チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

黒革のスニーカー

2019年06月30日 04時42分08秒 | 身の回りのもの

雨、20度、90% 東京

 20年以上も履く黒革のスニーカーがあります。専ら旅行専用です。今でこそスニーカーで星がいっぱい付いたホテルにも行くことができますが、スニーカーにGパンでは憚られることもありました。走るため、歩くためだけのスニーカーではなく、ファッション性の高いスニーカーもたくさん出回っています。底が厚め、時にはメタリックのトゲトゲが付いていたり、そんなスニーカーを薄く柔らかなロングドレスと合わせている人などを見ると素敵だなと思います。

 私が朝一番に履くのは走るスニーカーです。雨さえ降らなければ毎日お世話になります。走るスニーカーは年々軽くなって来ました。地面とのフィット感も優れて来ました。新しいスニーカーに履き替えるたびに進化を感じます。散歩や町歩きの時にはマルニの布製のスニーカーを履きます。2つあるマルニののスニーカーもこの革同様に細身です。そしてこの旅行用の革のスニーカー、これだけあれば十分で、流行の底厚スニーカーはまだ先の話です。

 この黒革のスニカーでたくさんのところに行きました。確か最初に行ったのは、インドです。インド北東のコルビュジエが設計した街として名高い「チャンディガ」でした。シンガポールなどの東南アジア、ロンドンやパリ、リスボンにもこの靴でした。

 キーパーを入れて時折磨きます。 いい艶が生まれています。毎日履かないので底の擦れも酷くありません。いつもはパンツスタイルにこのスニーカーですが、時にはひざ下のフレアースカートにも合わせます。梅雨前にもう一度、点検。まだしばらくお世話になりそうです。次の出番はいつかしら。

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やじろべえ

2019年06月29日 04時00分03秒 | 身の回りのもの

曇、24度、91%

 30代の半ばから40代にかけて、とても精神的に調子の悪い時期がありました。半年近く、右の耳が聞こえませんでした。病院に行きませんでしたが、原因はわかっています。おそらく自律神経失調症だったのだと思います。毎日毎日、精神的にのしかかってくる言葉を主人から浴びせられました。振り返ってみると、あの頃が一番辛い時期でした。仕事をしていたことが唯一、心の支えだったと思います。

 当時、街を歩いていると、なぜか「やじろべえ」が目に付きました。ユラユラ揺れる「やじろべえ」を見ていると、危ういのにうまくバランスをとります。その危うさに自分の現状を重ね合わせていたのかもしれません。3つほど「やじろべえ」を買いました。家のそこかしこに置きました。この辛かった時期をどうにか切り抜けて、随分と精神的に強くなりました。心が落ち着きを取り戻し始めると、一つ一つと「やじろべえ」を手放しました。

 一つだけ残した「やじろべえ」はインドのおじさんが釣りをする「やじろべえ」です。インドに行った時買った物ではなく香港で売っていたものです。天秤棒を担ぐような姿の「やじろべえ」ではありません。 お顔だって奇妙なインドのおじさんです。インドの人形はこのような顔をしたものが多くあります。インドに行く度、この「やじろべえ」を探します。手作りの実に素朴なものです。残念なことに今だに巡り会いません。

 今は鴨居の上に立たせています。釣り糸の下には魚も付いていますが、黄色い魚もおじさんの黄色い服も色が褪せてきました。こんな小さなものに心慰められた頃があったのだと、ユラユラさせます。今だにバランスの悪い私です。「やじろべえ」のようにおっとっとと均衡を保っています。

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鯖のミートボールワイン煮込み

2019年06月28日 04時00分04秒 | 昨日のお昼ご飯

曇、25度、92%

 数日前、本の中で読んだ料理があります。スペインの料理だそうで、「マグロのミートボールを年代物のシェリー酒で煮込む」と書かれていました。写真もないのにその料理が気になって仕方がありません。こんな時は夢にまで「マグロのシェリー酒煮込み」が出てきます。

