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子どもの不登校、学校にどう伝える?先生からも「助かる」「欲しかった」対応策の依頼文、市民団体が作成 

2022年10月15日 | うつ・ひきこもり
「学校への依頼文」フォーマットを公開します
 

630名以上の知恵を集めてついに公開です!

2022年4月4日

 
 
 
 
フォーマットは文末でダウンロードいただけます
 

⼦どもが不登校や登校しぶりになったとき、多くの保護者は⼤きな衝撃を受け混乱します。

そしてその状態のまま、我が⼦へのケアと学校とのやり取りが始まります。 そんな保護者が感じる苦しさは、次の言葉に現れています。

「毎朝しなくてはならない出欠連絡が本当に精神的苦痛で、それをしないでいると今度は学校側から掛かってきて、その電話を取って答えなくてはならないというのが地獄で、それが原因で家族や物に当たるようになったりして、一体これで誰が幸せになってるのだろうと、常に疑問を持っていた。」(40代 父親

不登校児童生徒数は8年連続で増加し2021年度に19万人を超え過去最多となりました。少子化にも関わらず年々増加の一途をたどり、小学生では8年前の約3倍の人数に急増しています。※

 

多様な学びプロジェクト」は、全国約400ヶ所の平日昼間に立ち寄れる子どもの居場所を「とまり木」として紹介、不登校保護者や支援者を対象にオンラインの交流会や講座などを開く全国組織です。

 私たちは、令和4年3月1日~10日に、不登校/行きしぶりのお子さんがいる保護者を対象とした「学校とのやりとり困りごとアンケート」を実施、10日間で632件もの回答を集めました。

 そもそもこのフォーマット作成企画は、多様な学びプロジェクト運営の「とまり木オンラインサロン」会員の1人の保護者の声から始まりました。(きっかけとなった久保田さんの想いは 前回の記事 に)

「同じようなことで疲弊する保護者を一人でも減らしたい!」

 その呼びかけに賛同した「とまり木オンラインサロン」会員有志が集まり、「学校とのやりとりに関するアンケート」を実施したうえで、そのアンケート結果を元にした「学校への依頼文」フォーマットを作ろうという企画が生まれました。

 普段は、子育てや仕事をしている普通の保護者が集まって、「どんなことを聞いたらいい?告知はどうしたらいいだろう?」と手探りで作ったアンケートに「多様な学びプロジェクト」が伴走。10日間という短い募集期間にもかかわらず、632件もの回答を集めました。

 アンケートの集計結果からは、不登校/行きしぶりのご家庭の約9割が、学校とのやり取りに困難を抱えている実態が明らかになりました。

 
 下図は、アンケートで「困ったことがある」との回答が多く寄せられた項目です。1位に出欠連絡について、2位に教師との意識のずれについてが挙げられ、どちらも6割を超えました。
 
 自由記述欄には、学校とのやりとりで疲弊し、心が折れそうになっている保護者の声や、「こうしたら家庭の考えがスムーズに伝わりました。」という知恵が沢山詰まっていました。

 アンケートに書かれたエピソードを読みながら、保護者の考えを学校に伝えるためにどういう形がいいのか、不登校やホームスクール家庭当事者であるメンバーが、何度も話し合いを重ね、この学校への依頼文フォーマットは生み出されました。

 さらに保護者の視点だけでなく、現役の学校教員や、不登校支援者など様ざまな方々にも見ていただき、そこから得られたご意見も取り入れています。

 そうして、出欠連絡の方法、プリントなどの受け取り方、給食費の払い方など、不登校の子どもの保護者が困りがちなアレコレをギュッと詰め込んだ「学校への依頼文」フォーマットが完成しました。

そんな「学校への依頼文フォーマット」と「アンケート報告事例集(速報版)」を本日公開いたします。

 
 様々な知恵がつまった「アンケート報告事例集(速報版)」を参考にしながら、依頼文フォーマットのチェックリストに答えていくだけで、保護者が悩んでいることについて「我が家の学校への依頼文」が完成します。

 学校への依頼文フォーマットは、可能であれば不登校当事者であるお子さんの意思を確認しながら作り上げてください。 ですが、もし、お子さんが学校に関する話題を出すことも辛そうな場合は、無理をせず保護者のみで作成していただければと思います。

 出来上がった依頼文は、保護者のご判断で学校との面談の際にご活用ください。

 なお、この学校への依頼文フォーマットやアンケート報告事例集は、学校批判のために作り上げたものではありません。

 保護者を取り巻く現状を整理したうえで、学校と家庭が、「子どもが伸び伸びと成長できる環境」「子どもの幸せ」という共通目的のために対話を進める一助になることを、心から願っています。

 また、この依頼文は無理に作成・使用をする必要もありません。 悩んでいる保護者の方に「同じ悩みを抱えている人はたくさんいる、あなたはひとりではない」というメッセージとともに、色々なやり方があるとお伝えすることを第一目標としております。

 「アンケート報告事例集(速報版)」は、4⽉の新学期時期に皆様のお⼿元に届くよう、速報版として作成しております。上記アンケートの回答内容をより丁寧に分析・整理した詳細版も、後⽇公開予定です。

学校への依頼文フォーマット(Googleドキュメント版)へのリンク ※下記記載例と事例集を参考に記入ください(省略、詳しくは【拡散歓迎】「学校への依頼文」フォーマットを公開します (tayounamanabi.com)


山ぶどうの収穫。

山ブドウは優れもの

2020年11月03日 | 健康・病気


江戸川区内「ひきこもり」約8000人 半数超が相談せず

2022年06月09日 | うつ・ひきこもり

 区長「ショックな数字」 昨年度調査 40代が最多

「東京新聞」2022年6月9日

 東京都江戸川区が2021年度に実施したひきこもりの実態調査で、区内に7919人(7604世帯)のひきこもり当事者がいることが明らかになった。区はこれまで当事者64人を把握済みで、今回の調査結果を含めると、約8000人がひきこもりと判明したことになる。当事者や家族の多くが複数の困りごとを抱えながらも「(行政などに)相談したことはない」との回答も多く、重層的な支援の必要性が浮き彫りになった。(太田理英子)

◆病気、職場になじめず…

 調査は、15歳以上で給与収入に課税されていない人や、介護など行政サービスを利用していない人を対象とし、区内世帯の約半数に該当する18万世帯に、昨年7月から今年2月にかけて郵送と訪問で実施。57.2%にあたる10万3196世帯から回答があった。8日に区が調査結果を公表した。区によると、ひきこもりに関するこうした大規模な実態調査は全国的にも珍しいという。

 調査で把握した年代別当事者で、最も多かったのは40代で17.1%だった。ひきこもり状態になっている期間は、1年~3年未満が28.7%で最多。きっかけは「長期に療養を要する病気にかかった」「職場になじめなかった」などが目立った。現在の困りごとについては76%が複数項目を上げ、当事者からは「自分の健康」や「収入・生活資金」「家族の健康」との回答が多く占めた。

◆さらに調査を進め、対策を強化する方針

 行政などへの相談について当事者の62%と家族の45%が「相談したことはない」と回答。8日に記者会見した斉藤猛区長は「行政としてはショックな数字で、なんとかして充実させないといけない」と話した。

 また、区教育委員会は不登校の子ども1113人を把握しており、今回判明した当事者と合わせると、9000人超がひきこもりに該当するとしている。

 区は今後、回答した当事者らへの追加調査と、未回答の世帯への再調査を実施する方針。11日から当事者と家族のオンライン交流会を始めるほか、新たな居場所づくりや自立支援の場として、区内での駄菓子屋の運営も検討している。


園の花
クゲヌマラン?ボケてしまいました。

ベニバナイチヤクソウ


おいてけぼり~9060家族~ 35年間ひきこもり続ける女性、「いざとなればkoroす」父の苦悩 求められる第三者

2022年03月14日 | うつ・ひきこもり

YAHOO!ニュース 2/28(月)

中京テレビNEWS

おいてけぼり~9060家族~

 

 2019年、家族が高齢化し80代の親が子を支える「ひきこもり家族の高齢化問題」、いわゆる「8050問題」がクローズアップされました。「ひきこもり」は家からまったく出ない人のことだけではありません。内閣府などによりますと、ひきこもりの定義には、たとえ家から出ても、家族以外との交流がほとんどない状態やコンビニや趣味以外に外出しない状態が半年以上続くことも含まれます。中高年(40~64歳)のひきこもり当事者数は約61万人。若年層(15~39歳)の約54万人を上回ります。

「自分はおいてけぼり…」自宅に引きこもって35年が経ったある日、女性はつぶやきました。

抜け出したくても抜け出せない、ひきこもる中高年の苦しみの告白でした。

本記事では、あるひきこもり女性とその家族を通じ、ひきこもりの“家族”だからこそ伝えられる「8050問題」の現実を伝えます。

 

■人も社会も怖くなった…18歳の時、ひきこもりに

91歳の父と暮らす52歳の娘・敬子さん

2019年。愛知県の市営団地で91歳の父と暮らす52歳の娘・敬子さん。

“敬い 敬われる子に育つように”と願って名付けられた4人兄弟の末っ子です。

敬子さんは昔から人と話すのが苦手で、感情を表に出せません。専門学校を1年ほどで退学し、工場でのパート勤務も話さないことで簡単なことしかできず、2年で辞めさせられました。当時18歳。人も社会も怖くなりました。「明日からは…」とずっと思ってきましたが、ひきこもり続けています。

敬子さん「みんなは結婚したり、働いたり、子どもがいたりしていると思ったら、自分だけ何も変わっていない。自分だけ“おいてけぼり”というか、変わってないというか、いつまでも一緒というか」

■家族を“1人で”支える91歳の父「なんでこんな世の中に」

1日のほとんどスマホが手放せない敬子さん

敬子さんの話し相手は父だけ。

父は大手メーカーを定年退職後、余生をゆっくり過ごすはずでした。しかし、2005年、77歳のときに認知症の妻に先立たれ、それからというもの、父はずっと1人で家事をこなしています。普通は子どもが親の面倒を見る年齢…。しかし、父はいつしかそんな希望すら抱かなくなっていました。

家族の食事をコンビニに買いに行くのも父。帰宅しても、敬子さんからは御礼のひとつもありません。敬子さんはスマホに夢中…。しかし父は怒りません。

父「半分あきらめた。今でも働いてもらいたいとは思いますよ。自分のことは自分で決める。それが強すぎたんですかね」

一方の敬子さんは、「働きなさいと周囲から言われたら言われたで嫌なんだけど、何も言われなくなったらなったでちょっとさみしい…」と話します。

生活は月18万円の父の年金だけが頼りです。生活保護など行政からの経済的支援は受けていません。家賃2万4000円の市営住宅。節約のために洗濯は4日に1回、入浴も2日に1回。敬子さんの将来のため、毎月1万6000円ほどを娘の年金にあてています。

生活を切り詰めるのにはもう1つの理由がありました。父は、63歳の長男の面倒も見ています。長男もけがにより55歳で仕事を辞めた後、ひきこもるようになっていました。さらに、長男は勝手に父の年金に手を付け、ギャンブルやタバコなどに費やしていました。月に5万円。父には切り崩す貯金すらもうありません。

父「一生こんな生活だったような気もしますね。ともかく毎日毎日生きていくだけですね。何にも望みません。1日ゆっくりできればそれだけでいいです。お金のことを考えないでゆっくりできれば、それだけでいいです。なんでこんな世の中になったんかな」

■社会問題にもなった『8050問題』 「いざとなればkoroす」死と向き合った父

自殺を図った当時の思いがつづられた父の日記

まだ子どもの面倒を見ている――

2016年、現実に嫌気がさした父は近くの山に足を運びました。

「ひとりで死のう」

自殺を考えていました。

父の日記には当時の思いがつづられています。

「刃を腹に当てる。迷う」

「一週間、死のみを考えても死ねなかった」

「生きることは難しい。どんなに恥をかいても生きていくのか」

 

1週間後、山で焚火をしているところを発見されました。

死にきれなかったといいます。

黙っていても、「死」と向き合わざるを得ない年齢。そんな年齢になっても自ら死を選ぶほかない境地でした。誰かに相談できなかったのでしょうか。

父「嫌なことはなるべく言わないほうがいいだろうなぁと思っていますね。自分の意志でなくこの状況になったのなら助けてくれと周りに言うかもしれないが、これは自分で勝手になったことだから。世の中に許してもらいたい。しょうがない子どもを作っちゃったということを」

家族が高齢化し80代の親が50代のひきこもりの子を支える「8050問題」。2019年には、キャリア官僚だった父が、ひきこもりがちだった息子を殺害するなど、社会問題になりました。

父「自分が子どもの面倒を見るのが限界になれば、いざとなれば殺す以外ないと思いますね。自分の子どもだからこそ」

■親への支援こそが重要 周りに甘える勇気も必要

NPO法人ふらっとコミュニティ(山口・宇部市)

精神看護の専門家で、8050問題の解決に取り組む山根俊恵さんは、「子どもだけでなく、親への支援こそが最も重要」だといいます。山根さんは理事長として12年前に「NPO法人ふらっとコミュニティ」を山口県宇部市に設立し、子どもだけでなくひきこもりで悩む親も含めてひきこもりの当事者たちと向き合っています。

ひきこもりの子どもに対して将来の話をすると、逆鱗に触れる可能性があるため、子どもに相談しづらい親が多く、立ち止まることが多いそうです。しかし、そのような悩みは、一人で解決できるものではありません。周りに助けを求めたり、甘えることが解決の第一歩だと訴えます。

山根さん「ひきこもる本人に外に出るよう働きかけるのは家族であっても難しく、親の些細な一言が子どもを刺激するかもしれません。そうなると、流れを変えるためには親が意識を変える方が早い。待てば良いとか、子ども自身がそのうち動くだろうってのは絶対にない」

■“家族”だからこそ伝えられる『8050問題』の現実

時折家族を見に来るもう一人の兄・俊光さん

ある日、敬子さんのもとに、離れた場所で暮らしているもう一人の兄・俊光さん(57)がやってきました。心を閉ざしてひきこもる長男や敬子さん、そしてなにより父のことが心配で、月に1回ほど実家を訪れます。

