チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

「婦人の友」

2017年02月28日 04時34分42秒 | 日々のこと

晴れ、4度、76%

 「婦人の友」と言って地味な雑誌があります。もう100年以上も続いている雑誌です。明治一桁生まれの羽仁もと子さん、自由学園の創設者であり、日本初の女性ジャーネリストが始めた「婦人の友」です。主婦のための同じような名前の雑誌が姿を消していきました。「婦人の友」は私が小さい頃から同じ姿のまま刊行されています。「婦人の友」を何十年ぶりに買いました。

 「婦人の友」は家庭生活の利便化を目指したクリスチャンでもあった羽仁もと子さんの意思が受け継がれています。明治時代、働きながら子供を産み育てる女性に家庭生活のあるべき姿を提唱したものだと思います。昭和一桁生まれの私の母は、私をこの「婦人の友」で育てました。「婦人の友」は全国に「友の会」があります。子供のためには「幼児グループ」という組織もありました。その幼児グループの通信グループに入っていました。毎月一度小冊子が送られてきます。寒い季節が始まると乾布摩擦を始めましょうとか、紫つる草を植えましょうと種が入っていたこともありました。そうして育った私は、息子をまた「幼児グループ」に入れて育てました。「婦人の友」と幼児グループの小冊子は月に一度送られてきます。これがなんとも楽しみでした。季節季節の絵や写真、その季節にあった行事の食べ物、衣替えや洗濯、衣服計画など子供ながらにしてこの「婦人の友」に教えられたことがたくさんです。

 この雑誌に今年の年頭号から知人が挿絵を描き始めました。知人と言っても私なんかよりはるかにお若い方です。息子が寮で過ごした甲府の高校時代に一、二度だけお目にかかりました。もう20年以上前のことです。当時の甲府でルクルゼのお鍋や輸入物の雑貨を扱うお店で働いていらっしゃいました。10年ほど前、Twitterで消息がわかりました。イラストやグラフィックのお仕事をなさっているそうです。その頃、私が乗っていた車と色も形も全く同じものに乗ってらっしゃると聞き、ますます身近に感じていました。

 この方の挿絵を早く見たいと思いながらも、私の大きな引越しが終わるまでは余裕もありませんでした。荷物も片付き用事で出かけた繁華街の本屋さんで「婦人の友」を手に取りました。中も確かめずに求めます。帰りのバスに乗るなり、「羽仁もと子著作集」のページを開けました。水彩でしょうか、心が明るくなる色使いです。猫が好きな彼女、空に浮かぶ雲もピンクの猫のように見えます。

 若い方がいいお仕事をなさっているのは見るのも聞くのも嬉しいことです。30年ぶりの帰国、私にとってはある意味けじめの年です。この私に小さい頃、毎月「けじめ」を教えてくれた「婦人の友」です。彼女の描く挿絵を楽しみに、「婦人の友」を毎月手に取ってみようと思います。

 

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「LA LA LAND」を観る

2017年02月27日 05時02分19秒 | 映画

晴れ、4度、82%

 今日はアメリカのアカデミー賞の発表の日です。昨日は、かねてから評判の「LA LA LAND」を観に行きました。日曜日だというのに空席が目立ちます。これが賞を取れば満席になるはずです。ゴールデングローブ賞をすでに取っている「LA LA LAND」、「タイタニック」と並ぶノミネートの数だそうです。そして、私にとっては何十年ぶりの日本で観る映画となりました。

 映画のオープニングからミュージカル映画を満喫できます。音楽部門の評価が非常に高いこの映画、ジャズばかりではなくオリジナルの曲も合わせて堪能できます。ジャズピアニスト「セブ」を演じているライアンゴスリングは、全編、吹き替えなしでピアノを演奏したそうです。ピアノ、シンセサイザーを叩く手元が幾度もクローズアップされます。お話は、売れないジャズピアニストと作品に恵まれない女優のラブストーリー。舞台はロサンゼルス。テンポの速い映画作りですが、話の展開もこの映画の持つ雰囲気自体がなんとも昔のハリウッド映画です。

