たそがれおじさんのぐうたら人生(TOGZ) 

「とかち」をこよなく愛するおじさんが自転車で巡る十勝野風景を発信(十勝が丘展望台から日高山脈眺望12/2)

ダブル出所祝い

2010年10月31日 | 日記
10月29日、1週間の研修を終えました。今回の研修をおじさん自身の大きな枠組みでとらえると、「社会的自立」を基本として、「連携」、「ネットワーク」、「コーディネート」の3つのキーワードととらえました。かた~ぃ頭が一層固まってしまいそうでした。今後に生かせれば最高なのですが....。
どこに寄ることもなく、おじさんを待っていてくれる十勝と家族のもとへ一直線です。19:25、無事、とかち帯広空港に帰ってきました。規則正しい生活をしたので、疲れはありません(と思っていたのでした)。

10月30日、この日は出所(研修に行くとき、「収監」と言いましたので)祝いがダブルでありました。と、いってもこの祝いというのは、誰かがおじさんの研修のねぎらいをしてくれるということではなく、たまたまこの日に出会いがあったので、おじさん心で勝手にそう決めているだけのことなのですけど...。

順番は逆になるのですが、19:00から旧知の友人13名ほどが集まって、親交を深めました。この友人たちとの出会いは、さかのぼること37年ほど前がスタートです。時の流れを経て、今こうして出会えることの喜びは、たそがれるおじさんにとってたまらないひと時です。こんな場を作ってくれたTさんやMさんには本当に感謝、感謝です。これまで何度か会ってきた友人たちもいるのですが、集まるたびに増えてきます。Tさん、Mさんがコーディネートして、二人の見事な連携と、人を通したネットワーク、おじさんの今回の研修が見事に重なってきます。当時を思い出す資料を準備してくれたKさんにも感謝。
この夜は、出会えたことの幸運、それぞれの今やこれまでのこと、いっぱい語り合いました。おじさんの出所祝いとたそがれカンフル剤には、最高のひと時でした。ありがとうTさん、Mさん、そして、みんな。

この夜の前段、おじさんの奥さんと二人での出所祝いをおじさん自身がコーディネートしました。
十勝は、南側に日高山脈、北西に東大雪に囲まれ十勝平野が広がっているというイメージです。おじさんのDNAは十勝東部の海岸地帯。十勝平野の東端に位置します。子供のころは遠くに日高山脈を眺めつつ四季の移ろいを感じ、野生児として育ってきました。よって、日高の山並みには想いいれも強いのです。
そんなわけで、十勝幌尻岳を見上げる、八千代牧場の一角にあるレストランでのランチを楽しんできました。
いく道々は秋も深まってきて、十勝平野のパッチワークをつくり出す防風林も柏の木が紅葉していました。空は雲足も速く、高層での気流の速さを感じさせます。

                   

八千代でのランチは、出所祝いなものですから、いつもより踏ん張って十勝和牛のステーキセット(1500円)としました。食べ始めて、思い出して撮ったもので、だらしなくなりましたが、オール十勝食材の逸品を十勝以外の人にも紹介したくなったものですから。

                   

食事後、外に出て目前に迫る日高の山並みと深まりゆく秋の景観を楽しんできました。下の一枚は、十勝幌尻岳をバックに秋の牧場周辺です。
                   

あわただしく、かつ充実したこの一週間でした。あすからは、おじさんらしい日常が始まります。

頭を柔らかくできるかな

2010年10月25日 | 日記
朝の目覚めはいつもの通り、少し移動してレストランでの朝食をしました。500円での限定和食とフリードリンク。結構いけています。10:00には宿舎をチェックアウトします。部屋に戻り、ベットの後始末、ここはすべて自分でベットメイキングから後始末まですることが決まりです。
すべてが終わり、テラスでのひと時を過ごしています。テラスからの外は雨上がりのどんよりと静かで落ち着いた景色が見えます。

                        

東京は、この後も雨になるという予報です。室内の活動とはいえ、やっぱり天気がよいほうが気分も晴々ですよね。
午後からは、本格的研修に入ります。研修内容もさることながら、どんな人々との出会いがあるかもおじさん自身期待しているところです。
                      

十勝の大地を駆け上る

2010年10月24日 | 日記
おじさんは、東京の某所に収監されます。悪いことをしたわけではないのですが、缶詰状態の研修が待っているということなのです。たそがれるおじさんにとっては、この歳での1週間の研修は、収監されるに等しいのであります。
とはいえ、貴重な体験をさせてもらえることに感謝もしているところです。

この研修が月曜日から始まること考えると、今日(日曜日)、出発しなければならず、本日、帯広空港をたちました。我が家から、宿泊施設までを記録します。

朝8:00、我が家を出発。とかち帯広空港へ余裕を持って着けるようにしました。今日の朝の十勝は、高く薄い雲に覆われていましたが、十勝野と日高山脈のロケーションは、おじさんに「しっかり研修してこいよ」と言っていました。
                    
                        

空港では、偶然にもかつておじさんの上司であった、T氏夫妻と会いました。これから先祖の墓参りを兼ねた四国めぐりということでした。
久しぶりの出会いに話も盛り上がりましたが、「人生1度、悔いのないようにできるときにできることをしようや」で終わりました。

