チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

目覚まし、鳴ってますか?

2014年05月31日 05時07分05秒 | 日々のこと

晴れ、28度、84%

 最近、目覚まし時計のけたたましい音を、近隣の家から聞くことが少なくなりました。時計自体のトーンも変わったのでしょうが、携帯のアラーム機能を使う人も増えたのかもしれません。

 我が家、普通の目覚まし時計が3つ、主人と私の携帯もありますが、そのどれもがこの10数年、朝鳴ることがありません。血圧が低く朝起きるのは苦手と思い続け、人にも言い続けて来た私ですが、早起きになったきっかけは、息子の誕生ですからかれこれ35年前。当時は、今のように紙おむつが普及していませんでした。おむつを洗って干すという、一大家事が一日の初まりです。起きると、まず、空模様を確かめて仕事にかかります。起きるのは、段々トーンなどといわれた目覚ましが起こしてくれました。

 おむつが終わると、幼稚園からお弁当作りがありました。炊飯器を持たなかったので、起きてご飯をガスで炊きます。夏場はしっかりと冷まさなくてはいけないと思い、早く起きてご飯を火にかけます。香港に来てからは、小学でもお弁当を持たせました。炊飯器を買って持って来たのですが、タイマー機能がついていませんでした。これまた、炊飯器のスイッチを入れるために早起きです。

 息子は高校から日本に帰りました。やれやれ、早起きはこれで終わりと思っていたら、なんと体が早起き型に変わっています。それに、早く起きると午前中にほとんどの家事が終わります。私の家庭教師の仕事は午後3時頃からスタートでしたので、家事が午前中に終わることは、大事な決まり事でした。でも、リンリンとなる目覚ましに起こされていました。

 私が目覚まし時計が鳴る前に起きるようになったのは、10数年前。まだ、主人と同じ部屋で寝ていた頃からです。主人はといえば、夜遅くまでの接待も一番多い頃でした。私が起きる頃ご帰宅もしばしばでした。目覚ましが鳴ると、隣で寝ている主人は深い眠りでも、音に反応して眠りが浅くなるようです。そう思うようになった頃から、主人を起こすまいと目覚ましが鳴る前にスイッチを切るようになりました。そのうち目覚ましをセットしなくても、いつもの時間に目が覚めます。体内時計の機能が働いているようです。どんなに夜遅く寝ても、時差のある場所に行っても、体内時計が機能して早起きです。

 モモが我が家にやって来て、一度目覚ましを掛けたことがあります。主人を早朝にゴルフに送り出すためでした。今でも、あの時のモモの反応が忘れられません。心臓が早打ちするほど、びっくりして飛び起きたモモです。耳元で、急に音が鳴るのですから当然です。目覚まし時計の音は、心臓に良くないとつくづく思います。以来、我が家の目覚ましは、一切鳴りません。

 昨夜は、30年近く会わなかった友人との夕食でした。随分遅く寝たものの、いつもの時間には目が覚めます。

 永いことお世話になって来た目覚まし時計です。出来たらこれからも、あの目覚ましの音で目が覚めるような朝を迎えなくていいようにと思います。若いうちはいいのですが、静かに体が目醒める、そんな朝を迎えたいと思います。

 

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月兎印のバット

2014年05月30日 04時44分04秒 | 身の回りのもの

小雨、28度、86%

 日本の琺瑯、野田琺瑯のポットや月兎印のコーヒーケトル、色とりどりで人気があるようです。北欧の琺瑯やフランスの琺瑯とはまた違った、日本人向きの形も、大きさも使い勝手の良い琺瑯です。お鍋だって、LE CREUSETのような鋳物ではないので、持ち重みがありません。

 高校を出て家を離れて、最初に買ったケトルは月兎印の真っ赤なコーヒーケトルでした。今の山田耕民さんがデザインされるひとつ前のケトルです。今のケトルもスリムですが、そのケトルは注ぎ口がやや鶴首になっていてコーヒーケトルの原型のような形でした。私が、それを選んだのは形ではなく、色でした。真っ赤なホーロー。今でこそ、色とりどりのホーローケトルがありますが、当時は赤いケトルなんて珍しかったものです。40年近く前のことです。

