チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

旅のアクシデント

2015年09月30日 04時58分22秒 | 旅行

曇り

 ほんとなら,いま私は福岡にいるはずです。今日は午前中から大きな用事が入っています。ところがいま私がいるのは台北です。しかも台北の桃園空港から30分ぐらいのホテルという事しか分かりません。ホテルの名前も定かではありません。

 昨日は午後の便で台北を経由して福岡に入る予定でした。一昨日28日には,大きな台風の通過で台北からの離着陸の飛行は殆ど欠航でした。29日には台湾海峡を抜けた台風、キャセイパシフィックから私の乗る510便は,定刻出発と知らせをもらいます。

 14時55分定刻の510便,28日のこの便が欠航だったので満員の状態です。その上,日本人の観光客5名が定刻を過ぎても姿を見せません。待つこと30分。まあこんな事はよくある事です。

 台風の余波も無く飛行機は揺れずに,ただいつもよりやや南の航路を取りました。通常飛行時間1時間15分で台北です。ところが,台北の桃園空港、前日の欠航が影響して飛行機のラッシュ。私が乗る510便は,台北上空を一時間半グルグルと旋回しました。台風の影響ばかりか、ここ桃園空港、2本ある滑走路の内1本はただいま工事中。おそらく,離着陸を待機している飛行機の数は,数十台に上っていたと思われます。桃園空港では私のように福岡に行く人もここで一旦降りなくてはなりません。この段階で,予定時間より3時間近く遅れていました。機内の清掃,新しく機内食を積み替え,台北から福岡に向かう人と共に再び飛行機に乗ったのは,8時少し前でした。つまり日本時間9時少し前。予定通りならば、既に福岡上空にさしかかる頃です。

 ところがここでも滑走路1本が影響して,31番目の離陸というので機内で1時間待ちました。やっと離陸の順番が回って来て,滑走路に向かいます。やれやれ,遅くなっても福岡なら心配ありません。さあ,離陸という時,機長からのアナウンスです。「バットニュースです。福岡空港の閉鎖時間は午後11時30分、約2時間の飛行時間では、11時30分に間に合わないので,飛行を見合わせます。」英語の放送でしたから,初めは不満の声も少なかったのですが,日本語の放送が入ると一遍にぶーぶー文句が出ます。

 そこからがいけません。滑走路横にいる飛行機,機体を近くに移動させたまま動きません。短く明日の朝福岡に向けて飛び立つとの事だけ知らされます。皆さん、文句を言うより携帯であちこちに連絡しています。それでも飛行機動きません。10時近くです。飛行場に止まっている飛行機の中で機内食がサーブされます。熱いお茶も,ワインすら出て来ません。どれくらい時間が過ぎたか,空港内の移動のバスが来ました。タラップを下りてバスに乗り込みます。ターミナルに入ると510便の乗客は,全てパスポートを没取されました。今からホテルに向かうと言います。通常では通れない,外交、乗務員通路を使って台湾に入国です。

 数百名のこの移動、ビジネスクラスから始まります。私はエコノミーですが,キャセイのクラブの会員なので一番先にホテルに入ることが出来ました。既に真夜中12時を回っています。

 台風明けの安いホテルです。なんとカビ臭い。それでも,お風呂もきれいなベットもあります。 コンセントも室内灯もテレビも点きません。仕方無く,PCに充電は,洗面所脇のコンセントにつなぎました。

 カビ臭いので,窓を開けます。次々にバスが着く音が聞こえて来ます。今朝は,6時45分に全員にモーニングコール,7時過ぎにロビーに集まり10時発の飛行機に乗り込みます。同じ機体同じ席順で,また福岡に向かいます。

 旅はアクシデントがつきものです。5月のヨーロッパの旅行でも,帰路は天候状況のため予定の飛行機をチェンジして帰って来ました。

 久しぶりの台北の夜明けです。 台北らしい,のんびりした空気が流れています。さあ,今日は私にとって長い一日になりそうです。

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38年目のリバーライトの鉄のフライパン

2015年09月29日 05時40分59秒 | 身の回りのもの

晴れ,27度、53%

 殆ど何も家財道具らしいものを持たないまま始まった我が夫婦の結婚生活,確か手持ちのお金も8000円からのスタートです。昭和53年の事でした。親しい友人たちが贈ってくれた祝いの品,ゾーリンゲンの包丁とリバーライトのフライパンでした。

