チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

黎屋村   香港

2013年10月31日 05時55分36秒 | 香港

曇り、22度、82%

 香港の建造物、近代的なビルに興味がある方も、古い建物に興味がある方も楽しめる街だと思います。高い高いビルに中心部の古い建物はやはりイギリスの影響を強く受けています。ところが一歩田舎に入り込むと、中国様式のしかも南の暖かい地方の建物がポツポツ見られます。田舎に行けば行くほど、土地の開発が進み古い物は取り壊されることもしばしばです。

 まさか香港にこんなに長居するとは思っていませんでしたので、20年ほど前は、フイルムカメラの一眼レフ片手に、そうした田舎屋を撮りに出かけていました。空調も付いていないバスに乗り、舗装もされていない道をガタゴトと出向くわけです。今のようにバイパスもありません、時間もかかりました。香港も結構広いものだと、感じたものです。後一息で中國シンセンに近いところで撮った写真です。 道路からポツンとこの建物が見えました。春先の写真だと思います。この写真を手にとると、この時の空気の美味しかったことが思い出されます。さて、この建物まだあるかしら?そう思うものの、この建物の場所が今ひとつ思い出せません。というのも、香港のバス停に名前がついたのは、ほんのこの10年ほどのことです。車で何度かこの辺りを通ってみるうちに、道沿いに出来た新しい建物の陰に、この古い建物を見つけたときは、思わずニヤッとしました。

 20年前は、この建物だけしかありませんでしたが、周りに小さな家が建て込んでいます。曲がりくねった道が有り、建物に近づけません。遠巻きに見ていると、建物の左奥に、 何やら社のようなものが見えます。昔はこんなもの無かったのに、と思いながら、細い路地伝いに奥へ入ってみました。

  社のように見えた「植桂書室」。何を祀ってあるのかと中に入りました。 神様の像はありませんがたくさんの位牌が飾られています。中は典型的な香港の社で、吹き抜けの2階屋です。 写真を撮っていると、きゅうに声をかけられました。かなり年配のおじいさんですが、きれいな英語を話します。この社は、現在法定古蹟に指定されている建物だそうです。1800代末に建てられて、この地域の学校だったそうです、1990年代初めまで幼稚園として使われていたのが、その後放逐されたままになっていたとのこと。2010年に政府の援助で修復されたそうです。つまり、私が20年前に来たときは、荒れ果てていて目に留まらなかったのかもしれません。今は古蹟として解放され、このおじいさんが管理をしているのだそうです。位牌のことを尋ねると、奥の大きな家を指し、黎家の位牌だと教えてくれました。

 私が目指して来た建物は、黎さん一家の建物でした。 今でも、黎さん一家はこの建物に住んでいるそうです。 建物の横を通る時、窓から階段の手すりが見えました。なんと艶々の木の手すりです。 庭には黒山羊の子供が、バナナの葉っぱを食べています。香港の冬の食生活には黒山羊は欠かせません。お鍋にするのです。心が痛みますが、食文化の違いです。

  これは、書室の屋根の飾りです。この黎家、一体どれくらいの財力を当時持っていたのでしょうか?施された装飾にも、 当時を物語るものがあります。

 現在は20軒ほどの家族がこの村に住んでいるそうです。村の名前は、黎屋村。

 バス停で、帰りのバスを待っていました。目の前には、 来年の旧正月用の桃の木が栽培されています。ブーゲンビリアのピンクの色も、街で見るより遥かに鮮やかです。 バス停の柱に貼られた「探しオウム」のポスター、賞金付きです。舗装された道を向こうから2階建てバスがやって来ました。田舎の足ですから、10分間隔ぐらいで運行しているようです。

 

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環保軒 香港ワンチャイ

2013年10月30日 05時51分53秒 | 香港

曇り、23度、80%

 私が香港に来た当時(1980年代の終わりごろ)、香港で一番高い建物は、ワンチャイのクゥイーンズロードにあるホープウェルセンターでした。今では、香港で10番目にも入らないかもしれません。確かに、今見るとなんともこれが一番高かったのかしら?と訝しく思います。ワンチャイのトラムが通る道からこのクゥイーンズロードにかけては、再開発地域、つまり古い建物を壊して、建替えの作業が進んでいます。老朽化した建物が、建ち並んでいた地区ですから無理からぬこととは思います。市政局は、昔の面影をとどめた建物をなどと謳っていますが、出来てくるのはピカピカの高層ビルばかりです。

