チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

手帳

2014年11月30日 04時52分10秒 | 日々のこと

雨、22度、96%

 急にメモする事が必要な時、どうしますか?メモをする仕方が、最近、違って来たと自分の事を振り返って思います。バックから出て来るのはスマホ、メモのところをタップするならまだしも、カメラのところをタップして、メモすべき事を写す事も屢々。まず打ち込む時間が要りません。失礼は承知で、人様からいただいた名刺も写真に収めて保存。でも、やはりアナログな私です。

 ここ数年、手帳で悩みます。手帳をどれにするかではなく、手帳が必要かなと思い始めます。でも、字を書くのが好きです。オーガナイザー型の手帳を使い始めて20数年、見出し写真のアンリクイールのオーガナイザーは、2代目。10年以上使っていますが、びくともしません。縫い目もまだまだ。買った頃よりツヤツヤです。年末になると、このレフィルを買いに行きます。 オーガナイザーを使い始めた頃は、このレフィルが、本屋の文房具コーナーに沢山並びました。ところが需要が減ったからでしょう、12月になると品切れが出るようになりました。

 しかも、香港、モレスキンが大流行、専門店まで出来ました。 革の重いオーガナイザーよりゴムで止めるモレスキンの手帳はしゃれています。行く旅先の都市ごとに、地図付きのダイアリーのモレスキンがあります。西欧の都市ばかりですが、そんな発想に心ひかれます。

 書き込むタイプの手帳は持たなくても生活できるようになりました。荷物の量や重さを減らしたい歳になりました。この11月は、手帳の事をうーんと考えました。

 そして、やっぱりオーガナイザーのレフィルを買って来ました。仕事をしていた頃は1週間が2ページ見開きのものを使っていましたが、今は、一週間1ページのものを使っています。

 このオーガナイザー、20数年分の自分の足跡が残っています。大晦日、新しいレフィルに入れ替えて、古い物はリボンで綴じて取ってあります。古い物を見ると、何月何日に、この人と会ったとか、何処に食事に行ったとか、モモさんが病気になったとか、もちろん、知人友人の住所、よく利用するいろんなお店の連絡先、手持ちのカード情報などなど、無くてはならない私の情報が詰まっています。これらの情報は、スマホと共有していますが、クリスマスカードを書く時、住所をめくるのはやはりこの手帳です。旅先から友人に手紙を書くときも、やはり、手元にはいつもこの手帳があります。

 このオーガナイザー、日本のパスポートがぴったり納まります。香港では銀行の通帳を使っていない私ですが、旧態然として通帳のある日本では、通帳もぴったり納まります。

 毎日使うもの、意外に当たり前になりすぎてありがたさも考えずにいます。手帳の事をうーんと考えたこのひと月は、もっとオルガナイズされた手帳に仕上げようという事でした。来年の年初め、今までの古い情報をふるいにかけて、無駄なものを削ぎ落とすつもりです。また来年もよろしくね。

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ズッキーニブレッド

2014年11月29日 05時28分14秒 | 日々のこと

小雨、23度、85%

 少しずつですが涼しくなった香港です。ちょっとした気温の差で、食べるもの、飲むものの好みが変わります。飲み物は年中暖かなものしか飲みませんが、紅茶の濃さやミルクの量が変わります、不思議な事に朝一番のコーヒーだけは年中同じ物、ミルクたっぷりの濃いコーヒーです。

 夏に甘いものを欲するのと違った甘みが欲しくなるのもこの季節、特に朝ご飯のパンに甘みがある方が嬉しく感じます。そんな時必ず作るのがズッキーニブレッド。ブレッドといっても、発酵させるタイプではなく、アメリカンマフィンなどと同じようにクイックブレッドといわれるものです。アメリカ生まれのこうしたブレッドは、材料を次々に足して行くだけで出来ます。