 最近、永年使って来た炒め鍋が傷み始めています。テフロン加工の炒め鍋です。初めて使ったテフロン加工,期待したほどの働きはありません。ただ徑が34センチと大きなサイズですから、スパゲッティだって横にし湯がく事が出来ます。炒める,蒸し器をのせて使う,湯がく,テフロンの機能より大きさが機能した炒め鍋です。傷み始めたので,鉄の中華鍋か炒め鍋に買い替えようと思いネットで検索してみました。香港ですから,中華鍋の本場です。ところがこの30年近くで2つも穴をあけてしまいました。聞けば地元の人だって中華鍋は消耗品だとおっしゃいます。

 日本に帰国した友人が横浜の中華街で新しく中華鍋を買ったそうです。彼女曰く、日本製の中華鍋は中華街の物でも作りが違うそうです。検索して行くうちに,白木の柄の付いた炒め鍋、北京鍋が目に留まりました。リバーライトという会社が作っている物です。欲しい30センチ以上の大きさの鍋もあります。しっかりした鉄鍋です。はて,何処かで似たお鍋を見たことがあるなと思います。リバーライト社の会社概要を見ていると,創業が昭和51年です。横に当初のフライパンの写真が載っています。やっと気が付きました。私が38年使い続けているのは,このフライパンなのです。会社の名前はすっかり忘れていました。ましてや写真の商品は,まっさらな白木の柄ですが,私のは油で汚れてご覧の通り白木では無くなっています。このフライパン今もバリバリの現役です。

 リバーライト社は鉄である事,そして木の柄の良さを伝えたくて会社を興されたそうです。もう一つ,長く使い続ける物が出来るもの,その思いは私のフライパンを通してしっかり私に伝わっています。

 実はこのリバーライト社にはもう一つ思い出があります。いただいたフライパンに付いていたアンケートのはがきを送りました。するリバーライト社の方から電話をもらいました。新製品があるので試して欲しいとおっしゃいます。お会いしたのは,当時の社長さんだったか現在の社長さんなのかはお名前を失念してはっきりしません。頂戴したのはクレープパンです。あの頃クレープなんて走りの食べ物でした。今もリバーライト社の商品の一つにそのクレープパンがあります。それ以来すっかりフライパンの事は頭にありませんでした。クレープパン、度重ねる引っ越しのどの時期かに捨ててしまいました。なぜなら,このフライパンでクレープを焼いた方が私には便利だからです。

 考えてみたら,お鍋は自分なりにランクを上げて揃えて行きました。今ではもう充分です。中華鍋は消耗品なのか,何年に一度は今のように買い替えを考えます。ところがただの一度も買い替えを考えた事が無い唯一の物がこのリバーライト社のフライパンです。私の台所の必需品。機能性、見た目、文句ありません。白木の柄は替えを別売しています。焦げたりすれば替える事も出来ますが,ご覧のように38年,見事に私の使用に絶えています。木の柄は,熱を通しません。グリップが甘くなることもありません。

 北京鍋、炒め鍋どちらにするにせよ,気持ちは決まっています。私の台所の原点に戻って,リバーライト社の物を求めるつもりです。

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ミュージカル「Sing in the rain」香港

2015年09月28日 05時37分18秒 | 香港

曇り、25度、72%

 イギリスのウェストエンドで大当たりしたミュージカル「シングインザレイン」がやっと香港にやって来ました。日本でも昨年末に公演されたようです。

 映画「雨に唄えば」のジーンケリーのタップダンスと劇中使われた歌の幾つかは、リバイバル映画で幾度も目にし耳にし馴染んでいます。ふた月ほど前にチケットの予約を入れたところ,既に一番いい席は満席の状態でした。私たち夫婦、香港でミュージカルを見るのは初めてです。

 ワンチャイにある演劇専門の劇場に着くと、なんと子供の多い事。いろいろな国の人がそれぞれ子供連れです。ピータンパンかなにかのミュージカルに来たのではと思ったほどでした。

  撮影禁止の舞台ですが,1枚パチリ。お話は,映画の「雨に唄えば」とほぼ同じ、無声映画からトーキー映画に移り変わる頃のハリウッドとブロードウェイが舞台です。ピッチの早い話の展開です。時折,大きなスクリーンで短い無声映画が入ります。

