チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

ビニールハウスのにおい

2013年05月31日 06時01分52秒 | 日々のこと

晴れ、28度、88%

 

 薄墨をはいたような朝焼けの空を見た時や夕方歩きながらどこからともなく匂ってくる匂いに、急に昔見た風景が甦ってくることがあります。もう何年も忘れていた風景です。

 年明けから苔を家で養っています。湿度を保つために、硝子のクロッシェに入れて陽の当たるところに置いています。 モスグリーンと言われるだけに、いい緑です。水やりは週に一回ぐらい、たっぷりとあげます。気温が上がった昨日、クロッシェをとって霧を噴こうとした途端、あら?この匂い、むせ返るような緑と土の匂いです。

 私の母の実家は、高知県の土佐市です。小さい頃は、一年に3度は行っていました。汽車、船、汽車を乗り継いでの福岡からの旅の後、緑の田んぼが拡がる様子はやっと着いたという思いでした。黒い板塀の家の敷地は、お蔵の裏から向こうは田んぼです。近くの人に田んぼを貸して、お米やら野菜を作ってもらっていました。それでも、伯父に嫁いで来た伯母は、お蔵のすぐ裏にトウモロコシを、そしてその脇にビニールハウスをひとつ世話をしていました。今思うと、伯母は朝早くから家の用事を済ませ、家に居た試しがありませんでした。伯母に用事が出来ると、誰かが畑まで呼びに行きます。たいていそういう役目は小さい私でした。お蔵の裏からトウモロコシ畑までは、蛇がたくさん昼寝をしています。行きたくなんかありません。それで、ビニールハウスをめがけて飛び込みます。そうです、その飛び込んだときのビニールハウスの匂いを、小さな苔の入ったクロッシェに嗅いだのです。

 ビニールハウスのむーっとした、上からも下からも熱がこもったようなあの空気、土とトマトやキュウリの青臭い匂い。時にはめまいが来そうな感じもします。

 夏空に変わって行く香港の空を見ながら、母の実家のビニールハウスを思い出しました。そして、その中で一人働く、外から嫁に来た伯母を思い出しました。祖父祖母共にこの伯母が最期を看取りました。いつも笑顔の人でしたが、あのビニールハウスやトウモロコシの世話をしながら、伯母は何を考えていたのでしょう。嫌なこと辛いことが沢山あったはずです。2年前に、黒い板塀の家で静かに亡くなりました。ビニールハウスの中でも、白い手ぬぐいでほっかぶりをしていた伯母の姿が、ビニールハウスの匂いと共に目の前にフワッと浮かびます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おにぎり

2013年05月30日 04時57分46秒 | 日々のこと

晴れ、26度、88%

 まだ、香港に来て間もない頃のことです。長く香港に住む方達からいろいろなことを教えていただきました。日本人学校に通う息子には、毎朝お弁当を作ります。使うお米に迷いました。香港の人たち、タイからはいって来るロングライス ジャスミン米が好きです。中国産のロングライスも売られていました。長くいらっしゃる方達から、ロングライスはおにぎりに出来ないし、冷めると食べれたものでないことを聞いています。日本米のようなショートライスは、オーストラリアからはいって来る2種類とカリフォルニア米の錦だけしかありません。錦は随分いいお値段ですから、オーストラリア産のお米を使っていました。美味しいとかいう段階の問題ではありません。それしかなかったのですから。今から、25年以上も前のことです。

 今は地元のスーパーマーケットにすら、日本産の日本米が売られています。日本の米の産地も北から南まで揃っているほどです。お醤油や味噌だって、すぐに手に入ります。日本人が生活するには、不自由がなくなりました。主人もその恩恵にあずかって、おいしい日本産の日本米をいただいています。もちろん、日本産の日本米どんなお安いものでも、タイ米に比べると10倍以上の高値です。

 日本にいると、タイ米など食べる必要がありません。どこの、誰々さんが作った有機のお米などという選択肢はあるでしょうが。戦時中か戦後、日本に若干ロングライスが入った時期があったそうです。その時のことを知る母は、ナンキン虫のような形のおいしくないお米だったと言います。そういえば17年ほど前、日本の干ばつ時にロングライスが送られて来たことを聞いた覚えがあります。日本米と一緒に炊いても、美味しくないと新聞に不評が出ていました。

