チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

大橋歩さんの雑誌「アルネ」

2016年09月30日 05時13分38秒 | 日々のこと

曇、24度、76%

 随分前に「アルネ」という小さな雑誌が本屋さんに並んでいたことを覚えている方も多いと思います。もう70歳を越されたイラストレーターの大橋歩さんがご自分で編集もインタビューも写真も撮って作られた雑誌です。雑誌というより小冊子。きっとこの手の冊子の走りだったと思います。ふた月に一度の刊行、五年間で30冊でおしまいになりました。先日、あるところに大橋さんがもう一度だけ「アルネ」を作るために、この夏、忙しい思いをなさったと書かれているのを読みました。「アルネ もう1回」だそうです。今度日本に戻ったら、本屋にまず行こうと思います。

 昨日、出先から戻るとポストに茶封筒が入っていました。最近はお店のパンフレットだってメールで入って来ます。何だろう?と手に取ると日本の友人からです。クリスマスでもないし、誕生日もまだ先だし、とエレベーターの中で待ちきれず封を切りました。中から出て来たのが、「アルネ もう1回」。私の顔は一遍に明るくなったと思います。この友人、思わぬ時にドンピタリのものを送ってくれます。お礼のメールを送って、夕飯の用意までにはまだ時間があるのでベットにゴロンと横になり、パラパラとページをめくりました。

 五年間に出された30冊の「アルネ」は宝物のように大事にとってありました。主人が日本に出張で戻る度に買って来てくれました。売り切れたら大変とばかりに、息子に買って貰ったこともありました。大橋さんの古い本もこれまた宝物です。3年前から香港の家にある本などを日本の家に送り返しています。その度に本の整理をします。雑誌は一番に整理の対象になります。数冊の「芸術新潮」と「考える人」を残して捨てることにしました。かなり勇気が要りました。30冊の「アルネ」の中から最初の六冊に載っていたアルフレックスの椅子の絵だけを切り取りました。 後日知ったことですが、大橋さんはこのアルフレックスの椅子の絵をご自分で描いて、その広告収入を得られたのだそうです。 椅子の下の犬は大橋さんが飼っていたダルマーかしらと思います。どんな雑誌かって、それは「大橋ワールド」です。紙の質、写真の配置、普通の雑誌とは趣を異にしていました。食べ物のこと、服のこと、ちょっと社会的な話まで大橋さんの語り口で重たくなく書かれています。

 私は大橋さんのファンです。しかも、かなりの年季です。「平凡パンチ」の表紙を書かれていた頃は子供でしたが、父の机の上にはその雑誌が。「アンアン」「オリーブ」イラストばかりか文章を書かれてもすっと胸に落ちて行きます。息子が小さい頃は、「スタジアム」というパジャマ屋さんを東京青山の紀ノ国屋の裏で開かれました。小さなお店でした。しかも売っているのは主に子供用のパジャマです。量産ではありませんから、季節の前に予約をします。まだ薄暗い印象のあった青山の裏通りに「スタジアム」は小さいながら真っ白なお店でパッと明るさを添えていました。確か材木屋さんの隣でした。

 息子が35年程前に着たパジャマ、 夏物は汗滲みが取れません。それでもそのプリントの可愛さから、日本の家の茶箱に仕舞ってあります。この「スタジアム」で作られた数少ない食器も息子の家で健在です。

 久しぶりに手にした「アルネ」。同じ紙、同じ本の作り。これで、ほんとに最後かしら。きっとまた大橋さんのことだから作ってくれるわね、とファンは思います。

 雑誌好きな私は、ひとつの雑誌を何度も何度も繰り返し見ます。この「アルネ もう1回」、送ってくれた友達のことも思い出しながら、ありがとう。

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ツールボックスの横でモモさんは

2016年09月29日 06時34分54秒 | もも

曇、27度、64%

 モモさんが気まじめに座っている横のツールボックスの中身は、モモさんのシェーブ用のバリカンです。つまりこの写真、とある金曜日の朝の光景です。モモさんこのツールボックスのの中身はご存知だと思います。モモさんを私がカットするようになって七年、夏の間は毎週金曜日の朝になるとモモさんカットをされます。