 マグロのミンチなんてお高くて出来ません。シェリー酒もデパートに行っても普通のチオペペしかありません。そこで、鯖を買ってきてミンチを作りました。シェリー酒の代わりに赤ワインを煮詰めてみました。赤ワインは煮詰まりますとそれはおいしいソースに変身します。鯖の匂いが気になりますので、にんにくと庭のパセリをみじんにしてミートボールを作りました。ひき肉を扱う時、普段からつなぎは入れません。そのままの美味しさを味わうためです。赤ワインを煮詰めましたがコクがいまひとつです。そこでバルサミコビネガーを垂らしました。そのワインソースに大きめの鯖のミートバールを落とします。火が通りすぎない程度に煮込みます。

 いい香りです。付け合せは旬のアスパラガスを。お皿に盛って、もう一度バルサミコビネガーをまわしかけました。最近バルサミコビネガーは専らお酢というより甘味料として使っています。風味あるバルサミコビネガーは舐めるだけでも美味しいものです。

  鯖のミンチがこんな料理になりました。なかなかの美味しさです。

 「マグロのミートボールシェリー酒煮込み」一度は食べてみたいと思います。年代物のシェリー酒は深い琥珀色だそうです。この料理には普通のシェリー酒、透明なものを合わせるといいそうです。食べ物の夢はまだ広がります。

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一番会いたい教え子

2019年06月27日 04時01分24秒 | 日々のこと

雨、24度、85%

 23年近く香港で家庭教師の仕事をしていました。仕事を辞めてこの12月で5年になります。帰国子女として日本の高校、大学を目指す子供達が教え子です。国立や有名私立校を目指す子供達から地方の県立高校を目指す子供と様々でした。よく聞かれることがあります。「よく出来るお子さんはさぞ可愛かったでしょうね。」確かに早稲田、慶應に入った子もいます。大学を卒業して吉本の芸人になって一時期引っ張りだこだった子供もいます。みんな可愛かった。短い子供で1年、長い子供は5年近くも勉強をみました。ほとんどの子供は皆社会人になっています。

 日本の高校に入って、大学をカナダに行きたいと再び香港に戻ってきた子がいます。彼の夢はパイロットになること。初めて会ったのは中学2年の夏だったと記憶しています。すごく出来る子供ではありませんでした。ご両親も「行ける高校に行かせたい。」と私にとっては素直なご家庭でした。男の子ですがほんわかしています。ある時、急に「先生、背中をかいて。」と言います。Tシャツの上からかいてやると、「違う、中からかいて。」よほど痒いのでしょう、Tシャツの中に手を入れてゴシゴシ。そんな子供です。

 カナダに行って数年後、お母さんからお葉書で近況が知らされました。パイロットの資格を取ったようです。一度ひょっこり香港の我が家を訪ねてくれました。当時はアメリカでプライベートのパイロットをしていると話していました。「自分で航路も決めることができるので面白い。」と話しました。初めて会って何年経ったのでしょう、見上げるほどに背が高くなっていました。

 数日前にその彼が日本の航空会社で働いていると知りました。思わず「一番会いたい教え子よ。」とラブコールを送りました。お返事は「一番世話になりましたからね。」はいはい、確かに背中までかきましたから。

 教えた子供たちは子供も出来て、今が人生の忙しい真っ只中にいます。たくさんの子供たちの顔が浮かびます。家庭教師、1対1で目標目指して一人一人を引っ張ります。よくこの厳しい私に付いてきてくれたなあと感謝です。そして、大事な大事な私の宝物たちです。

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新茶

2019年06月26日 04時00分10秒 | お茶

雨、22度、76%

 4人の方達からそれぞれ違うお茶の産地の新茶をいただきました。5月の八十八夜を待たずして送られてきたものもあります。産地によって茶摘みの時期も違うのかもしれません。福岡の八女、鹿児島の知覧、静岡の掛川、最後にいただいたのが京都の宇治のお茶でした。

