イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「食料危機の未来年表 そして日本人が飢える日 」読了

2024年05月31日 | 2024読書
高橋五郎 「食料危機の未来年表 そして日本人が飢える日 」読了

新書は当たり外れが極端で、ハズレではなくても、結論は割と当たり前というものが多い。前回読んだ新書もご意見ごもっともという結論であった。それ以上でもそれ以下でもないという感じだが、センセーショナルなタイトルを見てしまうとつい手に取ってしまう。
特に、「なぜOOなのか」とか、「OOする人たち」みたいなタイトルや「滅亡」「危機」などという言葉が入ったタイトルは要注意である。
この本もそんなタイトルのひとつであった。

現代の農業システムの問題点を取り上げ、このままでは全世界が飢餓状態に陥ってしまう。日本もすでに「隠れ飢餓」という危機的状況に陥っているのだと警告している。
著者はそれを、独自の指数「投入法カロリーベース食料自給率」「タンパク質自給率」というふたつの指数を基に、現在、未来が抱える危機的状況、回避するための方策を唱えている。
独自の指数を導き出した理由は、各国政府や国連機関が発表している食料自給率は信用できないというのである。
ひとつ例を挙げてみると、家畜の飼料は穀物で賄われているが、1キロカロリーの牛肉を作るために11キロカロリーの穀物を消費する。発表されている数値はその差をまったく考慮していないというのである。だから、自給率を算出する時には食肉については家畜を飼育するために飼料として投入したカロリーを算出、加算して比較、論じることが必要であるというのである。
確かにごもっともだが、こういうことはすでにニュースや新聞でもよく目にすることだし、著者にしてもすべて二次データを再加工しているのみで、独自に収集した1次データを使っている様子もなく、参考文献を見てもほぼすべてがどこかのホームページだというのでは根拠となる独自指数もなんだか怪しいような気がしてくる。
まったくでたらめの指数ではないのだろうが、そんなことを思いながら突っ込みを入れたくなりながら読んでいるからなのか、それとも、単行本を書く学者と親書を各学者はどこかが違うのか、どうも文章がまとまっていなくてかつ即席感が漂っていて読みにくい。

とはいうものの、内容はまとめておきたいと思う。

日本の食料自給率というのは、公表されている2022年のカロリーベースの自給率で38%だそうだ。しかし、著者の指数「投入法カロリーベース食料自給率」では18%になってしまうというのである。かなりの開きだ。これが著者独自の指標を作った理由だそうだが、この方法で世界を見てみると、現実的に食料を自給できている国は10か国程度しかない。
この自給率についてであるが、本に掲載されている表の中で、アフリカの貧困国と言われているような国が意外と高順位に位置している。エチオピア、ニジェール、マラウイ、チャド、トーゴというような国である。こういう国は国民のカロリーが自給で相当分を賄えているのかというとそうではなく、食料を輸入するための外貨がないので輸入できないので必然的に自給率が上がってしまっているというのである。GDPは1000ドルから3000ドル、一人当たりの1日平均カロリー摂取量は2000キロカロリー以下だという。ちなみに日本はGDP40586ドル、一人当たりの1日平均カロリー摂取量は2418キロカロリーである。世界平均の一人当たりの1日平均カロリー摂取量は2363キロカロリーである。ちなみに人間が必要とするカロリーは1日2400キロカロリーだと言われている。

日本国内の農地の減少の推移は、昭和36年に609万ヘクタールであったものが令和4年には433万ヘクタールまで減っている。約30%も減ったことになる。通勤電車の窓から見える光景もそんな感じで、畑や田んぼであったであろうところの所々が住宅地になっている。それに加えて荒れ地になっているところもかなり見える。おそらく、こういう荒れ地は今でも農地として登録されているのだろうから実際に機能している農地というのはもっと少ないはずだ。叔父さんのところの畑でいうと、実際に作物を作っている面積は耕地面積の減少の逆数になってしまっていて30%もないであろう。
実際、荒れ地となっている耕作放棄地は日本では39万6000ヘクタール、全耕地面積の9.2%にあたるらしい。僕が家の周りをウロウロしているときに受ける印象もそんな感じだ。
これは著者の想像のようだが、この比率を世界規模に当てはめると作付け可能地面積13億8700ヘクタールのうち1億4000万ヘクタールくらいは荒れ地になっているのではないかと著者は見ている。
作り手がいない、採算が取れない、バイヤーが求める品質をクリアできない。自然災害や戦争、内紛などの理由が考えられる。また、フードメジャーと言われる企業が国際的な価格操作をおこなうことも小規模な農家の経営を圧迫し耕作放棄地を生み出す原因にもなっているそうだ。
こういう事態を回避するには、農産物の価格が世界では一つ、一物一価の法則が成立しなければならないという。そうしなければ世界中に偏りなく農産物を輸出し、不足分を輸入する仕組みを作ることができないと著者は考える。これを実現するというのはなかなか難しそうだ。著者もそれは夢物語であると認識していて、だからこそすべての国が食料自給率を高めるというのが最良の選択であるという。
そのための提案として、
① 貧困国に国連農場を作る。
国連にはFAO(国連食糧農業機関)という機関があるが、そういう機関が中心となって貧困国中心に農場を作るというものだ。長期間におよぶ借地期間と、ある程度(数百ヘクタールの面積:日本の平均規模は3.1ヘクタール)の規模を持った農場と農業指導をおこなうというものだ。
② 飼料向け穀物を半分にする。
人が1日当たりに必要なエネルギー2400キロカロリーを確保するためには年間500キログラムの穀物が必要とされる。これは家畜の飼料として使われる穀物の分量も含まれている。計算上、穀物だけで2400キロカロリーを接種しようとすれば年間250キログラムで済むそうだ。飼料に回る5億トンの穀物を直接、食料に回すことができれば20億人を飢餓から救えるという。
③ 先進国の努力目標として、1人1日100グラムの穀物を節約する。同じく努力目標として1人1日200グラムの穀物を増産する。
先進国に中国の人口を加えた23億人(どうして中国の人口を加えているのかは不明だが・・)が1日100グラムの穀物を節約すると年間8400万トンの節約になる。しかし、穀物の消費が減ると肉の消費量が増える傾向があるらしく、なかなか難しい。
この23億人が暮らす国々がひとりあたり200グラムの増産の努力をすると年間で1億7000万トンの増産になる。
④ 遺伝子組み換え作物とゲノム編集食品を積極的に導入する。
安全性には不安があるが、病気、害虫に強い作物は、飢餓が進み世界レベルで食料の奪い合いが起こるような際にはどうしても奨励されるべきであるという。
⑤ 若者を惹き付けるスマート食品供給システムを開発する。
大規模で自動化された農業の開発で若者を農業に呼び戻そうというものだ。 
⑥ 農地土壌改良の新技術を開発する。
農薬を大量に投入する現代農業は土壌を疲弊させてしまうので有機農業を積極的に取り入れるべきであるという。また、家畜を飼育する段階で生まれるメタンガスは地球温暖化の原因のひとつになっている。これは土壌の悪化にも影響を及ぼしているので飼育頭数の削減やメタンガスの回収なども必要である。
⑦ 畜産品の代替食品の開発。
家畜の飼育に投入される穀物を減らすため、人工肉、培養肉の開発、実用化が急がれる。
⑧ 10億トンの「食品ロス」を解消する。
FAOの統計では2020年の主要農水産物のロスは6億8000万トンで、これは中国が生産する穀物の重さを上回っているそうだ。ひとり当たりでは、87キログラムで、2010年からは17キログラムも増えている。
日本では食品ロスは年間610万トン。ひとり当たりでは21キログラム。1日あたり57グラムという計算だが、実感としてはもっと多いような気がすると思ったら、この統計には、加工食品、食堂の客の食べ残し、売れ残り、きのこなどの林産品(きのこというのは農産物ではなくて、木材と同じ林産品という区分になる。だから、こういう統計には計算されないそうだ。)は除外されているという。あまり意味のない統計だ・・。著者の見解では、穀物ロスは農法や倉庫管理などの近代化で削減は可能だが、それ以外のロスについては難しいと考えている。
⑨ 市民・農家契約システムの導入。
農業生産者と市民が個別の協力関係を結び、市民はできる範囲で資金協力や助言、安心できる食料の購入、食糧販売支援、市民紹介などを持続的におこない連帯と共存の食料生産システムを提案する。
などの施策と努力目標を挙げている。
これらもごもっともなのであるが、なかなか難しそうだ。かなりの部分は世界の人々が性善説に則った精神と我慢の精神がないと実現できそうにない。著者もこういう提案をやりながらこれは無理そうだと書いているので提案しても意味がないじゃないかと思えてくる。
技術的には実用化できても遺伝子組み換え食品などには心理的な抵抗があるだろうし、100グラムの節約は継続的にダイエットをするということと同じだろうから、僕のような人間はともかく、普通ならなかなか我慢できないのではないだろうか。せめて食品ロスなんかはなんとか自分でも努力したいものだが、1人がやっても焼け石に水以下だろう。
そんなことを考えていると、提言としては素晴らしいが、これしか将来の飢餓から逃れる道がないのだとしたら絶望しか残らない気がした。