 このズッキーニブレッドは、まだ日本にいる頃初めて作りました。その頃、ズッキーニはまだ日本で栽培されてなくて、随分高いズッキーニブレッドを焼きました。あの時使ったズッキーニ果たして何処から輸入されていたのやら。香港に来た当初は、ズッキーニなんて高級食料品屋にもありませんでした。今では地元のちょっといびつなズッキーニが手に入ります。ズッキーニはすりおろして使います。 いつもチーズおろしの一番目の細かいところを使います。今回試しに、ハンディイブレンダーのバーミックスを使ってみたのですが、私とバーミックスはとことん相性が悪いらしく、飛び散るのでいつものチーズおろしに出て来てもらいました。ズッキーニをおろすのは、大根より簡単です。

 溶かしバターを入れるレシピもあるようですが、私はいつもオリーブオイル。卵に砂糖を加えズッキーニ粉の順に混ぜて焼くだけです。 ズッキーニの水分の含み具合で硬さが変わりますが、マフィンなどよりはしっとりと焼き上げります。おろしたズッキーニは、絞らないでおろし汁も一緒に使います。黄色のズッキーニより緑の方が、切った時断面に緑のプツプツが出て可愛く思います。シナモンを少し加えると、ズッキーニの青臭い匂いとともに、摩訶不思議な香りがします。嫌な匂いではありません。一度ガーダモンを入れてみましたが、シナモンの方が朝向きの匂いです。

 もっと涼しくなると、また違った朝ご飯を欲します。あまり栄養価や体にいい悪いと考えずに、食べたいものが作れるのは主婦の特権です。ちなみに、このズッキーニブレッドはモモさんと私の朝ご飯です。

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銀杏

2014年11月28日 05時40分12秒 | 日々のこと

曇り、21度、88%

 先日、主人が日本の出張から帰って来ると、いつものお土産の中に銀杏がありました。新宿のお肉専門店で福岡の銀杏が売られていたので買って来たようです。ここ香港だって、銀杏はあります。「白果」といいます。甘いお汁粉にポツンと入っていたり、贅沢にたくさん炒めものに使われたり、こちらでもお安いものではありません。

 銀杏好きですが食べるまでに手間がかかります。そんなところに日本の友人からまたしても銀杏が送られて来ました。 左が友人の銀杏、右が主人が買って来た銀杏です。大きさが随分違います。

 昨日は雨模様、腰を据えて銀杏と向き合う事にしました。銀杏、殻を割るのも大変ですが、薄皮をむくのがまた大変。銀杏をきれいにむく、京都の若い友人にコツを尋ねます、新技でガムテープを使う方法もあるのだそうです。もちろん最近流行の電子レンジでバチバチやる方法もありますが、どうも電子レンジが好きではない私です。とにかく大量ですから、見てない映画のDVDなんか点けて、構えます。  真ん中にある赤いはさみみたいなのは、ナッツクラッカーです。これで殻を割って、湯がこうという考え。地道な作業です。挙げ句に、右の親指の爪はすり切れて来ました。小さい銀杏は扱い辛い。半分主人を呪っています。こんなもの買って来て。でも、食べ物は粗末に出来ません。

 よく湯がきながら、おたまの背中でコロコロすると薄皮が取れるなどといわれますが、そんな生易しいものではありません。まあ、薄皮を食べても死なないし。

 頂き物の大きい方は、お正月に使うつもりです。気合いが違います。つまり、薄皮を全部むいてやるつもりです。大きい方は実も柔らかく感じます。甘みも違います。大きいのは30個程ですから、ちょいと我慢をすれば終わります。それに100個近く剥いた後ですから、こんな私だって要領がつかめて来ました。

 見出し写真は、大きい方の銀杏です。こちらを、冷凍庫に収めるまで、作業を初めて3時間20分。右の親指付け根がずきずきします。銀杏ごときに、こんな気を使うなんて。

 小さくて薄皮が半分も付いているのは、昨晩の食卓に上りました。美味しい。銀杏の食べ過ぎはよくないそうです。お正月用の銀杏が冷凍庫にあると思うと、年末の仕事がひとつ片付きました。立派な銀杏、ありがとう。

 夜、東京の吉兆の湯木さんの本を読んでいると、白い殻を取ってゆるい油で揚げると、薄皮をもするっと取れると書かれていました。次回はこれに挑戦です。するっと取れて欲しい。

