チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

新しいランニングシューズ

2024年04月02日 04時59分17秒 | 走ること

曇、15度、72%

 4月1日、新しいランニングシューズを下ろしました。 2、3年に一度新しい靴に代えます。いつも新年度の始まるこの時期です。3月の誕生日に下ろそうか?いつも迷うのですが「いや、あと半月」と4月1日を待ちます。

 ほぼ毎日履く靴です。車のタイヤと同じく靴底の溝が薄くなります。27年間、事故や怪我がなく走れたのは靴のおかげです。走り慣れた道でも思わぬ穴や窪みもあります。反射力で止まれた若い頃とは違い、ますます靴への依存度は高まります。歩く靴よりサイズ感、靴底の感覚に選ぶ時は気を使います。27年間、ずっとリーボックです.ナイキやニューバランスは靴の中での遊びが大きく感じます。横幅がある靴作りです。遊びは必要ですがその小さな空間が疲れを生むこともあります。私はより足に馴染むリーボックです。

 ランニングシューズの進化は目覚ましく、反発力を備えた靴が正式シューズとしても認められるようになりました。より速く、より軽く、素材段階からの開発です。走り始めた頃の靴や服装を思い出します。コットン素材のランニングにパンツ、リーボックの普通のシューズでした。速乾性のある素材の服装に走ることに特化したシューズが定着して来ました。ウェアもより軽く、暑さ、寒さを防いでくれます。

 新しいシューズ初日の昨日、少し私の足には重いかな?と走りました。歳と共に足の力も落ちています。以前のような速さは望みません。1日でも長く走れることが心の支えです。

 4月1日に取り替えるものがもう一つ、Apple Watchのベルトです。 10月から半年は「ミッドナイトブルー」、4月から半年は「サンドピンク」がここ数年の定番です。腕元のピンクがちょうど綻び始めた桜と重なります。Apple Watchは走りを記録するための機能があります。初代から使い始めて9年、私には3代目のApple Watchです。27年前はカシオのGショックで走っていました。世の中の進化を走ることだけでも肌身で感じて来たこの年月です。

 空が明けるのを見ながら走ります。20年走った香港のボーエンロードもいい道でした。この7年は大濠公園を目指します。大濠公園はおそらく24時間誰かが走っています。「さあ、今日も走ろう。」そう思う自分が好きです。

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今年の私のランニング

2022年12月25日 04時51分34秒 | 走ること

雨、2度、84%

 昨日、ナイキからメールが届きました。「Mana さん、今年あなたが走った距離は2603km.」

 「ナイキランクラブ」というアプリがあります。スマホに入れて走ると距離や速さ、GPSがあれば走ったコースも記録されます。10年以上このアプリを使っています。当初はApple Watchがなかったのでスマホ片手に走りました。Apple WatchがGPS搭載以来、スマホは家に置いたまま走りに出かけます。

 年々、走る速さも落ちました。帰国以来、60歳を境に走る距離も減らしました。50代までは少々の雨でも走りました。今は雨はスリップ転倒の元だと走りません。もちろん体調が優れない日は走りません。

 今年は暑い夏でした。早朝走りますが暑さに辟易しました。この一年331日走って距離が2603km。これが今年の私の成果です。こんなお知らせを受け取ったのは初めてです。アプリでトータルすれば計算できますが、今までそんなことしたことありません。ただただ、記録を残しただけです。結果の如何ではなく、こうして数字で見せてくれると嬉しくなりました。

 年齢的にも体力が落ちています。なぜ走るの?と聞かれれば、「楽しいんです。」としか答えようがありません。朝の空気、ここ福岡でも昼間は見られない小動物に出会います。月に伴走してもらい、明け始める太陽を見ます。

 気持ちの重い日も悲しい日も走ることで何かが心の中に芽生えました。「仕事柄、熱をを出せない。風邪をひいてはいけない。」と思って走り始めて25年目、年の瀬も迫りこの一年の走りを数字で見せてもらいました。

 これからも無理をせず、体に問いかけながらのランニングです。走る自分を思い浮かべるだけで心が躍ります。ゆっくりと次の年に向かいます。

 