農林水産省の計算では、日本では現状の耕地面積だけでも人間が1日に必要とされる2400キロカロリーを賄うことができるという。すなわち自給できるという。
しかし、それはかなり貧相な食事で、カロリーの高いイモ中心の作付けをするという条件がつく。2食はサツマイモで、牛乳は5日に1瓶、卵は1か月に1個、焼き肉は21日に一皿しか食べられないらしい。



そうとう質素な食事だと思ったけれども、よく見てみたら、卵以外は僕の食生活よりも贅沢な気もしてしまうが・・。サツマイモを質素言ってはいけない。水軒のサツマイモは質素とはまったく逆の美味しい野菜なのである。

これも農地が減っているというということが大きな原因だと思うが、その原因となっているのが「農地法」だ。1952年から変わっていない。
農地を守るために農地の売買には農業委員会というところの許可が必要で、実質的に売買や農地信託ができないようになっているという。農地は農民だけが所有することができ、農業ができるのは農民だけだと決めてしまっているのである。高齢になって跡継ぎがなくて、誰も作物を作れない。隣に貸そうにも隣も高齢で・・というので耕作放棄地になってしまっているのである。
同時に読んでいた雑誌に掲載されていた短いエッセイには、スペインの農地の話が乗っていた。農地の減少を防ぐため、農民には強大な特権(その内容は書かれていなかったが。)が与えられ、その代わりに農民は畑をほかのものに転用できないし作付けも維持しなければならない。しかし、その特権があまりにもおいしいものなので誰も農地を売らないというのである。他人に貸してでも農地を維持しているというのである。
これはEUの農業政策の一環で、国際分業で自給率を維持しようという目的のものである。食物自給率は安全保障につながるものであるという考えからで、軍隊のある国とない国の危機管理の意識の違いというところだろう。

個人的には世界の食料危機よりも、この農地の減少というのが一番気になる。それはいつも叔父さんの家の周りの畑を見ているからだろうけれども、なぜそんな制度を変えることをしないのか、誰が変えようとしないのか。確かに、補助金をいっぱい貰える農業や漁業の既得権というのはなかなか手放したくないものなのかもしれない。港に建っている奇妙な建物なんて、ほとんどすべてが補助金で建てられているらしいというのを聞くとそう思えてくる。しかし、そういうものが利益を生んで税金をいっぱい払っているという感じにも見えないので、べつに漁民も農民もそれで収益を上げているわけではないのじゃないかとも思うのだけれども・・。だから、外から見るとまったくの無駄遣いに見えるのである。

この本の役割ではないのかもしれないが、そういったことをもっと著者は訴えるべきではなかったのだろうかと思うのである。
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水軒沖釣行

2024年05月26日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:中潮6:53満潮
釣果:アマダイ 5匹 キビレ1匹 イトヨリ1匹

船を進水させ、ドックの施錠をしてから水軒沖に向かった。前回、前々回は紀ノ川河口に近いところがポイントであったが、雑賀崎からの出港だし、今日の釣りは船をおろしたついでの釣行という位置づけなのであまり遠い所まで行きたくはない。

双子島の沖、水深30メートルのところからスタートすることにした。アマダイを狙っているほかの船ははるか沖に浮かんでいる。



この海域には僕ひとりしかいない。それでも今日の位置づけは“ついで”なので気にしないことにする。
いつものとおり竿は3本、手持ちの竿だけブラクリ仕掛けとした。すべての仕掛けをセットして、上架のために準備したロープや船の上で使った装備などを整理して一息ついた。



朝食代わりのパンを食べて終わってすぐにアタリがあった。最初から最後まで流れがなくて仕掛けが絡んでしまうほどのあまりよくない条件であったが、幸先よく1匹ゲットだ。やはり置き竿が調子いい。この釣りは放置しておくというのがひとつの肝なのだ。
次にアタリがあったのは手持ちの竿だ。前回の釣行ではうまくフッキングしたけれども今日は失敗した。多分タイラバと同じだからアタリがあっても基本的には巻き続けて鉤に掛けなければならないのだろう。少し焦ってしまった。
次にアタリがあったのはスピニングロッドだ。今日の目標は最低2匹。上架の作業を手伝ってもらった叔父さんの家にはなんとしても魚を持って行かねばならない。とりあえず2匹を確保できたので一応のミッションは達成した。
次のミッションは自分用の1匹だ。アマダイは今年もけっこう釣ったのでそんなに食べなくてもと思っているのだが前回一緒に出船したFさんが皮の炙りを作っていたのを見てこれは僕も作ってみなければと思っているのだ。アマダイは釣りとしてはそんなに面白いものではないように思っている。アタリの数は少ないし誘いも頻繁にやらない待ちの釣りである。しかし、こと食べるとなるとおそらく値段のとおり一級品なのである。
そしてその3匹目はまた置き竿。4匹目はテンビン仕掛けに変更していた手持ちの竿だった。かなり引くのでこれはきっと50cmクラスのアマダイだと思ったのだが上がってきたのはキビレだった。河口でもないこんなところにもキビレがいるのは驚きだ。これも食べると美味しい魚なのでもちろん持って帰る。
アマダイの4匹目も手持ちの竿だった。これもよく引くのでひょっとしたらまたキビレかと思ったがきちんとアマダイであった。4匹釣るともっと欲が出てくる。あと1匹釣ったら叔父さんのとなりのおじさんの家にも持って行ける。来年もキンカンをもらいたいのでおべんちゃらのためである。
しかしそんなに現実は甘くない。午前10時までは粘りたいと思っていたが次第に暑くなってきて午前9時過ぎから釣りを終える準備を始めた。まずは写真を撮ろうと魚を番重の上に並べていると置き竿にアタリが出た。おお、5匹目かと思ったが小さなイトヨリだ。やっぱり世の中そんなに甘くはない。
写真を撮って内臓を取り出しデッキを洗ってデッキの前にセットしている2本の竿を片付け最後の手持ちの竿の仕掛けを回収していると魚が掛かっている。こういう掛かり方もよくあるのだ。上昇してゆくエサへの反応が強いのだと思うのだが、なんとかこのシチュエーションを再現する方法はないものだろうか・・。上がってきたのは小さいけれどもアマダイだ。これで最終目標まで到達できた。(だから1匹だけ別に撮っているのである。)
しかし、なぜだか5匹を超えない。持って行くエサの量も少なくてそれが制限になっているのかもしれないがやはりそこは高級魚と言われるくらいで、そんなに数がいるものでもないのだろう。一昨年の爆釣のほうがおかしかったのだろう。それでもこんな近場で釣れるというのはうれしいことだ。

船底塗装をする前、別にやらなくても全然速度は落ちていないじゃないかと思っていたのだが、塗り終わってみるとやっぱりフィーリングはかなり違う。スロットルを開いてゆくと船の浮き上がりは早くもちろん加速度も違う。やっぱりやっておいてよかったと思うひと時であった。



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船底塗装

2024年05月25日 | Weblog
今日は予定通りに船底塗装をした。船の速度はまったくといっていいくらいに落ちていない感じなのでそのまま乗り続けてもいいのではないかと思ったのだけれども、何もせずに夏を越すのはやっぱり怖い。船底がきれいだったら舵とスクリューだけ塗って終わりにしようと思っていたが、それは叶わなかった。

そんなことをずっと考えていたのでまったくやる気になれなかったというのが事実だ。人間は間違いなく楽な方に流されてゆく。定年退職もしたし、もう何も怖いものはないと思っていたけれども何も変わっていない・・。

