音楽の喜び フルートとともに

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鏡のカノン

2023-11-30 21:18:00 | 古典
水曜日は第6回聴き合い会てした。
今回は、ヴァイオリン、ヴィオラ、ギター、フルート、ビウエラ奏者が集まってくれました。

このヴィオラの2人が演奏しているのは
ウォルフガング アマデウス モーツァルト(1756-1791年)神聖ローマ帝国ザルツブルク大司教領ザルツブルク生まれ、神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウイーン没

ななぬ
の「鏡のカノン」
モーツァルトの作った「音楽の冗談」の一部だと言われていました。
しかし、モーツァルトのカタログには掲載されていません。

「Mirror Canon」
「Table canons(for.2volins)」
「Der Spiegel」
「Spiegelkanons」
日本語では
「鏡」「鏡のカノン」
と呼ばれています。
K.Anh.C10.16の番号は、偽作を意味しています。

ハイドンの作品目録に「Ein musicalischer Scheltz」音楽の冗談(Group Ⅵ:G4)と呼ばれる曲があります。

メストリーノ氏による2つのヴァイオリンのための平易で奇妙な二重奏。と書かれています。

これが先程のモーツァルトの曲と同じです。

ニコラ メストリーノ(1748〜1789年)イタリア ミラノ生まれ、フランスパリ没


は、1780〜1785年の間、ハイドンのいたエステルハージの宮廷ヴァイオリン奏者でした。

「鏡のカノン」は


テーブルに置いた楽譜の左右に2人の奏者が座り、両端から自分とは反対側から同時に読んでいくと、自分の側に来る頃には、二重奏の曲が一曲できています。




クリスマスコンサートの準備

2023-11-29 21:00:00 | 古典
火曜は子育てサロンの「クリスマス コンサート」でサンタさんが参加者に配るクリスマスオーナメントを作りました。

Yさん、Oさんが朝からうちに来てくれて、早速製作。
フェルトは1枚買い足しただけで、残りは過去のサロンの製作の材料と、Oさんが「もう作らないから。」と、持参してくれたかわいいボタンやリボンで間に合いました。
靴と

雪だるまと

ツリー。

これにリボンを通して吊れるようにします。

今日はここまで。
おっと子どもたちには内緒ですよ。
サンタ工房でプレゼントは作っているはずなので…。

ヴォルフガング アマデウス モーツァルト(1756-1791年)神聖ローマ帝国ザルツブルク大司教領ザルツブルク生まれ、神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウィーン没

「3つのドイツ舞曲」K.605は
1791年2月2日に作曲され、モーツァルト自身のカタログに書き込まれていますが、なぜかカタログには2曲だったのが、出版されたのは3曲になっていました。

第1番、第2番は2月2日という日付がついていますが、第3番には日付が書かれていません。
しかしこの直後の3月15日のウィーン新聞では3曲の広告がされているので、本人が関与しなかったということはあまり考えられません。

なぜ「そりすべり」と言われているのでしょうか?

それは
鈴(馬車でひかせるそり同士がぶつからないように馬のハーネスに鈴を付けて走らせました。スレイベル)とポストホルン(郵便ラッパ

郵便馬車が出発したり、到着したりするのを知らせました。)

が使われていて、当時、鈴とポストホルンを鳴らしながら行なうそりすべりは宮廷で人気の高い冬の娯楽だったことから、すぐに「そりすべり」の名前で人気になりました。

子どもたちもそりすべりをしてクリスマスを待っていたのではないでしょうか?









「呪能」天王寺舞楽

2023-11-28 21:02:00 | 日本
フェスティバルホールで四天王寺さんの「呪能」を拝見しました。
「青海波」は雨乞いの舞、「二の舞」は振りすぎた雨を治めるための舞で、ユーモラスなもので卑賤のものが舞うとされ、「二の舞を踏む」という語源になった舞です。

四天王寺では聖徳太子が自ら作ったという龍笛と高麗笛が収められています。その笛に、太子をお迎えするための舞「蘇利古

お帰りになる時の舞「太平楽急」

これは、槍や刀を振り回して舞われますが、平和を祈って振るので刀や弓は逆さまについているそうです。

舞の終わりの方で抜刀すると篝火か点灯し、太子の魂はお社にお帰りになられます。

5世紀の笛が残っていることが驚きですが、それが現役で活躍することはもっと驚きです。

室町時代、この笛を見たいと、後花園院が京都へ運ばせたところ粉々になり、四天王寺に持ち帰ると元に戻っていたという伝承から「京不見御笛(きょうみずのおふえ)」と呼ばれています。

舞や音楽、衣装もその頃インドなどから入ってきてそのままの形で受け継がれています。

おそらく本国では失われたのではないでしょうか?