 そんな一角の大きなバニアンツリーの下に、こじんまりと佇んでいるのが、環保軒。 私が、初めに見たときはワンチャイ郵便局でした。その後直ぐに、郵便局が閉まると聞き、わざわざ、切手を買いに行った記憶があります。歴史記念建造物の指定を受け、今は環境資源センターとして使われています。この1900年代初めのワンチャイの郵便局は香港最古の郵便局だそうです。小さな建物ですから、ワンチャイの郵便物をさばききれなかったと思います。

 斜面にそって立っていますから、階段を使って入り口に。屋根との境の妻の部分が、独特な形をしています。環保軒ですから鎧戸やフェンスが緑色ですが、昔は黒でもっとシックな建物でした。屋根はスレートがのっているようですが、一年中、木陰になっているこの屋根には、苔が生しています。

 この環保軒の向かい側は、現在再開発の工事中です。向かって左側が、これから開発が始まる地区です。右側にあるホープウェルセンターが、周りの古いビルを買い取って、拡張工事を始めることも決まりました。ワンチャイから金鐘に抜けるこの道沿い、確かにしゃれたレストラン、ブティックが店をオープンしています。昔のこの通りをご存知の方は変わり様に驚かれると思います。ところが、この街を歩いてみると、どんなに素敵なお店が出来ようとも、やっぱりワンチャイね、って思われることでしょう。

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しめさばのサワークリーム和え

2013年10月29日 05時51分07秒 | 料理

晴れ、22度、83%

 ベットで新聞を読んでいた主人が、これを作ってくれ、とおっしゃいます。何何?しめさばは普通わさびと醤油で食べるもの、ちょっと目先の変わった食べ方が紹介されています。ざっと読むとしめさばを買って来て和えるだけでいいようです。こんな簡単な料理はありません。

 しめさば、はここ香港でも随分以前から日系のスーパーに行けば必ず手に入るものです。ピタットした真空パックに入っています。お値段もさして高くはありません。見つけたしめさば、 「とろしめさば」と書かれています。身も厚くこれなら食べ応えがありそうです。お値段も普通のものの倍近くします。塩で締め、酢で締めるしめさば、作ると解りますが、生のときよりやや小さくなります。この大きさのしめさばなら、きっとかなり大きなサバだったに違いありません。香港でも生のサバはありますが、脂が抜けてパサパサです、春先にでる小サバだけは、風味もよく南蛮漬けでいただきます。日本の魚やさんの店先に並んだ大きなサバは、私の目には、宝石よりも魅力的です。

 サワークリーム和えは、サワークリームに生クリーム、マヨネーズ、レモンとディルで臭みを消し和えるだけです。香港のサワークリームはややかため、和え易いようにクリームやマヨネーズでのばします。新聞には、普通のしめさばで、大さじ2杯のサワークリームと書かれていましたが、この辺りはサバの大きさ、好みで加減します。レモンをまぶしたしめさばの削ぎ切りを和えて、ディルを飾れば出来上がり。ディルはニュージーランドのものを買ってきましたが、香りが薄すぎました。 まあ、彩りで。

 新聞にはクラッカーにのせても美味しいとありますが、いえいえ、これはキリリと冷やした白ワインが一番合うかと思います。

 サワークリームは、我が家ではそんなに頻度の高い食品ではありません。ついつい、冷蔵庫の奥に忘れがちです。ディルも野菜の底に埋もれがち、そこで、翌日にはマッシュポテトを作って、微塵のディルとサワークリームで和えました。折角買った物ですから、主婦根性は使い切ります。

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萬行寺のとら ありがとう

2013年10月28日 05時22分21秒 | 

晴れ、21度、78%

 昨朝のことでした。いつものように走って帰って来て、ブログを更新しようと開けたところコメントが入っています。「ありがとうございました」、とあります。コメントが入っていた記事は、以前に書いた「萬行寺のとら」です。あら?どなたからかしら?お名前に心当たりはありませんが、お寺の方からでした。「とら」が今月の14日に亡くなったと書かれていました。

 萬行寺、福岡の鎮守櫛田神社の向かいにある、浄土真宗の私の実家の菩提寺です。小さいときから、お彼岸、お盆と両親に連れられて通ったお寺です。新しく納骨堂が出来たり、付属の幼稚園が出来たりしましたが、本堂はもとより裏に拡がる墓地の様子は、昔と変わりません。そうですね、墓地から見える街の様変わりは、甚だしいです。小さい頃はビルなんてひとつも見えませんでしたが、街の真ん中のこのお寺、今では視界は高いビルに遮られています。