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似合う色 似合わない色

2014年11月27日 05時37分06秒 | 日々のこと

小雨、22度、80%

 ご近所にお住まいの香港人女性、スタイルもよろしく、いつもその年の流行のものを着ています。突っ張った方の流行ではなく、正統派の流行を追っていらっしゃいます。流行って、形だけでなく、色もあります。例えば、今年ならネービーだとか。件の彼女、ネービーのビジョーの付いたワンピースに、高いネービーのハイヒールを履いて昨日はお出かけでした。ネービーは、学校の制服にも使われる色ですが、意外に似合う似合わないがある色のように思います。制服のときは、白襟に紺、お化粧もしていない顔ですから、誰にでも似合うように思いがちです。紺の色合いは様々ですが、彼女が着ていた紺はちっとも彼女に似合っていません。

 二十代の後半から三十代の半ばごろまで、この私、頭の先から足の先まで黒一色でした。日本のファッションがカラス色に染まっていた頃の話です。川久保玲に山本耀司、彼らが出始めて来た頃の事です。なんで黒尽くめでいたのでしょう。流行だったからかしら、いえ、やっぱり着ていて黒ばっかりは楽でした。靴だって、バックだってベルトだって黒だけですみますから、我が家がお金のなかった時代です、ちょうど良かったのかもしれません。その後、やっぱり焦げ茶も着てみたいと、四十代の一番物欲の塊の頃思いました。それこそ、靴もバックもベルトも茶系を買い求めました。今考えると恐ろしいくらい、服や靴を持っていました。タンスもワードローブもパンパン。今では、恥ずかしく思います。それが、五十代に入った頃から、すっぱりと茶系にはさようならをしました。決めると潔く、人にも使ってもらいます、疲れた服は捨てました。

 いろいろな意味で50のいいスタートを切ったつもりです。じゃあ、何故茶系にさようならをしたかというと、簡単です、誰も褒めてくれません。言葉ではありません、すれ違う人の目線や一緒にいて話している人から返って来る反応です。ふむふむ、私には茶系は顔映りが悪い色のようです。そこで、整理に整理されたタンスを覗くと、残っている色は、紺、黒、白ばかり。しかも、この数年は、紺の出番が黒より多くなって来ました。きっと髪がもっと白くなったら、また着るものの色が変わるかもしれません。

 似合う色似合わない色って、自分では知っているつもりでも、その実、人が教えてくれているように思います。赤いものが着たいとセーターを買っても、何かそぐわない、好きな色と似合う色もこれまた違います。気の置けない友人の言葉には素直に従うのがいいのですが、好きな色を着ている人に、似合わないわよとは言い辛いものです。だから、反対に、似合う色のものを着ている時には大いに褒める事にしています。それが重なると、その人その似合う色を頻繁に身に付けるようになりますからね。茶系は、似合わないと知りつつも、ココアブラウンのアラン模様のセーターを見るとぐっと胸が締め付けられます。

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松ぼっくりのリース

2014年11月26日 05時38分23秒 | クリスマス

曇り、21度、81%

 主人が、2日程前ゴルフから帰って来ると、先に休んでいた私の枕元に大きな松ぼっくりを持って来て見せます。寝てるのを起こされると、どうも翌日に響きます。薄目を開けて、まあ、大きいわね、と言って、またすとんと眠ってしまいました。

 香港内にもゴルフ場はありますが、主人の行きつけのゴルフ場も今回の日本人商工会議所のコンペがあったゴルフ場も、お隣、深圳のゴルフ場です。つまり、ゴルフをしに行くのに、パスポート携帯でお出かけになります。深圳といっても、最近は交通の便がよくなりましたし、通関が24時間開いています。朝出ても夕方には帰って来る事が出来ます。今回はコンペでもあり深圳でも奥の方、久しぶりのコースだったようです。