 音楽が素晴らしいばかりではありません。主人公ミアを演じるエマストーンが着ている衣装がどれもこれも可愛い。単色、いろんな色を着こなします。ミュージカルですから歌って踊る、踊るときのタップシューズも映える少し膝上のスカート丈。素敵ではなく可愛い衣装です。一方、売れないジャズピアニストを演じるライアンゴスリング、彼の細身のスーツ姿がいい感じです。その色合いが渋いテラコッタ色だたり、真っ黒だったりします。極め付けはネクタイです。帯締めにでも欲しいような細いネクタイの色が細身のスーツにうまく収まっています。衣装デザインもアカデミーにノミネートされているとか。

 衣装ばかりか映画に散りばめられた小物も見ごたえがあります。セブの乗るコンパーチブルのビュイック、ミアのシェアしている部屋のシャワーカーテンなんか目がクギ付けになりました。

 映画見終わって、楽しかったと実感できる映画です。夢があります。音楽と踊りとでワクワクします。オーソドックスなハリウッド映画です。CGなんか使っていません。最近のハリウッド映画は、中国市場向けに流暢な米語を話す中国人が出てきたり、訛りの抜けないインド人が出てきますが、そんな配役一つもありません。私が小さい頃から憧れて観ていたハリウッド映画そのままです。

 「映画はこうじゃなきゃ。」と内心叫んでいます。毎年、アカデミー発表の日は朝から我が家のテレビは付け放しです。日本時間10時からWOWOWで中継が始まります。

 「LA LA LAND」のテーマミュージック「CITY OF STARS」を聴きながら、レッドカーペットが始まるのを待ちます。

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にわか植木屋さん

2017年02月26日 04時45分44秒 | 日々のこと

曇り、6度、73%

 家の中がひと段落つくと、庭に目が行きます。ちょうど、一番緑の少ない時期です。塀の上に目隠しのフェンスを立ててもらうため、年末にはアイビーを全部切ってもらいました。裏庭は何やら殺風景です。ところが表の塀がまだできていない方側は、古い塀にまとわりつく蔦科の植物や梅の木やらが鬱蒼としています。欲しかった庭用のアルミの脚立が届きました。いそいそと汚れてもいい服に着替えて、手にはよく切れる庭ハサミを持ち「にわか植木屋さん」に変身です。

 道を行く人に迷惑にならないように、家の雨樋や屋根に枝がかからないように、「にわか植木屋さん」なりに基準を持って切っていきます。鬱蒼とした緑もいいですが、鬱蒼は鬱陶しいにもつながります。陽を入れてやることで植物体系だって変わるはずです。この「にわか植木屋さん」背が低いので脚立が必要ですが、手は体の割に大きく、少々の植物や虫にも恐れません。か弱いアレルギーの肌など持ち合わせていませんから、頭の上の枝を払って木くずだらけでも平気です。バシバシと下枝や伸びきった枝を払います。ただ、翌朝には両手がゴワゴワと感じます。

 もっと大きなハサミ、いえ、チェーンソーでもあれば枝ばかりか木の幹だって切りたいと思います。この「にわか植木屋さん」は結構なお歳ですから、腰の痛みがきてはいけない、落っこちでもしたら大変と側で見るより気を使います。それでもやり始めると、あちらの枝こちらの枝とジョキジョキ。時間が経つのもご存知ありません。「ああ面白い。」と払った枝を積み上げます。

 梅の木は伸び放題い、枝を払うにも梅の木の木質から脆くボロリと壊れますから、要注意。「ああ、もっと上まで切りたいわ、ああ、もっと大きな枝を払いたいわ。」どうも「にわか植木屋さん」の限界が見えてきました。

