町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

置き換え間近の都営大江戸線12‐000形

2018年01月31日 | 首都圏の地下鉄

都営12号線として1991年に開通以来、関東地方では初採用となる鉄輪式リニアモーター駆動の車両として注目を集めた都営大江戸線12-000形ですが、初期に製造された白塗装の1・2次車は機器の老朽化に伴い新形式12-600形に置き換えられ、2016年6月に営業運転を終了しました。現在は1997年より導入された無塗装アルミ車体の3・4次車が大多数活躍していますが、東京都交通局の公式発表では2018年から2021年に掛けて12-600形を増備し、2021年までに12-000形を代替する旨の発表がなされています。

都営フェスタで馬込車両基地に姿を見せた12-000形。写真の編成は環状線部分の全線開通に伴い1999年~2000年に製造された4次車で、従来の車両が日立製作所製のVVVFインバーター制御装置+東芝製補助電源装置を搭載していたのに対し、VVVF制御装置を東芝、補助電源装置を東洋電機に変更するなど、細かい変更が加わっています。

反対側から。隣の浅草線用5300形と並ぶと、車体のサイズの違いが非常に良く分かります。都営大江戸線は2000年度の全線開通で単一の地下鉄路線としては日本最長距離になり、駅数も最多となりましたが地上区間を走行する区間は無く(このため単一の地下トンネルとしても最長記録)、2013年度で全駅にホームドアが設置された為車両の全貌を捉えることは不可能になってしまいました。

車内設備に入ると、上すぼみで天井が低い小断面地下鉄車両特有のスタイルを実感出来ます。一般の鉄道車両よりサイズが小さくなるため、車両限界一杯に設計されました。明るい暖色系のカラーも相俟って、圧迫感は全くありません。12-000系では、都営地下鉄特有の客扉内側に設置された四角形の手掛けは採用されず、一般的な形状になっています。

ドア上の車内案内表示器は2段式LEDで、戸開予告装置・ドアチャイムも併設しています。LED表示設置部分と向かい合う側には、紙の路線図を設置しました。

 

前述したように順次置き換えられる12-000形ですが、小断面の鉄輪式リニアモーター駆動という特殊な構造が災いし、これまでに運用を離脱した1・2次車は全編成が廃車~解体処分となっています。他社への譲渡が不可能な為、仕方ない措置ではありますが、可能なら引退前に木場研修場辺りで車両撮影会などのイベントを期待したいですね。

 

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[悲報]千代田線6122F、運用離脱・・・

2018年01月28日 | 首都圏の地下鉄

昨日、3編成が残存する千代田線の6000系の内6122Fが綾瀬検車区から新木場CRまで廃車の為回送されました。何度も次の廃車予定の編成として、その動向が注目されて来た同編成ですが、遂に引退となってしまいました・・・。

6122Fは4次車で、当時千代田線の本線で運用されていた5000系10両編成5本を東西線へ転出させる為と、輸送力増強を目的に1981年から6編成が導入されました。半蔵門線の8000系の設計思想を盛り込み、側窓を幅の狭い二段窓から下降式の1枚窓に改め天井は冷房準備車として、集中式冷房装置の設置を考慮した構造で従来の1・2次車とは大幅に印象の異なるスタイルになっています。2007年度に大規模修繕と共に、制御装置のVVVFインバーター制御化改造を施行し、登場時からは大きく変貌を遂げました。

小田急線への直通も終了した後、遅延のため偶々実現した2編成並び。奥の5次車である6130Fと比較すると、屋根のカーブが異なっている様子が分かります。ほんの少し前まで当然のように展開された光景ですが、6000系同士の並びを捉えることは不可能になってしまいました。

車内設備は2007年度の更新改造で化粧板・床材・側扉を全て新品に交換し、イメージを一新しています。以前記事にした6102Fと比較すると、座席の袖仕切りが床に接しないタイプになり、扇風機が廃止され変わりにラインデリアが設置しました。

更新時に設置されたLEDの車内案内表示器。ドアチャイムも併設されており、表示内容はJR常磐緩行線・小田急線共に対応しており運用範囲の全区間で稼動していました。

今回引退した6122Fは1981年の導入で、1988年に冷房化改造、2007年に先述の大規模修繕・VVVF化改造と2度に渡る大工事を施工され、36年余りの活躍でした。4・5次車を対象にした大規模修繕は2004年から開始しており、制御装置は当時最新形式だった05系13次車同様のIGBT素子を用いた方式で、電動車と付随車の比率を1:1(6M4T→5M5Tへ)にする大幅な変更を伴うものでした。当初この改造を受けた編成は2020年代まで運用する予定でしたが、後継車の16000系導入が決定し工事自体も6122Fを最後に終了。更に東京オリンピックの開催を控え、千代田線の全編成を16000系で統一する方針に転換した事から、2015年には初めてこのタイプに廃車が発生しています。改造を施行した4・5次車は引退後全てインドネシアへ売却されていますが、この編成の処遇はどうなるのか、非常に気になるところです。

