チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

鮮蝦雲呑麺

2017年01月31日 05時13分51秒 | 香港

雨、15度、93%

 香港の雲呑は蝦が丸のまま入った美味しいものです。その蝦の雲呑麺、一般には「鮮蝦雲呑麺」と呼ばれます。この「鮮蝦雲呑麺」を売り物にしている店は香港中いたるところにあります。小さなお椀に入ってくる「鮮蝦雲呑麺」、日本のラーメンやおうどんの感覚ではいたってごく少量です。「小食」と書いてスナックの意味ですが、ちょっと小腹を満たすための食べ物です。お店によってお値段も安いところから、こんな小さなお椀にこの値段?と思うような店まであります。このひと碗の「鮮蝦雲呑麺」でミッシュランをとった店まであるほどです。

 「鮮蝦雲呑麺」は、蝦の雲呑、スープ、麺から成り立っています。雲呑の美味しさはもちろん、麺がまた独特です。細く腰があり硬めに茹であげた麺です。麺ばかりを売る店に行けばこの雲呑麺用の麺を買うことができます。幾度も幾度も家で雲呑麺を作ろうとしましたが、まず麺の茹で加減で躓きます。お店のようにコシっとした歯ごたえが残りません。スープは蝦からとったスープで透き通っています。このスープが蝦臭くてもいただけません。「鮮蝦雲呑麺」がテーブルに運ばれてきたら、まず、蓮華をとってこのスープを飲んでみてください。一口、二口、だいたいここでこの「鮮蝦雲呑麺」の美味しさがわかります。「鮮蝦雲呑麺」の雲呑は麺の下に隠れています。決して、「雲呑がない。」などと慌てないでください。

 美味しいものが数ある香港です。さて、香港を離れる前に何を食べようか?数えればきりがありません。思いつくのは様々な中華料理、ローカルのへしゃがった様な安い甘いパン。日本で間違いなく美味しいものに有り付けないとも思われるのは、やはり「鮮蝦雲呑麺」です。運良く、旧正月だというのに二日続けて「鮮蝦雲呑麺」を食べる機会に恵まれました。

 初日は初めて行くお店です。いつも初めての店での「鮮蝦雲呑麺」には期待をしません。見出し写真が出てきた「鮮蝦雲呑麺」です。麺の上に細かい「蟹の卵」を乾燥したものが振られています。「蟹の卵」は風味をよくしてくれます。「蟹の卵」が振ってあるだけでお値段もお高くなります。雲呑は麺の下です。慌てずに、スープをすすります。臭みもなく化学調味料の味もありません。そして何といっても熱々のスープです。麺をひっくり返して、雲呑を数えます。小さい雲呑が5つ、ほんの少し豚肉がつなぎで入っています。美味しい。そこで麺を頬ばります。腰があり噛み締めると甘みもあります。初めてのお店の「鮮蝦雲呑麺」私には合格点でした。

 2日目は、例のミッシュランをとったお店の「鮮蝦雲呑麺」です。 黄色いにらもワンタンと一緒に麺の下です。ここの雲呑は蝦2匹のみ包まれています。麺のコシ、スープ共にさすがミッシュランをとったお店です。このミッシュランのお店では、私は例のごとく「鮮蝦雲呑」のみを頂きました。 麺がないだけです。「鮮蝦雲呑麺」には雲呑が5つ、私のは8個入りです。スープは癖もなく、臭みもなくで最後まで飲み干します。強いて言えば、もっと熱いスープの方が好ましい。蒸し物、麺類は熱さが美味しさの一つです。

 香港島のセントラル界隈、たくさんの「鮮蝦雲呑麺」屋があります。ウィークデーの昼間はどの店の人が並びます。どの店が美味しいかは好みです。それにお値段だって高い安いがあります。観光客の多い九龍サイドのチムサッチョイの「鮮蝦雲呑麺」屋さん、私は当たりが悪いのか、美味しい店を見つけられません。スープの匂い、麺の茹で加減、ぬるいスープ。地元セントラルで十分です。