 さて、朝起きても松ぼっくりの事などすっかり忘れています。ところが、主人は起きて来るなり、松ぼっくり見た?と聞きます。私への土産のつもりです。ごそごそと主人が持って来た松ぼっくり、確かに大きい松ぼっくりです。8センチから9センチ。 私はこんな松ぼっくりや石の土産が大好きです。それに季節柄、松ぼっくりは飾りにもなります。

 それにしても、こんなに松ぼっくりにご執心なのはどうした事でしょう。ちょっと思い当たることがあります。今年、私の実家にあった松の木を切りました。母が手入れを怠った30年近く、姿のよい松の木は、大木と化し、門の上玄関前に大きな影を落とす程に育ちました。植木屋さんが年に2回、手を入れていた頃の面影はありません。その松の木が、母が逝ったのとほぼ同じ頃、枯れ始めました。松の枯れ葉が道に積もります。枯れ枝がぶら下がり、台風でもきたら道行く人に怪我でもさせかねません。改築をしてくれている工務店の人も、庭を扱う庭師さんも皆松を切るように薦めます。ところが、頑として拒否なさったのが主人です。

 私は、母が松の木を連れて行ったと信じています。 それは松にとっても母にとっても幸せな事です。主人が反対するのには、私の母へのすまない気持ちがあるように思います。施設にいる母を親子3人で見舞ったのは、亡くなる2年程前の事でした。主人が母にあったのは、それが最後です。その時、実家の玄関先に落ちていた松ぼっくりを主人が母への土産としました。もちろん、母は大喜びでした。この時の事を、主人は忘れられないように思います。

 主人がゴルフ場から持ち帰ってくれた松ぼっくり、触っていると、 こんな種がヒラリ。それを見た主人が、芽が出ないものかなと言います。

 主人の松への思いが伝わって来るだけに、リースにでもするわねと私。手の込んだもの、華やかなものは作りませんが、扱い辛い大きな松ぼっくりでリースを作りました。

 この冬は日本の家には松ぼっくりは落ちません。また、いつかあの庭に松を植えてやろうかと思います。

 

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クリスマスプディング

2014年11月25日 05時36分29秒 | 菓子

晴れ、20度、90%

 クリスマスプディングを焼き始めて、30年近くになるでしょうか。ところがここ4年程焼くのを止めていました。一見ダークフルーツケーキに見えるこのクリスマスプディング、果物やナッツを漬け込む時間が違います。 最低でも3ヶ月、一度7年置いたフルーツで焼いた事もありました。アルコールとスパイスでゆっくりと寝かせたフルーツやナッツは、独特な芳醇さを醸し出します。

 ほとんど家事をしない私の母でしたが、唯一、果実酒を付けるのが好きでした。あの赤い蓋のホワイトリカーの瓶が50個近く裏の部屋にはありました。母が5年程前に骨折で入院したことがあります。その時、これ幸いと散らかり放題の家の片付けをしました。主人は裏の部屋にあるその果実酒の瓶を、こんな物という顔つきでどんどん捨てる方に持って行きます。確かに、誰が飲むという物でもありません。捨てて当然です。家に帰って来た時の母の気持ちを思うと胸が痛みましたが、全部捨てました。私は息子が一人だけです。きっと、私が何かあれば、あの時の主人と同じように、クリスマスプディングのフルーツをごみ箱に捨てるでしょう。手書きのレシピノートをひもといて、焼いてくれる人はいません。その年から、このクリスマスプディングを焼かなくなりました。

 永いこと焼いて来たといっても、このプディングを食べるのは母と私だけでした。主人などおそらく一度も食べた事がないかもしれません。クリスマスプディング、イギリスのクリスマスを祝うお菓子です。昔のレシピには、ケネン脂も使われていたという重いケーキです。見た目も色黒でいかにもといった風情です。ここ香港はイギリス領でした。当然のようにクリスマス前のこの時期になると、高級食料品店の店先には、このクリスマスプディングの箱が積み上げられました。箱の中には陶器に入ったプディングが入っています。これを蒸し直して、ブランデーで灯を点して切り分けます。