俊光さん自身こんな家族から目を背けたいと思っていました。実は俊光さんも10年前、過労が原因で心を病み、仕事を辞めたことがあります。社会で生きづらいと感じた過去があるからこそ、周囲の関わり方がいかに重要か身をもって感じていました。そんな俊光さんは引きこもる兄や妹、そして彼らを支える父を見ていて、「父や兄妹が変わるのを待っていたら家族は崩壊する」――そう感じたと言います。そして、自分たちの家族だけでなく、他にも同じ悩みで苦しむ人がいるのではないか。そう感じ、心を閉ざす人の“居場所”を作ろうと「NPO法人名古屋サーティーン」を立ち上げました。

この団体でのルールはお互いに干渉しすぎないこと。悩みを探り合わないこと。スポーツなどを通じて人と接することに徐々に慣れていけるよう取り組みます。

また、定期的に開く当事者同士の勉強会では、すべてをさらけ出します。

俊光さん「私の家族は、一切外部の支援を受け入れてくれなかったです。私がどんなに『保健所は味方だから、相談にのってくれるから』と言っても、敬子さんは『来るな、来たら殺す』、そんな感じだったんです。父親からも『そっとしておいてくれ』と手紙が届いて。民生委員さんも心配だから実家を見に行ってくれたのですが、『ご家族の方は?』と父親に聞くと『仕事いってます』とうそをつくんですよね。本当にうちの実家はいつ事件が起きてもおかしくないような現状でした」

家族”以外の人が関わる大切さ。

そして、“家族”だからこそ伝えられる『8050問題』の現実――

■誰しもが当事者 求められる第三者の支援

社会情勢が大きく変わっていく昨今、ふとしたことがきっかけで、誰しもが孤立状態に陥る可能性があります。

社会との接点を一度喪失すると元に戻すのは困難です。

ひきこもりに対しては、個人と社会をつなぐ第三者の介入が必要不可欠です。

敬子さんの父は、ひきこもる子どものことを、誰にも相談できず、「死」を選びかけました。

悲惨な結末を避けるために、ひきこもりの当事者だけではなく、その親が助けを求められる場所が求められています

「おいてけぼり~9060家族~」

この記事は、中京テレビとYahoo!ニュースの共同連携企画です。あるひきこもり女性とその家族を通じ、ひきこもりの“家族”だからこそ伝えられる「8050問題」の現実を追いました。


 今日もいい天気になりました。道路はほとんどアスファルトが出ています。でも、明日はまた雪のようです。
カケスの交尾も見られました。

今日の作業。


父親の悩み:子の引きこもり、暴力:長男刺殺の元農水次官に2審も懲役6年報道から

2021年02月03日 | うつ・ひきこもり

碓井真史 | 新潟青陵大学大学院教授(社会心理学)/スクールカウンセラー

YAHOOニュース(個人) 2/2(火) 18:09

■長男刺殺の元農水次官に2審も懲役6年

 同居の長男(当時44歳)を刺殺したとして殺人罪に問われた元農林水産事務次官の熊沢英昭被告(77)の控訴審判決で、東京高裁は2日、懲役6年を言い渡した裁判員裁判の1審・東京地裁判決(2019年12月)を支持し、被告側の控訴を棄却した。

 悲しい事件でした。被告は、引きこもりの息子が、小学生を襲うのではないか、親のことも殺すのではないかと危惧し、怯えたと報道されています。

■どんなに立派な親も家族のことで悩む

 被告は元事務次官。事務方のトップ。最高に偉くて社会的地位が高く、事務能力に優れ、きっと様々な人脈も持っていたことでしょう。

しかし、どんなに社会的に立派な人でも、家庭内のことは別物です。

 校長先生も、教育委員会の人も、子育てに悩みます。超一流のスポーツ選手も、高貴な家の方も、子供のことで悩みます。トップに立つ政治家も、家族のことで振り回されもします。

 医者家族が、家族の薬の依存で長年悩みぬくこともあります(「死んでほしい」とまで願った、薬物依存症の母の涙が導いた“刑務所の医師”という道)。

 社会的地位や、仕事ができることと、家族の問題は別なのです。聖書に登場する偉大な預言者も、子供のことで悩んだりしています。

むしろ、立派な親だからこそ、誰にも相談できないと悩むことがあるでしょう。

■立派な親だからこそ子供も辛い

 今回の事件でも、子供は悩んでいたようです。偉大な父親を尊敬しつつも、「お前らエリートは、俺を馬鹿にしている」「お父さんはいいよね。私の人生は何だったんだ」と声を荒げたといった報道もあります。

 立派な親だから、子供にプレッシャーを与える親もいます。親は全くそんな気はなくても、子供が意識してしまうこともあります。

 親が立派だと、子供も当然立派(好成績、一流の進学、一流の就職)になるはずだと、周囲がプレッシャーをかけることもあります。

 良い子でいて当たり前、良い成績で当たり前。そんなふうに見られて辛かったと語る子供たちもいます。

■一生懸命な子育ての問題

 子供のことで悩みぬき、子供を殺して自分も死のうとさえ思ってしまう親もいます。それは、一生懸命頑張ろうとしているからです。

 世の中には、子育てから逃げている親もいます。

「子育てはお前に任せてある」などととんでもないことを言う父親もいます。

しかし、頑張る父親もいます。

 被告は「できるだけ寄り添ってきたが、つらい人生を送らせた。息子を手にかけてしまったという罪の大きさを自覚している」と法廷で語ったと報道されています。

 一生懸命も、子供に寄り添い続けることも、良いことです。ただ、だからこそ悩みが深くなることもあります。

「誰かに相談すればよかった」と言う人もいます。その通りです。しかし、一生懸命だからこそ、周囲が見えなくなり、相談できない親もいます。子供を心理的に手放すことや、子供との間に心理的な境界線を引くことができなくなる親もいます。

■どうすれば悲劇は防げたか

 大人になった我が子の引きこもり、暴力。そこから生まれる最悪の悲劇。そんな事件は繰り返されてきました。

大人の引きこもり問題は、簡単に解決できる問題ではありません。

プライドを捨て、時には心を鬼にしてでも、問題解決を図ることが必要なこともあるでしょう。親が高齢になる前に、動けるうちに解決への糸口を見出すことも大切でしょう。

 ただ、もう一つ言えることがあるとすれば、親も自分を守ることが大切です。精神的に追い詰められないことが必要です。

 我が子からの暴言、暴力。どれほど辛く悲しいことでしょうか。暴言暴力は、私たちの想像以上に、人から冷静さと力を奪います。

 男でも女でも、どんなに社会的に立派な人でも、暴言暴力を浴び続ければ、正常な判断力を失います。そうなってしまえば、どんなに聡明で強かったはずの人でも、孤立感と絶望感に沈み、自殺や殺人さえ考えてしまうのです。

 暴言暴力から、とりあえず逃げることも大切です。そうしなければ、現実的な対応がとれません。

 今回の事件で、被告を称賛する声も一部にはあります。子供が事件を起こす前に自分でけりをつけた父親は正しいと言う人さえいます。

しかし、そんなことを考える親は、冷静さを失っています。心理的に追い詰められた末の考えと凶行です。

事件にまでなってしまうのは、氷山の一角でしょう。あなたの町にも、悩んでいる親がいます。思い詰めている親がいます。彼らの背中を押すような言動は慎むべきでしょう。

むしろ、愛があるからこそ悩み、だからもう少しの発想の転換で、事態は好転する可能性はあるのだと伝えたいと思います。

    今、日本で引きこもり状態にある人は、100万人を超えていると言われています。しかも40代以上が多いとの調査もあります。

これはもう、親だけの問題ではありません。

碓井真史   新潟青陵大学大学院教授(社会心理学)/スクールカウンセラー

1959年東京墨田区下町生まれ。幼稚園中退。日本大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(心理学)。精神科救急受付等を経て、新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授。新潟市スクールカウンセラー。好物はもんじゃ。専門は社会心理学。テレビ出演:「視点論点」「あさイチ」「とくダネ!」「サンデーモーニング」「ミヤネ屋」「NEWS ZERO」「ホンマでっか!?TV」「チコちゃんに叱られる!」など。著書:『あなたが死んだら私は悲しい:心理学者からのいのちのメッセージ』『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』『ふつうの家庭から生まれる犯罪者』等。監修:『よくわかる人間関係の心理学』等。


 なんでも「自己責任」を押し付けられる社会です。だからひきこもるし、事件も起きます。

 今日も激しい雪。

 


問われる引き出し屋の自立支援(2) 心までも搾取されていく

2020年10月29日 | うつ・ひきこもり

「あそこには、人権なんてないっすよ。」

神奈川県中井町議の加藤久美さん(52歳)は2017年の秋、あるセミナーで出会った若者から、入所している自立支援施設「ワンステップスクール湘南校」(神奈川県中井町)での扱いをこう聞いた。「やっぱりそうなんだ」と思った。

彼は、「従順にしていたから、信用されてセミナーに来られた」ということと、「スタッフに抗うと、このような外出が認められない」という話もしていた。

そこで今度は、街なかにボランティアをしに来ていた生徒にも、聞いてみた。やはり、こんな回答だった。

「(ボランティアは、)したくてやってるんじゃありません。早くここを出るためです」

彼は、ある日突然、湘南校に連れてこられたことに納得していない一人だった。卒業するにはスタッフに認めてもらう必要があり、その手段として、強制的なボランティアでも嫌がらずに参加しているという話だった。

話を聞けた何人かのなかには、「親も大金払って大変だろうから、早く出られるよう自分もがんばらなきゃ」と、親の気持ちを慮りつつ、自らに言い聞かせるように話す子もいた。

加藤さんは長年、里親として家庭的養護に取り組んでいる。ワンステにいる生徒たちの姿は、これまで出会った児童養護施設の子どもたちの姿に重なった。

「虐待で措置になった子が入れられる一時保護施設は、次の行き先が決まるまで、子どもたちを登校も外出も外への連絡も一切させません。もちろん安全のためですが、子どもにとっては、激しく不当なことです。どんなに幼くても、保護施設には、『二度と行きたくない』『次に同じようなこと(=虐待)があっても、妹や弟は僕が守る』などと言うくらい、辛いんです。人権が侵害されているってそういうことなんですよ」(加藤さん)

■ 施設の中で一体何が行われているのか

ひきこもりや無職、不登校等の状態にある人を支援対象とするワンステでは、主に、親の依頼を受けて本人を施設まで連れてくる。このプロセスは通称「ピック」と呼ばれており、その際、本人を予告なく訪ね、「説得」をしてその日のうちに連れ出すという手法を用いている。

生徒たちがある日突然連れてこられるワンステップスクール湘南校(神奈川県中井町)

ちなみに、広岡政幸校長(一般社団法人若者教育支援センター代表理事、港区)が筆者の以前の取材に語ったところによれば、ピックは「お迎え」の意味なのだそうだ。しかし、そんな丁寧なイメージの言葉とは裏腹に、筆者のもとには、意に反した連れ出しだったと被害を訴えるワンステの元生徒たちの声が届いている。

問題は、ピックだけではない。加藤さんが町で出会った生徒たちから聞いた話は、施設での扱われ方についてだった。「人権がない」などと、穏やかでない表現を使ったのだ。

ワンステ側は集団生活の目的をどう説明しているのだろうか。広岡氏は自著で、こう述べている。

ワンステップスクールはよく、「更生するための施設」と思われるが、僕らはそんなふうにはとらえていない。ここで暮らす大きな目的のひとつは、親子関係の修復だ。

子どもは親と離れて生活し、不自由な生活を経験することで、初めて親のありがたみがわかるものだ。親に反抗し続けて、ずっと口をきいていなかった人たちも、しばらくたつと意識が変わってくる。

また、長期引きこもりをしていた人は、原因が複雑化してわからなくなり、精神面もぼろぼろになっていることが多い。立ち直るためには、自分を見つめる時間や問題を一つひとつ整理するための時間が必要だ。

その冷却期間のようなものがワンステップスクールでの集団生活だ。

出典:『大人の「ひきこもり」を救え!』

そして、その寄宿型の集団生活が、「決して自由な生活ではない」理由を「決まったタイムスケジュールに沿って暮らすため」と結んでいる。

しかし、加藤さんが農業セミナーで出会った若者が言っていたのは、こうしたスケジュールによる不自由さの話ではなかった。

彼は「スタッフに抗うと(自分に必要な)外出ができない」と言った。これは、支配関係を伺わせる表現だ。さらに、ワンステから早く出たくて、ボランティアをしていたもうひとりの若者の気持ちの裏にも、スタッフが本人の生殺与奪を握る関係があるのではと、加藤さんは感じたという。

書籍にはこんな事も書かれている。

ここで仲間たちと一緒に暮らすことで、ストレスが軽くなり、「ありのままでいいんだ」と思えるようになる。

(略)相手が大人なら、甘えたり試したりする“幅”があるが、仲間同士なら適度な緊張感を保つことができ、自然に他者への配慮が生まれる。

そんな環境で、少しずつ本人の自主性を尊重しながら、自立へと導いていくことができる。

出典:『大人の「ひきこもり」を救え!』

ここでうたわれているのは、まさに寄宿型支援の理想的な効果だ。対等な人間関係や、自律的な選択が尊重される生活があるかのように読める。助けを求めて脱走する生徒が続出している現実や、街なかで生徒たちが語った支配的な雰囲気とはかけ離れている。

内部で一体何が行われているのか。加藤さんはもう少し本当のことを知りたくて、主婦スタッフたちの情報も集め始めた。

小さな町のことだ。主婦コミュニティの中で「どんな愚痴を言っていたか」まで、あっという間に伝わってきた。わかったのは、支援の手法を目の当たりにし、生徒たちとも実際に接してきた主婦スタッフたちが、それぞれ、ワンステのやり方に疑問に感じながら悩んでいる様子だった。それでも、家庭の事情で働き続けないといけない状況だったり、やはりおかしいと思って辞めてしまったりしているということだった。

■ 誰も彼らに労働の対価を払おうとしない

2018年6月、町の大きな公園にカフェができた。指定管理者が掃除を任せたのは、ワンステの生徒たちだった。2.5キロほどの距離がある寮と公園の間を、毎日夕方になると、ゾロゾロと連れ立って歩く生徒たちの姿が見られるようになった。

生徒たちのボランティア姿は、すでに町のあちらこちらで見かけるようになっていた。

しかし、同年12月に集団脱走からトラブルになっていることを伝える記事と、翌年7月に脱走者の一人の告発記事が出た。するとカフェの掃除ボランティアを除き、町の人たちは、ワンステとの関係をやめていった。

「潮が引くようでした。『実は、頼まれたが断り方がわからなかった』とか、『断る理由がなくて受け入れていた』とか、後になってから言い出す人たちがいました。私は、『ただの労働搾取じゃないか』と思ったんですが……」(加藤さん)