 今日は旧正月最後のお休み、今日のお昼も「鮮蝦雲呑」が食べたいなあと思いますが、それにお付き合いくださる主人には申し訳ありません。

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私です。

2017年01月30日 04時26分01秒 | 日々のこと

曇り、19度、95%

 香港、二日前の旧正月元旦よりお天気が不安定になりました。 毎年詣でる道教のお寺があります。「文武廟」です。読んで字のごとく、文神と武神が祀られています。香港最古の道教のお寺「文武廟」は我が家から上環方向に下りたハリウッドロードにあります。渦巻き状の大きなお線香が天井からぶらさがり、 観光客が絶え間なく来るお寺です。例年、私独りで参ります。ところが今年は、「行ってきます。」と主人の声をかけたら一緒に行くと言い出しました。この「文武廟」に降りる道もいく本もあります。眺めのいい道、私の好きな道を下りることにしました。我が家から下セントラルから上環にかけては、香港でも古くから拓けてきた街です。石で出来た階段も数箇所残っています。公の建物、教会も出来た当時のままの姿を残しています。この私のブログでもそうした建物を紹介してきました。

 数少なくなった煉瓦造りの建造物、この香港島でペストが蔓延した時、日本の北里柴三郎が治療に当たったといわれる現「医学博物館」などがやはりこの「文武廟」に行く道すがらにあります。なにぶんにも地元です。タラタラと坂を下ります。「文武廟」のすぐ上のDRIDGES STREETは、今ではしゃれたレストランが立ち並び、地元の西欧人のお客でいっぱいです。20年ほど前は昼間、人など通っていませんでした。西欧人の犬連れが目立ちます。時代が変わったものだと感じます。この道は行止まり、そこに建つのが煉瓦造りの大きな建物が「YMCA」です。これも私の好きな香港の建造物の一つです。以前にもこの建物のことは紹介しました。知的障害者の職業訓練所が建物内にあります。香港で何番目かに出来た室内プールもこの古い建物内にあります。この建物の前は小さな教会。この路地が好きです。行止まりの路地なのに、道幅があるので暗さがありません。主人が急に「写真を撮ってあげる。」などとおっしゃいます。行止まりですから車も来ません。「道の真ん中に立ちなさい。」自撮りなどしたことがない私、大好きな建物をバックに写真を撮ってもらいました。その私が叫んでいます。「あっ、車が来てるよ。」

 旧正月元旦からでも開いているレストランを覗いたり、写真を撮ったり、主人と二人歩くこと20分、「文武廟」に着きました。初詣の地元香港人でごった返しています。日本のお寺とは趣を異にしています。祀られている神様も全て元は人間だったといわれるせいかもしれません。仏像のお顔が何処そかの誰々に似てるなどと、身近の感じるお寺です。私はこのお寺に毎日参った時期がありました。6、7年毎日参りました。心に大きなものを抱えていた時期です。お線香の匂いも上から降ってくるお線香の灰も赤いお灯明も全く変わっていません。 壁に掛けられた日めくりの暦も変わらない、「ここは何もが変わらない。」安心感が胸に沸きました。

 旧正月の元旦の午後、主人と二人、地元の散策です。ここが日常の私と日頃この付近は歩くこともない主人、モモさんが待つ我が家まで坂道を上に向けてのんびりと戻りました。

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「煙花」花の咲く道 寶雲道

2017年01月29日 04時11分25秒 | 走ること

曇り、18度、87%

 私が香港を離れる前に書いておきたい道があります。この道にはたくさんのことを教えてもらいました。道に教えられるとは変な表現ですが、この道の全てが私の身体と心を作ってくれたと言ったほうがいいかもしれません。20年間走り続けた寶雲道です。

 もう何度もこの道のことは書いてきました。香港島の北側は写真にもよく出る高層ビルの林立する土地です。金鐘から湾仔、トンロー湾、そして競馬場のあるハッピーバレーの山側を東西に走る道です。ビクトリア湾を眺める向きはビル群を見下ろしながら、この道自体はすっぽりと緑に覆わています。早朝から散歩をする人、走りに来る人、太極拳をする人が通ります。アカシアの頃ともなれば高い木から清涼な香りを感じます。早朝の鳥のさえずり、水の流れる音。たくさんの野生動物に出会ったのもこの道です。ハクビシン、ジャコウネコ、ヤマアラシ、コウモリ、毒蛇に大きなムカデやトカゲ、ほんの5日前には初めてイノシシの子供も見かけました。走る私の足の裏はしっかりとこの香港の土地を踏みしめます。

 仕事柄、風邪をひけないと走り始めました。この20年病気らしい病気すらしません。そればかりか、仕事で行き詰まった時、家族の問題を胸に抱えていた時、この道を走りそんな心の重荷を汗とともに流し落としてきたと思います。この道が持つもの全てに包まれてきた20年です。