 家庭を持ってバットを買ったのは、ケトルを買って数年後、赤い縁取りが気に入って買ったバットです。そして、それも月兎印の琺瑯でした。 確か一番大きなサイズを求めました。豚カツを作るときパン粉をはたくにも、揚げたての天ぷらの油を切るにもやや大きめのサイズです。タッパなどを代用して、このバット一枚で、この30数年の主婦生活を過ごしてきました。最近、和菓子を作りに興味があります。和菓子を作る時は、成形の段階で小ぶりなバットが数枚必要です。さて、新しく買おうと探してみると、月兎印のバットの縁の色が焦茶色に変わっています。それはそれで、いい色なんですが、私が欲しいのは、縁の赤。今の台所は昔の台所と違って、色が溢れています。プラスチック製品、カラフルなキッチンタオル、そんな台所では、その焦げ茶の縁のバットやボールはシックに見えて素敵でしょう。でも、私が欲しいのは赤い縁のバット。

 困りましたねえ。欲しいもののイメージがしっかりとあるときは妥協がありません。復刻版を作ってくれないかしら?などと思いつつ、バットの裏の兎のマークを眺めます。最近の月兎印のマークは、兎までもロゴまでもが大きくなっています。

 最近、夢にまで見る赤い縁のバットです。

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金のメッシュの靴 PRADA

2014年05月29日 05時41分45秒 | 身の回りのもの

晴れ、28度、84%

 我が家から歩いて15分のところに、2カ所も大きなショッピングモールがあります。香港中、今やショッピングモールだらけですが、我が家に近いこの2カ所、どちらも、ハイエンドな一流ブランドがぎっしりと入っています。おかげで、ファッション雑誌など見ずとも、この2カ所をぐるりと廻るだけで、そのシーズンの流行が分かります。レース遣いの服や明るいレモンイエローがこの夏の主流のようです。こうした一流ブランドの物も所変われば品変わるで、日本のお店に並ぶ物、香港のお店に並ぶ物、全てが同じではありません。日本人向け、今の香港なら中国人向け、バイヤーたちの好みも加わります。

 服装の移り変わり、めまぐるしいほどにその年その年の物が打ち出され、若い方や流行に敏感な人はうまくその浪に乗ってサーフィンをしているようです。流石にこの年齢になると、自分に似合わない物は着たくはありません。冒険心などという前に、毎日見て来た自分です。背の低い小さな私が裾広がりのパンツなど履けたものではありません。それでも、新しい物を見る、手にとってみる、これは身につける云々の前に、精神的なリフレッシュになります。

 年が明けると並び始める春夏ものです。この夏の靴で気になっていたのが、BottegeVenetaのメッシュの靴。Bottegeのものだから革だと思われるでしょうが、なんとラフィアで編まれています。つま先は革ですが、あとラフィアです。形はバレーシューズ。メッシュの靴の持つ私のイメージは、年配の方の靴です。ところがカチッとしたメッシュでなければ、とてもラフに見えます。

 金色のバックベルトの少しヒールが着いたメッシュの靴は、Dolce&Gabbanaで見ました.DGの服にぴったりな女性的な柔らかなメッシュの靴です。色白なほっそりした人がトロリとしたワンピースに履くと素敵だろうなあ、と想像します。

 実は、4年ほど前に買ったままほとんど履かない金のメッシュの靴があります。 金の靴と言うと派手に聞こえますが、素足に履くと意外に目立たないものです。ところが柔らかなメッシュの靴は、雨に当たると伸びてしまいます。それでなくても湿度や汗で傷みがはやく出ます。だからしまい込んでいたのではありません。買ったものの、何となく気持ちが靴に馴染まなかったのです。服も買ってもすぐに着ないものがあります。ちょっと?と思う時です。それでもたいていは、次のシーズンになると大活躍をしてくれる物たちです。服や靴と私、お互いが気持ちが寄り添うまでに、時間がかかるケースです。このPRADAの金のメッシュの靴もやっと今年になって、ピッタリと馴染んで来てくれました。