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雪化粧ワイドドア

2018年01月27日 | 小田急電鉄

今年の寒さは殊のほか強く厳しいものになり、各地で豪雪による被害がTV・新聞のニュースで伝えられました。とりわけ鉄道関連での目立った出来事と言えば、信越本線での列車立ち往生で15時間に渡り430人が閉じ込められた一件でしょうか。ネットでは「神対応」と必要以上に持て囃す声が目立ちましたが、国土交通省から再発防止策の徹底を指導されるとともに新潟支社長が陳謝する事態に至りました。他事業者に於いても、降雪時の対策を促したとのことですが、この一件を機会に二度と繰り返されることが無いよう強く願いたいものです。

折りしも東京都内でも2014年以来久々の雪に見舞われましたが、小田急の運用サイトを見ると多摩線に1000形・2000形が充当されているとの情報が出ており数少ない雪との組み合わせを撮影すべく、栗平駅へ行って来ました。

ホームに降りる頃には雪の勢いが強くなってしまいましたが、降りしきる雪の中を快走する1000形・2000形双方を何とか捉えられました。行き先がしっかり撮れている事と、ワイパーの動きで激しい降雪だということは伝わるので、良しとしておきます。しかし、ステンレス車と雪の組み合わせは実に映えますね・・・。

 

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伊豆急行8000系に伊東市70周年記念ヘッドマーク

2018年01月05日 | 東京急行電鉄

元旦の伊豆初日の出号で伊豆急下田まで向かった際の帰りに、いつも通り8000系の普通電車で熱海へ引き返そうとすると、何やらヘッドマークらしきものが掲出されていました。

毎年このアングルで撮影している気がしますが・・・。昨年2017年は、伊東市制施行70周年の節目の年だった為、同市内を起点とする伊豆急行の列車にも記念のマークを掲出する事になったようです。

熱海駅に到着してから反対側の先頭車を撮影。マークは2種類のデザインが用意され、伊豆急下田寄りと伊東寄りで絵柄を変えていました。

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弘南鉄道大鰐線2017

2018年01月03日 | 東京急行電鉄

弘南線の乗車と撮影を終えて、今度は大鰐線に向かいます。弘南線・大鰐線はどちらも弘前市内にありながら起点となる弘前駅と中央弘前駅は1キロ以上も距離があり、両線を乗り継ぐ場合は基本的に弘南バスの土手町循環100円バスを利用するか、奥羽本線で大鰐温泉へ出る必要があります。元々大鰐線は終戦後に交通事情の悪かった弘前市内の輸送を改善すべく、三菱電機の資本参加を経て設立された弘前電気鉄道が1952年に開通させた路線でした。しかし、開通後は奥羽本線と共に路線バスとの競合で経営は苦しく、わずか20年に満たない内から経営危機に見舞われ、1970年10月1日に弘南鉄道に路線の経営権を譲渡し現在に至ります。

現在の旅客車7000系。大鰐線の同系は日立モーター車で、東急時代は地上専用車として東横線急行などで活躍しました。7000系の導入当初は6000系と共に大鰐線に優先配置され、老朽化の著しい雑多な旧型車を置き換え大幅に近代化が図られましたが、現在では7000系の方に疲労の色が見えています・・・。

かつて在籍していた元南海電気鉄道1521系の塗装を再現した7037+7038編成。この他、7033+7034編成が同じく元東急7000系を保有する縁から、大阪の水間鉄道のデザインを再現した姿で運用されています。厳しい経営の中、出自が同じ譲渡車が縁で実現した遠い関西の事業者とのコラボレーションは明るい話題になりました。

津軽大沢駅に併設されている車庫には、セミステンレス車体の為老朽化が進行し既に運用を離脱した貴重な6000系も健在でした。2014年のイベント時に正面の赤帯を復元しています。動けなくなって久しいですが、直ちに処分せず保管してくれるのは実に嬉しい限りです。

7000系車内は以前の訪問時と変わらず、林檎をモチーフにした吊り手もそのまま。大鰐線所属車では座席の交換などは施行されていませんでした。

 

冒頭に記した経緯から、弘南鉄道入りするものの1974年をピークに輸送量は減少し、その後は旅客運賃を値上げした直後の2009年を除き赤字が続いています。これらの状況もあり、社内でも大鰐線の処遇に関して非公式な協議がされていたのか、2013年6月の株主総会の挨拶では社長より大鰐線を2017年3月で廃止する意向が示されました。その後7月に一度は撤回され、8月には沿線の弘前市・大鰐町を始め経済団体により支援計画や経営改善を目指す「存続戦略協議会」が発足し大鰐線は何とか生命線が保たれました。予断を許さない状況ではありますが、特に弘前市が鉄道維持に前向きな姿勢を見せているのは幸いと言えます。この先、車両や設備の更新など先行きは厳しいですが、どうにか存続への道が切り開ける事を願いたいものです・・・。

 

 

 

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