チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

パパイヤのスープ

2015年10月31日 05時36分18秒 | お外の食事

小雨、25度、81%

 我が家は,夫婦2人の時は殆どおうちご飯です。香港のようなところに長く住んでいますし、海外からのお客様もおいでになります。そんな折頂くお外でのご飯は,中華に限らずずいぶん美味しいものを食べさせてもらって来ました。動物保護からフカヒレの輸入が禁止されて数年経ちます。大好きだったフカヒレのスープですら,禁止される前にはもう沢山というほど頂きました。

 先日も少しばかり大きな集まりがありました。バンケットほどの規模ではありませんので、暖かなお料理がそれぞれに配られます。久しぶりにお会いする方もいて,ワイワイと話も弾みました。ところが翌日になって,この私、昨晩何を食べたのかあまり記憶にありません。お祝いの席の選ばれたメニューのはずです。きっと、お料理よりも気を取られる事が多かったからかもしれません。

 昨日その日に撮った写真の整理をしていました。百数十枚の写真の内、たった一枚だけ料理の写真があります。そうそう,このパパイヤのスープが非常においしかったんだわと思い出しました。人とご一緒の席では食べ物の写真を撮るのは控えています。食べかけて,慌てて撮ったパパイヤのスープです。

 青い熟していないパパイヤは,東南アジアではスープの実として使ったり,サラダで頂きます。ところがこのパパイヤ,果物やさんで売っている食べるパパイヤです。青いパパイヤは八百屋さんで売っています。しかも熱々のこのスープ,一人にひとつずつ。宴席のスープでは,大きな冬瓜に彫刻をして取り分けてサーブするものもありますが,このパパイヤのスープは初めていただきました。

 澄み切ったスープは微かに雲南ハムの香りがします。傘キノコやカニの身,もちろんパパイヤの実も入っています。ほんのりと甘みのあるこのスープが出て来たのは、丁度コースの半ば頃,口直しの意味があるのだと思います。スープの善し悪しはその店の料理を左右すると言われますが、ほんとにその事が分かって来たのはつい最近です。スープを沢山頂くと,その後の食事が進みません。出来るだけスープは控えめになんて思っていました。スープほど,胃腸を調えてくれ、お腹にも負担が少ないものはないと遅まきに気付いた次第です。

 桃、パパイヤをお砂糖と水で煮たデザート「糖水」を思い起こさせるスープです。それにしてもこれだけの人数分の同じ大きさのパパイヤを見つけるのも、一斉に蒸し上げるのも,大きなレストランならではのお料理です。きっとこれはメニューには載っていないスープに違いありません。

 高いビルの最上階のこのレストラン、ビクトリアハーバーが東西見渡す事が出来ます。翌日,ご一緒だった方から眺めとお料理が美味しかったとお言葉を頂いた時は,ホッとしたものです。

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パグの絵 パグのクッション

2015年10月30日 05時33分04秒 | もも

曇り,24度、89%

 主人は朝,ヒルサイドエスカレーターを下ってセントラルまで出ます。そこから地下鉄で出勤です。朝見送って,しばらくすると電話が鳴ります,あらまた忘れ物だわ。「以前パグの絵を買ったお店に,新しいパグの絵が出てるからみてごらん。」エスカレーター沿いのその店のウィンドーを覗いての電話でした。

 パググッズ沢山持っています。友人からもいただきます。小さなシールだってお湯のみだって,どれもこれも使わずに仕舞ってあります。もったいない。たまに出して来て,並べては満足げに見入ります。これ以上は仕舞う場所もありません。それでも,ワクワクとお昼過ぎには件の店に出向きました。

  主人が言っていた絵はきっとこれです。30×50ほどの写真です。お店の人はドイツから来たものだと言っています。うん、でも,何となくねえ。これがモモの顔なら即買いますが。

 横には、 パグの実物大のクッションも,これもドイツから来たものだそうです。最近は写真を持って行くと焼き付けてクッションやらTシャツを作ってくれるお店もあります。このクッション、モモの顔で作りたいわね。と,結局手ぶらでお店を出ました。

 そうそう、家にはピコピコと尻尾を振ってくれる可愛いモモさんがいるじゃありませんか。いそいそと家に帰ります。

 帰ってみれば,座卓の上でお昼寝中。座卓に花を飾ると必ず上って点検。モモさん、アマリリスの花粉が顔にいっぱい付いてますよ。

 