ボランティアを買って出たのはワンステ側だが、あちらこちらで繰り返し働かせておきながら、施設側も、町の人達も、誰も生徒たちに対価を支払おうと努めたようには、加藤さんには見えなかった。

「こうなってしまった背景には、社会的に必要な施設だと信じて、生徒たちを受け入れようした地域の心があったはずなんですが、悲しいことに、その形は歪んだままでした。搾取は労働だけではありません。ワンステでの生活は嫌だけれど、迷惑をかけた親のためにと我慢を続ける子の心。ワンステを支援のプロ集団と信じて託した、子の自立を願う親の心。それぞれのそんな良心までも搾取するのが、彼らのビジネスモデルなのかなって……」(加藤さん)

ワンステの自立支援は金のかかるビジネスであることを、広岡氏は著作で認めている。しかし、本当の原資は、突然「支援」対象者にさせられた人たちの犠牲なのではないか。そんなワンステ流の介入を受け入れ、「自立」に至った人の「成果」だけで、ワンステを評価してはいけないのではないか。加藤さんの疑念は、ますます深まっていった。

■ 元生徒たちを支援して

町で生徒たちの声を聞ける機会が減ったため、加藤さんはいま、地域の人たちと、「こんな子が入ってきたようだ」「非常に心配な様子の子がいる」などと情報交換している。ここ1年ほどで気になっているのは、長期入寮者や、専門的なケアが必要そうに見える子が増えている傾向だ。

「広岡さんの『本人を矯正することで治して、悩んでいる親を救う』というやり方で、みんなが本当に救済されているならいいんです。でも、とてもそうは見えてこない」(加藤さん)

そう感じるのは、実際に、ワンステを出た2人の若者たちを、個人的に支援しているからだ。

ひとりは、関東地方出身の30代の男性。今では「ピックは外に出るきっかけだった」と振り返る彼も、「ワンステには、まともな支援がないことが大きな問題だ」と話す。

湘南校では、スタッフから数々の妨害に遭いながら、時間を掛けて自らの知恵を使って、寮からうまく出られた。経済的にも精神的にも自立した今も、「これ以上の被害が出ることを食い止めたい」という思いは持ち続けている。ピック当時は、精神疾患の症状が悪化していて、親に迷惑をかけてきた自覚はあるが、ワンステに入れた親とはギクシャクした関係のままだ。

加藤さんはそんな親子の間に入り、やりとりすることがある。ワンステを脱出した後に国家資格を取得するなど、努力家で聡明な彼を、知り合いの経営者に紹介したところ、採用が決まった。就労前に運転免許を取得する際も、加藤さんは、親との交渉役を担った。

加藤さんが支えるもうひとりは、沖縄から連れてこられ、ワンステから身ひとつで脱走したハタチの若者だ。関東で初めての冬を越えようとしていた彼に、加藤さんは暖かい上着を用意し、関東に身寄りのない若い彼が孤独に襲われていないかなどと心配しながら、一定の距離から見守っている。その一方で、母親ともやりとりを続けている。

この親子は、以前は、普通の会話ができていた。しかし、ワンステの介入後、関係がさらに悪化し、ともに苦しんでいる。

「どうしてあんなところに入れたんだ」「ただ存在を認めてほしいだけなのに」という思いが強い本人と、「そうでもしないとあなたは自立しようとしなかった。だから自分は正しい」と、つい支配的に振る舞ってしまう母親。加藤さんには、両者は表裏一体に見える。二人には、「しばらく、直接会わない/話さない」ことを提案しているところだ。

■ 「施設なくせ」では解決しない

中井町議の加藤久美さんは、個人的にワンステの元生徒の支援を続けている

結局、ワンステが受け止めきれなかった事案を、町の個人が引き取っている。加藤さんは、個人的に支援を続ける理由をこう話す。

「現実的な問題として、ワンステに連れてこられる人は、家に居場所がない状態の人なんですよね。ならばせめて、自分の意志で生活を切り替えたり、行き場所を見つけたりできればいいんですが、何人の生徒に聞いても、どうやらそんな支援ではない。私が彼らの『ワンステ後』に寄り添うのは、単に、『施設をなくせばいい』とか、『引き出し屋を町から追い出せ』という単純な話で、済まないことだからなんです」

地元の中井町も、法的規制がないことから見守るしかない立場だ。湘南校から徒歩圏内にある町役場は、被害を認識する生徒たちが助けを求める先の一つでもある。こうした経緯から、役場はワンステの問題はある程度は把握している。

ある職員は、こうため息をつく。

「手続きなどで、まれに、役所の方から親御さんに連絡を入れることがあるのですが、『子どものことで電話をしてこないでください』などと、拒絶されることも多いんです。まるで、『姥捨て山』ならぬ『子捨て山』といったらいいでしょうか。それが、お医者さんや学校の先生などの、地域で尊敬されたり偉い立場の方だったりすることも多くて、本当に驚きます」

家庭の中で弱い立場の本人が居場所を奪われてしまう背景には、親子関係のもつれと、人権を軽んじる社会の価値観があると、加藤さんは言う。引き出し屋が、こうした構造に加担する時、新たな被害が生み出されてしまうことがあるのだ。

「やっぱり、一方的に押しかけて、追い込んで自立を迫るあのやり方は、ダメ」

加藤さんはそう言って、自ら何度もうなづいた。

筆者は本稿掲載にあたり、広岡氏に対し、支援等に関する質問を送ったが、期限の22日までに回答はなかった。本人の意に反する「ピック」を続ける理由については翌23日深夜、代理人弁護士から、「支援対象予定者の背景事情は千差万別で、マニュアルに沿って画一的に対応できものではございません。その時々の個々の対応は一般論としてご回答できるものではございません」との回答があった。その他の質問に関するやり取りも順次紹介していく。ちなみに、広岡氏は、筆者の過去の取材や自著、これまでの各社報道では、意に反する引き出し行為そのものを否定している。

 

加藤順子

ライター、フォトグラファー、気象予報士

学校安全、防災、対話、科学コミュニケーション、ソーシャルデザインが主なテーマ。災害が起きても現場に足を運ぶことのなかった気象キャスター時代を省みて、取材者に。主な共著は、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)、『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)、『下流中年』(SB新書)等。

https://news.yahoo.co.jp/byline/katoyoriko/

問われる引き出し屋の自立支援(3) 監視カメラの死角で、脱走計画を立てた

問われる引き出し屋の自立支援(4) 沖縄の若者たちはなぜ狙われたのか


 冬に向かってまっしぐら! そんな感じのこの頃。地面に落ちている葉っぱも日々多くなっています。この2,3日少し風邪気味。のどが痛くなったり頭痛がしたり。臭覚に異常はないので、あちらではないと思うのですが・・・。季節の変わり目です。皆様もどうぞご自愛を!


相次ぐ引き出し屋の被害(上)ひきこもり自立支援施設の手法は拉致・監禁、元生徒7人が初の集団提訴へ

2020年10月26日 | うつ・ひきこもり

加藤順子:フォトジャーナリスト、気象予報士

 News&Analysis   2020.10.25 

    ひきこもりや無職等の状態にある人の自立支援施設を運営する団体とそのスタッフに対し、今月28日、関東在住の元生徒7人が集団で提訴する。7人は、ある日突然、自室に現れたスタッフらに、ひきこもりや無職等の状態であることを理由に、施設で自立支援を受けるよう迫られ、「強引に連れ出され、抑圧された生活を強いられた」などと主張している。(ジャーナリスト 加藤順子)

 

ひきこもりや無職等の状態を理由に

寮に連れ出された7人が集団提訴

 ひきこもりや無職等の状態にある人の自立支援施設として知られる「ワンステップスクール(以下、ワンステ)」を運営する、一般社団法人若者教育支援センター(東京都港区、広岡政幸代表理事)とそのスタッフに対し、今月28日、関東在住の元生徒7人が集団で提訴する。

 広岡代表の著書によれば、同校は2008年設立で、神奈川県中井町や静岡県御殿場市に主な拠点を構える。元生徒7人は、ある日突然、自室に現れたスタッフらに、ひきこもりや無職等の状態であることを理由に、同社の施設で自立支援を受けるよう迫られ、「強引に連れ出され、抑圧された生活を強いられた」などと主張している。

 集団提訴に踏み切る元生徒7人は、関東在住の20〜40代の男性。入寮は17〜19年とバラつきがあり、サポート期間も、最短で3週間あまり、最長で2年2カ月と幅がある。

 同センターは「ピック」と称し、家族の依頼を受けた数名の男性スタッフが支援対象者本人を予告なしにいきなり訪れ、そのまま寮に連れ出す手法を用いる。このため、俗に「引き出し屋」などとも呼ばれている。

 元生徒7人のピック場所は、東北地方から沖縄本土にわたり、同センターの活動範囲の広さを物語る。そのうち5人は、17年11月から19年12月までに中井町の湘南校からそれぞれ脱走し、福祉施設に保護された経緯がある。また、サポート期間中に、湘南校から神奈川県内の精神科病院に医療保護入院をさせられた30代男性もいる。

筆者は広岡代表に対し、意に反して連れ出すピックや、自由を奪って生活を強いる支援に関する違法性の認識について問い合わせたが、23日(金)17時の期限までに回答を得られなかった。同代表はこれまでも、本人の意に沿わない引き出し行為について、自著やメディア各社取材で繰り返し否定しており、訴訟の争点の1つになるとみられる。

 同様の支援手法を用いる業者は各地に存在するが、なかでもワンステは、突出して被害を訴える元生徒の数が多い。ある日突然のピックのみならず、主な拠点である湘南校や、職業訓練校である御殿場校での寮生活やプログラムについても、元生徒たちから批判の声が上がっている。

 代理人の一人である徳田暁弁護士(神奈川県弁護士会)は、「声を上げられずにいる被害者が他にもたくさんいるはず」とみて、提訴翌日の29日には、専用ダイヤルを設置し、被害情報を集める予定だ。

代表のカリスマ化と市議選出馬に

危機感を募らせる被害者たち

 広岡代表は今年2月、拠点のある御殿場市の市議会議員選挙に無所属で出馬した。当選には至らなかったが、わずか7票差の次点という結果に、ワンステに対する強い被害感情を持つ元生徒たちの間では大きな衝撃が広がっている。

「選挙の結果に、恐怖を覚えました。彼が、表向きの支援の良い部分だけを語って市民の代表に選ばれてしまうことは、とても危険なことです。ワンステで実際に何が行われてきたのか、その違法性を知ってもらうためにも、やっぱり訴訟をしなければと思ったんです」(30代被害者)

 広岡代表は、17年春に自著を出版したほか、インターネット上でも法人サイトとは別に、個人サイトの運営や動画チャンネルの開設、SNSの個人ページ開設などセルフプロデュースに余念がない。

 そんな発信力のある同代表の、若く、熱意のある支援者としての姿は、メディア各社がこぞって好意的に取り上げ、「ひきこもり」に関する凄腕の解決人のように扱ってきた。

 しかし、ここ数年は同センターの支援手法に対し、広く疑問の目が向けられるようにもなってきた。きっかけは、16年3月21日に「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日系列)で放送された激しいピックの様子だった。

広岡氏が、長年ひきこもり続ける40代当事者の部屋のドアを素手で叩き壊し、「降りてこい!」などと怒号を浴びせた上、抵抗を続ける本人を7時間にわたる「説得」で追い込む。こうしたシーンが放送されると、Twitter等で「暴力的だ」などと炎上したのだ。

 翌4月には、『社会的ひきこもり』等の著作のある精神科医の斎藤環氏が、ひきこもり経験者や研究者、ジャーナリストと共に会見。「『支援という名の暴力』を好意的に報道するのは人権意識が欠けている」などと、放送内容を批判する事態にまで発展した。

 批判を受けた広岡氏は、粗暴な振る舞いがあったとして、謝罪の意を公表したものの、TVタックル問題のほとぼりが冷めた翌年の17年7月頃から、再び、テレビメディアに取り上げられるようになった。いずれの番組も、ひきこもる当事者を「家庭に迷惑を及ぼす存在」として批判的に見せる一方で、同センターや広岡代表の活動を好意的に扱った。そして、ひきこもる人々を無理やり引き出すかたちでの支援のリスクに触れることはなかった。

 19年に立て続けに起きた「川崎市登戸通り魔事件」や元農水省事務次官が長男を殺害した「練馬事件」では、メディアの報道が「ひきこもり」を巡って過熱。その際も、ワンステの特集を組み、広岡氏をスタジオゲストに呼んで「ひきこもり」にまつわる社会的課題について解説させた情報番組もあった。

 こうしたメディアの風潮や広岡代表の政治活動に、訴訟に参加する被害者の一人はこう危機感を募らせる。

「テレビで報道されるワンステと、施設内で行われていることは印象が全く異なります。ワンステは広岡さんの出世の装置で、僕たちは、そのための道具にされているだけな気がする」

引き出し業者の介入で

決定的に悪化した家族関係

 広岡代表は自著の中で、ピックした人々を施設で集団生活させる目的について、「親子関係の修復」と述べている。ところが皮肉なことに、全く逆の結果に至る例も少なくない。

今回、集団提訴を決意した7人のうち、2人が過剰な介入を止めるために親に対して調停を申し立てた。調停に至らなくても、親子関係が断絶したり、やりとりはできても非難の応酬になり、対話の端緒がつかめなくなったりするなど、ピック以前に比べて、関係性がさらにこじれた親子が複数組いる。

「つい最近の調停では、母親が『戻ってきて』と言ったのに、過度な干渉を嫌った子の側が受け入れず、『手紙だけは受け取るが、返事も連絡もしない』という結果になってしまいました」(20代男性の調停代理人)

 いわゆる引き出し業者による被害を訴える人たちは、時に「拉致」「誘拐」「だまし討ち」「収容所」「人権侵害」といった表現を使う。突然の連れ出しや、監禁・軟禁・監視下での生活がトラウマとなり、施設脱出後もフラッシュバックや悪夢に苦しんだり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で働けなくなったりした人も少なくない。

 広岡氏は自著の中で、予告なく本人を訪れ、同センターの支援を受け入れるまで「説得」することを「訪問支援」と称し、その日のうちに寮に入れることを、「保護」だと主張する。

 契約した親たちも、「自分は悪くない」といった思いを抱きがちで、ワンステの介入によってわが子との関係がたとえ深刻化したとしても、なぜか広岡氏を「恩人」と捉える向きがある。

 一方で、ワンステの一連の強引な支援を「被害」と認識する生徒たちは多く、その間には認識の深い溝が存在する。

 多数のワンステの元生徒や複数の元スタッフの話によると、提訴する7人が暮らした湘南校には、施設の内部に監視カメラやセンサー付き警報機が多数取り付けられているという。一切の金銭や身分証、通信手段を取り上げられたまま寮生活が始まり、働く先の選定や自立のタイミングまで、スタッフの指示や親の意向に従わなければならない。スタッフに逆らったり脱走が見つかったりしたら、「考査部屋」での内省生活という「罰」を受けることや、精神科病院に医療保護入院させられることもあるという。

 生徒たちの中に強い被害感情が生まれるのは、このような、非自律的で、一人一人の尊厳が守られているとは言い難い手法を、ワンステが「支援」として用いているからだ。その支援がうまく当てはまり、精神的・経済的の両面で自立を果たしていく人もいるが、「被害」の声が出続ける現実を見逃すわけにはいかない。


なめこ?