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ナイキのランニング用ソックス

2022年09月14日 04時56分17秒 | 走ること

晴、26度、84%

 走り始めて25年、ランニングシューズ、ウェアが全て進化しました。素材の進化に始まって、走るという機能に即したものが作られています。疲れないように筋肉サポート機能がついたスパッツ、より軽く反発力を利用するシューズ、見た目もカラフルで楽しくなるものが増えました。ただ走るだけですからそれなりのシューズがあればいいようですが、こうしたウェアを身に付けると確かに速度も、走った後の疲労感も変わってきます。

 5年前香港から帰国した時、冬用のランニングウェアを持たない私はスパッツに始まり防寒具を揃えました。シューズは消耗品です。定期的に新調します。一年から一年半で履きつぶします。ところがウェアは冬物以外はすでに10年以上着ています。汗をかく夏物は日々軽く漂白をかけます。それでも10年経つと黄ばみが出てきました。細身に作られたナイキのウェアが好きです。

 ソックスは走るための機能をサポートするものを使っています。以前は底厚なソックスがランニングソックスでしたが、かかとや土踏まずを軽く締めることでサポートする機能を持っています。ソックスもシューズ同様消耗品と思っていました。5年前帰国する時にすでに5年近く履いたソックスを荷物に入れました。日本のナイキショップで新しいのを買うまでのつもりでした。ところがこのソックスちっとも傷みません。ゴムの部分も、ネット上になっている甲の部分も緩みません。私の足指は人差し指が長くて、他のソックスは全て人差し指の部分から破れます。破れることもなく新調せずに履き続けました。10年履いています。生地が薄くなったところが出始めました。1日に履くのは1時間足らずのランニングソックスです。

 ナイキのショップで新しいランニングソックスを買いました。機能付きのソックスです。生地は薄く、左右の指定がありません。 値段は他のソックスより高いものです。

 古いソックスをまだ使います。走る私の足を長いこと支えてくれました。どうしてこんなに丈夫なのかな?履けるところまで履きます。新旧4ペアのソックスを並べて思うこと、「新しいソックスを履いてどのくらい走れるかな?」10年経ったら、私は75歳です。ゆっくり無理せず、楽しんで走ります。走る喜びを体が覚えています。私を支えてくれるソックスです。

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進化するジョギングシューズ

2022年03月20日 03時54分09秒 | 走ること

小雨、8度、70%

 ほぼ毎日走り始めて25年になります。走り始めた頃の自分の服装を思い出します。走るために新調した服装ではありませんでした。主人に付いて香港の山歩きをする時の服装で走っていました。長く続くとは思ってもいませんでしたから。

 ウォーキング用のシューズ、コットンのタンクトップ、短パン、普通のコットンのソックス。基本的には今も変わりません。タンクトップ、パンツは素材が進化しました。コットンから新素材へ、汗も吸います、すぐに心地よく乾きます。現在は一歩進んで夏は涼しく冬は保温性まである素材が出ています。もちろんスタイル自体の変化も、より体に密着してそれでいて締め付けないデザインです。ソックスの変化も素材、足への負担を少なくする構造へと進化しています。土踏まずのサポート、フィット感が抜群です。全てに無駄がなく体に添います。

 でも一番の進化はシューズです。25年前は今のようにスニーカーブームではありませんでした。「運動靴」の感覚が強くファッション性はなく市民権のなかった「スニーカー」はホテルでは履けないものでした。今はよりどりみどり、私よりご高齢の方達も派手な「スニーカー」を日常的に履いています。色、形も素敵ですが、その機能性の進化には目を見張ります。

 軽くなりました。これも新素材のおかげです。走るための「スニーカー」にはより速く走れるような構造がなされています。地面からの反射力を十分活かす構造だそうです。地面をしっかりと掴み、斜面も濡れた道も共に走ります。「ジョギングシューズ」は走る者にとっては大事な相棒です。

 先日の65歳の誕生日に新しい「ジョギングシューズ」を下ろしました。一年前から買ってあった「ジャギングシューズ」です。古くなったシューズから新しいものに切り替える事がなかなか出来ません。「愛着」です。新しいシューズを買っても古い方をとことん履きます。紐のサイドに破れができました。かかとのスレが目立ちます。一緒に走ってきた大事な靴です。替える日は特別な日にと決めています。丸2年、履きました。