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リチャードジノリ レッドコック

2015年10月29日 05時33分49秒 | 身の回りのもの

曇り,24度、84%

 香港、中国返還後、いい洋食器を売るお店がぐっと減りました。中国食器も洋食器と同じようにセットで使います。ところが和食器は磁器あり陶器あり塗り物あり、統一感ではなくそれぞれが醸し出す調和の食卓です。先日ノリタケの記事を読んでいると,洋食器を揃えて買う事が日本では少なくなっているそうです。私が主婦になりたての頃には,せめてディナーセットを一揃いは欲しいと思い続けていました。気が付けば,なんと3セットも持っています。大した料理は作りませんが、お客事にも家族だけの食事の時にもこの3セットよく働いてくれます。

 3セットも持っていますが,食器屋さんを見るとつい足が向いてしまいます。返還後一時期、ジノリの直営店が出来ました。見るだけと言い聞かせてはお店に行きます。ジノリの地の白さが好きです。とりわけ目に付いたのが,レッドコックのシリーズ。ジノリの代表的なベッキオホワイトに金と鉄赤で絵付けされています。雄鶏の横には穂が,小さな花は菊です。色といい、図柄といい、なんだか東洋的に思えます。ティーセットだけでも買おうかなと思いますが,今以上増やすつもりはありません。それでも欲しくてしようがない。困ったものです。とうとう,徑が17㎝ほどのケーキ皿を6枚求めました。ケーキ用に買ったのではなくて,取り皿として求めました。この色、柄なら和食の取り皿として使う事が出来る、はい,言い訳です。

 もう20年近く,取り皿として食卓に上るジノリのレッドコックです。求めてしばらくして,このレッドコックの本歌の焼き物を知りました。有田焼の「粟と鶉」です。この「粟と鶉」は染付けもありますが鉄赤のものもあります。鶉がイタリアに渡って雄鶏に変身したようです。東洋的な絵柄だと思ったもののまさか有田焼だとは思いも及びませんでした。

 土ものの大きな器にお大根やイカを炊いたものがテーブルの真ん中におかれます。それを,このお皿の取り分けます。お正月の取り皿に使っても,金と赤でなんともおめでたい。洋食器は増やさないと決めていますから、この皿を使う度に何やかやと言い訳を付けています。ケーキをのせる事はないまま,いつまでも我が家のお惣菜をのっけてくれる,ジノリのレッドコックです。

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トイレのマーク

2015年10月28日 05時38分10秒 | 日々のこと

曇り,24度、87%

 今月初めに戻った福岡の地下鉄のトイレのマークです。マークの通りに右に折れて、はたとまた戻ってマークを見直して写真を撮りました。福岡ならずとも日本中こんなマークが出ているのだと思います。2月に一度は帰国しているにもかかわらず,初めて気付いたトイレのマーク。私が驚いたのは,男性トイレのマークの下にも,女性トイレののマーク同様にベビーチェア、ベビーベットと書かれているところです。

 ベビーチェアーを必要とする子供をお父さんが一人で連れている時に使うトイレだと解釈します。こんなマークになったのは,いえ,こんなトイレ設備が普及して来たのは最近の事だと思います。私が子育てをしたのは30数年前の事ですから,その頃と比較にはなりませんが,育児をする父親、家事をする父親というのが急に若い子育て世代に浸透したという事でしょう。

 私の主人が息子を一人で何処かに連れて行ったなどというのは,息子が随分大きくなったからのことでした。ところが,今町を歩いていても、お父さんが抱っこ紐に赤ん坊を連れて歩いている姿をよく目にします。息子たちにもう半年以上会っていませんが,送って来てくれる写真、息子が孫を抱っこ紐で連れている写真もチラホラ見られます。日本でたまたま入ったスターバックス,隣のハイチャーには、だっこ紐で赤ちゃんを連れたお父さんが一人で寛いでいます。赤ちゃんよく眠っています。お母さんはお仕事かな?それとも日頃の育児疲れで,今日はゆっくりとお昼寝かな?などと想像します。そして,お父さんと赤ちゃんのその姿が微笑ましい。