 でも圧巻はやはりダンスと歌。特に大勢でのタップダンスは流石に生ですから見応えも,聞き応えもあります。歌って踊って,しかも雨の中。この雨が見事でした。

 前売りの広告文に前列5番目までをお勧めしますとあります。もちろん一倍いい席ですが,実はこの5番目までの席の方達おまけ付きでした。映画でも,雨の中をジーンケリーが歌って踊ります。それを見事に再演しています。つまり本物の雨が降りました。舞台天井から1トンの水が降るミュージカルです。

 主役ドンを演ずるダンサーは,舞台を歌い踊りながら,楽しそうに客席に向かって雨水を蹴ります。前列5番目までの方達はこの水しぶきを浴びるおまけ付きです。もちろん,予め,ビニールのかっぱが配られていました。最前列にいる子供たちは,水がかかる度にキャーッと声を発します。まわりも大笑い。

 全て英語ですが,両脇に広東語の字幕が出ています。

 生の舞台は音楽でもこうした演劇,ダンスでも人の持つ躍動感や暖かみがそのまま観客に波の如く押し寄せて来ます。そして観客の間でも受け取った感動が音叉のように響き合いまた高まります。途中20分の休憩があり,3時間に渡る上演でした。

 子供があまりに多いので,途中うるさくならないかと実は心配していましたが,ウロウロする子も騒ぐ子もいません。お話の面白みは分からなくても,舞台から伝わって来るものが子供たちを見入らせたのだと思います。一晩明けた今も何処かに高揚した気分が残る私です。

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中秋節 香港

2015年09月27日 04時46分51秒 | 香港

小雨,26度、95%

 今晩は,中秋の名月。生憎,雨が降ったり止んだりの香港です。日本でも,すすきの穂を飾り、まん丸のお団子をお月様に見立てて月見を楽しみます。この月見,日本人よりもこの日を大事にしているのが中国人、その中でも香港人ではないかと思います。

 中秋節の前になると,贈り物が町を行き来し始めます。代表格は月餅です。月餅ばかりか,世界中の美味しいものを詰め合わせたバスケット,お酒の数々,大きな鉢植えのランの花。旧正月の次に大事な行事です。町のビルには,赤い提灯が吊るされます。ライトアップは変わりませんが,中秋節に始まり旧正月まで、香港の家々、町中がお飾りをします。次は,クリスマス,そして新年、最後が旧正月です。

 明日の月歴16日は,香港の祭日です。お月見の明けの日がお休み,これは香港だけの祭日で,中国返還前のイギリス領の頃から祭日に指定されていました。香港に来た当初は,この祭日が中秋の名月だと思っていたのですが,祭日は中秋の名月の翌日だと気が付いたのは,数年経ってからの事でした。お月見に人が夜更かしをします。ならば,翌日はゆっくり朝寝をしてくださいというお休みでしょうか。

 我が家の裏山の太平山の頂上などは,今夜は人が一杯です。高い所にまで上ってわざわざお月見をします。トンローワンのビクトリアパークも広い空間ですから空がよく見えます。ここにも人が集まってお月見です。昔は紙で出来た提灯に赤いろうそくを立てて,子供たちはそれを片手に山に登ったり,公園へと行きました。今ではLEDのプラスチックの提灯です。旧正月の2日目の花火のときと同じように,みんなこの日の天気を心配します。

 私もお月様を以前より待つようになりました。腕時計の左上に月歴のを入れたのはちょうど新月の頃でした。 新月だから真っ暗です。 一週間以上も立ってやっとお月様の陰が時計に見え始めました。でもお月様一向に太りません。実際のお月様はこの時計のお月様より,やや太っていました。3日前にやっと半月です。 これでは時計は実際のお月様に付いて行きません。 急に太って来た左上のお月様です。どうにか今日は満月が表示されています。

 明日は祭日,今日は日曜日ですが,中秋節当日が週日のときでも,午后も早い時間から市場の店は店仕舞を始めます。個人経営のお店屋さんなどもお月見の準備のために早くに店を締めます。

 香港の町も人も変わって来ました。月餅を喜んで食べる人が少なくなって来たそうです。月餅はこの中秋節の一時期しか売られません。喜んで月餅を待ち焦がれる人も少なくなっても,お月様はこの日に一番きれいな姿を見せてくれます。提灯を持ち歩く子供も少なくなりました。ビルを飾る赤い提灯の数も減って来ています。沢山の月餅を,あちらの家こちらの家の配る人の姿も減りました。でも,香港人,きっと今日の夜は空にお月様を探すと思います。