 この私、日本人が臭いまずいという、ロングライスが好きです。タイからのロングライスは、ジャスミン米ともいわれています。つまり、香りがいいということです。香りと言っても、日本のお米の香りとは違って、確かに花のような香りです。この匂いが、日本の方に臭いと言われる原因です。日本米は、粘米、と香港ではいわれるようにおねばがあります。ところがロングライスは、粘りません。沢山食べても、お腹にもたれません。

 私の主食のロングライスですから、時にはおにぎりを作ります。皆さんがおにぎりには出来ないわよ、と仰ったロングライスのおにぎりです。写真のおにぎりまだ湯気が出ています。炊きたての熱々を握ると、おにぎりになります。しかも、このまま冷めても、美味しくいただけます。

 このロングライスのおにぎりを作る度に思うことがあります。ロングライスではおにぎりなんか作れない、冷めたら美味しくないと教えてくださった方のうち、何人の人が実際にロングライスをおにぎりにしたのかしら?口から口に言い伝えられて来たこと、時には、思い込みがあるんだろうなと思います。

 ロングライスのおにぎりなんて食べる必要もないのでしょうが、このおにぎりを食べながらなんだか得をしたような気になります。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スプーン

2013年05月29日 06時05分54秒 | 身の回りのもの

晴れ、28度、80%

 ずらり勢揃いしたテーブルの上で使うスプーン、素材も使う目的もご出身地も皆それぞれ違います。サービング用の大きいものから口に食べ物を運ぶスプーン、どれもこれも、形や丸みが好きで買った物ばかりです。しかも、サービング用のスプーン以外は食卓で使うので数だって6本は揃っています。

  大きな木のサーバーは、持ち手にゾウの頭が彫られているサラダ用。確かアフリカかどこかのものです。左に並ぶのは、シルバ−のスプーン、シルバ−はステンレスと違って口当たりが冷たくありません。右から3番目のサービングスプーンは、アイスクリーム用ですがいつもご飯ものを取り分ける時に使います。口に実際入れるサイズのものは、使いやすさがはっきりします。クリストフルが日本人向けのサイズを出したのも、頷けるというもの、右から五番目のテーブルスプーンは、日本人の口には大きすぎるのかもしれません。それで、普段はそのすぐ左横のクリームスープ用のスプーンが食卓には上ります。

  レンゲだって、日本のレンゲと中国のレンゲはやや違います。日本のレンゲは左から4番目のものです。口入れが考えられた形をしています。象牙や水牛の角、マザーパールで出来たスプーンも遊び心があって、食卓のアクセントになります。インドやアフリカからやって来たものです。右端はインドネシアのサラダサーバー、トーテンポールのような彫りが入っています。左から2番目は、塗りのスプーンです。口入れはとても滑らかですが、掬う量が今ひとつ少なすぎます。左から4番目の韓国のスッカラ、真鍮色をしています。このスッカラを紹介したときのブログにもかきましたが、このスッカラ欲しさに小田原まで出かけました。ところが、ソウルに行った時、仁寺洞の裏道の古物商のかごの中に山と積まれたこのスッカラを見つけたときは、本当に嬉しくて。人は見向きもしませんが、正真正銘韓国の古いものでした。すくう部分の薄さが程よく、お気に入りのスプーンです。左2つは、木とシルバ−ですが、マスタードにしか使いません。

 テーブルの上で使うスプーンだけでもこれだけあります。ところが、台所には、これまた味見をしたり取り分けたりと、沢山のスプーンです。

 赤ちゃんがご飯を食べるのもスプーン、歳とって手が不自由になってもスプーン、スプーンに助けられて美味しいものを食べることが出来るようです。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Nam Ya curry タイのフィッシュボールカレー

2013年05月28日 05時56分57秒 | 日々のこと

曇り、28度、90%

 北と南に長いタイ、北の食べ物と南の食べ物は、日本のそれのように違いがあります。南は2期作が出来るほどの米作地帯、主食はお米で麺も米の粉から作るビーフンです。北は餅米が主食、そしてその餅米の粉から作る麺が、カノム ジンという日本のそうめんにそっくりな麺です。もちろん、この米も餅米も日本のお米とは違ってロングライスです。

 主食ばかりか、カレーも北と南では少し様子が違います。南はインドの影響もあるやや黄色のカレーです。ところが、タイのカレー、南も北も辛みを緩和するのにはココナッツミルクが使われます。