今回も叔父さんに頼んでウインチのスイッチを操作してもらう。前回もやってもらっていたので今回は段取りを説明しなくてもと思っていたのだがとぼけているのか本当にボケているのか、最初からまた説明をする。かといっていったん操作が始まると的確にやってくれる。やっぱりとぼけたふりをして僕をからかっているのだろう。

 

予定どおり午前6時半に上架が終わり作業を開始。



僕も他人のことはとやかく言えない。年に2回の上架なのでいまだにスイッチの場所を覚えることができない。最初、高圧洗浄機は作動せず、次にサンダーも動かない・・。あちこちスイッチをいじくってやっと作動させるというていたらくなのである・・。



今年はやっぱりあまりフジツボが付着していない。



とはいうものの、藻はたくさん付着しているし所々にはフジツボが見える。高圧洗浄機で藻を吹き飛ばしてそこそこ綺麗なら何もしなくて済むのにと思ったが、ここの高圧洗浄機は威力が凄まじく塗料も一緒に吹き飛んでしまうのでやっぱり全塗装をしなければならなくなった。シンナーの予備を買っていなかったので足りるかどうかの心配の中で作業を進めたがギリギリ使い切って終わることができた。シンナーはかなり節約したのは確かだったのだが、これくらいの濃度のほうが塗料が飛び散ることも少なく塗膜面の厚さも確保できるのかもしれない。不幸中の幸いというところだろうか。
そして、シンナーもそうだが、資材の値上がりは大変だ。ローラー刷毛は40%の値上がり、塗料は10%以上、カップワイヤーも倍近くの値段になっていた。亜鉛類も相当だ。何か節約せねばと思い塗料を溜めるバケットをその都度捨てていたが使い続けることにした。ささやかな抵抗である。
そのほかは風が強すぎたことを除いて順調に作業は進み、いつもと大体同じ時刻、お昼前には作業を終えることができた。何もかもが飛ばされてゆくけれどもその分涼しくてまったく辛さを感じなかったのはありがたかった。
その後、スタンチューブの交換をしたのだが、これのほうが時間がかかった。コックボードがすり減っているのだろう、はめ込むスペースの偏りが大きくなっている。無理にたたき込みながら作業をするので時間がかかるのだ。
あと片付けと交換作業で追加で1時間を費やし午後12時半に港を後にした。

使用料を取りに来てくれる爺さん、いつもはお金を渡すだけなのだが、今日はいろいろ話をしてくれた。「この船、どこに泊めてるの?」という話から、「僕は元々水軒に住んでて・・」という話をしていると、この爺さんは叔父さんの同級生であるということがわかった。OOという名字で歳が78歳で昔赤いセドリックに乗っていたといったら僕の叔父さんしかいない。世間は狭いというか、県庁所在地とはいえ、所詮田舎だ。誰かがどこかでつながっているのだろう。叔父さんにそんな話をすると、「ヨシヤ」という名前のはずだという。間違いなくかつての仲間だったらしい。この家にもよく遊びにきていたそうだ。
旧約聖書には「ヨシュア記」という一説がある。イスラエルがヨルダン川西岸を支配している根拠となっているもののひとつだけれども、なぜか「ヨシヤ」さんという名前を聞いて聖書を思い出した。現在も続いているイスラエルのガザ侵攻というのは聖書の時代の出来事が発端なのだからやっぱり一筋縄ではいかないのいだろう・・。

翌日、午前6時に海に戻す。今日は叔父さんの息子、すなわち僕の従弟が手伝ってくれる。4月に仕事を早期退職して実家に戻っている。再就職はぜずに農業を手伝いながらバイクと車をいじっているというなんともうらやましいセカンドライフを送っている。

従弟が港にやってくる前にウインチの電源を入れておくため扉の鍵を取りにいく途中、港内の駐車場で発泡スチロールのクーラーボックスを見つけた。地元の人の忘れ物だろうかと興味本位で中を見てみると小さなアジとオセンが1匹ずつ入っているだけであった。これは地元の人のものというよりもここに釣りに来た釣り人が、魚が釣れなかったものだから捨てて帰ったものだろうと考えた。腐敗している様子もないので夜釣りにやって来たやつが置いていったものだろう。ここも最近はたくさんの釣り人が訪れるようになった。



釣具屋のシールが貼られていたが、けっこうな値段だったような気がする。イカ釣り用に買おうと思ったら高すぎるのでやめた記憶がある。こんなものを買って釣り場にやってくるというのは多分初心者の釣り人なのだろう(氷も入っていた気配がないのでそれも不思議だ・・)が、釣れなくて腹が立つのは勝手だがゴミにしたければ家に帰ってからゴミにしろと言いたい。まあ、僕にとってはいい拾い物だとありがたくいただいて船のところに戻った。



従弟がやってきて、ひと通り手順を説明して作業を開始。特にトラブルもなく船は再び海の上に浮かんだ。
そして僕はそのままアマダイを狙うべく沖に向かった。その顛末は明日のブログで・・。
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「愛しのゴキブリ探訪記 ゴキブリ求めて10万キロ」読了

2024年05月21日 | 2024読書
柳澤静磨 「愛しのゴキブリ探訪記 ゴキブリ求めて10万キロ」読了

このジャンルの本を見ていると、その内容よりもこの人たちはどうしてこんなものに情熱を燃やせるのかと感じると同時に、こんなもの(決して悪い意味で使っているわけではないのだが・・)にさえ情熱を燃やせない人は何をやっても大したことはできないと思うのである。バッタの時もそうであったし、洞窟の生物のときもそうであった。
その典型が仕事だ。なんとなく雰囲気でとか、上司と取引先とのひそひそ話(これを僕たちはフレンドシップマーチャンダイジングと呼んでいた。)とか、苦しまぎれで考えた施策などは、大体、「これで業績上がるの・・?」というものばかりだ。だからもちろんそれを実行に移す段ではやる気が起こらず適当に済ませてしまうの繰り返しであった。

昆虫の研究でも、農業に役立つものでもなく、ゴキブリといっても駆除のための研究でもなく屋外に棲んでいるゴキブリを研究しても多分何の役にも立たないように思う。それでも、これを研究しようと決めたら、それの社会的意義を度外視してとことん熱中するという心の構造が必要であるのだ。
自然の摂理の解明と会社の営業活動とはかなり違うとも思っているのは僕だけかもしれないが、昨日、太平洋戦争で従軍した人の娘が父についての本を書いたという記事が新聞に載っていて、その軍人は、戦争自体には反対をしていたものの目の前の戦争には命をかけて向かって行ったそうだ。山本五十六もすでにこの戦争は負けると意識しながらも自分の使命を全うしようとしたそうだ。
記事の軍人は中将という地位にあった人らしいが、位が高い人ほど意にそぐわなくても立場上やらねばならないことはやらねばならないのだという信念が強いのだろう。きっとそういう信念が昇格の必要条件でもあったのかもしれないなどと、この本の本題でないことばかりを考えてしまう。

やっと本題のこの本の内容に入るのであるが、ゴキブリの生態や解説ではなく、国内や海外のゴキブリを見つけるという、タイトルのとおりの探訪記という感じで書かれたものになっている。
著者も、世のなかにそれほど多くのゴキブリファンがいるはずもないということが初めからわかっているらしく、「世界の歩き方」のように、ゴキブリ探訪の時の装備や注意点などに重点を置いて書いている。
そういったことは著者のゴキブリへののめり込み度を際立たせるのにも役立っている。
そして、これがカブトムシやカミキリムシのような昆虫界のヒーローが主役なら大勢の中に埋もれてしまって本を出すまでには至らなかっただろうと考えると、それは偶然だったのか、戦略だったのかはわからないがゴキブリらしくうまい具合にニッチ(隙間)を見つけたものである。まったく著者の勝利だ。

世界中でゴキブリは4600種以上いると言われている。そのうち、国内では64種が生息しているそうだ。ゴキブリというのはゴキブリ目というグループを作っていて、その特徴というのは、『扁平で、小判型をしており、触角は糸状で多数節、肢がどれも同じ形で棘列(トゲ)が発達していること、尾肢を持つ。』というのだが、その特徴を最も表しているのが家の中で見つかるゴキブリである。



