チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

エアーフランスのカトラリー

2019年08月31日 04時00分05秒 | きれいな形

晴、23度、83%

 飛行機の中でテロが起きるようになって、機内食のカトラリーがプラスチックになりました。以前は小振りなからも金属製でした。エアーラインによってその形や使い易さがありました。日本航空のカトラリーは形も素敵でした。食後、持ち帰る人も多かったと聞きます。日本航空のロゴが変わるときにセールされたそうです。

 エアーフランスのトレードカラーは白と青、持ち手にその色をあしらったのが我が家に残るエアーフランスのカトラリーです。機内食の後にスチュワーデスさんに「貰ってもいいですか?」と尋ねると気前よく真新しいのを2セット持って来てくれました。このカトラリーは日本に帰国するときには香港の家に残しました。今は東京の主人の家にあります。

 東京の家の食器棚や台所道具は私が使っていたものばかりです。懐かしい箸置きや、取り皿などを見るとホッとします。帰国時の引越しの際はたくさんのものを捨てました。何を捨てたのかも忘れてしまっています。「あのお皿、捨てたのかしら?」などと思っていて、主人の家の戸棚に発見すると「ここにいたのね。」と早速使います。

 2組のうちスプーンを1本、主人が無くしたようです。確か20年以上前の旅行の時、行きに乗ったのがエアーフランスでしたから旅行の間中このカトラリーを大事に持って回ったのでしょう。持ち帰ったのにほとんど使っていません。普段なら主人とは向き合ってご飯ですが、機内だと並んでご飯をいただきます。往路ならこれからの旅行に期待を乗せて、帰路には疲れ切って、たくさんの機内食をいただきました。行った先々で求めたものもお土産ですが、カトラリーは飛行機のお土産です。

 数日前も主人と向き合って夕飯後、主人がポツンと言いました。「どこか旅行にでも行きたいね。」私はもう十分あちこち連れて行って貰っています。でも、飛行機に乗って遠くに旅するのは心弾むものです。機内食のカトラリーにですら魅せられて思い出になります。

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九州北部の大雨

2019年08月30日 04時00分28秒 | 日々のこと

小雨、23度、93%

 福岡地方は26日から本格的な大雨が降り始めました。それ以前、お盆ごろから大雨ではありませんが、すっきりしないお天気が続いていました。26日は降り出した雨の中、私は東京に行きました。この26日の午後から私の左腕のApple Watchは、ぶるっと震えては「大雨注意報」「大雨警報」28日頃からは「避難勧告」など気象警報を伝えてくれます。ココさんは病院に預けてあります。心配なのは義母と古い我が家です。「避難勧告」は福岡市全般に発令されましたが、それぞれの区ごとに、危険な地区のみ「避難勧告」が出ています。 市からのサイトを開けると義母の家も私の家も隣町まで「勧告」が出ているものの含まれていません。義母に電話しても元気です。さて、我が家、何分にも古いので何かと心配があります。そんなとき、家の4カ所に取り付けている防犯カメラを開けてみます。 ほんとに雨がひどい時はカメラに水滴がついてよく見えません。これは「大雨警報」が出てすぐの我が家の様子です。外部は至って普通です。ひとまず安心します。最近は遠隔でもこうして家の様子を確認できます。家の中だって「見守りカメラ」などを設置していると遠隔でも様子がわかります。

 昨日昼過ぎに帰宅しました。確かに市中を流れる川は水かさが増し濁流していますが、交通機関もすべて正常でした。ココさんを預けている病院も「避難勧告」の対象外の地域です。元気に帰宅しました。 東京にいる間、心配して友人が様子を尋ねてくださいました。ありがとうございました。私が一番心配していたのはイチジクでした。 大雨で落果してはいないかと、家に着くなりイチジクの木へ急ぎました。大丈夫、出かける前より幾分色付いています。今日も明日もまだ雨が続くそうです。佐賀県、福岡の筑後地方は浸水の地域もあります。これ以上大きな被害が出ないようにと願います。