 私が福岡を離れたのは、高校を卒業してからです。それ以来は、帰福すれば、お盆や命日に関係なく墓参りに行きます。そうはいっても一年に一度くらいのものでした。小さい頃、社務所にお寺の管理費を納めに母と一緒に行くと、そこにはいつも猫がいました。ご住職が大の猫好きだと、大人たちの話から聞覚えていました。この寺に、ほぼ2月に一度墓参りに行くようになったのは、母が介護を受けるようになってからです。家に見えるヘルパーさんたちへの労い、施設に入所してからは、細々した雑用を片付けに、香港から福岡へ帰るのが、規則的になりました。かれこれ、5年ほど2月に一度は、墓参りに行っています。

 いつ行っても、本堂の前の石畳に茶色の大きな猫がいました。歩く姿も立派ですが、その大きさで座っていても貫禄充分、お寺の方が、「とら」と名前を教えてくださいました。よそから迷い込んで来た猫だそうです。お寺の門をくぐると、自然と私の目は「とら」を探しています。厚かましくお仕事中のお寺の人に「とら」はどこですか?と尋ねることもあります。不思議なことに、教えていただいたところにぴったりといる「とら」でした。

 お寺の門の脇の社務所横、 「とらとちび」の家です。

 実は、昨日のコメントで、この「ちび」もこの8月に亡くなったと知りました。雄だとばかり思っていた「ちび」は雌でした。「とら」ほどなつっこい猫ではありません、体も、「とら」と比べると小さく見えました。二人が、中で寝てますね。

 「とら」は、本名は「とら吉」だと教えてくださいました。歳は、17か18だと聞いています。私が、「とら」に最後に会ったのは、台風がうまく福岡を逸れてくれた今月の9日です。長患いの後です、待合室のなかに毛布を敷いて、痩せてしまった「とら」は横になっていました。まだ蒸し暑さが残る福岡でした。「とら」の側には、蚊取り線香が付いていました。引き戸を開けると、頭をもたげてくれました。辛くて、側に行くことが出来ませんでした。

 たくさんの人たちに好かれた「とら」です。ありがとう。

 私は、今年に入って3回ブログに「とら」のことを書きました。「萬行寺のとら」で検索すると、初めに3つ並んでいます。こんな私にまで、「とら」の死を知らせてくださったお寺の方に感謝しています。

 イチョウが色付き、銀杏が落ち始めている境内を「とら」が歩いていた姿が、心に残ります。

 

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胡麻をあたる すり鉢

2013年10月27日 06時01分41秒 | 身の回りのもの

晴れ、20度、77%

 ほんの何十年前と違って、日本の台所道具は、種類も数の多さも格段の違いです。そもそも、日本人ほど、各国の料理を自国流に変え、外食ばかりか自宅でも作る国民は少ないのではないかと思います。昔ならご飯を炊くお釜に、みそ汁や総菜を作る鍋がひとつふたつあれば用が足りていたものを、大きな中華鍋、フランスなどの鉄鍋と鍋釜だけでも台所にごった返しています。

 すり鉢、私たちはすぐに胡麻をするすり鉢を思い浮かべます。ところがタイやインドなど香辛料を多く使う国でも、ムッターといって石をくり抜いたすり鉢のようなものがあります。するというより、すり潰すといった感覚で使います。

 台所道具が少なかったその昔から、日本の台所にずっしりと座っていたすり鉢。我が家のすり鉢も、もう35歳です。東京の中原街道、丸子橋に近い荒物屋さんで買いました。荒物屋も今はもう見なくなったお店です。釘だとか庭ボウキ、ジョウロや鍋釜を扱っていました。このすり鉢、見た目は悪いけど働き者です。 胡麻をする、白和えを作る、我が家のような小さい家庭でもこれぐらいの大きさのすり鉢が必要です。

 バーミックスを買った当時は、ごますり機能の付いたスーパーグレンダーで胡麻をすっていたことがありました。はい、あっという間で出来上がります。そのうえ、後片付けもいたって簡単です。すり鉢は、あの溝の間に物を溜めたままでは、次に使う時大変な思いをします。しかも、完全に乾くまでは仕舞えません。でも、あるときバーミックスですった胡麻に香りが少ないことに気付きました。熱がでるので香りが飛んでしまうのでしょうか?