 「煙花」とは花火のことです。香港、今でこそ年に2、3回花火が上がりますが、以前は旧正月の2日目だけが花火の日でした。香港人はこぞって、ビクトリア湾沿いの花火がよく見える場所に陣取ったものです。テレビで見る花火にすら歓声が上がりました。それほど年に1度の花火は楽しみだったと思います。旧正月の時分になると咲き始める、その花火の枝垂が降るような花をつけることから名付けられたツタ科の花が「煙花」花です。塀や高い木に這ってオレンジ色の花をつけます。今年の旧正月は例年より早くやって来ました。寶雲道に咲く「煙花」花はまだ満開ではありませんが、季節を違わずに咲き始めました。

 香港に来て30年、この雲寶道を走り始めて20年。長かったようで、あっという間のような気もします。野良猫たちと並んで走った記憶、毎朝会うジョガーの人たちと交わす会話、散歩に来るおじいさん、おばあさんからもらったたくさんの暖かさ、全てが私の大切な思い出になりました。あと数回、寶雲道を走ります。今日は旧正月2日目、「煙花」花火が上がります。

 

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ビルのある景色

2017年01月28日 05時31分40秒 | 香港

晴れ、16度、77%

 「吉祥如意」たくさんある中国のお正月の挨拶の言葉の一つです。「万事うまく行きますように」と意味があります。出会う人出会う人にこうしたお正月の挨拶をして、赤い袋に入った「利是」と呼ばれるお年玉を渡します。香港の街は静かな春節の朝を迎えました。

 毎年一番寒くなると言われている旧正月ですが、今年はちっとも寒くなりません。お天気もまずまずの日が続いています。本帰国に向けての大きな仕事がひとまず片付いた午後セントラルに向かいました。我が家からセントラルに降りる道は数ありますが、ここ数日は好きな道を選んで通っています。その一つが「卑利街」PEEL STREETです。理由は簡単、この景色が見たいためです。

 我が家を出て、やや西よりの坂を下ります。2つ下の大きな道「堅道」の上には古い歩道橋が架かっています。その歩道橋を登り始めると少しづつ姿を見せるのが、「中環中心」THE CENTERのビルです。左右は香港の古いビルが下の市場まで続きます。歩道橋の上からは、見上げずとも目の前に広がる景色です。見出し写真のこのビルの一番下は小さく市場が写り込んでいます。こうした雲ひとつないお天気の日に、歩道橋の上から見るこの景色は、なぜか私に元気をくれました。この景色が好きです。お天気のいい日には、遠回りになってもこの道を選びます。私にとってはありふれたひとつの景色を見るために、この道を下ります。

 ここからまだ下に坂を下ります。途中には、古い「廟」が階段沿いにあります。 地元の人がお参りする「廟」です。お線香の火が絶えることがありません。まだ坂を下りると、市場に入ります。市場のお店だって坂道ですから、 写真に撮ると斜めに見えます。もっと坂を下りると、 「中環中心」は大きく見えます。この時の私は顎を上げています。ここまで来る間に幾度となくこのビルを見上げます。

 実はこの「中環中心」は今私が座っているこの部屋からも見えています。この家に移り住んで17年、日の上る前のネオンを消した真っ黒な「中環中心」、夕方6時過ぎから虹色にネオンを灯す「中環中心」。雲の多い、湿度の高い日はガスって見えません。考えてみれば、一日中、「中環中心」と生活をしていました。お風呂の明かりを消して、この「中環中心」のネオンを見ながら湯船に浸かることもありました。オフィスビルです。先日ひょんな事からこの上階のオフィスに行く機会がありました。私が坂を下る「卑利街」が山に向かって上がっているのが見えます。毎日通っている道なのに急に懐かしくなりました。

 あと数日でこの私の日常に別れを告げます。一日中、私の生活を見ていてくれた「中環中心」もう一度、青空を背景にしたこのビルを歩道橋の上から見てみたい、そう思います。

 

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モモさんの動物病院

2017年01月27日 05時39分47秒 | もも

晴れ、15度、83%

 モモさん13年間ずっと同じ動物病院に通いました。日本とはちょっと違った病院の仕組みです。30年前の香港、動物をペットとして飼っている人がほとんどいませんでした。RSPCA「英国動物虐待防止協会」がその行動の一端として動物病院の代わりもしていました。小さな獣医さんも含めて香港島には3軒しか動物病院がありませんでした。ダルメシアンに始まったペットブームのおかげで今ではいたるところに動物病院があります。モモさんがお世話になっている動物病院は、SPCA(現在は英国が外されています。)に次ぐ規模で香港中に6軒病院があります。獣医さん達はこの6軒をローテンションで回りますから、いつも同じ先生とは限りません。しかも獣医さんの国籍はまちまち、イギリス、カナダ、オーストラリア、香港。もちろん出身の大学もまちまち。香港にはまだ獣医科のある大学はありません。診てくださる先生によって、扱いもそれぞれです。