 この朝はツルーボックスを出して来て見ると、モモさんクーラーの効いた部屋の日なたで心地よく寝ています。起きて来たらカットするつもりで流しで洗い物をしていました。しばらくすると背中に熱い視線を感じます。振り向くとモモさんツールボックスの横に座り「早くカットしてください。」と言っているかのようです。

 ご存知のようにモモさんの食事は、私が家にいる限りほとんど一緒に同じ物を頂きます。獣医さんが知ったら大目玉です。おやつだって私と同じ物、つまり、犬用のスナックを買ったことがありません。しつけのご褒美にスナックを上げるとおっしゃいますが、モモさんに何も教えませんでした。「お手」も「お預け」も「お座り」も知らないモモさんです。そんなモモさんにおいしそうな犬用のスナック類をお土産に頂きます。その小さなスナックを毛をカットする時じっとしているように上げることがありました。この2年、毛をカットする事と犬用のおやつをもらえることは、同じ事だとモモさん認識しているようです。犬用のスナックがない時はクッキーを出して来たりアイスクリームを出して来たり、たった5分ぐらいの間ですがおやつを少しあげます。

 今年もあと2,3回でモモさんのサマーカットは終わります。とっても楽しみにしていたのね、おやつを。 先日、近くのパグちゃん達に会いました。モモさんサマーカットのおかげでひと回り小さく見えます。モモさんも十一月も半ばを過ぎると、オリジナルモモさんに戻ります。毛も長くなって、色も少し黒っぽくなります。特別おやつをもらえるのもあと少し、なにか美味しいものを用意してやりましょう。

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ルブタンのミュールとミュウミュウのサンダル

2016年09月28日 06時36分04秒 | 身の回りのもの

晴れ、29度、58%

 今香港の家にある私の靴は10足、あとは全部日本の家に返しました。暑い香港です、3月頃から10月半ばまではサンダルで通します。サンダル以外の靴は何を残してあるかなと靴袋を開けてみました。その中のひとつがルブタンのミュールです。でもこのミュールに合わせる服は日本にです。そうだ、ミュールのかかとの修理に出すつもりでした。

 かかとの修理が終わった靴を持って家に帰り床に置きました。その横に履いていたミュウミュウのサンダルを脱ぎます。二つ並んだ靴を見て思います。同じ足が履く靴に見えません。今年はよく見かける底厚のサンダルは、実に履き易くこの赤のサテンのサンダルは昼間、夜になるとやはりミュウミュウの黒のスワロスキーの飾りの付いたものを履きます。底が厚い分確かに軽い靴ではありませんが疲れません。坂の上り下りの生活です、滑らない足を包み込んでくれるサンダルは助かります。決して美しい形とは言えませんが、この夏はよく働いてくれました。

 それに比べて、ルブタンのミュールは流石の形です。 ミュールはすぽっと抜けることがありますが、つま先とかかとに薄く羊の皮が張ってあり滑り難くなっています。サテンの布ばりの靴です。靴の裏は、 ルブタン色。真っ赤な靴の裏です。ここ数年ルブタンは金属の鋲付き靴が主流です。どうも好きになれません。鋲がいっぱい付いた靴を履いている素敵な人を見ないからでしょうが、自分では決して履こうとは思いません。靴の修理に行くときも取りに行くときもペダーストリートのルブタンのお店の前を通ります。ウィンドーには鋲付き靴がずらりと並んでいます。鋲が付いていなくてもきれいな形の靴なのにと横目で見遣ります。

 母は靴好きでした。セミオーダーとやらで随分と靴を持っていました。でも亡くなる前の10年、パーキンソン氏病もありましたし、股関節を人工の骨に入れ替えたりで好きな靴を履く事が出来ませんでした。サイズも好みも違う母の靴はもう一足も残っていません。

 二つ並べた自分の靴を見ながら、さてどちらの靴が傷んだら私はがっかりするかなと想像します。形のきれいなミュールではなさそうです。足入れの良い、しっかりと包み込んでくれるミュウミュウのサンダルが傷んだときは、きっと心に穴が空くでしょう。

 それにしてもルブタンは心憎いまでに、美しい。 靴袋もルブタン色です。

 