引きこもったわが子と食事ができるように、両親が守った「社会的距離」

2020年07月24日 | うつ・ひきこもり

池上正樹:ジャーナリスト

 DIAMONDonline 2020.7.23 ライフ・社会 「引きこもり」するオトナたち

 4年生のときに大学を中退し、それ以来引きこもり状態になった息子。そんなわが子を焦らず、慌てず、あきらめずに見守り続けてきた両親がいた。今は家族で一緒に食事をできるようになったご両親は、息子に言われて「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」を守ってきた。新型コロナウイルス感染防止の話ではなく、「親の子どもに対する介入の距離感」だ。(ジャーナリスト 池上正樹)

 

より多くの人が再現できる

引きこもり支援とは?

 前回の連載記事『引きこもり生活20年の40代兄が仕事で社会とつながるまで、妹の奮闘記』で、妹が20年以上にわたって引きこもってきた兄へのアウトリーチ(支援対象者への働きかけ)実践記を紹介したところ、引きこもっている本人やその家族らから数多くの反響が寄せられた。

 その妹は、家から出られない兄の心情に配慮し、「就労移行支援事業所のリモートワーク」ともいえる自宅の中で仕事ができる手法を編み出し、兄と社会とのつながりをつくりだした。

 筆者の元には「妹さん、すごい」という感動的な反応が多かった一方で、「家族がここまでやらなければならないのか…」という、ため息のような声も聞かれた。

 より誰にでもできるような、引きこもり支援の手法とはどのようなものか。そして、その手法をどのように共有していけばいいのか。

 筆者が7月16、17日に生出演したNHKの「クローズアップ現代+」と、「ネタドリ!」という2つの番組では、山梨県の精神保健福祉相談員である芦沢茂喜さんが当事者家族を訪問するシーンが紹介されていた。映像の中では、芦沢さんが引きこもる本人に向かって、部屋のドア越しに「私はそんなに偉い人ではないし、アドバイスできることもない」「ただ、今、何か困り事があるのではないかと思って…」などと、偉ぶらずに声をかけるシーンが印象的だった。

 国は、今年度から32億円の予算を付けて、引きこもっている人の訪問支援の強化に乗り出している。しかし、いろんな事情で引きこもり状態になっている本人からすれば、いきなり見知らぬ人が押しかけてきて、出てくるよう声をかけられること自体、恐怖でしかない。「支援」は、何かしらの暴力性をはらんでいる。

「支援」に評価基準はない。従来は、例えば「半年以内に就労させる」などの数値化されたノルマがあり、支援者側が数値を上げようと焦って先回りして結論を急ぎ、本人を傷つける事態が起きていた。

 しかし、本来の「支援」は、1人1人の中にある傷や恐怖に向き合っていかなければいけない。それには、丁寧なやりとりを通じて本人の意思を1つ1つ確認していく作業が必要で、膨大な時間や手間がかかる。

 評価の基軸はそれぞれが「幸せになる」ことであるはずなのに、それは数値化しにくい。

 山口大学大学院医学系研究科の山根俊恵教授は、月1回の家族心理教育実践編を5グループも開催していて、全国から家族が相談に訪れる。拠点になっているのは、山口県宇部市にあるNPO「ふらっとコミュニティ」で、ひきこもり家族会や居場所なども開設している。

 そんな山根教授が最近、ある父親から嬉しい報告をメールで受け取ったという。家族心理教育に参加している母親の話だ。

両親の息子は、大学を4年生で中退し、引きこもり状態になった。

 息子は部屋からまったく出てこなくなり、生活音もしない。生きているのかどうかも分からない。声をかけても返事がない。何年も顔を見ることができず、母親は毎日食事をドアの前に置いて「お供え」をしている状態だった。

 山根教授は家族心理教育で、少しずつ引きこもった本人が自分で動きだせるように、親の対応や声がけの方法を具体的に伝えた。

 親が不在の時に1階に降りてきた形跡があった段階で「お供え」をやめ、「ごはん用意してあるよ」と声だけかけて、親は部屋から出てこないようにする。そうすると、息子は1階に食事を取りに来るようになった。親がいないときには部屋の扉が開き、犬の散歩を始めた。さらに、足音などの生活音が親にもはっきり聞こえるようになった。

 最近では、親がメモで依頼すると洗濯物の取り込みなどができるようになった。7月に入ると、息子は自ら部屋から出てきて両親と話をするようになった。この日から、親子で食事も一緒にしている。

 山根教授は、母親と出会ってから2年間、一緒に頑張ってきた。焦らず、慌てず、あきらめない。本人が動けるように仕掛けて、積極的に待つ。そうすることによって、少しずつ引きこもっていた息子が変化してきたという。

 7月19日、山根教授の家族心理教育の日曜グループにてこの母親が、顔を合わせることができなかった子どもと食事ができるようになるまでの報告をすると聞き、筆者もオンラインで参加した。

 ある日、父親がリビングに座っていると、息子が突然2階から降りてきて、父親と話をしたのだという。母親は仕事先で不在だったが、父親から「今、息子と話をしている。帰ったら、“ご飯誘ってあげて”」とLINEのメッセージが届いた。予期せぬ出来事だった。

 母親は職場で長い間、自分で書き溜めてきたノートを取り出し、「言ってはいけないこと」や「踏み込んではいけないこと」を復習。落ち着いて臨もうと自分を戒めた。

帰宅すると、息子は普通に話をしてくれた。「抱きついてはいけない」というアドバイスを思い出した。その衝動を抑え、普通に接することの方が大事だと実感した。

 息子はご飯を一緒に食べ、話をしてくれる。家の手伝いもしてくれるようになった。山根教授から、「生きる力を伝える」と教わっていたので、一緒にご飯を作ったり、買い物に行ったり、家の手伝いにも参加してもらっている。

 親子の会話は、長年途切れているとお互いに緊張する。しかし、テーマをつくることによって会話ができるようになった。

 息子からは「ソーシャルディスタンス(社会的距離)を守ってくれ」と言われる。これは、新型コロナウイルス対策の話ではなく、親の介入に対する距離感だ。

 母親は、こう話す。

「山根先生から『出てくることも引きこもることも本人の意思です。強引に扉をこじ開けるのは違う』と言われ、本人が出ようと思うまで待とうと自分でもそう思えたときから変わってきたのかもしれないですね。先生から『大丈夫だ』と言われ続けたことが支えになり、私たち親にもゆとりが生まれたのかもしれない」

 止まっていた時間が、動き出した。

「つらい思いをさせて、悪かったね」

 母親が言葉をかけると、こう息子は答えたという。

「お母さんは、ドアの前で『悪かった』と言っていたけど、『それは違う』と、いつか伝えたいと思っていた。つらかったところに帰るのではなく、前に向かって歩きたいから」

 引きこもり支援は、本人を外に連れ出そうとか変えようとするのではなく、まず疲弊した家族の支えになって寄り添い、本人の状況に応じた対応や声がけなどをサポートしていくことが大切だ。

※この記事や引きこもり問題に関する情報や感想をお持ちの方、また、「こういうきっかけが欲しい」「こういう情報を知りたい」「こんなことを取材してほしい」といったリクエストがあれば、下記までお寄せください。

Otonahiki@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)

 なお、毎日、当事者の方を中心に数多くのメールを頂いています。本業の合間に返信させて頂くことが難しい状況になっておりますが、メールにはすべて目を通させて頂いています。また、いきなり記事の感想を書かれる方もいらっしゃるのですが、どの記事を読んでの感想なのか、タイトルも明記してくださると助かります。


今夜8時、全国花火大会。1分半ほどの短いものらしい。3密を避け場所等は不詳。

今日もお散歩中止。
歩こうと100mほど進んだところで膝に違和感。戻ってきました。

朝収穫して井戸水で冷やしたスイカ。やっぱり夏はこれでしょ!

 


「こもりびと」(ひきこもり)

2019年12月06日 | うつ・ひきこもり

「引きこもり」を「こもりびと」に言い換えたら支援窓口に相談殺到のワケ

  池上正樹:ジャーナリスト

 DIAMONDonline 2019.11.28


引きこもり」はイメージが悪い

温かみのある名前に変えた大和市

 「引きこもり」という名称を巡っては、名詞形のレッテルで偏見につながるとの批判から、他のイメージのいい名称に変えたいという議論が以前からあった。

 そんな中、神奈川県大和市は、2019年10月から、「ひきこもり」を「こもりびと」というネーミングに変えて相談窓口を開設したところ、1カ月で28人の相談があったという。

その内訳は、本人が11人、親が13人、兄弟姉妹や親族などが4人。引きこもる本人の年齢は、40代以上が21人、10年以上の長期者も10人に上った。1カ月の延べ件数では、窓口に来訪した人は22件、電話での相談は17件だった。

 相談者からは「こういう窓口があって良かった」「話を聞いてくれるだけでもうれしい」 などと評判も上々だ。

 市では。せっかくつながった相談者を生活困窮者自立支援窓口や精神保健福祉センター、サポステなどの就労支援、介護などを行う地域包括支援センターといったメニューも用意し、本人の希望に寄り添って様々な支援につなげている。

 きっかけは、5月末の川崎の通り魔事件からの一連の事件以降、報道による関心の高まりを受け、議会で「引きこもり」に関する質問が相次いだこと。内閣府が3月末に公表した実態調査の結果、全国で推計61万3000人の中高年者が「ひきこもり状態」にあると推計されたこともあり、当事者やその家族が抱える課題に対応する必要もあった。

しかし、「引きこもり」という名称だとマイナスのイメージに捉える人もいる。そこで、1人の人として寄り添いたいとの思いから、より温かみのある「こもりびと」という呼称を大木哲市長が命名。「大人のひきこもり」の相談窓口として「こもりびと支援」窓口を開設したという。

対象は、国の定義する「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6カ月以上続けて自宅にひきこもっている状態」に準じて対応している。

 窓口には、「こもりびとコーディネーター」として専任の職員1人を増員。当事者やその家族の相談に応じるとともに、事例により担当課や関係機関への同行など、相談者に寄り添った支援を行っている。

 これはもともと潜在的なニーズに応える施策であったため、どの程度反響があるのか未知数だったものの、開設直後から多くの相談が寄せられている。

きっかけは川崎事件

当事者や家族に居場所を

 市では当初「大人のひきこもり」を想定していたものの、現在は対象者が若年者であっても、年齢にかかわらず、窓口で対応。教育委員会と連携することもあるという。

「今後は、当事者や家族の居場所も含め、ヨコの連携を構築していきたい」(健康福祉部 健康福祉総務課 山中崇史さん)

一方、3年前、駅近くに誕生した図書館や文化ホールなどの複合施設「シリウス」は、延べ来館者が900万人を超え、市民の居場所になっている。そこで、外出できないと言っていた当事者にシリウスを紹介したところ、実際に「行ってみた」という反応もあったという。

 長年「引きこもり」に代わる名称がなかなか見つからなかっただけに、大和市はなかなか上手いネーミングを付けたものだと思う。


 わたしも勝手、当事者らしき人から「抗議」のコメントをいただいたことがある。たしかに「ひきこもり」という呼び方には違和感があったのだが、それに代わる言葉が思い浮かばなかった。これならいいかも・・・?

 さて、「腰痛」持ちはフォロワーさんにもたくさんいる。
ちょっと気になる記事が
あったのでご紹介いたします。
以前にもパクチー
のことで紹介したことのある
「猫と私の自然療法養生記」https://neko-tenshi.com/
「腰痛ぎっくり腰は胃腸と怒りが原因!副作用のない安全手当て
  2019.12.6更新
氣になる方はご覧になってください。

昨日の朝。(昨日のブログにUPするのを忘れた)

30cm以上ありました。
以下は今日の江部乙です。



もし学校が怖いと感じるならば・・・

2019年08月31日 | うつ・ひきこもり

ハフポストあのひとのことば

2019年08月30日 

不登校は人生の“詰み”ではない。『不登校新聞』編集長が伝えたいこと

300人を超える不登校の子どもや若者、親の話に耳をかたむけてきた『不登校新聞』編集長の石井志昂さんが、夏休み明けの子どもの心境を“子ども目線”でつづってくださいました。

 夏休み明けが重なる「9月1日」は子どもの自殺が1年で最も多い日です。いまも苦しい気持ちを誰にも打ち明けられずに、学校へ向かう子がいるかもしれません。

そこでこのブログでは、夏休み明けの子どもの心境をお伝えするとともに、「不登校は人生の“詰み”ではない」ことをお伝えできればと思っています。

まずは、ここで前提としている「9月1日」の意味からお伝えします。



2015年8月に発表された「自殺対策白書」によると、1972年〜2013年の42年間で、9月1日に自殺した子どもは131人。平均の2.6倍と突出しています。調査分析したのは森口和研究員(現・自殺総合対策推進センター所属)でした。 

夏休み明けのこの時期、なぜ自殺が集中するのか。それは私たち『不登校新聞』が取材してきた不登校の子どもたちの心境からうかがい知ることができます。

必死で通っている時には感じない「苦しさ」に気づく 

夏休みに入ると、子どもは大きな解放感を得ます。それは学校に苦しさを感じていない子も同じだと思います。

学校へ行くのが苦しい子の場合、夏休みに入った直後、長い睡眠時間をとったり、強い倦怠感に襲われたりします。学校へ通っていたころの緊張と疲労が一気に噴き出すからです。