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デパートの地下で並びました。

2019年08月29日 04時24分42秒 | 日々のこと

小雨、27度、81%

 ご飯を食べるために並ぶ、物を買うために並ぶ、どうも苦手です。若い方から高齢の方まで、長い行列に並んでいるのを見ると偉いなあとまで思います。ご飯のためならお腹がすいて自分の順番まで待つことができません。物を買うためだと絶対にこれでなきゃいけないのかと思ってしまいます。

 昨日目指したのは都内のデパートです。地下の和洋菓子、お惣菜などのいくつかの店にはいつも行列ができています。お目当ての品があるのか、流行りのものをゲットしたくて並んでいるのか、デパートの地下ですが男性も並んでいます。ココさんを預けている病院への心ばかりのお礼と友人たちへの手土産を選びます。並ぶお店には他の店の邪魔にならぬようにロープで囲っているところや、お店の人が列の整理をしているところもあります。着いたのはお昼過ぎ、まずお目当の店に行きました。あれ、列がありません。良かったと思ったら、私の目当てにしていた品はすでに完売していました。いつも見る行列はつまり私と同じお菓子を求める人の列だったようです。

 別の品をと一回りしました。特にこれと決めていたわけではありませんが、人の列の一番最後に並びました。季節的に終わるイチジクのお菓子や友人が特に好きなお菓子が並んでいたからです。並んで待つ間の手持ち無沙汰も嫌いです。店の店員さんの働く様子を見ているとそのお店の良し悪しが伝わって来ます。笑顔の応対は必須ですが、様々な要望に丁寧に対応している様子は好もしく感じます。先に目当の品が完売していた方の店の店員さんはやや高飛車な話し方でした。自分の店の商品に自信があるからかもしれません。そんなことを考えながら18分、やっと私の番が回って来ました。

 いくつかの詰め合わせを私の注文通りに作ってくれました。紐掛けしているその店員さんの手元を見ていると、友人たちがこの紐を解くときの様子が目に浮かびます。私にしては珍しく並んで買った手土産、満足いく買い物でした。

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ココさん、お泊りです。

2019年08月28日 04時23分41秒 | ここ

小雨、23度、94%

 昨日からココさんは2泊3日で動物病院に出かけました。早朝の小雨の時にお散歩は済ませてました。病院の開く時間にココさんを連れて行きます。病院は歩いて10分ほどのところにあります。ところが9時前にはすでに大雨です。車で連れて行こうとキャリーバックを出してきました。一昨日からお泊まりのためのドックフードのご飯の用意ができていることを知っているココさん、興奮気味でした。あの手この手を使ってもキャリーバックには入りません。わざと逃げ回ります。

 ココさんを何かに入れないで車に乗せることはできません。車のバック時のあの音がすれば暴れ出す。機械音が鳴ると異常に反応します。ココさんが東京から入ってきたクレートは車に乗せているときにぶち破って壊しました。幾度かはモモさんの使ったキャリーバックに入れて運びましたが、今ではキャリーバックを見ると逃げます。

 私も飛行機の時間がありますので、歩いて連れて行くことにしました。私もココさんもレインコートを着ます。病院に着いたら拭くためのバスタオルも持ちました。長靴を履いて大雨の中をゆっくり歩きます。いつもは10分のところが15分もかかりました。もちろんココさんはびしょ濡れでした。旅行に出かける前からほとほと疲れました。ココさん3歳になりました。いつになったら大人しく車に乗ってくれるのかしらと思案します。