 香港にいる間は日本茶を買うこともないほど、皆さんからお土産でお茶をいただきました。空港でも買うことができますし、なんと言っても軽くて荷物になりません。帰国すれば日本茶は自分で買わなくてはと思っていましたが、お茶は贈答品の代表格です。頂戴もののお茶を楽しませてもらっています。

 まさか4箇所の新茶をいただくとは思ってもいませんでした。新茶といっても産地によってこんなに違うものかと改めて知りました。今までは新茶のみならず漫然とお茶を入れていました。2つ目の新茶をいただいた頃から、味、香り、お茶の色、果てはお茶がらまでその都度確かめるように飲みました。4つの産地のお茶を写真に収めておけばよかったと後悔しています。

 新茶ですからお茶っ葉の姿はどこもさして変わりません。同じ茶さじで同じ量のお湯をさします。待つ時間もほぼ同じ。お湯飲みに注ぐとまず鼻先をお茶の香りがよぎります。次に目に飛び込んで来るお茶の色、この緑の具合が産地で全く違います。爽やかな黄緑のものもあれば透明感のあるお茶もありました。口に含むとまろやかさ、後に残る渋みがそれぞれです。コロコロと転げそうなまろやかな甘みを持ち、最後にすっと後を引く渋み。その調和がそれぞれ違います。お茶がらを出してみると、新芽の様子がはっきりと見て取れます。このふた月、爽やかなお茶を十分に楽しみました。

 中国茶も紅茶も新茶があります。ただ、茶摘みの後の工程が日本茶より長いために新茶の意識が低いのでしょう。やはり日本の新茶を楽しむ文化は繊細な日本人ならではのものだと思います。

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ズッキーニと鯖のココナッツミルクカレー

2019年06月25日 04時00分11秒 | 昨日のお昼ご飯

晴、19度、90%

 梅雨入りはまだ、5月ほど気温が高いわけではありませんがやはり夏という福岡です。予報では晴天は今日まで、明日からは雨が降ると言います。

 気温が上がるとやはりカレーが食べたくなります。急に思い付いたので冷蔵庫、冷凍庫にある有り合わせのもので作ります。お魚のカレーはインドでも南のカレーです。ココナッツミルクを使うのもやはりインドの南のカレーです。北のカレーとは辛さも違えばルーの水分量も違います。さらさらと水っぽく辛いのが南のカレーです。私が行ったインドは北ばかり、南のカレーはお店でしか食べたことがありません。好みは北のカレーです。

 鯖を使ったカレーはよくあります。インド南部のケララなどでは鯖のカレーが多いそうです。南の海の鯖はきっと脂が抜けているのではないかと想像します。鯖を半身、ズッキーニ1本で作りました。ルーは北風に水気は少なく、でもココナッツミルクは香りづけにたっぷりと、スパイスのおかげで鯖の匂いは円やかになります。ズッキーニがココナッツミルクを十分に吸って口の中で溶けてしまいます。インド南北の融合カレーです。食べてしばらくすると身体が芯から温まるのを感じます。

 この夏、インドのカレー、タイのカレー、マレーシアのカレー、日本のカレー、何度食卓に上がるでしょうか。冬のカレーもいいけれど、夏の香り高いカレーが大好きです。

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アンソニードーア を読み上げる

2019年06月24日 04時00分03秒 | 

晴、20度、82%

 小さい頃は秋が深まって、ストーブを焚く季節になると火の前で本を読むのが楽しみでした。2年前にその生まれ育った家に戻って来ました。ところがストーブをどんなに焚いても、1時間じっとしているのがせいぜいです。じっくりと本を読むことができません。長いこと亜熱帯の土地で暮らしていたので身体が寒さに馴染まないこともあります。そしてもう一つ、この家を高校卒業後出てから私の本を読む場所はベットの上に代わりました。椅子に座ってではありません。ゴロンと横になって、時にはうたた寝をしながら本を読みます。モモさんがいた頃は必ず右腕の中で寝ていました。