 家族何代もが一緒に生活する家庭が当たり前だった頃から少し経って,結婚したら別に生活を構えるニューファミリーなどと呼ばれる世代に子育てをしました。親とは離れています。頼れるのは主人ですが,まだ父親の威厳が云々という考えを引きずっている主人たちの世代です。重い荷物などは持ってくれますが、おしめだって替えた事はありません。そうそう,パンパースが出る前の事です。

 子供の面倒をみて,家の事をして当たり前だと思っていた時代です。考えてみれば女性ばかりが育児をするというのは,やはり片手落ち。あんなに辛い出産を経験するのは母親ですものね。トイレのマークが男女平等になっています。驚くことではありません。

 スターバックスで隣に座ったお父さんに声をかけました。6ヶ月の男の子でした。答えてくれるお父さんの笑顔がとても素敵に見えました。

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アップルローズ

2015年10月27日 05時37分33秒 | 菓子

曇り,23度、88%

 昨日の事です,10月15日の記事「バラの形のアプルパイ」に知らない方からコメントをいただきました。「かわいい。つくりたい。」なんと飾り気のない言葉でしょうと,喜んでお返事しました。「明日,作り方をアップします。」

 あれから,10日ばかりの間に3回焼きました。折パイのサクサクした生地に巻かれているものに比べると,形も食感も私の練りパイ地をカップにして作ったものとは違います。一番大切なのは真っ赤なリンゴを選ぶ事,次がそのリンゴを出来るだけ薄く薄く切る事です。

 練りパイ地(パートブリゼ)

  薄力粉200g、バター100g、卵1個、お塩ひとつまみ、砂糖大さじ半分くらい

  粉をふるい真ん中に泉を作って,そこに小さく刻んだバター以下を入れ回りの粉を崩すように全体をひとつにまとめる。練るのではなくて,生地を向こうがわに押し伸ばして、ラップに包んで最低でも1時間冷蔵庫で休ませる。

 リンゴの準備

 リンゴは普通に立てておき,端から薄くスライスする。真ん中に来たら反対側からまたスライスする。このスライスしたものを半分に切ると半円になる。お皿に満遍なくスライスをしたリンゴを入れ,お砂糖をリンゴ1個につき大匙1ほどふりかける。出来たらラップしてそのまま2時間ほどおく。途中砂糖を馴染ませると,薄いリンゴのスライスはフニャフニャになって巻き易くなる。(早く作りたいときはレンジに20秒ほどかける。)

 型の準備 小ぶりのリンゴ1個で6個作れる。

 徑が4センチの小さなマフィン型にバターを塗り粉を払う。ここに,3mmほどに伸ばした練りパイ地を4cmのハート型で抜き,ひとつの型に3枚花びらのように入れる。 このパイ地の底にシナモンをふり入れる。

 柔らかくなったリンゴのスライスは,半円の皮の方を右にして少し重なるように縦一列を作る。1列6スライスほど。この一列を手前からクルクル巻くと花びらのようになるので,それをパイ地をひいた型に入れる。 

 200°で予熱したオーブンに入れて、20分焼く。オーブンの温度、時間はオーブンの個体差が大きいので,自分の家のオーブンの顔色を見て決めてください。

 オーブンから出したら最低でも30分間、型のまま冷ます。壊れないようにそっと出す。

 リンゴの赤い色が少し滲んでピンクになった花びらです。艶も付けません。粉砂糖も振りません。リンゴの甘酸っぱさとパイ地のサクサク感が楽しめます。

 このパイ地はこの使用分量では4回分作れます。やや薄めに伸ばして冷凍庫でひと月保存可能です。

 繰り返し作ると,要領よく出来るはずです。折パイのパリパリ感とは違いますが,横から見るとハートの形が花びらのようです。

 モモさん、お待ちどうさまでした。紅茶をいれる間待っててね。

 

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「海街Diary」と梅酒

2015年10月26日 04時18分20秒 | 映画

曇り,25度、82%

 私の母は、ほんとに家事をしない人でした。おそらく嫌いだったのだと思います。朝から掃除しているような母の姿を見たことがありません。料理も下手でした。そんな母が,梅酒を漬けるようになったのは私が中学の頃からだと思います。庭には梅の木があります。池のそばの梅の木は,木姿もよく,蛇たちが脱皮するのに持ってこいの木で,香りよい花を付け,実もなります。母が梅仕事をしていた姿は記憶に無いのですが,あのホワイトリカーの赤い蓋の大きな瓶がある日ずらりと座敷の縁側に並びます。