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骨密度が2年前より上がりました。

2019年08月27日 03時48分46秒 | 日々のこと

雨、24度、88%

 骨密度の検査に行きました。初めて受けたのは2年前です。その時も同年代の基準値より121%、若い方の基準値の101%に当たるので心配ないと言われました。

 母は73歳で大腿骨の関節の置換手術を受けました。義母は昨年90歳で同じ手術を受けました。義母は年齢が年齢ですので、この一年で3回、骨折入院を繰り返しています。加齢による骨粗鬆症は女性には大きな問題です。食べ物からのカルシウムの摂取は心がけていますが、しらす干しの塩分が強くて食べなくなりました。この2年、チーズを食べる量も減りました。検査を受ける前、やや不安になっていました。

 昨日の結果は、骨密度が0、67で同年代比で127%、若い方との比較でも103%でした。心配ないとのお話で安心しました。帰宅後調べてみると、2年前の骨密度が0,658ですので若干ですが上がっています。骨密度は年々下がるものとばかり思っていましたので、少し嬉しくなりました。こちらが2年前の結果です。 

 60歳を越してこの2年間、食事の量が減りました。以前のようにお腹いっぱいになるまでは食べれなくなりました。満腹状態はかえって不快に感じます。「腹八分め」の言葉の意味がやっと理解できました。その反面、栄養の偏りが心配です。手足の筋力の衰えも自覚します。かといって今更筋トレはごめんです。

 人間ドックやこうした健康検査は必要ないとまで以前は思っていましたが、一つの目安になることを知りました。健康第一ですが、食べたいものは食べる、飲みたいものは飲む、したいことはする、でもほどほどに。せっかちで待つのが大嫌いな性格も少しはほどほどになってくれるといいのですが。

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ゴッホの手紙

2019年08月26日 04時02分36秒 | 

大雨、20度、93%

 「ゴッホの手紙」は岩波文庫がまだ星一つ50円の頃に読んだ本です。ゴッホの絵画集を見ていて気になったことがあったので、改めて読み直そうと本棚を探しますが見つかりません。この家の整理の時に捨ててしまったのだと思います。本屋に新本を買いに行きました。

 ゴッホの書簡集は数出ています。中でも弟テオに宛てたものが読みたいと思いました。半世紀ぶりに読み直す本です。読み始めて内容をすっかり忘れている事に気付きます。この半世紀で当時よりはるかにたくさんのゴッホの絵画を見ました。雪の降る中、アムステルダムのゴッホ美術館にも行きました。行く先々で、また国内の美術展でゴッホの絵を見続けてきました。ゴッホの絵自体も好きですが、わずか37歳でこの世を去ったこの画家に興味があります。おそらく多くの人が私と同じ思いだと思います。絵筆を持つようになったのも、いろいろな仕事をして後の事です。つまり亡くなる前数年で描いた絵を見ているわけです。このテオに宛てた書簡集は丁度その制作時期と重なります。あの耳を切り落とすという精神的に入り乱れた時期も含まれます。

 驚いた事に非常に金銭的な話が多く出てきます。ゴッホの絵は生前たった一枚しか売れなかっと聞いたことがありました。絵の具代、生活費は弟のテオから捻出されたものでした。絵の売り方から月々にかかる費用、最後には「すぐに何フラン送って欲しい。」と結んでいます。

 この書簡集にはその時々の習作のデッサンが挿入されています。その絵を画集で見比べながら読み進めました。実際の絵の前に立った時のことも思い出します。約3日間、画集を広げながらの考え深い時間でした。

 50年経って読み直す本は、まだ若くて生活経験も社会経験もなかった頃に読んだものとは大きく違いました。ゴッホについて読んだにも関わらず、若いとき読んだ本を再び読み返すことの意義を感じました。中学、高校時代、学期の試験が終わると本屋に直行しました。文庫本の本棚の前に立ち試験中から読みたいと思っていた本を探した時の喜びが蘇ってきます。私の本読みの歴史にまた新たな形が生まれつつあります。