 Nam Yaカレーは、タイの東北部のカノム ジンという麺と食べるカレーです。フィッシュボールを入れる麺ですが、海に面していない東北部、川魚を使うのでしょうか。NamYaカレーも こうしたペーストが売られています。カムノ ジンは売り切れでしたので日本のそうめんで代用。フィッシュボールはタイからの冷凍の物を使いました。

  添え物は、生のもやしにバジルです。タイのバジルはホラパーと呼ばれ、バジルの一種ですが、香りが馴染み深いスイートバジルのそれとは違います。辛みより酸っぱさで食べる麺料理です。

 25年前にプーケットに家族で行きました。香港からですら直行便のない頃です。もちろん今のように日本人が沢山いたわけではありません。出発から遅れてプーケットに着いたのは、日がすっかり暮れてからでした。ホテルまでの真っ暗なヤシの林の中を車にゆられて乗っている時、もしかしたら、この島に日本人は私たち3人だけかもしれないわ、と不安にかられたものでした。

 昼間は、地元の市場で地元の人が食べているものを指差して頼みました。焼きそばとか焼き飯の類いでした。その皿には、生のもやし、生のニラ、生の小ネギが添えられていました。ビックリしましたね。生ですから。地元の人の真似をして食べてみましたが、ちっとも美味しくない。しかも、主人などは海外の旅先で決して生野菜を食べません。真似をして食べた私は、こっぴどく叱られました。そのうえ、地元の人たちはテーブルに置かれているグラニュー糖を麺にもご飯にもかけるのです。はい、これだけは私も真似ができませんでした。

 あれ以来、タイに行く機会も増えました。香港のタイ料理は、実に本場のものに近い味付けです。生野菜が添えられていることにも、驚かなくなりました。もちろん、いただくときはスプーンとフォークで。同じお米を食べる民族ですが、東南アジアのロングライスは、粘り気がありません。お箸では食べることが出来ないのです。

 スプーンとフォーク、これがまた実に便利です。スプーンでナイフのように骨から身をとることも出来ます。香港、いよいよ暑い夏に突入です。大好きな辛いタイカレーの季節になりました。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Canon Kiss x7

2013年05月27日 06時03分30秒 | 身の回りのもの

曇り、28度、85%

 25年ほど前、主人はレンガブロックの大きさもある携帯電話を使っていました。重くて、充電するのに半日以上かかります。バッテリーを2つも持っていました。そんな携帯電話を知らない人でも、近年の携帯電話の多機能化、軽量化には驚きを隠せないと思います。何処でも気軽に写真まで撮れます。また、その写真機能が向上して来ています。

 要するにカメラがなくても写真が撮れるのです。写真というものがぐっと身近になって来ています。プリントするのだって、おうちで思いのまま。

 さて、カメラだって進化して来ています。軽量化に始まって、デジタル化、我が家もこの25年の間に8台ものカメラを買ってしまいました。いえ、頂き物がうち2台含まれています。今の普段使いはコンパクトのデジタルカメラです。年々、腕の力が衰えています。コンパクトデジタルといっても、自分で設定しながら使います。そこそこの写真は、撮ることが出来ます。2年ほど前から実家の荷物の整理を始めました。父の仕事は写真家でした。長いこと眠ったままのカメラが次々に出てきます。コンパクトデジタルを使っている自分が、なぜか情けなくなってきました。でも、もう重いカメラは持ち回れません。

 4月の初めに、CanonのKissシリーズから、超軽量カメラが出ることを知りました。機能的には初級者向けということです。発売は連休前の4月20日でした。前評判が高かったので、思い切って触れたこともないKissx7を電話で注文してしまいました。

 今月の初め、実家の荷物の搬出のため帰福したおりに、入手しました。確かに軽い。ボディーが小さいので、やたらにレンズが大きく見えます。ファインダーとパネル両方で映像を捉えることが出来、タッチパネルで撮影も可能です。基本的にはいろいろなボタンの位置が、現在使っているCanonのパワーショットと同じです。私の手が大きいのが功を奏して、片手でグリップ出来ます。

 まだ、使い始めて2週間、設定を替えながらの操作にもたつきがありますが、コンパクトカメラにない、カメラの醍醐味があります。ズームレンズのセットで求めましたが、あいにく香港連日お天気が優れません。どこかに撮影に出かける機会に恵まれないままです。レンズの付け替えも、スムーズにいくように目下練習中です。オートフォーカス機能が付いているために、今まで以上にレンズの取り扱いに注意が要ります。