 新しい靴は、軽い!の一言。足ばかりが目立つような底がやや広めのデザインです。「うまく走れるか?」心配でしたが、いい調子です。色は今までにない軽やかなグリーンを選びました。

 走って帰ってくると、「ありがとう。」とシューキーパーを入れて靴箱になおします。また2年、この靴が相棒です。

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道下さん、金メダルおめでとうございます。

2021年09月06日 03時53分00秒 | 走ること

曇、24度、79%

 マラソンランナー「道下美里さん」のことを知ったのは今年に入ってからでした。いつものように朝、大濠公園へ走りに出かけました。男女3人組で走っている人たちの後ろ姿が見えます。うち小柄な女性と男性が紐を握って走っているのが見えました。「視覚障害者」と伴走者だとわかりました。「おはようございます。」と声をかけると3人共、明るく返事が返ってきました。しばらく3人の外側を走らせてもらいました。

 その後しばらくして地元のテレビ番組で「道下美里」さんを紹介する番組がありました。「あっ!あの人。」道下さんは太宰府在住で地元にいる間は大濠公園を練習の基地にしているのだそうです。大濠公園で散歩、ジョギングをする人たちは「道下さん」の姿をしばしば見かけると後で知りました。その後道下さんグループに2度会うことが出来、遠巻きに一緒に走らせていただきました。寒中のさなかの話です。オリンピック出場が決まってからは合宿などで地元を離れられたのでしょう、一度も姿をお見かけしませんでした。私は「パラリンピック」最終日のマラソンをずっと心待ちにしていました。

 昨日の道下さんの走りをご覧になった方は多いと思います。よく計算された走り、余裕を持っての金メダルでした。息が乱れる様子もなく、 トラックに入ってからはうっすらと口元が微笑んでいます。お気付きの方も多いと思いますが、道下さんは笑顔が美しい方です。サングラスをとって笑う姿は明るさを周りの人に振りまいているようです。解説者の話では前回オリンピックで銀メダル、それが悔しくて金メダルを取るという強い信念で5年間、練習を積んでみえたのだそうです。

 オリンピックの放送を見る度に思うことがあります。出場している選手も、出れなかった方達もたくさんのドラマを背をって生きているのだということです。まして健常者でない「パラリンピック」の選手たちの胸の内にはどんな思いがあるのでしょうか。

 道下さんの画面一杯の真白な歯を見せて笑う姿、その胸に秘めた強さはとても大きなものを私に教えてくれたように思います。福岡に戻ってみえた時にまた大濠公園で一緒に走らせてもらえたらと思います。「道下さん、金メダルおめでとうございます。」

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24年、よく走り続けたものだわ。

2021年03月30日 04時00分39秒 | 走ること

晴、15度、90%

 明け方走り始めて24年が過ぎています。香港の高いビル群を横目にハクビシンやイノシシ、山あらし、リス、コブラのいる「ボーエンロード」で20年走りました。帰国して、大濠公園に向かう日々へと変わりました。距離も減りました。このルートでまだ4年です。

 24年、ジョギングの服装も靴も進化しました。タイムを計っているわけではありませんが、Apple Watchが出て5年、携帯を持参しなくても走った記録が残るようになりました。GPSでルートも記録されます。心拍数も記録されます。私のアイホンのNIKEのアプリには2016年からのそれらの記録が残っています。よく走り続けてきたものです。

 ここ10年ほどは雨の日は走りません。もちろん体調が思わしくない時は走りません。朝玄関を出て空を見上げ、お月様が見えると最高に嬉しい瞬間です。でもお月様ですから日によっては顔を出してくれないこともあります。時々、お月様を見上げて「なんで走ってるのかしらね?」と問うことがあります。

 走り始めた頃の仕事柄、風邪をひくことが許されませんでした。風邪をひかないために走り始めました。確かに滅多の事では熱も出ない体になりました。20代から出てきた「ぎっくり腰」もすっかり影を潜めました。雨で走れない日は疲れてないはずなのに体が重たくなります。きっと体が習慣化してしまったからでしょう。