 冬ストーブを焚いた部屋でベットに這い上がっても、座るより薄寒く感じます。このふた冬は本を読むスピードがずいぶん落ちてしまいました。夏は夏で庭仕事が入って来るのですが、この庭仕事はお昼過ぎからは暑くて出来ません。早朝からお昼ご飯まで目一杯働きます。この半年は、義母の病院にも通います。お昼ご飯が終わると本を持ってベットに上ります。ココさんは私の横の枕で寝ています。何もなければ夕方もう一度庭仕事をするまでが本を読む時間です。夏の方がじっくりと本を読めるようになりました。この5月は異常に暑くて、一気に4冊読み終えました。

 アンソニードアーの現在出版されている本はこれで読み上げたことになります。「すべて見えない光」「シェルコレクター」「メモリーウォール」の3冊は翻訳が出ています。「シェルコレクター」は日本で映画化もされているそうです。5冊のうち1冊はローマでの1年間の生活を描いたものです。生まれたばかりの双子を連れて家族4人でのローマ暮らし、史実研究のために奨学を受けてのローマ生活です。

 5冊読み通して感じるのは、ほとんどの主人公が女性であること、そして女性に向けるドアーの眼差しが優しいことです。主人公の気持ちの起伏を書いているわけでないのに、最後には何かしらホッとするものがあります。45歳、アメリカの作家、次の作品が楽しみです。

 6月に入って上京すること2回、梅雨に入らず暑いのですが午後ベットに上る時間がなく、レイチェルカーソンの「沈黙の春」はまだ栞が入ったままです。

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担々麺

2019年06月23日 04時00分24秒 | 昨日のお昼ご飯

晴、19度、77%

 今回上京したおり、お昼ご飯は全部「麺料理」でした。普通のラーメンやら担々麺、おうどんです。私にしては珍しいことでした。そしてどんなチェーン店のようなところでも「麺」が美味しい。「麺」が美味しくなければお客さんがこないのは当然です。久々に「麺」に目覚めました。

 担々麺、中国のような「担々麺」はすでに期待していません。日本の「担々麺」でよろしい。美味しい一杯を家で作ろうと思います。

 ところが「麺」て既につまずきました。近くのスーパー3軒に売っている中華麺は2種類のみ、「ちゃんぽん」「やきそば」だけです。初めの1軒目で「きっとラーメンの麺が売り切れたのだろう。」と2軒目に行きました。よくわかりませんが福岡ではラーメンを作る時もこの「ちゃんぽん」麺を使うのかもしれません。太すぎます、柔すぎます。ラーメン用の麺を探さなくてはなりません。とりあえず「ちゃんぽん」麺を使いました。スープの隠し味にザーサイを使います。スライスしてあるのはいいのですが、やけに塩味が強くて辛味がありません。真っ赤な辛いザーサイ探しも課題になりました。

 スープはさっぱりと鳥肉でさっと取りました。練りゴマがやはり日本製だとコクが少なく感じます。次回は自分で練りゴマを作りましょう。 豚のひき肉は自分で叩いて作ります。少し甘めのそぼろのお味は上々、お店では作り置きのそぼろがのって出て来ることがあります。暖かな麺に冷たいそぼろではいただけません。そぼろも熱々でいただくのが最高です。今回の青みは頂戴もののアスパラの茎です。おうちで作る「担々麺」そぼろも青味もたっぷりと。最後に回しかけるラー油は好みの量で、初めて使うラー油の辛さがわからず今回は少なめです。やっぱりお家で作るのが一番です。

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ローズマリーの散髪

2019年06月22日 04時00分03秒 | 庭仕事

晴、23度、91%

 定期的に庭の芝の散髪もします。 ココさんの散髪は毎週金曜日です。私自身、髪を短くしてからはしょっちゅう散髪に行くようになりました。暑くなるとすっきりさっぱりです。