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今大事な2つのこと

2016年09月27日 06時40分17秒 | 日々のこと

曇、27度、90%

 先日のことです。お昼前になっても、いつもと違ってお腹が空きません。お昼は知人達との約束があります。まあそのうちにお腹も空くでしょう、と約束の場所に出かけました。ところが食べ物が出て来ても、食べ物に手を付ける気にもなりません。どうも胃の消化作用が朝から止まったままのようです。痛いわけではありません。私にしては珍しく残してしまいました。残したものを包んでもらってお店を出ました。そのうちにお腹が空くはずです。夕方になっても、モモさんとお散歩に出ても、胃が動いてくれません。みぞおちから下が重い感じがします。主人は出張中です。夕飯も作らず、ワインも一滴も飲まずにベットに横になりました。お薬箱を覗いても、正露丸しかありません。痛くもないし、吐き気もないから明日の朝には治るだろうと思います。

 ここ数ヶ月、思いめぐらすことが多すぎて小さな頭も胸も一杯でした。私達年代ともなれば当然のことです。一人暮らしの義母のことに始まって、不安材料をああでもないこうでもないと考えあぐねています。考えてもどうにもならない、なるようにしかならないと分かっていてもまた考えます。このひと月、主人が大きな仕事に向かっています。仕事の事は話しませんし、話されても分かりません。ただ、心身共にプレッシャーが大きいことだけは察します。ここ二年は落ち着いていますが、主人は血圧が非常に高くなることがありました。

 早く胃が動いてくれないかなあと思いながらベットの上で考えました。この胃が動かないという症状は、精神的な自己中毒のように思います。許容量の少ない私が、自分の能力以上に考え込んでいます。きっとメーターの針がマックスを越して振り切れた状態です。そこで、今一番大事なことだけを考えようと決めました。すると、あっさりと大事なことは決まります。

 まずは主人が家で気持ちよく休んでもらえることです。休みで家にいても、始終仕事をしています。好きなものを食べてもらって、十分な睡眠を取ってもらいたい。考えてみれば大事なことなんて、簡単なことでした。仕事から帰って来た主人を玄関で気持ちよく迎えてあげることです。

 簡単じゃない、と思いつつ横でスヤスヤ寝ているモモさんを見ました。そうそう、もう一つ大事なこと、このモモさんを穏やかに過ごさせてやることです。今年の入って病気も急に足が立たなくなるようなこともありません。それでも確実に歳をとって来ました。モモさんにも、好きなものを食べてもらってゆっくりと寝てもらうことです。

 私にとって大事な2つのことは至って簡単なことでした。2つのことだけを思っていればまずは一安心、と休みました。翌朝は珍しく2時間以上も寝過ごしました。胃の調子はいつもの状態に戻っています。やれやれ。

 主人が帰って来たら、「お帰りなさい。」と笑顔で迎えるだけのこと、モモさんをいっぱい抱きしめてあげるだけのこと、そう思っただけで元気な私に戻りました。

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オレンジピール、松の実、クルミのパウンドケーキ

2016年09月26日 05時43分30秒 | 菓子

曇、26度、85%

 主人が珍しく「パウンドケーキを焼いて欲しいなあ。」とおっしゃいます。しかもクルミ入り。「クルミだってなんだってありますよ。」と答えると「じゃあ、オレンジピールも。」ケーキを焼いて欲しいというの珍しいのですが、焼いたって食べるのは私とモモさんに決まっています。お菓子の材料の入っているタッパーを覗くと松の実もたっぷりあります。あるものを入れてみました。

 パウンドケーキを焼くのは久しぶりです。レシピなんて要りません。パウンドケーキ、卵、粉、砂糖、バターがそれぞれ1パウンド、だからパウンドケーキ。つまり4つの材料を等量入れます。フランスでは「カトルカール」と言われます。四分の一が四つの意味です。基本のバターケーキなのでお菓子を作り始める人は必ず焼くケーキです。そして余程のことが無い限り失敗することはありません。

 ところが失敗はないものの、おいしいパウンドケーキ、自分の口に合うパウンドケーキともなればやはり一工夫必要になります。大抵のレシピにはベーキングパウダーを使うように書いてありますが、膨張剤を使わずとも膨らみます。初めにバターにしっかりと空気を含ませます。ここがしっかり出来ていれば、粉をくわえる時に捏ねない限りは膨らんでくれます。いつもはお砂糖も少なめ、粉も少なめに作ります。主人がご所望なので今回はお砂糖はいつもより多めに入れました。その上、香り付けににコアントロー入れましたので、甘さをより感じます。