 これが最後のカメラになるかな?とは、どうも言い切れません。久々に持つ一眼レフ、写真を撮ることの楽しさを体の中から感じます。手頃な価格のカメラです。この2年半、実家の整理をポツポツして来た自分へのご褒美のつもりで買いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頬紅

2013年05月26日 04時55分19秒 | 日々のこと

雨、26度、91%

 私は、あまり化粧をしません。40才になるまでは、化粧水に口紅だけでした。学生時代は、しっかりと化粧をしていました。ところが、子供を早産してしまい、子供に面会に未熟児室に入るとき腕まで洗い、除菌室を通り、すっぽりと白い前掛けまで着せられます。顔に塗った白粉のようなものは子供にいいはずがありません。それでも、その病院の看護婦さんが、赤ちゃんはお母さんの口元を見て、言葉を覚えるから口紅は塗っていた方がいいのよ、とも教えてくれました。以来、化粧水と口紅だけ。

 両方の母親や周りの友人は、そんなことしていたら、歳をとってツケが来るから、と私に言いますが、もともとズボラです。しかも香港に来てからは、乳液やクリームなんて塗った途端に汗が出てくるような気がします。主人に付いて、この日差しの強い香港の山や海を日焼け止めもせず歩いたのは30代から40代の初めです。よく焼けていました。

 主人と一緒に出席しなければならない場所も、年々増えて行きます。流石に、素肌に口紅だけでは済まなくなりました。ひと通り、上に塗るものも持ってはいますが、目の周りのものはからっきしダメです。アイシャドウ、アイライン、マスカラ。目をよくゴシゴシとかいてしまうので、数時間後には目の周りは悲惨なことになっているはずです。

 日焼け止めのBBクリームなるものを使うようになったのは、昨年のことです。相変わらず口紅は塗っていますが、ほとんど化粧などしているようには見えないと思います。

 そんな私が、実は10年近くも頬紅だけは掃いています。

 その頃教えていた中学生の女の子と、繁華街でばったりと出会いました。学校の休みの日だったか、可愛い私服にしっかりとお化粧をしています。お母さんには言わないでね、と彼女。まだ、化粧し初めです。とにかく、しっかりと塗っています。目も口も。ほっぺたは、まるでオテモヤのように丸く頬紅が塗られていました。その様子がとても可愛くて、それで、私も頬紅をはたくようになったのです。

 彼女のあの時の顔は、頬紅おかげでポッと灯が付いたように明るく見えました。その彼女も、今はもう子供のお母さんです。私が頬紅を掃くといっても、うっすらと付けるだけです。だって、10年近くも同じ頬紅です。まだ、なくなりません。

 年とともに、顔色も明るさを失います。40代の私に明るい顔の持つ意味を教えてくれたのは、ずっと年下の教え子でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バナナブレッド

2013年05月25日 05時15分09秒 | パン

雨、25度、98%

 バナナは黄色いうちより、少し時間をおいて黒い斑点が出て来た頃の方が美味しいと知ったのは、香港に来てからです。まだ、青いバナナと一緒に斑点の出始めたバナナを売っている店も以前はありました。バナナ自身の重みで傷まないように、ひもで吊るして売っています。

 そんなわけで、我が家も熟れ切らないバナナは、こうして窓辺にぶら下げて置くようになりました。先日、台湾よりみえた友人が窓辺のバナナを見て仰るには、彼女の家もバナナを吊るしているそうですが、熟れた重みで、夜中に、ドッサッという音とともに落ちるのだそうです。台湾は香港より北に位置しますが、温度湿度ともにさして変わらぬ環境です。でも、我が家のバナナ、落ちてしまったことはありません。その時、口にはしなかったのですが、彼女の買うバナナは台湾バナナ、私のはフィリッピンバナナだからかな?と思いました。

 ところが、主人とモモさんを家において買い物に出かけた私、戻ってみてビックリ。我が家のバナナが6本とも落下してしまっていました。第一発見者は主人です。音は聞かなかったそうですが、台所のドアを開けると、床に散らばるバナナを発見したそうです。さぞビックリしたことでしょうね。私が帰った時には、 きちんと並べられていました。房の付け根から皮が一部剥けて落ちたものと思われます。一度にこれだけのバナナを食べれませんね。というわけで、久々にバナナブレッドを焼くことにしました。

