける。リストカットをすることで心の痛みを身体の痛みに置き換えて誤魔化し、精神科から処方された薬を大量に飲んで「寝逃げ」することで、なんとかやり過ごす。そうやって「生き延びて」いる人たちが、多くいた。

  彼女たちの死にたい背景には、様々なことがあった。親からの虐待を語る人もいたし、子どもの頃からのいじめの後遺症に苦しむ人もいた。正社員として入った会社がブラックで、恐ろしいほどのノルマと長時間労働で心も身体も壊された人もいたし、就職氷河期の中、「100社落ちる」ような経験をした人もいた。職場でのいじめによってうつとなり、退職した人もいた。失業から一人暮らしを維持できなくなり実家に戻り、連日、うつなどに理解のない親から「いつまでもダラダラしてないで早く働け」と責められ、親子間の対立が深刻な状況になっている人も多くいた。私が20代前半の頃(90年代後半)に働いていたキャバクラの同僚にも手首に傷がある子は何人かいたし、コンビニに行けば若い店員の手首に傷があることも珍しくなかった。

  90年代後半から00年代にかけて、リストカットに関する書籍は多く出版され、社会問題になったりもしていた。その背景には、「生きるハードル」が90年代に一気に上がったこともあるように思う。バブルが崩壊し、就職氷河期は深刻化し、リストラの嵐が吹き荒れる中で労働環境は過酷になり、非正規化も進み、それまでの「学校を出たらとりあえず就職する。就職さえすれば、周りは認めてくれる」という構図はあっさり崩壊していた。

  就職などをしなくても生きられる「隙間」はこの社会からどんどん奪われ、企業社会は「どんなに長時間労働をしても倒れない強靭な肉体とどんなパワハラを受けても病まない強靭な精神を持った即戦力」しか必要としなくなり、その上、プレゼン能力とコミュニケーション能力と生産性の高い人間以外はいらない、という露骨なメッセージを発し始めた。ちょっと不器用だったり引っ込み思案だったりする人間の行き場が、軒並みなくなり始めた頃。そしてその「生きるハードル」は、今に至るまで上がり続けている。

  03年には、インターネットで一緒に死んでくれる相手を募って自殺する「ネット心中」が多く発生し、連鎖した。その翌年には男女7人の集団自殺が大きな話題となり、05年、ネット自殺の死者は91人にまで達した。ネット心中は、私にとって「底が抜けた」ような事件だった。生きるために繋がるのではなく、死ぬための、ほんの一瞬の「連帯」。

  そういえば99年、初めてイラクを訪れた際、帰国してすぐに「死にたい」という知人と話したことがある。「イラクハイ」だった私は「イラクでは劣化ウラン弾の影響でがんになった子どもがたくさんいて、だけど経済制裁で病院に薬もなくて、子どもが毎日たくさん死んでたんだよ」と話した。だけどそんな話は当然「死にたい」彼女には1ミリも響かず、「ふーん」と聞き流されて終わった。私はひどく自分を恥じた。「遠い国ではこんなにたくさんの子どもたちが死んでいる」なんて、「お前は恵まれているんだから死にたいなんて贅沢だ」という言葉と同義だ。自分が一番死にたい時、そんな言葉を言われてもひとつも響かないどころか説教された気分になったに決まってる。それなのに、そんな言葉を口にした自分が恥ずかしかったのだ。

  「生きていればいいことがある」「親や周りの人の気持ちになってみろ」。そんな言葉も同じくらい響かなかった。そんな通り一遍の言葉より、「自分も死にたい」という言葉が沁みる夜がある。「死にたい」でしか繋がれない瞬間が、誰の人生にもきっとある。だけど、必死で伸ばした手を誰が握り返してくれるのか、そこまではわからない。そうして今回、最悪の事態となってしまった。

  「死にたい」人をターゲットとした事件は、05年と07年にも起きている。どちらも自殺サイトで知り合った相手を殺害したというケースだ。犯人の一人には既に死刑が執行されている。

 「実際に死にたいと思っている人はいなかった」。今回の事件の容疑者はそう供述している。

  事件を受けて、自殺を仄めかすネットへの書き込みの削除や通報を求める声もある。政府の関係閣僚会議では、自殺に関する不適切なサイトや書き込みへの対策強化について検討されるという。

  だけど、多くの人が指摘しているように、「死にたい」は、貴重なSOSだ。普段から、リアルな関係で弱音を吐けていれば、それが当たり前のことだったら、こんな事件は起きなかった。禁止されるべきは「『死にたい』という書き込み」ではなく、弱音を禁ずるような圧力ではないのか。