 「海街Diary」を観たのは先週です。漫画が原作の是枝監督のこの映画,香港でもカンヌ映画祭の時には注目を浴びていました。空気が透き通っているようなきれいな鎌倉の映像,日本を離れて長い私ですら顔が分かる俳優さんが,以前だったら主人公を演じるだろうに母親役で出ていたりして楽しく観ました。鎌倉の古い家に住む4人姉妹の話です。

 この鎌倉の家には梅の木があり,その梅を祖母が亡くなった後も残った孫娘4人が梅酒に漬け続けています。台所の床下が梅酒の貯蔵庫です。家という物,家の仕事とはこうして女から女に受け継がれて行く物だなあと,娘4人揃って梅酒作りをしている映像を見ていました。

 私の実家の座敷の廻り縁に並んだ梅酒の瓶は,果たして幾つあったのでしょう。母が亡くなる10年前,2003年に股関節を人工関節に替えるための手術をしました。手術の後のリハビリも含めて数ヶ月母は家を離れました。その間,私は数回帰国して家の事,母の退院後の世話の手配をしました。手術の前日、帰国して実家の玄関を開けて,その汚い家の様子に心底がっかりしたものです。数日後母の見舞いに来る主人や息子にすら,そんな家の様子を見せたくありません。主だった部屋だけはと思い埃まみれで掃除をしました。見舞いに来てくれた主人と息子,主人が,こんな時しかないと言って、急遽、車の手配をして家のガラクタを処分する事にしました。今思えば,これが私の実家の整理の始まりです。処分と言っても母は退院すれば家に戻って来ます。服や台所や本には手を付ける事が出来ません。主人が,私がそれだけは止めてと言ったにもかかわらず車に次々乗せたのが,座敷の縁側にあった梅酒の瓶たちでした。真っ黒になった古い物も幾つかありました。息子がすぐその後、母に私と主人が凄いけんかをしていたと話していました。原因は梅酒の瓶です。退院後,あの梅酒の瓶が全部無くなっているのを見た母がどう思った事やら。今でも,胸が痛みます。

 母が逝って,庭を新たに作り変えました。昔のような趣のある庭では無くなりました。今風の庭です。大きな木も伐りました。名物だった玄関脇の松,池の横の梅は永年の手入れ不足で枯れてしまいました。すっきりと安っぽくなった庭ですが,実は梅の木がもう一本残っています。今年の2月には,白い花をいっぱい付けていました。夏には青い実も付いていました。帰国する度に梅の様子を見ていた私は,密かに日本に戻ったらこの梅を梅酒にしようと思っていました。

 この「海街Diary」を見た翌日の事です。主人が,庭にあった梅の木はどうなった?と聞きます。主人の記憶には池のそばの梅の木しか無いようです。もう一本残っている事を告げました。どうも,あの映画を観て,主人は私の胸に去来する思いを感じたようです。梅がなったらどうするとまた聞きます。もちろん梅酒を作るわよと答えました。

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一粒真珠のイヤリング

2015年10月25日 05時02分39秒 | 身の回りのもの

曇り,25度、79%

 冠婚葬祭に欠かせない真珠のイヤリングとネックレス、こんな私でも持っています。仏事の時にもお喜びの席にも,真珠の持つ白い色の輝きはどんな場にも人を清潔に見せてくれます。年齢も問わない、たとえ若い人が身につけていようが、おばあちゃんが身につけていようが,豪華ではなくても質素な輝きがあります。

 特に欲しかった訳でも,真珠が好きな訳でもなく求めましたが,身につけて行くうちに真珠の持つ意味が少しは分かって来たように思います。求める時に,年齢や顔たちで粒の大きさを選ぶように言われました。若い人は小さい物を,顔たちの小さい人も小さい物をと聞きました。顔が小さな私は,8mmのあこや真珠を求めました。

 いつもいつも身に着けるわけではありません。この5月、ポルトガルに行ったおり大きな式典に出ました。その晩,ホテルの部屋に戻ると右耳のイヤリングがありませんでした。何処かで落としてしまったに違いありません。少し残念でしたが、翌朝は早くに香港に戻ります。同じホテル内で無くしたにせよ探している時間がありませんでした。