 「なんで走り続けているのか?」答えは出ないままです。一日でも長く走りたい。以前のように七十歳までとは思わなくなりました。今日一日、明日また走りたい。長いスパンで物を考えずに、一日一日の積み重ね。いつかシューズが履けない日がくると思います。その日を考えたくないから、一日一日を重ねます。 

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道下美里さん ブラインドマラソンランナー

2021年01月26日 04時00分01秒 | 走ること

曇、10度、86%

 先月のことでしたか、毎朝走る大濠公園で二人の伴走者に付き添われて走る女性と会いました。数日、同じ時間帯に会いました。脇を走り抜ける私が「おはようございます。」と声をかけると、3人が顔をこちらに向けて「おはようございます。」と返ってきました。真ん中のランナーは本当に小柄な方でした。寒くなるとマラソン競技が行われます。その練習だと思っていました。

 昨夕、地元NHKの夕方の番組を見ていると大濠公園を走るブラインドマラソンランナー「道下美里さん」が紹介されていました。お顔を見た途端、「あっ、あの時の!」ひと月前に大濠公園でお会いしたのは「道下美里さん」でした。彼女は前回リオデジャネイロのパラリンピックでは「銀」、視覚障害者のマラソンでは世界記録を2回勝ち得た人と紹介されていました。大濠公園を練習の基地になさっているそうで、大濠公園のランナーの中では有名な方だそうです。

 早朝から伴走者を伴う練習をする方ですから、大きな大会に出られるランナーだと気付くべきでした。自分のうっかりに恥じ入りながら、数分テレビに釘付けされました。パラリンピックの代表を得るための練習、小柄な道下さんの明るい笑顔です。

 テレビでスポーツ観戦をすることはほとんどありません。唯一見るのが「女子マラソン」です。でもテレビ放映されるマラソンは決まって健常者のマラソンばかりです。恥ずかしいことにパラリンピックにはあまり興味がありませんでした。障害の程度は人によって異なります。なのに同じ舞台で戦うことに疑問があったせいかもしれません。障害者の方たちが健常者のようにスポーツを楽しみ、大きな舞台での競技をすることの意味を昨晩は考えさせられました。ただただ「道下美里さん」の笑顔がその大きなきっかけです。

 コロナの影響で昼間の大濠公園は過密とも思われるほどのランナーがいるそうです。伴走者の話では過密を避けるために早朝練習をしていたのだそうです。

 「道下美里さん」小柄な彼女の美しい走りが目に浮かびます。今年のパラリンピック、きっと私はテレビの前にいると思います。開催が危ぶまれていますが、選手の方達のこれまでの練習を思うとオリンピック開催を是非にと思う気持ちです。

 

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伴走者

2020年11月04日 03時12分08秒 | 走ること

晴、12度、58%

 毎朝走りに行く大濠公園でこの1週間、3人ひと組で走る人たちに出会います。薄暗い中・小柄な女性を挟むように走る二人は「伴走」と書かれた反射板のベストを着ています。小柄な女性はおそらく視覚障害者の方です。3人を追い越しながら「おはようございます。」と声をかけると3人揃って「おはようございます。」と返って来ます。

 視覚障害者の「伴走」を知ったのは20年以上も前の事でした。当時主人は毎年「香港100キロトレイル」に参加していました。4人ひと組で100キロ香港九龍の山を縦走します。参加者から募られた参加費の一部が「視覚障害者」の団体に寄付されていました。その関係で毎年目の不自由な人がこのトレイルに参加します。夜中も歩き走ります。この視覚障害者を「目の代わり」になって誘導するのが「伴走者」だと知りました。「伴走者」は目の代わりになるばかりでなく、視覚障害者の体調、心の動きまで把握しながら側を付かず離れず走るのだそうです。