こうした「休息」が充分にとれると「学校での苦しさ」を自覚します。毎日、がんばって学校へ通っている時は必死なので、「苦しさ」を感じないことが多いのです。

「苦しさ」の中身は、いじめや、いじめとは言えなくても教室内の人間関係でついた心の傷、勉強への重圧、部活や先生についての悩み、親からの期待に応えられなかったという自責の念などです。

子どもがそうした「苦しさ」を感じ始めるのが、お盆明けごろです。

俗に「学校へのカウントダウン」とも呼ばれていますが、苦しさを感じていた学校へ「あと〇日で戻ってしまう」という気持ちが芽生えるからです(東北や北海道では、より早く休みが明けるのでお盆前にカウントダウンが始まります)。 

学校への不安感、恐怖感がしだいに募っていく感覚を「地獄が迫ってくる感じ」「ジェットコースターが落ちる前の感覚」だと表現していた子どもたちもいました。 

そして、緊張感や不安感が最も高まるのは夏休み明けの前夜です。

じつは子どもの自殺も夏休み明けの前夜がもっとも多くなります。「9月1日」が多いと言われていますが、本当に多いのは「8月31日の深夜」。深夜のため統計上は日付が変わって、「9月1日」が突出しているように見えるのです。 

親の直感を信じて、子どものSOSを見極める

親からすると、子どもがそれほど学校で苦しんでいるならば「SOS」をいち早く見つけたいと思うものです。子どもたちが発信する特徴的なSOSは以下のとおりです。

・体調不良を訴える(頭痛/腹痛/体の痛みなど)

・食欲不振

・不眠

・これまでやれていたことができない(夏休みの宿題など)

・大好きだったものが楽しめなくなる(本を読む、絵を描くなど)

・理由を言わずに「死にたい」「人生をやめたい」と訴える。 

「死にたい」と訴えてきた場合は別ですが、その他の理由は「夏休みだから」という理由で、つい見落としがちです。食欲不振や不眠などは「夏バテかな」と思いますし、夏休みの宿題ができないことなどは「恒例だ」と思う人も少なくないでしょう。

私も上記のことがすべて「SOS」に該当するとは思いません。しかし、夏休みに入った直後と夏休み明けが近づいてきた時期とを比べ、上記のようなことが目立つ場合は注意が必要です。 

SOSかどうかの指針として、あるお母さんは「親の直感を信じていい」と話していました。

ただ、不登校やひきこもりなどの「将来への不安」が先行すると、その直感は鈍ります。心を落ち着かせて、小さいころから見てきたわが子の様子を思い出し、「今」異変を感じるかどうか。

その問いに対する親の直感は「そうそう外れない」と言っていました。

ただし、「学校へ行きたくない」と本人が訴えてきた場合は別です。 

「学校へ行きたくない」子に言ってはいけない2つの言葉

子どもが「学校へ行きたくない」と言ったらどうしよう。親にとって大きな心配の1つでもあります。

学校で苦しんでいればいるほど、子どもは「行きたくない」という一言を言えません。学校には行くものだと強く思っているからです。学校へ行けないぐらいなら死んだほうがいいと本気で思っている子どもも少なくありません。

なので「学校へ行きたくない」と深刻に訴えてきた場合は、最大級のSOSだと思ってください。子どもは限界ギリギリ、がけっぷちで親に助けを求めています。 

では、その時、どうすればいいのか。じつは多くの親が踏んできた地雷(禁句)があります。

「なんで学校へ行きたくないの」

「もうすこしがんばってみよう」 

この2つが子どもを追いつめる禁句の言葉です。もっと言うと、親ならば誰しも言ってしまうであろうこれらの言葉で、不登校の子たちは深く傷つけられ、追いつめられてきたのです。

ならば、どうすればいいのか。

例えば「そっか」と同意をした後で、「いま、どんな気持ちなの?」と心境を聞き、そのうえで、学校へ行く、行かないの選択肢を子ども自ら選んでもらい、周囲はその選択に従う。

これは、学校へ行きたくないと訴えたときだけでなく、子どもの悩みを聞く姿勢としても確立している手法でもあります。

もちろん、これが普段からできる人は、フリースクールのスタッフなど「プロ」ですが、「なるべくそちらの方向を目指す」という程度に覚えておいてもらえたら幸いです。

不登校には「その先」がある

自分の子や自分が不登校にならなくても、知ってほしいことがあります。

1つは、学校へ行かなくなった後、フリースクール、学童、図書館、自宅などが子どもの居場所になって、その成長や学びを助けるケースが多くあるということ。

2つめは、小中学校へ通うことは子どもの権利であって、義務ではないということ。

憲法では、子どもは教育を受ける権利がありますが、親は子どもを無理やり学校へ通わせる義務はありません。子どもが望めば、校長裁量で1日も学校へ通わず、小中学校を卒業することができます。私の友人も小学校は1日しか通っていませんが、彼女はいまIT企業で働いています。

不登校には「その先」があること。そして、義務教育は子どもの義務ではないこと。

この2つはまだ多くの人に知られていませんが、事実であり、不登校が人生の“詰み”=終わりではないという根拠の1つです。

私自身、中学2年生から不登校でした。私の予想に反して、学校へ行かないことは「人生の詰み」ではありませんでした。

もし学校が怖いと感じている人がいるならば、私のように生きている人を知ってもらい、どうか「死ぬ以外の選択肢がある」ことを信じてもらいたいと思っています。  

少しでも自殺を考えてしまったり、周りに悩んでいる人がいる人たちなどに向けて、以下のような相談窓口があります。 

チャイルドライン

東京自殺防止センター

いのちと暮らしの相談ナビ

厚生労働省|自殺対策ホームページ

自殺総合対策推進センター

 (編集:毛谷村真木 @sou0126


深刻な中高年の「ひきこもり」 親も高齢化、見えぬ将来

2019年07月17日 | うつ・ひきこもり

東京新聞 2019年7月17日

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 かつては若者の問題とされていたひきこもり。今、問題視されているのは中高年だ。国が三月に公表した調査結果によると、四十~六十四歳のひきこもり状態の人は推計で約六十一万人にも。八十代の高齢の親が、引きこもる五十代の子どもの面倒を見る状況は「8050(はちまるごーまる)問題」と呼ばれ、親亡き後、子どもが頼る人を失うことが懸念されている。支援はどうあるべきか。 (細川暁子)

 五年前のある日、長女の部屋をのぞいた瞬間、悲鳴を上げた。赤く染まった布団に倒れている長女。首を包丁で刺し、自殺を図ったのだ。長女は当時、四十一歳。一命を取り留めたものの「死のうとしたのは、その時が二回目。今も目が離せない」。七十八歳になり、いつまで元気でいられるかと思うたび、母親は不安に襲われる。

 長女は東海地方の高校を卒業後、事務員として就職したが、人間関係に悩み、四年で「辞めたい」と言いだした。「みんな働いているのに、なぜできないのか」。夫(78)が諭し、車で職場に連れて行った直後、長女はカッターナイフで手首を切った。そのまま一年ほど家にこもった後、今度は工場で働き始めたが、そこも半年で辞めた。以来約二十年間ひきこもっている。

 長女は、パソコンはおろか、携帯電話も持たない。ほぼ一日中、自室で寝て過ごし、食事は一人。風呂にも入らず、母親が体をタオルで拭いたり、髪を切ったりしている。話し掛けても、返事はほとんどない。

 六年前、やっと連れて行った精神科で統合失調症と診断された。今は障害年金を受給し、月に数回、訪問看護を受けている。「私たちが亡くなれば娘も立ちゆかない。今後について話し合う必要があるが不安にさせるとその後が怖い」

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ひきこもりの高齢化は、三月に国が公表した調査データで初めて明らかになった。これまで三十九歳までだった対象を、四十~六十四歳に広げて行った今回の調査。ひきこもりを「半年以上、家族以外とほとんど交流していない人。買い物などに出掛けるほかは外出しない人」と定義、身体的な病気のある人は除いた。

 それによると、ひきこもりの期間が五年以上の長期に及ぶ人は半数を超える51%に。複数回答できっかけを尋ねたところ、「退職した」が36・2%と最多で、「人間関係がうまくいかなかった」、「病気」がそれぞれ21・3%だった。

 二〇一七年度、NPO法人KHJ全国ひきこもり家族会連合会が、生活困窮者向けに設けられている各自治体の相談窓口二百十五カ所を調べたところ、回答のあった百五十一窓口のうち、「ひきこもりの相談を受けたことがある」と答えたのは88・1%。それを年齢別に見ると四十代の相談が最も多く60・9%に。さらに、四十代以上の百九例について両親の状態を分析したところ、父親は「死別」が48・6%、母親は「七十代」が32・1%で最多だった。親の死後、あるいは親が高齢化する中で、ひきこもりの中高年が貧困に陥る事態が浮き彫りになった。

 バブル崩壊後、国内の景気は低迷し、若者たちは超就職難に見舞われた。今の四十代は、まさにその時代に社会に出た世代だ。〇八年にはリーマン・ショックもあった。政府が六月に発表した三十五~四十四歳の雇用形態によると、正規雇用を希望しながら非正規で働いている人は現在、五十万人に上る。家族会連合会の調査をとりまとめた愛知教育大准教授の川北稔さん(社会学)は「非正規の仕事にしか就けなかったり、リーマン・ショックで雇い止めに遭ったりしたことが、生きづらさにつながっている」と分析している。

◆就労以外にも「居場所」を 支援の形、見直す自治体

ひきこもりの子を持つ親らでつくる「NPO法人なでしこの会」の例会に集まった人たち=名古屋市内で

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 職業訓練を行う就労移行支援事業所で週五日、パソコンの使い方を学ぶ愛知県内の五十代の男性。昨年、計二十年近いひきこもりの状態から抜け出した。

 高校卒業後、専門学校に入ったが、人と話すのが急に怖くなった。結局、一週間で退学。家電量販店や飲食店でのアルバイトも続かなかった。家にこもるようになり、二十六歳の時、うつ病と診断された。

 ひきこもっている間は、「社会との接点を失いたくない」と新聞記事を書き写すなどして過ごした。常に「このままではいけない」という思いがあり、派遣会社に登録して働いた時期もあったが、再び人とかかわるのが苦痛になって閉じこもるように。社会不安障害などと診断され、障害者手帳を取得した。

 転機は三年前。八十代の父親と、名古屋市の家族会「NPO法人なでしこの会」に話を聞きに行った。メンバーは、ひきこもりの子を持つ親たちだ。根掘り葉掘り聞かれることもなければ、「働かなきゃ」などと諭されることもなかった。「この人たちなら分かってくれる」と安心できた。会を通じて行政関係者の話を聞いたのを機に、就労移行支援事業所に通い始めた。今は「障害者枠でも働きたい」と意気込む。

 なでしこの会は二〇〇一年に結成され、会員は約九十人。七十代前後の親が中心だ。一一年からの四年間は、愛知県の委託を受け、精神保健福祉士らを最大五人雇い、個別の訪問相談などを行っていた。一三年には、ひきこもりの当事者が調理や接客を担うカフェも開設。住民らが昼食を食べに訪れるなど好評だった。

 こうした取り組みを支えた計八千万円は、国の緊急雇用創出事業交付金をもとに県が設けた基金だ。交付金のそもそもの目的は、〇八年のリーマン・ショックを機に失業した人らを仕事に就かせること。事業が一五年で終わったため、カフェは二年を待たずに閉じた。自身もひきこもりの娘(31)がいる理事長の田中義和さん(67)は「会員の会費だけでは厳しい」と漏らす。

 活動の財源に雇用対策用の金が充てられたことが示すように、従来のひきこもり支援は、当事者を就労に導くことがゴールだった。だが、それは変わりつつある。なでしこの会をきっかけに、自立への道を歩み始めた男性は「親にとっても、子にとっても、まず必要なのは、自分の気持ちを吐き出せる外の『居場所』ではないか」と話す。自らの経験も踏まえ、家族だけで何とかするのは無理だと感じる。「どんな人でも自分の思いを分かってほしいという気持ちがある」

 注目されるのが、岡山県総社市の取り組みだ。一七年に全国の自治体では初めて、ひきこもりの支援センターを開設。翌年には、市社会福祉協議会が空き家を借りて居場所「ほっとタッチ」の運営を始めた。センターでは専門職員二人が電話や訪問などで相談に応じるほか、「ほっと-」では市の講習を受けた住民らが一緒に野菜作りを楽しむなどしている。ひきこもりに関する行政の相談窓口は、四十歳未満を対象とする青少年担当の部署が受け持つことが多い。一方、年齢の制限がない総社市では相談に来た二百七人のうち七十七人が四十歳以上だった。

 十五~三十九歳の若年層と中高年を合わせると、国内のひきこもりは百万人を超えるとみられる。愛知教育大の川北さんは「人とふれあえる居場所をつくり、掃除や調理など『役に立った』と感じられる活動をしてもらうことが第一歩」と指摘。「家族だけに責任を押しつけず、行政や支援団体などのチームで支えることが大事」と話す。

 


 

 予報では1日中☁、所によっては一時強い雨。全然期待できない。1日中☀だった。まとまった雨が欲しい。

ツユクサ。


ひきこもるおとなたちと「自己有用感」

2019年07月07日 | うつ・ひきこもり

Imidas 連載コラム 2019/07/05

   香山リカ(精神科医・立教大学現代心理学部教授)

 

「俺の人生は何なんだ」

 この言葉に反応して、私の診察室に通う何人かがメンタルの調子を大きく崩した。

 これは、6月1日、東京都練馬区で、父親である元農林水産事務次官に刺殺された44歳の長男が発した言葉と報じられている。ひとり暮らしをしていたマンションから5月25日に本人の希望で実家に戻った長男は、翌日にはこう叫びながら父親に暴力を振るったという。

 私もこの言葉の意味を、あれからずっと考えている。

   息子を殺害した父親は取り調べに対して、実家に帰ってきてからも「和室に布団を敷いてゲーム」ばかりの長男を見て、「周囲に迷惑をかけたくないと思った」と話しているという報道があった。ひきこもりの状態で身近な人に暴力を振るう長男を目の当たりにして、今後、他人に暴力の矛先を向けるのでは、と危惧してついに殺害に踏み切ったのではないか、といわれる。

 そして、この父親に影響を与えたのは、5月28日、川崎市登戸で起きた殺傷事件だ。

事件後にその場で自殺した容疑者の男性は、スクールバスを待っていた小学生や保護者らに次々と刃物で襲いかかり、被害者20人のうち2人が死亡した。男性は51歳で無職、ほとんど外出することもなく、80代の伯父伯母夫婦の家に閉じこもって暮らしていたと報じられた。

