チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

京都ぶらりそして自分への土産

2018年07月08日 04時39分41秒 | 旅行

曇、22度、95%

 京都に着いたのは9時少し前、11時にお約束の友人宅は清水寺の下、産寧坂にあります。京都駅すぐ近くのホテルに荷物を預けてのんびりと歩いて行くことにしました。京都はご存知のように碁盤の目です。分からなくなれば人に尋ねます。神社、仏閣、名所は小学の中高学年の時、毎年母に連れられてやって来たので今回は行かないことに決めています。

 スタコラと歩き始めました。歩くこと自体は問題ないのですが、途中失敗したなあと思います。京都の暑さです。なんと表現していいのか、暑さの質が香港とも違います。盆地のなせる技です。しかも友人宅を訪ねるために、ワンピース、普通の靴という出で立ちです。ワンピースには裏地まで付いています。まあ、五条の大橋も渡りました。もうすぐです。 大橋の上から鴨川を眺めました。この3日後、大雨で水位が上がり濁流と化した鴨川です。およそ駅から歩いて40分後、最後の坂を上がりました。友人宅の2階からの景色です。 このお部屋は静かですが、すぐ下を行く観光客が見られます。御霊前に挨拶して、山崎に行くという私を駅まで送ってくださいました。

 山崎から京都に戻るのに阪急電車を使いました。目指すは「錦市場」です。中国人、西洋人の観光客の多いこと、錦には京都独特の食材を見に行くことと、包丁の「有次」行くのが目的でした。「有次」の物は今は無くなった日本橋の高島屋のコーナーで、ほとんど揃えています。折角なので、お店を覗きました。鰹箱の刃の研ぎは宅急便で送ればやってくださるそうです。お姉さんと話していると、今まで見たことのないものが目に飛び込んできました。早速使い方を教えてもらい、私への土産としました。 中身は、使ってみてからお披露目します。錦市場から歩いてお次に向かったのは、三条河原町です。

 三条河原町の老舗の針屋さん「みやす針」に行きました。 細い路地が入り口です。 この路地を抜けると坪庭が広がります。 飛び石を渡ってお店に入ります。京都ならではの風情のあるお店です。お店といっても針専門、小さな間口です。お客も私一人、針のことをあれやこれやら教えていただきました。 この針だけは自分への土産に決めていたものです。友人たちへの土産も買って、ホテルに戻ろうとバスに乗りました。バスに揺られていると「みやす針」のおじさんの話が頭をよぎりました。バスを降りてすぐに「みやす針」に電話します。「明日の朝一番に伺います。全部取り置いてください。」パグの友人たちのために、 この待ち針を買いました。向かって右、パグのまち針です。これは香港にいるとき京都の友人が送ってくれたものです。お飾りのまち針ですが、針山にこのまち針が刺さっていると、気持ちが和みます。パグのまち針をあるだけ取り置いてもらいました。

 翌朝、雨が降ったり止んだりの中をバスで三条河原町に行きました。開店時間にまだ間があります。そこで寺町通をぐるりと回ります。京都鳩居堂の前を通ったとき、急に母とこの店に来たことを思い出します。小学の頃のことです。河原町の教会のどなたかに会いに行った母が帰りに鳩居堂に買い物に行きました。町屋造りのその店に母を思い出しました。「みやす針」に戻ると、先代のおじいさんが掃除をなさっていました。 

 路地を抜けて坪庭に出た途端、大雨です。おじいさんが傘をさしかけてくれました。小さな動物のついたまち針は、40歳代の女性が一人で作っていらっしゃるのだそうです。その方が最近、「作るのがしんどい。」と言ってるとお聞きしたことが、2度も「みやす針」を訪ねた理由です。次回行ってもパグのまち針はないかもしれません。雨が止むまでのしばらくの間、おじいさん、おじさんにお店の話やら針の昨今をお聞きすることができました。

 京都駅から産寧坂、山崎でも大山崎美術館の往復、京都の市中とよく歩いた1日でした。さあ、次回はどこをどう歩きましょう。大雨の後の京都を思いやっています。見出し写真は、雨の「みやす針」の坪庭です。しっとりとした風情です。

 

 

 