  20代、30代の死因の1位はもうずーっと前から「自殺」だ。そして08年からは、11年をのぞき、15〜39歳の死因の1位が自殺である。先進国の中では突出して高い数字で、私たちは若い世代がもっとも自殺で死にやすい国に生きている。

  リストカットやオーバードーズをし、「死にたい」と散々言ってきた私が生き延びられたのは、自分と同じように「死にたい」人たちとたくさん出会ったからだ。

  今だって、死にたいと思う瞬間はある。これからだって、そんなことは無数にあるだろう。だけど、私が「死にたい」と口にすれば引かずに聞いてくれる人たちがいる安心感があるからこそ、生きていられる。

  「死にたい」と言っていいし、弱いまま生きていい。弱音を吐いてもいいし、何もできなくてもダメでもいい。

 

 そんなメッセージが、どうか誰かに届きますように。そう思いながら、書いている。

 

雨宮処凛   http://ameblo.jp/amamiyakarin/

 あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。


東京新聞・望月衣塑子記者の奮闘

2017年11月17日 | 社会・経済

なぜ記者クラブは「政権ベッタリ」なのか

   東京新聞・望月衣塑子記者の奮闘

    PRESIDENT Online   政治・社会  2017.11.16

 

ジャーナリスト 元木 昌彦

 「ここは質問をする場ではない」。菅義偉官房長官は記者会見の場で、そう言い放った。この「大暴言」を引き出したのが、東京新聞の東京新聞・望月衣塑子記者だ。望月記者は「想像以上に政権側にすり寄っている」という記者たちを尻目に、菅長官が露骨に嫌がるような質問を重ねた。なぜほかの記者たちは質問をしないのか。元「週刊現代」編集長の元木昌彦氏が、望月記者に聞いた――。

 

 「ご指摘には当たらない」「問題ないと思われます」

 私は菅義偉官房長官が嫌いである。あの顔を朝見ると一日メシがまずくなる。

 よく「男の顔は履歴書」という。さすれば菅という男、よほどつらくみじめな人生を歩んできたに違いない。したがって、私は菅の会見というのを見る気がしなかった。「壊れたラジオ」のように木で鼻をくくった答弁は、鼻持ちならなかったからだ。

 聞けば、日に2回も官房長会見はあるという。私なら、あの酷薄そうな顔と人をバカにした物言いを聞くくらいなら、仮眠室で昼寝でもしている。だが、そこへ場違いな女性記者が潜り込み、菅が露骨に嫌がるそぶりを見せるのに怯(ひる)みもせず、延々と質問をぶつけ続けたことで、記者会見の風景が変わってきたのだ。

 加計学園問題を取材していた東京新聞社会部の望月衣塑子記者である。

 当時、前川喜平前文科事務次官が、官邸の最高レベルがいっているという文書は存在すると爆弾告発した。しかし、それに対して菅官房長官は「怪文書のようなもの」と一蹴した。それに時期を合わせたように読売新聞が「前川前次官が出会い系バー通いをしていた」と報じた。大メディアが官邸の思惑にのって、前川をおとしめようとしたのである。メディアの劣化はここに極まった。

 菅は、こうした問題を質問されても、「ご指摘には当たらない」「問題ないと思われます」とそっけなく、記者たちも質問を重ねることなく10分そこらで終わってしまう。

 望月は「なぜ誰も突っ込まないのか」と疑問に思い、「だれも聞かないなら、私が聞くしかない」と思い定める。

 

記者クラブは権力側と癒着し、おもねっている

 大新聞だと、内閣記者会が束ねている会見に社会部が出張るのは難しいが、東京新聞という小さな組織が彼女に有利に働いた。

 小さいころ演劇で鍛えた大きな声で、「官邸は前川次官の身辺調査や行動確認をしているのか? こういうバーに官房長官も足を運ばれてはどうか?」と質問した。

 相手が答えなくても、質問をぶつけることで、今何が問題なのかを浮き彫りにすることができる。その信念のもと、さまざまな「疑惑」について直截(ちょくさい)に斬り込んでいった。

 そのたびに能面のような菅の顔がゆがみ、薄笑いを浮かべる姿がニュースやワイドショーで流れ、一躍、彼女は時の人になった。他紙の記者たちも追及するようになり、会見は注目を浴びたが、それに蓋をしようとしたのは、ほかならぬ同業の記者たちだった。「質問が長い」「何度も聞くな」といい出し、挙げ句は、手を上げても無視したまま終えてしまう。

