たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

レンゲショウマと昆虫たち(赤城自然園)

2018年07月31日 | 

「そろそろ見頃を迎えたのでは?」と7月27日、赤城自然園を訪れてみました

レンゲショウマは梅と同じく満開では風情に欠けます

ドンピシャ!

花と蕾のバランスが程よい感じでした










先ずは自然の風が心地よい木陰のベンチで腹ごしらえをします

さっそく匂いを嗅ぎつけたか闖入者が登場しました

夏の高校野球選抜が始まっているせいか今日の入園者の数は何時もより少な目でしたが

それでも涼を求めてやってくる人達の姿がチラホラと散見されます

昨年は気が付かなかった事でしたが歩いてみて

レンゲショウマゾーンが散らばっている事を知りました

幾分、薄暗い樹陰に点々と灯を点した様に下向きに咲くレンゲショウマ

文句なしの優しさを漲らせておりました

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蝶の広場にやって参りました

先ず迎えてくれたのがアサギマダラ

そう言えば今年、初めてでした








モンシロチョウにクロアゲハでしょうか

優雅にと言いたいところですが、かなり忙しなく飛び回りヤキモキさせます




此方はジャコウアゲハかな??

何故、一ヶ所に落ち着いて密を吸わないのでしょう

人間だったら「渡り箸」と言って叱られますよ


そうした中に“我関せず”はマルハナバチです

只今ハナトラノオの蜜でお食事中

邪魔をすると射されてしまいますね

大人しい蜂ですが一応、毒針は持っています


何時しか足は昆虫の森に向いておりました

するとジッと動かずに木に止まっていたのはノコギリカミキリでした

カミキリ虫と言うと木の幹を食べてしまう園芸家にとって厄介な虫ですが

ノコギリカミキリは甲虫を捕食してくれる益虫なんですって


最後にムギワラトンボ(シオカラトンボ)の雌を見つけました

枯れた花に止まって体を休めているのでしょうか

かなり近づいて写しましたが動じませんでした

約3時間、今日も良く歩きました


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雲上の楽園 尾瀬のアヤメ平

2018年07月29日 | 登山
7月24日(火)



   

ヒヨドリソウ&シシウド


ウォーキングクラブのAさん、Mさんに「あやめ平に連れて行って欲しい」と言われ

やって来た「アヤメ平」  私にとって4度目になります

前回、来た時、鳩待峠は送迎車(バス・タクシー)がここまで乗り入れておりましたが

今は直ぐ下の駐車場に変わり広場は登山者だけとなっておりました

課外授業でしょうか、小学生が整列して尾瀬ヶ原に向かって行きました





   

雄さんが先頭、私が後尾につき8時50分、鳩待峠を出発

途中の小さなピーク中原山までは標高差377mですが距離が長いので

だらだらと登って行く感じでしょうか

もしかして!と期待を膨らませて登山道両側に注意深く目を向けながら登って行きますと

「ありました」  またの名をユウレイダケとも言われる腐生植物ギンリョウソウです

Aさん、Mさん、初めて目にしたのでしょう 目を丸くして眺めていました

オレンジのキノコはマスタケです

原発事故以来、口にする事は無くなりましたが天麩羅で良く食べたものです

早いですね、ナナカマドが一部 紅葉してました






登山口から1時間25分 目の前が急に開け横田代に到着です

一面キンコウカに彩られた広い斜面

さっ、此処で一息入れましょうか

   



サワラン&コバギボウシ&タテヤマリンドウ(赤く見えるのはモウセンゴケです)
写しませんでしたがワタスゲも僅かに残っておりました


わー! 気持ち良さそう

涼風吹き抜ける湿原ですものね、私がそうしたら夕方まで寝てしまうかも!!!

   



ワレモコウ&ニッコウキスゲ&マツボックリ


いよいよ前方に燧ヶ岳が姿を見せましたよ~


途中から意識無くダイヤルを動かしてしまい撮影できなくなってしまった私のカメラ

休んだ時に雄さんに見て貰って漸く使える様になりました






到着しましたあやめ平で~す

秋景色、雨、雪景色と楽しんだアヤメ平ですが何時来ても素晴らしい天上の楽園

AさんもMさんも「連れてきて下さって有難う!」と大感激でした

アヤメ平の由来は周辺に群生するキンコウカをアヤメと間違えたのがそもそもの由来で

昭和30年代、雲の上の楽園という評判が立つと多くの登山者が訪れる様になったのと

丁度この頃フォークダンスブームでも有った事からグループがゾクゾクと押し寄せ

山上でダンスに興じ緑を悉く踏み荒らしてしまったのです

確かにそれは気持ち良かった事でしょう

しかし木道も設置されてなかった事から植生は衰退し一帯は裸地化してしまいました

私が最初に来た時には既に木道が設置され周辺は復元活動が始まり

7割がた緑を取り戻しておりましたが未だまだ種を育てるためのムシロが

あちこちに目だっておりました

活動が開始されてから50年の時を経てアヤメ平は元の姿を取戻した訳です


千葉から爺ちゃん婆ちゃんを呼び埼玉からやって来た親子三代での尾瀬登山

可愛いですねぇ

今日はこれから尾瀬ヶ原に下りてお泊りだそうです

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寒いくらいだった山上でどのくらいの時を過ごしたでしょうか

食事をすませ、ゆっくりお喋りをして、いよいよ下山です

前方にドッシリと至仏山、お花が綺麗だった笠ヶ岳 未踏の平ヶ岳

振り向けば燧はもうあんなに小さく

   