 今年は「ほんとの植木屋さん」に来てもらわなくてはなりません。今日は、「にわか植木屋さん」は下の道の枝払いをするつもりです。脚立に乗って見上げた空は、面白い飛行機雲が。つい数週間前までビルばかり見ていたのが嘘のような景色です。

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みずめ桜の家具

2017年02月25日 05時11分38秒 | 身の回りのもの

晴れ、3度、78%

 私が育った家の家具は色調が濃い「みずめ桜の家具」ばかりでした。この家具は重いばかりか、ちょっとでも角に当たると青あざを作ります。父と母が揃えた家具のうちいくつかは私の歳よりも上のものです。私が物心ついて後に求めた「みずめ桜の家具」はそれとなく記憶にあります。新しい家具がやってくると、家の中の空気が華やぎます。重い家具を運び込んでくれる人に母が「ここに。」と応対していた様子がよぎります。

 その「みずめ桜の家具」のある家に戻ってきました。改築前整理をした時に、三面鏡だけ捨てました。それ以外の「みずめ桜の家具」と大きな焼き物とお仏壇だけを残しました。衣服も食器も本も捨てました。この家を離れて42年、顧みることもなかった家に30年の香港の生活を切り上げ戻ってきました。昨日、戻ってきて初めて家具の手入れをしました。椿油を柔らかな布に含ませて磨き上げます。手入れをしなかった母です。年数も経って、手入れされなかったこの家具の持つ深い艶が失われています。私たち夫婦が持ち帰った家具もみずめ桜です。座敷をフローティングに替えたので新しく揃えた家具もみずめ桜です。

 洗面所にある二つのチェスト、  どちらも古いもの。

 寝室にあるサイドテーブルとワードローブにチェスト。ワードローブは2階の部屋にも同じものがあります。チェストは私たちのものです。  

 居間には、 古い飾り棚。   時計台。  小ぶりな飾り棚。

 私たちが求めたテーブル。 両袖のラダーバックチェアー。

 台所には、 母の使った食器棚。 私の食器棚。 ラダーバックチェアーの袖なし。

 座敷には、 バタフライテーブル、広げると楕円形のテーブルになります。 ウィンザーチェアー。 本棚。 座敷だった頃からある座卓。私たちが新調した、  ソファー。 ロッキングチェアー。

 玄関にある、 大好きな椅子。

 2階には、 私たちの座卓とワードローブに私の机だったビューロー、 全部を磨くのに2時間近くもかかってしまいました。磨きながら思います。なんで母は手をかけてやらなかったのだろうと。すぐには失った艶は戻りません。あとどのくらいの時間こうして磨いてやれば古いなりの艶を取り戻してくれるのでしょう。

 この家に戻るに当たって、私は随分迷いました。戻りたくないが本心でした。主人が改築を言い出さなければ、家も家具も全て手放したはずです。でもこうして戻ってきたということは、とりもなおさずこの家を維持していくことです。手をかけて家を維持する、できたら子供にも受け継いで欲しい、「みずめ桜の家具」と向き合いながらそんな思いが胸に沸きました。

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虎屋 「ラムレーズン羊羹」

2017年02月24日 05時58分37秒 | おやつ

曇り、7度、72%

 引越しの荷物を開ける間も忘れずにおやつをいただきました。ありがたいことに友人たちからの贈り物のお菓子がたくさんです。時には立ったままお茶も入れずにお菓子を頬ばります。お行儀なんて構っていられません。お菓子の甘さがホッと体に染み込んで、眠気の残る頭まですっきり。

 虎屋の小さな箱を開けると、お饅頭とお羊羹のセット。目ざとく「ラムレーズン羊羹」があるのを見つけます。このお羊羹、確かパリの虎屋の記念限定版で数年前に出たものです。噂には聞いていましたが、お目にかかるのは初めてです。こればかりはお茶といただきたいと思い取っておきました。パリの虎屋の限定羊羹を一度高島屋の地下で見たことがあります。細工のお羊羹、エッフェル塔でした。日本版が富士山のところをエッフェル塔です。餡はクリームに通じるという思いからパリにお店を構えたのだと何かで読みました。老舗の形を崩さずに、和菓子がパリに受け入れられているのでしょう。