 まさに、記者クラブは権力側を監視するために存在するのではなく、癒着し、おもねっていることが一人の記者の奮闘で、はっきり国民の目に見えてしまったのである。

私は現役時代から記者クラブの閉鎖性、なれ合い、取材対象との距離感のなさを批判してきた。記者クラブは言論の自由を否定する存在だとさえ考えている。

 

記者クラブ制度を解体すべきである

 メディアの重要な役割は権力を監視することである。だが、第二次安倍政権のあたりから、記者だけではなく、メディアのトップたちまでもが、安倍晋三首相に誘われれば喜々として従い、酒食を共にすることをおかしいとは思わなくなってきた。安倍はそれをいいことに、メディアを選別し、歯向かうメディアは排除し、露骨に攻撃することを平然と行うようになった。

 そうした権力側の驕りの象徴が菅の会見といってもいいだろう。それを一人の記者が、疑問に思っていることを納得するまで聞くという、至極まっとうなやり方で挑み、風穴を開けたのである。これを機に、記者クラブ制度を解体すべきである。なにはともあれ、望月記者の話を聞いてみたいと連絡を取った。

 

銀座の喫茶室に現れた彼女は小柄だが、ブン屋さんには珍しい華のある女性だった。2児の母親で、亭主は同業者だが、単身赴任中だという。

 2004年に日歯連(日本歯科医師連盟)が自民党の首脳たちに迂回献金をしていたことが発覚した。その献金リストを彼女がスクープして、大きな話題になった。

 

「正義のヒーローでも、反権力記者でもない」

 初っぱなから失礼な質問をしてみた。私のような雑誌屋は、記者クラブ制度やなれ合い会見を批判してきた。あなたのようにまっとうな質問をぶつけて、これだけ話題になるというのは、何も変わらなかったということが証明されたのだと思うが。彼女はこう答えた。

 「私のしたことは当然のことでもてはやされることではないと思う。それだけ今は、権力に対してモノがいえない、ジャーナリズムの限界が見えてしまっているからなのではないか」

 「いろいろなメディアが、自分たちでやればいいのに、私のしたことを取り上げて、その結果に自分たちは責任を取らない」

 「私は正義のヒーローでもないし、反権力記者でもない」

 深刻ぶった表情ではない。どちらかというと、あっけらかんとしたいい方である。私は、さらに質問を重ねた。

 小池百合子東京都知事から「排除する」という発言を引き出したのはフリージャーナリストの横田一だった。いまはどこでも権力ベッタリで、権力者の意のままに動く記者が多い。そうした中で、どう切り込んで発言を引き出すかが勝負になる。あなたが引き出した菅の「ここ(会見)は質問をする場ではない」というのも、大暴言だったと思う――。

 

彼女はうなずき、こう答えた。

「身の回りに気を付けろ」といわれた

 

「ここで聞かないでどこで聞けというんですかね。苦し紛れに墓穴を掘ったのだと思います。私がしつこく質問をするので、8月下旬に菅官房長官側から、菅番の担当記者に会見時間を短縮したいといってきたそうです」

 「それは突っぱねたようですが、『あと○人』『あと○問』と官邸の広報官が質問を打ち切っているのをそのまま認めています。これはメディアの自殺行為ですよ」

 あなたが出した『新聞記者』(角川新書)の中で、「記者たちは私が想像していたよりもはるかに、政権側にすり寄っている」と書いている。だが、実態は権力側と一体といってもいいのではないかと、私は思っている。ほかの記者から、身の回りに気を付けろといわれたそうだが、そうした気配を感じることがあるのか――。

 「内閣情報調査室や公安警察が私のことを調査し始めたという話は聞きますし、知り合いの議員に『望月というのはどんな人間だ』と聞いてきたということはあるようです。直接的に圧力をかけるようなことはせず、間接的にプレッシャーをかけるというのは、彼らがよくやる手法で汚いやり方だと思います」

 彼女は日歯連の報道で某大臣から訴えられた。それは不起訴になったのだが、そのあと整理部へ異動になった。事件の現場に戻りたかった彼女は、いくつかの新聞から移籍を打診されるなかで、読売新聞へ移ろうと思い、父親に相談したという。

 すると、業界紙の記者だった父親が「読売だけはやめてくれ」といったそうだ。

 

時の総理大臣を脅したことを得意そうに

 

なぜ、父親が反対したのかはわからないが、私の父も読売新聞だった。戦前からの古株だったが、子供の私によく、「読売争議(1945年から46年)の時はアカ(共産党)を追い出してやった」と自慢していた。