このまま鳩待に下ってしまうには余りに勿体ない

横田代でリュックを下ろします


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館林・夏の風物詩「手筒花火」

2018年07月27日 | 年中行事



手筒花火は館林藩主・榊原氏の発祥地であった徳川家ゆかりの三河地方に伝わる

勇壮な花火です

1mの筒を抱え火の粉を全身で浴び、轟音響く中、高温に耐え

燃え尽きるのをジッと待つその姿は「よっ!日本一」と掛け声を発したくなりますね






天に向かって吹き上げる火柱は10数m

燃え尽きた後の筒の底が抜けて光が舞いあがる瞬間も凄い

会場中にズドンと言う衝撃音が響き渡り

私は思わずカメラを落しそうになってしまいました


座頭市が炎を背に・・・

これは次の手筒を設置する前に散らばった火の粉を箒でかき集めている所です












次は二つ同時に放揚

横に寝かせた筒に点火し火柱がグーンと伸びた所で徐々に垂直へと立ち上げる

この過程も中々の見せ場、緊張が走る瞬間です










全員が小さい筒を手に四方八方に散り会場に火花を散らします


そして三筒の放揚

会場に響く轟音も一層、高くなり観客席は興奮の渦に包まれました






以上を何度か繰り返し最後は大小の手筒花火の一斉放揚です







迫力満点、壮大なスケールです

持ち手も観客も熱く燃えた1時間強の手筒花火は盛大の内に幕を閉じました


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館林・手筒花火を前に(モスリン会館・田山花袋旧宅・打ち上げ花火)

2018年07月25日 | 年中行事



明治期、館林城二の丸跡に建てられた旧上毛モスリン会館事務所に足を向けました

日本毛織・中島飛行機・神戸生絲等々と共に近代史を飾る貴重な建物です

モスリンとは細い単糸を使った平織りの布で原材料が毛であったため

虫に食われやすいと言う欠点があり後に安価で丈夫な合成繊維の開発に

次第に後退して行きましたが閉めても崩れないと言う事から今は

腰ひもや伊達締めなどに利用されている様です

そう言えば私も子供の頃、正月になると友禅模様のこの着物を着た事が有りました






この馬車は美智子皇后の祖父に当たる日清製粉社長の正田貞一郎氏愛用の物です





   
  


同敷地内に明治の文豪・田山花袋

7歳から14歳までのおよそ8年間を過ごした家が保存されておりました

代表作には「田舎教師」が有りますが建物は当時の平均的な武士の住まいだそうです




会場にやって参りました

既にカメラマン、準備万端

座敷席(無料)のロープ外に三脚がズラリと並んでおりました

長さ約1m、直径約20㎝ 竹筒に荒縄を巻き火薬が詰めてあり

これを片腕で抱え一方の腕で支え燃え尽きるまで持ち手は態勢を維持するのです






手筒開始までは未だ2時間余り有ります

小腹が空きましたので焼きそば(凄い量でした)を購入し「日溜りの広場」で一休み

と言っても今日はベンチで寝ている者、談話している者が憩う「風が心地よい広場」でした

川の在る景色はいいものですね

ビルも見えないせいか気持ちもゆったり、6時半まで此処で過ごしました

   



丁度、手筒花火持ち手が西日本災害被災地の復興支援の義援金を募り

会場を一巡しているところでした

お財布を主人の居る場所に置いて来てしまい私は募金が出来ませんでしたが

生協で募金しているのでマッイッカ!と思っていましたら

引き替えの祭りのうちわを手渡されて・・・イイノカナァと思いつつも

   

辺りが大分、薄暗くなり西の空は綺麗な夕焼けに染まりました



   



先ずは本番前のデモンストレーション、打ち上げ花火です

   





続く


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館林・尾曳神社~秋元氏別邸(日本一暑い館林へ日本一熱く燃える花火を観に)

2018年07月23日 | アウトドア
7月21日(土)

国道50号を通り会場から3番目に近い尾曳神社駐車場まで約1時間半

2時半に着いた時には200代収容の駐車場は既に8割方、埋まっておりました

(帰りに見た時には観光バスが数十台も有り手筒花火の人気が伺えますね)

手筒花火が行われるのは19時半から、それまでの時間をどう過ごしたら良いのか

先ずは尾曳神社を参拝する事に致します



   



この神社は室町時代12代将軍・足利義春の代に赤井照光が館林城(尾曳城)を

築城した際、守り神として建立したものだそうです






暫くベンチに座り鶴生田川(城沼)の流れに目を向ければ

川風が汗を拭います

今日が特別なのか日本一暑いと言われる館林ですが気持ちが良い程の涼しさでした

鶴生田川と言えば菖蒲と蓮で有名な場所

時刻も時刻ながら、やはり今年は、つくづく蓮には縁の無い年になりました

16時そろそろ動き始める事に致しましょうか


会場へ向かう途中に立派なお屋敷が在りました

明治の末に城沼(鶴生田川)に面して建てられた秋元家の別邸です






像は投網を楽しむ館林城最後の当主「秋元春朝公」の姿ですね

春朝は自然をこよなく愛し、気さくな人柄が町民に好かる中々の好人物だった様です

この像は高村光雪に師事した彫塑家「毛利教武→明治17年」によるものです

庭は当時の面影は無く唯一残された灯篭と蹲踞が僅かに残されているだけでしたが

これらも毛利教武が手掛けたものなのだとか








和と洋を好んだ春朝らしく建物の端に小振りな洋館も見られました


建物の北側に玄関が落ち着いた佇まいを見せております

続く


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