ゆっくりとしたリズムは四拍子ではじめから終わりまで全く変わりません。

しかし、丹田に力が込められ、惹きつけられて目が離せません。

源氏が舞ったという舞や、厳島神社にも同じ舞が残っていたり、おそらく春日大社にも…長い歴史を感じます。

ガムランや、トルコの軍隊の音楽の響きも含まれているような(おそらくあちらの方は変化してしまった)不思議な感じです。
金銀に朱色や濃い緑、藍色など色彩豊かな衣装や舞台にも魅せられます。
しかも、あのお面!あれは何??

楽しかった〜!調べても記述のないものばかり。


クラフトマンシップ

2023-11-28 08:21:00 | バロック
今日はリペアのために梅田ドルチェ楽器に行きました。

見ていただいている間にルイロットを二本みせてくれました。

金の頭部管の方はラファンのリップライザーがついているので純正品とは言い難いかもしれません。

銀の方は初代ルイ ロットではなく、2代目。

どちらも高いF#の音が抜けません。中指の替え指にしたら、いい感じになりました。
モダンフルートとは指使いが違うのかもしれません。
どちらも古い楽器ながら軽くて滑らかな音がしました。

リペアマンは東京から来た小林さん。
「上線5のC#のロングトーンで終わる曲を吹かないといけないんですが、出にくくて」というと、実際に吹いてくれました。

それからきれいに調整してくれて、鳴りやすくなりました。

それから「Fluteケースとフルートが合わない。」と相談していたら、リペアの篁さんが、「貸してみて。」と横から入ってくれました。

「同じ色はないのだけれど…。」と、ちょこちょこっとお直し。
びくともしなくなりました。


本当に、リペアマンは心強い味方です。

ゲオルク フリードリヒ ヘンデル(1685-1759年)神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯領生まれ、グレートブリテン王国イングランド ロンドン没

「調子の良い鍛冶屋」
The Harmonious Blacksmith
は、『ハープシコード組曲第1集』第5番 ホ長調 HWV.430 の終曲「エアと変奏」に付けられた通称です。

クラフトマンシップ。
手に汗して働く庶民にして、腕一本で立つ矜持、誇り。
そんな鍛冶屋の様子を表現した曲だと思います。

「調子の良い」という翻訳には異論があります。
「Harmoniaus」は「音が調和している」という意味で、リズミカルや調子が良いという意味ではなく誤訳だそうです。
では何が適切かといえば、「調和している鍛冶屋」「よく響く鍛冶屋」で、日本語にするとなんとも座りが悪いです。

ニコラ・ド・ラルメサン(フランス語版) (1684-1755) 筆「ゆかいな鍛冶屋」
『ハープシコード組曲第1集』第5番 ホ長調 HWV.430
編集
ハープシコード組曲第1集(出版1720年)の8曲中の第5曲。下記の4楽章からなる。

Praeludium(前奏曲)
Allemande(アルマンド)
Courante(クーラント)
Air with 5 variations(エアと変奏)〜通称「調子の良い鍛冶屋」





野生動物出没注意!

2023-11-26 21:00:00 | バロック
土曜日は久しぶりの里山。
穏やかな小春日和。

紅葉はあまりありません。

遭ったことはないですが…

いつも行く小川の砂の上に

鹿か猪の足跡がありました。
写せませんが鹿の糞も落ちていました。

アントニオ ヴィヴァルディ(1678-1741年)ヴェネツィア共和国ヴェネツィア生まれ、神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウィーン没



1738年(?)ヴェネツィアで初演されたバステイッチョ オペラ「メッセニアの神託」は初演の後、ヴィヴァルディは亡くなってしまいました。
死後、数ヶ月ケルントナートーア劇場で上演されたという記録のあと
楽譜が散逸し、再演されることはありませんでした。