 また、正力松太郎は新聞に自分の動向を毎日書かせて私物化し、務台光雄は大手町の国有地を読売に払い下げろ、そうしないなら新聞でお前のことをたたくと、時の総理大臣を脅したことを、得意そうに私に語った。

 今のナベツネ(渡辺恒雄主筆)の横暴ぶりはいうまでもない。読売というのはそういう体質を持った新聞だから行かなくてよかったと、彼女にいった。

 加計学園に文科省の認可は下りたが、安倍と加計孝太郎との癒着疑惑は解明されたわけではない。これからどうするのかと聞くと、彼女はこう答えた。

 「2人の関係は、おごったりおごられたりという関係ではなく、加計氏のほうが毎回払っていたようです。獣医学部認可問題だけではなく、これまでも癒着してきた過去があると思う。まだまだ諦めません」

権力者が隠したいことを明るみに出す

 そうはいっても安倍政権という権力は強大で、記者一人で闘えるものではないだろう。私は「たとえば、朝日新聞と東京新聞がタッグを組んで、情報交換しながら安倍政権のスキャンダルを追いかけるとか、ニューヨークタイムズがトランプ政権の取材に500万ドルを投資したように、会社全体でやっていかないとつぶされるのではないか」と聞いた。

 それに対しての答えはなかったが、彼女はこう締めくくった。

 「在任期間が最長になる菅官房長官は、政権を揺るがしかねない閣僚のスキャンダルにも、表情を変えることなく鉄壁のガードを築いてきた。しかし、私とのやりとりで、これまでとは違う別の菅官房長官の顔を導き出すことはできたのではないか」

 「その表情を見ていると、さすがに『加計ありきではない』という言い訳は苦しいように思えます。日々の少しずつの積み重ねが、政権を揺り動かすほどのパワーになると信じています」

 「私は特別なことはしていません。権力者が隠したいと思っていることを明るみに出すために、情熱をもって取材に当たる、それだけです」

 

こうした記者が、いま少し出てくれば、ビッグ・ブラザーのように肥大化した権力を監視することができるはずだと思うのだが。

 

次の予定があると飛び出していった彼女の後ろ姿が、とても大きく見えた。


午前中は雪に埋まった支柱を掘りだし、結束を終えた。

昼からは最後のジュース造り。


漫画版「君たちはどう生きるか」

2017年11月16日 | 本と雑誌

漫画版「君たちはどう生きるか」大ヒット ハウツー本じゃ足りない

      毎日新聞2017年11月10日

 

 

書店でも目を引く表紙

 1937年に出版されてから「自分の人生の一冊」にしている人が、実は多いのかもしれない。吉野源三郎著の「君たちはどう生きるか」。80年たった今夏、初めて漫画版が出版されると、あっという間に部数を伸ばした。なぜ再び、多くの人の心をつかんだのだろうか。【田村彰子】

 

漠然とした不安、80年前も今も

 大きな瞳の少年が学生服を着て、視線を真っすぐに向けている。「君たち--」の漫画版の表紙。書店ではビジネス関連本などと並んで平積みされ、ひときわ目立つ。マガジンハウスが8月24日に発売して以降、53万部の大ヒットとなっている。同社が同時発売した単行本(新装版)も部数を14万部に伸ばした。最新のオリコンの週間ランキングでは、漫画版が本の総合部門でトップに立つ。

 「ここまで売れるとは正直思いませんでした。読者からは『今の時代にも色あせない作品だ』などの反響が寄せられています」。そう話すのはマガジンハウスの執行役員で、企画・編集を担当した鉄尾周一さん(58)だ。

 3~4年後に完成するとみられる宮崎駿監督の新作長編アニメの題名もずばり「君たちはどう生きるか」。映画は、この本の影響を受けた主人公の物語になると言われている。

 

漫画のワンシーン

 原作者の吉野(1899~1981年)は児童文学者で岩波書店の雑誌「世界」の初代編集長として知られる。一体、どんな物語なのだろうか。

 「君たち--」は、世界中が戦争一色に染まっていく中、作家の山本有三が「次世代の少年少女のために」と編んだ「日本少国民文庫」(全16巻)の最終巻に収められた。出版された年は日中戦争に突入した時期と重なる。ドイツではヒトラーが、イタリアではムソリーニが政権を取り、ファシズムの嵐が吹き荒れた。