この、尾肢というものもどうも気持ちの悪い原因になっているのかもしれない・・。


その、家の中に人間と同居しているゴキブリは、主に「クロゴキブリ」か「チャバネゴキブリ」という2種類だそうだ。
こういうゴキブリはいくら見ていても全然親しみを持てないが、屋外にいるゴキブリたちは形も多様でカラフル、大きさもいろいろだ。動きも家の中のゴキブリのように気持ちの悪い素早い動きをするものばかりではない。著者も家の中のゴキブリを見て興味を持ったのではなく、西表島でみつけたヒメマルゴキブリというダンゴムシのようなゴキブリだったそうである。
去年、カブトムシがやってくる木を見つけたとき、そこにはゴキブリもいて、人家に近いとこんなところにもゴキブリがいるのかと嫌な感じがしたがあれはまた別の種類であったのかもしれない。見た目はまんま普通のゴキブリであったが・・。
掲載されているゴキブリのほとんどは白黒の画像であるが、確かにこれなら生で見てみたいと思える姿であったのは確かである。

面白かったのは、「ゴキブリ」の語源である。濁音がふたつも入っているというのがそもそも“気持ちが悪い”という印象をもたらす元凶だと著者も書いていて、これが“コキフリ”だったらゴキブリの地位ももっと高くなっていただろうというのが著者の考えだが、元は「ゴキカブリ」という名前だったそうだ。
ゴキブリの“ゴキ”というのは“御器”という意味で、蓋つきのお椀のことである。マイマイカブリ同様、“御器”に頭を突っ込んで餌を食べている虫だというのがその語源だったらしい。
それが、1884年に出版された、日本初の生物学用語集「生物學語彙」の誤植によってゴキブリが“ゴキブリ”になってしまったというのである。
「生物學語彙」にはゴキブリが2度出てくるのだが、ひとつ目は“蜚蠊属(ゴキカブリゾク)”と書かれていたが、ふたつ目では同じ文字の送り仮名が“ゴキブリ”となってしまっている。当時、製本は活版印刷が主流だったので、版組のときに「カ」を入れ忘れてしまったのではないかとされているそうだ。
まだ、「ゴキカブリ」のほうが可愛かったのではないかと思うけれども、画像を並べてみるとやっぱりあまり可愛くはないのである・・。

        

と、ゴキブリ自体ではなくそれを取り巻く周辺の事どもが面白い1冊であった。
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水軒沖釣行

2024年05月18日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:若潮9:41干潮
釣果:ボウズ

例年なら今頃からチョクリでサバが釣れ始めるころなので調査に出てみた。本当は加太に行きたかったのだが、今日はトンガの鼻の草刈りの日だ。先月はアマダイに阻まれて参加できなかったので今日はきちんと参加をしなければならないので勝負が早い釣りを選んだというところだ。


先週はかなり寝坊をしたので昨夜は早い目に寝てきちんと午前2時半に起きることができた。と言っても午前4時半の出港でもすでに辺りは明るくなっていた。



ひと月後には夏至を迎えるのでこれから2ヶ月はかなり早く家を出なければならない。つらい週末が続く。

午前7時までには終了してトンガの鼻に向かわねばならないが2時間半あればかなり沖まで出ることができる。水深50メートルまで一気に船を進める。



風は穏やかで潮の流れも緩やかだ。仕掛けもいい角度で入っている。形而上はどう見ても釣れるシチュエーションだが、形而下には魚はいないようだ。



魚探に反応らしきものがあるけれども、どうもこれは潮の境目の感じである。



こうなってくるといつまでやっていても一緒だろうと思えてくるので午前6時半に終了した。

来週は船底の塗装を予定しているのだが、船の速度は快調だ。ひょっとしたら上架する必要はないのではないかと思える。例年なら舵の周りにはかなりフジツボがたくさん付着しているのだが今年はあまり見えない。スクリューもかなりきれいに見える。理由はよくわからないが港の水質はかなりよくなったような気がするのでその影響だろうか・・。雑賀崎の人たちに聞くと、あの港では上架は1年1回でよいというのでそれに近づいているのかもしれない。
しかし、それでも何もせずに夏を越すのは無理だろう。動きが悪くなった時点で上架するという方法もあるだろうけれどもその頃は真夏になっているだろう。炎天下のなかでの作業は辛すぎる。どういった方法を選択するのが効率的で経済的なのか探る必要があるような気がする。おカネはできるだけ節約せねば・・。

港に戻って叔父さんの家で時間を潰してトンガの鼻へ。
今日はなぜだか参加者が少ない。明日はここで結婚式を挙げる人がいるということを聞いていて、念入りに作業をするのだと思っていたら肩透かしを喰ってしまった。
Fさんはちゃんと出勤していたので聞いてみると、このあとすぐ雑賀崎の灯台のリニューアルの式典があり、そっちに行かねばならないので開始時刻を早めたそうだ。なので、作業への参加者も少なくなる見込みだったので昨日までにほとんどきれいにしてしまったそうだ。
確かに、入り口から奥まで、すごくきれいになっていた。



せっかくだからあんたも見て帰りなさいと言ってくれるので灯台を尋ねてセレモニーを見てみた。



聞くところによると、灯台の塗り直しの費用は2200万円だったそうだ。それも、灯台の先端の所管は海上保安庁で、そこから下は和歌山市の所管なので塗った業者が異なるそうだ。この2200万円はおそらく和歌山市の負担分なのだろう。まあ、保安庁の部分は光源をLEDに変更する作業もしているらしく、それはそれで必要な費用であったと信じたい。
この灯台の灯りは陸の方にも届いていて、湿気のあるときや埃が漂っているときには灯台らしい光線が見えたのだが、今回の改修で陸側には光が漏れないようになってしまったそうだ。昔からの風情がまたひとつ消えてしまった。

どんな経緯で費用が出されたのかはよくわからないが、セレモニーに立ち会っている役人のひそひそ話を盗み聞きしていたら、国の「日本遺産」関連の予算からも出ていて、こういうハード部分に費用が出るのは稀なことらしい。観光協会やらなにやらの関係者の働きかけの賜物だったのだろう。“ツルホ” なんていう言葉も聞こえてきたのでそういう人の口添えもあったのかもしれない。知らんけど・・。
しかし、こういう費用というのが、欲しいと言わないともらえないのだとしたら、声を出せる人はいいけど出せない人は永遠に恩恵を受けることができず、それを分捕る団体交渉をするための組織が生まれてそれが政党というものに発展してゆくのだろうなと考えてしまった。みんなおカネに群がりたいのだ。
そんなことを考えているからか、、今、このタイミングで塗り直す必要というのはあったのだろうか・・?という疑問は残ったままである・・。

団体を持たずに、分捕るための声を上げることも拾ってもらうこともできず、奨学金を受けられない学生たちや収入を補填してくれない母子家庭などは永遠に報われないのがこの国なのだろう。昨日のニュースでは、奨学金を申請してももらえない学生は申請者の半分になっているという。
2200万円あればどれだけの人を助けることができるのだろうか・・。灯台は確かに真っ白になっていたが・・。



ニュースというと、夕方のニュースで人知れず僕の後ろ姿だけ映っていた・・。



そして一方で、こういうことができる人たちが「大人」というのだろうなと思った。人脈と駆け引きというのだろうか、人を動かしておカネを使うことができる人を大人というのだ。きっと。
和歌浦の漁港の観光用の看板も古くなっているからなんとかしろと市役所の役人に指示をしているようなひそひそ話も聞こえてきたが、民間でも役所でもこういうひそひそ話からいろいろなことが動き出すのかと、もとが人嫌いだから僕にはそういうことは絶対にできないのでいつまでも大人になれないのだと思ったのであった。

このブログの原稿は翌日に書いている。どんな人が結婚式を挙げるのかはしらないが、あまりにもきれいな思い出を作ってしまうと後々ケンカをしたり別れ話が出たりしたときにかえって邪魔な思い出になってしまうので、そんなに感動的な演出(といっても、虫がいっぱいの原っぱで感動的な結婚式ができるのかどうかも疑問だが・・)をする必要もなかろうと思っていたら朝からはあいにくの雨模様だ。まあ、神様もそういうところはちゃんと心得ておられるのだろう、雨を降らせて少しだけ水を差してくれたというところだろうか・・。

そんなことを思っている僕はやっぱり大人ではないのである・・。
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「人類滅亡2つのシナリオ AIと遺伝子操作が悪用された未」読了