 獣医さんは行く度に代わりますが、受け付けをはじめスタッフの人は同じ顔ぶれです。昨日はモモさん動物病院に行きました。香港を出るにあたって、最後の検査です。検査と言ってもモモさんは熱を計られて、マイクロチップを試されただけです。過去13年間のモモさんの狂犬病の注射記録、フィラリアの予防接種記録など書類上の細かなチェックが主な用事です。この細かい記録を香港政府に申請して、輸出許可をもらいます。香港政府に申請する前には、日本の検疫所にこの書類のチェックをしてもらうために送ります。香港政府の印鑑が押された後は、一切書き直しができないからだそうです。輸出許可書がおりて、初めて飛行機に乗ることが出来ます。非常にややこしい書類検査です。

 朝一番の予約、モモさん病院の入り口で動きません。中からは、看護師さんたちが「モモちゃん。」と呼んでくれています。この病院、獣医さんもいろんな国籍ですが、やってくる犬や猫の飼い主の国籍も様々。スッタフの人の中には日本語の達者な人もいます。13年間変わらず受付に座っていたフィリッピン人の彼女、 モモさんを可愛がってくれました。スッタフ全員と写真を撮りたいと思っていましたが、朝一番でみんな揃っていません。飛行機に乗る前日の夕方の散歩はこの動物病院のある道にしようと思います。モモさん、皆さんにご挨拶です。この病院、我が家から坂を下りて5分とかかりません。モモさんの散歩コースの一つです。シベリアンハスキーに噛まれた時など、お財布も持たずにモモさんを抱えて飛び込みました。思い出のある病院です。皆さん、ありがとうございました。

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枕元の写真

2017年01月26日 05時12分28秒 | 日々のこと

晴れ、16度、83%

 引越しの荷物を出して、今残っている物は主人の身の周り回りの物とほんの一山の私の服、少ない台所道具だけです。私の枕元にあった主人がフィンランドから買ってきてくれたミーのぬいぐるみも、にこママが作ってくださったモモのフェルトのぬいぐるみも、みんな東京港に着いた荷物の中です。枕元の出窓にあるのはスタンドだけ、夜になると時計がわりにAppleWatchを充電します。このベットでモモさんと13年一緒に寝ています。

 大きな壁の額はほとんど日本に向けて出て行きましたが、家族の写真を入れたフレームは半分近く残しました。私たち家族の足跡がわかるように時代が違うものを残しました。もちろん一番新しい写真は孫娘。そんなフレームの一枚が我が家の先代の犬2匹、テツとケンの写真です。ケンの顔は幼く、テツは壮年期。これは平戸にキャンプに出発する直前の写真です。荷物に入れかけたこのフレームを元の本棚に残しておきました。

 向かって右の犬がテツです。まだ東京に住んでいた時、保健所に追われているこのテツを家に迎えました。荷物を作っていた時、もう一枚のテツのフレームを見て、忘れていたことを思い出しました。このテツを連れて私は引越しをしました。飛行機で犬と一緒の引越しは、今回のモモさんが初めてではないと思い出したのです。テツとモモさんでは犬種も違います。国内線と国際線では飛行機の飛ぶ高度も違います。なのにテツの写真を見ながら、急にその時まで私が心に持ち続けていたモモさんの飛行での心配が消えて行きました。短頭種、高齢、飛行中のモモさんの体調変化が心配の種でした。

 このテツとケンの写真のフレームが、4日前本棚から私の枕元に移動していました。枕元に持ってきたのは主人しかありません。私と同じくらいモモさんのことを心配している人がいることをすっかり忘れていました。男の人ですから口にこそしません。この数週間、主人がモモさんを抱く様子が今までと違います。しっかり抱いて、何か心の中で話しかけているようです。時には、抱いたまま窓から香港の夜景を見ていることもあります。

 言葉にしないで、そっとこの写真を私の枕元に置いてくれました。この写真に寄せた主人の気持ちが痛いほどにわかります。モモさんと私が香港を離れた後もこの写真は主人と残ります。主人がいつか日本に帰ってくるときの荷物に入ってくるはずです。それまで主人を守ってくださいね、テツ、ケン。