 こんな時代を背景に、15歳の主人公の少年は、旧制中学に通っている。父を亡くし、母と2人暮らしだ。

 近くに住む叔父が、ちょくちょく家に来ては相談に乗ってくれる。叔父はこの少年を「コペル君」と呼ぶ。地動説を唱えたコペルニクスにちなんだあだ名だ。学校を舞台に貧困やいじめ、暴力なども描かれ、本当の勇気とは何か、人間とはどういう存在かを問う。

 コペル君ら下級生をいじめる上級生の姿を、侵略の道を歩む当時の日本と重ねて読む人も多いかもしれない。実際、この本は、軍国主義に抵抗する目を養ってほしいとの目的で書かれたと解説されることもある。吉野は戦後、岩波文庫版などにこう間接的に記している。

 <当時、軍国主義の勃興とともに、すでに言論や出版の自由はいちじるしく制限され(中略)山本先生のような自由主義の立場におられた作家でも、一九三五年には、もう自由な執筆が困難となっておられました。その中で先生は、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめてこの人々だけは、時勢の悪い影響から守りたい、と思い立たれました>

 

漫画のワンシーン

 戦前から一貫して反戦・平和主義者だった吉野。児童書の形を取ったこの本は、検閲をくぐり抜けて出版された。戦後は文庫本となって読み継がれ、国語の教科書にも採用された。

 80年の時を超えて、漫画化された名著はどう読まれているのか。小学校の頃にこの本を読んだ脳科学者、茂木健一郎さんはこうみる。

 「刊行当時は戦争に向かい、日本がこれからどうなっていくのか不安を抱える時期だったから、今と重なるところがある。北朝鮮との緊張が高まり、中国の台頭で世界の中の日本の立ち位置も変化している。AI(人工知能)が発達し、生き方や働き方も変わっていくかもしれない。先を見通せない時代だから根本に立ち返り、どう生きるか確かめたいという気持ちが、社会に強くあるのではないか」

 漫画版が出版された当初、これほどヒットするとは思わなかったという。「すぐに役立つ本」「競争社会で成功する方法」などノウハウ的なアプローチの本がもてはやされる昨今、そうした世界とは、無縁な内容だからだ。「グローバル化が進む現代では、功利主義的な身の処し方が正解とされている。でも、実際はそれではどうしても対処できないことが起こることを私たちも肌でわかっている。脳科学者として、若者の相談に乗っているが、みんな漠然とした不安や悩みを抱えている。そういう時代こそ、生きる指針が必要。お手軽な処方箋の本だけではどうにもならないと思っている人は自分で考えるきっかけとして、この本の存在価値を見いだすのではないだろうか」と茂木さん。

 吉野に関する研究もある京都大教授(メディア史)の佐藤卓己さんの見方はこうだ。

 「吉野は戦前の格差社会の中で、自主的に考える個人によってこそ社会革命が可能だと考えて、この本を書いたはずです。一方、現代も格差が拡大し、子どもの貧困も問題となっており、同じような課題は存在しています。しかし、社会構造がより複雑化している今日の方が、どう生きるかははるかに難しい。コペル君の時代の方が単純だから、より多くの人がこの本を読んで共感できるのでしょう」

 

原作者の吉野源三郎=1966年撮影

 佐藤さん自身は中学時代、読もうとしても読めなかったという。「説教臭い」と感じたからだ。また、優等生として描かれているコペル君にもなじめなかった。しかし、研究者として戦中・戦後の世論に向き合ううち、「君たち--」には普遍的なものが書かれていると気付いた。

 「戦前も国家に強制されたというより国民が自主的に戦争に協力した側面は大きい。『自主的に考える』とはどういうことか。その問いがこの本にはある。漫画化の試みはおもしろい。岩波文庫で買ったまま挫折した読者が、再び挑戦するよい機会だと思います」

助言者も成長「説教臭くない」

 マガジンハウスの鉄尾さんによると、祖父母が孫にプレゼントするためだったり、若者がタイトルにひかれて自ら購入したり、幅広い世代に読まれているという。どんなきっかけで漫画化されたのか。

 「だいぶ前ですが、30代の男性社員の机の上に、岩波文庫版が置いてあって、若い人がこんな本を読むのかと驚きました。僕は大学生だった40年近く前、父親に『読め』と言われて反発した。漫画にしたら読んでもらえるのでは、と思い立ったのは5年前のことです」と鉄尾さん。