 人心地ついた日のおやつに待望の「ラムレーズン羊羹」を開けました。竿ではなく小型のお羊羹です。 丸のままのラムレーズンではなく刻んだラムレーズンが白あんのお羊羹に透かして見えます。切った時からラムレーズンが香ります。お口にポイ。美味しいですね。満足です。ラムレーズン好きには堪えられません。お煎茶を入れましたが、コーヒーにも合いそうです。ラムレーズン好きな私は、香港で作り置いたラムレーズンを持ち帰ってきました。大事にパッキンで何重にも包んで、宝物です。パンプディングにパラリ、ラムレーズンがあるだけで急に大人のお味になったような気がします。

 虎屋の新作のお羊羹、時には首をかしげるものもありますが、さすが老舗のお羊羹です。「ラムレーズン羊羹」まだ売っているお店があるそうです。虎屋の売り場をのぞいて見てください。お勧めします。

 

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あいがも米を土鍋で炊く

2017年02月23日 04時18分01秒 | 日々のこと

曇り、12度、81%

 電気釜を使い始めたのは、結婚して10年ほど経ってからでした。なにぶんにも電気釜を買うお金がありませんでした。お米を買うのだって結婚当初は1キロ、2キロ単位で買っていました。一番お安い標準価格米です。今のようにブランドのお米なんかなかった昭和50年代の話です。標準価格米をお鍋で炊きます。息子が幼稚園に入ってお弁当が始まってもお鍋でご飯を炊きました。タイマーなんてありませんから朝早く起きます。今回の帰国を機にまたお鍋でご飯を炊こうと思いました。電気屋さんに行っても電気釜を見に行くこともないままです。

 今年の始め、あいがも米をいただきました。 きっとあいがもを水田に放ってお米を害虫から守って作ったものだと想像します。こんな貴重なお米は日本のお米が大好きな主人に食べてもらいます。香港に帰る前の昼食、美味しいご飯とお味噌汁をと思いました。

 お鍋や土鍋で炊くご飯は、電気釜のご飯とちょっと違うように思います。おこげができますし、炊き上がる時の香りの良さは格別です。柔らかいご飯が好きな主人に合わせて、水加減をやや多めにしてみました。私はカチッとした真っ白い硬いご飯が大好きです。この黒い土鍋は、ご飯炊き専用です。中蓋が一枚ついています。数年前、日本で土鍋でご飯が流行った頃に、香港で求めたものです。日本に戻ったら土鍋でご飯と決めていましたから、第2便目の引越しの荷物に入って早々に帰国していました。

 電気釜に比べて早く炊き上がります。ただ、つきっきりで火加減を見ていないといけないのが玉に瑕。吹きこぼれないように、ボコボコ沸騰するまでは上蓋は外して炊きます。中蓋におねばが上がったら火を弱めて上蓋を戻します。蒸らしが肝心です。新米だったのを忘れて、柔らかすぎるご飯ですが、甘みたっぷりのご飯が炊き上がりました。しっかりおこげもできています。

 夫婦二人なのに1升炊きの電気釜でした。炊き出しでたくさんのおいなりさんやおにぎりの用意があった頃には、この1升炊きは大活躍。それなのに段々、場所を取るなあと思うようになりました。今の広い台所、電気釜がないぶんもっと広く使えます。物との付き合い方も変わってきたと思います。

 