「まぼろしのオペラ」と呼ばれた「メッセニアの神託」が再現されるのは、2006年ファビオ ビオンディが台本を元に再現。2年後演出付きで世界初再演は日本で行われています。

「メッセニアの神託」
メッセニアでは2匹の猪が人々を恐怖に陥れています。
人々はヘラクレス神殿に救いを求め祈っています。

「メッセニアは勇敢な行為と怒りにより、2匹の怪物から救われるであろう。そして、その勝者は王家の血を引く囚われ人と結婚するであろう。」と神託が下ります。 

王位簒奪者のポリフォンテは女王メローペと婚約し、王女エルミーラを誘拐し人質としていました。

「もし、見知らぬ者が猪を仕留めたらそのものにエルミーラをあたえよと神々は約束した」とエルミーラに告げます。

エルミーラは追われた王子エピーティデを慕っていたので絶望します。

エピーティデは隠れて「クレオン」と名乗っていましたが、窮地の故国の民を救うため猪を狩りに出かけます。

見事に猪を仕留めたクレオン(エピーティデ)は帰還し、母である女王メローペの手にキスをします。
しかし彼女は、息子エピーティデを殺したのはクレオンだと聞かされていて彼を非難します。

裁判で明らかにしようと召集しますが、ポリフォンテの謀略にかかり、メローペが殺人犯にされようとします。

そこでポリフォンテの部下の裏切りによって、クレオンがエピーティデであることが明かされ、ポリフォンテは処刑され、母親のメローペと、エルミーラとともにエピーティデが王権を奪回し、神託の成就を祝います。





南極交響曲

2023-11-25 21:01:00 | 近代
三木の出張の帰り、「赤ちゃんが生まれたって聞いたから寄ってきた。」と夫
「えっ?誰が産んだって、赤ちゃん?」

「ペンギン。」

宿原ペンギンカフェ バランタインのことでした。

「赤ちゃんはどこ?」

「まだ、公開してなかった。」
「なんだ。」

チーズケーキとラズベリーケーキ

アップルケーキは紅玉がいっぱい入ってました。紅玉の酸味がいい感じ。

ペンギンの赤ちゃんのおかげで美味しいケーキにありつけました。

レイフ ヴォーン ウィリアムズ(1872-1958年)イングランド ダウンアンブニー生まれ、イングランド ロンドン没


牧師の父のもとに生まれますが、3歳で父は他界。
母マーガレットは陶器のウェッジウッド

の一族でレイフは創業者のジョサイアの玄孫。ダーウィンは大叔父です。
叔母から音楽を学びます。7歳でヴァイオリンを学びます。

1890年王立音楽大学に入学、その後辞めてケンブリッジ大学トリニティカレッジに入学、音楽と文学で学士を取ります。

1897年アデリーン フィッシャーと結婚。

1910年
1919年から王立大学の作曲家教授に就任します。
1951年アデリーンが亡くなります。
1953年アーシュラ ウッドと再婚します。

アーシュラとヴォーン ウィリアムズ1957年
1947年ロバート スコットの南極探検隊を描いた「南極のスコット」のための音楽を作曲しました。

映画南極のスコット
1949年プラハ音楽祭で音楽賞を受賞します。その後、再編成して交響曲第7番として作り上げ、1953年マンチェスターでハレ管弦楽団により初演されました。

氷山、氷原、オーロラ ブリザードの描写。愛すべき動物や自然の猛威が描かれていて、各楽章には引用句が書かれています。

第一楽章
前奏曲 シェリーの詩「鎖を解かれたプロメテウス」
第二楽章
スケルツォ 「詩篇第104篇」
第三楽章
風景 レント コールリジの「シヤモニー渓谷の日の出前の讃歌」
第四楽章
間奏曲 ジョン ダン「夜明けに」
第五楽章
終幕 アッラ マルチア 「スコット大佐の最後の日記」より





10弦ギター

2023-11-24 21:01:00 | 楽器
土曜日は、夙川公民館ホールで西宮ギター練習会の「第21回コンサート」でした。
今日は阪神優勝パレードで混むだろうと京橋でJRに乗って一本。