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国際運転免許

2017年01月25日 05時40分25秒 | 日々のこと

曇り、15度、79%

 私は日本で免許を取りました。でも更新しないまま、つまり香港の運転免許証しか持ちません。帰国してしばらくは、細かい用事で日本の免許証に切り替えるのも面倒です。そこで、国際免許を申請に行きました。これがあれば、帰国後1年はこの免許証で運転することが出来ます。

 日本で国際免許を取ったことはないのですが、サイズはパスポートよりやや大きい薄い小冊子です。ページをめくると、私の写真、国籍、生年月日が記されています。国際免許は常に元の免許証、私の場合は香港の免許証と一緒に提示しなくてはなりません。気が付けば、免許の切り替えがこの3月です。これではこの先一年、国際免許で車を乗ることができないので、昨日は免許の更新もしてきました。ちなみに免許の更新は香港10年毎です。

 香港は日本と同じ右ハンドルです。ところが、日本のように狭い道の離合などはほとんどありません。香港島の道は古いので狭いのですが、一本置きの一方通行です。信号など無視して渡る香港人、自動車専用の分離帯のついた道が多く通っています。信号もない自動車専用道路です。右折も信号で動きます。日本のように交差点内で右折を待つことなどありません。日本で運転できるかしらと心配になります。

 車はこの土曜日28日に横浜に着くそうです。家財道具は昨日東京港に着いたと連絡がありました。私の帰国に伴う引っ越し作業も、残すは明日のモモの最終健康診断とそれを基に香港政府からもらうモモの輸出許可書を残すばかりです。許可が下りれば、いよいよモモさんと私は飛行機に乗ります。

 当初10月帰国予定が、私の勘違いから大きくずれ込みました。書類の山に気が落ち込むことも、モモの無事成田着を心配する気持ちも、ここまでとても長かったように思います。やっと先が見えてきました。住所、電話番号、メールのアドレスなどのお知らせは落ち着いからいたします。ご心配、励ましありがとうございます。

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香港、春節の飾り付けが始まりました。

2017年01月24日 05時39分55秒 | 香港

曇り、15度、78%

 今年の春節、旧正月はこの土曜日が元旦にあたります。通常、三が日が祝日ですが日曜日を挟むので4日の連休です。昔は日本同様この旧正月休みは長くて、2週間近く休む店すらありました。大陸、中国の親戚を訪ねる人、長い海外旅行に出かける人と地元香港人が一番少なくなる季節です。観光地の香港、長い休みが取れないのが現状です。元旦だけ休みのお店も多くなりました。町中が中国のお祝いの色、赤一色に染まるのもこの時期ならではです。

 クリスマス、お正月と続いて来た春節、イルミネーションも街の飾りもすっかり春節色に変わりました。ぽってりとした赤い花をつける桃の木を飾るのは昔からの風習です。この時のために大事に育てられた桃の木です。この季節、桃の木を沢山積んで運ぶトラックの姿を街では見かけます。花を傷めないようネットを被っています。根元から切られた桃の木を見ると、クリスマスツリー同様哀れになりますが、飾られた姿は美しいものです。 昨日転居届を出しに行った日本領事館がある交易廣場の桃の木です。赤い色の他にもお金を意味する金色、黄色が喜ばれます。まあるい金柑の木、黄色い大菊。街は中国的な華やかさを帯びてきました。

 我が家のフラットも赤い色に染められています。 実際は赤い提灯ですが、LEDのおかげで白色に見えます。この30年、慌ただしく旧正月の為の買い出し、飾り付けをしてきた私ですが、今年は街の喧騒を余所目にしています。初めてのんびり迎える春節です。

 モモさん、13年毎年見てきたこの赤い季節、今年が最後ですよ。モモさんがふるさとの赤い季節を覚えていてくれますように。

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散蓮華

2017年01月23日 05時46分29秒 | 身の回りのもの

晴れ、15度、80%

 中華料理のセティングには必ずお箸と一緒に「散蓮華」が出されます。ファーストフードに行っても、プラスティックで出来た「散蓮華」とお箸です。当然のように中国の影響や華僑が多い国に行くと同じ習慣があります。日本でも蓮華と言っておうどんやラーメンに出されるあのお匙です。