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大山崎山荘美術館

2018年07月05日 04時20分00秒 | 旅行

雨、26度、94%

 40年ぶりの京都でした。着いた時は晴れていて京都らしい暑さです。博多を朝一番に出る新幹線に乗ると京都へは9時前に着きます。友人の霊前を訪れて、予てから行きたかった美術館へと向かいました。京都から電車で30分、国鉄「山崎」  にある、大山崎山荘美術館です。小さな美術館で建物と庭を見たいと思っていたところ、折良く「ウィリアムモリス」の特別展がかかっていました。 駅から歩いて15分、小高い山道にその美術館はありました。アサヒビールの初代社長の別邸として建てられたものです。

 ウィリアムモリスのことを知って既に40年以上、 20代の初めの頃、デザイナーとしてのモリスではなく詩人、作家としてのモリスに興味を持ちました。当時はモリスの布や壁紙などは日本ではほとんどなかったと思います。 「イギリスデザインの父」ともいわれるモリスです。イギリス統治下の香港に向かう時はモリスのいろいろなものが見られると期待しました。あいにく香港でもモリスの布や壁紙はありませんでした。大山崎山荘美術館では、モリスが起こした当初の布や壁紙、印刷の文字、などの展示がありましたが、数はごく少ないものでした。

 建物と庭を見るのが目的です。人も疎らな館内、庭園を回りました。 週日にも関わらず、訪れる人があるのは昨今のモリスブームでしょうか。モリスのマグカップなどまであるのはいかにも日本らしく思います。

 長年胸に温めていたモリスの布を私の家のテーブルクロスに求めました。今、日本では日本製の布と、アメリカ製、イギリス製と3種類の布が売られています。微妙に色目が違います。私が一枚一枚と買った布はイギリス製です。

 30年日本を離れていました。日本国内を旅行することもありませんでした。会いたい人、行きたかった美術館や場所、ゆっくりと訪ねたいと思います。手入れの行き届いた建物と庭を後に、京都への帰途は阪急「大山崎」から電車に乗りました。

 

 

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主人がくれた私の休暇

2017年07月19日 03時55分46秒 | 旅行

曇、26度、84%

 この一年たくさんのことがありました。私の本帰国を決めて以来、モモさんを連れて帰る、車も連れて帰る、もちろん国際間の引越しの荷物もあります。振り返ってもあんな手続きを遣って退けたものだと我ながら感心します。そして、思いもかけずモモさんを早くに亡くしました。モモさんの最後の3週間、二人だけで過ごした3週間、幸せでしたが辛かった。モモさんを送った後、気づけば爪は伸びきっていました。この月末で3ヶ月になります。

 先日主人が「一泊で東京にでも行ったら?」と言ってくれました。やっとココさんも我が家での生活習慣が固まってきたばかりです。ためらいますが、観たい美術展もありました。息子一家に会うための上京ではありません。丸一日半、自分だけのために時間を使います。

 3連休の最終日、東京に入ります。朝一番の飛行機です。前の晩からココさんは動物病院にお泊まりです。私は一泊で荷物は少なく、PCも持っていかないことにしました。国内の一泊旅行など初めてです。一人での旅行では海外ですら小さなトランク一つです。古いボストンバックを出してきましたが、この一泊旅行には大きすぎるように思います。そこで買い物の手提げとバックで家を出ました。 気軽に身軽です。

 観たい美術展に開館前に到着。人が並んでいないのにホッとして入り口にいると、見る間に長い列ができました。行きたい美術展は一つではありません。一人ですから、決めるのも即決、フットワークも軽く動きます。一番観たかった3つの美術展を回りました。もう一つ予定に入れていましたが、猛暑日の東京です、今回はこの3つでおしまいにしました。途中、新しくできた「銀座シックス」に行きました。「蔦屋」の設計が見たくて行ったのですが、採光の良さを除いては少し残念な作りでした。 お夕飯も一人。五島列島のお魚を一人分お造りにしてもらいました。 自分にお土産を買いました。「維新號」の肉まんです。

 昨日は朝の散歩で代官山を歩きました。東京の朝の匂いです。ココさんを預けている動物病院は臨時休院で私のためにほんのわずかな時間ドアを開けて待ってくれています。長居できません。今年3度目の東京ですが、初めて「とげぬきさん」にお参りします。あとは飛行機に乗って、ココさんの元へ一直線。

 これからは国内の1、2泊の旅行が増えると思います。今までの荷物の作り方を考えます。やはり海外旅行とは違います。PCは持って行った方がいいと感じます。スマホ一つで用は足りますが、PC依存度が高めな私です。そんなわけで、家に着いた時の荷物は、新しいボストンバックに変わっています。買い物手提げで出かけた自分が途中恥ずかしくなりました。