 焼き上がりは、 こんな風。かっちりしたパウンドケーキではありません。粉が少ない分、フォロッとしています。焼き上がっても直に食べてはいけません。我慢我慢して、一日おくと味が落ち着いておいしくなります。冷めたパウンドケーキをしっかりフォイルで包んで真夏以外は常温で置きます。

 モモさんも一日待ちました。 オレンジピールの香りと味はストレートなコーヒーにも紅茶にも良く合います。

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屋上の犬

2016年09月25日 06時43分45秒 | 日々のこと

曇、26度、84%

 先日泊まった深圳のホテルの部屋は20階でした。テェックインしたのは日が暮れてから、用事を済ませ部屋に戻ったのは夜半近くでした。旅先でも朝目が覚める時間は変わりません。いつものように起きて、主人と同じ部屋ですからそっとカーテンを開けました。外はまだ真っ暗です。山向きの静かなその部屋はきっと遠くに走る高速道路の明かりが見えなければ、田舎のホテルにでも泊まっているようです。窓辺にコーヒ−テーブルを持って行き、その上でキーを叩いていました。

 陽が上り始めると山の緑が段々色付いてきます。ホテルの裏には、古くからの住宅が黒い影を落としていました。七階建てのそのマンションの屋上には中国らしく、後からまた部屋を作り足しています。すっかり陽が上って、屋上の様子が見て取れるようになりました。屋上に上るための階段が2つあります。その左側の階段を出た辺にどうも人がきちんとお布団を敷いて寝ています。一人だけではありません。数えると五人。皆がそれぞれのお布団に掛け布団までかけて寝ています。その朝の気温、27度でした。しばらくすると、一人起き二人起きして、それぞれが自分の布団を抱えて左側の階段を下りて行くのが見えます。 ところがまだ皆が寝ている頃から、右の階段から出て来たのが茶色の犬です。きっとこの距離でこの大きさに見えるからには中型犬です。歩く姿や毛の色が昔の我が家の犬のテツに似ています。犬は人が寝ているのに気付いているのですが、階段が違うということは、きっと棟が違うのでこの人たちと面識が少ないのかもしれません。遠巻きに眺めては右の階段の辺に戻ります。やっと最後まで寝ていた人が起きて来ました。なんでまた、屋上で寝ようなんて考えついたのでしょうか。気候的にはちょうど良い、蚊も上がって来ない高さです。このマンションの住民、決して生活が大変だという訳でもなさそうです。中秋節も終わった週末、皆で何かの余興だったのかもしれません。

 香港も含めて中国では犬を飼うことがブームになったのは、最近の話です。香港にくる前、30年近く前ですが、香港に行けばチャウチャウ犬を散歩させている人の会うことが出来るだろうと夢見ていましたが、そんなの夢でした。中国でもやっとペットとして犬を飼うようになりましたが、日本同様、無理な繁殖、多くなりすぎたペットの販売は問題になっています。犬を飼うことイクオールお金があることと思っている向きもあります。

 屋上の茶色い犬は日向ぼっこをするでもなくウロウロと人間がいなくなった後も屋上を歩いていました。この犬は幸せそうだなあと思います。庭先を繋がれもせず歩いていた田舎の犬を思い起こします。田舎の庭先が都会の屋上に変わっただけのことです。

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街路樹が繁ると

2016年09月24日 06時47分10秒 | 日々のこと

曇、26度、83%

 深圳に初めて行ったのは25年程前でした。駅の前には物乞いの子供達が沢山いました。一年中で一番寒い頃、春節でした。裸足でろくな服も着ていない子供達のことが忘れられません。当時深圳で高い建物といえば、駅前のシャングリラホテルだけだったように記憶しています。ここ10年です、めまぐるしい開発、中国の経済発展が国中に行き渡っていることを感じます。深圳の高いビル群は香港からでも見ることが出来ます。

 先日の深圳行きは深圳郊外にまで足を伸ばしました。深圳郊外は以前はライチの山でした。ライチの山合いの舗装もされていない道を通った思い出があります。その山を切り開いて道が作られ、工場用地が作られ、住宅が造られて行きました。車の窓からふっと見た光景に驚きます。谷間のようなところに幾本もの車専用の高架道路が上下に走っています。中国各地に向かう道の分岐点かもしれません。ここ深圳ばかりではないはずです。道は中国中に張り巡らされ、同じように高速鉄道網も国中に拡がっています。南の広東から北の北京まで車でも電車でも行ける時代です。目をつぶってその有様を想像するだけでも、中国の底の深さ、経済力、人の多さに圧倒されます。