 このプディング、おそらく、最近では、イギリスでも敬遠されるようになったお菓子ではないかと思います。ここ10年程、クリスマス前になって山積みにされるお菓子はイタリアのパネトーネに変わりました。軽くて優しい甘さです。頷けます。噛みしめる食べ物は、世の中からどんどん姿を消して行くようです。マークスアンドスペンサーにですら、ミンスミートパイはでていましたが、クリスマスプディングが見当たりません。

 なぜまた、焼き始めたのかしらと思います。もうこれを喜んで食べてくれる母はいません。クリスマスひと月前に焼きます。そしてひと月の間、また表面にブランデーやラム酒を塗りながらクリスマスを待ちます。このプディング、1年常温で置いてもカビも付きません。この高温多湿の香港でも常温保存可能です。コーヒーでは重すぎます。薄めに入れたダージリンをストレートで、あとひと月。我慢、我慢。

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コルカタの土産

2014年11月24日 05時50分29秒 | 旅行

晴れ、21度、87%

 2007年の12月の初めにインドに行きました。私が香港を離れる旅行のほとんどは、主人の仕事の関係で夫婦連名で招待を受けた式典やパーティーに出席するためです。プライベートでのんびりした旅行なんてもうずっと行っていません。そんな旅行の中でも、この2007年のインドへの旅は、かなり精神的にもきついものでした。目的地は、ニューデリーとコルカタ。日本からみえた6名のインドは初めての方達とご一緒のちょっとしたグループ旅行です。私は初めて、きちんと時間を組まれたグループ旅行を経験しました。公職の方の同伴の旅です。8名の中には私を含めて、3人女性がいます。もちろん私は末席です。

 ニューデリーでは、日本大使館の方との昼食会、ガンジー財団との顔合わせ。コルカタでは、コルカタ市長とのお茶会、コルカタの日本領事館主催の天皇誕生日の記念式典に出席。きっちりと予定が組まれています。確か機中泊を含めて、6泊7日の旅でした。女性にしては普段は旅行の荷物が少ない私ですが、この時ばかりは、靴が3足、スーツが3着。泊まるホテルもオベロイやタージマハルですから、朝からスーツを着ていたこともありました。

 このコルカタ滞在中、印日会館を訪ねました。2007年の初め、第1期安倍内閣のとき作られたインドと日本の交流会館です。この会館で、日本人の事務担当の方から私たち一行はお茶をご馳走になりました。応接間で、3月の開館式には安倍総理もおみえになったこと、この会館のいきさつをお聞きしながらいただいたお茶は、もちろんチャイです。香り高い紅茶に濃いミルク、甘い甘いチャイでした。

 ニューデリーとは違ってコルカタでは道端にこのチャイの屋台が出ています。ニューデリーも2000年に訪れた時にはこの屋台が見られましたが、町の美化が進められているようです。このチャイの屋台では、土塊で作られた小さな土器でお茶を飲みます。この土器、使い捨てです。屋台の周りには、この小さな器が投げ捨てられています。インドの暑さや時に来るサイクロンの雨でこの土器は土に帰って行きます。長い長い歴史のインドの昔から続く究極のエコだと思った程です。残念な事に主人が決してそんな屋台でチャイを飲む事を許してくれません。いつも車の中から眺めるだけでした。ところが、印日会館でいただいたチャイの容れ物がその土器でした。

 手作りなのか少し形もひねています。熱い熱いチャイでも、この土器なら唇に熱さを感じません。会館の方に尋ねると、やはり一度きりで捨ててしまうとの事です。そこで、この私、記念に持ち帰りたいと言いました。どうぞと仰ってくださいます。主人と私が2杯いただいた分、3個をバックに入れました。

 全ての旅程をすませ、バンコク経由で香港に戻ります。この3個の5センチにも充たない土塊で出来た茶器、タージマハルホテルのトイレットペーパーにしっかりとくるまれて、私のトランクへ。

 夜遅く、香港の自宅に着きました。二人の荷物からは、洗濯機3回分の洗濯物と出て来たのはこの3個の土器でした。欠けもヒビも入らず無事にやって来ました。末席の私が、やれ、アユールベーダの石鹸がとか紅茶の葉っぱがとか、お土産を買っている間もない旅でした。つまり、コルカタからの土産はこの3個の土塊で出来た茶器だけです。