 いい時間を主人にプレゼントしてもらいました。贅沢な時間でした。さあ、次はどこに行こうかな。

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小さな旅 軽井沢

2016年03月04日 06時40分10秒 | 旅行

晴れ、5度  東京

 今回の私の帰国の日程は、実は昨年の12月の初めに決まっていました。その時、会ってみたい人と会ってみたい犬達がまず頭に浮かびました。お住まいは小諸、軽井沢まで新幹線で行って、乗り換えです。そうだ、乗り換えの時間には軽井沢の近くに住んでいる友人に会えるわ、と一人で時刻表とにらめっこしていました。

 ところが年末、思わぬ事が起きました。小諸のお住まいの方の3匹の犬の1匹が急に亡くなりました。飼い主のパパの喪失感はかなりのものです。この方、息子とほぼ同年代。3匹ともそれぞれ保護犬です。2匹のパグは繁殖犬でした。繁殖犬はひどい時は年に2度も出産を強いられます。そして身体に産むための機能が無くなったり、何らかの支障が出るとブリーダーの元から保護犬として出されることがあります。フォーンのパグ桜ちゃん、亡くなった黒パグのかりんちゃんはそうした過去を持って8歳7歳で今の飼い主のパパの元にやって来ました。彼は、ミックスのやはり保護犬の日向ちゃんと3匹を理想的に育てています。雪が降っても広い公園で散歩をする姿。夏の花火をカートに乗って見上げる3匹。小諸に会いに行こうと私が心に決めたのは、こんな日々を時折見せてもらっていたからです。

 黒パグのかりんちゃんを亡くした後も、残った2匹がいます。寒い土地で心まで寒くなっているのではと心配です。かりんちゃんにも会いたかったのですが、日向ちゃん、桜ちゃんにも会いたい、私の気持ちは変わりません。 「会いに行きます。」と連絡すると「乗り換えは大変だから、軽井沢まで2匹を連れて行きます。」と仰ってくださいます。そこで早速、軽井沢の友人にも連絡を取り犬連れで会うことになりました。

 昨日は、東京も急に気温が上がったようです。お天気も快晴。そして、なんと23年ぶりに新幹線に乗ると興奮する私です。軽井沢に行くのは37年ぶりです。約1時間で軽井沢に着きました。アクセスが良くなったものです。

 待ち合わせの公園では浅間山がくっきりと見えました。待ち合わせの場所からお昼のレストランの予約まで軽井沢の友人にはすっかりお世話になりました。

 ミックスの日向ちゃんはやや人見知り。 桜ちゃんはもうすぐ13歳。モモさんと同世代なのに女の子ですからおっとりしています。そして、毎日ウェッブではお会いしている豪ちゃん、 初めまして。ハンサムな豪ちゃんです。

 公園には他の犬の姿も殆どありません。何となく犬達も初めましての挨拶をしているようです。軽井沢、夏ともなれば犬連れ可能のレストランは沢山あるそうですが、お店だって締まっているこの時期、レストランの中にまで犬を連れて入れるところでお昼をとりました。日本のペット連れレストランに行ったのも初めてな私です。犬のステーキも出て来ました。3年ぶりに会う豪ちゃんのママ、3年前、香港の私をご夫婦で訪ねて来てくださいました。相変わらずお元気です。モモが脚を傷めたときは、1週間もしないうちにモモのことを心配して、犬のバギーを香港まで送ってくださいました。私が日本の小麦から作った強力粉「はるゆたか」を香港で手に入れることが出来たのも彼女が沢山送って来てくださったからです。

 お昼過ぎの便で、東京にとんぼ返りします。短い時間でした。雪が残っている軽井沢、春のような日差しでした。日向ちゃん、桜ちゃんのパパの心の雪も時間が溶かしてくれると思います。豪ちゃん、桜ちゃん、日向ちゃん、また会いに来ますよ。

 会うことが出来る人がいてくれること、幸せなことだと思いながら新幹線スムーズな音を聞いていました。

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旅のアクシデント

2015年09月30日 04時58分22秒 | 旅行

曇り

 ほんとなら,いま私は福岡にいるはずです。今日は午前中から大きな用事が入っています。ところがいま私がいるのは台北です。しかも台北の桃園空港から30分ぐらいのホテルという事しか分かりません。ホテルの名前も定かではありません。