 以来、すり鉢の再度登場です。摺り棒の下でジワリジワリ胡麻がすれて行くのが、手の感触で解ります。 最近は伊賀焼きなどで、和えたものをそのままテーブルに出せる見た目のいいすり鉢も出ています。何度も何度も買いたいなと思いました。でも、我が家のすり鉢、我が家がお金がない頃にやって来ました。元気でまだまだ働いてくれています。お金のない頃に買った物は、決して良いものではありません。それでも、手放すことが出来ずにいます。我が家の歴史と一緒に歩んでくれています。

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フェリートップちゃんとモモさん

2013年10月26日 06時02分02秒 | もも

晴れ、19度、48%

 モモさん夕方の散歩のときも行きたい方向を自分で決めます。大まかに、山向きか下におりてSOHO と呼ばれている繁華街に向かうふた通りです。山向きに向かう道沿いにはイギリス系のインタースクールがあります。イギリス系といっても、地元香港の子供やインドの子供、日本人、韓国人の子供たちも通っています。下校時とモモさんのお散歩が重なると、犬好きな子供たちがモモさんの周りによって来てくれます。触ってもいい?フレンドリー?などと必ず私に許可を求めます。モモさんといえば、こうした間、触られてもつつかれてもじっとされるがままです。

 昨日は、迷った挙げ句にモモさんが向かったのは下向きです。金曜日でもありますから、日も暮れていないのにワイン片手にレストランのバルコーニーで立ち話をする人もたくさんです。表通りとは違い裏通りは、いつもながら散歩の人が行き交います。車も通らない道は犬ばかりか小さな子供の散歩にはうってつけです。ここ香港、犬も子供も大半はヘルパーさんがお散歩をさせます。昨日は、小さな女の子に出会いました。2歳2ヶ月のフェリートップちゃん、青い目で言葉はまだしっかりしていません。

 フェリートップちゃん、モモさんを見るやややかがんで、モモさんのおでこにチュッ。もう一つチュッとしようとしたフリートップちゃんにモモさんがペロッ。どうも、これだけで、お友達関係が成立したようです。すると、フェリートップちゃん私の握っているリーシュを引っ張ります。そして、ウォークとおっしゃいます。わたし?ヘルパーさんが。一緒に歩きたいと言ってるわ、と教えてくれます。ところが一緒にとは、フェリートップちゃんがリーシュを握って歩くことのようでした。いくら車が通らないからとはいえ、モモさんが急に走って怪我でもさせたら大変です。

 モモさん、リーシュを持つ人は主人と私、それに我が家のお手伝いさんの3人以外には許しません。他の人がリーシュをとると、唸ります。なのに、フェリートップちゃんとは、会って数分のうちにご覧の通り。

 遠巻きに、私とヘルパーさんが付き添います。車の通らない道からエスカレーター沿いの階段を、二人は駆け上がります。 フェリートップちゃん、2歳2ヶ月にしては、足も腕の力も立派なものです。階段の上で別れる時、大泣きのフェリートップちゃん、いつもこの時間散歩をしてるから、また会えるよ、と何度も話しました。解ってくれたようです。

 私はモモさんが行くがまま、いつもボーッとした散歩です。でも、散歩には、時には大きな出会いがあります。しかも、モモさんがいてくれたからこその出会いです。オーストラリアに帰ったまんじゅうちゃん一家との出会いもそうしたひとつです。

 散歩をいつまでもしていたい気持ちのいい季節です。きっと、フェリートップちゃんにも会える気がします。

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シール2種

2013年10月25日 05時40分11秒 | 日々のこと

晴れ、22度、46%

 お手紙をくださる方達、皆さん封筒の口に可愛いシールを留めています。時には立体的なシールまであります。不思議なもので、その小さなシールをじっと見ていると、手紙の主の顔が浮かんできます。こんな小さなものですが、ちゃんとその人となりを物語ってくれます。もちろん、手紙を開ける時ははさみを使って、シールを傷めないようにしています。

 書体も人を表すなんていいますが、私は体に似合わず大きな字を書きます。そんな私の書く手紙にしっくりするシールはなかなか見つかりませんでした。主人が買って来てくれたもの、頂き物、溜まる一方です。半分はシールなんて使えないなと諦めていますから、格別探しもしないでいました。でも、日本に帰るとステーショナリーの多さや物の良さでつい立ち寄るのが文具屋さんです。先日の帰国の時、本屋の一角の文房具売り場でふと目に留ったのが、この2つのシールです。 上はマッチ売りの少女、下は椅子と名前がついています。この写真では解りにくいのですが、色がグラーションしていて、一枚のシート24枚のシールが、全て微妙に色が違います。地味な色合いがなんともいえず好もしく思います。マッチ売りの少女はマッチをともしていますが、そのマッチの先だけは真っ赤です。