2024年05月16日 | 2024読書
小川和也 「人類滅亡2つのシナリオ AIと遺伝子操作が悪用された未」読了

僕の感想から書くと、まあ、たいしたことのない本であった。
AIの暴走と遺伝子操作をされた人類が増加することによって本来の人類が絶滅する恐れがあるというのである。パンデミックでも核戦争でもないというのは著者の職業からくるのであろう。

この本では「人類滅亡」をこう定義している。
・人間社会が機能しなくなり、人間による文明や技術が崩壊し、人間の生活が維持できなくなる状況。そこには、人間による主体的な統治の終了を含む。
・現生人類の個体数が大幅に減少し、種としての生存が不可能になる状況。
・遺伝子の変化は種の絶滅に該当しないと考えられることが多いが、一般的なホモ・サピエンスとは異なる人間、例えば数世代に及ぶ遺伝子改変の結果、現生人類とはかけ離れた性質を持つ「ポスト・ヒューマン」が誕生し、種の進化とは見なせない人間にホモ・サピエンスが置き換えられてしまう状態。

著者が考える、AIが引き起こす人類滅亡のシナリオは、二つある。ひとつは、機械学習やディープラーニングでAIが進化してゆく段階で、悪意をもった人物が偏った情報を提供することで人間に不利な回答を出させることである。
法律、規制、経済、社会インフラ、教育、医療など人間生活に欠くことのできない部分でAIの提言が大きなウエイトを占めるようになったとき、その歪んだ情報は人間を不要なものだと判断するかもしれない。まあ、地球を汚染したり無駄に資源の浪費をしているのは間違いなく人間なのだから不要な炭素体ユニットだと判断されるのは実は正しい判断だったりするのかもしれないが・・。
もうひとつはすべての判断をAIに頼ることで、またAIには追い付けないということで人間としての本質である努力や向上心といったものを失くしてしまい進歩の主役をAIに引き渡してしまうという事態である。まあ、これも、僕みたいな人間はすでにAIでなくても誰かに人生の主役の座を譲り渡してしまっているのだから個人的には滅亡してしまっている・・。

遺伝子操作が引き起こす人類滅亡のシナリオはゲノム編集を受けたデザイナーベイビーが生まれ、子孫にその遺伝子が受け継がれその遺伝子の改変部分が数世代にわたって受け継がれてゆくとまったく新しい種「ポスト・ヒューマン」が生まれ、その時点で現生人類は新たな種にその立場を譲り渡して滅亡したと判断されるというのである。

その防止策として、個人個人の倫理観を高めることと世界規模での共通の価値観を持った規制が必要であるというのが著者の主張である。なるほどもっともだと思うのであるがそれ以上でもそれ以下でもない・・。

しかし、人類はいまや80億人もいる。AIというのは、これは現在の状況に過ぎないかもしれないが膨大な電気を消費するそうだ。巨大な電源がないとAIは働けない。握り飯1個と水があれば数日生きることができる人間とはそこが違う。80億人もいれば誰かが悪意を持ったAIの教育係に反旗を翻し、人間に不利な判断をしているAIの電源を破壊してくれるだろう。また、これだけの人口がいれば遺伝子操作された異性をどうしても好きになれない人たちがいて、ホモ・サピエンスの血統を守ってくれるはずだ。

そう考えると、著者がいう、統一された価値観のようなものがかえって人類滅亡を招く結果になってはしないだろうか。どのイデオロギーが正しいかは別にして、対立したものがあったとしてもそのどれかが生き残れば人類としては生き残ったということになるのではないだろうか。多様性が人類を守ってゆくということだろう。
局所的な部分で見ると戦争は命を消費しているが、マクロな見方をすると多様な考え方を維持し付けるための必要悪なのかもしれない。本当なら、対立しながら別の面では均衡を保ちながら数年か数十年の平和を次の世代に引き継いでゆくしか最善の策がないのかもしれない。
その面で見ると、ウクライナやガザの紛争は人類の失敗ということだろうが、そこさえ乗り越えることができればギスギスしながらも人類は滅亡していないということになり、これこそがAIにも遺伝子操作をされたポスト・ヒューマンにもできない技なのかもしれない。
なんといってもこれはまったく合理的ではない方法なのだから・・。

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「大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち」読了

2024年05月15日 | 2024読書
藤井一至 「大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち」読了

この本の著者は、「土  地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて」の著者だ。
「大地の・・」のほうが出版年度は古いが順序としてはこの本を後に読む方がよいという気がする。適当に読んでいたが偶然にもよい順序で読んでいた。

先の本は世界に分布する土壌の種類について書かれていたが、この本はその土壌と生物はどのようにかかわってきたか、そして人間はどうやって土とともに生きてきたかということが書かれている。使われているキーワードは「変化」と「酸性」。この切り口がシンプルでわかりやすかった。

このキーワードをもとに、5億年前に植物が地上に進出したあと、砂や粘土の堆積層(レゴリス)から生まれた土壌がその後どんな形で動植物と関わり変化してきたか、そしてさらに時代が進み、人類が農耕を始めたとされる1万年前から現代までの人間と土壌との関わりの2本立てで書かれている。

「土」の定義は、先の本にも書かれていたが、『岩の分解したものと死んだ動植物が混ざったもの』ということなので、地上に「土」が現れたのは5億年前ということになる。最初に地上に進出した植物は地衣類とコケだ。岩石にはリンやカルシウム、カリウムなどのミネラル分が豊富に含まれている。岩石のままでは地衣類やコケはミネラルを吸収することはできないが彼らは岩との接触面で有機酸を放出して岩を溶かして吸収する。その大部分は吸収されずに残存し、風化という作用もあるけれども、植物たちも自分で岩を分解して残存物を混ぜこんで土を作り始めたのである。
そして、この土が次のシダ植物の繁茂するベースを作った。シダ植物はタフな植物で、強度の酸性土壌でも生きてゆける。重金属の汚染地帯でもOKだそうだ。
地衣類やコケが創り出した土は㏗4という強酸性だったのである。それに加えて、シダ植物が繁茂し始めた4億年前の空気はCO₂濃度が現代の10倍もあった。これも土壌が酸性になる要因であった。
湿地帯に多かったシダ植物は水の中では分解が進まず泥炭となって残る。この泥炭は数千万年から数億年の間に地中深く埋まり、高熱・高圧条件で変成し、石炭になった。熱帯地域ではシダは巨木となる。40メートルくらいの大きさになったという。シダというのはあまり強度がなく、巨木といっても風が吹くとすぐに倒れる。ここでも折り重なったシダが泥炭層をつくる。その量は膨大なもので、空気中のCO₂を大量に固定し、逆に光合成によって酸素を放出し続けた。大気中の酸素濃度は現代の2倍にもなり、巨大な昆虫を生み出せるような環境になった。

3億年前になると裸子植物が生まれる。裸子植物の特徴は、「リグニン」を持つというところだ。植物に強度を与える、“木質”という部分だ。化学的にはポリフェノールが複雑に結合したものだそうである。それまでの植物の主成分であったセルロースは簡単に微生物に分解されるが、リグニンは分解されにくい。未処理の木質はどんどん土の中に残され、石炭紀という地質時代を創り出した。
こうなってしまうと栄養分の循環が途絶えてしまうのだが、救世主となったのが白色腐朽菌と言われる種類のキノコだ。シイタケ、ナメコ、エノキ、マイタケなどである。このキノコはベルオキシターゼという酵素でリグニンを分解する。石炭紀を終わらせたのはキノコだったのである。そして再び栄養の循環が始まったのである。