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名前のスタンプ

2017年02月22日 05時41分37秒 | 身の回りのもの

曇り、6度、62%

 スタンプやハンコが好きで自分でも消しゴムを彫って作ります。ハンコも、絵柄を入れた名前入りのも作ってもらいました。いつも使うわけではありませんが、お手紙の最後にポン。好きな本の奥付にポン。自分で作るハンコに字を入れるのは鏡字にしなくてはいけないので難しい、どちらかというと彫りやすいアルファベットを使います。花輪の柄入りの作ってもらったハンコは篆書体の難しい「真奈」を入れてもらいました。

 本帰国でモモさん、息子一家と福岡の家に着いたのは日本に戻った翌日の夕方でした。まだ最後の大きな荷物が着く前の家はガランとしていました。香港から戻ってきたので寒さがひとしおです。夕方の暗さも心なしか寂しく感じます。そんな時、宅配便の人がやってきました。気苦労の多かった長旅を癒すようにと友人が送ってくれたお菓子や食べ物でした。次の日も朝から宅配便が届きます。モモさんの防寒着、モモさんの湯たんぽ、珍しいお鮨、苗木、珍しい本、毎日毎日、友人たちからの心のこもった品々を受け取りました。そんな中、箱の片隅からポロリと落ちた小さな紙袋、なんだろうと開けてみると、大きめなハンコです。 ハンコを握りしめて、スタンプパッドのある二階に駆け上りました。

 捺してみると、私の名前とこの家の住所が紅白の椿の絵と共に紙に写りました。住所入りのスタンプは初めてです。心憎いこの贈り物、2週間近くも使わずに仕舞ってありました。

 家の片付けもひと段落つきました。義父の三回忌も済ませました。心にも余裕が出てきた昨日の昼下がり、お世話になった方達にお礼のハガキを書きました。もちろん差出人のところには、頂戴したスタンプをポン。 

 この半年、短頭種の高齢なモモさんを飛行機に乗せて日本に帰ることでとてもナーバスになっていた私をたくさんの方が支えてくださいました。飛行機、新幹線の長旅を終えて迎えてくれたのは、またしてもそういう友人たちの嬉しい心遣いでした。成田で一番びっくりしたのは、そういう友人の一人が出迎えに来ていてくれたことです。私ははじめ、息子しか見えませんでした。その後ろから懐かしいお顔が、「真奈さん」と声かけてくださいます。何年ぶりかしら。

 友人たちの暖かさに感謝の言葉しかありません。そんな気持ちを込めて、ハガキを書きました。そして最後に、素敵なスタンプをポン。私の一生物のスタンプです。みなさんありがとうございました。

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「蜂楽饅頭」

2017年02月21日 05時32分09秒 | おやつ

曇り、7度、50%

 昔ながらの商店街、何処からともなく匂ってくる和菓子の蒸した匂いやどら焼きの皮を焼く匂い、つい何処の店かしらと周りを見回してしまいます。そんな商店街もだんだん少なくなってきました。

 私が小学の途中から高校を出るまで、約10年間通った商店街があります。小さい頃から記憶にあるその商店街は、夕方ともなれば糸島や佐賀から野菜や干物を持ってくるリヤカーのおばさんたちがずらりと並びます。両脇のお店には威勢のいいお魚屋さんが何軒かありました。博多らしいおうどん屋、夕飯のおかずを揚げる天ぷら屋やコロッケを揚げる店もあり、それは賑わいを見せる商店街でした。

 福岡に帰る度、何かとこの商店街を通ります。来る度来る度、人通りが少ないのが気になります。たまたま夕方に通ってもリヤカーの数も数えれるばかりになっています。大型のスーパーには敵いません。ところが昼過ぎともなると行列ができている店があります。その店は行列ばかりか、あの匂い、どら焼きの皮を焼く匂いが遠くからします。どら焼き屋さんではありません。甘味屋さんです。道に面したところには、「今川焼き」とか「大判焼き」とか「回転焼き」地方によって呼び方が変わる「蜂楽饅頭」が売られています。行列はこの「蜂楽饅頭」を買う人の行列です。小さい頃から馴染んだ蜂蜜を使った餡が売り物の焼きたての「蜂楽饅頭」です。高校の文化祭や体育祭ともなれば、午後のおやつに何十個と買って学校に戻ります。学校帰りに、夏は氷を食べたのもこの店です。私は宇治ミルク。