 一方は殺害された被害者であり、一方は罪のない人の命を奪った加害者である。ただ世間から見れば、どちらも「仕事もせずに親や親族のケアを受けながら、ひきこもり生活を続けてきた人」である。また、川崎のケースでは他人が攻撃の対象となったが、練馬区のケースでも親は暴力を受けていた。

「経済的な苦労もしていない40~50代が、何が不満で他人や身内を攻撃したり暴力を振るったりするのか」と、疑問に思う人も多いだろう。

 しかし彼らはおそらく、自らのひきこもり生活に満足していたわけではなく、いまの状態や自分への激しい怒り、将来への不安、あせりや絶望感でいっぱいだったはずだ。練馬区のケースでは、それが冒頭の「俺の人生は何なんだ」という言葉につながったのだろう。

 もちろん、どのような理由があったにしても、それを暴力という形で発露させることが許されるわけではない。ましてはその暴力が無関係な他人に向かうことは何としても止めなければならず、家族の不安や苦悩はいかばかりだったかと思う。

とはいえ、診察室には彼の言葉に共鳴し、動揺する人が多くいたのも事実だ。

「今の自分に満足していないなら、何でもやって働けばいいじゃないか」という声も聞こえてきそうだ。しかし、ひきこもり生活が長引けば長引くほど、「もう失敗はできない」という気になる。ただ、一念発起してネットで職探しをしても、資格も経験もないまま40代、50代になった人への求人は少なく、当然、条件もよくない。それを目にするとプライドもある彼らは、「この年でいまさら単純な作業はできない」と絶望の念を深めるだろう。「どうせやるなら、親や周囲の人があっと驚き“さすが”と感心してくれるようなことをしたい」という気持ちもある。働くことや外に出ることのハードルはどんどん高くなる一方だ。

 では、彼らの就労や外出を阻んでいるのはその「高すぎるプライド」なのか、というと、実はそれだけではない。この人たちの多くは、「自分にはスキルもそれほどの実力もない」ということをよく知っている。「ひとに好かれるはずもないダメ人間なのだ」と必要以上に自己を卑下している人さえいる。

「このままじゃいけない、やるなら特別なことを。まだできるかもしれない」というかすかな特権意識やほんのわずかの万能感と、「でもどうせできない。自分はふつう以下だ」という大きすぎる劣等感や疎外感。この両極に心が引き裂かれ、瞬間瞬間で振り子が振揺れては、それに振り回されて自分の不安定さに自分でも疲れきっている。これが多くのひきこもりの人たちの心境だ。

そして一方で彼らの中では、「働くこと」の意義も薄れている。

 ひきこもり生活が20年、30年と続いてしまったということは、逆に考えればぜいたくさえしなければ、なんとかそれを許すだけの経済力が扶養する側にあったということだろう。例えば練馬区のケースでは、長男は毎月、ネットゲームにかなりの金額を使っていたともいわれている。親はもちろん喜んで支払っていたわけではないだろうが、それをまかなっていたことは事実だ。

「働かなくても生活できるのに、どうして今さら時給900円のアルバイトに行かなければならないのか」と、引きこもる子の側が「働くこと」に意義を感じられないのも、ある意味で当然かもしれない。ひきこもりが高齢化してくると、親はよく「ウチにはもうお金が一銭もない」とか「私たちが死んでも遺産はまったくない」などと言い出すだが、子の側はそれが事実なのか脅しにすぎないのかを敏感にかぎ分けて、後者の場合は親の不正直さにさらに怒りをつのらせることもある。

 いますぐ働かなくとも、親の家にいれば生活はできる。親が死んだあとは、遺産で暮らしていくことはできそうだ。だとしたら、どうして仕事をしなければならないのだろう。

倫理学者の大庭健氏は、2008年の著書『いま、働くということ』(ちくま新書)で、「何のために働くのか」という問題にいろいろな方向から検討を加えている。そして、人と協調しながら苦労して仕事をやりとげたときの「特有の安堵」に注目するのである。それは「趣味の場合と同じではない」として、大庭氏は次のように言う。

「自分の仕事が、回りまわって、直接には顔の見えない人々のいのち/生活の再生産に役立ってもいる、ということを実感できたとき、私たちは、仕事の喜び・仕事への誇りを感じる。」

これを心理学の言葉で言えば、「自己有用感」となるのかもしれない。自己有用感とは、「自分の属する社会や集団の中で、自分がどれだけ役に立つ存在であるかということを自分自身で認識すること」を意味する。

 たしかに、大庭氏の語るような実感を仕事を手にして得て、自己有用感を認識できれば、報酬の額とはまた別に、私たちは「生きててよかった。仕事をしてよかった」と思えるだろう。ひきこもりの子に対して親が「働いてほしい」と思うのも、それが基本にあるからではないだろうか。ただ食べて、寝て、ゲームなどをしながらイライラしてすごすのではなくて、人の中で何かをやり遂げ、「自分は顔の見えない人々の役に立っている」という手ごたえを得てほしい。親はそう願っているのだ。

 しかし、すぐ想像がつくように、「その実感が得られるような仕事とは何か」と考えはじめると、答えはすぐには出ないことがわかる。工場でパンを作っている人が「これが誰かの口に入り、いのちの再生産につながるのだ」と思うことは可能だし、大学教授として高度な研究をしていても「こんなことをしても誰の役にも立たない」とむなしさを感じるかもしれない。報酬の額でもない、社会的な肩書きでもない、だとするといったい何を目安に「自己有用感が得られる仕事」を探せばよいのだろう。そう考えると、逆に身動きが取れなくなる。「お金なんて気にせずに、あなたがいちばんやりたいことをやってくれればいい」という親からの言葉は、子にとってはとんでもない難問を投げかけられたと同じだ。

私はその昔、「ゲームばっかりやって」と非難され続けてきた子どもたちに対して、「ゲームがうまいのも十分にすごい」と評価し、まず目減りしきっている自己肯定感を少しでも回復させることで、何人か次のステップにつなげることに成功した。いまならゲーム実況のYouTuber になれば実際の収入につながる可能性もある。「このままじゃいけない」ではなくて、「このままだってそれなりにいいんだけど」とまずは思ってもらうことからしか、何も始まらないと考える。

 ただ、中高年ひきこもり、と言われる人たちは40代、50代というおとなだ。情報もふんだんに持っている。その人たちに、「まあ、そのままでもいいんですけど」という言い方が通用するか、という問題がある。子どもなら「え、親はゲームなんか何の役にも立たない、と怒るよ?ほんとにゲームがうまいのは悪いことじゃないの?」とこちらの働きかけを比較的、素直に信頼してくれるが、おとなには「一度、自己肯定感を充填させ、そこから就労に結びつけようという作戦ですね?」と見抜かれてしまいそうだ。

いずれにしても、私たちが「働くことは尊いこと」という“仕事崇拝”一辺倒の価値観からいったん解放されないと、この中高年ひきこもりの問題には手がつけられないのではないだろうか。仕事を通して「誰かの役に立っている」という自己有用感が得られればすばらしいが、もしそれがすぐ手にできなかったとしても、それは「その人生には意味がない」というわけではないのだと思う。

 これは長期ひきこもりの人に限ったことではない。男性でも女性でも、何歳でも、仕事をしていなからといって、近所で白い目で見られる筋合いはない。仕事をして社会の役に立つのはすばらしいことではあるが、「社会とつながる」にしても、さまざまなやり方がある。散歩をして地域の一員であるという手ごたえをうっすらとでも感じたり、自治体の体育館やプールに行ったり、もちろんその地域のイベントに出たりしてもよいのだ。

 ところが、私たちがそういう考えを受け入れられず、「お金を稼いではじめて仕事。はじめて社会貢献」という考えにとらわれている現状の中で、さまざまな理由でひきこもりの状態が続く人たちは、今日も「俺の人生は何なんだ」と呻吟し、怒り、絶望している。彼らも私たちも、「仕事がすべて。お金がすべて」というプレッシャーが高まる“圧力なべ”の中で生きているようなものなのだ。それは、ひきこもりの人にとってだけではなく、私たち誰にとっても、とても生きづらい社会といえるのではないだろうか。まず、そのことを考えてみたい。


 珍しい動物。

太いサクランボの木の幹がの3つに枝分かれしているあたりで何か動く気配。よく見るとエゾモモンガである。夜行性のため、ほとんど見ることは困難。さらに樹上生活をするためなかなか見ることはできない。一瞬動かなくなり、それから瞬く間に木の上へと昇って行った。そのあたりを見ると小さな穴が開いている。巣のようだ。ちょうど私の背丈ぐらいのところにそれはあった。

 もう一つ。エゾサンショウオ。

朽ちた木材を片付けているとその下から出てきた。

ここはいろいろな発見がある。楽しいところだ。


精神科医が語る「自殺者が少ない地域」7カ所の共通点

2019年06月25日 | うつ・ひきこもり

  日刊ゲンダイヘルスケア2019年06月25日

    昨年の自殺者は2万598人で9年連続減少。しかし、19歳以下の自殺者は増加しているという。春先から初夏にかけてが「自殺の多い時期」という報告もあるが、自殺回避につながるヒントはないものか? 「その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、『自殺希少地域』を行く――」の著書がある精神科医の森川すいめい医師に話を聞いた。

   森川医師はこれまで、徳島県の旧海部町(現・海陽町)、青森県の平舘村(現・外ケ浜町)と風間浦村、伊豆諸島の神津島、新潟県の粟島、北海道の白滝村(現・遠軽町)、広島県の下蒲刈島など7カ所の“自殺希少地域”を訪問。それぞれ1週間ほど宿泊し、地域の人たちと交流してきた。自殺希少地域とは「自殺で亡くなる人が少ない地域」であり、中には再度訪れたところもある。その経験から、森川医師は自殺希少地域に共通点があることを肌で感じたという。

「自殺希少地域というと、当初は“人と人が一生懸命に助け合っている地域”という印象がありましたが、実際に訪れると、そういうわけではない。まさに『人間関係は、疎で多』でした」

 この「人間関係は、疎で多」とは、自殺希少地域の研究者である岡檀氏の言葉だ。森川医師は、岡氏の学会発表がきっかけで、自殺希少地域を訪れるようになった。岡氏の調査では、自殺希少地域では隣近所との付き合いを「緊密」と答える人は少なく、一方、自殺で亡くなる人の多い地域では「緊密」と答える人も多く4割だった。

「自殺希少地域では、緊密でない代わりに『常に相手は自分の理解を超えている存在』という考えが大前提にある。相手は自分と全く違う存在。だから“○○○なんだ”と決めつけずに、対話をする。7カ所の自殺希少地域で住民の方と交流する中で、それが強く感じた共通点でした」

 ■ひきこもりの人も孤立はせず

 これは、親子関係や所属するコミュニティーでも応用できる考え方だと、森川医師は指摘する。それぞれが「正解は一つではない」と捉え、相手の意見に耳を傾ける。

   「自殺希少地域でもひきこもりの人はいましたが、孤立はしていなかった。周囲がその人となりを把握し、家にこもりたい気持ちを理解している。近所同士対立している人もいました。悪口を言いもするのですが、周囲はそれはそれとして話を聞き、派閥をつくるでも、村八分にするでもない」

   ある自殺希少地域での特別養護老人ホームでは約40人の入所者がいたが、抗精神病薬を服用している人はゼロで、睡眠薬は2、3人。これは珍しいケースであり、森川医師は「最新の介護手法を用いた結果か」と考えていたという。

「しかし訪問すると、そうではない。ただ、一人が歌いだすとほかの入所者も歌いだす。独り言もとがめない。怒ったり、薬が必要なのでは、と考えるところも多いのですが……。あの人はあの人だといった理解が入所者やスタッフにある」

 森川医師はクリニックで治療を行う際、うつ病や統合失調症といった診断名はいったん横に置き、「何が今つらいのか」「ここに至るまでどういう人生を送ってきたのか」「何を話したいと思っていたのか」を聞く。重要視するのは、やはり対話だ。うつ病になった直接的な原因を探り、解決したとしても、問題点が減っただけで、自殺防止にはつながらないからだ。

森川医師の著書のタイトル「ひとの話をきかない」は「耳を貸さない」ではなく、対話を通し、ひとつの意見にまとめず個々を認めていこうということ。自殺希少地域と同じ環境をすぐにつくり出すのは困難だが、自分がまず周囲とのかかわり方を変えようと努力することが、結果的には、自殺に向かおうとする人を減らせるかもしれない。


 

 23日の「沖縄全戦没者追悼集会」であいさつした安倍首相。昨年も批判されたが、今年のスピーチも、前年の文面をほぼそのままコピペしたものを読み上げていたという。
『帰れ!』や『ウソつき』といったヤジが例年にないくらい飛んだという。フザけた態度が、県民の感情を逆なでしているのだ。「県民に寄り添う」んだって。

桐の木です。元の木が樹皮をはがされて枯れてしまい、周りからたくさんの新芽が成長しています。
つつじの花も終わり、風通し良く、剪定してあげなければ虫がつきます。

名前のわからぬ野草。


子どもがひきこもったら・・・?