裸子植物の時代はその後の恐竜の時代も続く。この時代になるとプレートテクトニクスによって巨大大陸(パンゲア)は分裂し、海が入り組むことで温暖湿潤な気候は内陸まで広がり森林が拡大した。
雨が多くなるとカリウムやカルシウムが流されて酸性になる。加えて、先に書いたようにコケやシダをはじめ植物たちは岩石に含まれる栄養分を得るために酸性物質を放出するのでさらに酸性化が進む。しかし、酸性化してしまった土壌にはミネラル分が少なく、有害なアルミニウムイオンまで溶けだしているという、植物にとっては過酷な環境である。ある意味それを自らが作り出してしまっているということなのである。こういった作用で生まれる土壌はポトゾル土と呼ばれる土である。
しかし、北欧の松などは外生菌根菌と呼ばれるキノコ(マツタケの仲間たち)と共生することで少ないリンや窒素を吸収して2億年間を生き抜いてきた。
針葉樹たちは2億年を生き抜いたとはいえ、現代では北極圏や南半球のごく一部へ追いやれてしまっている。ジュラ紀や白亜紀になると熱帯地域は鬱蒼とした被子植物の森にとって替わられた。それほどの鬱蒼とした森林を維持できるほど熱帯の土壌はさぞ栄養豊富だろうと思うのだが、まったく違うらしい。有機物の多い肥沃な表土層は薄く、その下は風化した養分の乏しい土壌が深く続いている。酸性とリン不足の土壌だ。有毒なアルミニウムイオンも溶けだして根の成長を妨げる。原住民が農業をするために焼畑農業するが、これも酸性土壌を中和するためだ。

では、熱帯の植物はどうしてあれほど鬱蒼とした森を作れるのか。それはやはり外生菌根菌との共生のたまものだ。フタバガキという植物は薄い落ち葉層の下に広く根を張りその周りに共生している菌糸からは有機酸が放出され、アルミニウムや鉄の酸化物に閉じ込められたリンを溶かし出す。それを広く張り巡らせた根でかき集めるのである。
熱帯地域では放出された有機酸は短時間で微生物に分解されてしまうので菌糸は有機酸を出し続けなければならない。このためにフタバガキは菌糸に栄養分である糖分を配給し続けなければならない。そのために地上60メートルまで葉を茂らせ養分を送り続ける。
だから、伐採によってこの循環が分断されてしまうと元々栄養分が少ない条件では回復が難しくなるのである。この、フタバガキであるが、別名を沙羅双樹という。お釈迦様が亡くなったときにさっと枯れてしまったという植物で、平家物語の冒頭にも出てくるやつだ。この植物はギリギリで盛者必衰の理を防いでいるのである。
土と植物の歴史はこんな感じであった。

人間は土とどう付き合ってきたか。それは1万年前の農耕の始まりから始まる。
人間も「酸性」と戦ってきた。森林では土が酸性になる現象はあるものの、生態系全体としては養分が失われにくい仕組みが存在している。しかし、畑で収穫物が畑から持ち去られるので植物が吸収したカルシウムやカリウムが収穫分だけ持ち去られることになる。
人間が食べた分が何らかの形でが畑に戻っていけばそれなりに循環してゆくのだろうが現代はそうでもない。
それを克服ようとして考えられてきたのが焼畑農業や灌漑農業であった。

農業の起源は文明の発祥地と同じ場所であると言われる。ナイル川流域、チグリス・ユーフラテス川、黄河流域だが、共通しているのは半乾燥地帯であるということだ。乾燥した地域ではミネラル分が雨で流されないので栄養分が土壌に残る。そしてミネラル分が残っているのでほぼ中性を保っている。
あとは水があれば植物を育てることができる。そこで生まれたのが灌漑農業だ。文明が生まれるには乾燥地を流れる大河が必要であったのだ。
しかし、農業生産量は等差級数的にしか増えないが人口は等比級数的に増大する。ヒトを源にする環境問題が勃発するのだ。それは灌漑の失敗が端緒となる。
人が増えると住むところが必要である。チグリス・ユーフラテス川流域では建築需要を満たすため、レンガを作った。日干しレンガだけでなく焼成レンガも作るのだがそのためには木材を燃やす必要があり、川の上流で木材の伐採が極端に多くなってゆく。雨の少ない地域では森林の再生が追いつかず風雨にさらされた土壌が流出し灌漑水路を埋めてしまった。灌漑施設が無くなってしまうと水分が蒸発してしまい地下から塩分が上昇してくる。塩分濃度が高くなると植物は育たなくなる。土壌の劣化は食料生産の場を破綻させ、文明を破綻させてしまったのである。
エジプトでは事情が少し違った。定期的に氾濫するナイル川は上流から次々と養分を運んでくるので酸性化ともそもそも水路が埋まるということとも無縁であった。エジプトは最近までずっとナイルの賜物であったのである。しかし、それを止めてしまったのはアスワンハイダムであった。ダムを造ったおかげで養分を蓄えた土砂の流入が途切れてしまったのである。
どちらにしても人の営みが最適なサイクルを止めてしまったということだ。

焼畑農業はどうだったか。湿潤な気候では土壌は酸性化するというのは先に書いたとおりだ。それを中和するために森林を焼いた灰が役に立つ。灰はカルシウムやカリウムなどのアルカリ成分を含んでいる。そして、森林の下の日が当たらないところに堆積した落ち葉などは直射日光を受けて温度が上がり、分解が進む。マイナス電荷を持った有機物は分解されるときに水素イオンをひとつ消費するので酸性物質を中和させる。そんな効果もある。
しかし、灰は雨に溶けて流れやすいため有効期間は短い。この本ではタイ北部の陸稲と水稲で比較されているが単位面積あたりの収量は水稲の2分の1以下にしかならないそうだ。だから、焼畑農業では森林を休めながら転作を続けるしかない。5年に一度が適当なサイクルなのだそうなので実質は10分の1である。しかしここでも人口増加のために休閑期間を短くせざるを得ず土壌は劣化していった。

特殊なのは水田である。田んぼの地下の土は青いそうだ。田んぼに水が張られると水の下では酸欠状態になり還元状態が進むことで土の中の鉄酸化物が溶け始める。元々赤や黄色だった鉄酸化物が溶けると2価イオン(Fe₂₊)に変化する。これが青い色の原因となるのだが、この還元反応は電子だけではなく水素イオンも3つ消費するので酸性土壌を中性に変えることに貢献する。㏗が上がることでリンが溶けだし稲の養分になる。
田んぼに水を張る効果とは特殊であり絶大なのである。これがアジアの高い人口密度を維持しているのである。

次は窒素についてだ。三大栄養素(窒素、リン酸、カリウム)のひとつであるが、供給減が限られている。大気中には大量に存在するが、かつては動物の糞尿か豆の根っこに共生する根粒菌による空中窒素固定プロセスに頼るしかなかった。世界の人口は土の窒素量によって制限されていたといっても過言ではなかった。
19世紀の鳥の糞の化石であるグアノの争奪戦を経て1906年、ドイツの科学者フリッツ・ハーバーが大気中の窒素ガスからアンモニアを合成する方法を発明し、カール・ボッシュが実用化したことで大量生産が可能になった。中学校か高校の教科書で習った、ハーバー・ボッシュ法というやつだ。同時にこの窒素は火薬増産の原料にもなった。
20世紀初頭には世界の農地への窒素供給量は1億2千万トンだったものが人工の窒素肥料の登場でさらに1億トンが上乗せされた。この間、世界の人口は70億人になり、そのうち50億人は人工の窒素肥料がないと生存できないとされている。しかし、硫酸アンモニウムという種類の肥料はアンモニウムイオンが吸収されたあと硫酸イオンが残るので土が酸性になってしまう。土に残ったアンモニウムイオンも硝酸イオンに変化しイオンひとつについてふたつの水素イオンが発生することで酸化を進めてしまう。だから、酸性肥料という異名ももっているという。
本題とは異なるが、戦前戦後にかけてこの肥料を作っていたのが水俣のチッソ株式会社だ。水俣病の原因となったのも硫安肥料だったのである。先日、水俣病患者の懇談会での問題が大きなニュースになっていた。すべての批判の矛先はマイクをオフにした環境省に向いていたが、患者団体は3分では足りないと思っていたのならどうして事前に反発しなかったのだろう。メールでしか通知されていなかったというのもなんだか環境省の逃げ腰のようにも思えるがどちらにしても反発しなかったのならそのルールを守るのが民主主義だと思うのはおかしいことだろうか・・。それを後押ししないマスコミも世論の番人としては失格だと思う。土壌も危機に瀕しているが日本の民主主義も瀕死の状態のようである。

土壌の劣化というのは畑で進行しているのであるが、その引き金を引いたのはその奥にある政治や経済、歴史であると著者はいう。
温暖化の元凶とも考えられている地下資源の採掘もしかりである。石炭を露天掘りで掘るとその跡地は㏗2という強酸性の土壌が残る。多くの生物が折り合いをつけてきた土壌の限界は㏗4だそうだからはるかに酸性度は高く、植林をやってみても成功はしない。そんな中でも頑張るのはシダ植物らしいが、そこから自然の森林が回復するまでには途方もない時間がかかる。