紅葉が綺麗でした。
コントラバス安福佳子さんとギター渡瀬清隆さんとフルート久米でアザラシビリのノクターン。

田郷祐樹さんとピアソラの「カフェ1930」

岡山友樹さんとカルリの「英国国歌による幻想曲」を演奏しました。

受付にいると
素敵な服装の女性が…。
写真撮らせていただきました。




もうお一人は87歳、現役の日本舞踊家で、背筋がピンと伸びて、片足で立たれてもびくともしない体幹の持ち主でした。
開演までの20分、受付で話されました。
お客様との距離が近い、うれしい演奏会です。

今回は鈴木博之さんが
10弦ギターを東京から持ち込まれました。


10弦ギターは
私は見るのも聴くのも初めてですが
、ナルシソ・イエペス(1927-1997年)スペイン王国ロルカ生まれ、スペイン ムルシア州ムルシア没

が、ギター製作のホセ・ラミレス3世

と共同開発したものです。

一般的な6弦ギターに低音を4弦追加したもので、演奏のためというよりも、倍音を均等にすることを目的に設計されました。

つまり、響きのための弦。

調弦は
7弦を6弦の長三度下のC
8弦をB♭
9弦をG#1
10弦をF#1
に合わせるのがイエベス式。他にも
様々な調弦法があります。

4本の弦は共鳴用弦を追加することにより、豊かな響きを得ることができますが、残響のせいで音がにごります。

残りすぎる音を消音しながら演奏するのが技術的に難しいと言われています。
10弦ギターでの演奏でベートーヴェンの交響曲第7番、低音弦は共鳴用と書いてありましたが、ここでは押さえて使っています。

パンダの白黒はなぜついた??

2023-11-23 21:01:00 | 古典
実家のアスターが全盛期でした。
夏の間中この鉢を占拠していた菊の花はとうとう花をつけず、入れ替えたようです。
フルートアンサンブルの仲間H嬢のお土産。


香港に行っていたそうです。
かわいいパンダクッキーとパンダのペーパー、ロイヤルミルクティーパウダー。日本のサイズより少し大きいです。
袋もパンダ。

ジァイアン ト パンダは大熊猫、オオパンダと呼ばれ、中国四川、陝西省、甘粛省の高山地帯に生息する大型のクマ科の動物。



体重は100〜150kg
体長 120〜150cm
草食動物で1日に10〜18kgの食物を食べます。水分が多いものだと38kg。効率が悪く1日14時間食事に費やします。
主に竹、笹の葉、幹、新芽(たけのこ)を食べます。

古代中国の伝承によると仲の良かった人間の少女が亡くなり、葬儀で号泣して目をこすり、自分の体を抱きかかえたので触ったところが黒くなったと言い伝えられています。

ヨーロッパでは1835年レッサーパンダが発見され、後に1869年にジァイアントパンダが発見されたので「パンダ」といえば古くはレッサーパンダでした。

パンダが海外に出されたのは記録では685年武則天が日本の天武天皇に贈った2頭の熊と言われています。

日本書紀

武則天
しかし、以後記録にはなく、1972年周恩来がニクソンに贈り、以降日本、イギリス、フランスに送られました。
現在海外にいるパンダはワシントン条約で禁止され、学術目的のレンタル扱いになっています。
つがい一組一億円/年

さすがにパンダのクラッシック曲は探せなかったので
フランツ ヨーゼフ ハイドン(1732-1809年)神聖ローマ帝国下オーストリア大公国ローラウ生まれ、オーストリア ウィーン没

交響曲第82番Hob.I:82は「熊」と呼ばれています。

第4楽章の冒頭前打音を伴う低音が熊使いの音楽を謂わせることからこの名がつけられました。

イギリスの熊使い

フランスの熊使い
くまに鼻輪や首輪をつけ、ロープと棍棒で操り音楽に合わせて踊らせたりします。
その時に独自の音楽を流したりしていたそうです。







イルミネーションの源流

2023-11-22 21:10:00 | ルネッサンス
ダイビルのイルミネーション。
寒さと相まって年末感が醸し出されてきました。



ヨーロッパでのイルミネーションの始まりはマルチン・ルター(1483-1546年)神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領アイスレーベン生没が、クリスマスイブに樹木の間から星が美しく輝いているのを見て、家でも子どもたちに見せてあげたいと木を運び込み、木の間にろうそくを立てたのが始まりと言われています。

しかしこれは確かな話ではありません。

ルターは宗教改革でプロテスタントを打ち立てたあと、あの手この手で信者を増やすための努力と工夫をしています。

樹木を美しく飾り立て、自作の唱を歌い、楽しい時間を過ごさせながら、布教に努めたそうです。

そういえば前にも書きましたが、ボウリングの始まりもこの布教の集まりだったそう。

ろうそくは火事や事故が多く、水の入ったバケツを樹の根元に置いておくなど火事に備えたとか…そこまでしてする?!