2019年06月14日 | うつ・ひきこもり

「子どもがひきこもったら怖い」親や周囲がひきこもる人に打てる3つの手立て

「どんな手が打てるのか」の前に「なぜひきこもるのか」を知らないと、いかなる対応も空回りに終わる。

  ハフポストBLOG 2019年06月13日

ふたつの事件によって「ひきこもり」が再注目されています。

ひとつは児童を含む17人を殺傷した川崎殺傷事件。事件翌日の5月29日、川崎市が容疑者(51歳)は「長期間のひきこもり傾向にあった」と発表。その数日後、6月1日に元官僚の父親(76歳)がひきこもる長男(44歳)を殺害する事件が起きました(以下、練馬事件)。

ふたつの事件は「ひきこもり」というワードが共通しており、ひきこもりに関する報道が、連日されています。そうした影響も受け、ひきこもりの当事者や親には波紋が広がっています。

 

「うちの子は中学生だが、学校へ行かずひきこもっているのは正直、怖い」(40代・主婦)

「やっぱり自分も最後は親に殺されるのではないかと思った」(20代・ひきこもり男性)

そんな声も聞かれました。川崎殺傷事件と練馬事件が「ひきこもりだから起きた」という短絡的な見方には疑問がありますが、今日は、ひきこもりの人に周囲はどんな手が打てるのかを書きたいと思います。以下は、私がひきこもりや不登校の当事者、親、支援者を取材するなかで見えてきたことです。

ひきこもるメカニズム

「どんな手が打てるのか」の前に、そもそも「なぜひきこもるのか」を知ってもらわなければ、いかなる対応も空回りに終わってしまいます。「ひきこもるメカニズム」を最初に書きます。

ひきこもりは、体が緊急停止した状態だと言われています。多くの場合、ひきこもる要因は、ひとつではありません。いじめ、パワハラ、就職活動や受験の失敗、親からの期待が重圧に感じていたなどの理由が相まって、心にストレスが溜まり、限界を超えたときに体が緊急停止します。

緊急停止と言っても指や目が動かすなどの単純な行動ができないわけではありません。学校へ行こうと思っても頭痛や腹痛が起きる。朝起きようと思っても起きあがれない。働こうと思っても強烈な不安感などに襲われるなど、いままでと同じ生活ができなくなる、という状況が「緊急停止」の状況です。

つまり、心に負担をかけすぎて体が「もうムリはできない」とストップをかける。それが「ひきこもるメカニズム」なのです。

ひきこもりはなぜ長期化するのか

ひきこもりが長期化するのは、緊急停止の状態が解除されないことが多いからです。ひきこもった後でも心の傷が深まるのが、その要因です。

ひきこもった後、本人は「働けない自分はおかしい」「学校へ行けない自分は怠けている」「こんなの甘えだ」と罪悪感や自責の念、そして早くなんと解決しなければという焦燥感を感じ、自分を否定します。この際には、周囲による「がんばろう」という励ましの言葉も、本人からすれば責められたような気持になってしまいます。

このように、ひきこもったあとでも自責の念が絶えず、心の傷が深まるのが長期化の要因の一つになっています。たとえば練馬事件で殺害された英一郎さんは、ツイッターなどで攻撃的なツイッターもされていました。ネットのなかでは、よく見られる書き込みとも言えますが、ひきこもりに理解の深い人であれば、自責の念が強いあまりに他者に対して攻撃的な言葉を吐いて自分を落ち着かせている、と考えるのが自然です。

病気として噴出するケースも

また、傷が深まっていくとその苦しさは「病気」として噴出することもあります。躁うつ病、強迫神経症、摂食障害、パニック発作など。なかには自傷行為や家庭内暴力が出ることもあります。すべて心のSOSだと言っていいでしょう。

家庭内暴力は、家族からも孤立感を感じ、自己否定感が高い状態が長く続くときに起きるものです。自己否定の末に、まずは「物」に当たる期間が長く続き、それでも改善されない場合は人に当たります。報道によれば、練馬事件の英一郎さんも中学生のころから母親への家庭内暴力が出ていたそうです。この場合は、中学生になる以前から苦しい思いを抱えていたと考えざるを得ません。本来なら「人」に当たる前の期間は長いはずですから、その期間に本人が苦しんでいる背景を掴む必要がありました。

周囲にできること1「相談」

ここから先はひきこもりの当事者らに聞いた「必要だと感じたサポート」について書いていきます。

まず周囲からの適切なサポートは、ひきこもり当事者にとって大きな力になります。本人は「どうにかしたい」と思っていても、うまく体が動かなかったりするからです。

周囲は、まず緊急性の高いものから手を打ってください。つまり自分と他人の健康を害する症状(状況)の場合は、早めに精神科医やメンタルクリニックなどにご相談ください。

この際、本人が病院へは行かず、親や祖父母だけが相談に行っても大丈夫です。

医師も千差万別です。たくさんの病院を転々とするのは、お勧めできませんが、相性の悪い医師にかかっているのもよくありません。当事者たちからの経験則をもとにすると「よい医師」は、決まって当事者の苦しさに共感できる人でした。世間体や常識よりも当事者の立場に立って物を言える人、こういう人に相談を続けられるのがよいかと思います。

相談がうまくいかないのは

しかし、相談してもうまくいかないケースもあります。練馬事件などでも「相談してもうまくいかなかった」と報じられています。一般論として相談してもうまくいかないケースは、ふたつに大別されます。ひとつは相談先に専門的な知識がなかった場合。もうひとつは「周囲が解決策を決めつけている」場合です。

いじめによって不登校になった子の親から一番多い相談が「なんとか学校へ行けるようにしたい」です。学校へ行くことのみを解決策として決めつけられても、子ども本人は、すぐに登校できる状態にないことがあります。相談者の親や先生がゴールを決めつけていると、相談機関としては打つ手がありません。ふつうの相談機関ならば、子どもの困りごとを掘り出し、本人が安心できる環境を整備し、その先に子どもが求めているゴールを探る、という手はずをとります。ゴールのなかには学校復帰もありますし、家で学ぶこともあります。状況次第でゴールは揺れ動きます。誤解が多い言い方ですが、親や先生の「思い通りの結果」を求めて相談されてもうまくいかないケースが多いです。

周囲にできること2「安全基地」

本人にとっての安全基地をつくることは有効な支援です。安全基地とは、衣食住が保障されていこと。親や周囲が干渉されすぎないこと。そして本人を快く受け入れられている場のことです。

そんな安全基地があると「ますます外に出られなくなる」「一生ひきこもる」と不安に思われる方がいます。

それは誤解です。「ダメになったら戻れる場所がある」と思えることが、チャレンジを支えます。登山といっしょでベースキャンプ(基地)がなければ、トライできません。自然と自暴自棄な選択肢が生まれてしまいます。

私が取材した当事者も、みなさん安全基地(家)と外の世界(会社や学校)を行ったり来たりしながら、社会との距離の取り方を学んでいました。

周囲にできること3「話し相手」

自分の気持ちを整理するためには話し相手が必要です。ひきこもりの人も、病院の先生、カウンセラー、当事者グループの集まり、親などに「気持ちを聞いてほしい」という場合があります。話し相手になった方は、本人の気持ちを否定せずにじっくり話しをきいてほしいと思います。

ということで周囲が打てる対応は3つです。

自分と他人の健康を害する場合は医師に相談

本人の安心基地をつくる

本人から選ばれたら話し相手になること

 サポートをする際は、自分のサポートやケアを忘れないでいただけたらと思います。サポートをする人もしんどいのは事実です。

ひきこもれたから生きられた

最後になりましたが「ひきこもることでやっと自分らしく生きられた」、「本当の自分になれた」という人もいます。なので「ひきこもり=悪」だと決めつけないでもらいたいとは思っています。

ひきこもり経験者の石崎森人さんがその例です。石崎さんは就職活動と就労に疲れ果て、自殺未遂を経てひきこもり始めました。ひきこもった直後から「この状況から抜け出したい」とアルバイトを始めるも吐いてしまうなどまともに働けませんでした。石崎さんは、ひきこもりながら自分と向き合い、将来のプランニングを始めました。その後、石崎さんは、ひきこもり当事者から担がれるようなかたちで「ひきポス」というひきこもり専門メディアの編集長をしています。

石崎さんは、ひきこもりを経て「以前の僕よりはるかに真剣に生きている気がする」と感じたそうです。

ひきこもりには、自分と向き合う作用もあります。また、もし親や周囲の方が、ひきこもりについて心配になったら、本人に直接アプローチをする前に当事者や親の経験談を聞いたり、ネットで読んだりしてください。

体験談などは『ひきポス』や『不登校新聞』にはもちろん、たくさんネットで読めます。できれば「浴びる」ように読んでもらえると、本人の気持ちが少しずつ見えてきます。気持ちが見えてくること、それが最初の手掛かりになるはずです。

 


 まとまった雨がありません。日曜日は降水確率80㌫と出ています。期待してもいいのでしょうか?
沼の水位もこんなに下がっています。

定植したカボチャ2株が消えています。沼からポンプアップして、作物に水やりです。

スベリヒユ、結構うまい

 

ツルアジサイ。

不詳草花1.


ゲーム障害

2019年06月08日 | うつ・ひきこもり

<心を取り戻せ ゲーム障害との闘い> (上)少ない支援、孤立する親たち

コラージュは上から時計回りに、ゲームに熱中する若者=中国で(ゲッティ・共同)。ゲーム障害の治療に取り組む久里浜医療センター。送検される元農林水産省次官の熊沢英昭容疑者

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 白いシャツを着ているのが、真面目そうに見える理由だろうか。その容疑者の表情は淡々としていて、とても無防備に思えた。

 長男(44)を刺殺したとして逮捕された元農林水産省次官の熊沢英昭(76)。送検される映像をテレビで見た時、大原みゆき(50)=仮名=は胸を突かれた。

 「あれは、将来の私かもしれない」

 みゆきの息子、中学三年の哲也(15)=同=は、二年前からオンラインゲームにのめり込んでいる。学校を休み、家族に暴言を吐いたり、時に暴力を振るう。

 「刺さなければ、自分が殺されていた」と供述したという熊沢。殺害された長男は働いておらず、ゲームに没頭していたという。自宅に引きこもりがちで、熊沢らに暴力を振るったとみられている。

 その人物像が、みゆきには哲也と重なる。息子を殺(あや)めたとしたら、とんでもないことだ。しかし、そこに至る苦しみを想像できる気がする。「追い詰められていたと思うんです。うちみたいに」 (敬称略)

◆カプセルの中の「地獄」

 「昼夜の生活が逆転してしまった」「三週間風呂に入らず、着替えもしていない」

 五月上旬、ゲーム障害の子どもを持つ親の集いが、国立病院機構久里浜医療センター(神奈川県横須賀市)であった。関東、中部、北陸、関西…。各地から訪れた十数人が、深刻な実態を打ち明けた。

 ゲーム障害の当事者は主に十代の男の子。オンラインゲームにのめり込み、食事や勉強には見向きもしない。ゲームを取り上げようとすると、暴言や暴力に訴える。

 「こんなにも皆が同じ症状になるのか…」。大原みゆき(50)=仮名=は驚いた。中学三年の息子、哲也(15)=同=の不登校が始まって二年になる。

 毎日十時間以上、ゲーム漬け。まばたきもしないで画面に向かう。話し掛けると、「うざい、くそばばあ」。母親のみゆきに向ける目つきは、まるで刃のようだ。

 夫がゲームを取り上げようとすると、つかみ合いになった。テレビのリモコン、コップ…。手近な物を投げ付け、みゆきも足蹴(あしげ)にされた。「ゲームに触ったら殺す」とまで口にする。

 耐えきれず、警察を呼んだこともある。

 「毎日が地獄です」

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 みゆきはここ数年、息子を何とかしようと奔走してきた。スクールカウンセラーに教育相談所、消費者相談センター。窓口で助言は受けられても、ゲームをやめさせるための直接的な支援には程遠かった。

 「もう病院しかない」と精神科のクリニックに何軒も問い合わせたが、「高校生以上でないと治療に向かない」「ゲーム依存は扱っていない」と門前払いが続いた。

 やっとの思いで、診察してくれる医師を見つけても、予約した日に哲也を家から連れ出すのが難しい。「本人が来ない限り、治療はできない」と突き放され、「落ちる所まで落ちるよ」と脅された。

 国内にゲーム障害の人がどのくらいいるのか。病気の歴史が浅く、はっきりした統計もない。全国に先駆けて二〇一一年にインターネット依存専門外来を設けた久里浜医療センターでは、予約の受付日に、用意した枠の何倍もの電話が殺到し、対応できないのが現実だという。

 困り果てた親たちが、あちこちに存在する。しかし、その家庭は「カプセル」のように閉ざされ、医療や行政から切り離されていると考えられる。

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 みゆきは時々、駐車場の車にこもって一人で涙を流す。「体が心配。受験も控え、将来どうなるのか…。何もかも、どうしていいか分からない」。「死」さえ頭に浮かぶという。

 小学生時代、哲也は真っ暗になるまで公園でサッカーボールを蹴っていた。リーダーシップもあり、同級生や先生から頼りにされる存在だった。あの子は一体どこへ行ったのか。

 確かめるように、古い手帳を開くと、小さな紙切れがはってある。鉛筆書きの文字が見える。

 「皿洗い券」

 みゆきを「ママ」と呼んでいた頃、小学二年だった哲也が、プレゼントしてくれた宝物だ。「肩たたき券」「ごみ出し券」「スーパーの重いもの持つ券」…。どれも、もったいなくて使ったことがない。

 優しい子だった。

 「今はゲームの殻の中に閉じ込められているけど、それを剥いだら、本当のあなたがいるのよね」

 その場にいない息子に言葉を届けるように、つぶやいた。 (敬称略)

<ゲーム障害> オンラインゲームやテレビゲームをしたい衝動が抑えられなくなり、日常生活に支障が出たり、健康を害したりする依存症。世界保健機関(WHO)が5月、新たな依存症として正式に認定した。WHOの基準では、家族や社会、学業、仕事に著しい障害が起き、症状が少なくとも12カ月続く場合に診断できる。2017年の厚生労働省研究班の調査では、インターネット依存の中高生は93万人(推計)で、この一部がゲーム障害と考えられる。


(中)過酷な現実 安らぎ求め
2019年6月9日付朝刊


木村亮平さん(仮名)の右手首は、ゲームで長年酷使したせいで瘤ができている=神奈川県内で(一部画像処理)

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 大きさは、サクランボの実くらい。木村亮平(27)=仮名、神奈川県=の右手首には瘤(こぶ)がある。

 医学的には「ガングリオン」と呼ばれる。亮平の場合は、世界で三百五十万人が登録するオンラインゲームで、国内二位になるまで手を酷使した結果だ。

 「僕の勲章です」。色白の手首を見せながら、亮平は言った。

 お気に入りは、自分の選んだキャラクターが敵を次々に倒し、それに伴ってキャラクターのレベルが上がるロールプレーイングゲーム。中学一年で始め、高校時代は一日に二十時間も没頭した。食事は二日に一度。二十代前半の二年間は一歩も外出しなかった。

 「ゲーム依存は社会で『廃人』扱い。でも、僕はゲーム仲間から『廃神』と尊敬されている」

     ■

 亮平は東北地方の山あいに生まれた。父親を早くに亡くし、母親は早朝から深夜まで働きに出ていた。幼い頃から、ゲームが遊び相手だった。

 勉強も運動も苦手で、十一人の同級生中、いつも十番か十一番。忘れ物も多く、「集中していない」と毎日のように教師に殴られ、母親にぶたれた。

 高校を出て建築の仕事に就いたが「物覚えが悪い」と殴られ、長続きしなかった。身を寄せた兄の家からも追い出された。

 自分が発達障害だと知ったのは最近のことだ。

 複数の医療関係者によると、ゲーム障害の患者の中には発達障害を併せ持っている人がいる。興味のある事柄には人一倍の集中力を発揮する一方、読み書きや計算など特定の不得意分野があったり、対人関係が苦手だったりする。このため、周囲の理解が何より大切だとされる。