この本にはその解決策としての提案はまったく書かれていない。それはあまりにも難しいからだそうだ。『酸性土壌と戦ってきた植物やキノコの進化には数億年という時間がかかっている。このデリケートな土と人間が付き合ってきたのはっずっと短い1万年前後である。まだまだ無駄や失敗があって当たり前だ。酸性土壌にも自らの色を変えながらしなやかに対応しているアジサイのように、私たち人間も土壌とうまく付き合いたいものだ。』(アジサイはアルミニウムをクエン酸と結合させて解毒することができるそうである。その時に花の色が青くなる。)と締めくくられているのだが、なんともデストピア的な締めくくり方だなと思ってしまった。

僕の家の庭の小さな生態系はどうなのだろう。毎年、剪定した葉っぱはゴミとして捨てられて庭の土壌に戻ることはない。それでも毎年、僕はいじめられているのではないかと思えるほどいっぱい葉をつける。刈るのが大変なのだ。彼らは一体どこから栄養分を得ているのだろうか・・。



その庭に去年は失敗したミントを再度植えてみた。



ほとんど葉を出さなかったということは僕の家の庭はかなりの貧栄養であるのだと思う。やはり、あの庭木たちは一体どこから栄養を得ているのだろうかという疑問は残る・・。
今年は土づくりのため、ワカメ、アマダイの尾びれ、焚火でできた少しの灰、港の近くの畑の隅に積みあがっていた堆肥を失敬したものを混ぜ込んだ。すべては2冊の本から得た知識をヒントにしたものだ。上手く育ったならばこの本の内容を深く理解できていたということだろう。

そのほかのエピソードで面白いと思ったことを最後に書いておく。
カブトムシの幼虫の食料は腐葉土だが、どうやってそれを消化しているかというと、腸の中ほどには強アルカリ性の部分があり、リグニンなどの芳香族化合物を溶かしてしまう。後ろのほうの大腸では腸内を中性に戻すとともに酸素の少ない状態にすることで発酵細菌が過ごしやすい環境を提供し、グルコース(セルロースが分解されたもの)を有機酸に変換して吸収する。ひと以上に複雑な消化をしている。

ミミズとヒトの腸内細菌はよく似ているそうだ。酸素が欠乏した条件で発酵を担う細菌が多い。この細菌たちはセルラーゼという酵素を持っていてセルロースを分解する。ミミズは環形動物門の動物で、ヒトの直接の祖先である。食べるものが変わっても消化の過程も似ているというのは間違いなくミミズは僕たちの先輩なのである。

江戸時代、糞尿は専門業者によって回収され窒素肥料として利用されていたが、ウンコよりもオシッコのほうが栄養価が高いそうだ。オシッコはその成分のうち、尿素が栄養源になる。それも、裕福な人のオシッコほど価値があったそうで、5段階に分けられていたそうだ。最上のオシッコは大名屋敷から出てくるもので最低は牢獄のものだったらしい。多分、僕のオシッコは下から2番目くらいだろうと思うがそれでも港でやっている立小便も少しは役にたっているらしい。(ウンコはもめ事の元にしかならないが・・)

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水軒沖釣行

2024年05月11日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:中潮7:14満潮
釣果:ボウズ

今週の週末は荒れ模様だ。今日の昼頃から風が強くなってくるそうだ。今週は土曜の朝だけルアーのキャスティングだけになりそうだ。
前回のボウズ釣行同様、一文字の際でやってみて防波堤の切れ目に移動しようと考えていた。
午前2時半に起きるつもりだったが、うとうとしていると、なぜだかカラスの鳴き声が聞こえてくる。えらく早い時間からカラスが鳴いているなと思って時計を見てみると午前4時40分・・。すでに外は少しばかり明るくなってしまっている。本来なら出港している時間だ。
前の晩、午前0時近くまで「ヒロシのぼっちキャンプ」を観ていたのでそれがアダになってしまった。普段なら2時間くらいの睡眠時間でもなんともないが、夜寝るにはなんとも心地がよい気温だったので目覚まし時計が鳴ったのも無意識に止めていたようだ。

もう釣りに行くのをやめておこうかと思ったものの、いやいや、とりあえずは行かねばと新聞も読まずにトイレにも行かずにいつものスーパーにも寄らずに港に向かった。今日は新しく買ったダイソーの格安PEラインの使い心地を試してみなければならないのである。

出港時刻は午前5時20分。太陽が少しだけ顔を出してしまっていた。



一文字の際はあきらめ切れ目の方に向かった。



地の一文字にはたくさんの釣り人がキャスティングをしていたので少しばかりは期待をしていたがまったくアタリはなく午前7時前に終了。



SNSの情報ではエソがいっぱい釣れているらしいがそれは一体どこでなのだろう・・。なんでもいいからアタリを見たかった・・。

くだんのPEラインであるが、少しコシがありかなり使いやすそうなラインであった。これが税込み330円とは恐れ入る。しかし、ルアーも100均、糸も100均というのはなんとも貧しいかぎりだ。魚が釣れないのは腕前もさることながらたいした投資をしないからではないのだろうかと思えてきたりもするのである・・。




すぐに家に帰り、庭の木の剪定をやってみた。今年のバベとサザンカの木は例年になくよく茂っている。バベの木はアフロのようになっている。



1日1本と決めているので今日はバベだけを刈ったが終わって切り落とした葉っぱを回収している頃には勢いよく葉っぱが飛んで行ってしまうほど風が強くなってきた。やっぱり早く切り上げてよかったと思うのである。

選定をしている時を同じくして、奥さんが慌ただしく老人ホームへ向かって行った。義父は半年ほど前から老人ホームで暮らしているのだが、今朝、救急車で病院へ運ばれていったらしい。
老人ホームへ移った理由というのが、ボケがひどくなって一人暮らしは危険だという理由であったのだが、その直前に話をしていても僕にはこの人がボケているという印象はまったくなかった。奥さんたち姉妹がどうしてあの人がボケていると判断したのかは知らないが、えらい酷なことをするものだと思ったものだ。まあ、僕の実の父親でもないので彼女たちの判断に対して何の文句を言える立場でもないので、そうですかと言うしかなかった。

入院した原因というのは、以前に切った胃がんが再発したというのだったがそれは無理矢理生活環境を変えてしまったストレスが原因なのじゃないかと思ってしまった。
僕から見たら大人しすぎる人だから自分では嫌と言えずに渋々子供たちの言うことに従ったのだろうと想像してしまうと、ある意味かわいそうとしか言いようがない。

そんな奥さんだから、僕ももう少ししたら、「これ以上面倒みることはできません。」と見限られてホームに送り込まれてしまうのではないかと思う。これは想像だけではなく、今でも言葉の端々にそんな冷たさを感じるのである。僕はあの人とは違って自分で料理もできるし洗濯や掃除もなんとかできる。庭木の剪定も自分でやっている
僕なんか、ひとりで暮らすというのは理想であるとしか言えないので簡単には「そうですか」と言わない。それならあんたがホームへ行ったらいいじゃないかと最後まで抵抗する覚悟なのである。

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「日経テクノロジー展望2024 世界を変える100の技術」読了

2024年05月06日 | 2024読書
日経BP /編 「日経テクノロジー展望2024 世界を変える100の技術」読了

毎年1冊ずつ出版されている本で、去年も読んだ本のシリーズだ
現状で各部門の技術者が注目している技術、それが2030年にどれくらいの注目度があるかということを専門家の目から見てみるというものだ。

目次を見てみるとこんな感じだ。
第1章 2030年のテクノロジー期待度ランキング 1位は「完全自動運転」
第2章 AI(人工知能) AIの危険から身を守るためのAIが登場
第3章 建築&土木 二酸化炭素の吸着や太陽光の利用など環境に配慮
第4章 電機&エネルギー 電力を有効利用できる半導体や電池に期待
第5章 モビリティー(移動) 再生可能エネルギーの利用に挑戦
第6章 医療・健康・食農 QoL(クオリティ・オブ・ライフ)を高める
第7章 ライフスタイル/ワークスタイル 心身を穏やかに、豊かにする
第8章 IT・通信 五感の伝送や脳との直結など人間との融合が進む