 知人の編集者のすすめで、まだ無名だった漫画家、羽賀翔一さんに依頼した。

 初めて原作に接した31歳の羽賀さんは、時代を超えてこの物語に共感したという。「僕もコペル君と同じ母子家庭で育ちました。いじめられっ子を救えなかったこともあった。僕の中にある『コペル君的な記憶』を重ね合わせて描きました」。原作と同様、時代背景はなるべく描かないようにした。そして、原作ではメンター(人生の助言者)として存在する叔父さんを、漫画版ではメンターでありながら共に成長していくコペル君のバディー(相棒)だと強調した。「吉野さんは、戦争という大きな流れにのみ込まれていく人々を意識したのかもしれません。でも、何か大きなものに流されてしまうというのは、戦争という特殊な時代だからではなく、いつの時代にもあると思う。きっと誰もがコペル君と同じような経験をして、より成長しようと思って生きています」

 共に成長していく2人の姿は大きな共感を呼んだ。前出の茂木さんは「新しい漫画の形を見せられた」と話す。「漫画化することによって、啓蒙(けいもう)的な原作は、共感できるものへと変わった。今の時代、若い人たちは少しでも『教えてやる』といった啓蒙的要素を感じると、クモの子を散らすように逃げてしまう。原作のメッセージを維持しつつ、この本に触れたことのない層へ届き、その良さが再認識されたことはすばらしいことです」

 名著が新しい形で再び輝き、今を生きる人たちの手に渡る。80年前のメッセージは私たちに確かに響いている。


「コペル君」命名の由来

 主人公の少年は東京・銀座のデパートの屋上から、下の通りを眺め「ほんとうに人間って分子なのかも……」と気づく。<目をこらしても見えないような遠くにいる人たちだって 世の中という大きな流れをつくっている一部なんだ>。そう叔父さんに語ると、大発見をしたコペルニクスにちなんで「コペル君」と名付けられる。

「死にたい」と悩むコペル君

 仲間が上級生からいじめられたら、結束して立ち向かおうと約束しておきながら、コペル君はいざという時にその約束を破ってしまう。そのことを悔い、死にたいとまで思って寝込むコペル君。叔父さんは手書きのノートを渡し「誤りから何を学ぶのか」を教えるのだが……

 


共産=保守、自民=革新の幻想

2017年11月15日 | 社会・経済

自民勝たせた若者の意識 「青春=反権力」幻想に

    毎日新聞2017年11月13日

   若者は「保守化」しているのだろうか。そんな疑問が湧く。先月の衆院選では、10代、20代の自民党支持が他の世代に比べて突出して高かったからだ。「自民支持」の背景を探った。【庄司哲也】

 

   若者の投票行動は数字に表れている。まず、共同通信が投票日に行った出口調査を見てみよう。比例代表東京ブロックの投票先では、10代の47・2%、20代の42・1%が「自民」と回答。一方、30代~70歳以上の世代では20%台後半から30%台だった。60代では「自民」が28・3%だったのに対し、「立憲民主」は28・4%とわずかだが逆転した。若者が自民を支持する傾向は他の比例ブロックでも見られた。

 なぜ、自民支持の若者が多いのだろう。「選挙で野党は『森友・加計(かけ)学園問題』を訴えたが、政策の議論とは言えない。三権分立なのに、立法府に属する議員の候補者たちが司法の独立を侵食しているようにも見え、支持できませんでした」。慶応大1年の野上奨之輔さん(19)はそう話す。投票しなかったが、どちらかといえば「自民支持」という。

 若者特有の事情ものぞく。早稲田大2年の桑原唯さん(20)は「最大の関心事は就職です。一時に比べれば就職状況は改善しており、政権交代でこの状況が変わるようなことは避けたい」と、胸の内を明かした。

 自民大勝は、有権者が離合集散を繰り広げた野党に嫌気が差し、よりましな選択肢として自民に投票したと説明できそうだ。さらに、若者に関する気になる調査結果を見つけた。

 大阪大特任教授の友枝敏雄さん(社会学)の研究チームが、2001年から6年ごとに3回にわたり、福岡などの高校生延べ1万人超を対象に行った意識調査だ。グラフを見てほしい。例えば「校則を守るのは当然か」という質問に「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と答えた生徒の合計が、68・3%(01年)▽75・4%(07年)▽87・9%(13年)と大幅に増加。さらに「日本の文化・伝統はほかの国よりも優れている」への賛意は、29・6%(01年)▽38・7%(07年)▽55・7%(13年)と年々伸び続けているのだ。


高校生を対象にした意識調査

 友枝さんは「リスクの多い社会では、従来の規律から逸脱するよりも同調した方がいい。そのため今の若者は縦社会を好む傾向にあり、秩序の維持を大切にするのです」と分析する。「空気を読んで従順」という姿が浮かぶ。