  旅先でも、時差に関係なく朝早く目が覚めます。コルカタの朝日です。薄く霞むベンガル地方の朝の景色を見ると、心が落ち着きます。この写真と3個の茶器が私のコルカタの土産です。

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むかご

2014年11月23日 05時06分07秒 | 日々のこと

曇り、21度、81%

 「むかご」をいただきました。「むかご」ってなんだろう?実家の庭に「むかご」が付いたツタがありました。きっとイモ系のツタです。そのツタに、小さな丸いジャガイモを極々小さくしたような丸い粒が付きます。これが「むかご」です。母が塩茹でしたのを食べました。ねっとりとまるで里芋のミニでした。これは高校の頃の記憶です。何処に「むかご」があったかは覚えていますが、高校を出ると家を出てしまった私は、その後の「むかご」の事は知りません。以来、「むかご」なんて言葉も忘れかけていた程です。

 香港の市場に出かけると、こんなものを食べるのと訝るようなものまで、売られています。トウモロコシの先っぽのひげ、バナナの赤い花、こちらの方は医食同源です。聞けば色々薬効を教えてくれます。甘露子(チョロギ)といわれる時折おせちにも入っている虫のような恰好をしたシソ科の根っこだって、売られています。でも、一度も「むかご」だけは見たことがありません。山芋は売られているのですがね。

 日本からやって来た「むかご」、さて、どうやって食べましょう。やっぱり、「むかごご飯」にしてみました。 昆布をしいただけ、ちょっぴり淡口醬油で味を漬けたご飯です。歯触りの違いが、面白い、プチピプチと歯にあたります。

 おそらく「むかご」を食べた事のない主人には、むかごの含め煮を作りました。さっと茹でて、お酒とみりんと薄口醤油で煮ずに、そのまま味を染ませます。 モモさんもお口にちょうどの大きさです。フンガフンガいいながら食べました。

 「むかご」の取れる季節が、秋だとはこれまたすっかり忘れています。

 春になると野辺に出る山菜を摘んで食べる、日本人の季節を大事にする気持ちを思うと同時に、その実、昔は食べ物がなかったから、小さな芽やこんなむかごのようなものまで食べたのではないかしらと思うこともあります。

 美味しいものが溢れている今の世の中、むかごを食べても美味しいとは思わないかもしれません。小さな小さな里芋のような「むかご」に、日本の昔の食卓を思います。おごちそうさま。

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JHUMPA LAHIRI 'THE LOWLAND' 「低地」

2014年11月22日 05時35分03秒 | 

晴れ、21度、87%

 我家は地元の英字新聞と読売新聞を取っています。読売新聞は、日本のそのままの新聞が早朝に届きます。ほんとに便利になりました。読売新聞の日曜版は、本の書評が載っています。好きな評者の記事には目を通します。先月中旬の日曜日、石田千さんがジュンパラヒリの「低地」について書いていました。ジュンパラヒリ、まだ知らない作家です。短い書評ですが、興味がわきました。日本で翻訳本が出ているという事は、英語版では新刊ではありません。次の月曜日朝一番で本屋に向かいました。

 本屋に出向く前に、ジュンパラヒリの本を検索すると、この「低地」も含めて四冊の著書があります。本屋の’L’の棚にはラヒリの本は、'INTERPRETER OF MALADIES','THE NAMESAKE'の2冊しかありません。レジに2冊を持って行き、ついでに最新刊の'THE LOWLAND'を注文しました。

 ラヒリの処女作、‘INTERPRETER OF MARADEIES'「停電の夜に」から読み始めました。邦題の「停電の夜に」、そういえば数年前本屋の店先に山積みされていました。題名が変わっているので記憶にあります。まずは、この処女作から読み始めました。短編集です。ピューリッアー賞を取った、表題にもなっている話より、最後の‘THE THIRD AND FINAL CONTINENT'に唸ります。