 ほかの靴のように10年以上も持たせるのは無理かもしれません。柔らかですから、シューツリーも入れていません。雨が降りそうな時は、決して履きません。今日は一日晴天です。

 柔らかなメッシュの靴をお買いになる時は、ハーフ、もしくはワンサイズ小さめを買われることをお勧めします。

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カメケーキ

2014年05月28日 05時37分03秒 | 菓子

晴れ、27度、81%

 先日、このブログに「手書きのレシピ」の話を書きました。そしたら、20数年前は一週間に一度は会っていた友人から、「カメケーキ」のことが書き送られてきました。確か、2年前「グルグルケーキ」としてこのブログで紹介したケーキです。そうです、20年前は、このケーキ、「カメケーキ」と呼ばれていたのです。すっかり忘れていました。この香港で、人が集まるといえば、みんなで食べ物を持ち寄りました。何分にも、この「カメケーキ」、持ち運びが便利です。 口径が15センチの小さなボールに入れて運びます。蓄冷剤を一杯に入れたコールマンの小さな冷蔵ボックスで充分です。一体、幾つ作ったでしょう?お皿をボールにかぶせて、ひっくり返します。 ご覧の通り、亀の甲らのようなケーキです。このケーキ、30年以上前、東京代官山のヨックモックのティールームで出されていたケーキです。名前は、エピナール。この緑は何?と皆さんお聞きになります。抹茶?ピスタッチオ?いえ、名前の通り、ほうれん草です。持ち運び便利、見た目がきれいで、当時、ほうれん草は冬野菜でしたので、冬の期間限定のお菓子です。久しぶりに「カメケーキ」として登場します。

  切り分けると、中はほうれん草のムースとサバイヨンクリームのムースが交互に入っています。見た目はもちろん、お味もほんのりと優しい味がします。ほうれん草の緑臭さは、ミルクと一緒にジュースにすることで飛んでしまいます。

 彼女たちとこのケーキを食べた頃を思い出します。みんなみんな、香港からいなくなりました。けど、こうして私が作ったケーキを覚えてくれています。

 実は先週もう一つ、私の古いケーキを覚えてくれていた人がいました。ブタベストに住む友人の2人のお嬢さんは、この5月に誕生日を迎えます。2人のお嬢さんのためにチーズケーキをベースにイチゴを飾ったケーキが、FBにアップされていました。きれいな赤と白のコントラストのケーキ、お祝いの言葉を贈りました。そのお返事に、37年前の私が作ったイチゴのババロアが、ケーキ作りのきっかけだと書かれていました。

 今は香港を離れた友人、遠く東欧に住む友人、こうして私が作ったお菓子を覚えていてくれます。なんと幸せな私でしょうか。残念なことに、主人はほとんど私が作るお菓子もパンも召し上がりません。つまり、ただひたすら食いしん坊の私のために作り続けてきました。それでもここ10年は、オーブンの開け閉めの音にもミキサーの音にも耳をそばだてている、 はい、ケーキの奥にいる方が一緒に楽しみにしてくれています。

  一切れ切ったケーキを少しあげたあとのモモさんです。

 友人たちの思いに励まされ、さあ、今日は何を作りましょうかね?モモさん。

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Beautiful!

2014年05月27日 05時42分37秒 | もも

晴れ、28度、88%

 先週3日続けて、Beautiful!と言われました。そして、写真を撮ってもいいですか?とも尋ねられました。私ではありません。見出し写真の方がその当事者です。私自分に言われたお世辞は、鵜呑みにして喜ぶタイプですが、この方が、Beautiful!と言われますと、首を傾げます。

 英語が母国語の方の仰るBeautifulは、私たち日本人が捉えている意味よりもっと広義です。そうは知っていても、Beautifulと聞けば、日本人の私は、うつくしいと思ってしまいます。この方には申し訳ないのですが、うつくしい?と思う私です。実はこの方、モモさんはほんの4年ほど前までは、Gougeous!と褒められていました。今より体重が2キロほど多かった頃のことです。GougerousもBeautiful同様、日本人がイメージする意味合いとは若干違うようです。まあ、どちらを言われても、当のご本人、一向に気に掛けません。香港人には、肥仔(フェイチャイ)と呼ばれることもあります。 日本語のブタとは違い、この肥仔(オデブちゃん)には親しみと豊かさが込められた言葉です。