ちなみに、チャットGPTというのは去年最も注目されていた技術であるがあっという間に世界に浸透してしまったので期待も注目も飛び越えてすでに当たり前の技術になったというので今年の本には取り上げられていない。時代はどんどん進歩している。

そのほとんどが人手不足と高齢化への対応、エネルギー問題への対応のように見える。2030年というとほんの先の未来の予想であるからスペースコロニーや火星移住のような夢があるというかまったく新たな世界の扉を開くような技術は掲載されていなかった。唯一掲載されていたのは段ボールで作ったテントで検証されている月面基地というものだが、段ボールから本物になるまでにはいったいどれくらいの期間が必要なのだろうと思ってしまう。



しかし、宇宙世紀への期待としては、球状歯車というのは面白そうだ。これを使えばきっとガンダムを造ることができるぞと思った。



高齢化対策と人手不足対策では介護ロボットと老化医療であるが、それぞれ、もう目の前に実現可能な技術だそうだ。僕も10年後にはお世話になっているかもしれないというような速さで実現しそうな勢いらしいが、やっぱりこういうのは当分は金持ちのためのものになるのだろうと思うと、地面を這うようにして最後を迎えるしかないかと思う。まあ、それのほうが人間らしいといえば人間らしいが・・。ロボットというか、他人の世話になってまで生きていたいとも思わないのである。
老化医療では老化した細胞を殺す医療というのが考えられているそうだ。一時期、「ニコチンアミド・モノ・ヌクレオチド」というやつが話題になったがまあ、どちらにしてもこれも金持ちのためのもにしかならないのだろう。

人手不足の解決策としての自動配送ロボットというのは便利といえば便利そうだが、ふと思うところではこの宅配ロボットが家の前まで来てくれたとしてもそこから取り出してくれるひとがいなければロボットが戸惑うばかりで全然人手不足の解消にはならないのではないだろうか。
宅配ボックスを充実させたほうが2030年には間に合いそうだ。

そして、エネルギー問題を解決する切り札かもしれない核融合炉だが、常に期待されてはいるけれども実験炉が動き始めるのさえ2035年~2040年頃まで待たねばならないらしい。これも僕が生きているうちには恩恵に蒙ることはできそうにないようだ。

個人的には、「3Dプリンターで作る家」が気になった。この本では大林組が作ったものが紹介されていたが、僕はこれだと思っている。兵庫県のメーカーが作っているらしい。



大地震がきて今住んでいる家が倒壊したら絶対にこの家を買おうと思っている。安いし強度も抜群だそうだ。壁も分厚くて断熱効果にも優れているらしい。今の家よりもはるかに機能的だ。広さも別に倉庫を作ればこれくらいで十分だ。

しかし、もうこれ以上便利にはならないだろうと思っても次から次へと新しいテクノロジーが生まれてくる。人間の凄さというところだろうか。これが経済成長の原動力になっているのだけれどもいつまでもそんな成長は続くわけがないと思いながらそれを前提にセコい投資で小銭を稼ごうとしている自分は相当矛盾しているとこの本を読みながら呆れているのである・・。

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水軒沖釣行

2024年05月05日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:中潮4:07満潮
釣果:アマダイ5匹

ゴールデンウィーク後半3日目、加太に行こうかアマダイにしようかと思案していた。燃料を節約できるのはアマダイだ。昨日は行き先を変更したので初心を貫徹しようと思えば加太だ。昨日のFさんの情報ではアマダイは1匹で終わっているらしいのでちょっと厳しいとは思いながら燃料の節約と引き続き新しい仕掛けの実証実験をすべくアマダイに行くことに決めた。

昨日よりもほんの少し早く出港。わずか10分ほどの違いだが、昨日の写真はシャッタースピードが1/20秒、今日の写真のシャッタースピードは1/4秒だった。



この間に一気に明るくなっていくのだろう。

一文字の切れ目を出てとりあえずは禁断の仕掛けを流してみる。昨日ヒットした魚は何だったのだろうかということを突き止めてやろういう考えだ。沖の一文字から新々波止に沿って船を進めてゆくがアタリはない。新々波止の西の端のほうに差し掛かろうとしたときにやっとアタリがあった。大して引かない魚で、上がってきたのはエソであった。昨日の魚もエソであったのかもしれない。
これ以上流しても一緒だと考えて沖へ。ここからまっすぐ西へ向かうと先週よりも少し北寄りになる。水深40メートルのところまで出張って仕掛けの準備。



東からの風がけっこう強い。
今日もエンジンを切ってラジオを聞きながら優雅に釣りを楽しもうと思っていたが、1本目の仕掛けを下ろした時点で仕掛けが30度くらいの角度にまで流されてしまう。東からの風なら多少強くてもエンジンを切っても大丈夫だろうと思っていたがこれはダメだ。エンジンを切って釣りをするためにはシーアンカーという手があるが、あんなにめんどうな物を取り出す気にはなれない。あとから乾かすのも大変だ。

再度エンジンを始動させてスパンカーを広げ、残り2本の仕掛けの準備をする。これじゃまったく燃料の節約にもならないじゃないかと思うけれども釣果が優先だ。

先週試した胴突き仕掛けと疑似餌はお蔵入りにしてブラクリ仕掛けと定番のテンビン仕掛け、そしてそれを短く切ったものの3種類で臨む。テンビン仕掛けを短くするというのは、底を釣るというよりも少し底を切ってエサを海底から少し上ずらせた状態で誘ってやろうという考えだ。
さかなクンの話ではアマダイは自分で掘った穴からこんな具合に顔を出して餌を待っているらしい。だからあんな愛嬌のある顔をしているということだ。斜めに立つと顔と口だけが海底から顔を出す。



海底を見ているというよりもその上を見ているという感じなのできっと効果があるではないかと考えた次第だ。もちろん、常にこんな姿勢を保っているわけではなくて穴の周りをうろついたりもしているからそれが効果的かどうかはわからない。

しかしその結果は間もなく現れた。一番にアタリが出たのはその短くした仕掛けであった。おお、読み通りじゃないかと少しうれしくなる。
次にアタリがあったのは手持ちのブラクリ仕掛けだ。おお、これも読み通りだ。



風が強くても僕だってやるときはやれるのだ。

そして3匹目はスタンダードなテンビン仕掛けだ。やはりこれはテッパンだ。

しかし、これくらいの時間になると風が強くて釣りにならない。おまけに潮の流れと風の向きが逆のような気がする。舵を右に左に切りながら仕掛けを安定させようとするがまったくダメだ。加太でならそれなりに風上に向かって船が安定するがなぜだかここでは船がクルクル回ってしまっている。
仮定ではあるがエサは海底から上にあるほうがよいとはいえ、こんなに船が流れていたらアマダイの視線のはるか上になってしまっていそうだ。おまけにスラッジがすごい。道糸にびっしり付着してガイドに詰まってリールが巻けないほどだ。仕掛けを回収するたびに掃除をせねばならない。スナップを外してこれを抜き取ると芋虫のような塊が取り出せる。



もう、悪態をつくしかない。

これはきっと紀ノ川から流れてきているのだと思い、スラッジが少ない場所はないかと少し南に下ってみるがあまり変わらない。ただ、ここで1匹追加できたので、まあ、移動してよかったということにしておこう。
少し風が緩くなったので再び北上。ここで5匹目。結局、3匹目と4匹目と5匹目はスタンダードなテンビン仕掛けだった。結局、スタンダードなテンビン仕掛けが一番良いのだというのが今日の結論だった。この凪時は一瞬で、すぐに西の風が強くなってきた。

エサもほぼ無くなったので午前10時に終了。
帰りの道中は強い風に波立った海面が太陽光線に反射してギラギラしていている。ここだけ切り取ったらすでに真夏の海のようである。




港に戻り叔父さんの家で一服しているとときおり突風のような風が吹いている。夕べの天気予報を見ていると、等圧線が1本だけ近畿地方の上、南北に通っていたので風が吹くのかなと思いながらも気象予報士の言葉では高気圧に覆われて良い天気だということを信じてしまったが一般人にとって良い天気の範囲に比べて釣り人にとって良い天気の範囲は限りなく狭かったのである。
早めに切り上げてきてよかったと思うと同時に、加太に行かなくてよかったと思うひとときであった。

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