 使わずに溜め込んでおく手はありません。 早速、使ってみました。紙の質が和紙のような感じです。椅子の方は、上下を逆さにすると女の子のサマードレスにもみえます。今頃になって、あのコーナーにあったこのシール全部買い込んでおけばよかったと、欲張りな後悔をしています。めったに出会えない、私の気持ちにそったシールのような気がします。

 年末にかけて、手紙を書くことが多くなります。ペタペタと、お手元に届くかもしれません。

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台湾からの荷物

2013年10月24日 05時57分55秒 | 日々のこと

晴れ、21度、48%

 昨日の昼前のことです、玄関のチャイムが鳴ります。玄関のチャイムが鳴るのは、郵便屋さんかガスの検針だけです。インタランスでのチェックが厳しく、ビルの中に入るのは容易でありません。頼んでいる荷物は、まだ着くはずが無いから、きっとガスの検針ね、とドアを開けました。そこには、ニューフェイスのポストマン、可愛い箱を持って立っていました。はて?どなたからかな?

 各国の郵便局のポストパック、見るとそれぞれのお国柄が出ていてどこの国からやって来たか解るようになってきました。でも、初めて見るポストパックです。きっと、伝書鳩のハトさんです。台湾からの荷物です。表書きが丁寧な字で書かれています。あっ、彼女からだわ。

 いくつになっても、頂き物があるとはやる心が抑えられません。いそいそと、はさみを持って来て箱を開けました。  ニュージーランドと書かれたトワイニングの紅茶にニュージーランドのバターです。そういえば、一週間ほど前彼女がオークランドの桜の写真をアップしていました。季節外れのご家族旅行かなと思っていたのです。

 私よりずっと若いこの友人は、私のブログに古くからコメントをくださっています。ブログにいただいたコメントに、どうやって返事をすればいいにか迷っていた頃からのお付き合いです。そのうえ、この4月には香港にまでやって見えました。台湾と香港は1時間30分の飛行時間とはいえ、お仕事があるなか時間を割いて、背の高い息子さんと一緒にみえました。小さいときからお父様の仕事上、海外生活が長かったと聞いていました。ご主人は台湾の方です。今回のニュージーランド行きは、その息子さんの学校の下見だったようです。

 不思議なもので、4月のお会いするのが初めてとは思えないほど、永いおつきあいの人に久しぶりに会うような気がしました。少しヨーロッパ系の血が入っている彼女は、穏やかな表情と同じ穏やかな話し方です。それなのに、言うことはきっぱりしてる、不思議な雰囲気を持っています。我が家にいらした彼女は、モモさんはもちろん、家の調度品をよく知ったもののように手に取ってくれました。ブログの写真で見たままだと。ですから、私の好みも充分ご存知です。それにしても、そこの国の名前がついたトワイニングの紅茶は初めて、しかもアールグレーには限定バージョンだと書かれています。

 荷物を開けて、5分も経たないうちに私はこのアールグレーをいただいていました。 紐も外袋も無い普通のティーバックです。ベルガモットは強くなく、その代わりにオレンジが立ち上る香りです。オレンジブロッサム、オレンジピールで香り付けがされています。またしても、行ったことの無い南半球の国を思います。バターはお店のおばさんのお勧めだそうです。

 最近、年下の方からこうしてお心遣いをいただくようになりました。旅先で、私のことを思って選んでくださったものを手に、しみじみとありがたいなと思います。

 今も、ひんやりする空気のなかこのアールグレーを飲んでます。バターはもちろんパンを焼く時に、そして毎朝のオムレツに使いましょう。今度は私が台湾の彼女を尋ねる番です。いつになるか解りませんが、たくさんの香辛料を持って行こうかな、などと思っています。ありがとう。

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最中汁粉

2013年10月23日 05時55分30秒 | 日々のこと

晴れ、21度、56%

 台風が日本の方ばかり目指しているからでしょうか、香港しばらく秋らしい抜けるような空が拡がっています。たとえ気温が30度近くまで上がっても、お昼間のほんの短い時間だけです。日差しがあっても、肌に触る風が夏のまとわりつくような感じではありません。