 また、友枝さんは、今の若者には、従来の「公共空間」に加え、ネット世界の「炎上空間」という二つの空間があることに気がついた。「若者は自己保身の意識が強い。公共空間で目立ってしまうと、そこでは面と向かって言われなくても、炎上空間でたたかれてしまう。だから論争を起こすことを避けるのです」

 集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法を巡って反対運動を続けた学生団体「SEALDs」(シールズ、昨年8月解散)の元メンバーらで設立した新団体「未来のための公共」に加わる大学3年生、馬場ゆきのさん(20)も「自分の主張を話すのはよくないという風潮があると感じます。私もこうした活動をしなければ、デモに対して悪いイメージを抱いていたかもしれません」と、目立ちたくない若者の特徴を説明する。

 昔からの習慣や制度を守ることを大切にし、不満を口にせず、現体制の維持を望む。政治的な変革も好まずに与党の自民党に票を入れる--。今の若者の意識を知ると「青春=反権力」はもはや幻想なのかもしれない。

国への執心、空虚感の裏返しか

 自民支持が増えたのは若者の右傾化が要因という論調もある。一時期、右翼団体で活動していた作家・社会活動家の雨宮処凛さんに意見を求めると、加入動機から語り始めた。「右翼団体に入るまでは社会の息苦しさを自分一人で抱え込んでいました。でも、右翼団体の人が『お前のせいじゃない』と言ってくれたことで、気持ちが楽になりました」

 雨宮さんは「就職氷河期」の1993~05年ごろに社会人となったロストジェネレーション(失われた世代)だ。バブル崩壊後、希望していた美大への進学を諦め、フリーターになった。その職場では外国人労働者と競わされた。「ここが日本の底辺と思っていました。『日本人に比べ外国人は時給が安いのによく働く』と言われた。私と外国人との違いは、日本人であるということ以外になかったのです」と、右寄りの思想になった背景を説明した。

 現在の日本はどうか。雇用状況の改善は、非正規雇用の増加が主な要因だし、人口減の日本社会は経済成長のシナリオを描けない。若者はフラストレーションをためているのではないか。「自分には何もないと感じるから国に過剰な思い入れを持つ。閉塞(へいそく)感をぶつけるように改憲を訴える若者の姿はかつての私のようです」と雨宮さんは感じている。

 06年から10年間、新入生のゼミを担当した首都大学東京教授の谷口功一さん(法哲学)は、憲法9条に関するリポートを書かせてきた。これまでの学生の意識は6対4で改憲派が護憲派を上回っていた。中には「北朝鮮にミサイルを撃ち込め」と書いた女子学生もいた。だからといって谷口さんは、単純に「若者の保守化が原因」と決め付けることには懐疑的だ。最近、学生に「リベラルな政党はどの政党か」という質問をしたところ、立憲民主、共産、自民、希望の党と、全くばらばらの回答だったからだ。

 そもそも日本ではリベラルや保守の定義が明確ではない。「米国では経済政策の対立軸について、政府が社会や市場に対して積極的に介入し、増税や大きな政府を志向するのがリベラル。これに対し、市場での自由競争を重視し、減税や小さな政府を志向するのが保守です。でも、日本では護憲か改憲かなどといったイデオロギー的な側面が強調されています」

 さらにいわゆる「55年体制」からの考えにとらわれ過ぎだと指摘する。「今の学生たちはそんな考え方に縛られていません。保守=右派、リベラル=左派と位置付けてはいないのです」と話す。

 慶応大に在学しながら学習塾を経営する今井美槻さん(25)は「かつて『革新勢力』と呼ばれた野党は対案を示そうとしません。日の丸や君が代に反対するが、代わりの国旗や国歌を示したことがあるでしょうか。それでは議論のしようがない。新たな動き、変化の足を引っ張る政党こそ、もはや『保守』と見るべきでしょう」と話した。

 安全保障を見直し、消費増税、改憲といった改革を訴える自民こそ、若者には「革新」に見え、護憲を訴える共産党などは「保守」に映るのかもしれない

 このまま若者が自民を支持していく傾向は変わらないままのようにみえるが、慶応大1年の大倉康寛さん(20)は「私たちの世代は物心ついた時に民主党政権ができ、投票で政権が代わることを知っている世代でもあるんです」と答えた。決して若者の自民支持は盤石ではないのだろう。

 高齢者中心の「シルバーポリティクス」が言われる。新たな若者の意識を上の世代はくみとれるだろうか。

 