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お直し

2019年08月25日 04時00分09秒 | 日々のこと

曇り、21度、79%

 背が低いのでTシャツ、ポロシャツ、上に着るものの着丈が長くて困ります。おまけに、ウェストも思うようにぴったりとはしません。デザイン的にゆったりめの服だと肩山まで少し下がります。香港の頃は30年の付き合いの「お直し屋さん」がありました。私の好みをよく知っていてくれました。着丈も袖も短め、ジャストのウェストにジャストの肩山。明日欲しいものだって無理を聞いてくれました。帰国して、いい「お直し屋さん」に巡り会えないでいます。というかお値段がお高い。デパートの「お直し」はリホームも手がけているのでいい仕事をしてくれるはずですが、Tシャツなどの普段着にそこまでお金はかけれません。帰国以来、丈上げは自分でやるようになりました。

 普段着ならジャージの生地でもお構いなくジョキジョキ切って縫い上げます。袖口は裁って手縫いでかがります。夏物のブラウスが2枚、着丈が長いと感じていました。でも、ハサミを入れるのを躊躇しました。普段着ではありません。上に出して着るかオーバーブラウスで着るかでも長さが違ってきます。思い切って切って、丈上げをすることにしました。 珍しくまち針を打ちます。慎重に、慎重に。ハサミを入れるのも慎重に。ミシンで直線に縫うだけですが、ミシンがけが下手くそときています。直線しか縫えません。40年来の相棒のミシンです。 

 昨日は昼過ぎから急に涼しくなり小雨も降りました。ミシンの前に座るのはほんの数分ですが、外出着ですから一目一目丁寧にミシンをかけました。体に合った服を着ていないと落ち着きません。肩山を合わせる、ウェストを詰める、少しずつ難しい作業を自分でやってみようと思っています。

 

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朝顔

2019年08月24日 04時01分11秒 | 庭仕事

曇、27度、81%

 帰国した年に友人が朝顔の種を送ってくれました。大きな紫に近い青い朝顔の種でした。種を蒔きましたが一つも発芽しませんでした。ちょっと凹みました。そん私に友人は次の年も朝顔の種を送ってくれました。種を蒔きました。そしてまたしても一つも発芽しませんでした。大いに凹みました。小学生でも綺麗に咲かせることができる朝顔です。そこでこの春は園芸店で朝顔の種を買いました。「原種朝顔」という種類です。「原種」と書かれているからには強いに違いない、どんな環境でも芽が出るだろうと考えたわけです。

 袋には8つ種が入っていました。ちゃんと発芽用のポットに蒔きました。8つとも芽が出ました。ホッとしました。本葉が出てきて座敷の外のフェンス沿いに本植えしました。フェンスがツルツルなので蔓がうまく絡まりません。支柱を立てて蔓を上に向けてやりました。花が咲くのを待ちました。やっと、念願の朝顔の花が咲きました。咲いた花は小粒です。色は綺麗な青です。昨日は全部で4つも花が咲きました。小粒な朝顔ですが夏の早朝に見るこの花は実に日本の風情を感じます。

 友人が朝顔の種と一緒にに送ってくれた「フウセンカズラ」の種はその年から花を咲かせてくれました。可愛いコロンとした種も風船の中からとりました。今年はこぼれ種からも芽を出して元気に育ちました。 ちょうど朝顔を本植えした辺りに芽吹きました。朝顔の蔓とフウセンカズラの蔓が一緒に伸びました。小さな白い花の後にはもう風船をつけています。

 「モーニンググローリー」と呼ばれる朝顔は日本だけの花ではありません。大きな花をつける西洋種は昼の日照にも負けずに花を咲かせています。高くまで蔓を伸ばした大きな朝顔も見ものです。我が家の小さな朝顔は昼前にはしぼんでしまいます。しぼんだ姿は柳腰の和服の女性を連想させます。いつまで咲いてくれるかしら、この秋は朝顔とフウセンカズラの種取りの楽しみが待っています。