 日本の昔の絵本にあるようなススキの上に昇るお月様ではありません。今晩私もきっと,この高いビルの隙間の小さな夜空をぐっと顎を上げてお月様を探します。

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モモさん、ももちゃんに会う。

2015年09月26日 05時41分47秒 | もも

曇り、28度、89%

 我が家のまわりまるで犬の品評会にように,ありとあらゆる犬種がいます。こんな暑いところなのに,セントバーナードやピレニアンだっています。毛の生えていない小さな犬もいます。当節流行はミニュチュアプードルです。犬を家で飼うようになったのは香港ではまだ日が浅いのですが,我が家のまわりは,犬を連れて香港に赴任して来る方が多く住んでいます。つまり,数年すると,犬を連れてまたどこかに行かれます。

 モモさんが子供の頃は,パグもまわりにいっぱいいました。親しくして頂いたパグさんたち,マックス君とヨーダ君はアメリカに、まんちゃんはオーストラリアに帰りました。最近では,お兄ちゃんパグに先立たれたルーシーちゃんとフランスから来たエルビス君にたまに会うくらいです。散歩をしていると目につくのはフレンチブルばかり、ただ今フレンチブルが増殖中です。

 昨日の朝散歩,少しばかり遅くなりました。ちょうどスクールバスを待つ子供たちがあちこちに並んでいる時間帯です。急にガヤガヤと町がうるさくなり,歩道は子供たちと見送る親でいっぱいになります。子供たちをかき分けながらのお散歩です。その子供の群れの向こうに,パグと思しきお尻が見えます。見た事の無いパグです。一大事と,小走りで追いかけます。もちろんモモさんも分けも分からず小走りです。

 ちょっとお年のラブラドールとパグが一緒に散歩しています。モモさんもパグさんだと分かってようで、 そっと寄って行って,「こんにちは。」女の子です。モモさんチリチリと喜んで尻尾を振ります。お年を聞くと3歳,モモさんよりいい体つき,3歳から5歳の頃はモモさんもよく太っていました。モモさんからの挨拶を受けて,あちらからもご挨拶。くんくん。手前がモモさんです。

 子供たちが多いのでゆっくりもしていられません。「またね。」と別れ際にこのパグさんのネームカードが目に入りました。「MOMO」と書かれてます。えっ、ももちゃんですよ。そこで,もう一度「ももちゃん,また会いましょうね。」と別れました。

 モモさんのプーを握りしめていましたので,ゆっくり屈んで写真が撮れませんでした。目尻の上がったももちゃんです。

 モモさんがお散歩で出会うお友達、同じ年頃のお友達が今年に入って1匹また1匹と姿を見なくなりました。お散歩でお友達に会う事はモモさんに取っては大きな楽しみの一つです。新しくこの町にやって来たお友達に「ようこそ。」とモモさんが迎えてあげれる日が続くように祈っています。

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このひと月、3回腕を触られました。

2015年09月25日 05時41分34秒 | 日々のこと

曇り,28度、85%

 この私、4月も半ばぐらいから10月いえ、11月頃までずっと袖のない物を着ています。香港が暑いからばかりではありません。うっかり半袖のまま陽に当たると,袖の下と上とでは日に焼けて色が違います。半年近くも腕は丸出しの状態です。

 ひと月ほど前,果物やでアボガドを物色していました。すると果物やのお姉さん側に寄って来て私の肩から腕をひとなで。早口な広東語で何か言います。聞き取れるのは「きれい」という言葉だけ。何がきれいなのかな?まあ,分からずにニコニコしておきました。それからほんの数日後、冬物が並び始めた店でコートを手に取ってみていました。うーん,チビの私には大きいなあ,とお店のお姉さん,横に来て腕を撫でます。流石にぞっと鳥肌が立ちました。びっくり顔の私を見て,「筋肉がきれいだけど,運動してる?」と聞きます。どうでもいいけど人の腕を触らないで欲しいと,内心怒りながら適当に返事をして店を出ました。その時,果物やのお姉さんが言ったのも、そうそう,筋肉だわと広東語を思い出します。