10:00空港発、十勝の大地を空からきっちり宣伝したいと思い、少々無理をして、離陸して間もなく、十勝野のパッチワークを窓越しにおさめました。低い所に雲がかかってきて少しぼやけたロケーションになりました。

                      
                    
この後は、、どんどん高度を上げ、おじさんの興味関心のある、雲々との出会いとなりました。いつもは大地から天空を眺める雲なのですが、今日は高層雲までおじさんと背比べができるところで見ることができるのですからたまりません。なまらいっしょ。  
機長さんが、高度1万3千メートル近くまで登ると言っていたあたりでの1枚が下の写真の雲でした。ちょっと息をかけたらふぁっと飛んでいくようなやわらかい雲です。             
                  
                    

この高度で安定した飛行をしていたものですから、楽しみにしていた下界の風景は、今回はお預けです。同じような雲をボーっと見続けていたところ、目に入ってきたのが下の1枚です。そう、飛行機雲というやつです。この雲もいつもは下からばかり眺めているにですが、おじさんの横で見ることになったというわけです。
こんなことで喜んでいる自身を外から見ていると、われ思う「なんて、ガキなんだろう」と。

                    

そんなガキおじさんですが、これがおじさん心。まだ見続けていたのにはわけがある。これまで何度か乗った飛行機は、ほとんどが左座席なのでした。左座席からは、日本一の山、富士山は眺めることができません。今回は幸運にも右窓の座席をとることができたのです。今日の天気では、きれいな富士山は見ることはできないと思っていましたが、その時が来ました。案の定、雲を下に従がえた富士山
頭をチョボンと出して待っていてくれました。

                    

11:40着、十勝の大地から、羽田空港までの旅でした。
明日からはブログなんかやってる時間はありません。このPCは、日々の研修の整理に追われていることと思います。あくまでも予定ですけど。
                    

                    

                    

ロードシーズンもそろそろ、かな (その2)

2010年10月19日 | 自転車

1017日、おじさんがお世話になっているサイクリングクラブが、大樹晩成温泉までの1泊を含めたライディングを行うというので、忠類まで同行させてもらいました。本当は、一緒に1泊したかったのですが、次の日が月曜日で仕事の関係やら、この日の夕方融雪機のメンテナンスの関係で、業者さんが来ることもあってあきらめました。この日は、忠類地区の「どんとこい祭り」があり、そこで販売されるユリ根を購入するのが我が家の慣例になっていたこともあり、忠類まで行けば、帰りは奥さんの車に自転車を積んで帰ればいいと思っていたので、忠類までとしたのです。

9時に清柳大橋を5人で出発(途中から1名が加わりました)。霧が一面に立ち込めていましたが、風も穏やかで、仲間とのライディングは快適です。とかち帯広空港辺りで、霧も上がり、青空が広がってきました。下の写真は更別のスピードウェイ付近を走行中の仲間です。一番先頭のT氏は78歳、メンバーの船長さんです。一番後ろはM氏で、76歳はメンバーではナンバー2のお歳です。おじさんより若い人はいません。でも、青空の中を突き進む勇姿は、おじさんの目標としている方々です。その年までそうあってほしいと願っています。

                           


忠類では、どんとこい祭りで昼食を仕入れたり、往年のアイドル歌手、伊藤咲子さんのショーを観たりしていました。そうこうしているうちに、自転車では来れなかった2人の方も祭り会場に駆け付け、今晩の交流会に合流するとのことでした。おじさんもなんだか泊まれないのが残念に思いました。1230分、本隊は晩成に向かうことで、おじさんはここで別れることにしました。予定では、ここから乗用車に車を積んで帰宅することになっていたのですが、天気は良し、風も少し強めの追い風になっている。奥さんには付き合ってやれなかったけど、いつものようにおじさんのわがままを許してもらい、帰りもペダルをこぐことにしました。十勝大空間を時速30km~40kmのスピードで駆け抜けていました。

下の1枚は、秋まき小麦が大地に芽吹いている様子です。これから収穫も本格化する十勝の大地に、豊作を願って、来年につながる農作業が始まっていることがわかります。十勝の大地はいつもフル活動です。ちょっと休んでもいいよって言いたくなりますね。

                          


忠類から平たん部ばかり走ってきたので、時間も午後4時までに十分すぎるほどあったので、エコロジーパーク内の橋を2つ渡り、十勝川温泉から十勝ヶ丘展望台への激坂をアッタックしてから戻ることにしました。エコロジーパークの橋を走っている辺りから西側の雲と空の様子が気になり始めていたもので、これは十勝ヶ丘から見たらきっと素晴らしいのではないかとの期待もあったのです。奥のテレビ中継塔まで登り、折り返し十勝ヶ丘展望台へ戻ったところで、下のような空と雲の織りなす「天使の梯子(はしご)」に出会えることができました。※天使の梯子~雲の切れ間から差し込む、幾筋もの神々しい御光は、あたかも天と地を行きかうために階段のように思えます。そこで、ヨーロッパでは、これを天使の梯子、ヤコブの梯子などと言っています。(「空の名前」より)