 昨日は午後の便で台北を経由して福岡に入る予定でした。一昨日28日には,大きな台風の通過で台北からの離着陸の飛行は殆ど欠航でした。29日には台湾海峡を抜けた台風、キャセイパシフィックから私の乗る510便は,定刻出発と知らせをもらいます。

 14時55分定刻の510便,28日のこの便が欠航だったので満員の状態です。その上,日本人の観光客5名が定刻を過ぎても姿を見せません。待つこと30分。まあこんな事はよくある事です。

 台風の余波も無く飛行機は揺れずに,ただいつもよりやや南の航路を取りました。通常飛行時間1時間15分で台北です。ところが,台北の桃園空港、前日の欠航が影響して飛行機のラッシュ。私が乗る510便は,台北上空を一時間半グルグルと旋回しました。台風の影響ばかりか、ここ桃園空港、2本ある滑走路の内1本はただいま工事中。おそらく,離着陸を待機している飛行機の数は,数十台に上っていたと思われます。桃園空港では私のように福岡に行く人もここで一旦降りなくてはなりません。この段階で,予定時間より3時間近く遅れていました。機内の清掃,新しく機内食を積み替え,台北から福岡に向かう人と共に再び飛行機に乗ったのは,8時少し前でした。つまり日本時間9時少し前。予定通りならば、既に福岡上空にさしかかる頃です。

 ところがここでも滑走路1本が影響して,31番目の離陸というので機内で1時間待ちました。やっと離陸の順番が回って来て,滑走路に向かいます。やれやれ,遅くなっても福岡なら心配ありません。さあ,離陸という時,機長からのアナウンスです。「バットニュースです。福岡空港の閉鎖時間は午後11時30分、約2時間の飛行時間では、11時30分に間に合わないので,飛行を見合わせます。」英語の放送でしたから,初めは不満の声も少なかったのですが,日本語の放送が入ると一遍にぶーぶー文句が出ます。

 そこからがいけません。滑走路横にいる飛行機,機体を近くに移動させたまま動きません。短く明日の朝福岡に向けて飛び立つとの事だけ知らされます。皆さん、文句を言うより携帯であちこちに連絡しています。それでも飛行機動きません。10時近くです。飛行場に止まっている飛行機の中で機内食がサーブされます。熱いお茶も,ワインすら出て来ません。どれくらい時間が過ぎたか,空港内の移動のバスが来ました。タラップを下りてバスに乗り込みます。ターミナルに入ると510便の乗客は,全てパスポートを没取されました。今からホテルに向かうと言います。通常では通れない,外交、乗務員通路を使って台湾に入国です。

 数百名のこの移動、ビジネスクラスから始まります。私はエコノミーですが,キャセイのクラブの会員なので一番先にホテルに入ることが出来ました。既に真夜中12時を回っています。

 台風明けの安いホテルです。なんとカビ臭い。それでも,お風呂もきれいなベットもあります。 コンセントも室内灯もテレビも点きません。仕方無く,PCに充電は,洗面所脇のコンセントにつなぎました。

 カビ臭いので,窓を開けます。次々にバスが着く音が聞こえて来ます。今朝は,6時45分に全員にモーニングコール,7時過ぎにロビーに集まり10時発の飛行機に乗り込みます。同じ機体同じ席順で,また福岡に向かいます。

 旅はアクシデントがつきものです。5月のヨーロッパの旅行でも,帰路は天候状況のため予定の飛行機をチェンジして帰って来ました。

 久しぶりの台北の夜明けです。 台北らしい,のんびりした空気が流れています。さあ,今日は私にとって長い一日になりそうです。

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飛んで行った「ガロ」たち

2015年07月22日 06時05分20秒 | 旅行

雨,24度、97%  雷注意報、大雨注意報

 ユーラシア大陸の西の果てポルトガルまで旅したのは5月のはじめことでした。2度目のポルトガル,しかも,香港に長く住む私にとっては、お隣マカオがポルトガル領であったこともあり身近な国に感じます。身近なはずのポルトガルですが,飛行機に乗っても20時間近くもかかります。意外に遠かった。

 自由な時間のない旅でしたが,石造りの町を久しぶりに訪れたことは,東洋とは違う様々のことを身に感じるいい機会でした。世界中知らない所ばかり、世界中知らないことばかり、そんな思いがこの年齢になって反ってワクワク感に変わります。

 旅立つ前から,絶対に買いたいものがありました。今までの旅でもこれとこれは絶対に買うと思っていても,それは旅先のこと,思わずお店が閉まっていたり、時間の都合で行けないことも屢々でした。だから,絶対に買いたい物リストは作らないことにしています。でも,これならどうにか手に入ると目星を付けたのが,ボルトガルの国民的マスコット「ガロ」です。雄鶏の形をしたフィギュアです。

 「ガロ」を初めて知ったのは,お隣マカオでのことです。香港よりやや遅れて中国に返還したマカオでは,返還前はこのニワトリのマークや置物がお土産屋さんに並んでいました。当時のことを思い出すと,ブルーばかりだってように思います。でも、「ガロ」は我が家にやって来ませんでした。ポルトガル本土に旅した時にも,ずらりと並んだ「ガロ」を求めないまま戻って来ています。それなのに,今回は,「ガロ」を連れ帰ることを行く前から決めていたのです。そう,空港かお土産物屋さんに行けば必ず手に入るとの心算もありました。

 旅行をしても殆どお土産物屋さんで品物を買いません。ちょいと覗く程度です。その私が,今回はびっくりする主人を横目に,お土産物屋さんに入ります。日も暮れかかった観光客も少なくなった時間です。アフリカ系のお店のお兄さん,大喜びで迎えてくれました。いえいえ,あちらのお勧めには絶対乗りません。目指すは「ガロ」。目の前にずらりと並んでいます。探す必要もありません。色違いを束ねて,私の買い物は終わり。

 旅から戻って,ゆっくりする間もなく日本に戻りました。「ガロ」たちは家の本棚でお留守番。ポルトガルから戻って人心地付いたのは,一月半ほど後のことです。「ガロ」たちも大西洋の見えるポルトガルから南シナ海の香港までの長旅の疲れを癒した頃です。さてと,一つまた一つと友人の元に向けて送り出しました。全部一遍に送り出すのは寂しかったので,一つずつです。北は北海道,南はニュージーランド。最後に送り出したニュージーランドの「ガロ」が着いたと連絡がありました。

 リスボンの下町,石畳の坂の途中のお土産屋で求めた「ガロ」たちも今では居場所を見つけたようです。4センチほどのやや持ち重りのする「ガロ」です。焼き物ではありません。お土産物屋の店先に並んでいた頃は,毎晩ファドを聞いていた「ガロ」たちです。それぞれ,今はどんな歌声を聴いているのかな。「ガロ」がいなくなった本棚を眺めます。

 自分のために買った「ガロ」ではありません。小さな「ガロ」に小さな思いを運んでもらいました。「ガロ」がいなくなったなあと思っていると、 あっ、いました。

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ポルトガルからのはがき、3週間かけて届きました。

2015年05月29日 05時30分34秒 | 旅行

曇り、29度、84%

 香港に住み始めて30年近くになります。飛行機に乗れば4時間ほどで日本だというのに、住み始めた当初は、郵便物の失踪が幾度もありました。海外のクーリエも今ほど発達していませんでしたから、郵便で荷物も送ります。荷物だって消えてしまいました。電話代も高かったので、手紙でお礼を出します。そのお礼の手紙が着かないで、失礼をしたこともありました。郵便って、国内ばかりか國際便のことを考えると、国と国との格差や郵便の発達事情が各国違う中、実にうまく機能しているものだと感心します。それに近年、手紙の失踪が殆ど無くなりました。

 旅に出ると、息子にその土地土地からはがきを送りました。お土産物屋で売っている写真のはがきのこともありますが、ホテルの備付けのはがきの事だってありました。昨年は孫が生まれました。まだ字も読めませんが、孫にもはがきを出す楽しみが増えました。そこで、ポルトガルから息子の家宛に2枚はがきを出しました。やっと見つけた郵便局、お姉さんが親切に気を遣ってくれます。日本まで1週間だと、ユーラシア大陸の端から端まで、1週間とは早いものだと感心します。その昔、ザビエルはどのくらいの航海をして日本にやって来たのかしらと、頭に地図を描いてみる始末です。

 さて、はがきをポストに投函して10日目、既に香港に帰って来ていました。ちょっと気になり始めました、まだ着かないのかな?で、息子に尋ねます。まだだよ。心配しても始まりません、いつか着くはずです。それほど、最近の國際郵便に信頼を置いています。インドから日本に2ヶ月かかって到着した経験もあります。で、すっかり忘れていると、昨晩、息子から偏西風に運ばれて届きました、とメールがきました。やれやれ。

 見出し写真の2枚のはがき、投函した時は一緒、息子の家に着いたのも一緒。果たして道中も一緒だったのかしら?3週間、きっとほかの手紙に紛れて別々に居たはずです。はがきたちにどんな旅をして来たのか聞いてみたいと思います。実は、ポルトガルで投函したはがきは5枚、未だ2枚が行方知れずです。何処でウロウロしている事やら。

 

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ポルトガルの松 笠松

2015年05月27日 05時31分54秒 | 旅行

小雨、28度、91%

 私が育ったのは九州の北、福岡です。通った小学、中学、共に校庭には松林がありました。中学にいたっては、その松林を抜けると玄界灘に面した浜に出ました。西の唐津に向かう街道沿いには、虹ノ松原と呼ばれる、日本三大松並木があります。背も高く、夏でもこの並木を通ると海風が松を通して涼しく感じます。私が日頃こうして見て来た松は、黒松です。松ぼっくりを拾って、何処を探しても大好きな松の実は見つかりません。日中貿易正常化が始まった頃ですからまだ小学生だった私は、福岡の「大中国展」という催しで松の実を買って貰いました。子供が食べ過ぎると鼻血が出ると言われながらも、こっそり盗み食いするほど好きな松の実です。

 今月訪れたポルトガル、リスボンから北西ポンパルにある主人が勤める会社の工場へと車を走らせます。15年前この同じ道を通ったときは、道の両側にはブドウの棚、オリーブそしてコルクの木が見られました。コルクの生産では世界一のポルトガルです。今回もそんな風景を楽しみにしていました。

 オリーブの木は何となく分かります。ブドウはまだ背の低い苗木が植えられたばかりという様子。コルクの木はなかなか見つかりません。何分にも大型バスで自動車専用道路をビュンビュン飛ばしていますから、木の識別が難しい。と、 こんな木姿の植林されたと思われる木の群れが至る所に見られます。よく目をこらして見ていると、葉っぱが松のように針状です。結局、見たかったコルクの木はどれがどれだか分からずじまい。印象に残ったのは、このこんもりした松の葉っぱを持つ木です。途中休憩した所では、 オリーブの花がたわわに咲いていました。

 昨日、旅行のときの写真の整理をしていました。やはり気になるのは、松の葉を持つこんもりした木です。この写真、泊まったホテル近くのエドアルド7世公園のものです。 外灯の上の飾りを撮っていたのですが、その後ろに見える深い緑の木が松の木でした。ポルトガルの松を調べてみると、松は松でも日本に馴染みのある松とは木の形状が違います。もっさりと茂って見えるイタリア笠松という種類だと分かりました。そしてこの笠松からは、大好きな松の実が採れるのだそうです。イタリアには有名なバジルと松の実を使ったジェノバソースがあるぐらいです。松の実は大事な食材に違いありません。ポルトガルでも松の実が一杯入っているタルトを見ました。

 やっと、松の実を付ける松に出会えました。私が日頃食べてる中国の松の実は、朝鮮五葉松という松から採れるものだそうです。いつか、きっと、この朝鮮五葉松にも会えそうな気がします。

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香港、ロンドン、リスボン

2015年05月21日 04時38分41秒 | 旅行

雨、24度、97%

 香港、ロンドン、リスボンの旅の話も今回で終わりです。

 香港、ロンドン間は地元のキャセイパシフィックでした。この旅の最初のブログにも書きましたが、13時間の飛行中、なんと5本もの映画を見た私です。朝の9時の便でしたから、最初の機内食はお昼ご飯でしょうか、 中華の牛肉のおかゆを頂きました。長時間のフライト、ジッと座っていてもお腹は空きますが、自分が食べているのが朝ご飯なのか夕飯なのか、分からなくなる始末です。今回は2食、次に出て来たのが、 こちらです。もちろん、どちらも2種類のディッシュからチョイスで来ます。

 ロンドン滞在時間、18時間の後、ポルトガルエアーでリスボンに入りました。 15年前は、パリからリスボンに向かったので、おそらく私にとっては、ポルトガルエアーは初めてではないでしょうか。ロンドンに到着する前も、上空から見るロンドン郊外の景色にアレ?と思うものがありました。 雲の合間から見える黄色い畑です。この時期ですから菜の花だろうかなと思いますが、果たしてイギリス人が菜の花を食べるのかしらと訝しく思います。そこで、イギリスからたまたまご一緒になったアイリーンさんの奥様にこの写真を見せると、「レイプよ。」と教えて下さいます。その言葉に一瞬びっくりしましたが、あー、レイプシードだとはすぐに分かりました。つまり食用油を採る西洋アブラナです。一般的には、キャノーラオイルと呼ばれているものです。バイオ燃料を促進するために、EUから助成金が出て、イギリス政府も栽培促進に努めていると教えていただきました。つまり、この黄色い光景はごく最近の事だそうです。 

 ロンドン、リスボン、2時間半の飛行です。ドーバー海峡を越すとヨーロッパ大陸が見えてきます。2時間半といえば、日本でも、国内線の旅です。お昼に出て来たのは   こんなサンドイッチでした。パンはアジアのエアーラインに比べると美味しいと思います。

 3日間のリスボン滞在後、予定では、ロンドンまでブリティッシュエアー、ロンドン香港は、キャセイの予定でした。リスボン空港8時発ですので、まだ暗い6時にはリスボンの空港に着きました。ところが、ロンドンの悪天候が原因で、飛行機が3時間以上遅れる事になったのです。ロンドンでキャセイに乗り継ぐ時間は、2時間ほど。つまり私たちはキャセイに乗る事ができなくなりました。エアーラインのカウンターのお姉さんたちは、乗り継ぎ便の検索に大あらわです。見つけてくれた便は、ロンドン香港間もブリティッシュエアー。天候ばかりはどうにもなりません、主人も私もその辺は心得たものです。何にもないリスボン空港で3時間の時間を潰します。この待ち時間の最後の1時間は、私はゲート前でとうどう寝てしまいました。目が覚めたら、既にゲ−ト前は人で一杯。

 さて、ブリティッシュエアのロンドン行きに乗り込んだ私、実は、リスボンを発つのすら知らないまま、寝始めたようです。目が覚めると飛行機は既にドーバー海峡上空。主人には黙っていましたが、頭の中はちっとも目が覚めた感じがしません。

 ロンドン、ヒースロー空港は、非常に検査が厳しく乗り換えの私たちですら荷物検査を受けます。2時間の待ち時間、買い物もありません。ゲート番号すら、出発の1時間前にならないと分からないほど、忙しいヒースロー空港です。何かお腹に入れないとと、軽い食事と こちらを一杯頂きました。

 やっとゲートが決まって、見ると私たちの飛行機はエアバス380です。私はエアバス380が何かもよく解りませんが、この飛行機2階建てです。しかも、日本の航空会社は殆ど持っていない機種のようです。主人はA380に私を乗せたかったと喜んでいます。見出し写真、ボーディングブリッジが、1階にも2階にも延びているのが見えます。2階には機内の階段でなく、ボーディングブリッジで直接乗り込む事ができます。幸い、私たちの席は2階でした。窓から見ると、ほかの飛行機の尾翼が目下に見えます。やっとこれで、香港に帰れます。さて、私今度も飛行機がロンドンを飛び立つのを知りません。滑走路に向かって動き出したのすら知りません。

 さて、どれ位寝たでしょうか、あのカタカタの音と生暖かいおいしそうなにおいで目が覚めました。チキンとご飯をもらったのですが、あまりにも美味しくないのでチキンだけ食べて、機内では飲まない事にしているのですがワインを飲んで、また寝ました。途中一度お手洗いに起きました。主人が何か声をかけてくれたのですが、「寝る。」とだけ答えたのを覚えています。次に起きたのは、香港到着の一時間半前。12時間近い飛行時間殆ど寝ていました。着く前に、またしてもおかゆを頂きました。この機内食、美味しくない上に写真など撮る気力もありませんでした。本も一字も読みませんでした。映画を観る事もしませんでした。ただただ寝ていました。香港上空で、やっと、モモさんに会えるという現実で頭が冴えて来ました。