 まだ、物乞いの子供がいた頃の深圳、それから10年程は緩やかに開発が進みました。道幅が広げられ道端には街路樹が植えられました。まだ若い苗木です。その頃はよくフェリーで深圳に入りましたが、一歩深圳に足を踏み入れると、乾いた空気が迎えてくれます。乾いたというより埃っぽい空気です。陽の光は地面に反射して、街が白っぽく見えました。肌ばかりか心までカサカサします。

 15年の月日は、街路樹を大きく育てました。中国でも南です、気温も高ければ雨も多く降ります。木の成長も早く、片道三車線の広い道の街路樹は背も高くなり緑を大きく拡げています。

 昨年来た時にも気付きます。街路樹が緑を湛えるようになると街を流れる空気が変わりました。肌を刺すようなイリイリした昔の空気は今の深圳の街にはもうありません。高い街路樹の下を歩く人も穏やかにな表情です。街が落ち着きを得ています。街も人も変わって行きます。小さなことですが、街路樹が街に緑ばかりか潤いを運んでくれています。

 見出し写真の街路樹が何処までも続きます。住む人が、この木を見上げてくれることを望みます。街路樹が繁ると、街は人が住むほんとの街に変わりました。

 

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タイのポメロ(ソムオー)

2016年09月23日 06時38分51秒 | 日々のこと

曇、26度、84%

 中国の人、丸くて大きな物がお好きです。丸くて大きくて黄色ならば最高。お祝いの席には必ず丸くて大きいものが飾られます。中国のお正月の春節にもお月見の中秋節にも丸くて大きいものは欠かせません。中秋節の頃、果物やさんの店先にずらっと並ぶ果物があります。タイから入って来るソムオー、英語ではポメロと呼ばれる果物です。

 熊本特産の晩白柚に似た柑橘類です。晩白柚よりは果肉がホロッとしていて、甘みが少なくさっぱりとしています。普通は一個丸売りではなく、すぐ食べれるようにして売っているのですが、お祝い事の時は丸のまま買います。 剥くのが大変です。大きさはモモさんのお顔と比較してみてください。

 このソムオーがなっている様子をタイで見た事がありました。木の高さは私の腰程、その木にこの大きな実が付いています。木はしなるようにして、実は地面に付きそうでした。庭先に家族が直にでも食べれるように幾本かソムオーの実のなった木がありました。今ではそんな光景を見ることも出来ないかもしれません。30年近く前のプーケットでの景色です。香港から直行便すらなく、もしかしたらこの島に日本人は私達家族三人だけかもしれないね、と話した記憶があります。お金が無かった頃の旅はのんびりとしていました。

 ソムオーはそのまま食べます。タイ料理ではサラダに使われます。甘酸っぱくて後から辛くなるタイのサラダの唯一の緩衝役がこのソムオーです。タイの辛さは時には涙が出ます。ぐっと堪えている時にソムオーが口の中を鎮めてくれます。我が家は普通にサラダに入れて頂きます。 白の冷えたワインにこのサラダは夏の終わりのようにお腹に納まってくれます。日本でもアメリカ産のソムオーが売られているそうです。ポメロ(ソムオー)見つけたら試してみてください。

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中国での朝ご飯

2016年09月22日 06時38分39秒 | 日々のこと

晴れ、26度、80%

 旅先の朝ご飯、出来たら地元の人に混じってその土地土地の匂いを嗅ぎたいと思います。朝早くから力仕事に出る人、オフィスの出かける若い女性だって朝ご飯を食べによるような店の小さな椅子に座っていると、その土地がぐっと私に近付いて来てくれます。そうは思っていても、ホテルの朝ご飯を頂かなくてはならないこともあります。

 中国のホテル、以前はコーヒーが美味しいところがありませんでした。外に出てもスターバックスなどない頃の話です。最近ではホテルのコーヒーも少し美味しくなりました。といっても5星のホテルです。きちんとしたホテルの朝食はベットのシーツと同じで気持ちのよいものがあります。朝食の空間そのものが清潔さと明るさに溢れていて、「ああ、これがホテルよね。」と一日のスタートを切ります。