 小学の時,スイミングに通いましたから,息子を育てる頃まではポパイのように力こぶが出ていました。でも,腕の筋肉なんて気に掛けたこともありませんでした。今では肘は,加齢でシワシワ、だから腕なんて見たくもないと思います。それにしても人の腕を断りも無しに触るなんて,やっぱり,腹が立ちます。

 昨日はスーパーで同じ事が起こりました。ミルクの日付の新しい物をと冷蔵庫の奥に腕を伸ばしていた私、横に来た白人のおばさんが急にまたしても腕を触ります。「きれいな筋肉ね。」腹が立つので「ありがとう。」とだけ、お返事もそこそこにレジに並びました。

 20年近く走っていますから,足の筋肉はそれなりにあると思います。腕の筋肉なんて意識したこともありません。お腹同様にふにょふにょです。それより人の筋肉なんてどうして気になるのかな,しかも触らなくてもいいだろうにと思います。

 筋肉がきれいってなんだろうと今も腕を見ますが,肘のしわしわの方が気になります。とにかく人の許可も無く腕を触らないで欲しいと切に望みます。

 久しぶりにポパイの真似をしてみました,昔ほどではありませんが柔らかな力こぶが出来ます。昔はカチカチだったなあ,と懐かしむ私です。

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裏山(香港太平山)に上りました。

2015年09月24日 05時40分41秒 | 香港

曇り,26度、85%

 昨日あまりにも気持ちのよい秋晴れです。お昼過ぎ急に裏山へ行ってみようと思い立ちます。裏山は太平山,高さ600m弱山です。香港島の中では一番高い山、太平山というより,ピークといった方が知れています。香港の観光名所の一つです。何の観光名所かといえば,「100万ドルの夜景」です。ここの展望台から見下ろす香港島,ビクトリア湾をはさんでの九龍半島の夜景は、これだけ長くいる私ですらきれいだなと思います。夜のライトアップもきれいですが,私は昼間の景色も好きです。遠く、遠くまで見えるマカオや中国に向かうフェリーの航跡は、気持ちが開けて来る感じがします。

 観光コースならばピークトラムや2階建てバスで上るピークですが,ひょいと裏山に行く感覚ですので,地元ならではの観光ルートではない道を使って上ります。香港大学を上り詰めた、 ハットン道です。香港島の西の端をぐるりと回りながら緩やかな山道です。九龍サイドのもっと高い山でも、山道は舗装されています。この辺りは、 ルンフウシャンカントリーパークです。一昨日まで雨が降っていましたから、 水の流れの音を聞きながらの山歩きです。

 家を出て40分ほども歩くと,ピークのまわりのひと回りする、 ルガード道に出ます。太平山の本当の頂上は通信機器が置かれており立ち入り禁止です。ルガード道をひと回りすると,香港島の北から九龍サイド,南は遠く南シナ海を見渡す事が出来ます。昨日は北回りで,ピークトラムの終点ピークタワーから下って帰る予定です。

 ルガード道のまわりには香港でも有数のリッチな方の家が幾つか建っています。ところが,久しぶりに来たルガード道、大きな邸宅が空き家になったまま放置されています。そんな家の庭を眺めていると、 黄色い曼珠沙華が咲いていました。生まれて初めて見る黄色の曼珠沙華です。真っ赤な曼珠沙華は、九龍サイド深い山の斜面に群生しています。曼珠沙華は日本と時期を同じくして亜熱帯の香港でも咲きますが、あぜ道ではなく山道です。ちょっと標高が高くなるだけで涼しくなるからでしょう。 道の両脇に樹齢数百年のバニアンツリーが立っています。その木の幹ではなく,気根が造ったトンネルです。 1900年代初期から置かれている石のベンチです。この道を作ったのは当時のイギリスの総督ルガードでした。しばらく歩くと,ビクトリア湾が見渡せる場所に出て来ます。 香港島のセントラル、上環から九龍サイドのチムサッチョイを見渡す,香港の中心地です。30年前は流石のこれほどビルが建て込んでいなかったように記憶しています。高さも上に上に伸びています。ビクトリア湾も日に日に埋め立てで小さくなっています。