 ラヒリはインドベンガル地方出身の両親に生まれ、アメリカで育った2世です。話のほとんどは、こうしたアメリカにいるインドの1世2世の事を扱っています。

 2冊目の'THE NAMESAKE'「その名にちなんで」もアメリカに住むインド2世の話です。これは映画化もされていて、今やハリウッドのインド人俳優といえば必ず出て来る、「ライフ オブ パイ」「スラムドックミリオネイア」のイルフォン カーンが出ています。残念な事にまだ見ていません。この本を読み終える前に注文していた'THE LOWLAND'が届きました。おかげで、 このひと月この3冊の本にかかり切りでした。

 「低地」やはりインドベンガル地方、コルカタの湿地帯を舞台にした、実際の歴史的な事件を元に書かれたある家族の話です。ここでも話は、アメリカとインドにまたがっています。アメリカに渡った兄とインドに残った弟、そして歴史的な事件で亡くなる弟を巡る家族関係と兄とのかかわり合い、見事な話のプロットでした。

 様々な英語の書評にも書かれていますが、ラヒリの英語は簡潔ですっと胸の入って来ます。それでいて、余韻のある英語だと思います。私は、インドコルカタも旅したことがあるせいか、町の情景までもが身近に感じられます。ラヒリの話はどれも、読み終えた後に深く胸に落ちるものがあります。きっとそれは国にも歴史があり、家族にも歴史がある、そんな事をさらっと教えてくれているからのようです。

 今、ラヒリの3冊目の’UNCCUSTOMED EARTH'「見知らぬ場所」を注文して待っているところです。

 ラヒリの四冊の本は、全て翻訳物が出ています。本屋で見かけたら手に取ってみてください。

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白菜漬け

2014年11月21日 05時38分02秒 | 日々のこと

晴れ、20度、82%

 香港、少し気温が下がりました。それ以上に嬉しいのが、湿度が低くなりました。こうなると、白菜を漬けたくなります。お漬け物にほとんど興味がない私ですが、白菜だけは、20代の時から漬けています。ここ10年程は、その浅漬けで簡単にキムチを作ります。作っても、食べるのは私だけです。それがこの夏頃から主人がキムチキムチとおっしゃいます。香港にある韓国食材を扱う店で買うキムチは、おいしいを通り越して、時には驚きがあります。キムチの中の干し栗やタコです。キムチ作りは、きっと奥深いものがあるといつも思います。

 香港の白菜は、日本の白菜と同じ物から、やや長めの天津津白と呼ばれる旧正月に欠かせないもの、はては、炒めものの代表格、  白菜仔。これはこのまま炒めて食べます。今から甘みがぐっと増して来ます。この白菜仔を干したもので作るスープは、これまた家庭の味です。

 白菜を必ず半日は干して漬け込みます。 だから、晴れた乾燥した日を待っています。見出し写真、この白菜を干す光景、香港人や西欧人が見たらなんだと思うでしょうね。台所横の物干の上に拡げています。ポトンなんて落ちれば下はプールです。干上がると、 やや少なめの塩と昆布にだしじゃこで漬けます。唐辛子を入れなかったのは、キムチを作るつもりだからです。

 漬物石は、流石に香港に来るとき捨ててしまいました。そこで、 重い鉄鍋をのせて漬けます。2日程で水が上がり始めますが、水が上がり始めると白菜のバランスが水平で無くなるようで、一度、夜中にお鍋が全部倒れていました。ものすごい音で飛び起きました。以来、水が上がり始めたら、バランスに気を付けています。

 主人が、浅漬けも食べたいと言うので、 キムチと白菜漬けに分けました。キムチは簡単に「キムチの素」を使っています。色々工夫してみましたが、これと思う味が作れません。2、3年前、香港でキムチ鍋が流行しました。日本人の間での事です。その時は何処の日系のスーパーに行っても、「キムチの素」は売り切れでした。

 私のキムチの食べ方は、ご飯と一緒になんていうものではありません。おやつ代わりにお茶請けです。この冬は何個白菜を漬けるかな、冷蔵庫を開けると、ちょっと匂うのが玉に傷です。

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