 世界中から仕事で中国に出かける人が多くなって以来、中国のホテルの朝食もコンチネンタルから韓国風もちろん中華の朝ご飯も揃っています。私は中国に行けば朝から中華で大満足。大きな蒸籠から立ち上がる湯気を見れば、胸はワクワク、どのお饅頭にしようかと片端から蓋をとります。 手前は普通のおまんとう。奥はお野菜だけのおまんとう。 奥は健康志向の麦芽入りおまんとう。手前は普通のチャーシューの入ったおまんとう。ホテルですから小ぶりです。私が一番好きなのは、お野菜とシイタケのおまんとう。 大連の寒い冬の朝、屋台のお饅頭屋さんで大きな大きなこのおまんとうを食べました。ひとつでお腹いっぱい。半分に割ったその瞬間のシイタケの香りがとりこになります。

 オムレツやソーセージを焼いてくれるサービスもありましたが、やっぱり温かな麺を作ってもらいます。 香港も含めて、広東料理には様々な麺があります。生麺乾麺、市場に行けば麺専門の店がある程です。右から普通の麺、真ん中が河麺、左が頼粉。頼粉は澄粉が入った透明感のあるプルッとした麺です。この頼粉と左端の蔓状の葉っぱを頼みました。湯がいてくれて、チキンスープに入れてくれます。 その横にはトッピングも用意されています。トマトと卵の炒めもの、薫製お豆腐の煮たもの、鴨の肉の煮たもの。頼粉には鴨肉がつきものですが、私は薫製お豆腐をのせました。そしてインチョイ(パクチー)をたっぷりと、白いちょっと大きめなお豆腐は腐豆腐です。豆腐の塩水漬けです。

 この日の朝のヨーグルトは、 小豆のヨーグルトかと思えば、なんとナツメのヨーグルトでした。中国のヨーグルトは非常に甘いのでこの小ささで十分です。

 このダイニングに入って来る白人の方は、皆まずパンを焼きます。次にジュース、卵とコールドミート、シリアルを少し。全くお国での食べ物と変わらないチョイスです。一人、大切れのパンプディングを食べている人がいました。食べたいなあと思いながら、お腹一杯になったので諦めました。

 深圳ローカルの朝ご飯をいつか紹介したいものです。

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12年目、モモさんありがとう。

2016年09月21日 06時41分48秒 | もも

小雨、25度、88%

 モモさんが我が家にやって来て12年が経ちました。生後9ヶ月、これ以上ペットショップに置いておけば処分されるのではと思い決断しました。12年前に仕事帰りにモモを連れに行ったときの記憶は鮮明です。12年間、ずっと側に居てくれました。

 一歳の頃の写真です。 私の携帯電話のアンテナを噛んだのもこの頃です。

 二歳の頃、 ちょっと油断すればテーブルに上がるのはこの頃からでした。

 三歳の頃、 まだ私がこのボストンひとつで旅行していた頃です。帰って来ると、ご覧の通りボストンに乗って動きません。サマーカットの後でしょう、毛は短いのですがよく太っていました。

 四歳の頃、 夏場、散歩の途中で必ず休むのは小さい頃からです。

 五歳、 昨年亡くなったまんじゅうちゃんとのツーショット。

 六歳、 お夕飯の後、さて何を見ているのかな?

 七歳、 初めてのエリザベスカーラーです。首の後ろをかきむしって、化膿させてしまいました。これ以上掻かないようにとエリザベスカーラーです。それでもカミカミをくわえています。

 八歳、 お口の周りが白くなって、穏やかな表情です。

 九歳、 朝のお決まりノビノビ。

 十歳、 この写真は一番好きな写真です。寒かった2月の一日、実は主人も私も電話が鳴るのをソワソワと待っています。孫娘が産まれる一日前の写真です。

 十一歳、 一年に一回、はい昨年の8月9日の写真です。

 香港も暑い峠は過ぎましたが、まだまだ暑い日は続きます。この夏も無事にすごしました。12年間、主人と私の側に居てくれたモモさんに感謝します。モモさんが穏やかな時間を送ってくれますようにと祈ります。ありがとう、モモさん。

 見出し写真は、我が家にに来た日のモモさんです。

 

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