 ビクトリア湾東を望むと, 九龍サイドの住宅マンションがどこまでも続いているのが見えます。この写真の,手前中央に我が家のマンションの建物が写っています。私がプカプカ浮かぶプールが小さく真っ青に見えています。30分も歩いたでしょうか,ピークタワーが見えて来ました。 相変わらず観光客で一杯です。この人ごみには入らず,手前から家に向けて一気に下り坂です。 このオールドピーク道がガイドブックなどでは、歩いてピークに上る道として紹介されています。でも,あまりお勧めしません。上るには,あまりにも急な坂です。

 秋空に誘われて,一人長い散歩を楽しみました。 でも気温は32度,まだまだ暑さが残る香港です。

 「ピークルックアウト」という昔の人力車のたまり場だった煉瓦作りの建物があります。今ではレストランです。外の席は犬を連れて入れます。モモさん連れて夕飯にきても夜景を見る間もなく車で来て車で帰ります。もっと涼しくなったら,モモさんにも夜景を見せてあげましょう。次は南側を半周してみるつもりです。北とは全く違った外洋の拡がりが待っています。 行く前に脱いでおいておいた短パンの上で寝て待っていました。まだ,暑いから無理だけど,寒くなったら一緒に行こうね。

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トルコのイチジクとクリームチーズ

2015年09月23日 04時58分17秒 | 日々のこと

曇り,25度、88%

 「無花果」と漢字では書くイチジク,花をつけずに実を結びます。形もなんともいえないジャリッと来る種と実のねっとり感、好きが嵩じて小さな苗木まで育てていました。葉っぱの形だって,お皿に敷くのに持ってこいです。香港で生のイチジクが手に入るようになったのは,ほんの最近ここ4、5年の事でしょうか。乾燥無花果は,アメリカ、トルコから入って来ていました。生のイチジクは,トルコ産です。日本円に換算して一個,200円ほどです。秋の初めになると果物やの店先に箱入りで並びます。

 ジャムを作るにはちょっと高価です。やっぱり,生でそのまま食べるのが一番。最近は、 クリームチーズをちょっとのっけてサラダに入れます。イチジクの甘みをクリームチーズが受けてまろやかな味になります。クリームチーズを大きく切って薄く切ったイチジクをのせると,ちょっとした手抜きのチーズケーキです。

 我が家のイチジクの木は6年ほど前にカイガラムシにやられて枯れてしまいました。鉢で育てていたイチジクの木です。大きな実ではありませんが、必ず3、4個の実を付けてくれました。 イチジクも種類があるか、緑の皮のイチジクもあります。実の質もドライ気味のイチジクもあれば,ジューシーなイチジクもあります。我が家のイチジクは、 こんな感じでした。

 イチジクを食べる度、日本の家の庭にはイチジクの木を植えようと思っています。昔よく通った道沿いの家の門の横、夏の盛りに葉陰から見える緑のイチジクの実、その光景に憧れ続けて40年,自分の家の庭のイチジクの木を夢見ます。

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香港の盲導犬

2015年09月22日 05時39分03秒 | 香港

曇り,25度、96%

 30年近く香港に住んでいますが,盲導犬を連れた方に出会ったことがありません。犬を家で飼うのも今では流行を超えて当たり前になって来ましたが、以前は犬を飼う人は殆どいませんでした。空港や町中で警官が連れている警察犬、麻薬犬は早くからいました。中国人は,今でも犬を食用にします。そんな食文化的な背景があるのでしょう。

 最近、犬の何とかフェアに行くと,盲導犬のための募金箱が見られます。「香港導盲犬服務中心」HKSEDSという団体が2012年に出来たそうです。警察犬や麻薬犬の話題は新聞でも取り上げられますが,盲導犬にいたっては殆どありません。香港は町中のバリアフリーも進んではいません。白い長い杖をつきながら歩く人にとっては危険が一杯な町です。そういう気忙しい香港ですが,意外に香港人、目の不自由な人や老人には若い人も気持ちよく手を差し伸べます。広い道を渡る時手を貸したり,地下鉄のプラットホームでは電車との隙間を気遣ってくれたり,昔から見る光景です。

 募金箱から知った香港の盲導犬,募金箱だけのつながりで実態を知りません。まず盲導犬を目にしませんし,公共の建物にも盲導犬の許可マークなどでていません。盲導犬ばかりか,そういう社会的な関心がまだ発展途上の香港です。