     ■

 ゲーム障害の治療のため、病院を訪れたのは二年前。ゲームをやめた禁断症状で体の震えが止まらず、「これ以上、禁止するなら全員殺してやる」と叫んでいた。夜は、自分が殺される悪夢にうなされた。

 「僕は現実の世界で誰からも必要とされていない」「つらいことばかりなのに、どうして生きなければいけないの」

 両手で自分の首を強く絞め、何度も自殺しようとした。でも、死にきれなかった。

 それは、ゲームがあったから。

 全国二位の亮平を慕い、やりとりを交わしてくれるプレーヤーが五百人もいる。ゲームのこつ。励ましの言葉…。もちろん話題はゲームが中心だが、うそ偽りのない近況、心の内を語り合う相手もいる。

 現実の世界で縁遠かった人の愛情。それを実感し、安らげる唯一の場だ。「僕は仲間のために生きればいい」。そう決めた。

 今、亮平は一人暮らしをしながら、就職を目指して行政の就労支援サービスを受けている。ゲームをする時間は少しずつ減らし、一日に二、三時間だが、仲間とのチャットや電話は欠かさない。

 病院では「ゲーム以外に夢中になれるものを見つけよう」と助言を受ける。

 「見つけたいです。僕を裏切らない何かを」 (文中敬称略)

<発達障害> 自閉症やアスペルガー症候群、注意欠如・多動性障害、学習障害などの総称。他人とのコミュニケーションが苦手だったり、興味の偏りがみられたり、落ち着きのなさや不注意さが目立ったり、読み書きや計算など特定の分野だけが不得意だったりと、症状は多様。能力を生かして社会的に成功している人も多いとされ、厚生労働省はサイトで「生まれつきの特性で、病気とは異なります」と紹介。周囲の理解や、本人に合った環境が重要だとされる。


(下)依存ない「楽園ネズミ」
2019年6月11日付朝刊


久里浜医療センター院長の樋口進さん

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 「われわれはさまざまな依存症を診察する責任がある。ゲーム障害の人々への適切な措置を求めたい」

 スイスで開かれた五月の世界保健機関(WHO)総会を前に、こんな要望書がWHO事務局へ届いた。その数、約八十通-。世界精神医学会や日本小児科学会など、各国の医療関係者からだった。

 その要望書の「仕掛け人」が、日本の医師である。国立病院機構久里浜医療センター(神奈川県横須賀市)の院長、樋口進。国内初のインターネット依存専門外来を設けたパイオニアとして、国内外の学会に働き掛けた。

 「WHOが依存症だと正式に認めれば、対策は進むはずだ」

 樋口の狙い通り、ゲーム障害が国際的な病気の分類に加えられることが、WHO総会で決まった。

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 依存症の治療では通常、患者から依存の対象物を無理に取り上げることはしない。再び入手すれば元のもくあみなので、最終的には患者自身がやめようと思わなければならない。

 ゲーム障害で難しいのはそこだ。「大人は『酒に溺れては将来まずい』と頭では理解できる。でも、理性が発達途上の子どもに『ゲームを続けたら良くない』と納得してもらうのは大変」と樋口は語る。

 このため久里浜医療センターでは、患者同士のディスカッションやスポーツ、高原でのキャンプ体験などを組み合わせ、ゲーム以外の喜びを感じてもらいながら「ゲームをやめる決断」を促している。

周愛荒川メンタルクリニックの八木眞佐彦さん

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 一方、周愛荒川メンタルクリニック(東京都荒川区)の精神保健福祉士、八木眞佐彦は、あらゆる依存症の根っこにある「生きにくさ」に目を向ける。

 父親の不在に母親の過干渉、いじめ…。ゲーム障害の子どもは家庭や学校に問題を抱えているという。「個性や能力を無視した受験や習い事、叱責(しっせき)や否定ばかりでは、心に大きな苦痛を抱える」と指摘する。

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 国の統計によると、昨年の中高生の自殺は三百六十二人。ほぼ毎日一人が命を絶っている計算だ。「ゲームで心の苦痛を忘れられるのなら、ゲームは自殺を防ぐ『心の杖(つえ)』になっているんです」

 しかし、それが度を越すとゲーム障害という新たな問題を抱えるだけ。どうしたら良いのか-。

 八木が紹介するのが、カナダの大学でのネズミの実験。依存性の非常に強い薬物「モルヒネ」を水に薄め、二カ月間与える。

 一つは、狭苦しい檻(おり)に一匹ずつ飼育した「植民地ネズミ」。もう一つは、広くて居心地の良い環境に複数の雄と雌を一緒に飼育した「楽園ネズミ」。

 植民地ネズミはモルヒネ水を飲み続けたが、楽園ネズミは普通の水を選び、依存にならなかった。そこにヒントがあるという。

 「孤立の病」といわれる依存症。何より必要なのは疎外感、心の苦痛を取り除くこと。「親が子どもの『批判者』ではなく『協力者』となり、寄り添うことです」と八木は言う。

 「しかし、現実には親自身が孤立し苦しんでいる。まず、親が家族の集まりなどに参加し、人とのつながりを実感するところから始めてほしい」 (文中敬称略)

 =この連載は臼井康兆が担当しました。

<世界保健機関(WHO)とゲーム障害> WHOは5月の総会で、病気や死因の分類に関する国際的な基準である「国際疾病分類」にゲーム障害を盛り込むことを決め、新たな依存症として正式に認定した。アルコールやギャンブルへの依存と同じ扱いとなる。これにより、ゲーム障害の医学的な研究が進んだり、行政の対策が進んだりすることが期待されている。

 江部乙では今日も夕方から大粒の雨となったが長続きしない。畑をある程度は潤してくれた。

もうすこし早く来てくれればよかったのだが・・・

植え付けた苗に水をやらなければ消えてしまう。現に結構な数で株が消えている。余計な仕事が増えている。

なかなか定植作業も進まない。今日で終わらせようと思ったが、明日に伸びた。ところで、定植穴は鉢よりもやや大きく余裕を持った方がいい。というのは根が伸びてポットにぶつかり、巻いている。そこからすんなり外に向かって根を伸ばそうとするときに柔らかい、根を伸ばせる土が必要なのです。

仮植えしてあったイチゴが赤くなってます。まず1個食べました。甘いです。

沼があるせいで、トンボがたくさんいます。今日は沼の水が少なくなったせいで蛍の幼虫が上がってくるのを観察できました。

遊びに来る子供のために、虫取り網も用意しました。無料で貸し出します。


社会的な支援をためらわないで!

2019年06月04日 | うつ・ひきこもり

BLOG

8050問題」と川崎・登戸殺傷事件を介護現場から考える

親が高齢になり、子どもの引きこもり期間が長ければ長いほど、その支援は難しくなってしまう。

  ハフポスト20190604

 

川内潤

NPO法人となりのかいご代表理事

 

   528日、川崎・登戸で50代の男がスクールバスを待っていた小学生や保護者らに次々と襲いかかり、うち2人が死亡する痛ましい事件が起きた。

その後も、531日に40代の引きこもりの息子が70代の母親と口論になり、母親と妹を刺し、自らも命を絶った。

61日には70代の元農林水産省事務次官が川崎・登戸殺傷事件を受けて、40代で引きこもりだった長男の将来を悲観し、胸などを包丁で刺し殺害する事件が起きた。

これらの事件を受け、問題視されているのが「8050問題」だ。

   「8050問題」とは、主に50代前後の引きこもりが長期化している子どもを、80代前後の高齢の親が養うというもので、子どもが引きこもり生活で社会との接点を失う中で、親に病気や介護問題が起き、親子共倒れになるリスクが問題視されている。

川崎・登戸殺傷事件においても、51歳の容疑者は80代の伯父伯母の家でひきこもり生活を送っていたという。

   認識を誤っていただきたくないのは、「引きこもり=危険人物」と短絡的に考えることだ。むしろ、凶行な行動に移すケースは稀であり、社会から孤立してしまう状況が見えなくなってしまうことがより問題を深刻化させてしまうのだと考えている。

   つまり、この事件を「50代の引きこもりが引き起こした、凶悪で凄惨な事件」と自分には関係ない“対岸の火”とするのではなく、私たちが意図せず社会から排除してきてしまった方々へ目を向ける機会として、一人ひとりが具体的な行動につなげるために、このコラムを書かせていただくことにした。

   なぜ、介護相談をしている私がこの問題について考えているかというと、以前、私がご自宅に訪問する介護の現場で働いていたときに、まさに「8050問題」を目の当たりにしていたからだ。

   あるご家庭には“開かずの間”というものがあり、要介護状態にある男性の介護に伺うと、妻から「あの部屋の前を通るときは、静かに通ってください」とお願いされることがあった。息子さんは仕事をしておらず、ずっと部屋の中に居て、親の介護には非協力的だという。

   これはもう10年以上前の話であるが、介護職という立場でさまざまな家庭を垣間見る日々の中では、決して珍しいことではなかった。そのため私にとってはかなり前から「8050問題」は身近な問題で、それに対して常に悔しさと危機感を持ち続けていた。

   そこで、今回の事件で問題視されている「8050問題」については、介護の現場や現在の主な活動である家族を介護する人をサポートする中で感じた見解と、二度と同じような事件を起こさないための私なりの考えをお伝えしたい。

   “開かずの間”に引きこもっていた子どもたちには、社会のレールから外れてしまったさまざまな理由があったのだろう。

   そんな子どもを親は突き放すことができず、家族だけで抱え込み、気が付けば数十年という月日が過ぎてしまい、支援を活用しての自立をするには手遅れの状態に…。

   これは介護にも同じことがいえ、介護も家族で抱え込めば抱え込むほど、最終的には家族全員が共倒れしてしまうなど手遅れの状態になってしまう。

  引きこもりのケースでは、介護とは違い、たいていの場合は自分のことは自分でできるので、子育ての延長で親が食事の世話さえすれば一旦は何とかなってしまう。

   引きこもりとなった原因の中には、発達障害や精神障害によるケースもあるだろう。しかし、親のサポートでなんとか生活できてしまうため、そういった障害を持っていたとしてもなかなか支援にはつながらない。

ところが、親が病気になり介護が必要になったとたんにそのバランスが崩れ始める。

   そこで初めて「今度は自分が親の世話をするのか?」「今の自分に親の世話ができるのか?」「収入がないままで、これから生活していくことができるか?」など、自立した生活が困難な中で、急に訪れた親の介護問題で引きこもりの子どもたちは危機的状況に飲み込まれていく。

   そして、社会的支援とつながらないまま長引いた引きこもり生活により、親以外には頼れる人がいないと思い込んでしまう。

   今回の事件でも、容疑者の親族が川崎市の相談機関にたびたび相談をしていたそうだ。だが、すでにそのころには問題が複雑化し、支援が難しいものとなっていたと思われる。

親が高齢になり、子どもの引きこもり期間が長ければ長いほど、その支援は難しくなってしまう。

   決して、容疑者を擁護するわけではないが、マスコミなどの情報によると、容疑者は学生時代から、日常生活の中でさまざまな問題を抱えていたようだ。もし、そのころから何らかの支援につながっていれば、こんなに悲しい事件は起きなかったかもしれない。

だからといって、引きこもりの子どもを抱えている親御さんを責めるつもりは一切ない。

   介護もそうであるが、問題を抱えている当事者たちは目の前の問題に向き合えなかったり、気づかないまま時が過ぎてしまったりすることがある。さらに同居している親は自分の子供に対して、強く言えなくなっていることもあるだろう。

   そこで介護している人をサポートする活動をしている私が重要視しているのが、冷静な判断ができる、離れて暮らすきょうだいや親類の客観的な視点なのである。

   私はさまざまな企業で、その社員たちに対して個別の介護相談を行っている。その中で「きょうだいが実家に引きこもっていて親が困っている」という相談も少なくない。

   親の介護問題とともに引きこもりのきょうだいについて個別相談に来てくださる方々には、大きな期待を寄せている。それは問題が複雑化する前であったり、まだ解決への打ち手がある時期での相談であることが多いからだ。

   引きこもりの当事者である親子たちは、その期間が長ければ長いほど自分からは“SOS”が出せない状態になっている。また、もし“SOS”を出していても、現状の社会ではそれに気づいてくれる機会は少ないかもしれない。

   長く働いていない、社会とのつながりが持てなくなっている家族がいるという状況に気付いた段階で、きょうだいや親類が、実家の地域にある相談支援センターやメンタルクリニック、保健所など、とにかく早目に社会的な支援の相談窓口につないで欲しい。

   直接、説得するだけが解決手段ではない。自分が説得できない場合は、その旨も含めてさまざまな相談窓口に伝えるのだ。

   一緒に住んでいる家族に介護が必要になって追い込まれてからの支援では、福祉の支援を受け、つながるまでにどうしても時間がかかってしまう。遠慮せず早い段階で相談窓口に一報いただきたい。

   企業に出張して介護や介護のセミナーをする中で、きょうだいや親類からの早い段階での相談をいただけることで、「8050問題」を早期に発見することが難しいケースになりかねない事態を、未然に防ぐ可能性に偶然にも気付くことができた。

どうか「まだ何とかなっているから大丈夫」と思わず、社会的な支援につながっていただくことをためらわないでいただきたい。

   誰もがどのような状況になっても生きやすい、豊かな社会づくりは一人ひとりの日々の小さな行動が必要であることを、今回の事件から受け取っていただきたいと切に願っている。


待望の雨。

週間天気予報から傘マークが消えてがっかりしていたのだが、昨夜見た予報に突然現れた。しかも、今日の昼過ぎからである。ラッキーと思いはしたが、降ってみなければわからない。また肩透かしを食らうかもしれない。今のところ、さほどの雨ではないが恵の雨である。

このコンテナがすっぽりと水没してポンプアップしていたのがこのありさま。

雨が来る前にカボチャ、ズッキーニ、トウキビ、ビーツ、ジャーマンカモミール等、定植完了。もう少し野菜の苗が残っているが植える場所がなくなってしまった。