                          
いい空との出会をシーニックバイウェイ十勝雄大空間の十勝が丘から見ることができて、パッピーな一日となりました。自宅に戻り、メーターを見たら、117km走っていました。    


ロードシーズンもそろそろ、かな (その1)

2010年10月18日 | 自転車

10月も後半、おじさんのライディングシーズンもそろそろ終わろうとしています。
この間、10月10日に紋別で開催されたセンチュリーランへ行ってきました。
イベントがメインなのですが、会場までの移動がおじさんにとってはたまらない時間なのです。

紋別へは、前日の9日、朝9時前に出発し、三国峠、層雲峡、上川町、滝上町経由で紋別市に入りました。
この日十勝は、雨こそ降ってはいないものの低い雲に覆われていて、この移動日が憂鬱に思っていましたが、三国トンネルを出たとたん、青空が待っていてくれました。遠くに旭岳や石狩岳(だとおもうのですが)遠望でき、心も晴れやかになりました。大雪ダムまでの移動中、きれいなうろこ雲に出会いました。うろこ雲は、天候が下り坂のときにできるようです。実際、その日の夕方から紋別も雨でした。                                   

                     
   

                     

層雲峡では、銀河の滝前に車を移動させ、滝と周辺の秋を観賞してから、上川町道の駅で昼食をとって、滝上町を目指しました。

滝上町は北海道の人には、シバ桜の名所として知られていますが、今の季節は花の観賞はできません。おじさんの目的は、ここの町の図書館に作家の小檜山博さんの資料展示がされていると聞いていたので、寄ったというわけです。言葉と文字に弱いおじさんですから、小檜山博さんの作品は読んだことはありません(石勝線特急の車内誌JRHOKKAIDOの随筆は月1で読んでますが)。でも、今から13年くらい前に直接会う機会があって、小檜山さんとの会話の中で印象に残った言葉があり、共感するところがあって、それから勝手な隠れファンとなったというわけです。その言葉というのは、小檜山さんいわく「都会は人が人を育てますが、田舎は自然が人を育てます」と。おじさん自身が田舎者で、自然の中で育ったものですから、この言葉には大きなインパクトがあり、今でも共感をもって心に残っているというわけです。自然は人間の芯を育ててくれます。自然の四季は感性を育ててくれます。人間が逆らえようもない自然の行為は、あきらめとともに畏敬の念を育ててくれます。自然の中の生物と同じ人間という動物が存在することをきっちりと認識できるのも自然です。知識と情報は文明人(養老 猛氏は、「都会は文明の象徴のようなものだ」と言っています)には大いに必要かもしれませんが、自然の中で生きていくには創造力と知恵が大いに必要に思います。文明と自然がバランス良く育っていることが人間にとって必要と思います。これは、おじさん心です。
まぁ、そんなこんなで、滝上町図書館によって小檜山博さんの人となりに接し、心を新たにしたということです。

                     

                     

紋別市には、午後5時にホテルチェックイン。明日のレースの準備をしているうちに6時になったので、フロントでパスタ料理を出しているレストランを紹介してもらったところ、居酒屋のパスタは1品しかないけど結構いけるということを教えてもらったので、行ってみました
。 入ったら、「お飲み物は何にしますか」と。おじさん「明日はレースがあるしアルコールは弱いので、パスタをお願いします」ということで、事は進んで、話の通りパスタを食べていたのですが、大将が60センチもあるカレイを持ち上げたものですから、「その魚は何ですか」と聞いたところ、大将「これは、紋別港の前浜でとれたイシガレイだよ」と。パスタもいいのですが、イシガレイに見とれてしまい、「うまそうだな。賞味したいな」という心がモクモクとわいてきちゃって、「大将すみません。そのイシガレイの刺身をお願いできませんか。お酒ですけど、モッキリ1杯は 多すぎるので半分ってことにはなりませんか」と言ってみたところ、「いいよ」の一声。というわけで、目の前でさばいてもらった、イシガレイのプリプリした触感は、なまらよかったです。 
                  
                       

で、肝心のレースですが、当日は朝から雨がシトシト降っていました。7時ころ会場に行ってみたら、知っている人の何人かは、「この雨の中、事故にでもなったらツールド沖縄に行けない」と言いつつ、レースをキャンセルしていました。おじさんは、そんなに気にすることもなかったので、ロード用のレインウェアーを着こんでレースには出ることにしました。雨の中、ウォーミングアップも終り、9時のスタートを待っていました。
スタート直前です。雨がやんで、急に青空がチラチラと顔をのぞかせたのです。ヤッター!思わず心の中で叫んでいました。おじさんのグループは10人いるはずだったのですが、4人でスタートです。クウォーターの43kmだったのですが、前半の20kmくらいは道路もウエットの状態で、小砂利交じりの水しぶきを跳ね上げながらのレースをしていました。後半になって路面もドライになり、快適な?レースを楽しみました。愛車よ、今日もゴールまで耐えてくれてありがとう。
                     

イベントレースが主なのか、会場まで行く道々が主なのか分からなくなっているおじさんでした。