 それ以来忘れていたわけではありません。ところが,先日人前に出る機会がありました。日時が解ったのはそのひと月前、ちょうど日本に帰るチャンスがありました。福岡のミキモトに片割れの真珠のイヤリングを握りしめて出かけました。「これと同じ物をひとつください。」「ひとつではお売りしていません。ペアでお求めください。」と,お店の方に言われました。細工のイリングではありません。たった一粒のイヤリングです。ちょっと考えましたが,仕方ありません。

 そんな訳で,今、手持ちの真珠のイヤリング、 3つになりました。

 選びましたから,元から持っている物と色目が似ています。今回は,新しいペアを身につけて出かけました。家に帰って,両耳にあるのを確かめると何やらホッとします。でも,内心、今度ひとつ落としてもまだ大丈夫と箱に眠っている片割れを思い浮かべました。

 

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香港のブーケ

2015年10月24日 05時25分04秒 | 香港

曇り、24度、84%

 スーパーマーケットの一角に小さな切り花コーナーがあるような日本のお花屋事情とは異なる香港です。町中にはお花屋さんが少ないのですが,市場に行けばひとつや2つの花を売る店が見られます。お花も世界中から入って来ますから,一年中,同じような花ばかりです。フラワーアレンジ、生け花も盛んです。バレンタインデーには大きな花束を抱えた花の配達人が,町を行き来します。旧正月前はきれいに調えた家に花を飾る様子を見ると,花も言葉を超えた気持ちの現れだと感じます。

 花束を頼む時,自分でこの花あの花と選ぶのよりも,パンフレットの写真から予算を伝えて作ってもらうのは、日本と同じです。市場のお花屋さんでは見られない光景ですが,九龍サイドの大きな花市の花屋には年中,出来合いの花束がずらりと飾られています。その出来合いの花束の色合い,リボンや包み紙の選択,時には花束の真ん中に熊のぬいぐるみなどが入っているのを見ると,花束ひとつにもお国柄が見られます。

 昨晩は,主人の会社の香港事務所の20周年記念の内輪の会がありました。会社立ち上げから今までずっと主人に任された会社です。内輪といっても日本本社から創立家族の会長や重役の方もおみえです。香港のスタッフから会長に手渡された花束,今日には日本に戻られますから,私が頂戴しました。

 薄いピンクのアマリリス,緑の秋色紫陽花,燕脂のアリストロメリア,ハランの葉っぱもうまくアレンジされています。花の寄せ方は随分あか抜けて来ましたが,ラッピング、リボンが今ひとつ。全方向から見る事が出来る花束よりも、最近はこうした縦長のアレンジが香港の流行です。

 さあ,今からリボンをほどいて活け直しましょう。

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Tシャツ

2015年10月23日 05時36分31秒 | 身の回りのもの

曇り,24度、84%

 私が持っている洋服、いえ,着るものの中で一番大切な物は,3枚のTシャツです。ブランド物のスーツより珍しい着物よりこの3枚のTシャツより大事な物はありません。

 スーツなんて主人と一緒に出かける時に、まわりの皆さんが違和感を感じない程度には必要です。和服は,いくらかうるさい決まり事は言われなくなりましたが,見れば一目瞭然、格が分かる物です。人様より抜きん出た和服は反って目障り。大勢の方の中での着るものは,身に馴染む色と形で派手にならぬように心がけます。でも,そんな服そういう場が無ければ,持つ必要はありません。

 真っ白の木綿のシャツ,白のポロシャツ、Tシャツは,おそらくどんな人にだって必要不可欠な着るものです。私ときたら,襟腰の付いたシャツが似合いません。首が短い訳でも太い訳でもないのに,襟腰が付くとそぐわない。フラットカラーかショールカラーは少し様になります。ポロシャツも好きですが,なんだかひと通りに見えてしまいます。Tシャツは何でもない物でも、着る人を反映しているように思います。何でも無い無地のシャツの方が,着る人を写し出すようです。