 ところがこの私、この長い行列に並ぶことはありません。そんなに好きではないのです。この行列に並ぶ時は、義父や義母にお土産にする時です。主人の実家に行くときはこの街で乗り物を乗り換えます。とりわけ義父の大好物がここの黒あん(小豆の粒あん)でした。温かいうちに、義父の手のひらに乗せてあげます。好きな食べ物は人の顔をほころばせます。早速、熱いお茶を入れます。

 昨日朝から主人は福岡の中心部に仕事で出かけました。昼少し前に戻った主人が手にしていたのは、白と黒の「蜂楽饅頭」でした。私は心の中で思います、「あんまり好きじゃないのよね。」主人だってご存知のはずです。午後からは義父の三回忌の法要に出掛けます。温かい内に「蜂楽饅頭」を食べましょう。モモさんもお留守番をしてもらうために、早めのおやつです。

 黒は小豆の粒あん、白はいんげんのほとんどこしあん。主人の好物は白です。白二個に黒二個。袋には白黒のシールは貼られていて、どちら側が白あんか黒あんかが分かります。私はどちらかといえば黒あん。 黒はしっかりした餡ですが、 白あんはやや柔らかめ、蜂蜜入りだと思わせる甘さです。二個も食べるとお腹にどっしりときました。

 小雨の中、義父の墓へと車に乗ります。車の中で、「なんで好きでないとわかっていて、買ってくるの。」と主人に口をついて言ったその端から、あっと気付きます。義父の墓参の前に義父の好物だった「蜂楽饅頭」と思った主人だったと思います。私の言葉には、返事をしませんでした。私に買って来た「蜂楽饅頭」ではなく、亡き父に買って来た「蜂楽饅頭」だったのです。

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義父の三回忌

2017年02月20日 05時34分13秒 | 日々のこと

曇り、15度、76%

 義父が逝って2年が経ちました。義父の容態がかなり緊迫していることを知ったのは、孫娘に会うために東京に発とうとしているその日でした。夜遅い便で羽田に着きました。そして次の日の朝一便で福岡に向けて飛びました。義父に会うため、万が一の時のために葬儀全般の手配をするためでした。福岡に着くなり、義父の入院先に急ぎます。私を見ると喜んでくれ、大きな声で「真奈さん、水をくれ。」と言います。吸入器をとって何度も水を口に含ませました。目の動き、声の大きさ、まだ大丈夫と思った私でした。

 まだ亡くなってもいない者の葬儀の手配などというと不謹慎極まりなく聞こえます。長男である主人は遠く香港です。義母はその場が来れば悲しみで何も手に付かないことは分かっています。誰かがしなければなりません。私しかいません。義母に了解をとって、葬儀会社と打ち合わせをしました。概ねの線で打ち合わせ後、東京にとんぼ返りしました。私の香港に戻る便は、その次の日のお昼の羽田発です。せめて、孫娘の顔を一目見ようと思います。前年の2月に生まれた孫娘、初節句が近づいていました。

 義父の訃報に接したのは香港に戻るため東京のホテルを出ようとしている時です。前日の義父の様子からは早すぎる知らせでした。そのまま福岡に行くことも考えましたが、その次の日は私のガンの入院検査の予定が入っていました。主人が私と入れ違いに福岡に入る代わりに、香港に戻り検査を受けるように言ってくれました。つまり私は葬儀には出ていません。なんと不義理をしたことかと悔やまれます。