 この散り蓮華、スープを飲んだり、あんかけをうまく掬ったり、炒飯の時には大活躍。そんなわけで、我が家の食卓にはこの「散蓮華」がよく登場します。ところが、日本の蓮華と中国のものではどうも使い易さが違います。使いやすさというより口に運んだ時の口当たりです。中国の景徳鎮のほたる焼きの「散蓮華」でもここ香港では、HKD8(日本円で120円ぐらい)で手に入るお安いものです。そんなものでも日本のものと比べると口にやさしく感じます。

 引越しの荷物を出してしまって、主人に残した食器でご飯を調えます。あら、やってしまいました。「散蓮華」を全部荷物に詰めたのです。まあ、お安いものですから買えばいいのですが、ありふれた景徳鎮ではつまりません。我が家の下のハリウッドロードには以前はたくさんの骨董を売る店がありました。お高い物には手が出ませんが、私のお財布で買えるものを少しづつ買い集めたものです。数少なくなったお店を覗いても、手頃な「散蓮華」が見つかりません。荒物屋さんの店の奥に埃をかぶった古い「散蓮華」を見つけました。機械の絵付けなのに絵柄がずれています。紺の色もまちまち。並べてみると、形もまちまち。10本あった中から3本選びました。

 日本の物と使い勝手の違いは、ちょっと首をかしげたような匙の形です。プラスティックのものは、日本と同じような真っ直ぐな形ですが、量産されているこの手の「散蓮華」どれも首をかしげています。このかしげ具合が口当たりを良くしています。これは普通のサイズですが、スープを取り分ける大きな「散蓮華」、辛子などを取り分ける小さな「散蓮華」サイズもいくつかあります。

 日本に向かっている荷物に入っている私の「散蓮華」、小ぶりな物には海老真薯を乗せて蒸すこともあれば、おしるこに添えることもあります。おそうめんの薬味をそれぞれに入れても楽しいものです。

 日本でも100円から200円程度で手に入るそうです。黄色や赤の色の濃いものは染料に鉛などが入っていて危険ですから、染付けのものをお勧めします。中国の食文化に欠かせない「散り蓮華」です。口当たりの違いを試してみてください。

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燕三条の中華鍋とIH

2017年01月22日 05時01分11秒 | 日々のこと

晴れ、14度、52%

 主人が燕三条の取引先からいただいてきたのは、ご飯釜、中華鍋の2つでした。ご飯釜はIHにもガスにも対応していますが、中華鍋はIHのみの対応です。香港も日本のようなオール電化とまではいきませんが、IHは家庭の熱源として普及し始めています。ところがこの私、磁力線がどうのこうので熱を持つIHにあまり興味がありません。料理は火が見えないとね、と古い頭の持ち主です。日本の家に入れた台所の熱源も全てガスです。

 いよいよ、主人一人を残して日本に帰る火が近づいています。主人が自分で料理をするために、IHの小さなテーブルを買いました。 いただいた中華鍋は、五徳のようなスタンドをIHの上に乗せ鍋を固定させます。ご飯釜同様、赤い持ち手がアクセントの中華鍋です。径が26センチほど、一人分の料理を作るには最適の大きさです。

 中華鍋を使う前に、まずはIHの試運転。お湯を沸かしてみました。早いこと早いこと。音も立てずにあっという間に沸騰しています。確かに空気を汚さず、高齢者のいる家庭など安全面でも優れているというのを実感します。燕三条のこの中華鍋、見た目は小さいのですが、持ち重みします。重い鍋は好きです。油を慣らして、目玉焼きを作ってみました。熱加減がつかめずに、白身に焦げを作ってしまいました。お次はチャーハン、この鍋の底の丸みがいい具合に熱を持ってとても炒めやすい。ヒーターの「爆炒」モードを使ってみました。「爆炒」香港ですから必須のファンクションです。普通のガスと同じような出来具合です。

 燕三条のこの中華鍋、持ち手の赤い部分は色のアクセントであるばかりか、この重たい鍋を支えるのに持ちやすい柔らかな素材です。鉄製ですので金属たわしで洗うこともできます。欲を言えば、これに深いドーム状のガラスの蓋がついていれば申し分ない。蒸し器を入れて蒸し物ができます。

 磁力線がどこでどうなっているのか私の頭ではついていけませんが、炎の出ない熱源を初めて使いました。ガスとIH、果たして味に違いが出るのかしらとも思います。IHに興味が湧きます。次回は、ご飯釜でご飯を炊いて味を比べてみようと思います。香港生活最後でIHの初体験です。

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