 先日は観光客と思われる可愛い女性が写真を撮りたいと、おっしゃいます。実は最低でも週に一回は、どなたかが写真を撮ってくださいます。このお嬢さん、写真を一緒に撮りたい、つまりツーショットをお望みでした。 もちろん、ご要望を叶えてあげましたが、当のモモさん、いささかウンザリ気味でした。

 こう書きますと、モモさん、いかにも愛想のいいように思われますが、超が付く無愛想者です。他所の方に、滅多にシッポなんてお振りになりません。名前を呼ばれても、素知らぬ顔。

 そういえば以前、日本人のお兄さんがたが写真を撮りたいと英語で尋ねてくださいました。私が「いいですよ。」って、日本語でお返事したら、それはそれはびっくりしています。きっと、日本人には見えなかったのでしょうね、私は。

 香港島セントラルから山向きに向かう、ヒルサイドエスカレターの一番上の辺を、夕方の6時頃、ウロウロとお散歩しています。この顔のパグさんを見かけた方は、お気軽にお声をかけてやってください。

 

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元気の素

2014年05月26日 05時41分27秒 | 日々のこと

晴れ、27度、89%

 3月に57歳の誕生日を迎えたとき、沢山の方から「お元気なようで」とか「相変わらずお元気で」とか、お言葉をいただきました。よくお会いする方ならまだしも、しばらく会っていない方からもです。確かに元気です。でも、ほんとに元気だと知っているのは主人だけ、病院に行くのは年に一度、健康診断の時だけ、寝込むことも鼻水、咳ひとつしません。よくご存じないのに、皆さん「お元気ですね。」とおしゃって下さいます。

 3日前、本を取りに本屋へ行きました。月に一度だけ行く本屋です。レジのおねえさん、いつも、「ご飯食べた?」と聞きます。広東語では、「ご飯食べた?」は挨拶でもありますから、いつも、「うん、」としか答えません。それが、先日は、「運動した?」と尋ねます。確かにほぼ毎朝走ります。ところがその日は朝は大雨で走っていません。このおねえさん何故こんなこと聞くのかと、初めて、「どうして?」と尋ねました。そしたら、「いつも元気だから。」とのお返事です。月に一度しか会わない、二周りも下かと思われる香港人のおねえさんにまで、元気だと言われる始末です。

 元気だと言われて悪い気はしませんが、ちょっと考えてしまいました。最近、量が少し減りましたがよく食べます。ワインも減らしましたがよく飲みます。よく飲むおかげで朝までコトンと眠ります。起きると、元気よく走りに出かけます。仕事を辞めて一年半、受験生を送り出す毎年の重圧もなくなりました。強いていえば、主人の血圧をあげないように、と気遣うことぐらいです。去年から今年に掛けて、ひと月に一度は日本に帰ります。用事を片付けて香港に戻っても、一晩寝ると、元通り。はて、「元気の素」は何かしら?

 やっと、夏空が戻って来た香港、朝は走ることから始まります。走っている間は、いろんな考え事がまとまる時間でもあります。いつもの顔ぶれとおはようの言葉を交わします。英語だったり広東語だったり。このおはようという言葉を交わすと、急に私の中に小さな変化が起こります。もし、パワーレベルのメーターがあれば、おはようと言う度に、そのメーターがひとつ上がります。一人名付けて、「チョウサンパワー」。チョウサンとは、広東語でおはようです。会う人ごとに、この「チョウサンパワー」をいただいて、走っています。つい先程、この「チョウサンパワー」は威力があるなと思って走っている時、はたと、私の「元気の素」に気づきました。

 「元気の素」、それは「チョウサンパワー」ではありません。私に、お元気ですね、と言葉をかけてくださる、その言葉です。皆さんが、元気ですね、相変わらず元気ね、と言ってくださったその言葉が、きっと私の中に沢山蓄えられて来たのが、私の「元気の素」だと気付きました。つい、さっきのことです。皆さんありがとう。随分とたくさんこの「元気の素」が貯金されています。

 今から、少しずつですが、この「元気の素」貯金を、皆さんにお返しできたらと思っています。

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草餅

2014年05月25日 05時07分52秒 | 菓子

曇、28度、85%

 桜餅、柏餅、草餅、上用の和菓子とは違うけど、急に食べたくなります。お饅頭屋さんの和菓子。そして、食べたいなあと思う時に思い浮かべているのはその味ではありません。なんと桜餅の桜の葉っぱ、柏餅の柏の葉っぱ、草餅のヨモギの香りです。食べると言うことは、嗅覚に密接につながっていることを感じます。匂いに誘われて、思い出すのも食べ物の記憶です。

 昨春、草餅が食べたくなりました。香港で手に入れた乾燥ヨモギは、日本のスーパーでも一番見かけるものでした。蒸し上げた餅の生地に戻したヨモギをしっかりと混ぜます。見た目は草餅でした。ところが、まだ暖かな餅の生地にヨモギを混ぜている時から、ヨモギが香らないことが気になっていました。口に含んでも、ヨモギは香りません。とてもがっかりしました。その乾燥ヨモギの袋の裏書きには中国産と書かれています。

 野菜がおいしい、美味しくない、そのものの香りがするしない、これはきっと、その野菜、植物が生えている土地の土と水に関係するのかもしれません。

 日本にいた頃は、まだ寒さの残る多摩川の土手でヨモギを摘みました。摘み草は不思議なもので、見える人と見えない人がいます。あのツクシですら、足元にあるのが見えない人がいます。ヨモギの緑が浅い先の方を摘むと、爪にも緑が滲んでいい香りです。この香りを菓子に使おうと思った人は、なんて素敵な感性の持ち主かしらとまで思います。もしかしたらよもぎの薬効を知っていたのかもしれません。摘んだヨモギは灰汁抜きをして、冷凍庫に保存しておきました。これでいつでも草餅が作れます。

 先日、日本に帰ったとき、富澤商店で日本の乾燥ヨモギを見つけました。 青森産と書かれています。大事に持ち帰ってきました。袋にはヨモギを戻した汁も使ってくださいと書かれています。熱湯で戻すので、いい香りは戻し汁に移ってしまいます。書かれている通り、上新粉を捏ねるのに戻した汁を使います。ヨモギは蒸し上げてから混ぜてみました。いい香りです。

 思ったより、濃い緑になりました。それでも、大満足。香りを大切にする日本に生まれて、ほんとに良かった。

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90歳の義父

2014年05月24日 05時57分24秒 | 日々のこと

曇、25度、94%

 主人の父は、この九月で91歳になります。私にとっては舅と嫁の間柄、同居でもしていない限りは、どちらかというと距離のある関係ではないでしょうか。ましてや、私たちは近くに住んだことすらありません。若い頃は年に数回、最近は2月に一度は顔を合わせます。

 90を越していますから、それ相応に、物忘れも多くなってきました。以前から耳が遠かったので、会話が成り立たないこともあります。足が弱って来ましたが、それでも、身の回りのことは自分でします。私が「ただいま」といってリビングのドアを開けると、いつも決まった場所に座っています。そこは、ずっとずっと昔から義父の場所です。「よく来たねえ。」色の白い義父がめがね越しに笑ってくれます。そして必ず主人の様子を尋ねます。気になるのは息子のことです。息子といったって、もう60近いのに、いつまで経っても息子です。