 昨日我が家からセントラルに向かう人通りの少ない道を歩いていると,黒ラブとおじさんが上がって来ています。おじさん立ち止まって黒ラブに赤い服を着せ始めました。さっき雨が上がったばかりなのにと思いながらすれ違い様に見ると、「導盲犬訓練中」と背中に書かれています。思わず立ち止まり,色々尋ねますが,おじさん何一つ返事をしてくれません。ただニコニコ。犬もニコニコ。

 そこで家に帰って,早速HKSEDSを調べました。

 盲導犬自体にもお金がかかるとは知っていましたが,何よりも訓練に時間とお金がかかる盲導犬です。香港には登録されている盲導犬が13匹、内、実際に盲導犬として活躍しているのは僅か2匹。残りの11匹は,ただいま訓練中です。嬉しい事に,その13匹の半分が日本生まれです。関西盲導犬協会から寄贈された犬,台湾の盲導犬協会を経てやって来た犬、イギリスの盲導犬協会から寄贈された犬たちです。

 11匹の訓練中の犬のうち2匹が昨年産まれたイギリスからの黒ラブです。私が会ったのは,女の子のDELSIEちゃんだったようです。

 盲導犬は実際の訓練に入る前に里親の元で人間生活に馴染む時期があります。里親になる人はPuppy Walker と呼ばれます。一時期,このPappy Walker  になりたくて調べたことがありました。難しい決まりがあります。どうも私のような性格では無理だと思い至ったものでした。

 私が昨日であったのは、このPappy WalkerのおじさんとDELSIEちゃんです。香港のPaapy Walker、最低3カ国語、広東語,北京語、英語が話せる事,と条件が出ています。おじさん,きっと私の下手な英語がわからなかったのでしょう。

 さあ,11匹のうち何匹が盲導犬として活躍してくれるのでしょうか。目の不自由な人のために身を呈して働いてくれる犬たちです。

 Pappy Walkerでは荷が重いと感じた私、出来たらリタイヤーした犬の面倒を見れたらいいなと今では思っています。でも、大おきなラブラドールのおじいちゃんおばあちゃん犬の面倒もこれまた体力仕事のようです。

 

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孫の好きなハニーバンズ

2015年09月21日 05時39分22秒 | パン

雨,27度、81%   雷注意報

 息子がLINEで送って来てくれた孫娘の写真,片手にパンを持ち歌ってるのか踊ってるのか楽しそうです。最近お気に入りのパンだそうです。ところでどんなパン?と尋ねると、蜂蜜が微かに香る柔らかいパンと返事が返って来ました。

 孫娘,一歳と7ヶ月になりました。まだ4回しか会ったことがありません。しかも,いつも短い時間です。この年齢になると,孫の誕生というおめでたい話もありますが,親達を見送るという大仕事もこれまたやって来ます。私の母、次いで義父と見送った後は,残務整理があります。一人っ子の私に長男の主人,つまり一手引き受けてこの私がその事務対応に追われます。しかも海外にいますから,身分証明やら日本のお役所仕事に対応するには骨が折れます。会いに行きたいと思いつつも時間が取れない状態,どうにか年末までには一度孫に会いに行くつもりです。

 そこで,お嫁さんと孫と女3人で蜂蜜入りのパンを焼けたらいいなと思います。以前はイギリスパンのハニージンジャーをローフで焼いていましたが,孫が小さな手で持てるようなハニーバンズがいいかなと思います。今度会えるまでに美味しいハニーバンズのレシピを作ります。 まず手始めにハニーバンズの試作品。蜂蜜はポルトガルのローズマリーの蜂蜜を使いました。蜂蜜の甘さは砂糖のそれとは違います。同じ量の蜂蜜では,甘みを感じません。思い切りタラーッと入れます。オイルはバターにしました。水性のゴールデンシロップやメープルシロップ,蜂蜜や水飴をパンの生地に練り込むと伸びの良い柔らかなパンが出来ます。捏ねている間にも,蜂蜜の香りです。

 卵のつや出しは付けません。蜂蜜と小麦粉がオーブンの熱に反応した焼き色です。柔らかくふっくらしたパンが焼き上がりました。ウンーン,あと一息、蜂蜜を入れた方がいいようです。それに大きさももうひと回り小さくと,孫の手を思い浮かべます。

 お嫁さんと孫と3人で、息子の家の台所でパンの香りに包まれるゆっくりした時間が,今年一年の私へのご褒美になりますように。

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