 初めてバナナブレッドを焼いたのは、オーブントースターでした。まだ、大きなオーブンを持たなかった頃からのレパートリーです。当時はバナナブレッドというより、ベイキングパウダーで膨らませたバナナケーキでした。サラダオイルを入れて作るレシピーは、実に簡単で美味しかったものです。

 イーストで膨らませるバナナブレッドは、歯ごたえが違います。外はパリッとしてるのですが、中は弾力のあるしっとりした生地になります。しかも溶かしバターを使うので、外側のパリッとしたところもいいお味です。バナナ自体の甘みを生かして、お砂糖は少なめです。もちろん、モモさんにもあげますしね。 イーストはごく少量ですので、発酵時間を長くとります。時間はかかりますが、このイーストを使ったバナナブレッド、試してみてください。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肥仔 フェイチャイ

2013年05月24日 06時00分25秒 | 香港

晴れ、24度、90%

 肥仔、と書いて広東語では、フェイチャイと読みます。意味は読んで字の如し、オデブちゃんです。香港ではオデブちゃん、決して悪い意味ではありません。ここ香港で生まれた友人の子供は、赤ちゃんの頃、まん丸な顔によく太っていたそうです。それで、旧正月などは、通りすがりの人にも利是といわれるお年玉を沢山もらったと、お母さんに聞きました。数年前に亡くなった、女性のコメディー俳優は、まん丸な顔に眼鏡をかけてよく太った人でした。長いこと、香港映画にかかせない人気女優でした。そして、肥仔は子供たちへの愛称にもなります。

 私は月に一度、香港島の東のマウントパーカーに上ります。香港の人は、朝早くから高い所に上るのを、健康で長生きする最良の方法だと思っています。空気はきれいですし、いい運動です。その上り道で五年ほど前に初めて会ったのが、通称肥仔のピーグル君です。まだ、犬用のバギーが出回る前のことで、肥仔は買い物用のバギーに乗せられて、山道をやって来ました。

 見るからにバギーからはみ出しそうなオデブさん。押しているおじさんも大変な思いをしていました。まだ、坂が緩やかなところでおじさんは肥仔をバギーから降ろしました。ヨッコラショっと下ろしたのはいいのですが、歩かずにしゃがみ込んでしまいました。周りの人も、笑うどころか呆れています。やっと立った肥仔、お腹が地面につきそうです。流石の私も、可愛いを通り越して心配しました。

 それから、ひと月に一度、マントパーカーに行くたびに、肥仔に会います。もうおじさん、バギーに入れ連れてきません。ゆっくりですが歩いて上ります。

 見出しの写真は、ちょっと休憩中の肥仔です。随分と痩せました。人懐っこいのは、昔からです。おじさんの話では、毎日この山に登るのだすです。この五年で、肥仔、なんと11ポンドも痩せたそうです。ピーグルもパグのように食べ物に目がない犬種だそうです。確かに良く太っている犬は、パグにピーグル。

 肥仔、モモさんと同じ9歳になりました。お顔が少し白くなってきました。月に一度しか会いませんが、健康になった肥仔に会うのは楽しみです。実は、肥仔のおじさんも、随分スッキリとしたんです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンケーキとちびくろさんぼ

2013年05月23日 06時03分10秒 | 日々のこと

晴れ、23度、95%

 一昨日の夜中から、香港は不穏な天気に覆われていました。まずは雷です。超高層ビルの間に走る稲妻は、さながら宇宙戦争を思わせる有様です。雨脚も次第に強くなり、昨日の夜明け前に黒雲注意報がでました。黒雲は大雨注意報の中でも一番の大雨。学校は全て休みになります。証券取引所なども注意報が解除されて2時間後でないと仕事を始めません。一般の人も外出は控えるようにという警報です。台風の警報と違い交通機関は、動いていました。そんな大雨の中を主人は定刻に仕事に出かけました。出際に、今晩はお客さんとの夕食だから、夕飯はいらないよ、と言います。

 こんな大雨の中、川のようになった坂を下って買い物に行く気はしません。そこで、今日は買い物に行かないで、家にあるものでご飯にしようと決めたのです。雨の中でも散歩に行くモモさんも流石にこの雨では外に出すのが危険です。