 義父は、北原白秋の町、柳川の出身です。お酒が好き、お魚が好き、よく食べる人でした。近頃は、食が進みません。無理強いすることもありません、好きなものを少しでもと思います。そこで、私はケーキを運びます。「あとで、食べてね。」と冷蔵庫に入れようとすると、ニッと笑って、指をひとつ立てます。ひとつ頂戴の意味です。好きなものを食べる時は、どんな人もいい顔です。義父がケーキを食べる時の顔を見ると私まで嬉しくなります。みんながまだ若かった頃は、私たち家族が行くと、それはそれは信じられないほどの海老、蝦蛄、蟹が振舞われました。ところが、食べるのは好きなのに、殻を剥くのが苦手な私のために、義父はいつもセッセと殻を剥いてくれます。義父だって大好物の蟹や蝦蛄です。義父がお皿に載せてくれるのを私は黙々と食べました。

 先日、朝早く主人の実家に行きました。父はいつもの椅子に座ったばかり、私の姿を見ると、あれこれと用事を言いつけてくれます。小さな用事です。これして、あれしてと言われると、私は内心嬉しく思います。「ズボン持って来て。」と義父。義母に場所を聞いて義父の椅子のところに持って行きました。ところが、立って履こうとしないのです。「履かせようか?」と聞くと、頷きます。屈んで、ズボンの裾を繰り上げて片足片足入れてやります。細い細い足首です。思わず涙がこぼれました。腰を少し浮かせて、ズボンを履き終えました。ずいぶん軽くなった体です。

 この家に嫁いで来た37年前、義父にズボンを履かせる日が来るとは思ってもいませんでした。俳句が好きで、沢山の賞をいただいた義父です。句集をと言う話もあったのに、もう元気がありません。側にいれば、句集を作る手伝いも出来るだろうにと思います。私が今日は香港に帰るからと言うと、いつもの椅子に座ったまま、小さく手を挙げて見送ってくれます。そして、必ず、主人によろしく伝えてくれと、やはり息子のことを気遣います。この息子、私の主人です。

 今頃、義父はいつもの椅子に座って庭を眺めながら、新聞を読んでいるはずです。私の両親が他界した今、私が福岡に戻る一番の楽しみは、この義父、義母の顔を見ることです。「ただいま。」の私の声に二人して笑顔で迎えてくれます。

 

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今日も漂白します。

2014年05月23日 04時40分09秒 | 日々のこと

雨、27度、86%、雷注意報

 香港、ここ3週間以上雨が降らない日がありません。しかも、間違いなく気温も上昇しています。不快指数を測ることが出来れば、一年のうちの大半が不快を感じる湿度でしょう。真夏の気温は、近年、日本の方が高い日があるのですが、最低気温と最高気温の差が2度ほどしか違わない香港、体が休まる暇がありません。空気が抜けない空間、空調が効いていない部屋、何処からともなくじめっとした嫌な匂いが立ち上ってきます。家の中は手っ取り早く気温を下げる、つまりクーラーを付けておけばいいのですが、それでも、革製品、鞄にベルトに靴などは油断するとカビが浮いてきます。小物ならまだしも、壁紙がカビのためにはがれるという現象まで出る始末です。我が家のペンキ塗りの壁ですら角角がやや黒っぽくなっています。洗濯物だって、除湿器の上で乾かすか乾燥機を使っての乾燥です。ちゃんと乾いていると思って、アイロンをかけてタンスに入れていても、なんだか匂いがあるように思います。湿度が70%を切ってくれるといいのですが、我が家は除湿器とクーラーの2段構えでこの時期を乗り切ります。

 塩素系の漂白液の匂いが、街角や公の場所で匂うことがあります。あの、昔のプールの匂いです。塩素系の漂白液を薄めて、床を拭く、ダクトやパイプに流し込み中の雑菌を殺菌する、香港人が、11年前のサーズのとき以来覚えた除菌方法です。

 2003年、中国で端を発したにもかかわらず、死者の数はここ香港が一番多くなってしまった、サーズ。渡航禁止令が出たほどです。私が香港に来て以来初めて、観光客のいない住民だけの街となりました。でも、町中を歩く人は皆マスクをしています。異様な雰囲気でした。レストランなどの人の集まるところには行かないようにと、ワーニングも出ます。海外から仕事で在住している人も家族を連れて帰国しました。そして、テレビでは、繰り返し塩素系漂白液の薄めたものを使って、殺菌をするように政府がお知らせを流していました。一番安上がりで、確実な方法です。街のスーパーからは一斉に漂白液の姿は消えました。中国の工場が日夜を通しての製造でも追い付かないほどの消費量でした。