 この20数年、私の「伴走者」はお月様です。夜の月ではありません。明け方の月です。同じ月と思われるでしょうが、夜の月と朝の月では表情が違います。心に重いことを持って走り始めても、空にはどこからでも私を見ているお月様があります。時には雲隠れしたり、月に数日休まれることはありますがほぼ毎日姿を少しずつ変えながら共に走ってくれます。重い心の内を空に向かってポロリと漏らすこともあります。きっとあのお月様の静かな光が私の心の中まで見通しているので、思わず言葉に出てしまうのでしょう。嬉しい事、気持ちの高揚することがあるときは静かに微笑んでくれます。そんな時はお月様は輝きを増して見えます。「一緒に喜んでくれてるのね。」と感謝します。

 あと何年この美しい「伴走者」と走れるのかわかりません。朝のお月様と過ごした時間は私の貴重な思い出になると思います。

 今朝もあの3人に出会えるでしょうか。

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東京で走る「原っぱ公園」

2019年08月07日 04時00分09秒 | 走ること

晴、27度、90%

 以前は海外に旅行の時も朝走っていました。主人も走っていた頃ですからずいぶん以前です。初めての土地で一人で走るのは心配です。主人と一緒に走りました。旅先で走らなくなった大きな理由は荷物の量です。走るとなるとシューズからウェアまで結構な重さです。旅先では朝はウォーキングに変わりました。

 主人の東京の家のすぐ裏手には「原っぱ公園」という空間があります。区の防災の集合地点にもなっているようです。ヘリコプターの離着陸のマークまであります。ベランダからはその「原っぱ公園」が見渡せます。手入れの行き届いた緑が気持ちの良い公園です。日の出前からジョギング、ウォーキング、犬の散歩の人がいます。6時を過ぎると「ラジオ体操」の人も集まります。

 ここに部屋が決まった時から朝はこの公園を走るつもりでシューズ、ウェアを送りました。先日初めて走りました。一周約650メートル位です。トラックのようなところを走るのは初めてです。ぐるぐると回るのはあまり好きではありません。好きではないのに数周してみるとロードサイドを走るのよりはピッチが早いのに気付きます。車や行き交う人への心配がないからでしょう。その気持ちの余裕は景色を十分楽しむこともできます。

 主人はまだ休んでいました。そっと家を出ました。幾周かした時、ふと家のベランダを見上げると主人が手を振ってくれています。

 主人も毎朝ここを散歩しているようです。馴染みの犬たちも出来たようです。東京の家に行く楽しみがまた一つ増えました。「原っぱ公園」を走ること、そのうち外まで出てしまうかもしれません。

 夜になると「原っぱ公園」の向こうには  新宿の高層ビルの灯りが見えます。

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一枚のスカーフの暖かさ

2019年02月22日 04時00分26秒 | 走ること

曇、8度、72%

 朝の気温も少しずつ上がって来ました。この冬も雨が降っていない限りはほぼ毎朝走ることが出来ました。日本の気候にも慣れて来たのか、風邪に罹ることもありませんでした。暖かな土地、10度を下回る日など年に数日しかない土地に長く住んだ身体には、寒さが一番きついだろうと思っていたのに毎朝元気良く飛び出します。もちろん服装は先端のランニングウェアです。走り始めて20分もすれば新繊維のおかげで身体はほのかに暖かです。

 昨年は雪のちらつく中も走りました。そんな時は首回りにフリースのスヌードを被りました。今年は気温的には昨年ほど低くはありませんが、北風の強い日などは襟元がぞくっと来ます。スヌードではあまり暖かとは思えない時、手元にあった普段に身に付けているスカーフを襟元に巻いて出かけました。これが暖かい。薄いスカーフ一枚の暖かさはよく知っていたつもりですが、モカモカのスヌードより肌に沿うスカーフの暖かさは思いがけませんでした。12月も半ばから一見普通のランニング姿ですが、襟元にはスカーフをしていました。シルクですから汗をかかないこの時期にしか使えません。汗染みだけはごめんです。そろそろこの暖かさともお別れです。この2、3日。家に帰りつく頃には背中がムッと汗ばむような感じがします。今朝の外気温度は8度、スカーフをするかしないか悩める気温です。

 一枚のスカーフの暖かさを改めて感じた冬でした。このスカーフに支えられて走る事が出来たのかもしれません。

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