とうとう冬到来です。

窓の雪囲い。
窓だけでなく、FFストーブの煙突、電気・水道メーターなども屋根から氷が落ちてきて壊すので保護します。
結構大変な仕事です。コンパネだと部屋のなかが暗くなってしまいますので、こんな板で。
あと南側が残っています。
まだ片付けが終わっていないので、積もるのはもう少し後にしてほしいのですが・・・・・


科学者ら「人類への警告」

2017年11月14日 | 社会・経済

脅威悪化へ「人類への警告」科学者ら

   AFPBB News - 2017年11月14日

 【AFP=時事】世界の科学者らが25年前に公表した地球環境への脅威に関する「人類への警告」の最新版が13日、発表され、地球が抱える問題の大半が「はるかに悪化」していると警告された。

   新たに発表されたのは、世界184か国の科学者1万5000人以上が署名した書簡「世界の科学者による人類への警告:第2版」。米専門誌「バイオサイエンス(BioScience)」に掲載された。

  米科学者団体「憂慮する科学者同盟(Union of Concerned Scientists)」が1992年に発表した初版に署名した専門家は1700人だった。

 最新版によると、初版発表以来、環境に対する重大な脅威のほぼすべてがその深刻さを増しており、特に急増する世界人口は1992年以降で20億人増加し、35%の増加率を示しているという。

 その他の主要な脅威としては、化石燃料の使用が後押しする地球温暖化と炭素排出量の増大、持続不可能な農業、森林破壊、淡水不足、海洋生物の減少とデッドゾーン(酸欠海域)の拡大などが挙げられている。

「これらの憂慮すべき傾向が浮き彫りにしているように、人類は今2度目の警告が与えられている」と、書簡は指摘している。

■大量絶滅が進行中

   書簡にはまた「人類は、極度だが地理的・人口統計学的な格差のある物的消費を抑制しないこと、さらには、継続的で急速な人口増加を、多くの環境および社会への脅威を増大させる主要因として認識しないことによって、自身の未来を脅かしている」と記された。

 これについて科学者らは「化石燃料の燃焼で温室効果ガスが増加し、それによってもたらされうる壊滅的な気候変動」への道を世界が歩み続けていることに特に戸惑いを感じるとしている。

 動物は人的活動によって苦境に陥っており、かつてないペースで姿を消している。

「人類は約5億4000万年間で6度目となる大量絶滅を招いている。この大量絶滅では、現存する数多くの生物が今世紀末までに死滅もしくは少なくとも絶滅の運命を背負う恐れがある」と、書簡は述べている。

■13の解決策

 書簡では、人類が講じるべき13の対策が説明されている。

   その一つは、避妊へのアクセスをより高め「長期にわたって持続可能で、科学的に正当化できる人類の人口規模を推定する」とともに、この極めて重要な目標に対する支持を世界の国や国の指導者らから取り付けることが挙げられている。

   その他の対策として挙げられているのは、植物中心の食事と再生可能エネルギーを推進すると同時に化石燃料補助金を段階的に廃止することだ

   また、富の不均衡は是正しなければならないとし、「価格、税制や優遇制度などは、消費傾向が地球環境への負担となっている実質的なコストを考慮に入れる(必要がある)」とした。

 さらに「世界の有意な割合に対して」保護区域を設置するとともに、野生動物の不正取引と違法な密猟を阻止する必要性が指摘された。

   書簡は「悲惨な状況の拡大と壊滅的な生物多様性の損失を回避するには、人類は現状維持のシナリオに代わる、より環境的に持続可能な代替案を実行する必要がある」と述べる。

 「世界の一流の科学者らは25年前、この事態をどう処理するべきかについて明確に語ったが、彼らの警告は大部分の点で聞き入れられなかった」

   そして「人類が進む道を事態悪化の軌道から転換させることが間もなく手遅れになる。時間切れが目前に迫りつつある」とつづられた。

【翻訳編集】AFPBB News

 


 

 

COP23 「化石賞」常連国、日本。今年もダブル受賞。

   地球温暖化対策に逆行する国に送られる「化石賞」。1位が日本を含む「温暖化の歴史的責任を果たさないすべての先進国」。2位が日本というわけでダブル受賞となった。
 理由は「日本が、アメリカと共同で途上国での石炭火力・原子力発電を推進する覚書に合意したこと」となっている。

  沖縄での自然破壊も看過できない。基地を増設するための自然破壊は言語道断。
戦闘機・輸送機によるCO2排出は膨大なものだ。

戦争してる暇はない!
戦争をしている場合ではない!