 お昼には、久しぶりにパンケーキを焼きました。 息子が小さい時には、日曜の朝はよくクレープやパンケーキを焼いたものです。この所とんとご無沙汰していました。私が自分で作った初めてのお菓子はパンケーキです。お腹がすいたから作ったパンケーキ、重曹の量なんて適当だったはずですが、小さい時から、油をよく吸った一番外側が好きでした。パンケーキを焼こうとスキレットを出してきます。さて、バターにしようか、オイルにしようか?と悩むときいつも思い出すのが、このお話、ちびくろさんぼです。

  ちびくろさんぼのお話では、ギーというインドのバターでパンケーキを焼きます。ギーはいつも我が家にはあるのですが、なぜかお菓子に使う勇気がありません。

 外はまだ大雨、パンケーキを食べながらちびくろさんぼを読みました。この本は、黒人の人種差別だとして、アメリカやイギリスでも店頭販売が禁止された時期がありました。黒人の人種差別を身近に感じることが出来ない私は、この子供向けの話が何故販売禁止になったのかが解りません。家族皆がパンケーキを囲んで食べるところや、さんぼが169枚ものパンケーキを食べるところなど、いつ読んでも心和みます。

 そして読み終えると、169って数字は何処からきたのかなと不思議に思うのです。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花豆

2013年05月22日 04時44分26秒 | 料理

大雨、雷、洪水、23度、99%

 先日の福岡でのこと、実家の荷物も搬出し終えて、随分気持ちが楽になって細々した所用を片付けていました。会わなくてはいけない方もあって、後30分で行きます、などと電話をして急ぎ足。朝早い人通りの少ない商店街をバスを乗り換えるために通りました。昔から変わりばえのしない商店街です。あー、豆を専門に売っている店も健在です。店の造りも昔のまま。急いでいましたから一度は通り過ぎたのですが、戻って硝子の引き戸を開けました。

 帰国の度に乾燥豆を買って帰ります。いつもはスーパーで買うのですが、時にはあまりよくない豆に出会います。香港だって、豆はいろいろ種類がありますが、日本の豆は香りがしっかりとしています。この豆の専門店、私が小さい時からあります。母が贔屓にしていた豆屋さんです。引き戸の外からも見えていたのですが、店の中の豆の配列も変わっていません。お店に入るのに、「おはようございます。」などと声を出して入ったのも久しぶりです。奥の部屋から出て見えたのは、私と同じ年配の婦人でした。

 いつ見ても、いい豆の品揃えです。北海道産の黒豆と丹波の飛び切りの違いを教えてもらったのも、ここのおばあさんです。お店の人に、おばあさんはお元気ですか?と尋ねたことから、話が弾みました。豆の話、商店街の話、挙げ句は犬の話です。あっという間に時計を見ると30分以上も話し込んでいます。信州の花豆、手亡の白豆、大納言を抱えて急いで店を出ました。

 花豆を初めて買ったのも、この店でした。大きな薄紫と紫の斑な豆です。高地で採れる豆で、信州のものが一番味がいいように思います。大きさもひと回り信州の豆が大きいのです。

 日本の豆に関わらず、乾燥豆料理が好きです。レンズ豆のスープ、ひよこ豆のカレー、随分古い私のレパートリーです。花豆は、甘い煮豆も、マリネにしてもトマト味で煮込んでもおいしく思います。煮崩れすることがない豆です。私はトマト味でオーブンで煮込む花豆が好きですが、甘い煮豆が好きな主人のために少しだけ取り分けて、マリネを作りました。

 乾豆は、一晩漬けて充分に水を吸わせると、後は柔らかくなるまで煮ればいいので、手間がいりません。 タマネギのみじん切りでマリネした花豆です。

  くせのある三温糖で甘く煮上げ、最後に蜂蜜で照りを出しました。私はご飯のおかずに甘いものが苦手です。煮豆はいつもお茶請けにいただきます。花豆は大きいので、3時に食べ過ぎると夕飯がいけなくなってしまいます。香港で手に入る花豆、台湾産のものです。日本の花豆は、味も香りもしっかりしています。

 久しぶりに入った豆屋さん、昔のままでしたが、ひとつだけ変わっていました。升がなくなって、計りがおかれていました。100gいくらで売られています。

 でも、お店の私年配のお嫁さん、おばあさんと変わらずに 紙袋に入れた豆を持たせてくれ、渡し際に手短に豆の炊き方を教えてくれました。豆の味とともに変わらないものがあることに、ホッと安心します。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする