チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

庭の野良猫

2020年04月27日 04時00分09秒 | 

晴、12度、80%

 この家に3年前に帰って来たときには庭を闊歩する2匹の野良猫がいました。長く住んでいない家ですので、まるで自分たちが主人のような顔付きで私を見ました。モモさんも吠えもしませんので、猫たちは気ままに庭を出入りしていました。

 その2匹の姿が見えないなと思っているところに現れたのがこの猫です。なかなかしなやかな身体つき、お顔もまあまあ。雌猫でした。昨年の春、3匹の子猫を生みました。近所から子猫のか細い鳴き声がするのでわかります。別の家の人が餌を与えているのも幾度か見ました。子猫3匹を連れて我が家の庭に来るようになりました。それからが大変、私が大変だったのです。総勢野良猫4匹が我が家の庭でトイレをします。この一年、大層悩みました。

 野良猫も親元を離れる「子離れ」「親離れ」の時期があるのでしょうか。このひと月、子猫の姿を見るのは稀です。そしてこの母猫は、今までと違いのんびりと我が家の庭で昼寝をしています。時折、見かける子猫を追い払う仕草をしています。そして夜になると我が家の床下で寝ているようです。古い日本家屋です。猫が入り込む隙間だらけです。

 もちろん、子猫がいなくなった分、トイレの始末は楽になりました。この猫さんの定位置はオリーブの木陰です。 日は当たるけど直射を避ける木陰ができます。陽だまりです。私が庭で仕事をしていても、動く気配もありません。小雨が降るときは大きなこんもりしたローズマリーの木の下に入って雨を避けています。

 午後も遅く日が西に傾き始めると、表の庭のユーカリの木の根っこに場所を移しています。うんと寒い夜はどうやら我が家のデッキのテーブルの上が寝床になっているようです。庭から上がるところにある棕櫚の足拭きマットは猫さんの爪研ぎでボロボロ。

 昨日は球根の植え替えで裏庭と表の庭を行ったり来たり、それでもこの野良猫さん、薄眼を開けて様子を見てはコトンと気持ちよさそうに寝ています。はい、この私もその寝姿を見てなにやら安心しています。

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野良猫さんも庭で春満喫

2020年04月08日 04時00分16秒 | 

晴、11度、82%

 昨日は緊急事態宣言がこの福岡にも出されました。先週、近いところにある病院にクラスターが発生、私自身も気を引き締めている最中です。昨日の朝はどこのスーパーマーケットも険しい表情の方が買い物をしていました。トイレットペーパーはもとよりインスタントラーメンの棚は空っぽです。物流は滞らない、買いだめは控えるように呼びかけがあってもこの有様です。ともあれ、一人ひとりの心がけが一番だと思います。

 家に戻れば外の世界とは違い春の優しい日差しが溢れています。いつものように椅子を庭の真ん中に引っ張り出して本を読みます。目の隅にトカゲやミツバチやヤモリが動くのが捉えられるようになりました。小さな生き物も忙しく動き回って春満喫。もちろんココさんも日向で休んでいます。と、オリーブの木陰には野良猫さんもお昼寝中でした。 私やココさんの存在が気にならないらしく、冬の窮屈さを脱ぎ捨てるように穏やかな姿です。見出し写真の中央奥の大木の横には座ってカメラを見ている猫さんがいます。ココさんとの距離は2メートル、ココさんも猫さんの存在を知っています。

 午後になって日差しが変わり始めると、猫さんは北の庭に移動します。 この裏庭から出て行く前にはタイツリソウを匂っていました。鬼瓦の陰に頭が見えています。

 さて、これからひと月、もっと長くなることもあるかもしれません。私自身の気持ちを穏やかに保つために家の中でゆっくりした時間を取るつもりです。一緒にいてくれるのはココさんやこうした猫や小さな生き物です。半径が小さな生活を楽しみましょう。

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我が家のネコさんを紹介します。

2019年05月16日 04時00分12秒 | 

曇り、20度、80%

 2年前この家に戻って来たとき、近所には2匹の猫がいました。真っ黒なネコとこのシマシマのネコです。2匹とも何もなかった庭を闊歩しています。夜になるとデッキに入ってきて、部屋の中を眺めています。モモさんもココさんもネコの姿を見ても吠えません。野良猫とは思えない体型です。昨年春にはこのシマシマが2匹の子猫を連れて歩いている姿がありました。お隣の納屋で出産したのではと思います。雨が降り始めると子連れで我が家の縁側の下に隠れることもありました。すっかり子離れしたのか、成長した子猫がそばに寄って来ると威嚇するようになりました。もう半年以上単独行動です。そして、1日の大半は我が家の庭にいます。

 なかなか美人のネコさんです。私が50センチほどの距離にいても逃げません。今回主人もかなり近くまで寄って行きました。お日様があるうちは新しくできた庭のスレートの石の上が定位置です。 寒いときは石が熱を持って暖かく、暑くなるとこの横のツツジの木陰で寝ています。冬のとても寒い日には2階のデッキでお日様を浴びて丸まっていました。夜になると裏庭に場所を変えます。大きな切り株がお好きです。 

 この2年間ネコたちの様子を観察していました。人を怖がりません。近くの方がご飯をやっている姿を幾度か見ました。町内の方が邪険に扱うことがなく生活しています。1日ネコの姿を見ないと心配になることもあります。主人が香港に帰る前にこんなことを言いました。「真奈さんのことだから必ず猫にご飯をあげるようになるね。」長年ご一緒の方のおっしゃることで、胸に思い当たる節があります。

 私はネコのノミが移る体質です。香港に行く前飼っていたネコは家を出たり入ったりしていました。夏になるとそのネコのノミに私も噛まれます。モモさんも時折ノミを散歩で拾ってきました。これまた私を噛みました。家に入れることはなくても、避妊をしてやって外で飼うこともできます。1枚目の写真は昨夕、お散歩に出るココさんを連れていました。ネコさんもココさんを見て警戒しません。

 簡単に餌を与えたりはしません。命を預かるということですから。犬、猫との生活も小さい頃からです。この猫に向かって名前で呼んでいます。猫さんがその名前を認識してくれたら我が家の猫にする時期かもしれません。そのうち名前付きで紹介する日が来そうです。

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香港の猫

2015年07月09日 06時36分14秒 | 

曇り,27度、72% シグナル1

 51歳という年齢で友人が先週旅立ちました。昨日は葬儀でした。彼女は,片目の猫とご主人を残して逝きました。猫が好きな彼女でした。いつも猫のプリントされた服を着て,バックから出て来るのも猫の絵の付いたものばかり。そして,彼女は香港も好きでした。広東語に長けていた彼女、きっと猫に話しかけるのも広東語だったと思います。そんな彼女を偲んで,この1月から昨日まで、私が香港の街角で出会った猫をお見せします。飼い猫ですが外飼い野猫が殆どです。猫とともに香港の街角の空気を感じて下さい。

 今年の1月,さてどんな猫を撮ったかなと繰ってみれば、ああ,殆ど毎日お会いするセントラルの果物屋の猫タッチャイでした。今回の猫の中で名前を知っているのは彼だけ。 人気の猫さんですから,いつも「触ってはいけません。」の貼り紙と一緒に寝ています。

 セントラルは坂道の横に沿って路地が沢山あります。そんな路地を覗くと、 ふと猫さんと目が合うことも屢々。お店の中で夜を明かす猫さんもいます。猫の店番です。 2匹いれば冬でも寒くないでしょう。

 香港に来て初めて猫に引き綱を付けているのをみました。 これは引き綱ではありません。ペットボトルに水が入っています。それを引きずりながら歩く猫さん。お店の商品に飛び乗らないように工夫したつもりでしょうが、一見虐待かと思います。この猫さんの鳴き声,それこそしゃがれて,虐待されてますといった感じです。香港の田舎町、元朗での一コマ。

  招き猫を撮ったのではありません。下のショーケースの明かりでぼんやり浮かび上がるは、茶色の恰幅のいい猫さんです。漢方の薬剤を売る店には猫の店番がよく見られます。招き猫は香港でも健在です。

 歩道でうずくまる猫さん、 お病気ではなさそうです。シャッターを切った途端に目をつぶってしまいました。 ワンチャイの市場の豆屋さんの看板猫。この店の前を通るときは、店の中まで覗いてこの猫さんを探します。愛想のいい猫さんです。 猫さんはお行儀が好い方とそうでない方に二分されるようです。三つ指でも付いていそうな雰囲気の猫さん。  

  お行儀の悪い方の代表格のようなワンチャイ市場の果物やの猫さんです。お行儀が悪いというより,毛繕いでアクロバットのような恰好です。

 香港は店先に神棚を置いている所があります。香港の神棚は真っ赤です。あれ? 神棚に猫さんが寝ています。二階建てバスの上から撮りました。お神様ならぬお猫様です。

 九龍サイド、上海街の猫2匹。  上海街には,厨房器具の店が軒を連ねている所があります。昔は中華の厨房器具ばかりだったのですが、今や和洋中全ての厨房器具が揃っています。そんな店先の店番猫さんたちです。

  こちらは上環の庶民のご飯屋さんの猫さん。この方も引き綱でつながれています。暑かった先月です。椅子の下で伸びていますが,お元気なときは,椅子の上できちんと座っています。

 セントラルの庶民の家具屋さんの猫さん。 落ちないかなと心配です。暑いと猫さんだって恰好なんか構っていられません。

 さて,最後は,昨日であった猫さんです。 北角の果物やさんの猫さん。この直ぐ横からミニバスに乗って家に帰ります。ミニバスまだ動きそうにもありませんから,パチリ。なつっこい猫さんですり寄って来てくれます。この方も引き綱付き。

 小さい頃から犬猫に囲まれて生活してきました。犬と猫比較のしようがないのですが、猫はこうだと一言でいえない霧がかかったような所があります。ミステリアスです。

 こうして17匹の猫と向き合ってみると,香港の町には犬より猫さんの方が似合います。現在のようにペットとして犬が多く飼われるようになったのは,このほんの20年のことです。猫さんは、ずっと街角,店の片隅に居ました。

 私が香港に来て,一番はじめに家に連れ帰った動物も猫でした。お腹に大きな腫瘍があり,殆ど固形物も食べれない猫でした。今までたくさんの幸せを猫からもらってきました。猫の姿の後ろには,猫好きな彼女の笑顔が浮かびます。

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萬行寺のとら とらのお墓

2014年05月08日 05時27分40秒 | 

曇、16度、87%  福岡

 春彼岸を過ぎた頃でした。4月に入っていたかもしれません。私のブログにひとつのコメントが入っていました。私の実家の菩提寺、福岡の萬行寺のお寺の身内の方からでした。

 昨年の10月、萬行寺の「とら」が亡くなったことを知らせてくださったのもこの方でした。お会いしたこともありませんが、その後も、私などが知らない「とら」の話を知らせてくださいました。このひと月、この「とら」のお墓のことを思っていました。「とら」が亡くなっても、父母の墓参りには行きます。門をくぐって裏の墓地に向かう時、いつも「とらちゃーん」と声を出して歩いた本堂の前は、伏し目がちに小走りで歩いていました。大きな「とら」がゆっくりと寝ていた辺、「とら」の姿が心に浮かびます。

 いつもは、お寺の門が閉まるぎりぎりに滑り込んでいた私ですが、昨日は朝一番、社務所の方も、お寺の墓番のおじさんも、「あれ、今日は早いねえ」と声をかけてくれます。父母の墓に行く前に、社務所のおじさんにとらのお墓の場所を教えてもらいました。本堂のすぐ前、植え込みの中にとらのお墓はありました。

 「とら」が亡くなると、お寺の方達でここに葬ったそうです。そして、「とら」といつも寄り添うように一緒にいたチビのお墓もすぐ横にありました。

 植え込みの中、失礼して入って、久しぶりに、「とらちゃん」と声を出しました。大きな大きな「とら」は最後に会った時には小さくなっていました。永年、体を煩っていました。会う度に体が小さくなりました。大きな猫でしたから、お腹の辺が落ち込んだ様は、いやが上にも目立ちます。お寺を後にするときはいつも、これが最後かもしれないと心に思います。最後に会ったのは、私の母の納骨の日でした。弱り切っていましたから、待合室に入れてもらって、その横には蚊取り線香が付いていました。もう頭もあげることが出来ない状態、哀れで触ってやることが出来ませんでした。

 墓石に手を置いたまま、私の心は、あの最後の日の蚊取り線香の煙を思い出していました。フワッと空気に消えて行くような煙です。沢山の人に好かれて大事にされた「とら」です。また、ここに来ると会えるね、とらちゃん。

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萬行寺のとら ありがとう

2013年10月28日 05時22分21秒 | 

晴れ、21度、78%

 昨朝のことでした。いつものように走って帰って来て、ブログを更新しようと開けたところコメントが入っています。「ありがとうございました」、とあります。コメントが入っていた記事は、以前に書いた「萬行寺のとら」です。あら?どなたからかしら?お名前に心当たりはありませんが、お寺の方からでした。「とら」が今月の14日に亡くなったと書かれていました。

 萬行寺、福岡の鎮守櫛田神社の向かいにある、浄土真宗の私の実家の菩提寺です。小さいときから、お彼岸、お盆と両親に連れられて通ったお寺です。新しく納骨堂が出来たり、付属の幼稚園が出来たりしましたが、本堂はもとより裏に拡がる墓地の様子は、昔と変わりません。そうですね、墓地から見える街の様変わりは、甚だしいです。小さい頃はビルなんてひとつも見えませんでしたが、街の真ん中のこのお寺、今では視界は高いビルに遮られています。

 私が福岡を離れたのは、高校を卒業してからです。それ以来は、帰福すれば、お盆や命日に関係なく墓参りに行きます。そうはいっても一年に一度くらいのものでした。小さい頃、社務所にお寺の管理費を納めに母と一緒に行くと、そこにはいつも猫がいました。ご住職が大の猫好きだと、大人たちの話から聞覚えていました。この寺に、ほぼ2月に一度墓参りに行くようになったのは、母が介護を受けるようになってからです。家に見えるヘルパーさんたちへの労い、施設に入所してからは、細々した雑用を片付けに、香港から福岡へ帰るのが、規則的になりました。かれこれ、5年ほど2月に一度は、墓参りに行っています。

 いつ行っても、本堂の前の石畳に茶色の大きな猫がいました。歩く姿も立派ですが、その大きさで座っていても貫禄充分、お寺の方が、「とら」と名前を教えてくださいました。よそから迷い込んで来た猫だそうです。お寺の門をくぐると、自然と私の目は「とら」を探しています。厚かましくお仕事中のお寺の人に「とら」はどこですか?と尋ねることもあります。不思議なことに、教えていただいたところにぴったりといる「とら」でした。

 お寺の門の脇の社務所横、 「とらとちび」の家です。

 実は、昨日のコメントで、この「ちび」もこの8月に亡くなったと知りました。雄だとばかり思っていた「ちび」は雌でした。「とら」ほどなつっこい猫ではありません、体も、「とら」と比べると小さく見えました。二人が、中で寝てますね。

 「とら」は、本名は「とら吉」だと教えてくださいました。歳は、17か18だと聞いています。私が、「とら」に最後に会ったのは、台風がうまく福岡を逸れてくれた今月の9日です。長患いの後です、待合室のなかに毛布を敷いて、痩せてしまった「とら」は横になっていました。まだ蒸し暑さが残る福岡でした。「とら」の側には、蚊取り線香が付いていました。引き戸を開けると、頭をもたげてくれました。辛くて、側に行くことが出来ませんでした。

 たくさんの人たちに好かれた「とら」です。ありがとう。

 私は、今年に入って3回ブログに「とら」のことを書きました。「萬行寺のとら」で検索すると、初めに3つ並んでいます。こんな私にまで、「とら」の死を知らせてくださったお寺の方に感謝しています。

 イチョウが色付き、銀杏が落ち始めている境内を「とら」が歩いていた姿が、心に残ります。

 

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萬行寺のとら

2013年01月31日 05時10分02秒 | 

曇り、11度、71%

 福岡に帰国する度に、年に6回は実家の墓参りに行きます。そのことを知人に話すと、日本にいる人より多く墓参りをしてるよ、とおっしゃいます。そう言っても、命日やお彼岸お盆の節目には行くことが出来ません。周りの墓にたくさんの家族が訪れる中、お彼岸やお盆は、父は寂しい思いをしているはずです。10日ほど前に帰った折にも墓参りに行きました。今回の墓参り、前回から1週間目です。父の命日がもうすぐですから。

 実家の菩提寺は、福岡の鎮守櫛田神社のすぐ近く、萬行寺です。ここ数年ずっと、門をくぐると辺りをきょろきょろと見回します。とらさんをを探しています。いつ頃からか、本道前の砂利道に大きな薄茶の猫がいるようになりました。このお寺の先代の住職も今の住職も、とても猫好きで知られています。冷暖房完備の社務所に行けば、いつも、王様女王様然とした猫がいたものです。

 このとらさん、よそから迷って来た猫らしくいつも外にいます。昨日も、探すと、社務所の入り口で日向ぼっこの最中でした。 昨年辺りから、とらさん毛艶が無くなって、随分痩せてしまいました。心配で、わざわざ、社務所の人に様子を尋ねます。腎臓が悪く、週に一度病院通いをしているそうです。そう言えば一週間前には、姿が見えませんでした。いるなと思うだけで嬉しくなります。子供が寄って行って触っても、おとなしくされるがままです。お寺ですから、車の出入りも多いのに、うまく避けています。

 お寺の猫として自覚しているかのようなとらさん。帰るとき、たくさんご飯を食べているのを見ました。安心、安心。この社務所の左脇には、とらさんの家があります。社務所の中にも新米の猫が2匹。とらさん、とても人気があるので、「萬行寺のとら」で検索すると、とらさんの若かった頃の写真も出てきます。私の、「猫さんたち 香港 日本」というフォトチャンネルにも、とらさんの家、元気だった頃のとらさんがのっています。とらさん、またね。

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くろの死

2011年07月11日 05時48分39秒 | 

曇り、29度、86%

 私が毎朝走る、ボーエンドー。香港島の北の中腹を東西に走る4キロの道です。西の端から1キロは車が入れます。公園が2つあり、山沿いに曲がった道です。人家も両端にあるだけ。この道には、6、7匹の野良猫がいます。くろは、その中でも一番の年寄りだと思います。10歳ほどです。この道は、朝早くから、走る人、散歩する人が多く、野良猫にわざわざえさを持ってくる人もいます。それで、猫たちは、野良なのに意外に穏やかです。

 昨日の朝の事、いつものように、明けやらぬ前から走りに出ました。ボーエンドーに入り、1キロにさしかかる前に、道に真一文字に黒い物が横たわっているのが、遠目に見えます。もしかして、くろ?気持ちを殺して、近づくと、やはりくろの遺体です。車にはねられた様子はありません。ただ、このままにしておくと間違いなく車にひかれます。車の離合するための空き地がすぐ横にあります。そこに運んでやらなくては。あたりを見ると、段ボール箱の切れ端がありました。久しぶりに触れるくろの体です。すっかり冷たく、固くなっています。持ち上げると、あまりにも軽い。そおっと、空き地の隅に置きました。

 私も不定期にえさを持ってくる一人です。夕飯が魚の日の次の朝、残り物を持って行きます。でも、ここの猫たちは、キャットフードをもらう事が多いので、あまり喜んではくれません。えさを持っているときは、「くろちゃん、くろちゃん。」と呼ぶと、そおっと姿を現します。野良猫たちは縄張りがあるようです。いつも決まった場所に、決まった猫がいます。くろは、すーっと寄ってきて、私の足に体をすり寄せます。道の真ん中で、丁寧に毛繕いをしているときは、私と並んで、15メーターほど走ってくれます。ここが縄張りの境なのです。くろの体をくるぶしのあたりに感じながら走ったとき、なんて幸せだったんでしょう。

 朝日が上り始め、明るくなってくろの遺体のところに戻ってきました。ここ3、4年は、朝姿を見る事が少なくなってきていました。それでも、「いつ見てもきれいな毛並みだね。」と声をかけたのが、去年の秋です。この冬は、香港も寒さが強く、寒い日が長く続きました。久しぶりにくろに会ったのは4月頃でした。お腹の肉が落ちて、毛艶がなくぼさぼさです。あの日から、くろに会えなくなる日が近い事は、解っていました。

 くろは、地元の人からは、「ハクチャイ。」と呼ばれていました。くろちゃんの意味です。遺体を見ると、苦しんだ様子はありません。傷もありません。このまま、明るい中、遺体を曝すのに忍びなく、近くにあった芋の葉っぱを手折って、遺体にかけてやりました。いよいよ、お別れです。野良猫の10年は大変だったでしょう。ゆっくり、休んでください。

  この春、別れが近い事を思って、急に撮った写真です。うまく撮れませんでした。まさか、野良猫の死に、こういう形で向き合う事ができるとは、思ってもいませんでした。ありがとう、くろちゃん。

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9 lives' 猫医院 香港

2011年06月15日 06時16分49秒 | 

雨、29度、81%

 

 我が家から、世界一長いエスカレーターを使わずに、西よりの坂をセントラルに向かっております。途中に、猫専門の医院があります。その名も、nine lives'.猫は、9つの命を持っているという、西洋のことわざからきたものです。確かではないのですが、猫は9つの命を持って、女は9つの人生を持つ。と、いうのが全文のように記憶しています。どうも、洋の東西を問わず女性と猫は執念深く思われているようです。

  前を通るたび、用もないのに入って、看護婦さんに頼んで猫を触らせてもらいます。この階段に寝ている猫は、私が入るとずっとそばにいて、うまく写真が撮れません。そこで、外からパチリ。

  もう一匹、この猫さんはいつもおっとりと休んでいます。お二人とも患者さんではありません。猫専門の医院というのも珍しく、道行く人が立ち止まってみて行きます。

  我が家の近くにある動物病院のように、いつも患者がいてにぎわっている訳ではありません。どちらかというと、いつもガラガラです。猫を飼っている友人に聞いたところによれば、猫の透析をしてくれる、香港では数少ない病院だそうです。犬も、猫も、今や人間と同じ病気を持つようになりました。場所柄、家賃が大変だろうと心配です。

 この二匹の猫さん、貫禄十分ですが、実はまだ子猫のときから知っています。この医院が続いてくれることを祈って。


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猫と寝る

2011年05月16日 06時24分16秒 | 

曇り、24度、94%

 

 先週、東京にいる息子が子猫の里親を捜していると、twitterに書き込んでいます。知人の会社の庭に捨てられていたそうです。週末までに、3匹とも、引き取られていったそうです。この子猫の写真を見ながら、私が3.4歳のときに起きた、あることを思い出しました。

 もう半世紀も前になります。冷蔵庫の裏面は、今のようにすっきりとしてなくて、放熱版が10センチほど後ろにでていました。冷蔵庫の後ろは暖かく、猫たちの寒い時期の絶好の寝床でした。きっとその頃、私は毎晩猫と寝ていたのでしょう。その日も、猫を冷蔵庫の後ろからベットに連れてきて、一緒に寝ました。

 朝起きて、ご飯を食べていると、母とお手伝いさんが猫を探しています。誰が見つけたか覚えていませんが、私のベットの私が寝ていたくぼみに、探していた猫がまるで寝ているように、横になっていました。けど、死んでいたのです。血も何も出ていませんでした。小さな私が、寝返りをしたときに下敷きにしてしまったのか、窒息死です。まだ、温かでした。

 次に覚えていることが、母がその猫を箱にいれ、花を猫の上にのせていました。そして、お手伝いさんと私と母と3人は、その箱を持って、川に行きました。どこの川か覚えていません。どちらかというと小さい川でした。橋の上から落としたその箱が、水に流されていくのを覚えています。

 断片的な記憶です。子猫だったと思っています。私が、死に初めて向き合ったのもこのときです。それからも、猫を飼っていました。結婚して、私も猫を飼いました。いつも、猫たちと私は一緒に寝ます。そのとき、小さい頃のあの記憶が、胸によぎります。

 もうずいぶん、猫と一緒に生活していなかったので、忘れかけていました。

 息子のtwitterの写真の猫が、昔の記憶を呼び戻してくれました。

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