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母の寝台

2019年08月23日 04時00分02秒 | 身の回りのもの

雨、25度、87%

 私が小さい頃この家には2つの寝台がありました。大きな父母の寝台、寝相が悪いために横に折り畳みの滑り止めが付いた私の寝台、共に誂えた寝台でした。中学の時、父が癌で家で療養することになりました。父は大きな寝台を使い、母用に新しく寝台を買いました。50数年前のことです。この家の改築に伴って、7年前に家の整理をしました。残したものは松本の家具と大きな焼き物、少しの本と少しの食器そしてこの母の寝台でした。マットレスは捨てて、バックボードと土台だけを残しました。

 今、私が毎日寝ている寝台は母の寝台です。この家に戻ってきて以来、新しいマットを置いて使っています。私は夜寝る時以外にも昼間はこの寝台の上でゴロゴロと本を読みます。滞在時間の長い寝台です。母の寝台だと改めて気付いたのは数日前、それまで無意識に使っていました。

 父の療養中、父母の寝室には大きな父が寝ている寝台と母用に新しくした寝台と私の寝台を2階から下ろして、3つの寝台が置かれました。一家3人、一つの部屋で休みました。父が逝ったその朝も母はこの寝台で看病疲れで寝込んでいました。父の様子がおかしいのに気付いたのは私でした。

 母がこの家で過ごした最後の2年ほどはパーキンソン氏病で足が不自由になりこの寝台ではなく介護用の寝台の上で過ごしました。母の寝台を改めて見るとバックボードが素敵です。母がこの寝台を使った40年近くの間、母は何を思ってこの寝台で寝ていたのかと想像します。

 夜はココさんが向かって右の枕を使います。主人用の新しい寝台と並んでいます。 親の寝台を使うのは珍しいことかもしれません。この数日、寝台に愛着が湧いてきました。出来たらこの寝台の上で亡くなりたいと思います。母も同じ思いだったのではとふと思います。

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南部鉄の鍋敷き

2019年08月22日 04時00分05秒 | 身の回りのもの

晴、28度、85%

 3年前に新しくした台所にはアイランドを置きました。トップは木を使いました。オーブンから出したもの、コンロから下ろしたものを置くと焦げてしまいます。コンロに続くカウンターのトップは耐熱性の樹脂だと聞いていましたが、知人宅では熱いお鍋で焦げを作ってしまったそうです。我が家では鍋敷きはフル活動しています。

 今までは冬のお鍋や熱々のグラタン皿をテーブルの載せる時しか出番がなかった鍋敷きがすぐ手の届くところに出したままです。ちょっとのつもりでも300度近くまで熱せられた天板は木の目に焦げのマークを残しました。今や我が家の必需品の鍋敷きです。鍋敷きもいろんな種類が出ています。樹脂で出来たカラフルなもの、藁で編んだもの、木を組み合わせたもの。でも我が家のような重労働に耐えるには鉄で出来た鍋敷きが頼もしく思います。

 南部鉄は岩手産、最近では鉄瓶が海外でも売れているそうです。香港でもカラフルな南部鉄瓶を扱っている店がありました。鉄に色付けされています。中には金色のものまでありました。鉄器を使うと鉄分補給にもなるそうです。茶の湯のお釜も南部鉄のものは優れていると聞きます。風鈴も金属製の高い音が有名です。燭台もいいデザインのものがあります。灰皿もあります。そして昔からデザイン性に優れています。子供頃家にあった灰皿のしゃれていたこと、今も時折お店で売られているのを見かけます。

 我が家の鍋敷きもご覧のようにすっきりとしたデザインです。日に幾度も手にしていますが、こうしてじっくり見ると「すてき!」と声を上げたくなります。鉄ですから持ち重みがありますが上に乗せるお鍋も鉄の重いものばかり、がっしりと受け止めてくれます。台所道具は丈夫が一番、でもこういう形の美しいものであれば尚更です。

 

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