 朝のひんやりした空気の中を走って帰って来ると、温かな甘いものが欲しくなりました。ココアもいいな?でも、主人が買って来てくれた最中汁粉を食べることにしました。文明堂の最中汁粉です。最中の中には、乾燥した晒あんが入っています。お店によっては、乾燥した求肥が入っているところもあります。小さい頃から、この最中汁粉がお湯に浮かんでいて、汁粉になる様子を見るのは好きでした。あの頃はあんこが嫌いでしたので、見るだけでおしまい。とっても日本的なこの最中汁粉が好きになったのは、香港に来てからのこと。当初、ご実家が京都の友人がいました。彼女が、ご実家からの荷物が届くと、お裾分けしてくださったのが懐中汁粉とも言われる、虎屋の最中汁粉でした。

 店によっては、貝殻の形をしていたり、鼓の形のものもあります。お湯をかけるだけで、最中が破れるものもあるのですが、この文明堂や虎屋の最中汁粉は、割ってお湯をかけないと、 このように浮かんだまま割れてくれません。この後、私はお箸でつついて割りました。京都の末富のものは、白い半月のような形でした。私は、焼き色の付いた最中の方が、香ばしく好きです。しかも最中が、水分を含んでべっとりなるのが嫌なので、香りが立ったらそそくさと口に入れて仕舞います。

 今では、デパートの地下街で年中みられる最中汁粉ですが、以前は、寒い時期だけ売られていたように思います。体が暖まるほどではありませんが、サラッとしたのど越しは、品の良さを感じます。文明堂の最中は手強く、なかなかの厚みでした。

 もう、ひとつ残っています。もっと寒くなるまでお預けです。

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めがね

2013年10月22日 05時54分01秒 | 日々のこと

晴れ、22度、72%

 老眼鏡って、ずっとかけたままではありません。必要な時にだけ使い、テーブルに置いたままです。私はまだ本も新聞もめがねなしで読めます。使うのは刺繍のときと辞書を引くときだけです。ところが主人は、移動範囲も広いし、メニューなどを読むときもめがねを必要とします。おかげで、めがねをよく無くしてしまいます。

 先日、出張先から定刻の電話が鳴りました。どうもめがねを無くしたみたいだと、電話の向こう。まあまあ、そんな時のために予備のめがねが家にはあります。出頭から戻り、また次の出張です。出がけに、新しいめがねを作って来て欲しいとおっしゃいます。

 めがねは、いつも日系デパートの中にある日本のめがね屋さんで作ってもらいます。レンズの度数などはカルテがあるので本人が行かなくても、めがねを作ることが出来ます。要するに、私は主人のために、めがねのフレームを選ばなくてはいけないはめになりました。よくなくすので、安いものを作ればよさそうですが、やはり人とお会いする時にも使うものですから、そうは出来ません。そこで早速、めがね屋さんに出向きました。人のめがねのフレーム選びは初めてです。いくら主人とはいえ、難しい。フレームだけでも沢山あります。主人の顔を思い浮かべながら選んでいると、居合わせた日本人のお店の人が、横からアドバイスをしてくださいます。それもありがたいのですが、主人に似合う似合わないが私にとっては一番大事です。それに、めがねって結構お値段がいいのにもびっくりします。

 めがね屋さんのカルテでは、主人がこの前めがねを作ったのは、8月の初めだそうです。今年に入って3つ目のめがねだともおっしゃいます。超お得意様です。今年よりも無くしたのが、一昨年。ふた月に一度ほど、めがねを受け取りに足を運びました。その年は、大きな式典を主人の会社が開いた年です。式典では人前で、スピーチもしなくてはなりません。お客様も大勢です。主人も随分神経がとんがっていました。そんな時に限って、めがねが無くなったのです。朝の散歩から戻ると、めがねが無いとおっしゃいます。ベットもひっくり返すわ、考えつくところは全部探しましたが出てきません。出勤する時、私に言った言葉、おまえがどこかに隠しただろう、でした。いえ、本気でそう主人は思っていました。私だって、そんな意地悪はしませんよ。式典も終わり、一週間ぐらいした時、探していためがねが主人の散歩用の上着のポケットから出てきました。やれやれ。

 選んだめがねのフレームは、黒ではきつく見えるのでややパープルがかっています。今晩出張から戻られたら、なんと仰ることやら。めがねと携帯は無くなるものです。

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