 昔から漂白をするのが好きです。シミや黄ばみ、黒ずみをとってくれます。白いものを真っ白で使うのは、気持ちがいいものです。最近では色物であっても、塩素系漂白液の稀釈を考えて匂い消しに使っています。繊維の中まで染み付いた臭いを消してくれます。主人の枕カバーやゴルフで使った服など注意深く匂い抜きです。

 高層の集合住宅が、香港人の家です。この雨続きの天気の中、みんなそれぞれに工夫をして生活していると思います。漂白液を使い切りました。スーパーに行くと、あらら、これまた売り切れです。私ばかりが漂白液の使用量が多いわけではなさそうです。

 昨日、雨が降ったり止んだりの空をベットに寝っころがって見上げていました。薄い雨雲が走って行くその合間には、高い高い青空が見えています。そして、その青空にはあの真っ白な夏雲が見えました。もうすぐ、本格的な夏です。あと数日の我慢です。さあ、今日も漂白しましょう。

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こびとづかんビスケット

2014年05月22日 05時42分56秒 | 日々のこと

曇、28度、81%

 主人が夕方仕事から帰って来ると、その日一日の出来事をのべつまくなく、ペラペラとしゃべり続ける私です。息子が日本に戻って20年が経ちます。このおしゃべりはせめてもの私の主人へのサービスのつもりです。そうしなければ、なんだか暗い家になりそうです。ところが、仕事でお疲れの主人は、大方の男性がそうであるように、私の話なんか聞いていません。時にはうるさく感じることもあるはずです。相手も、手を打ってきます。要するに、私の口を締めさせればいいわけです。そこで、お土産と称して、小さなものをみつけてきます。こちらも慣れたもの、主人が帰宅後、鞄に手を入れると、夕飯の支度の手を止めて、主人の手元を見つめます。もちろん、その気配で主人の足元にはモモさんも侍っています。

 先日、帰宅した主人が鞄から取り出した物は、「こびとづかんビスケット」レトロな感じの絵が付いた小さな箱を出してきました。

 ここ数年、香港には日本のスナックやインスタントラーメンなどを主に扱うお店が沢山出来ています。日本の物大好きな香港人です。スナックは同じ商品でも、季節限定などもあり若い人には大受けです。そして、そんなローカルのお店は、日系のスーパーよりも値段が安いときています。昼休みのオフィス街、そんなお店で物を選んでいる若い香港人を見ていると、何故だか、同じアジア人だなと思います。日本人の私たちにとっては、安く日本の物が手に入るので便利です。

 「こびとづかんビスケット」カバヤから出ている物ですが、こんな物ほんとに日本でも売っているのかな、と思い調べたら、結構人気のアニメだそうです。全く、こういう知識に乏しくて。箱の裏には、 12種類のこびとの図鑑が付いています。けど、中に入っていたビスケットは、 10種類のこびとしかありません。ブツブツ言っていると、あと2箱残っていたからまた買って来てくれるそうです。でも、どうして、「ずかん」でなく「づかん」なのかな?

 このアニメ、中国、マレーシアでも既に上映されているとのこと、日本のアニメの東南アジアへの浸透度はかなりのものです。私たちが香港に来た当初は、ドラえもん、プリンセスプリンプリン、ドラゴンボール、ガンダムまで広東語で流れていました。もちろんそれに付随して、おもちゃも入ってきます。こうしたスナックも売れます。車一台売れるのとはわけが違いますが、日本製品がこうして受け入れられているのはうれしい限りです。

 こうして、主人の計画は成功して、ペラペラしゃべらず、必死でビスケットを並べます。けど、持ち帰ったとき既にこの箱には落書きがしてありました。女の子の襟には私の名前、男の子の襟にはご自分の名前、真ん中にいる「カクレモモジリ」というこびとには、momoと書かれていました。ほんとに仕事してるのかな?

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