たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

(続)秩父神社

2024年04月08日 | 神社仏閣

続き

この木鼻の龍はどなたの作なのでしょうね。力強い獅子です。

天神地祇社

天神地祇社の両端に額殿が在ります

  

  

      

額に施された細密な彫刻も目を見張るものが有りました

シジュウカラが忙しなく枝から枝へと飛び移り何とか写せたのはこの一枚だけ

若者が3人「これどうするのですかね?」と聞くので雄さんが冗談に「食べるんだよ」

どうやら「鯉のあらい」や「鯉こく」という料理法も知らない様子でした

樹齢400年のご神木の銀杏の木。因みに社紋は銀杏の葉だそうです

昭和8年の夏、秩父宮妃殿下がお手植えされた銀杏

乳房がたくさん下がっている事から「乳銀杏」と命名されておりました

もう1か所、寄って秩父のミニ旅を終えたいと思いますのでコメント欄はお休みとします

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秩父神社

2024年04月07日 | 神社仏閣

清雲寺さんで枝垂れ桜を堪能したあと折角なので秩父神社に寄ってみる事にしました

力強い狛狼に迎えられ先ずは手水場へ

この手水舎の彫刻の素晴らしさは一見の価値が有りました。水は武甲山の伏流水だそう

鮮やかな朱色に彩られた神門

本殿

秩父神社は2000年の歴史を持つ古社で現在建つ本殿は徳川家康の命により建立されたものです

左右に見える虎は虎の年、虎の日、寅の刻に生まれた徳川家康に因んで彫られたもので

日光東照宮を手掛けた左甚五郎作によるものです

極彩色に彩られ当時の色が蘇った訳ですが私個人的には彫刻技術の素晴らしさが彩色により失われてしまった様で少々残念な気持ちになってしまいましたが皆さんはどう思われたでしょうか?

  

 

  

 

  

  

●日光東照宮の「見ざる 聞かざる 言わざる」に対してこちらは「よく見 良く聞き 良く話そう」がキャッチフレーズ

●フクロウは平和と智慧の象徴だそうです

  

    

絵馬も「繋ぎの青龍」「三猿」「秩父祭り」が目を引きました

 

「繋ぎの青龍」 左甚五郎作

日本では昔から家や地域の四方を青龍・朱雀・白虎・玄武と言った神使が守っていると信じられていたため、ここに青龍が施されました。    続きますのでコメント欄はお休みします。

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(続)桐生天満宮 関口文次郎の彫刻

2024年03月13日 | 神社仏閣

続き

 

群大前に駐車し裏口からの参拝となったため先ず目に飛び込んだ彫刻に体が固まってしまいました

建物全体が精緻で華麗な彫刻に埋め尽くされているのです

この彫刻を手掛けたのは黒保根村出身の名工・関口文次郎(日光東照宮の修復や榛名神社の彫刻を手掛けた左甚五郎から数えて九代目の弟子)によるものです

           

 

 

鳥居から先は神域につき動物を入れる事は禁止、撮影に関しては特に書かれていませんでしたが細かな部分の撮影は差しさわりが有ると判断、一般に公開している範囲で載せてみました。名工・関口文次郎の高い技術が伝わりましたでしょうか。

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(続)桐生天満宮境内の社

2024年03月12日 | 神社仏閣

続き

境内にも素晴らしい建造物が点在しています

天満宮末社春日社 国の重要文化財

本殿裏手に鎮座するこの小規模の社殿は県内でも有数の古さを誇る17世紀初頭(室町時代)の建物だそうです

本殿に施された様な彫刻彩色が進む前のため至って地味ですね

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直日神社・神明宮

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神道七福神総社・宝船神社

20数日間滞在した桐生の印象を書かれた渡辺崋山の毛武遊記の碑。説明が無ければとても読めませんね。

からくり人形水車

算額

神楽殿

神楽殿を写していた時、モミジの枝にジョウビタキがスッと現れました。天神様の使いかな? 続きます、コメント欄はお休み

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岩神の飛び石(国の天然記念物)と大銀杏

2023年12月09日 | 神社仏閣

群馬大学の並びに浅間山の噴火で土石流に押し流され、ここに留まった溶岩石が有ります。現在はそこに神社が建ちこの石がご神体となっておりますが何れにしても此処まで流されて来たとは、にわかに信じがたい巨岩に驚かされます。場所は県道沿いに在る事から前橋に出るのに何時も目にはしておりましたが車を停めた事は有りませんでした。

周囲約60m、高さ地表部分9・47m、地下に埋もれた部分10m 赤色部分は火砕岩、黒みを帯びた所は溶岩

始めの内は赤城山の噴火により運ばれて来たと信じられておりましたが平成になり調査をした結果、浅間の溶岩石で有る事が判明しました。浅間の噴火によって発生した泥流と共に吾妻川沿いに流れ下り利根川と合流すると流れも緩まりここに根を下ろしたという事の様です。

「飛び石」と呼ばれているのは近くに岩場も無い平坦地で有る事から空中を飛来してきたとしか思えない事から、そう呼ばれその名が今に残っている訳ですね。

飛び石の前に神社が造られたのは江戸時代初期、前橋藩主・酒井重忠が稲荷神を勧請し此処に神社を建造、岩神神社と命名致しました。 勿論ご神体は「飛び石」です

 

 

 

 

 

飛び石と21・5mの大銀杏

樹高21・5mある大銀杏は乳の出ない母親が乳房に似た気根に触れ願をかけると母乳の出が良くなるご利益が有ると説明されておりました。今はご神木となっております。

 

 

  

 

そろそろ帰ろうかと思った時、丁度ご婦人がお参りにやって来ました。今でも市民の拠り所となっている神社なのですね。

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