 「侘助」が好きな義父でした。俳句が好きで、幾多の賞を頂いています。男の人ですから言葉多くではありません。20代の私が霜焼けで腫らした指をさすってくれとような義父でした。エビやカニが大好きで、好きなのに剥くのが苦手な私や息子のために、100匹近いシャコを剥いて待っていてくれたこともありました。

 お誕生前の孫娘に会わせることができました。あの日は、義父義母、息子家族、私で義父の好きな中華料理屋に行きました。一緒に食事をとったのはあの日が最後です。やっぱりエビを食べていましたっけ。

 昨年末から骨折で入院している義母です。気になる三回忌のことを年明けからしきりに話します。この三回忌のために香港から戻った主人の顔を見て昨日はホッとしたことと思います。仏壇の掃除をしながら、遺影に葬儀に出れなかった不義理を詫びました。義父はきっとわかってくれていると思っています。この家の嫁になって37年、義父はこんな私に文句も言わずにいてくれました。今日は主人と揃って墓前に詣でます。

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博多のイカのお刺身

2017年02月19日 06時08分48秒 | お外の食事

晴れ、4度、52%

 博多は玄界灘に面して、お魚の美味しい街です。玄界灘を超えて壱岐対馬で揚がるお魚も豊後水道で揚がるお魚も博多に入ってきます。とりわけ博多に見えたら是非召し上がってくださいとお勧めしたいのがイカのお刺身です。

 細造りにしたイカのお刺身、イカそうめんとも呼ばれるものはその名のように白いイカのお刺身です。ところがイカはとれたて、水から上がってすぐのものは白くありません。透明です。この透明なイカのお刺身の美味しさは召し上がった方ならご存知、水揚げ後数時間経った白いものの数倍も歯ごたえ甘みがあります。昨晩はアオリイカを一杯をお刺身にしてもらいました。生簀から上がったものを料理ます。目の前に運ばれてきたイカはまだ足をクニャクニャと動かしています。細造りではなく薄造りです。目の前でおろしてもらう山葵と生姜そのどちらでも味わうことができます。ふにょっとした白いイカとはまるで別物、コリっとした歯ざわりとイカ独特の甘みが口に広がります。

  お次はサザエのお刺身。壷焼きにしても一番美味しいサザエの尻尾、いえ、サザエの一番奥の緑色のところも生で食べるとそのねっとりした美味しさが味わえます。サザエのみはかなりコリコリしていますので、歯の丈夫な方でないと無理かもしれません。

 お次は、クジラの小さな盛り合わせ。 小さい頃はよくクジラをいただきました。父は晩酌に「おばいけ」を所望することもしばしばでした。「おばいけ」は酢味噌でいただきます。昔に比べて「おばいけ」が柔らかいと言うと、主人が「クジラの種類が違うんだよ。」と教えてくれました。クジラの切り落としの様な身を当時飼っていたコリーたちは、展覧会の前ともなると生のまま食べていたのを思い出します。毛艶が良くなると父母が言っていました。クジラが大事な蛋白源だった頃の話です。

 イカはお刺身を食べ終わると、残った頭とげそを別の料理でいただきます。天ぷらと素焼きにしてもらいました。 この天ぷら、半分以上食べた後です。かなりの量の天ぷらです。以前息子夫婦を連れてきたときは、この天ぷらの取り合いをした覚えがあります。お嫁さんが、我が家では遠慮していたら美味しいものはなくなると心得えてくれたのもあの時のはずです。 素焼きはさほど美味しくありませんでした。やっぱり天ぷら。

 生簀からの揚げたての魚を料るこの店は私が小さい頃からあります。 福岡市大名にある「稚加栄」です。品のいい明太子でも有名です。昨夕は店に一歩踏みれた時うっとにおった日本酒の匂い、やはり日本酒と一緒にいただくのが美味しい新鮮なお魚です。お酒は日本各地の日本酒、焼酎があり、ワインも揃っています。博多へお越しの時は行ってみてください。夜は予約を入れていくのがいいかと思います。

 

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