 私の好きなTシャツは,半袖、丸首。丸首はやや詰まり気味、袖口もやや詰まっています。丈は背の低い私に合わせて切ってもらいました。肩山はぴったり私の肩の上。20数年着ているMIUMIUのTシャツです。木綿ですが,柔らかく体にそぐいます。こんなTシャツ、後にも先にもお目にかかりません。大事ですから,普段には着ません。Tシャツですが,私には余所行き以上です。日差しの強い香港です。紺と黒は日焼けを心配します。Tシャツですが,畳まずにハンガーにかかっています。

 MIUMIUがまだ,プラダのサブラインの頃の商品です。初め見たときは大きなサイズしかなくてお店の人にSサイズが入ったら知らせてくださいと頼んでおきました。初めて試着したときから、惚れに惚れているTシャツです。3枚一度に求めました。なんであの時もう3枚,注文しなかったのかと悔やんでいます。

 無地の何でもないTシャツ,そろそろ出番の季節です。しばらくはスカートに合わせます。もう少し寒くなれば、Gパンに合わせます。もう少し寒くなれば,この上にカーディガンを羽織ります。もっと寒くなれば,カーディガンの上にジャケットです。せめて,後10年、元気でいてください。

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どの色にしようかな?

2015年10月22日 04時53分17秒 | 日々のこと

曇り、24度,79% 

 不揃いな4枚4色の端切れをテーブルの上に並べて3日ほど過ぎました。朝日,日中,日暮れから電気を灯す、時間の移り変わりでこの4色の布の色が目に写る感じは随分違います。はて,どの色にしたらいいものやら?

 家具はもう買う事が無いだろうと,30代から思い続けています。私の実家には,私の年齢よりの古い松本の民芸家具がずらり。3代にわたって使える家具が謳い文句の松本の民芸家具です。まだ私で2代目,確かに水目桜で作られた重たい家具は,色の退色、母が手入れを怠っていますから若干の傷みが見られますが,まだまだ使えます。時間を経て来た重みのある家具です。母が施設に入って以来、実家の整理を始めました。服、本、食器に至っては、殆ど残しませんでした。改築中、倉庫に預けた荷物は10畳ほどのキューブ一杯というぐらいです。残した物は、お仏壇、松本民芸家具と大きな焼き物の壷ばかりです。三面鏡なんて私は使いません。さっさと捨てました。自分が使う物しか残しませんでした。これは,私が一人しかいない子供だからできた事,兄弟がいたらこんな切り捨てるような整理は出来なかったかもしれません。

 延びに延びた改築が終わり,家具を家に戻して1年が過ぎます。すぐ住む家ではないので,のんびりと建具を替えたり,照明を入れたり,帰国する度に少しずつ家が家らしくなって来ました。改築で大きく変わったのはもちろん水回りですが,廻り縁の付いた座敷を縁側と座敷部分を一つにして板の間に替えた事です。そして,天井板を外しました。床から天井まで4.5M。床板は白木です。ところが廻り縁の一面を壁にしましたから、外からの陽の光は,この部屋の中央までは入りません。しかも上を見上げれば高い天井。

 以前は座敷でしたから,畳です。座卓に座布団で充分。板の間になった今,はたと思います。あら,椅子が必要だわ。椅子というより,くつろげるソファーです。若い頃からアルフレックスのソファーに憧れていました。これはいい機会とばかり,アルフレックスのソファーのカタログを見ます。でもどうもイメージが我が家のそれとは違います。この座敷には,床の間や欄間を残しました。仏壇もあります。行き着いたのは,やはり松本民芸家具のソファーでした。

 すっぽりと布に包まれたソファーではありません。座る部分のみ布です。この4枚の端切れは,その座る部分に張ってもらう布見本です。

 このひと月、「花森」という松本の民芸家具を扱うお店の方と遣り取りをしています。ソファーの布に始まり,大きなダイニングテーブルも求めるつもりです。このテーブルに今手持ちの袖付きの椅子が合うかどうかなど、細かい事によく対応してくださいます。布の色を決めるの当たって,mailに添付された色見本,どうも実感が湧きません。厚かましく,布を送って頂きました。

 昨晩,主人と出かけた中華レストラン、そこにおかれた椅子の布の色を見ていて,主人が言います。薄い煉瓦色がいいよ。確かに,光がささない部屋に暗い色では、重過ぎます。紺もきれいだし,燕脂も落ち着いた色だし、グリーンは七変化します。どれも捨て難いけど,薄い煉瓦色に決まりそうです。

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