後に清教徒たちはアメリカに渡り、この風習を持ち込みます。

相変わらずろうそくだったのが、
エジソンが白熱電球を家の周りに自作を売るために飾り立てたのが、いつしかクリスマスのイルミネーションになったそうです。

ルターは、音楽史上、作曲家として日本では大きく取り上げることは無いですが、バッハ一族の住んでいたアイゼナハにいたこともあり、そこて、活動していたバッハ一族はその新しい宗教のための音楽を書いていました。

ライプツィヒに移ったヨハン セバスチャン バッハはその宗教音楽の最高峰とも言えて、ルターの影響の中で育ったとも言えます。







国際親善のための曲

2023-11-21 21:01:00 | ロマン派
月曜日夕方から渡辺橋のサロンドプリンシパルでフルートアンサンブル「エスカル」のレッスンでした。

今日は神戸エスカルのバスフルート仲間が会社帰りに寄ってくれました。
定期コンサートも終わったので、新しい曲を榎田先生から頂きました。

ヨハン シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」
フルート五重奏の譜面で、今日はアルト氏がお休みなので、アルトパートは無し。
じゃんけんでパートを決めたら、私とバス氏が1stに、

バスフルートは、借り物なので誰が吹いても良いので、バスを吹いたことの無いH嬢が「吹いてみようかな」と吹いてくれました。

久しぶりのコンサートフルート。

榎田先生もコンサートが終わったので、引っかかりまくる私達にもニコニコ。余裕でした。

初見大会はなかなか難しいでしたが。

ワルツは「頭の体操」と、榎田先生。

踊りの音楽なので、同じモチーフ、三拍子が少しずつ形を変えて現れます。

リピート記号、セーニョ記号、コーダ、フィーネがワルツごとに設されていて、どこに帰るのか?迷子になりがち。

この繰り返しの多さが大衆に受けた秘訣なのですが…。

そしてところどころに、仕掛けられるルバート。
一筋縄ではいかないところが「頭の体操」榎田先生「うまい!」

座布団あげたくなります。

ホント、腰も脚もお悪いので、指揮のための高いクッションのない椅子がつらそう。座布団あげたい。

筑前橋から渡辺橋を望む
超人気の「美しき青きドナウ」については、以前に書いたので、代わりに


「皇帝円舞曲」op437
ヨハン シュトラウス2世(1825-1899年)オーストリア帝国ウィーン生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン没

1890年シュトラウス
1889年ドイツ帝国の首都ベルリンにできる「国王の建築」ケーニヒスツバウ
ケーニヒスツバウ1905年
の5日間のこけら落とし演奏会に作曲と指揮が何人かの著名な作曲家に依頼されました。

ヨハン シュトラウス2世にも依頼されます。
騎士「バスマン」の作曲に忙しく断ろうと思っていましたが、五夜連続のコンサートの初めに指揮をする栄誉を得たこと、総勢100人の大構成のオーケストラであったこと、報酬も良かったことなどから思い直して引き受けました。

ベルリンとウィーンの新聞では「手に手を取って」という題名で報じられています。
それはこのイベントがオーストリア =ハンガリー皇帝フランツ ヨーゼフ
 1世と、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の臨席が予定されていたことから、両国の親善を祝してその名になりました。

ヴィルヘルム2世(左)とフランツ ヨーゼフ一世(右)
後に楽譜出版社ジムロックによって「皇帝円舞曲」と言う名が提案され、この名になりました。

演奏会は大編成のオーケストラで演奏され、大成功しました。

この演奏を聴いたブラームスは

1894年シュトラウスとブラームス
「これは管弦楽法がすばらしいので、見事に鳴るんだ。しかし結局、魅力の秘密なんか考えてもしょうがないな」
 
と、絶賛しました。