 旅から帰って主人が幾度も言います。「結婚して、おまえがこんなに寝るのを初めて見た。」確かにこんなに寝続ける事はありませんでした。通常睡眠時間6時間。「気疲れね、あれだけ年上の方と一日ご一緒だったから。」と私。その私に、「いや、おまえが一番気を使ったのは僕だよ。」と主人。こんな言葉をもらったのは、結婚38年にして初めてです。確かに2年前のアムステルダムのような緊急入院になってはと主人の健康に気遣いしました。できるだけ怒らせまい、けんかはしないでおこう、行く前から心に決めていました。

 実際は2度ほど怒らせてしまいました。大きなけんかはしませんでした。主人からもらった言葉が嬉しくて、すぐに元気になりました。だから、今回の旅行はマルです。

 

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ポルトガルと日本

2015年05月20日 05時32分10秒 | 旅行

小雨、28度、89%

 今回のポルトガルまでの旅は、主人が勤める会社のポルトガル工場25周年を祝うためのものでした。アメリカ、スイス、イギリスからのお客様をはじめ、駐ポルトガル日本大使やポルトガル政府の方も参加なさいました。この25年というのは日本の会社としては先駆的な存在だそうです。ポルトガルに置いてはもとより、日本でもポルトガルの関係を築いて来たと聞きます。

 ポルトガル2日目の夕食は、その祝賀会でした。宿泊先のフォーシーズンズリッツホテルのバンケットルーム、ホテルのバンケットルームにセッティングされたテーブルを見るのはいつも楽しい事です。日が沈むのが遅いヨーロッパ、9時過ぎていよいよ長い祝辞が始まりました。私などお腹が空いた事より、目の前のピカピカのグラスに早くワインを注いで欲しいと願います。

  スタートは、海老のリゾットでした。やはりお腹が空いていましたから、写真の前に一口食べてしまいました。イタリアからこのポルトガルにかけては日本米のお米も作られているそうです。リゾットと言えばイタリア料理と思いがちですが、これはスープリゾットとでもいった方がいいリゾットです。海老のお出汁がよくでていて非常に美味しい一品でした。実は主人は柔らかなお米が好きです。リゾットのように芯が残るのは本来お好きでないのに、いたくこのリゾットが気に入りました。挙げ句に、ポルトガルの空港で、 こんなリゾット用のミックスを買う始末です。私が、それはイタリア製で香港にも同じようなのが売っていると言っても聞きませんでした。そして、驚いた事にヨーロッパ一のお米の消費国は、なんとポルトガルだそうです。甘い甘いライスプディングだってあります。

 メインは、 スズキです。夜も遅いしこれくらい軽い食事がちょうどかしらと思います。最後のスウィーツは、ホテルらしく、 素敵な盛りつけです。それになんといっても、一つ一つが甘いのでこれぐらい小さなポーションで充分です。

 このリッツホテルの食器は、全てヴィスタアレグレという食器屋さんのもの。ヴィスタアレグレはポルトガル王室の保護の元に作られた窯です。先日お見せしたアジェダ宮殿の、ダイニングルームやバンケットルームにセッティングされていた食器も全てここのものだそうです。ポルトガルの大きなショッピングセンターにはお店が出ています。ポルトガルの陶器とは違い、繊細な絵付けや薄さが身上のようです。英国王室、ホワイトハウスでも使われているヴィスタアレグレの上質な磁器です。郵便局を探している時にこのお店を見つけて駆け込みました。何かあれば買うつもりでしたが、考えてみれば、もう今以上、私には洋食器は必要ありません。

 この食事の間、ファドが流れていました。ファドを聞きながらの食事はまた趣があります。地元の女性歌手の次に出て来たのは日本人の男性のファド歌手です。ちょっとがっかり。末席の私がいるテーブルは、みんなさん同じ思いか、別の話でおお賑わい。ファドなんか聞いていませんでした。

 この式典が始まる前に出席者に胸に付けるようにと、ポルトガルと日本の国旗のピンが配られました。見出し写真です。要するに旗旗です。凄くこの旗旗が気に入った私は、香港に帰る道中、主人のピンも取り上げて2つ重ね付けにしてジャケットの襟に留めました。

 ポルトガル、ヨーロッパの西の端です。そして、島国の日本。私にとっては、日本とポルトガル本国の間に、お隣マカオのポルトガルがありました。とっても離れた国なのに身近に感じます。今年は安倍総理が、総理としては初めてポルトガルを訪れたと聞きます。この旗旗、私の胸の上でいつまでもポルトガルをつないでくれているようです。

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