 あと一つ、気が付けば散髪をするのが庭のど真ん中のローズマリーです。切っても切っても重苦しく見えます。冬に小さな薄紫の花を付けます。かなりの数です。春になるとその花にミツバチが集まります。日本では馴染みのない「ローズマリーの蜂蜜」ですがヨーロッパではよく売られています。クセのない優しい味の蜂蜜です。ところがこの時期になるとその花柄が残って種になり木自体を醜く見せます。尚更すっきりさっぱりさせるためにザクザクと散髪します。 こんなに切ってもまたすぐにもっさり。切ったローズマリーは外に置いている生ゴミ用のポリバケツに入れます。変なにおい防止、コバエ防止になります。

 ローズマリーの散髪を終えて地面に這いつくばって芝の散髪をしていると、「あら!」 零れ種からローズマリーが芽吹いています。生命力が強いのでしょう。そのうち我が家の庭はローズマリーに占拠されるかもしれません。小さな新芽を見ながらローズマリー畑を想像します。香港にいた頃幾度ローズマリーを枯らしたことか、あの高温多湿では息が詰まったのでしょう。大きな大きなローズマリー、大事に育てます。

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一軒家 マンション

2019年06月21日 04時00分09秒 | 日々のこと

曇、23度、86%

 昨日は朝の早いうちに芝刈りをしました。地面に這いつくばって芝を刈りながら、ここ数日の考え事が頭を回ります。「一体いつまでこうして元気に庭仕事ができるかな?」

 30年間日本を離れて暮らしました。その間住まいは超高層のマンションです。日本での住まいを私の実家にすることに主人が決めて、改築を始めたのはおよそ7年前のことでした。私にとっては意外でした。実家にだけは住みたくないとさえ思っていました。改築を始めた当時は50代半ばです。いつ帰国とは決まっていない状態での改築でした。

 そんな家に帰国して丸2年が経ちます。帰国した時私は60歳になていました。改築したと言っても古い日本家屋です。すきま風、床の薄さなど、30年暮らした香港とは違い冬の寒さは身体に堪えました。元気なので「寒いわね。」「嫌だわね。」程度です。その上、この家の改築時に主人は私に何も相談しなかったので、押入れもありません。収納部分が圧倒的に少なく感じます。使い辛い家の作りです。「本当に一軒家に住まいを決めてよかったのかな?」と思い始めたのは、主人が東京に帰国して新居を構えてからです。私が移り住むわけではありません。

 主人の新居は築15年のマンションです。一人暮らしですから、スペースは広いわけではありません。実は私は日本でマンション暮らしをした経験がありません。実際の日本のマンションを体験したのは初めてのことでした。主人と共同名義で福岡タワーのすぐ近くにマンションがあります。15年前、新築を買ってすぐに人にお貸ししているので実際を知りません。要するに主人のいる小さなマンションが私にとって日本のマンション初体験です。

 上手に作られた間取り、日本の気候に合わせた床暖房やお風呂場の乾燥機、築15年のマンションですら整っていると感じます。鍵一本で出かけることのできる気軽さはマンション生活の一番の利点です。この家に帰ってきて、生活、空間の無駄を感じます。家の掃除だけでも天井の梁までありますからかなりの仕事量です。しかも4面に庭です。一年中、落ち葉や花、実の物が散ります。この掃除も日々しなくてはなりません。

 現在62歳、元気ですので苦もなく日々の家の仕事を片付けています。でも、いつまでも元気であるはずがありません。実際2年前よりスローペースになったような気がします。

 今所有しているマンションでは主人と2人では狭すぎます。「いずれマンションに移った方がいいのかな?」と考え始めました。家の掃除も庭仕事も好きです。それでも身体的に無理が来るのは目に見えています。お墓しまいも未だなのに、住まいのことが頭をもたげ始めています。改築当時の50代と今の60代とでは色々な意味で違いが出てきました。次に来る70代を見据えて考えなくたはなりません。

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